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2025年8月23日土曜日

専修大学の建学物語である『蒼翼の獅子たち』(志茂田景樹、河出書房新社、2008)が面白い。幕末生まれの若者たちが留学先の米国で抱いた熱い夢と高い志を見よ!

 

 『蒼翼(そうよく)の獅子たち』(志茂田景樹、河出書房新社、2008)を読了。面白かった。専修大学の建学物語であり、実在の若者たちを主人公にした歴史小説であり、青春小説でもある。  

専修大学の関係者でもないのにこの本を読んだのは、この小説の主たる舞台がアメリカ東海岸を代表する名門大学の数々であるからだ。 

しかも、主要な主人公である目賀田種太郎(めがた・たねたろう)は最終的にハーバード・ロースク-を卒業することになるが、渡米して最初に学んだのがニューヨーク州トロイ(Troy, NY)にあるトロイ・アカデミーという学校だったからだ。トロイという地名ががなんども言及される日本語の本などめったにない。

トロイといっても、現代の日本人にはなじみのない名前かもしれない。だが、ハドソン川上流に位置するトロイはアメリカ産業革命発祥の地であり、こに建学されたレンセラー工科大学は、ことし建学200年を迎えたアメリカ最古の工科大学だ。大学院時代のわが母校でもある。


幕末の1850年代に生まれた「アメリカ留学第一世代 」

幕末の1850年代に生まれ、内戦となった「戊辰戦争」(1868~69)では旧幕府軍と官軍にわかれて戦った者もふくまれる若者たち。そんなかれらが、内戦後の新日本建設のため最先端の学問を身につけるべく、それぞれ別個にアメリカに留学する。当時のアメリカもまた、南北戦争という内戦を1860年代に経験した世界であった。 

彼の地で出会い、それぞれ異なる大学で学びながら、しかも戊辰戦争の恩讐を克服し、「英語ではなく、日本語で法律と経済を学ぶことのできる学校を日本につくる」、そんな熱い夢を語り合い、実現にむけて志を固め合う若者たちであった。

その中心にいたのが、先にも名前を出した目賀田種太郎(旧幕臣)、相馬永胤(彦根藩出身)、田尻稲次郎(薩摩藩出身)、駒井重格(桑名藩出身)である。若き日の写真が見つからないのが残念だが、この4人はいずれもそれぞれの分野で名を成している。 



専修大学の創立者のひとりが目賀田種太郎であることは知っていたが。そんな建学ストーリーがあったのか! 専修大学関係者でなくても、近代日本の夜明けの青春小説として、留学ものとして大いに楽しめる内容といっていいだろう。

2011年には映画化もされていたとも今回はじめて知った。映画『学校をつくろう』である。




19世紀当時は米国でも、法律学習にはラテン語が必修だったことを知った。ローマ法をベースにした大陸法だけなく、英米法においてもそうだったのだ。目賀田種太郎もラテン語をマスターし、ハーバードロースクールに進学している。キリスト教徒ではなかったが、面接官を説得して入学にこぎつけたのだそうだ。

ちなみに、この小説でも高木貞作の名とともに言及されている、おなじく実学系の「商法講習所」は1875年に私塾として出発している。「専修学校」の5年前だ。その後は高等商業学校を経て、1920年に大学に昇格し東京商科大学となった。現在の一橋大学である。こちらは学部時代のわが母校である。
 
商法講習所も、専修学校も、ともに慶應義塾の創設者であった福澤諭吉との人間関係が大きな意味を持っていたことは特筆すべきことだろう。専修学校の出発点において教室を貸してもらっただけでなく、その後の発展期においても福澤の協力があってこそのものであった。また、森有礼やホイットニー、そして勝海舟なども、間接的にからんでくる。目賀田種太郎は勝海舟の娘と結婚している。



■1870年代のアメリカ東海岸を徹底的に取材

著者の志茂田景樹氏は、かつて奇抜なファッションが取り上げられタレントとして話題になっていた人だが、さすがに直木賞受賞作家であり、躍動感あるエンタメ作品として読ませる筆力はたいしたものだ。この人のものを読むのは今回がはじめてだが、いい作品を書いてくれたものだと思う。 

現地取材も行っており、ハーバードやイエール、コロンビアなどアメリカ東部の超有名大学だけでなく、なんとトロイまで赴いて飛び込み取材を行っているのだ。さすがに現地を踏んでいるだけに、記述に説得力がある。この長編小説は法律が大きな要素を占めているが、著者自身が中央大学法学部卒だだけに、まったく土地勘のない世界ではないのだろう。 

目賀田種太郎と、志茂田景樹氏によるトロイ取材のことを知った11年前に購入したものの、行方不明になっていたこの本。昨日再発見して読み始めたら、とにかく面白い。ぐいぐい引き込まれる。もっと早く読んでおけばよかった。

明治時代を舞台にした青春小説だが、司馬遼太郎には書けないテーマだろう。 


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目 次
雄飛一/雄飛二/雄飛三/雄飛四
同期の友、トロイに死す
岩倉使節団の珍事
それぞれの試行錯誤
挫折の連鎖
出あいの交錯
試金石
燃ゆる志
それぞれの帰国
帰国に心ゆれる
大志ふたたび
たしかな飛翔
あとがき
参考文献
年表(相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格)

著者プロフィール
志茂田景樹(しもだ・かげき)
1940年3月25日静岡県生まれ。中央大学部法学部卒業。1976年『やっとこ探偵』で小説現代新人賞受賞後、1980年に『黄色い牙』で直木賞、1984年の『汽笛一声』では文芸大賞を受賞するなど、作家としての地位を不動のものにする。1999年に初の絵本を発表、絵本作家としての著書も多数。同年に「よい子に読み聞かせ隊」を結成以来、現在も隊長としての読み聞かせ公演を続ける中、講演活動など多方面に渡り活躍している。株式会社志茂田景樹事務所代表取締役。(本書が出版当時のもの)


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学校略歴
1875(明治8)年
相馬永胤が中心となり、渡米留学中の法学徒が集うクラブ・研究会、日本法律会社結成、「われわれが帰国後、われわれの法律上の計画を実行しようというのが、わが法律クラブの目的である」。相馬永胤、田尻稲次郎、箕作秋坪の子・箕作佳吉らと共に学術クラブ・興学社結成、法律と経済の環を繋ぐ
1876(明治9)年
代言人資格試験制度、法律実務を担う法律家の育成が急務となるも、司法省法学と東京大学法学部の官立2学校だけでは人材需要を十分にまかなうことができず、各地に試験準備のための私立法律学校が開校、私立大学発足の一大源流に
1877(明治10)年
東京大学法学部発足、英米人御雇教師により英米法が講じられる、フランス法学派と英米法学派との対立、後の民法典論争に大きく影響
1879(明治12)年
相馬永胤、日本に帰国、目賀田種太郎と共同で法律事務所開設、事務所の2階に同じく帰国したばかりの田尻稲次郎と駒井重格が寄宿、4人で起居を共にし、法律学校設立の準備に動き出す
1879(明治12)年
12月、福澤諭吉と親交、法律・経済の知識を日本語で学べる場が求められており、慶應義塾に慶應義塾夜間法律科設立
1880(明治13)年
1月、箕作秋坪の協力を得る、英学私塾・三叉学舎に三叉学舎法律経済科設立
(以下、省略)



(2026年4月1日、4月30日 情報追加)


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・・「全身全霊でアメリカから貪欲に学ぼうとしていた頃の日本と、日本びいきであったアメリカ東部の上流階級との交流を知ることは日米関係史の原点を知るうえで重要」

・・目賀田種太郎は米国留学から帰国後、伊澤修二と「音楽取調掛」の設置を建議、初代掛長として主幹の伊澤とともに近代日本の音楽教育の基礎を築いている





(2026年4月1日 情報追加)


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2021年12月5日日曜日

書評『雲奔る 小説・雲井龍雄』(藤沢周平、中公文庫、2012)-「維新の敗者」への鎮魂歌として文学作品はふさわしい。

 

雲井龍雄は、幕末に生きた米沢藩士。幕末の志士によくあるように、雲井龍雄は変名で、本名は小島龍三郎。このほか遠山翠(とおやま・みどり)なる変名も使用している。

苦しい生活を強いられた下級武士だが、秀才だったこの人物は、幕末の動乱期に大きな志を抱いて江戸で安井息軒の塾に学ぶことができ、ようやく願いが叶って探索方(・・現代風にいえばインテリジェンス・オフィサーとなろう)として動乱の京都を舞台に活躍した。 

会津藩を裏切った薩摩藩に対する激しい怒りから「討薩の激」という名文の檄文を執筆、薩摩と長州を離間させる工作に奔走するが最終的に失敗、戊辰戦争においては奥羽列藩同盟を主導した米沢藩だが同盟から離脱足並みが乱れるなかの会津落城など、めまぐるしく動く複雑な政治状況に翻弄される。 

薩長を中心とする新政府成立後は、反政府陰謀を企てているという嫌疑を一方的にかけられ、新政府によって非命にも斬首、梟首(=さらし首)となった。享年27歳。明治3年(1871年)のことである。 いまから150年間のことになる。


雲井龍雄のことは、村上一郎の『幕末 非命の維新者』(中公文庫)ではじめて知った。村上氏は「幕末・維新第一等の漢詩人は、雲井龍雄であろうかと思われる」としている。その漢詩は、明治時代前半には、北村透谷や自由民権運動の関係者によく読まれたという。 

雲井龍雄について大いに関心をかきたてられたものの、これといった本がないので、この藤沢周平の歴史小説を読んでみることにした次第。 明治になってからの雲井龍雄が、下総船橋海岸の鷺沼で旧同志に会ったという記述に関心をそそられた。自分が知っている土地であり、雲井龍雄との縁がほのかながらも存在するからだ。現在の習志野市鷺沼は、埋め立てで海岸線から遠くなっている。

山形出身の作家が、郷里に生きた実在の人物を主人公にしたもので、なかなか面白かった。たまには歴史小説もいいものだ、と思う。挫折した敗者への鎮魂歌として、文学作品はふさわしい




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2018年5月16日水曜日

司馬遼太郎の『花神』と吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』(新潮文庫、2007)を読み比べてみる-歴史小説と「歴史其儘」(そのまま)について


小説家・吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』(新潮文庫、2007)の下巻をようやく読了。下巻だけで660ページ超だが興味深く読めた。初版は1978年なので、すでに40年前の作品になる。 

オランダ商館の医師として来日したドイツ人シーボルトと日本人妻・滝(たき)とのあいだにできたのが稲(いね)。この歴史小説の楠本イネである。幕末に産科医として活躍した女医である。 

楠本イネについては、司馬遼太郎の『花神』(1969年)にも登場して、村田蔵六(=大村益次郎)とのロマンスならざるロマンス(?)が描かれていたが、読んでいてなんだか作り物で眉唾めいたものを感じていたので、吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』と読み比べてみようと思った次第。 

吉村昭のほうはディテールの描写が精密であり、事実を淡々と述べていく手法は好ましく感じられる。主人公は楠本イネであり、村田蔵六はエピソード的に登場するに過ぎない。村田蔵六が彼女の人生において占める割合はかなり小さい。 

もちろん、司馬遼太郎も吉村昭も、あくまでも歴史小説家であって歴史家ではないので、事実関係について書いた説明的な文章はさておき、会話にかんしては創作によるものが大半であろう。ある意味、会話こそ小説家の腕の見せ所だから。 

ということは、つまるところ、司馬遼太郎は論外にしても(・・司馬遼太郎は、はっきりいって作りすぎの創作!)、吉村昭の描く楠本イネでさえ、たとえ限りなく実像に近いとしても、小説である以上、あくまでも虚像であり、文字通りそのままとして受け取るわけにはいかないだろうということだ。 

とはいっても、森鴎外のいう「歴史其儘(そのまま)」がどこまで可能かどうかも、正直なところ難しいものがある。過去の人物にかんしては、資料的制約があることはいうまでもなく、使用可能な複数の資料をつきあわせて事実を取捨選択するプロセスで、無意識のうちに作者の解釈が入り込んでくるからだ。つまり作品は、あくまでも再構成なのである。 

シーボルトの娘であった楠本イネについては、まだまだその他の文献を見ていく必要がありそうだ。といっても、メインの探求テーマではないので、あくまでも気が向いたときにということで。





<関連サイト>

歴史其儘と歴史離れ(森鴎外、青空文庫)




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司馬遼太郎の『花神』が面白い-「超」のつく合理主義者で無口で堅物という、およそ感情移入しにくい大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした幕末の『プロジェクトX』

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(国立歴史民俗博物館)に行ってきた(2016年8月12日)-江戸時代後期(=19世紀前半)の日本をモノをつうじて捉える

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③



■吉村昭の歴史小説


書評 『白い航跡』(吉村昭、講談社文庫)-脚気撲滅に情熱をかけた知られざる海軍軍医・高木兼寛の生涯を描いた伝記小説


書評 『彦九郎山河』(吉村昭、文藝春秋、1995)-「戦前」は賞賛され「戦後」は否定され忘却された高山彦九郎という人物を現代に蘇らせる

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)-「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く



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2018年5月5日土曜日

司馬遼太郎の『花神』が面白い-「超」のつく合理主義者で無口で堅物という、およそ感情移入しにくい大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした幕末の『プロジェクトX』


司馬遼太郎の『花神』を読み終えた。新潮文庫の上中下の三冊本だが、面白いので一気に読んでしまった。これがまたじつに面白い。 

大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした歴史小説。大村益次郎は言うまでもなく「日本陸軍の父」靖国神社の境内に銅像がある(・・官軍側で死んだ将兵を祀った靖国神社の性格を考えれば当然というべきか。とういうよりも、靖国神社の原型となった招魂社をつくったのは彼である。安心して死ねるための装置が必要であったからだ)。 

その昔、NHK大河ドラマで放送されたので見ていたはずなのだが、健忘症なのか細かい中身はすっかり忘れている。記憶は稀薄である。あまりにも昔すぎるからかもしれないし、ドラマで視聴するのと、原作の小説を読むのとでは、ぜんぜん違う印象を受けるからかもしれない。 記憶に残っていたのは村田蔵六の「蔵六」とは亀の意味だというくらいだった(・・手足と頭としっぽで6つ。この6つを甲羅のなかに蔵しているから蔵六)。 

名のみ高くて、具体的にどういう人物だったかわからないのが大村益次郎こと村田蔵六。大村益次郎の名前で活躍した期間は、人生の最後のわずかに数年間

「超」のつく合理主義者で無口で堅物という、およそ感情移入しにくい主人公であるにもかかわらず、この小説は不思議なことになぜか面白い。幕末の動乱期にその才能を見いだされ、求められるがままに、やるべきことをやり尽くした、そう長くはない人生。小説的には面白くもない人物を、よくぞ小説の主人公に仕立て上げたものだ、と感嘆する。

長州の百姓身分の村医者の息子が、大坂に出て緒方洪庵の適塾で蘭医学を学び、超優秀なオランダ語の読解能力が買われて、医学から軍事学への道へと導かれていく。 医者から軍事技術者へ、そして倒幕軍の司令官へと、時代の激流のなかで、自ら意図したわけではないのにキャリアチェンジしながら、とんとん拍子で出世してていく主人公。現代風にいえば、ある種の「引き寄せ力」の持ち主だったようだ。 

小説だから、もちろん脚色は多々あろうが。 幕末から明治維新にかけての歴史を長州藩の立場から描いたこの作品は、薩摩藩の立場から描いた作品とも、会津藩の立場から描いた作品とも違うのは当然だ。それぞれの立場によって見えてくるものは異なるからだ。もちろん、長州藩のもつメリットとデメリット双方が浮き彫りにされているのは、この作家が単なる小説家ではないからだ。 

作者は長州藩の特徴として、つねに政治が軍事に優先した体質について語っている。具体的にいえば、軍事の天才・村田蔵六(=大村益次郎)を見いだして長州藩に引っ張り、最後までメンターとして守る立場にいたのが政治家の桂小五郎(=木戸孝允)だが、村田蔵六はあくまでも軍事技術の専門家として遇され徹底的に活用された。ある意味では、そういう概念がなかったにもかかわらず、シビリアンコントロールが徹底していたといえるのかもしれない。 

たしかに日露戦争においても、戦争指導にあたったのは長州藩の奇兵隊出身の山県有朋だが、戦争終結と講和のタイミングは絶妙であった。政治が軍事をコントロールしていたからこそ、日露戦争はからくも勝利できたのである。軍が暴走するようになったのは、明治維新の元老たちが退場し、陸軍人事における薩長の独占体制が崩れて以降のことである。長州藩の体質については、ポジティブな面をもっと評価すべきかもかもしれない。 ただし、平等主義の負の側面である下克上体質という悪しき体質を陸軍(および出先の関東軍)に持ち込んだのも長州であることは指摘しておかねばならないが・・)。

最期は暗殺された村田蔵六(=大村益次郎)だが、明治維新という「革命」に対して、かならず西から「反革命」が起こると先読みして、そのための準備に抜かりがなかったというのが、じつに興味深い。この点は、西南戦争を前史も含めて描いた『翔ぶが如く』でも何度も繰り返し言及されている。

みずからの戦争指導もあずかって、戊辰戦争があまりにもあっさりと決着がついたために、不完全燃焼に終わってしまい、攘夷と倒幕のエネルギーがくずぶったまま残るだろうという理解からだ。実際、これは明治10年に勃発した西南戦争として現実のものとなる。

先見の明の背景には、蘭学者(洋学者)として、究理学(=物理学)につうじていたことが背景にあったようだ。エネルギー保存の法則と作用反作用の法則である。自然科学と技術の知識が、血肉のものとなっていたことがうかがわれる。その意味でも、徹底的な合理主義者の大村益次郎は、人徳あり情に厚く存在そのものが思想であるような西郷隆盛とは、まったく対極にある人物であったようだ。 

「徴兵制」の実行によって身分制度が打破されたことは、奇兵隊を生み出した長州藩ならではの功績だし、そもそも百姓身分出身の大村益次郎自身の思想でもあった。その意味では、まさに「日本陸軍の父」というべき存在だ。 (・・これに対して警察は、不平士族対策もあって当初は士族中心であったが、この点も『翔ぶが如く』に書かれている)

大村益次郎がもし暗殺されずに生き延びていたら、日本陸軍はどうなっただろうかと、ずいぶん以前から考えてみることがある。 

だが、この小説を読んだあとに思うのは、陸軍の西洋式軍服を着た大村益次郎はまったく想像しにくいということだ。西洋の軍事技術で明治維新革命に貢献したが、あくまでも攘夷派でありナショナリストであり、最後の最後まで、戦場においても和服を貫き通したという頑固な姿勢。おそらく、やるべきことを終えたと思った時点で、地位にしがみつくことなく、あっさりと去って行ったのではないだろうか。 

大村益次郎について正面切って取り上げた本があまりないだけに、司馬遼太郎のこの小説は読む価値があると感じた。NHKでかつて放送されていた『プロジェクトX』のような、知られざるヒーローを描いた作品というべきかもしれない。





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司馬遼太郎の歴史小説 『翔ぶが如く』 は傑作だ!

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を「半分読了」(中間報告)

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』(文春文庫)全10巻をついに読了!

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

「韮山反射炉」を見に行ってきた(2018年4月21日)-日本人なら一度は見学しておきたい反射炉は、まさに「百聞は一見にしかず!」の産業遺産
・・アヘン戦争(1840年)以降、蘭学の中心は医学から兵学へと移行していく

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・佐倉藩もまた、蘭学ことに西洋医学の中心地であった

福澤諭吉の『文明論之概略』は、現代語訳でもいいから読むべき日本初の「文明論」だ
・・福沢諭吉は、緒方洪庵の適塾では村田蔵六の後輩に当たるが、おなじく蘭学の秀才であった開国派の福澤諭吉と攘夷派の村田蔵六とは真逆の方向を志向することになる

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!


(2018年5月20日 情報追加)



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2018年3月10日土曜日

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』(文春文庫)全10巻をついに読了!


『翔ぶが如く』の文春文庫版全10巻をついに読了。1月27日から足かけ3ヶ月で読み切った。感無量だ。最後の方では、読み終えてしまうのがもったいない気持ちさえ感じさえしていた。

28年前の「NHK大河ドラマ」の原作となった歴史小説だが、まさに「大河小説」というべきだろう。マンガ本なら10巻なんて当たり前だが、小説で10巻というのはあまりない。同じ著者による『坂の上の雲』よりも長いのだ。

とはいえ、背景となるのは明治5年(1873年)から明治10年(1878年)までのたった6年間。「明治維新革命」における最大の危機となったのが「征韓論」と「明治6年政変」、そしてその帰結としての「西南戦争」

この小説の最後の3巻は西南戦争の詳細な叙述にあてられており、読者は、ついに暴発し挙兵した薩軍(=旧薩摩藩士たち)に担ぎ上げられた西郷隆盛と、積雪の2月から9月までの8ヶ月に及ぶ苦難の行軍をともにして、最後の最後は鹿児島の城山での「玉砕」を見届けることになる。

だが小説はそこで終わらない。大久保利通の暗殺まで描かれる。

西郷隆盛にとっては、吉之助と一蔵として、同じ「郷中」に生まれ育った無二の親友であり、しかも革命の同志でもあったが、征韓論を境に袂を分かつことになった大久保利通この小説の主人公はこの二人であり、その周辺に無数の脇役がちりばめられる。

 『翔ぶが如く』というタイトルの意味は、第9巻まで読み進めてようやくわかった。 それは「鹿児島県氏族の気質」にかんして薩摩藩出身の陸軍大佐が、長州藩出身の山県有朋陸軍卿に説明した、「彼等は進むを知って退くを知らず、唯、猪突を事として、縦横の機変に応ずるを知らず」という文言に対する司馬遼太郎のコメントにある。

「まことに上代の隼人(はやと)が翔ぶがごとく襲い、翔ぶがごとく退いたという集団の本性そのままをひきついでいるかのようである」と司馬遼太郎は書いている。(2002年文庫版 P.159~160)。古代の戦士そのものである。

「翔ぶが如く」とは、「薩摩人の気質」を形容した形容した表現なのである。だから、この歴史小説は西郷隆盛と大久保利通が主人公だが、薩摩そのものを描いた作品だというべきだろう。魅力的で個性的な薩摩人が数多く登場する。

「西南戦争」とはもちろん新政府側の命名によるものだが、挙兵した旧薩摩藩士たちは鎌倉時代に始まる、戦国時代の気風を維持しつづけた希有の存在であったようだ。

反乱の壊滅とともに「開国」から始まった25年に及ぶ「明治維新革命」が完結しただけでなく、8世紀にも及ぶ日本の封建制の歴史も完全に幕を閉じることになったのかと思うと、じつに感慨深い。

しばらくは、『翔ぶが如く』の余韻のなかを過ごすことになりそうだ。








<関連サイト>

2018年のNHK大河ドラマは『西郷(せご)どん』


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司馬遼太郎の歴史小説 『翔ぶが如く』 は傑作だ!

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を「半分読了」(中間報告)


幕末の日本で活躍した英国の外交官アーネスト・サトウは日本人?-きょうは「佐藤の日」 ② (2016年3月10日)


■明治維新革命と西郷隆盛

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)-近代日本史だけでなく、発展途上国問題に関心のある人もぜひ何度も読み返したい本

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!


■征韓論と脱亜論

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

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2018年2月28日水曜日

書評『彦九郎山河』(吉村昭、文藝春秋、1995)ー「戦前」は賞賛され「戦後」は否定され忘却された高山彦九郎という人物を現代に蘇らせる


高山彦九郎といっても、いまの世で知る人はあまりいないかもしれない。日本史の教科書に大きく登場する人物ではないからだ。

京都御所にむかってひざまずいて遙拝する高山彦九郎の銅像が、京都の三条大橋の袂にいまでも設置されている(・・筆者撮影の写真)。

「王政復古」を願った狂信的な尊皇派というイメージが出来上がっているが、この人はいったいなにをした人なのか、わたしも名前だけは知っていたが、じつはよく知らなかったのだ。

(京都の三条大橋の東岸にある高山彦九郎の銅像 筆者撮影)

高山彦九郎といえば、「戦前」の「皇国史観」の時代には尊皇の心深き人として、その名を知らぬ者はいない存在であった。だが、「戦後」になってから、いっさい顧みられぬ存在になってしまい、高山彦九郎について書かれた本は戦後には皆無に近い。

歴史小説家・吉村昭氏に『彦九郎山河』(文藝春秋、1995)という小説があるのを知ったのは5年ほど前のことだ。歴史小説ではあるが、高山彦九郎について知るには、この本を読むのがよかろうと思って入手しておいたのであった。高山彦九郎は、ずいぶん以前から気になる人物であったからだ。

『翔ぶが如く』をいま読んでいるのだが、その最初のほうの巻に、「鎖国」内「鎖国」ともいうべき薩摩藩に入国できずに高山彦九郎が詠んだ歌が紹介されていた個所を飛んだ際、思い立って『彦九郎山河』を読んでみたくなった。そんなキッカケでもないと、なかなか読み出すことはない。ちなみにその歌はこういうものだ。「薩摩びと いかにやいかに 苅萱の 関も鎖きぬ 御代と知らずや」。

高山彦九郎は18世紀の上州の人(・・現在の群馬県)農の家に生まれたが先祖は武家で、神道の信仰の厚い家に生まれ育った。学問好きのため勉学に専念することを許され、儒学を中心に様々な学問を学んだ学者であった。

しかも、交友関係はきわめて広く、『解体新書』の翻訳に携わった蘭医の前野良澤、『赤蝦夷風説考』の著者・工藤平助や『海国兵談』の林子平などとも親しかったことを知った。 この縁でロシアの南下政策に多大な関心を抱いて蝦夷地訪問を思い立ち北方に向かったが、松前藩の方針ゆえ蝦夷地への渡航は断念、天明の飢饉から数年の東北地方を歩いて、人肉食にまで至った悲惨な実態を現地で聞き取り、民の暮らしが念頭にない武家政治への反発を強め、あるべき理想の世としての文治を希求することで、尊皇の思いをさらに強固にする。

尊皇派ではあったが、攘夷派というわけではなかったようだ。攘夷派の一歩手前にいたかもしれないが、いわゆる攘夷派ではない。「尊皇攘夷」とい四字熟語にまつわる固定観念で物事を捉えようとすると足をすくわれる。

蝦夷地行きを断念した彦九郎は三度目の京都上洛を行い、革新派の公卿たちとの交遊から、光孝天皇の父にかんする「尊号問題」推進のため、薩摩藩工作の特使として密命を帯びて薩摩藩に向かうことになったのであった。

だが、「尊号問題」解決のための薩摩藩説得工作は失敗に終わる。すでに幕府から「反体制派」とみなされ、ずっと隠密に尾行されていた彦九郎にとっては、京都に戻ることは捕らえられて処刑されることを意味していた。現代風に言えば指名手配が出ていたからだ。

追われる身となって九州をさまよい歩くものの、命をかけていた「尊号問題」が幕府によって否定されたことを知って生きる目的を失い、旅先の久留米で自刃して果てる。夢みていた「王政復古」が実現する74年前のことであった。

辞世の歌は、「朽ちはてて 身は土となり 墓なくも 心は国を守らんものを」吉田松陰の辞世の歌、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」。この二つの辞世の歌を並べてみると、吉田寅次郎(=吉田松陰)は。明らかに高山彦九郎(=高山正之)を踏まえていると思われる。

なるほど、彦九郎は寅次郎の先駆者なのである。彦九郎もまた儒者であり、しかも全国を歩き回り、さまざまな人たちとネットワークつくりに励んだ人であった。それだけでなく、海外事情にも多大な関心を抱き続けた人であった。寅次郎(=松陰)は米国に密航しようとしたが失敗、彦九郎は南下するロシアの最前線である蝦夷地を踏査しようとして果たせなかった。


『彦九郎山河』は歴史小説とはいえ、やけに描写が細かく具体的だなと思いながら読んでいたのだが、途中で吉村氏の「あとがき」を読むと、高山彦九郎が遺した詳細な日記を材料に執筆したのだということがわかった。

彦九郎が尊皇派ではあったが、かならずしも攘夷派ではなかったのは、生きた時代がまだ18世紀後半であったからだろう。

むしろ海外事情についての知見も深めていた高山彦九郎は、狂信的というイメージとはほど遠い。対外的危機がさらに強まった19世紀前半から幕末にかけての、単細胞な印象さえある攘夷派の志士たちとの違いであろう。彦九郎は、何よりもまず学者であったのだ。

吉村昭の歴史小説は、司馬遼太郎のような解説好きで説教癖の強いタイプとは異なり、事実を連ねていきながら対象とする人物を生き生きと鮮やかに浮かび上がらせるタイプの小説家だ。

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・・「高山彦九郎(1747~93)は上野国(現群馬県)出身の尊王家。諸国を歴遊し勤王を説いたが,筑後国(現福岡県)久留米で自殺した。蒲生君平・林子平とともに寛政の三畸人と称された。京都に遊説した時,三条大橋からはるかに御所を伏し拝み,皇室の衰微を嘆いたという逸話がある。その逸話に基づき,昭和3年三条大橋東詰に銅像が建設されたが,昭和19年に金属供出のため撤去された。現在の銅像は昭和36年に再建されたものである。この石標は昭和19年の銅像撤去にあたり,その遺跡を示すために建設されたものである。」(・・石標の揮毫は徳富蘇峰によるもの)

(2021年12月23日 項目新設)


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