昨年8月以来、断続的に読んでいた『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ、斎藤真理子訳、河出文庫、2023)という連作小説をようやく読み終えた。
ふだん小説はほとんど読まないわたしだが、この小説を読んでみたいと思ったのは、斎藤真理子氏の『韓国文学の中心にあるもの』(イーストプレス、2022)を読んで、気になっていたからだ。
「維新時代」すなわち朴正熙(ぱく・チョンヒ)政権のもと、「戒厳令」が敷かれていた1970年代に書き継がれた奇跡のような連作だという。韓国では現在も「ステディ・セラー」として読まれており、累計140万部になっているのだと。
この連作小説の主人公の「こびと」とその一家は、1960年代に始まった資本主義化する韓国、急速な工業化による高度成長が推進されていた時代に、超のつく格差社会の最底辺で生きぬいている人びとだ。
そんな出口のない過酷な状況で生きることを強いられ、蹴散らされるがままの人びと。そして封建領主のような財閥企業の経営者とその家族。そんな両極端に生きる人たちにかんするリアリティある描写に寓話的なナラティブ。さまざまな声が多層的に響き合う世界。けっして救いのある小説ではない。
それにしても不思議なタイトルの小説だ。このタイトルの意味は、4番目におかれたおなじタイトルの短篇小説を読めばわかる。
1970年代の韓国が舞台であるが、そういった過ぎ去った一回性の出来事に終わらない普遍性がある。近代化を邁進していた時代の日本もそうだし、いまでも発展途上国では現在進行形の設定なのではないか。
いや、ふたたび格差社会が深刻化している現在、アクチュアルなテーマなのかもしれない。だから現在の韓国でも読まれているわわけだし、また日本をふくめた諸外国でも受け入れてきたのだろう。韓国語を学び始めた大学時代にこの小説に出会ったという訳者の思いもまた伝わってくる。
「この悲しみの物語がいつか読まれなくなることを願う」と著者は述べているが、そんな日がくることは、残念ながらなかなか来ないのかもしれない。それが良いことなのか、悪いことなのか、わたしにはわからない。
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