『ことばの番人』(髙橋秀実、集英社インターナショナル、2024)という本を読んだ。ノンフィクションという形をとった、日本語を考察したエッセイのような読み物だ。
「校正」という行為を深掘りすることで浮かび上がってくる日本語の特性。漢字かなまじりで(さらにカナとローマ字その他もろもろ)、しかも「正書法」なき日本語の宿命。
わたし自身も、つい先ほどのことだが、来年1月にでる新著の「校正」で致命的になりかねないミスを発見。「どんなに・・」を「そんなに・・」と打ち間違えて入力していたのだ。どえらい違いである。
PCのキーボードの配列で、「D」と「S」が隣り合わせになっているがゆえのケアレスミステーク。それが「二校」まで気がつかなかったとは・・・。げに恐ろしきは「校正」なり。
著者は、出版業界の裏方である「校正者」の仕事に取材をつうじて迫り、ことばと日本語にかんする文献を縦横無尽に引用する。ファミコン世代でプログラムをさわっていた「校正者」の話には、なるほどと膝を打ちたくなる。
読み物として面白いのは当然だが、それだけでなく、本書じたいじつに緻密に「校正」を行なわれている。著者とその配偶者、そして出版社と外部のプロの「校正者」のワザと努力に感嘆すべきだ。
ことしの9月にでた本だが、11月には著者が亡くなっている。享年63歳、あまりにも早い死であるが、本書の「校正」を完璧にこなし、出版にこぎつけることができたので、もって瞑すべしというべきだろう。
デジタル化が進んでも、手書きの原稿がなくなっても、「校正」の仕事は消えそうにない。日本語の宿命ゆえある。
わたし自身にはまったく適性がないが、とはいえ「校正」という仕事は、日本語がある限り、消えてなくなることのない仕事でありつづけるようだ。日本語の宿命を逆手にとるわけだ。狙い目かもね。
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目 次第1章 はじめに校正ありき第2章 ただしいことば第3章 線と面積第4章 字を見つめる第5章 呪文の洗礼第6章 忘却の彼方へ第7章 間違える宿命第8章 悪魔との戯れ第9章 日本国誤植憲法第10章 校正される私たちあとがき 私は三島由紀夫ではありません参考文献著者プロフィール髙橋秀実(たかはし・ひでみね)1961年、横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経てノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書多数。本書出版後の2024年11月13日没。
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