映画『教皇選挙』(2024年、英米)を TOHOシネマズで視聴してきた(2025年3月21日)。128分。音声は基本的に英語、それにイタリア語、スペイン語、そしてラテン語(・・英語以外の言語にはいずれも英語字幕が入る)。
映画館で映画を視聴するのは、じつにひさびさだな。映画はネットで見るのが当たり前となっているからだが、今回は早く見たかったから映画館で視聴した。そして、それは正解だった。
映画の原題は CONCLAVE(コンクラーベ)。日本語タイトルは直訳なのがよい。世界最古の組織であるバチカンでは、教皇が亡くなると、後継者は枢機卿から選挙で選出されることになっている。そのプロセスを「コンクラーベ」という。
「コンクラーベ」は、まさに「根比べ」(笑)。高校時代に世界史の教師がそう言っていたのは、当時はちょうど短期間に2回の「コンクラーベ」が行われたからだった。
イタリア人のヨハネ=パウロ1世が在位わずか1ヶ月で急死して、ポーランド人のヨハネ=パウロ2世が選出されたのであった。1978年のことだ。
ローマカトリックの継承原理は、あくまでも枢機卿のあいだで「選挙」による「多数決」で決定されるのであり、同族企業や王国における世襲、すなわち血脈原理による継承ではない。チベット仏教のような転生でもない。
あらかじめ後継者を指名することができないので、あたらしい教皇が選出されるまで空位となる。その期間が教会にとってはクリティカルな時間となるわけではあり、野心家たちの思惑がうごめくことになるわけだ。
その点が、国王の死から間髪をおかず、次の国王に継承される王国とは異なる点だ。
フレーザーの『金枝篇』の最後に引用されているフレーズ Le roi et mort. Vive le roi ! (国王は死んだ。新王万歳)というわけにはいかないのである。
■国際政治のメジャープレイヤーのひとつであるローマ教皇庁が舞台
この映画は、じつによくできた密室ものサスペンスだ。世界最古の巨大組織であるローマカトリック教会は、まさに魑魅魍魎がうごめく伏魔殿。 近年は数々のスキャンダルまみれの状態だが、組織浄化の道ははてしなく遠い。
国際的な巨大組織の最高指導者は、霊的な指導者であるだけでなく、リアルポリティクスでも巨大な影響力をもつ存在だ。
その巨大組織の後継者選びは多数派工作の産物、権謀術数うごめくポリティクスそのもの。トップ次第では、その後のカトリック教会の方向性が決まってくる。
DEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)を推進したいリベラル派と、変革を逆戻ししたい保守派の暗闘。そして密かに進行する陰謀。
リベラル派は、国家を越えたカトリックという普遍的な理念を強調するあまり、言語や人種を越えるだけでなく、司祭の資格がなかった女性や LGBT にまでリーチを拡げようとする。
保守派は、普遍を意味するカトリックでありながら、ラテン語という共通言語を大幅に後退させてしまった結果、実質的に言語による分断が可視化されてしまっている現状への批判的な眼差しを向ける。
現代社会が抱える諸問題は、そのままカトリック教会のあり方にも反映してくるのである。
ネタバレになるから書かないが、ラスト近くの「大どんでん返し」には、あっと言わされるものがある。
密室ものサスペンス映画として楽しめるエンタメ作品だが、国際政治におけるメジャープレイヤーのひとつである、カトリック教会とローマ教皇にかんする背景知識があれば、より楽しめることだろう。
■次回の「コンクラーベ」でいかなる選択がなされるのか?
さて、現教皇は南米アルゼンチンからの選出であったが、信徒のデモグラフィックの観点からいって、つぎの教皇はアフリカから選出されるのか、アジアから選出されるのか?
いや、意表をついて米国から選出されるかもしれない。トランプ政権の方向性とローマカトリック教会の方向性にズレが生じているから、クサビを打ち込む、そんな意思が選択にはたらくかもしれない。大きな焦点は「叙任権闘争」がつづく中国共産党との向き合い方であろう。
国際政治状況の激変を受けて、教皇庁はいかなる選択を行うのか。あたまの体操をしておく必要がある。
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