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2026年1月30日金曜日

書評『金子堅太郎 伊藤博文の懐刀』(浦辺登、弦書房、2026)― 地の利を活かして明らかになった知られざる近代史の重要人物の本格的評伝

 

 かつて金子堅太郎という人物がいた。明治時代に活躍した人物だが、かれがなにをした人なのか、すぐに答えられる人はそう多くないかもしれない。 


それ以外では、「大日本帝国憲法」起草の中心人物であった伊藤博文自身による解説書『憲法義解(けんぽう・ぎげ)』の英訳を行ったことなどくらいだろうか。つまるところ、英語と米国との密接なかかわりについてに限定されていたのだ。 

そんなわたしであるが、最近もまた英語と日米関係史の関係でいろいろ調べていると、さまざまな場面で金子堅太郎が登場してくるのが気になっていた。

岡倉天心やフェノロサとの交友でも重要な役割をはたした、ボストンの大富豪スタージス・ビゲロー博士は医学部であるが、法学部の金子堅太郎とハーバードでは同窓であったことなどである。 


■福岡県出身で在住の著者による「地の利」を活かした評伝

そんな折り、著者から本日(2026年1月30日)発売の『金子堅太郎 伊藤博文の懐刀』(浦辺登、弦書房、2026)をいただいたので、さっそく通読した。本書によって、金子堅太郎という人物の全体像を知ることができたことは、たいへんありがたい。  

その生い立ちから、早くに父親を失ったがゆえの苦労の連続、そして維新の負け組となった福岡藩の旧藩主の引きで実現したハーバード大学留学と、その後の異例の出世と地元への恩返しなどなど。

本書を読んでいくと、その副題である「伊藤博文の懐刀(ふところがたな)」が、金子堅太郎という人物を一言で表現したフレーズとしてピッタリであることが納得される。 

伊藤自身も英語には堪能であったが、米国人並に英語を駆使できるだけでなく、米国でリーガルマインドをたたき込まれていた金子は、伊藤にとっては余人を以て代え難い超優秀なスタッフであったのだ。 

金子堅太郎には未発表に終わった『自叙伝』があるが、記述が前半生に片寄っており、関連資料が関東大震災で焼失しているため、伝記的事実の確認に困難になっているのだという。

福岡県出身で現在は帰郷して在住している著者は、地の利を活かした資料収集と研究でこの評伝を完成している。 

なんといっても、金子堅太郎の出身地である福岡のかんする記述が充実している。生い立ちだけでなく、富国強兵という国策事業でもあった八幡製鉄所にもかかわっていたこともまたそうだ。 
 

「表の金子、裏の杉山」

著者がもっとも言いたかったことは、「あとがき」に書かれている「表の金子、裏の杉山」というフレーズではないかと思う。 

金子はいうまでもなく金子堅太郎のことだが、杉山とは杉山茂丸のことであり、福岡生まれの民間政治結社である玄洋社を率いた頭山満の盟友でもあった。杉山茂丸は、作家・夢野久作の父でもある。 

表舞台の金子堅太郎の活躍も、表にはでてこない在野の杉山茂丸などとの関係がなくてはありえなかったのである。玄洋社関連の著書もある著者ならでは、というべきだろう。 

日露戦争時の対米世論工作の話が簡単に扱われているのは、わたし的にはやや物足りないが、英語と米国の関連だけでは見えてこない金子堅太郎の全体像を知ることができる本書は、日本近現代史上の知られざる重要人物の評伝として、関心のある人に推奨したい。 



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目 次
はじめに 
Ⅰ 金子を育んだ土壌と時代 
 1章 金子家再興の期待を背負う 
Ⅱ 新興国アメリカに学ぶ 
 第2章 アメリカ留学 
 第3章 ハーバード大学時代 
 第4章 猪突猛進の時代 
 第5章 伊藤博文の側近として
Ⅳ 日本の土台作り 
 第6章 帝国憲法草案 
 第7章 八幡製鉄所 
Ⅴ 国難に果敢に挑戦する 
 第8章 政府の閣僚、貴族院議員、枢密顧問官時代 
 第9章 日露戦争と金子堅太郎 
 第10章 日米の架け橋として 
Ⅵ 華族としての責務と私人 
 第11章 学術、芸術、芸能、郷土の発展に寄与 
[資料]金子堅太郎の日系移民排斥問題寄稿文について 
金子堅太郎年譜 
あとがき 
主要参考文献・参考資料 
主要人名索引

著者プロフィール
浦辺登(うらべ・のぼる) 
1956年、福岡県生まれ。福岡大学卒。日本近現代史を中心に研究、執筆、講演、史跡案内を続けている。著書に『太宰府天満宮の定遠館―遠の朝廷から日清戦争まで』『霊園から見た近代日本』『東京の片隅からみた近代日本』『アジア独立と東京五輪―「ガネホ」とアジア主義』(以上、弦書房)など著書多数。(出版社サイトより)


(読書メモ)

●維新の際に藩主の判断ミスで時流に乗れなかった福岡藩

●父親は勘定方、その如才なさを受け継いだ慎重居士
●水戸学にも親しんでいたこと、親族に平野国臣、これが維新後に有利に働く
●父の死後には士分を失って苦労。没落士族ですらなかったのだ
●秀才ゆえに目を掛けられチャンスをつかむ

●旧藩主のはからいで東京留学、米国留学が実現。7年間滞在
●英語をはじめて学んだのは、なんと18歳だった(・・10歳下の「英語名人世代」との違い)
●漢文をみっちり習得していたおけげで、文法的に似ている英語に違和感なし

●19歳で渡米、志望先を海軍から司法に転換、ハーバード大学ロースクールへ
●同級生の小村寿太郎とはアメリカ人学生もまじえてルームシェア

●ところが、帰国後も思うように仕官できず苦労の連続
●ようやく元老院に仕官し、実務能力も高く目を掛けられる
●伊藤博文に抜擢され懐刀(ふところがたな)に
●「大日本帝国憲法」の起草において、「国体」と「政体」のちがいを認識していた
●水戸学に通じていた金子は「国体」の意味を理解していた
●エドマンド・バークの保守主義に影響うける

●維新の負け組となる、維新後に荒廃していた福岡
●薩長土肥以外では異例の出世した金子堅太郎
(・・官軍に刃向かったゆえに苦難を舐めた東北諸藩の出身者に似ている)
●郷土への貢献 「表の金子、裏の杉山」



<ブログ内関連記事>


・・金子堅太郎は専修大学の創設者たちとともに発起人となった

・・岩倉使節団と一緒に渡米した少女たち

・・髙橋是清は戦費調達の分野で日露戦争の勝利に貢献

・・「セオドア・ルーズベルト大統領が「柔道」を稽古していることを公表したのは、中国政策をめぐって日本に好意的な世論をつくるための政権の広報戦略の一環であったという指摘が興味深い。日露戦争を語る際には留意しておきたいことだ。金子堅太郎の話ばかり持ち出すと間違いかねない。」

・・「第8章 大統領の柔道部屋 ― セオドア・ルーズヴェルトとスタージス・ビゲロウ」



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2024年5月3日金曜日

『インド・アメリカ思索行 ― 近代合理主義克服への道』(立川武蔵、山と渓谷社、1978)を読むと、1970年前後のカウンターカルチャー全盛期の米国、それも東海岸におけるインド文明受容の状況がよくわかる

 


仏教やインド哲学に関心のある人なら、その名を知らないはずのない碩学・立川武蔵教授の若き日の米国滞在記とインド滞在記1970年前後の米国、しかも東海岸の状況がよくわかる私的ドキュメントである。
 
すでに絶版になっていたので、20年近く前に古書で入手していたものだが、ようやく読むことにした次第だ。

なぜ入手したいと思ったかというと、著者の場合、もともと仏教学とインド学研究者であったとはいえ、アメリカ体験がインド体験に先行しているからだ。順番だけをとってみれば、わたしとおなじである。わたしの場合は米国滞在中に初めて「アジア人としての意識」が目覚めたのであった。

個人的な話であるが、まず帰国後に毎年1カ国訪問することにしたのだ。近隣の韓国に行き、つぎにタイ、そしてインド・ネパール・チベットを回り、カンボジア、ミャンマー、スリランカと回った。米国体験の前は、香港・中国とシンガポール・マレーシアである。

インドは、日本人がふだん考えている「東洋」とは違って、むしろ梅棹忠夫のいう「中洋」ともいうべき存在である。だがそれでも、「西洋」とは異なる存在だ。岡倉天心の「Asia is One」の意味は、「一にして多、多にして一」であることを念頭に置くべきであろう。

2024年の現時点では、出版からすでに55年を経過し、書かれている内容は60年も前のことだ。しかも、舞台は西海岸(ウェスト・コースト)のカリフォルニアではなく、東海岸(イースト・コースト)のハーバード大学のあるボストンである。

この1970年前後こそ米国では「カウンター・カルチャー」の全盛期であったが、西海岸に限定された現象ではなかったのだ。

著者が米国体験として語っているのは、ハリ・クリシュナ教団チベット仏教研究者のロバート・サーマン(・・息子のガンデン、娘のウマ(=ユマ)*についても)、そしてチベット仏教僧のチョギャム・トゥルンパである。

*1970年のこの時点では、もちろんウマ(ユマ)・サーマンがハリウッド女優になるなど、誰も考えもしなかったことであろう。


米国体験ののちのインド体験では、サンスクリット研究のために滞在したプーナ(=プネ)にてラージーニシ・アシュラム(=道場)について語られている。ラージニシーは後年みずからのことを OSHO(=和尚)と名乗るようになった。

アメリカとインドの関係は、政治や経済の前に、まず1970年代前後の「カウンターカルチャー」時代があったことをアタマのなかに入れておかなくてはならないのだ。その世代の人たちはすでにリタイアの年代に入っているが、影響は現在に及んでいる。

もちろん、それ以前のエマソンやソローの時代の東海岸における東洋文明受容という素地があったことは言うまでもない。エマソンもソローも、ともに東部の名門ハーバード大学の卒業生であったことを想起すべきであろう。


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<ブログ内関連記事>

・・異色の宗教学者・町田宗鳳(まちだ・そうほう)氏もハーヴァード・ディヴィニティ・スクールを卒業している。『文明の衝突を生きる-グローバリズムへの警鐘』(町田宗鳳、法蔵館、2000)のなかで








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2023年9月6日水曜日

書評『大学はもう死んでいる? ― トップユニバーシティーからの問題提起』(苅谷剛彦/吉見俊哉、集英社新書、2020)― 英国のオックスフォードと米国のハーバードの違いが面白い。そして東大の「グローバル人材育成」の取り組みに注目!




興味深いタイトルなので購入したが、積ん読のままになっていた。『日本の私立大学はなぜ生き残るのか ー 人口減少社会と同族経営:1992 - 2030』を読んで、この本も読みたくなったのだ。

苅谷剛彦氏と吉見俊哉氏は、ともに「社会学」をディシプリンとして身につけ、その方法論でそれぞれ教育とメディアを研究し論じてきた研究者であり論客である。しかし、なんといっても「教師」でもあるということが重要だ。

本書の対談がなされて時点で、すでにオックスフォード大学に移ってから10年以上たっている苅谷剛彦氏だが、東大時代には「ベストティーチャー」として名をはせた人だ。教育学部出身で「教育社会学」を専門にしている。『複眼的思考のすすめ』はいまなおロングセラーをつづけている名著である。

吉見俊哉氏は「メディア論」の切り口で、さまざまな事象を分析してきた論客である。吉見氏による『大学とはなにか』はこの問題を考えるうえでの基本書といっていいだろう。博覧強記の吉見氏は、著作を量産しているが、メディア論の切り口で21世紀の大学が置かれている状況を論じている。

本書の対談というよりも対論は、ハーバード大学での1年間の教授体験をもった吉見氏が苅谷氏にもちかけたものだという。ともに東大での教師経験をもち、しかもオックスフォード大学とハーバード大学の体験が比較対象として持ち込まれることで、複眼的な視点がおのずから浮かび上がってくる。


■「英語圏」であっても英国と米国では違いがある

「英語圏」ということでくくられがちな英国と米国だが、そもそも国の形が違うだけでなく、歴史的発展の経緯も大きく異なる。

苅谷氏の説明によれば、英国のオックスブリッジは基本的に学生と教師の所属先としてのカレッジが中心で、そのうえに機能的組織であるファカルティ(学部)ができ、さらにデパートメントとしての大学院ができてきたという構造をもっている。

中世的な大学を核にした三層構造で、カレッジとユニバーシティーは異なる存在である。

これに対して、ハーバード大学など米国の大学は、東部の名門校は神学部を核に形成されたが、19世紀ドイツのフンボルト型大学という国民形成の核となる近代的な大学である。

西欧で生まれた大学という制度が衰退した17世紀以降につくられた米国の大学は、そのモデルを英語圏の英国ではなく、ドイツの大学に求めたことは知っておくべきであろう。日本もまた、国立大学はドイツモデルによってつくられた。

日本の大学の問題とされているテニュア制度の欠如、TA(ティーチング・アシスタント)の欠如、学部や学科が所属先となっているメンバーシップ型の問題など、数え上げれば切りがない。

「大学はもう死んでいる?」とタイトルは疑問型となっているが、17世紀が西欧における「大学の死」であったとすれば、21世紀のインターネット時代の現在は「大学の第二の死」であるのかもしれない。

たしかに日本の大学を見ていると、そう思いたくなる気持ちもよくわかる。大学人であるかれらも、外部からの目をひしひしと感じているのであろう。

「大学は死んでいる」とまでは言わなくても、日本の大学が機能不全状態に陥っている印象はぬぐえない。改革をつづけているが、はたして改革の成果がでているのかどうか?

2人が同意しているのは、日本の「大学」と英米の「ユニバーシティー」とは似て非なる存在だということだ。

近代化した際の歴史的経緯もあって、日本の「大学」が知識の伝達機関であることを主目的としているのに対して、英米の「ユニバーシティー」は得られた知識を活用して自分なりの議論を行う訓練を目的にしている。

知識を得るための方法を身につけ、得た知識を活用して自分なりの議論を行うことこそ、社会のなかで生きていくために不可欠なことだからだ。


■「グローバル人材育成」は大学で可能か?

そういった議論の流れのなかで「グローバル人材」育成という課題がでてくる。

お題目として掲げられた「グローバル」に対して、大学では小手先の改革が行われてきたものの、いっこうに「グローバル人材」が生み出されてきたという実感がない。日本の大学が「大学」である限り、それはむずかしいのであろうか?

吉見氏が東大でイニシアティブをとって、みずから汗をかいて立ち上げた「GLP-GEfIL」 が効果をあげているという。

「GLP-GEfIL」とは、Global Education for Innovation and Leadership の略称で「グローバルリーダー育成プログラム」のことである。これはもっと知られていい取り組みだろう。その立ち上げの経緯と苦労談も読ませるものがある。

日本の大学生のレベルはけっして低いわけではない。それは、対論者2人の共通認識である。大学入学時点では英米その他の国との差はないのである。問題はその後、なのである。つまり大学教育における教育の質的差異が結果として出てしまうのだ。


『大学はもう死んでいる?』というキャッチーなタイトルだが、中身はかなり濃い。大学問題は関係ないと思っている人も、「人材育成」という観点から読み取るべきものは多いはずだ。先入観は捨てなくてはならない。

企業であれ、その他の組織であれ、人材供給をになっているのが大学である。であるなら、日本の大学はダメだというだけでなく、ではどうしていったらいかを考えなくてはならないのではないか。




目 次 
はじめに(吉見俊哉)
第1章 問題としての大学 
第2章 集まりの場としての教室 
第3章 社会組織としての大学 
第4章 文理融合から文理複眼へ 
第5章 グローバル人材 ― グローバリゼーションと知識労働 
第6章 都市空間としての大学 ― キャンパスとネット
おわりに(苅谷剛彦)


著者プロフィール
苅谷剛彦(かりや・たけひこ)
1955年東京都生まれ。オックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論。著書に、『追いついた近代 消えた近代―戦後日本の自己像と教育』ほか多数。
吉見俊哉(よしみ・としや)
1957年東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門は、社会学、都市論、メディア論など。著書に、『大学とは何か』『「文系学部廃止」の衝撃』ほか多数。 
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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