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2009年6月29日月曜日

ミャンマー再遊記(7)-新首都ネーピードーと中央縦貫高速道路建設





ネーピード訪問こそ、今回のミッションでひそかに私がもっとも期待していたことであった。

 決して「閉鎖都市」ではないのだが、一般のミャンマー人や外国人観光客は立ち入ることができない。政府の役人と、外交官や特定の訪問目的をもったビジネス関係者しか原則入ることができない。だから、『地球の歩き方』にはネーピードーの紹介記事はない。

 ミッション参加メンバーはネーピード入りはミッションの後半でくたびれが出だした頃でもあり、特にあまり関心はないようだったが、ミャンマー再訪の私にとっては、この12年間で最大の変化が首都移転であったこともあり、実は最大の関心事だったのだ。

 2003年に首都が突然ピインマナに移転というニュースを知ってからしばらく、今度はいきなり名称がネーピードーになり・・・断片的にしか入ってこない情報は、なにやら秘密めいた匂いさえかもし出してしていた。


 人工都市といえば、2008年のリーマンショックという世界金融危機までは、もっぱら中近東のドバイが話題となっていたが、ネーピードーも人工都市であることには変わりはない。しかしながら、ファンタジー性にはまったく欠ける。
 
 実際に体験したネーピードーは、日本でいえばできた頃のつくば学園都市、幕張新都心のような、人間の気配のあまりない、無味乾燥な人工都市であった。

 こういう印象をもったのは、とにかく道路インフラだけは三車線以上もある立派なものなのだが、すれ違うクルマもたまにしかなく、暑いということもあるが人間もあまり見かけなかったからだ。

 まったくのゼロから森林を切り開いて開発されたネーピードーは、削り取られたラテライトの赤茶けた大地が痛々しい印象を受ける。これは以前マレーシアを上空からみたときの印象と同じである。

 首都機能が定着し、定住する人間も増えてくれば、都市として成熟もしてくるのだろうが、現状ではまだまだ「普請中」といった風情である。ただし、一般人の居住地域とは完全に分離されており、ネーピードー市内にあるショッピングセンター、レストランは都市内居住者や来訪者のみが対象となっている。また外国人が宿泊できるホテルはバンガロータイプのリゾートホテルだが、これ一つしかない。

 理由はわからないが道路標識がほとんどなく、またミャンマーが英国の植民地であった名残だろう、全般的に信号機を使わずロータリーで交通整理を行うことが多いのだが、そのロータリーもまたネーピードーでは建設中のものが多々あった。
 現在のところ、中継局がないので携帯電話の通話もできない、ということである。まあ20年前は世界中どこでもそうだったわけであるが。


 移転先の新首都が人工都市であるということにかんしては、ブラジルのブラジリアという例もあるし、政治的な首都と経済的な首都が別々になっているケースは米国のワシントンとニューヨークのような例もある。、古代日本では平城京から長岡京、平安京と、そのつど人工都市に移転したという例もある。

 直近では東京から那須に首都移転(?)なんて話もあったが、首都移転議論はいつの間にか立ち消えになっている。 

 ミャンマーの場合はいきなりの抜き打ち的決定だったようだから、不動産価格高騰などの副作用は発生しなかったであろう。このことは幸いであったといえようか。


 もちろん、移転理由が憶測で語られるだけで明確な説明はなく、意思決定プロセスも不透明であったことは、外国人投資家にはやや不安を抱かせないとはいえない。いついかなる形で法律が変わり、また運用が変わるのではないか、という不安の象徴的存在でもあるからだ。

 もちろんヤンゴン自体が植民地支配者である英国が建設したラングーンであり、それ以前の都はマンダレーであった。

 ヤンゴンとマンダレーのちょうどほぼ中間地点に立地するネーピードーは国土開発という観点からは、同時に建設が進む中央縦貫高速道路とあいまって、10年先、20年先を考えれば決して無意味なインフラ投資ではない。建設開始から6年たったいま、もはや後戻りすることはないだろう、という印象をもった。


 ネーピードーでは、国家経済計画省との3時間のディスカションに臨んだ。局長は女性で、タイと同様、かなりのポジションに有能な女性がいることは印象的だった。プレゼンとそれに対する質疑応答が行われたが、内容は省略する。


 聞くところによると、役人の多くは家族をヤンゴンに残しての単身赴任であり、毎週ヤンゴンとネーピードーを往復している者が少なからずいるという。実際にわれわれも日本製中古バスでネーピードから高速道路を利用してヤンゴンまで戻ったのだが、片道6時間近くかけて毎週ヤンゴンと行き来するのは、正直ってくたびれてしまう。ミャンマー政府の役人はお気の毒・・・京都と東京なら新幹線で2時間強だから大したことはないのだが。

 これだけが原因ではないとはいえ、現在でも会社設立の許認可に最低半年もかかっているとある人から聞いた。あまりにも悠長すぎるのではないか? そもそもの非効率のなせるわざだろうが、役人の処理能力にも問題があるのではないか、という気もしなくはない。

 予定通り2010年に総選挙が実施され、想定されているような米国の主導による「投資ブーム」が起きたとしたら、役所の事務処理能力は簡単にパンクしてしまうだろう。おそらく資源開発などの大型案件は優先されても、中堅中小企業による直接投資案件は、かなり強力なコネクションがない限り、間違いなく後回しにされるのではないか?

 東南アジア各国ににある投資誘致機関、たとえばシンガポールのEDB(Economic Development Board)、タイのBOI(Board of Investment)のような、超優秀な経済官僚を集めた特別な組織がミャンマーにも必要だろう。
 ミャンマーにもMIC(Myanmar Investment Commission)があるらしいが、中身については接触していないので私にはわからない。


 現在のところ、高速道路はヤンゴンとネーピードーの間が新規に建設されている(写真参照)。今後、ネーピードとマンダレーがつながることになるという。

 ネーピードーとヤンゴン間の高速道路についてリポートしておこう。もちろん新首都への移転が始まるまで高速道路は存在しなかった。12年前はヤンゴンに戻る際にひどい交通渋滞に巻き込まれた記憶がある。

 新しく建設された高速道路は片道二車線で、舗装はアスファルトではなくすべてコンクリートである。建設時間もコストもかかっているはずだ。

 ただ問題は、ミャンマーを走る大半の自動車は日本の中古車で、時速制限いっぱいどころか、せいぜい時速70~80kmがいいところである。われわれの日本製中古観光バスを一台のベンツが追い抜いていったが、金持ちや高級官僚(?)には高速道路の使い勝手はかなりよかろう。
 また、なんせ途中の休憩所が現在のところ一か所しかないので給油もできないし、エンジントラブルでも起こしたらまったくのお手上げだ。現時点では高速道路を利用するクルマも非常に少ない。

 
 しかしすでに書いたように、道路インフラが整備されれば、たとえ経済発展が10年後になったとしても、20年後に遅れたとしても、発展の基礎ができたことにはなる。国家百年の計といっては言い過ぎかもしれないが、決して援助資金や国家財政の無駄遣いとは言い切れない。

 だれが援助したとしても(・・それが中国だろうが、日本だろうが)、道路は公共財であるから、援助国が受益者という考えはなじまない。


 むしろ問題はインフラというハード面ではなく、経済運営というソフト面にあるのではないだろうか? おそらくミャンマー投資の問題点は、発展途上国における「開発独裁」にとって不可欠な要素である経済テクノクラートが不足していることではないか、と考えられる。

 これは、韓国、台湾、インドネシア、タイ、マレーシアなどとは根本的に異なる弱点である。2006年クーデター後のタイでも露呈したように、一般的に軍人は経済というものを理論的にも現場感覚としても理解しておらず、ましてや複雑なグローバル資本主義のなかでいかに国を発展させていくかという課題に対応できるプレイヤーではない。

 経済テクノクラートに権限委譲して国民の経済生活を向上させる、そういった経済計画策定と実行を、2010年の総選挙に向けて目指してほしいものだ。


ミャンマー再遊記(8)に続く


PS 読みやすくするために改行を増やした。内容にはいっさい手は加えていない。(2015年10月4日)



<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

東南アジアでも普及している「ラウンドアバウト交差点」は、ぜひ日本にも導入すべきだ!
・・新首都ネーピードのラウンドアバウト交差点についても写真入りで紹介

(2015年10月4日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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