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2024年1月20日土曜日

書評『福田村事件 ― 関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生、五月書房新社、2023)― 集団内部での「同調圧力」が「集団狂気」に変わったときに起こること

 


「福田村事件」とは、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)でいまから100年前の1923年9月6日に起こった事件のことだ。

福田村は鬼怒川が利根川に合流するあたりで、利根川左岸に位置している。千葉県と茨城県の県境に近い。

震災後の流言飛語から生まれた自警団が暴走し、不安心理と興奮状態にある集団内で発生した同調圧力が集団狂気に変わり、日本人の集団が有無を言わさず虐殺された事件である。

関東大震災(1923年9月1日)は、大規模自然災害にとどまらない。官憲が無責任にも公表した虚偽情報が核となり、それが流言飛語となってあっという間にクチコミで民間に拡散したことで悲劇が生まれたのである。 

悲劇の中心はいうまでもなく「朝鮮人虐殺」である。だが、虐殺されたのは朝鮮人だけではない。中国人もそうであり、また大杉栄など日本人の無政府主義者も含まれていた。 

忘れてはならないのは、というよりも忘れられてきたのは、いやそれもまた正確ではない、意図的に隠蔽されてきたのは、それ以外の日本人も虐殺の被害にあっていたという知られざる事実だ。そのひとつが「福田村事件」である。 

先にもみたように、香川県の被差別部落からきた薬売りの行商人グループが朝鮮人と誤認され虐殺された事件である。殺気だった自警団によって、15人のうち10人が無残にも殺害され、死体は利根川に投棄されたという。 

恐るべき事件である。おぞましい事件である。無実の人たちが、有無を言わさず惨殺され、しかも死体が遺棄されたのである。遺骨収集もかなわなかったのである。 

恐るべき事件であったことは、被害者たちにとっては言うまでもない。だが、加害者の側にとっても、その後は思い出したくもない、考えたくもない事件であったのだ。

だからこそ、長年にわたって語られることもなく、当事者の世代が消えたあともなお、知られることもなかった事件なのである。 


■『福田村事件 ー 関東大震災・知られざる悲劇』は読み継がれるべき本

本書『福田村事件 ー 関東大震災・知られざる悲劇』は、昨年から千葉県内のリアル書店では平積みにされていたが、関心外のこととして無視してきた。

だが、これはそういうことではいけないと気づいたのは、たまたまWikipediaなどで関連情報を読み込んで驚愕の事実を知った昨日のことだ。さっそくリアル書店で購入して通読したのである。

関東大震災100年を前にした昨年2023年7月の初版だが、わたしが購入した時点ですでに5刷(2023年10月)となっている。かなり読まれているようだ。amazonのレビューも多数にぼっている。(*なお、第3刷で本文の一部が書き直されたようだ)。

事実を事実として語らせるという抑えた筆致が、かえって事件の恐ろしさを浮かび上がらせる。 そんな本である。

流言飛語の核となったのは官憲による虚偽情報である。フェイク情報である。これがあっという間に流言飛語として口伝えに拡散し、個々人が抱える不安心理が集団のなかで増幅し、同調圧力が常軌を逸した集団狂気となって虐殺を引き起こしたのである。恐るべきメカニズムである。 

まさにSNSで現に起こっている事態であり、独りよがりな「正義感」にもとづく批判中傷の発言がネット上の集団リンチ状態を引き起こし、バッシングの対象となった被害者が精神的に追い込まれて自殺するなどの悲劇が後を絶たない。

だが、はたして21世紀の現在、このメカニズムはネット上だけにとどまらないのではないか?

事件の舞台となったのは100年前の日本の一農村だが、つい3年前の2021年にはトランプ主義者たちによる「米国議会議事堂襲撃事件」などが起きていることを考えれば、けっして過ぎ去った過去の話だとは思えない。この事件では死者もでている。いつどこで起こっても不思議ではないのだ。 


(映画『福田村事件』予告編)



■「福田村事件」を知るためには「朝鮮人虐殺」についてしらなくてはならない

本書『福田村事件』は、「福田村事件」だけを取り上げたものではない。

この事件を考えるための前提としての「朝鮮人虐殺」について、千葉県流山市在住の著者はとくに千葉県北西部の状況について取り上げている。もともと本書は、千葉県の地方出版社である崙書房から2013年に初版が出版されている。崙書房は廃業していまはない。

「朝鮮人虐殺」が集中的に発生したのが東京の下町に該当する地域だが、首都圏全体で虐殺が行われていた。本書では、江戸川をはさんで対岸にある千葉県北西部の事例が重点的に取り上げられている。利根運河の改修工事や、北総鉄道(現在の東武野田線)の建設現場に朝鮮人労働者が多数働いていたことも本書ではじめて知った。

「朝鮮人虐殺」という事実そのものは知っていても、その詳細までは知らなかっただけでなく、ふだん身近に接してきた土地でそんな蛮行が行われていたことを、いまのいままでまったく聞いたこともなかったこと、文字で読んだことすらなかったことに、おおきな衝撃を受けている。無知を恥じるばかりである。

「福田村事件」は長年にわたって「隠蔽」されてきた。著者自身もまったく知らなかった事件だという。ぜひ活字にしてほしいと頼まれて調査を行い、この事件を掘り起こして書籍化までもっていったのが、10年前にでた『福田村事件』の初版である。

関係者の証言を取ろうにも、ことごとく拒否されたり、取材そのものがたいへん困難なものだったようだ。その事実じたいが、この事件について考える材料になる。そのため、著者は当時の新聞記事を丹念に調べ、すでにおこなわれているさまざまな調査を重ね合わせて、慎重に事実の検証を行っている。

事件からまだ100年しかたっていないのである。100年もたっているのではない。100年しかたっていないのである。100年は3世代でしかないのである。加害者たちとその子孫たちも内心で思うこともあるのだろう。だから、事実を見つめてことばにすることを心理的に拒否する理由はわからなくもない。

被害者を追悼し、被害者のプライバシーを守るのは当然だ。それとは意味が違うが、加害者たちやその子孫たちを非難したところで意味はない。恩讐の彼方で、ノーサイドの立ち位置から、虐殺が行われたという「事実」そのものをしっかりと見つめることが重要なのだ。

事件から 100年たった現在、いま生きているわれわれにとって重要なことは、この事件について知り「教訓」を今後に活かしていくことである。 まずはこの「黒歴史」を知ることがなによりも大事なことだ。

それは戒厳令下で治安出動を行い、朝鮮人虐殺を先導した帝国陸軍の習志野騎兵隊もまた例外ではない。日露戦争における栄光だけが、その歴史ではない。 光と影の両面を見なくてはならないのだ。

習志野騎兵隊の治安出動については、吉村昭氏の『関東大震災』でも取り上げられていたので知っているが、治安出動に参加を命じられた騎兵の立場から書かれた、プロレタリア作家・越中谷利一(1901~1970)による「戒厳令と兵卒」(1928年のことは、本書ではじめて知った。亀戸駅付近の状況が、検閲による「×」の伏せ字だらけのまま本書に引用されている。(・・ただし、復元された文章も併記されている)。

「シベリア出兵」の出征体験をもつプロレタリア作家・黒島伝治(1898~1943)は、兵士の視点からみた「渦巻ける烏の群れ」などのシベリア戦記が岩波文庫に収録されているので比較的知られている。

シベリア出兵(1918~1925)は、ちょうど関東大震災をはさんだ同時期にあたる。越中谷利一のことはまったく知らなかった。埋もれているのはまったくもって残念なことだ。ぜひ岩波文庫などで復刻してほしいものだ。


とはいえ、「福田村事件」について考える際に重要なことは、けっして日本社会特有の事象と捉えるだけにとどまってはいけないことだ。集団となったときの人間心理と人間行動について、厳しく見つめることが必要である。

同調圧力が生じやすい集団のなかで、いかに個としての正気を保つか冷静さを維持できるか。きわめて困難な課題であるが、避けてとおるわけにはいかないのである。 つねに意識しなくてはいけないのである。


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目 次 
はじめに ー 増補改訂版刊行にあたって 
第1章 マグニチュード7.9の大地震 
第2章 天災につけこんだ人災 
第3章 福田村の惨劇 
第4章 追悼に向けて 
おわりに ー 旧版出版から映画化まで 
特別寄稿 『A』『A2』から『福田村事件』へ(森達也) 
福田村事件関連資料 
主な参考文献


著者プロフィール
辻野 弥生(つじの・やよい) 
1941年、福岡県生まれ。香蘭女子短期大学卒業。流山市立博物館友の会会員。福田村事件の論考を発表。北野道彦賞受賞。


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◆著者インタビュー記事






◆関連記事

・・「大震災による混乱の中、流言飛語により県内でも八千代市や船橋市、習志野市、市川市など各地で住民や自警団、軍人が朝鮮人を殺傷。合わせて三百数十人が殺害されたといわれる。」

・・「大震災から101年目となった1日、船橋市営馬込霊園であった追悼式。実行委員会が主催し、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県西部支部常任委員会が主管した。霊園内の一角には、一枚岩の「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」(台座を含め高さ約4メートル)などが建立されている。
当時は船橋市から北の鎌ケ谷市にかけて鉄道敷設工事が行われ、多くの朝鮮人労働者が働いていた。大震災発生後、朝鮮人にまつわるデマが飛び交い、船橋、市川市などで自警団や住民らによる虐殺が相次いで発生。
同支部の資料によると、遺体は船橋市内の墓地に埋めたとされ、慰霊碑が建てられたものの、墓と慰霊碑を現在地に移すことになった63年、碑近くを掘り起こしても遺骨はなかった。行方を探すうちに火葬場近くの田んぼに埋められたことが分かり、掘り出した遺骨は約100体に達したという。
遺骨は現在の慰霊碑区画内に埋葬した。碑の裏面には、虐殺の経緯とともに「犠牲同胞の怨恨(えんこん)は実に千秋不滅」などと刻まれている。」

・・「市川さんは「100年の節目の昨年、映画の公開もあり多くの人が関心を持った」と振り返る。 一方、事件の周知は進んだが、真相を知る「認知」までは途上と課題も指摘する。 昨年公開された事件と同名タイトルの劇映画「福田村事件」について、市川さんは企画段階で製作側に協力した。しかし完成した内容は「行商の人などの描き方がひどい」と憤慨する。 具体的には、行商人らしくない服装や、効果のない薬を売りつける場面、自ら被差別部落出身であることを語る場面などが史実と異なるという。 行商団は香川県が交付した証明書を所持して薬を販売していたほか、当時は現在よりも被差別部落への差別が厳しかったと指摘。 「犠牲者、被害者の名誉を傷つけ、差別が広まってしまう描き方だ」


・・船橋での死者が多いのは、当時は北総鉄道(現在の東武野田線)の建設が行われていたために作業員として働いていた朝鮮人がいたこと、海軍の無線基地があったこと、流言飛語の拡散で拘束された朝鮮人が騎兵隊のある習志野基地に集められ、一部は営倉内で虐殺されたが、その他多数は民間に引き渡されたことがあるようだ


・・9月7日には緊急勅令「治安維持の為にする罰則に関する件」(勅令403号)が出された






(2024年9月14日 情報追加)


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・・「本書の最大の山場は、関東大震災(1923年9月1日)であろう。 著者の山川菊栄にとっても、戦前日本の社会主義運動にとっても、大きな分水嶺となった出来事だからだ。 きわめて個人的な回想が語られるが、流言飛語が飛び交うなか、「朝鮮人」だけでなく「主義者(=社会主義者)」も虐殺の対象になったことが、手に取るようにナマナマしく描写されている。大杉栄夫妻とその子どもが虐殺されたが、山川夫妻と子どもは危うく難を逃れることができたのであった。」

・・関東大震災の際の甘粕憲兵大尉による大杉栄一家虐殺事件も

・・吉村昭氏の『関東大震災』についても言及。同書には戒厳令下に帝国陸軍の習志野騎兵隊が緊急に治安出動したことも記されている


・・プレートには関東大震災に際して虚偽情報を放送したという「黒歴史」にかんする記述はいっさいない



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2013年10月12日土曜日

書評『「大学町」出現 ー 近代都市計画の錬金術』(木方十根、河出ブックス、2010) ー1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは?


「城下町」や「門前町」が前近代社会、すなわち土地を基本単位にした地方分権制であった近世封建制の時代に形成されてきたものであれば、「大学町」や「企業城下町」は近代の産物である。


大学町とは、東京や京阪、名古屋などの大都市郊外に形成された、大学を中核(コア)にして開発された市街地のことである。都心部でまとまった土地が確保できなくなった大学が、郊外に土地を求めて土地交換等によって確保し、移転したことによって誕生したものだ。

そのさきがけとして、大学町のプロトタイプとなったのが東京西郊の「くにたち大学町」(東京都国立市)である。国立と書いて「くにたち」と読むのだが、それは両隣の国分寺と立川に挟まれた未開発の雑木林であったためである。

「くにたち大学町」の中核となるのが一橋大学である。当時は東京商科大学という名称であったが、1923年の関東大震災で都心部のキャンパスが被災したため、震災復興とキャンパス移転を同時に実現すべく移転が実行された。大学町そのものとしては理路整然としているが、キャンパス内の建物の配置がかならすしもそうではないのは、「復興事業的色彩が濃厚」なためだったと著者は指摘している。

このように大学町形成の背景にあったのは1923年(大正12年)の関東大震災があったのだが、それだけではなく、1920年代の「大学昇格運動」があったことも重要である。むしろ後者の流れのなかで、大震災がまったなしの状況として拍車をかけたというべきだろう。

1918年(大正7年)の「大学令」で、東京商科大学、東京工業大学など官立単科大学が誕生1920年には慶應義塾大学、早稲田大学を皮切りに私立大学がぞくぞくと誕生している。1920年は大正時代のまっただなかであるが、普通選挙や労働運動など大衆時代の幕開けであり、高等教育へのニーズがひじょうに高まった時期でもある。

面白いのは、大都市とはいっても東京と大阪、そして名古屋では大学町形成の主体とプロセスが異なることだ。

東京は、民間デベロッパーのビジネスとして宅地分譲と一体型の開発が行われたのに対し、阪神では鉄道会社がミッションスクールを誘致して大学を育成しながら大学町のブランディングを重視した姿勢、大阪は大阪商大(現在の大阪市立大学)が大阪市の都市計画の一環として計画されたのだと著者は整理している。

大学町は学園都市ともいうが、東京の東急沿線に形成された大学町は学園都市というべきかもしれない。田園都市との類比を想起するからだ。

わたし自身、アメリカでもヨーロッパでも、大学都市は多く歩き回ってみたが、大学という制度が誕生したヨーロッパでは、大学はキャンパスに集中しておらず、大学町に分散しているのが当たり前だ。その意味では日本の大学キャンパスはアメリカ型のキャンパスを小規模に再現したといえるかもしれないという感想をもつ。

著者によれば、図書館のタワーの前に広場がある一橋大学や関西学院大学はアメリカ的な意味でのキャンパスの正統だという(P.119)。慶應の日吉キャンパスのように並木道があるのは日本型なのだと。

本書が出版されたのは2010年であり、東日本大震災(2011年3月11日)の前である。大震災の復興事業の一環として大学キャンパスの郊外移転が実行されたことは、「3-11」後の現時点では興味深く感じる。

博士論文をベースにしたものだけに、記述は精緻なものとなっており、やや読みにくいのは否めないが、郊外キャンパスから大学と都市開発を考える視点が面白いので一読の価値はあると言っておこう。




目 次

はじめに
序章 「大学町」の成立背景
第1章 「国立大学町」はいかにつくられたか
第2章 沿線開発と大学町
第3章 大学町の展開とキャンパス・デザイン
第4章 大学をわが村へ-組合による郊外開発と大学町
第5章 近代都市計画の理想とキャンパス
終章 近代都市計画の錬金術
あとがき
参考文献・図版出典

著者プロフィール

木方十根(きかた・じゅんね)
1968年岐阜県生まれ。名古屋大学卒業後、東京藝術大学大学院、名古屋大学助手を経て、鹿児島大学大学院理工学研究科准教授。専門は、建築・都市計画史。2004年度日本都市計画学会論文奨励賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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2013年9月1日日曜日

本日(2013年9月1日)は関東大震災から90年 ー 知られざる震災記録ルポルタージュの文庫本2冊を紹介



つい先日のことだが、ことし2013年の8月に宮武外骨の著作が一冊、文庫本として復刊された。

『震災画報』(宮武外骨、ちくま学芸文庫、2013 発行:1923~24年=大正12~13年)である。

不敬罪での禁錮3年をはじめ、生涯に入獄4回、罰金・発禁などの筆禍29回という戦歴を誇る在野の反骨のジャーナリストであった宮武外骨(みやたけ・がいこつ 1867~1955)が、関東大震災の直後から自分が経営する出版社の半狂堂(!)から発行した「画報」を一冊にまとめたものだ。

みずからの目で見て聞いた話を、文体は口語体で、しかも絵入りの和紙和装本として予約出版された合計6冊である。

内容の一部はその後あきらかになった事実とは異なる伝聞情報が含まれているということだが、これはリアルタイムの情報伝達である以上、避けられないことだろう。

宮武外骨といえば、この文庫版の解説を執筆している吉野孝雄は親類縁者にあたる人だが、宮武外骨の伝記のタイトルが『過激にして愛嬌あり-宮武外骨と「滑稽新聞」-』(ちくまブックス)というものだった。

1983年の初版を愛読して以来、わたしは宮武外骨のファンであるが、この話はまた別の機会にしたいと思う。

それにしても「過激にして愛嬌あり」とはなんとステキなキャッチフレーズであることか。「過激」なことを言うだけでは嫌われて遠ざけらだけ。愛嬌がないと共感を得ることはできないということなわけだ。座右の銘にしたいものだ(笑)

だが、この『震災画報』では、事実の収集とそのコメントに専念しており、過激でも愛嬌でもないことを記しておく。過激だとしたら、震災による被災という事実そのものが過酷で過激なのだ。





「総目次」の一部(全6冊の内容を項目別に整理した目次になっている)

論説
地震学の知識概略
上野公園に集った避難者
尋ね人の貼紙
上野山王台の西郷隆盛銅像
吉原の遊女
貧富平等の無差別生活
東京を去った百万の避難者
見聞雑記
写真銅版の実景または図画
その他







さて、文庫で読める知られざる震災記録ルポルタージュということで、もう一冊紹介しておきたいと思う。

『東京震災記』(田山花袋、河出文庫、2011 初版 1924年)である。

田山花袋(1871~1930)といえば近代日本文学史の名前のでてくる文学者である。いわゆる自然主義文学の作家として『田舎教師』や『蒲団』などの作品で有名だ。高校時代、授業で聞いたが現在に至るまで読んだことがないのだが(笑)

だが、ここのところ岩波文庫から田山花袋の随筆が復刻されており、それを読むと意外なことに軽妙洒脱な文体でなかなか面白い文章を書いていることがわかった。

『温泉めぐり』(岩波文庫、2007)である。これは紀行文である。また、『東京の三十年』(岩波文庫、1981)も貴重な回想録といえるだろう。

そんなジャーナリストで筆も立つ田山花袋が書いた記録ルポルタージュが『東京震災記』である。東日本大震災後に河出文庫から復刻された。

宮武外骨の『震災画報』が、どちらかといえば現在のニュース報道やブログ記事のようなものだとすれば、田山花袋のものはさすがに文学者だけあって、じっさいに交わした会話なども織り込んで臨場感のある読み物に仕上がっている。

内容については目次をご覧いただきたい。




目次の一部

この世の終りかと思った
一寸先きはわからない
金棒の音
混乱したシインがシインに重って表現派の絵
Sの話
I君の話
その時のさま
『オッ地震』
瓦の落ちる音
白い不愉快の雲
その雲に当たった夕日
『下町はえらい火事だ』
以下、項目多数


関東大震災については、吉村昭によるノンフィクション作品の傑作である『関東大震災』(初版1973年、現在は文春文庫)があって読んだ人も多いと思う。わたしもずいぶん昔になるが吉村氏の本で関東大震災の全貌を知ることができた。

それでもあえてこの文庫本2冊を紹介するのは、震災の当事者が書いたものだからである。日本の企業社会で強調される三現主義(=現場・現物・現実)をそのまま実践した記録でもあるからだ。

震災の被害とその後の人災もさることながら、震災後の復興について知ることができるのである。

だが、思えばわずか22年後の1945年(昭和20年)3月11日、東京は米軍による大空襲でふたたび焼け野原となった。今度は天災ではなく、無能な政治指導者たちが招いた人災であったが・・・

その大空襲からさらに68年、いまのところなにもなく過ごしてきたが、東日本大震災以後さまざまな研究成果が「NHKスペシャル」の特集などをつうじて一般化してきており、すでにつぎの大地震の可能性も想定せざるをえない状況になってきている。

しかし、そのときいったいどうなるのか。
いや、どう行動できるのだろうか・・・




<関連サイト>

MEGAQUAKEⅢ 巨大地震 よみがえる関東大震災 ~首都壊滅・90年目の警告~(NHKスペシャル 2013年8月31日)


<ブログ内関連記事>

「今和次郎 採集講義展」(パナソニック電工 汐留ミュージアム)にいってきた-「路上観察」の原型としての「考現学」誕生プロセスを知る
・・関東大震災からの復興、再生から始まった「考現学」

We're in the same boat. 「わたしたちは同じ船に乗っている」

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?

書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないことを願う

両国回向院(東京)で戦後はじめて開催された「善光寺出開帳」にいってきた(2013年5月4日)+「鳥居清長名品展」(特別開催)

鎮魂-「阪神大震災」から15年目に思い出したこと

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味


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2013年6月14日金曜日

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙




旧江戸川乱歩邸(立教大学キャンパス内)にいってみた。あの探偵小説作家の江戸川乱歩の旧宅が立教大学に譲渡されて保存されていることを、つい最近のことだが知ったからだ。

検索してウェブサイトを調べてみると、月・水・金と開いているらしいが、一般公開は水曜日と金曜日のみで、しかも10時半から16時(午後4時)までだという。

今週水曜日、ちょうど新宿方面で用事があったので、その前にちょっと池袋に立ち寄ってみることとした。

再開発計画の一環として渋谷駅がさらに複雑怪奇になったばかりだが、新宿駅も池袋駅も、いつになってもわたしにとってはラビリントス(迷宮)である。あたかも江戸川乱歩の世界のように(笑)

池袋駅はふだんは東口に用事が多いのだが、立教大学のキャンパスは西口にある。立教大学にいくのはひさびさだが、アメリカ風のレンガつくりにツタのからまった大学建築物はステキだ。しかも、歩いている女子学生が垢ぬけてオシャレな印象もつよい。江戸川乱歩とはなかなか結びつかないのだが、乱歩と立教のつながりはなかなか深いものがあるようだ。

(立教大学キャンパス内)

そのキャンパスの一角に旧江戸川乱歩邸があるはずなのだが、事前にきちんと地図を見ていなかったためか、なかなか探すのに骨が折れた。

キャンパスの配置図をみてもなかなか乱歩邸に行き着けず、まさに乱歩的ラビリントス(迷宮)かとあきらめかけていたが、ようやくたどりついたら16時、職員の女性が門を閉める直前のことであった。

「ちょっとだけ見てもよろしですか?」とダメもとで頼み込んでみたら、OKしていただいただけでなく、なんと親切なことに案内までしていただいた。さすが日本人! 官僚的なしゃくし定規な対応ではない対応に感謝。時間に厳密なヨーロッパだと絶対にあり得ないことだ。

引っ越し魔の乱歩は、なんと46回の引っ越しの末に(・・よくカウントしていたものだ。几帳面な性格がうかがわれる)、昭和9年(1934年)にこの地に引っ越してきたのだという。当時はまだ静かな環境であったようだ。

戦前は借家全盛時代であったので、乱歩もそうしたようだ。戦後になってから買い上げて自分の所有としている。立教大学は2002年に「創立130年事業」の一環として、不動産を買い上げたようだ。

(母屋の奥に土蔵)

乱歩がこの家を借りることにした決め手は土蔵があること。「いわゆる幻影城とよばれる土蔵」は、邸宅のウラにある。土蔵が書庫になっているのだ!

(幻影城=土蔵=書庫)

一般公開はされているが、なかに入ることはできない。あくまでもガラス越しにチラ見することができるだけだ。それでも、公開日以外は敷地内に入れないのだからありがたいものだ。玄関、洋間の応接、そして待望の土蔵=書庫を見ることができた。

(土蔵の書庫のなか-几帳面に整理されている)

幻影城=土蔵=書庫のなかは、書籍がじつに几帳面に整理されているが、江戸川乱歩自身が無類の整理魔であったためらしい。ある意味ではきわめて機能的な書庫になっていたわけである。実物データベースというべきだろうか。

江戸川乱歩というと『少年探偵団シリーズ』が有名なので、子どもむけの物語作家というイメージを持っておられる方も少なくないだろう。じっさいに、旧乱歩邸の玄関にもシリーズ本が並べられている。

(母屋にある洋間の応接室・・レイアウトは乱歩自身だそうだ)

その一方では、とくに前期にはきわめて猟奇的な作品や探偵小説(・・現在の推理小説)も少なくない。探偵小説といえば、夢野久作が大好きなわたしだが、同時代に活躍した江戸川乱歩も「昭和モダン」というレトロ感覚がじつにいい。関東大震災後の東京という場所がなければ成立しなかった作品群である。

なかに入ることができないのは残念だが、旧乱歩邸ではガイドブック(500円)が販売されているので参考になる。内部の写真はネット上でも見ることができるので、関心のある方は検索してみるといいだろう。

とはいえ、やはり「現地」である。「現場」である。乱歩の小説の主人公である明智小五郎もまた犯罪がおこった「現場」で思考する。

だから、旧江戸川乱歩邸という「現地」は、いちどは踏んでおきたいスポットだ。


(乱歩邸の正面)

<関連サイト>

旧江戸川乱歩邸 (立教学院創立130年記念事業
・・立教大学キャンパス内。月・水・金曜(公開は水・金曜のみ)(10時30分~16時)
*公開日の見学は予約不要

(地図の右下に乱歩邸)



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