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2025年8月23日土曜日

専修大学の建学物語である『蒼翼の獅子たち』(志茂田景樹、河出書房新社、2008)が面白い。幕末生まれの若者たちが留学先の米国で抱いた熱い夢と高い志を見よ!

 

 『蒼翼(そうよく)の獅子たち』(志茂田景樹、河出書房新社、2008)を読了。面白かった。専修大学の建学物語であり、実在の若者たちを主人公にした歴史小説であり、青春小説でもある。  

専修大学の関係者でもないのにこの本を読んだのは、この小説の主たる舞台がアメリカ東海岸を代表する名門大学の数々であるからだ。 

しかも、主要な主人公である目賀田種太郎(めがた・たねたろう)は最終的にハーバード・ロースク-を卒業することになるが、渡米して最初に学んだのがニューヨーク州トロイ(Troy, NY)にあるトロイ・アカデミーという学校だったからだ。トロイという地名ががなんども言及される日本語の本などめったにない。

トロイといっても、現代の日本人にはなじみのない名前かもしれない。だが、ハドソン川上流に位置するトロイはアメリカ産業革命発祥の地であり、こに建学されたレンセラー工科大学は、ことし建学200年を迎えたアメリカ最古の工科大学だ。大学院時代のわが母校でもある。


幕末の1850年代に生まれた「アメリカ留学第一世代 」

幕末の1850年代に生まれ、内戦となった「戊辰戦争」(1868~69)では旧幕府軍と官軍にわかれて戦った者もふくまれる若者たち。そんなかれらが、内戦後の新日本建設のため最先端の学問を身につけるべく、それぞれ別個にアメリカに留学する。当時のアメリカもまた、南北戦争という内戦を1860年代に経験した世界であった。 

彼の地で出会い、それぞれ異なる大学で学びながら、しかも戊辰戦争の恩讐を克服し、「英語ではなく、日本語で法律と経済を学ぶことのできる学校を日本につくる」、そんな熱い夢を語り合い、実現にむけて志を固め合う若者たちであった。

その中心にいたのが、先にも名前を出した目賀田種太郎(旧幕臣)、相馬長胤(彦根藩出身)、田尻稲次郎(薩摩藩出身)、駒井重格(桑名藩出身)である。若き日の写真が見つからないのが残念だが、この4人はいずれもそれぞれの分野で名を成している。 



専修大学の創立者のひとりが目賀田種太郎であることは知っていたが。そんな建学ストーリーがあったのか! 専修大学関係者でなくても、近代日本の夜明けの青春小説として、留学ものとして大いに楽しめる内容といっていいだろう。

2011年には映画化もされていたとも今回はじめて知った。映画『学校をつくろう』である。




19世紀当時は米国でも、法律学習にはラテン語が必修だったことを知った。ローマ法をベースにした大陸法だけなく、英米法においてもそうだったのだ。目賀田種太郎もラテン語をマスターし、ハーバードロースクールに進学している。キリスト教徒ではなかったが、面接官を説得して入学にこぎつけたのだそうだ。

ちなみに、この小説でも高木貞作の名とともに言及されている、おなじく実学系の「商法講習所」は1875年に私塾として出発している。「専修学校」の5年前だ。その後は高等商業学校を経て、1920年に大学に昇格し東京商科大学となった。現在の一橋大学である。こちらは学部時代のわが母校である。
 
商法講習所も、専修学校も、ともに慶應義塾の創設者であった福澤諭吉との人間関係が大きな意味を持っていたことは特筆すべきことだろう。専修学校の出発点において教室を貸してもらっただけでなく、その後の発展期においても福澤の協力があってこそのものであった。また、森有礼やホイットニー、そして勝海舟なども、間接的にからんでくる。目賀田種太郎は勝海舟の娘と結婚している。



■1870年代のアメリカ東海岸を徹底的に取材

著者の志茂田景樹氏は、かつて奇抜なファッションが取り上げられタレントとして話題になっていた人だが、さすがに直木賞受賞作家であり、躍動感あるエンタメ作品として読ませる筆力はたいしたものだ。この人のものを読むのは今回がはじめてだが、いい作品を書いてくれたものだと思う。 

現地取材も行っており、ハーバードやイエール、コロンビアなどアメリカ東部の超有名大学だけでなく、なんとトロイまで赴いて飛び込み取材を行っているのだ。さすがに現地を踏んでいるだけに、記述に説得力がある。この長編小説は法律が大きな要素を占めているが、著者自身が中央大学法学部卒だだけに、まったく土地勘のない世界ではないのだろう。 

目賀田種太郎と、志茂田景樹氏によるトロイ取材のことを知った11年前に購入したものの、行方不明になっていたこの本。昨日再発見して読み始めたら、とにかく面白い。ぐいぐい引き込まれる。もっと早く読んでおけばよかった。

明治時代を舞台にした青春小説だが、司馬遼太郎には書けないテーマだろう。 


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目 次
雄飛一/雄飛二/雄飛三/雄飛四
同期の友、トロイに死す
岩倉使節団の珍事
それぞれの試行錯誤
挫折の連鎖
出あいの交錯
試金石
燃ゆる志
それぞれの帰国
帰国に心ゆれる
大志ふたたび
たしかな飛翔
あとがき
参考文献
年表(相馬長胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格)

著者プロフィール
志茂田景樹(しもだ・かげき)
1940年3月25日静岡県生まれ。中央大学部法学部卒業。1976年『やっとこ探偵』で小説現代新人賞受賞後、1980年に『黄色い牙』で直木賞、1984年の『汽笛一声』では文芸大賞を受賞するなど、作家としての地位を不動のものにする。1999年に初の絵本を発表、絵本作家としての著書も多数。同年に「よい子に読み聞かせ隊」を結成以来、現在も隊長としての読み聞かせ公演を続ける中、講演活動など多方面に渡り活躍している。株式会社志茂田景樹事務所代表取締役。(本書が出版当時のもの)



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・・「全身全霊でアメリカから貪欲に学ぼうとしていた頃の日本と、日本びいきであったアメリカ東部の上流階級との交流を知ることは日米関係史の原点を知るうえで重要」






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2025年8月17日日曜日

台湾ドラマ『零日攻撃 ZERO DAY』を amazon prime で第3話まで視聴(2025年8月17日)― 「台湾有事」は「台湾視線」でみる必要ある!

 

 台湾ドラマ『零日攻撃 ZERO DAY ATTACK』(2025年)を amazon prime で第3話まで視聴。 「台湾有事」のシミュレーション・ドラマ。1話完結型のオムニバス形式である。


(予告編)


「ゼロデイ」とは、システムの脆弱性が発見されてから修正プログラムができるまでのあいだに行われるサイバー攻撃のこと。ドラマのタイトルは、この「ゼロデイ」を比喩的に使用している。台湾社会の脆弱性を喚起するのが目的なのだ。


(予告編よりスクショ)


第3話までの内容は、新総統への移行期間の脆弱性、将来が見えない若者たちをつかった中共のスパイ浸透工作、そしてフェイクニュースが飛び交うTVメディアを舞台にした「認知戦」、分断される社会・・・






軍事行動だけが戦争ではない。すでに戦争は始まっている! 


(第3話より 画面を撮影)


「台湾有事は日本有事」というのは安倍晋三氏の発言だが、中国と日本、そして米国が密接にからんでくるのが台湾問題だ。とはいえ、「台湾有事」は「台湾視線」で見る必要がある。そして、それは日本社会のもつ脆弱性の先行事例でもあるのだ。

その台湾社会の「いま」がわかる 全10話。第4話以降が楽しみだ。 


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2025年8月16日土曜日

書評『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)―「あの戦争」は日本近代史全体のなかに位置づけて考えることが必要

 

『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)という本を読んだ。面白い内容だった。この手の本は大量に出版されつづけているが、これは読むに値する本だ。  

「あの戦争」は何だったのかという問いは、現在に生きるわたしたちが「あの戦争」を全体としてどう位置づけたらいいのか、という問いである。 

「あの戦争」は、上皇陛下がつかわれたことで世の中に浸透している「先の大戦」と言い換えてもいい。近年の歴史学の世界でいう「アジア・太平洋戦争」のことである。アメリカ占領軍が強いてきた「太平洋戦争」は、「あの戦争」の一部しか表現していない。 

とはいえ、「アジア・太平洋戦争」では地理的な範囲がおぼろげながら示されるものの、時間軸という要素が示されないことが問題だ。「そもそもいつ始まったのか」という問いに応えていないからだ。 これが「第1章 あの戦争はいつ始まったのか」のテーマである。これは「あの戦争」の名称問題でもある。 

著者は結論として、「大東亜戦争」でいいだろう、としている。わたしも基本的に賛成だ。「大東亜戦争」ということによって、「あの戦争」の地理的空間も時間軸も明確になるからだ。イデオロギーとは関係のない名称としてつかうべきなのだ。 

歴史的事実としては、「あの戦争」は1937年の日中戦争に始まり、1941年12月8日の米英蘭への宣戦布告を経て、中国大陸から東南アジア、太平洋を主戦場とした。 1945年8月14日のポツダム宣言受諾に到り、日ソ戦争を経て9月2日に連合国に対する降伏文書に署名し、「あの戦争」が形式上は終結した。

「あの戦争」こと「大東亜戦争」は、中国大陸を主要な戦場として、1937年から8年間にわたってつづいた戦争なのである。いわゆる「太平洋戦争」は、英米アングロサクソンの経済領域である上海に、日本が手を突っ込んだことが導火線になったのである。 

上海を基盤としていたのが国民党の蒋介石であった。蒋介石の妻である宋美麗の米国における抗日プロパガンダを想起する必要がある。日本は満洲にとどめておけば、米英との戦争は回避できたかもしれない。だが、それはあくまでも「イフ」に過ぎないことは、十分に自覚しておかねばならない。



■現代人が現在視点で「あの戦争」を位置づけることが必要

本書は、現代という時代に生きる日本人が、現代的視点に立って、「あの戦争」を全体としてどう解釈し、どう位置づけるかという問いに対して答えようとした試みである。 

先にみた「いつ始まったか」の答えにもあるように、左右のイデオロギー対立とは関係のない、きわめて公平で健全な常識にもとづいたものだといえる。 

テーマ別の構成をとっている本書で、とくに読んでいて面白く、読むに値するのは「第2章 日本はどこで間違ったのか ――原因は「米英」か「護憲」か」である。ここでいう「護憲」の対象は「大日本帝国憲法」のことだ。お間違えなきよう。

「大日本帝国憲法」は、そもそも幕府的なものが発生しないよう、そのような意図をもってつくられた憲法であり、その結果、最終責任者が不明瞭という根本問題をうみだすことにつながってしまったのだ。首相といえばでも大臣の罷免権すらなかったのである! したがって、大臣職をいくつも兼任した東條英機首相も、独裁者とはほど遠い存在であった。 

著者は、さまざまな「イフ」を投げかけて、その時点での意思決定が絶対にただしかったわけでも、絶対に間違っていたわけでもないことを示している。凡庸な歴史家は「歴史にイフはない」とうそぶくが、歴史を題材にした思考訓練として「イフ」はきわめて有効だ。 

「大東亜共栄圏」というスローガンは、戦争が始まってから創られたものだが、戦時に強調された「八紘一宇」というフレーズに普遍的な「理念」があったのかどうかを検証している。「八紘一宇」とは、全世界を一つの家として統治するという理念を表現した、『日本書紀』に由来するフレーズである。 

第3章 日本に正義はなかったのか 」で理念を打ち出した日本側について検証し、「第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか」で、「理念」が適用された「大東亜」地域、すなわち他者である中国と東南アジア地域での「建国ミュージアム」のフィールドワーク記録を紹介している。 

「あの戦争」について、内向きの視点と外向きの視点でのギャップを感じることができたら、著者の試みは成功しているといっていいだろう。むしろ、「あの戦争」を経て建国するに到った、中国や東南アジア各国の「建国物語」への注目は、東アジアと東南アジアを考えるうえできわめて有益だ。戦争は相手あってこそ、戦争相手から見る必要があるだけでなく、 近代史は国際関係のなかで見る必要がある。

これは重要なことだが、日本には国立の「戦争ミュージアム」がない。全国地に存在するさまざまな民間ミュージアムが補完的機能を果たしている。靖国神社の遊就館や、おなじく九段にある昭和館、空襲や原爆関連の施設、などである。

「第5章 あの戦争はいつ終わるのか」は、「戦後80年」を経てなお「終わっていない」、言い換えれば日本近代史において位置づけがいまだに確定していない「あの戦争」の評価にかかわる問いへの答えである。 ここでもさまざまな思考実験が行われている。


■イデオロギーに引きずられることなく公平にものを見る必要

在野の近代史研究者である著者の姿勢は、特定の思想や左右の極端なイデオロギーに引きずられることなく公平であり、きわめて健全であり、むしろ常識的すぎるといえるかもしれない。 

現代に生きる日本人が「昭和時代」、とくにその前半を象徴する「あの戦争」をどう解釈し、どう位置づけるか。本書はその問いを自分のものとして考えるための、よき手引きになっている。ぜひ読むことを薦めたい。 



目 次
はじめに 
第1章 あの戦争はいつはじまったのか ― 幕末までさかのぼるべき? 
第2章 日本はどこで間違ったのか ― 原因は「米英」か「護憲」か 
第3章 日本に正義はなかったのか ― 八紘一宇を読み替える 第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか ― 忘れられた「東条外交」をたどる 第5章 あの戦争はいつ「終わる」のか ― 小さく否定し大きく肯定する おわりに 主要参考文献 【著者プロフィール】 辻田真佐憲(つじた・まさのり) 1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<関連記事>

【戦後80年なぜ日本は「あの戦争」をしたのか】辻田真佐憲「歴史は65点で語ってOK」/なぜ語りにくいのか/被害者か加害者か/「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か/「新しい戦前」に今できること(TBS CROSS DIG with Bloomberg)





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・・大東亜戦争は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争が泥沼化したことから

・・大東亜戦争は1945年8月15日に終わったのではない


・・日本がタイに進駐していた3年半、この短い期間にあったことは?



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2025年8月15日金曜日

映画『戦争と人間 第三部「完結編」』(1973年、日活)― ソ連との全面戦争はすでに1939年にノモンハンで行われていたのだ

 


財閥企業と軍部との結託が行われていた満洲国を中心に、中国大陸における戦前日本の行動をヒューマンドラマを基調にした歴史映画である。「超格差時代」であった1930年代の日本が描かれている。  




すでに半世紀前の作品であり、しかも左翼全盛時代のものなので、中国に対する贖罪意識が過多であり、現在からみると鼻につくシーンも多々ある。とはいえ、日本映画史上に残る傑作であることは確かなことだ。これだけのスケール感のある映画は、なかなかあるものではない。 




三部あわせて、なんと9時間超(!)という超大作なのだが、予算の関係で第四部は製作されることなく終わったらしい。1973年はオイルショックで狂乱物価の年だったらなあ。 

はじめて見たのは、TVでの放映であった。いつのことだったか忘れたが、ずいぶん昔のことになる。第三部にあたる『完結篇』のメインテーマが、1939年にソ連との全面衝突になった国境紛争の「ノモンハン戦争」である。

そのシーンが目に焼き付いているので、どうしてもこの『完結篇』だけを見たくなるのだ。

『完結篇』後半の「ノモンハン戦争」のシーンは圧倒的だ。CGなどまったくなかった時代の作品である。なんとソ連でロケを行い、ソ連のモスフィルムから貸与された実物の戦車が使用されているのだ。

だからこそ、リアル感に充ち満ちた映像が可能となったのであろう。 タコツボのなかで待機する日本軍歩兵の真上を通過する戦車のシーンなど圧巻だ。二度と再現できないであろう。ノモンハン戦争が、いかに熾烈なものであったかが、手に取るようにわかるのだ 

(*ただし、現在の研究によれば、ソ連側の損害も大きかったことが指摘されている。映画のなかで指摘されているように、ノモンハン戦争が、欧州における第二次世界大戦勃発につながっていくことも定説となりつつある。それだけノモンハンの意味は重要なのだ)。 


 出演している俳優陣もまた豪華で、それぞれがみな個性あふれる人物を演じきっている。それにしても、左翼運動家の妻となった、財閥家の娘を演じている吉永小百合が若々しく、美しい。 

『完結篇』は、1937年7月7日の「盧溝橋事件」で始まった日中戦争後が描かれている。「先の大戦」すなわち「大東亜戦争」は、この宣戦布告なき中国国民党との全面戦争から始まるのだ。 

泥沼化した日中戦争は、英米との全面対決につながり、最終的に1945年8月9日に始まった2週間にわたる「日ソ戦争」によって大日本帝国が崩壊したことによって終った。 

本日8月15日は「終戦記念日」。実際の戦争は「日ソ戦争」という形でつづいたが、この日を鎮魂の日とすることに異議はない。 


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<関連サイト>




書評『日ソ戦争 ― 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文、中公新書、2024)― 「中立条約」を無視したソ連軍が侵攻を開始、日本と全面戦争になったのは、長崎に原爆が投下される数時間前のことであった


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