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2019年7月5日金曜日

「旧三河島汚水処分場喞筒(しょくとう)場」を見学してきた(2019年7月3日)ー 大正時代初期の「産業遺産」は国の重要文化財


(ポンプ施設につながる地下下水道 筆者撮影)

「旧三河島汚水処分場喞筒場」を見学してきた(2019年7月3日)。「喞筒」(しょくとう)とは見慣れない漢字だが、水をくみ上げる「ポンプ」のことだ。

旧三河島汚水処分場の代表的遺構として、高い歴史的価値が認められることから、2007年に国の重要文化財(建造物)に指定されている。日本最初の近代下水処理場である。「日本の下水道発祥の地の碑」が立っているのはそのためだ。

大正代初期の「産業遺産」で、高い歴史的価値があるとされたためだ。明治時代のものが多い「産業遺産」のなかでは珍しい。レンガづくりの建築そのものは「セセッション様式」(=分離派様式)とのことだ。近くに寄ってみないと、その意味はよくわからない。


(旧三河島処分場の全景 筆者撮影)

東京市区改正事業の一環として構想され、完成して運用が開始されたのは、いまから約100年前の1922年(大正11年)のことだ。いまから20年前の1999年に現役を引退して、現在では産業遺跡として保存されている。77年間も使用されていたことになる。

(旧三河島処分場は「日本の下水処理発祥の地」 筆者撮影)

旧三河島汚水処分場喞筒場は、東京都台東区の町屋にある。都電荒川線の沿線だ。隅田川の中流域にある。もともとは水田が拡がっていた低湿地帯だったらしい。処分場計画が持ち上がった際、地主は喜んで売却に応じたらしい。まとまった広さの土地が処分できたからだ。 


(もともと湿地帯が開発された水田地帯であった 筆者撮影)

下水道は、近代的な都市生活を送るためには不可欠のインフラだが、道路工事の現場でも、関係者でなければ下水管の内部に入ることはできないのが残念だ。だから、公開施設を見に行くのだ。


(赤線の範囲内が「喞筒(ポンプ)場」施設 リーフレットより)

下水管は自然の勾配(傾斜角)を利用して流れるように設置されているが、あまり地下深くなってしまうと、さらに深く掘削しなくてはならなくなってしまう。そこで、要所要所で下水を地表近くまでくみ上げて、ふたたび地下に向けて流すためのポンプ場を必要とする。旧三河島汚水処分場喞筒場は、下水処理の最終工程に設置されたポンプである。


(ポンプ施設につながる地下下水道 筆者撮影)

この施設のハイライトは言うまでもなく「喞筒」(しょくとう)すなわち「ポンプ」にある。そのポンプを見るためには地下に入ることになる。これは、なかなか得がたい体験だ。ちょっとした探検気分にひたれる。


(圧着を容易にするため穴のあいたレンガ 筆者撮影)

かつては下水が流れていた地下の下水管は、瓦のようなレンガで敷き詰められている。穴があいているのは、圧着が容易になるためらしい。77年間も取り替えることなく使用できたことが、すべてを物語っているといえよう。レンガは、建築材料としては耐久性の高さが評価されている。


(渦巻き状に下水をくみ上げるポンプの下部 筆者撮影)

下水くみ上げポンプそのものについての詳細は省略するが、1922年(大正11年)に完成したこの施設には、阻水扉室、沈砂池などの一連の建造物が旧態を保持しつつまとめて残っている。


(施設の全体像 リーフレットより)


翌年1923年の関東大震災でも倒壊することなく使用され続けた。現在と違って、むかしは建設に重機も使用できなかったにもかかわらず、堅牢な構造物が作られていたわけだ。 

手抜き工事なんてありえない時代の産業遺跡。さすが日本人の仕事はすばらしい!と言いたいところだが、現代日本人は大いに恥じ入らなくてはなりませんね。


世界遺産に登録された富岡製糸場など、明治時代の洋風建築物や工場やインフラ関係の施設は「産業遺産」として脚光を浴びているが、大正時代の「産業遺産」は、まだまだ埋もれているものも多いのではないかな。


ガイド役は、もともと東京都下水道局に勤務されていた方で、前回の東京オリンピック(1964年)に入局されたのだそうだ。当時はまだ首都東京の都区部でも下水道が完全に普及しておらず、街中をくみ取りのバキュームカーが走っていた時代だったのだ(・・いまでも走っている地域は、まだ日本にはあるでしょう)。


(家庭からの下水道設置を呼びかけたポスター 筆者撮影)

「来日する外国人にバキュームカーを見られたくない!」という、きわめて日本人的な恥の意識からだろうか、東京都は下水道敷設にしゃかりきになっていたのだという。そんな話を生き証人から聞くことができた。

下水道が当たり前になった現在、あって当たり前だと、ほとんど誰もが意識しない状態になってしまっているが、下水処理は近代的な生活に欠かせないインフラであることを意識してほしいものだと思う。日本にとって、下水道の普及は「近代化」そのものであったのだ。

「大人の社会見学」の候補として検討してみてはいかがでしょうか。今回は見学時間帯の見学者が私1人だったので、ぜいたくな時間を過ごせたが、もちろんグループでの見学も可能。入場無料だが要予約。見学時間は1時間半。 



(画像をクリック!)



<ブログ内関連記事>

「蔵前水の館」(東京都下水道局)を見学してきた(2019年6月7日)-下水道もまた近代生活を支える重要なインフラだ

念願かなって「地下宮殿」を見学してきた(2018年8月11日)-世界最大級の「首都圏外郭放水路」がすごい。百聞は一見にしかず!

これがバキュームカーだ!-下水道が整備される以前の「昭和遺産」である

書評 『水運史から世界の水へ』(徳仁親王、NHK出版、2019)-歴史学から世界の水問題へ「文理融合」の実践


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2014年8月20日水曜日

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性



無農薬の「自然栽培」で生み出される「奇跡のリンゴ」の生産農家である木村秋則氏は、もともと理系でマシン(機械)好きで数字にも強い。その一方で、「見えないもの」を知覚する能力に恵まれている。

『奇跡を起こす見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013 単行本初版 2011)は、そんな不思議な木村氏の本の一冊だ。タイトルに惹かれて、『すべては宇宙の采配』(木村秋則、東邦出版、2013 単行本初版 2011)とともに購入し、先日あわせて読んでみた。

いまから7年前の2006年、「NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」で「えいんご農家 木村秋則」として取り上げられて以来、『奇跡のリンゴ』がマスコミの話題となり、もっぱら信じてあきらめない努力と最終的な「成功」というハッピーエンド(?)の物語として消費されてきた印象があるが、木村氏自身は想像以上のキャラクターでもあるようだ。

自然相手の農業、しかも無農薬の「自然栽培」。すでに6年前に読んでいた 『奇跡のリンゴ-「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録-(石川拓治、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班=監修、2008)にも書かれているが、まさに農業における逆転の発想であり、イノベーションといってよい。「常識」に対する挑戦である。

重要なことは、キッカケじたいは「自然農法」にあったことはたしかだが、「自然栽培」であるということだ。有機農法でもあるシュュタイナー農法ではなく、人間が全体を見ながら部分的には手を入れるのが「自然栽培」。データをとって行う科学的栽培の技術である。

個人的な名人芸という特殊例ではなく、再現性のある技術であることは、多くの人たちが取り組むなかで実証されている。大きな壁を何度も乗り越えなければならない、きわめて困難な手法ではあるが。

これは「里山の思想」にもつうじる、「手入れの思想」(養老孟司)だといっていいだろう。基本的にリンゴを自然状態の「あるがまま」にまかせるが、能動的な働きかけも行うことによって、リンゴ本来の姿を「引き出す」という「対話」の手法である。

ここで「対話」というコトバを使ったが、これは文字通りの「対話」である。栽培者がリンゴに話しかける。つまり単なる技術ではなく、気持ちがこもっていなければならないという姿勢でもある。リンゴとはじっさいにコトバで会話できるわけではないが、語りかけ耳をすませるという姿勢は、その根底に愛があるというべきなのだ。




そもそも、農薬を大量に使用し、機械化も推進するという木村氏であったが、奥さんが農薬に弱いという絶対的な「制約条件」のもとで取り組んだのが無農薬と、化学肥料をいっさい使わない自然農法であった。取り組みはじめてからなんと8年かかったのだが、その間の苦労は想像を絶している。

道なき道を切り開くパイオニアである。最後までやり抜くという強い信念と、絶対的な確信をもって取り組むパイオニア。ギリギリまで自分とその家族を追い詰めながらも、やはり万策尽きて挫折してしまいそうになったことも何度もあったという。神仏に祈るのもやめてしまったのだという。

首をくくるためにロープをもって山に登って遭遇した野生のドングリの木。そこで気がついた土の秘密。まさに雑念がなくなったとき、自分を無にしたとき、「直観」はいきなりやってくるという好例だろう。とことん取り組んでいたからこそ、はじめて「向こう側」から「直観」がいきなりやってきて、答えが「こちら側」にもともとあったことがわかったのである。これは科学的発見と同じである。

「見えないもの」を見る力は、少年時代からあったらしい。少年時代に龍を見たのだという。あの想像上の動物の龍である。

時間がスローモーションで動いているのを目撃した体験だが、時間が一様に流れているのではないということを示したと解釈できる。木村秋則氏が書くものによれば、歌舞伎役者の市川海老蔵や、俳優の杉良太郎といった人たちも、龍をみたことがあるのだという。同じような資質や傾向をもった人たちなのだろう。

このほかUFOや宇宙人(!)を見たり、臨死体験と幽体離脱体験などもでてくるが、いずれも本人自身が体験したものであり、その体験は本人にとってはリアル以外のなにものでもない。主観的な認識あるが、体験そのものを否定することはできないだろう。もちろん、当の本人もみずから望んでというよりは、いきなり遭遇したようだが、本人にもある意味では「引き寄せる力」があるのだろう。

重要なことはそいった個々の現象よりも、「見えないもの」の重要性を語っている点だ。「こちら側」の「見える世界」はごくごく一部であり、「向こう側」の「見えない世界」のほうが圧倒的に大きいと考えるべきなのだ。

しかも、リンゴ栽培のような植物においては、地上に伸びた幹や枝葉よりも、地下に拡がる根っこのほうがはるかに大きい。自然農法で育てているリンゴの木は、地下の根っこは地上の幹の2倍以上あるという。根っこが拡がっているからこそ安定しており、台風の被害も最小限にとどめることができたのだという。地下に拡がる世界もまた、「見えない世界」である。

さきに「手入れの思想」と書いたが、これは木村氏自身の表現ではない。だが、全体をみて細部に注意を払うという自然栽培は、全体と部分についての考察も促すものだ。




「生かされて活かす」という発想もすばらしい。「生かされている」という認識が大事なことはいうまでもないが、自然に「あるがまま」だけではだめなのだ。こちら側からの能動的な働きかけも重要なのである。

任せることは大事だが、任せたら任せっぱなしの自由放任ではだめ。心配りをして、声かけもするというケアの姿勢が大事なのである。そして感謝の気持ちもまた大切だ。

ここで想起するのは、山本五十六である。「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」 には続きがあった!-山本五十六 その2 で紹介した道歌(どうか)を紹介しておこう。


話し合い 耳を傾け 承認し
 任せてやらねば 人は育たず


やっている 姿を感謝で見守って
 信頼せねば 人は実らず


どのようにしたら、「人は育つ」のか? 「人は実る」のか? いずれも、「育てる」、「実らす」といった他動詞ではなく、あくまでも自分がかかわる相手の主体的な自発性に重点をおいた発想である。「引き出す」のである。

「人」を「リンゴの木」に置き換えてみれば、木村秋則氏の言っていることそのものではないか! 「育つ」や「実る」といった発想は、日本人にはストンと腹に落ちる栽培植物のアナロジーである。感謝の姿勢は、松下幸之助の経営哲学の根底にもあった。

木村秋則氏の「奇跡のリンゴ」の物語は、苦労したけど最終的にはうまくいきました、というハッピーエンドの成功物語として消費するのではなく、企業経営における人づくりにも、家庭の子育てや学校での人づくりにもつうじる、普遍的な哲学を示しているというべきだろう。

木村氏が基本的に理系的な発想をする人であり、「自然栽培」は再現性のある、移転可能な技術であることにも注意を払いたい。そして技術の根底に哲学があるということも。





『奇跡を起こす見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013 単行本初版 2011)

目 次

はじめに
第1章 龍との出会い、不思議とのつきあい
第2章 なぜ「奇跡のリンゴ」が実ったのか
第3章 リンゴと土から学んだこと
第4章 これからも、「奇跡」を起こし続けるために
おわりに
文庫版あとがき



『すべては宇宙の采配』(木村秋則、東邦出版、2013 単行本初版 2011)

目 次

本書をより理解するために 特別寄稿 茂木健一郎(脳科学者)
まえがき
第1章 不思議の始まり
第2章 泥沼にて
第3章 許された日々
第4章 まだ足りない
参考写真





著者プロフィール
木村秋則(きむら・あきのり)
1949 年、青森県弘前市生まれ。木村興農社代表。 弘前実業高校を卒業後、 川崎市内のメーカーに就職するが、1 年半で退職。 1971 年に故郷に戻り結婚、リンゴ栽培を中心とした農業に従事。 農薬で妻が体をこわしたことをきっかけに、 1978 年頃から無農薬・無肥料のリンゴ栽培にチャレンジを始める。 10 年近くにわたって無収穫が続き、苦難の日々が続いたが、 ついに完全無農薬・無肥料のリンゴ栽培を成功させた。現在、リンゴ栽培のかたわら、 国内はもとより海外でも自然栽培法の農業指導を続けている。 また、自身の苦難の日々と成功への軌跡が描かれた映画『奇跡のリンゴ』が 2013年6月より全国東宝系映画館にて公開される。 オフィシャルサイト http://www.akinorikimura.net/




<関連サイト>

映画「奇跡のリンゴ」 菅野美穂 阿部サダヲ主演の原作-木村秋則 魂のリンゴ作り農家 前編(YouTube)
映画「奇跡のリンゴ」 菅野美穂 阿部サダヲ主演の原作-木村秋則 不可能を可能にした壮絶な8年間 後編 (YouTube)

映画「奇跡のリンゴ」 菅野美穂 阿部サダヲ主演の原作-木村秋則 不可能を可能にした壮絶な8年間 (YouTube)




『奇跡のリンゴ』は、2013年に映画化されている。主演:阿部サダヲ、菅野美穂。




<ブログ内関連記事>

An apple a day keeps the doctor away. (リンゴ一個で医者いらず)


■土と植物

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・「自然農法」や「有機農法」を説いたシュタイナー。木村秋則氏のいう「自然栽培」とは異なる

書評 『土の科学-いのちを育むパワーの秘密-』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)-「土からものを考える視点」に貫かれた本

地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある

「コンパニオン・プランツ」のすすめ-『Soil Mates』 という家庭園芸書の絵本を紹介
・・「コンパニオン・プランツ(companion plants)という考えにあります。直訳すると、「友だち植物」とでもなるのでしょうか、ともに近くで育つことで相性のいい植物の組み合わせということです。 あえて雑草を抜かずにそのままにしているのもまた、この考えに基づいています。 数年前に大きな話題となった、『奇跡のリンゴ-「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録-』(石川拓治、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班=監修、幻冬舎、2008)で取り上げられている青森県のリンゴ農家である木村秋則さんもその一人ですね」

書評 『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)-有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊
・・「有吉佐和子の『複合汚染』(1975年)を文庫版で読んだときのことだ。いわゆる「有機農業」の実践を取材した記録であるが、20ページ以上にわたって詳細に取り上げられています」

世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる
・・「自然界には雑草なんて存在しない、人間が勝手に分類しているだけだ」。かつて昭和天皇がこのような趣旨のことをクチにされていたと、どこかで読んだことがある

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-


■「見えないもの」を「見える化」する

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要
・・プロテスタント神学の立場から。内容にはかならずしも同調する必要はないが、思考のフレームワークを知るのはよい

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!
・・日本人にいちばん欠けているのが「見えないもの」を「見える化」する能力

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ
・・「こちら側」だけを見ていたのでは「科学の限界」に気がつくことはない

マイク・タイソンが語る「離脱体験」-最強で最凶の元ヘビー級世界チャンピオンは「地頭」のいい男である!
・・マイク・タイソンのボクシング試合中の「幽体離脱」体験
   
「ホリスティック」に考える-「医学」のアナロジーで「全体」を観る視点を身につける 

「魂」について考えることが必要なのではないか?-「同級生殺害事件」に思うこと


■企業経営へのインプリケーション

書評 『道なき道を行け』(藤田浩之、小学館、2013)-アメリカで「仁義と理念」で研究開発型製造業を経営する骨太の経営者からの熱いメッセージ

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」 には続きがあった!-山本五十六 その2

経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく


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2013年5月26日日曜日

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む ―「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要




ふとしたキッカケから、買ったままほったらかしにしていた『はじめての宗教論』二部作を思い立って読んでみました。

『はじめての宗教論 右巻-見えない世界の逆襲』(佐藤優、NHK生活人新書、2009)。
『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』(佐藤優、NHK新書、2011)

結論から先にいえば、『右巻』はじつに面白い。ぜひ読むことを薦めたいと思います。『左巻』も面白いですが、おのずから読者を選ぶ本だといっていいでしょう。

「見えない世界」の認識の重要性を理解し、自己啓発やマルチ販売などの「宗教と名乗らない宗教」への免疫をつけることができるために、『右巻』だけでも読むべきだと思います。

著者は元外交官でインテリジェンスの専門家。いわゆる「国策捜査」というコトバを一般語にした人ですね。最高裁では結局のところ勝てませんでしたが。


■プロテスタント神学の立場による「見えない世界」へのアプローチ

しかも著者は、同志社大学神学部卒という異色の経歴をもっています。プロテスタントのなかでも、もっとも厳格なカルヴァン派。いわゆる予定説。あらかじめ救済されることがわかっているので、投獄されても苦ではなかったようです。

そんな著者がプロテスタント神学の立場から書いたキリスト教神学入門。宗教学者ではなく神学研究者の立場から書いた本ということに意味があり、差別化されているわけです。

わたしも含めて一般読者は「神学」の本などめったに読むものではありませんので、その意味でも著者の存在は貴重なものがあるといえましょう。

「神学」といえば、高校世界史の授業で耳にしたこともあるでしょう。「哲学は神学の婢(はしため)」トというフレーズに登場する神学です。カトリックが支配的であったヨーロッパ中世の神学者のコトバです。

ここでいう哲学とは狭い意味の哲学ではなく、いわゆるリベラルアーツとして総称される七自由学芸のことをさしています。具体的にいえば、文法学・修辞学・論理学の3学、それから算術・幾何・天文学・音楽の4科のことを指しています。

中世においてはリベラルアーツの基礎のうえに、神学あるいは医学、法学という「実学」が学ばれました。現在でも欧米の総合大学は神学部からはじまったものが少なくありません。

神学といえば「虚学」というイメージがつよいかもしれません。しかし神学は「実学」でもありました。そのわけはキリスト教の聖職者養成のための学問であるからです。

神学は「見えない世界」にアプローチするための学問であり、諸学の頂点に位置づけられていたということにキリスト教世界の構造を知ることができます。

近代化を西洋近代化という形で体験することになった日本は、当然のことながら西洋キリスト教文明の圧倒的な影響のもとにあります。

しかし、著者が述べるように、「コルプス・クリスティアヌム」(Corpus Christianum)、すなわち、「ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統 × ギリシア古典哲学 × ローマ法」が混在一体となった西洋のキリスト教共同体から、キリスト教だけを抜いて導入したのが日本近代でありました。

西欧におけてはキリスト教の神が位置するところに、国家神道をもってそれに代替させたのが近代日本です。敗戦後はその国家神道が否定された結果、空洞のまま放置されて現在に至っています。

明治以降の近代日本にはキリスト教的なものは充満していますが、もっぱら風俗として受容されたにとどまり、ましてや神学なる学問が学問の世界で正当な位置づけをもっているのは、神学部をもっているキリスト教系の大学の一部に限定されます。そのため、一般の日本人には神学とは神学論争というフレーズで揶揄する以外につかわれることはありません。

とはいえ、キリスト教の神学的思考法の枠組みくらいはアタマで理解しておいたほうがいいということでしょう。キリスト教神学の枠組みをとおして「見えない世界」を見るというアプローチは重要ですし、キリスト教がバックボーンにある西洋文明を理解しておかないと、ヨーロッパもアメリカも理解することができません。


■『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』

 『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』(佐藤優、NHK新書、2011)は、「近代」とは何であったのか、その限界を考えるためには面白い本です。

近代になって前面にでてきたナショナリズムは、キリスト教が後退したことによって優勢となった「宗教」であること、そしてその端緒をつくったのが18世紀ドイツの神学者シュライエルマッハーの思想であることにあります。

著者はこう書いています。

初期の著作『宗教論』(1799年)で「宗教の本質は直観と感情である」と定義し、晩年の著作『キリスト教信仰』(1821~22年、第二版1830年)では「宗教の本質は絶対依存の感情である」と定義したのです。その結果、神は天上ではなく、各人の心の中にいることになりました。神を「見えない世界」にうまく隠すことに成功したと言っていいかもしれません。・・(中略)・・自らの心の中に絶対的存在を認めることで、人間の自己絶対化の危険性が生じたわけです。・・(中略)・・近代とはナショナリズムの時代です。ナショナリズムの台頭を背景に、心の中の絶対者の位置にはネイション(民族)が忍び込んでくる。ここに、国家・民族という大義の前に人が身を投げ出す構えができあがってしまいました。(P.13~14) *太字ゴチックは引用者=わたし

近代世界においてはキリスト教から外部絶対者としての神が背景に退き、その結果として強化されたナショナリズムが第一次世界大戦という惨事を招くことになったわけです。第一次大戦後に登場したのがカール・バルトの神学である、と書かれています。

哲学者ニーチェが「神の死亡宣告」をした以降、キリスト教が後退したという理解が一般的ですが、プロテスタント神学の立場からは、それとは異なる観点から説明がなされるのが興味深いですね。

このテーマであれば、『ナショナリズムの起源をシュライエルマッハー神学で解く』とでも題して別個の書籍にしたほうがよかったかもしれません。

ですからキリスト教徒ではない一般読者にとっては、かならずしも問題意識を共有するわけではないので、プロテスタント神学入門である『左巻』はあまり面白くないかもしれません。あくまでもそういうものの見方もあるといったた程度で問題ないでしょう。読むのは『右巻』だけで十分だと思います。

とはいえ、『右巻』と『左巻』は別々に読んでも意味がわかるようにしてあると著者は言っていますが、『右巻』に書いてあることを前提にしないと理解しにくいと思います。


■外部性、すなわち「見えない世界」を認識することが必要だ

「見えない世界」を認識することの重要性、その方法について、プロテスタント神学の立場から考察したものです。

「見える世界」がすべてだと思い込むのは傲岸不遜(ごうがんふそん)であり、「見えない世界」の逆襲を受けてしまうためでありますね。これは「3-11」で日本人が、大津波や原発事故による放射能汚染で痛烈に体験したことであります。

「見える世界」だけで捉えていたのでは足をすくわれます。「見えない世界」を感じ取り、読み解くチカラは絶対に必要なのです。

そのためのアプローチとしてキリスト教神学が役に立つというのが著者の立場です。とはいえ、キリスト教徒ではない一般読者が神学まで勉強する必要はない。神学的思考法の枠組みがわかればそれで十分でしょう。また、その立場には立たない人は、それぞれ異なるアプローチを探求すべきことを示唆してくれている本だといってよいかと思います。

わたしもこの本を読んでアタマのなかがかなり整理できました。きわめて読みやすく、アタマに入りやすい本です。騙されたと思って、ぜひ読んでみるといいでしょう。



『はじめての宗教論 右巻-見えない世界の逆襲』(佐藤優、NHK生活人新書、2009)
目 次

序章 「見える世界」と「見えない世界」-なぜ、宗教について考えるのか?
第1章 宗教と政治-神話はいかに作られるのか?
第2章 聖書の正しい読み方-何のために神学を学ぶのか?
第3章 プネウマとプシュケー-キリスト教は霊魂をどう捉えたのか?
第4章 キリスト教と国家-啓示とは何か?
第5章 人間と原罪-現代人に要請される倫理とは?
第6章 宗教と類型-日本人にとって神学とは何か?
ブックガイド
あとがき


『はじめての宗教論 左巻-ナショナリズムと神学』(佐藤優、NHK新書、2011)
目 次

序章 キリスト教神学は役に立つ-危機の時代を見通す知
第1章 近代とともにキリスト教はどう変わったのか?
第2章 宗教はなぜナショナリズムと結びつくのか?
第3章 キリスト教神学入門(1)-知の全体像をつかむために
第4章 キリスト教神学入門(2)-近代の内在的論理を読みとく
第5章 宗教は「戦争の世紀」にどう対峙したのか?
第6章 神は悪に責任があるのか?- 危機の時代の倫理
ブックガイド
あとがき

著者プロフィール  
佐藤 優(さとう・まさる)1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了。著書に『国家の罠』(新潮社、毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新潮社、新潮ドキュメント賞と大宅壮一ノンフィクション賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

書評 『聖書を語る-宗教は震災後の日本を救えるか-』(中村うさぎ/ 佐藤優、文藝春秋、2011)-キリスト教の立場からみたポスト「3-11」論
・・こちらを先に読んだほうがいいかもしれない。わたしは結果としてそうなったが、「3-11」は日本人にとてはまさにカイロス的時間の強烈な体験として刻みこまれることになった。以下、該当箇所を再録しておく。

「時間には二種類あるという論点だ。それは、クロノス と カイロス という二種類の時間についてである。ともにギリシア語で時間をあらわすコトバだが、クロノスは一般につかう時間の意味。時系列で連続している物理的な時間のことである。
 一方、カイロスはエピソードによって切断され時間のことである。エピソードとエピソードのなかにつなげられた時間のこと。
 日本人の歴史認識も、その意味ではカイロス的であるといえる。「戦前」と「戦後」といった時代区分は、大東亜戦争というカイロス的時間によって分断されたもの。
 その意味では、「3-11」によって、あらたな時代認識が発生したのは当然のことなわけだ」

本の紹介 『交渉術』(佐藤 優、文藝春秋、2009)


■キリスト教とキリスト教神学

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992
・・ハーバード大学神学大学院について

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに


■神なき時代にキリスト教世界に生まれた全体主義

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・「第4章の「キリスト教の失敗」については、全体のなかではちょっと異質な感じのする章である。背景となる文脈はいまひとつ読みにくいということがある。・・(中略)・・知的エリートたちが「経済人」モデルの問題点を解決するためにキリスト教倫理に戻ってきたのに対し、一般大衆は慣習以上の関心をキリスト教に対しては抱いていなかったということが指摘されているのだ。つまり、キリスト教はすでにヨーロッパにおいて熱情を失っていたことであり、そのために宗教的な熱情をともなう「全体主義」に引き寄せられたという分析だ」

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・日本人の若手宗教学者による必読書


■プネウマ(息・気・霊)

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・プネウマ(息、気、霊)について

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・キリスト教徒・山本七平の「空気」はプネウマの訳語である

(2014年8月14日 情報追加)


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