『荘子 古代中国の実存主義』(福永光司、中公新書、1964)という本を読み出して思ったのは、こんなスゴイ本は滅多にあるものではない、という感想だ。
「老荘思想」というフレーズがあるように、荘子は老子とならび称される古代中国の思想家である。人によって好みの違いがあるだろうが、わたしは深遠すぎる老子より、息づかいまで感じることのできる荘子に惹かれるものがある。
とはいっても、分量的に多い『荘子』を通読したわけではないし、「胡蝶の夢」などのエピソードや寓話を断片的に知っているだけだ。「道」(タオ)や「真人」など荘子哲学の結論は知っているものの、荘子がどんな人で、どんな環境からその哲学が生み出されてきたのか、正直なところ、それほど関心がなかった。
そんなわたしだが、本書『荘子 古代中国の実存主義』を読んでいくと、そんな「自由」をめぐる荘子の哲学的考察がなぜ生まれてきたのか、いかに生まれてきたか、臨場感をもって体感できるような気がしてくるのだ。
「目次」に使用されているフレーズを見たら、ある程度まで実感できるのではないと思う。
序説第1章 痛ましいかな現実 ― 荘子の生いたちとその時代第2章 危ういかな人間 ― 荘子の人間理解第3章 惑える人々 ― 朝三暮四の世界第4章 真実性の世界 ―「道」の哲学第5章 自由なる人間 ―「真人」「至人」「神人」あとがき 『荘子』篇名/荘子時代略年表/参考文献
前4世紀の「春秋戦国」という過酷な時代を生き抜いた荘子自身の体験と人間観察から生み出されてきた哲学的考察は、が、『荘子』としてまとめられた中国哲学の古典として伝わってきた。 荘子は屈原や孟子、アリストテレスの同時代人である。
2020年代の現在では、かつてほどの人気はない「実存主義」(Existentialism)だが、人間について哲学する際に「実存」(existence)という概念は避けて通ることのできないものだ。 著者は25ページにわたる長い長い「序説」でキルケゴールやハイデガー、サルトルなどの名前を出しているものの、荘子の哲学が実存主義だと言っているわけではない。
だが、この本を最初から最後まで順を追って読んだあと、ふたたび「序説」に立ち返ってじっくり読み直してみると、荘子を実存哲学として捉えることは、あながち間違ってはいないと実感される。
ありのままの現実、矛盾に充ち満ちた混沌とした現実を見つめつづけた荘子の人生と思考は、「自由」の本質とはなにか、「何ものにもとらわれないのが自由」であるという、その東洋哲学的な解答への手引きとなる。
1918年(大正7年)生まれの著者は、京大文学部の支那哲学科を卒業したのち徴兵され、過酷な中国戦線を転戦している。陸軍中尉として敗戦を迎えた著者は、国民党による現地抑留も体験している。著者は、「死を前にした人間」として、戦地で『荘子』を読み込んで苦境を乗り越えてきたのだという。
本書は、著者自身の実存と密接にかかわる内容であり、『荘子』を「体読」してきた著者が語る荘子は、概説書の域を超えて読む人に迫るものがあるのはそのためだ。著者が荘子になりかわって、荘子自身が語っているのかのような気がしてくる。
あらためて言うが、こんなこんなスゴイ本は滅多にあるものではない。知識を得るための本ではない。人間の「自由」の本質について考える哲学書なのである。
60年以上も前に出版された本なのに、いまのいままで存在すら知らなかった。だが、いまこの時期にこの本に出会えたことは幸いであった。
機械そのものというべきAIが支配的になり、国際情勢もふたたび厳しい時代に向かっている現在、人間とその自由について深い考察を行った本書のもつ意義は、再浮上してきているのではないだろうか。
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著者プロフィール福永光司(ふくなが・みつじ)日本の中国学者・中国思想史研究者。京都大学名誉教授。老荘思想・道教研究の第一人者として知られる。『荘子』の邦訳で一般には知られている。また、道教と日本古代史との関わりについても研究し、道教がその構成要素のひとつである中国南部の「船の文化」の影響圏に注目することを提唱した。1918年、大分県生中津に生まれる。1942年、 京都帝国大学文学部哲学科を卒業。その後、陸軍に入隊し中国大陸に出征。1944年に陸軍砲兵少尉、1945年に陸軍砲兵中尉。 敗戦を中国で迎え現地で抑留。1947年1月に広東省から復員し、戦争末期の過酷な体験の中で老荘哲学に精神的救いを見出し、老子と荘子の研究に没頭。 京都大学人文科学研究所教授、同研究所長、関西大学教授、北九州大学教授などを歴任。老荘思想と道教関連の著書多数。2001年、 逝去(満83歳没)。(*AIによる要約を参照して加筆修正)。
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・・ハイデガーの「世界内存在」は、岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea)の一節である "the art of being in the world" (処世術)からの剽窃であると、哲学者の今道友信が告発している。「処世」は『荘子』に由来するもので、岡倉天心は老荘思想に深く傾倒、また中国南部の文明に注目していた
・・六角堂は、仏教と道教思想にもとづく岡倉天心の瞑想ルーム
・・ともに老荘思想に深く傾倒していた京都出身の科学者2人による対談。湯川秀樹は少年時代から老荘、とくに荘子に深くなじんでいた京都人。京大は東洋学の中心地、なかでも老荘思想とはなじみが深いようだ
・・バレエと合気道、そして太極拳をマスターしていた「西野式呼吸法」の創設者である西野皓三氏は、「真人は踵(かかと)で呼吸する」という荘子のフレーズの意味を深いレベルで体得していた
・・東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業生の会を「如水会」と命名したのは渋沢栄一。「如水」は、「君子の交はりは、淡きこと水の如し。小人の交はりは、甘きこと醴(あまざけ)の如し」 (君子之交淡如水 小人之交甘若醴)からきたもので、出典は『荘子 外篇』(山木篇第二十)である。
・・インド発で中央アジアから入ってきた外来宗教としての仏教は、中国で道教と接触することで300年かけて中国化し、とくに浄土教と禅仏教として確立した
・・井筒俊彦には『Sufism and Taoism』と題した、イスラーム神秘主義と老荘思想(タオイズム)を詳細に分析した比較哲学の書がある。
・・「一般人が当たり前だと見なして考えもしないことを、驚きの目でもって凝視し、考え抜くのが「哲学者」という存在であり、「哲学」という知の営みだ。(・・・中略・・・)20世紀後半に「ヒューマニズム」(=人間中心主義)という「近代」の行き詰まりが誰の目にも明らかになって以降、かつて隆盛を誇った19世紀以降の哲学者たちの言説が、あまりにも無意味なものに感じられる状況が続いている。それを超えようとしてきた現代思想も、私には同様に映る。そんな状況において、根源(アルケー)にさかのぼってギリシア哲学を再読する意味は大きい。それは非理性の領域に足を踏み込み、心身両面にわたる霊性修行を行い、常識を否定する思考をおこなうことを意味している。」
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