(明治神宮 「第一鳥居」。昨年2022年に立て替えたばかり)
明治神宮から東郷神社、そして乃木神社まで歩いた。「近代」になってから創建された「明治人」たちを祀った神社を訪ね歩いたことになる。
明治神宮の創建は、1920年(大正9年)11月。乃木神社の創建は、1923年(大正12年)、東郷神社の創建は、だいぶ後れて1940年(昭和15年)。それぞれ明治天皇ご夫妻、乃木大将ご夫妻、そして東郷神社は東郷元帥を祀っている。
日露戦争という国難を乗り切った明治大帝とその臣下たち。まさに「皇国の興廃」がかっていたのだ。
■明治神宮と乃木神社は創建100年。東郷神社は比較的あたらしい
明治神宮は、ことし2023年のの2月に参詣したばかりだ。はたして何度目かの参詣か記憶にさだかではない。さすがに100回ということはないが、どんなに低く見積もっても10回以上は行っているはずだ。
外国人観光客がじつに多い。はたしてそのうちのどれだけの人たちが、明治大帝の偉業を知っているのか?「人が神になる」という日本人の信仰を知っているのか?
そう思ったわたしは、賽銭箱の前に立って二礼し、柏手の音を高らかと響かせて一礼、これ見よがしに「日本人ここにあり」と示すのである。コトバではなくカタチで、つまり態度でもって、日本人は外国人観光客に手本を示さなくてはならない。
明治神宮を参詣した後は、ひさびさに太田記念美術館を訪れた。美術展を見るためである。
そのあと東郷神社へと向かう。細い路地をたどりながら、若者のあふれる原宿を通り抜ける。クレープ屋が立ち並ぶにぎやかさとは真逆の、静かで落ち着いた神域が印象的だ。
(東郷神社 裏門)
神社に奉納された多数の「必勝祈願」ののぼり旗が目に焼き付く。なんといっても「Z旗」のカラリングは目立つ。「皇国の興廃この一戦にあり」の「Z旗」。そう、日本海海戦を完勝に導いたのが東郷元帥なのだ。
東郷神社は、今回の参詣を含めて最低3回は行っている。そのうち1回は、かつての勤務先の部下の結婚式であった。東郷會舘である。正門の鳥居をくぐることなく、原宿方面の裏門から入ったのは、今回がはじめてのことだ。
(東郷神社の「勝守」)
東郷神社では「勝守」(かちまもり)を購入。「Z旗」が縫い込まれたお守りは、効験あらたかな感じがあるではないか!
なんといっても、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた東郷元帥である。これほど「必勝」にふさわしいものはなかなかない。「近代の八幡宮」というべきか。東郷元帥は「武神」となったのである。
社務所に展示されている額には、「トラファルガーの海戦」のネルソン提督と、日本海海戦の東郷元帥が並べて賞賛されている賞状があった。英国から贈られたものという。
トラファルガーの海戦は1805年、日本海海戦は1905年。奇しくも100年の時を挟んだ偉業である。「東洋のネルソン」(Nelson of The East)という異名もむべなるかな。
エジプト出身のブトロス・ガリ事務総長は、生前に日本を訪れた際には、かならず東郷神社に参詣したという。社務所にはガラスケースのなかにその展示品もあった。トルコだけでなくエジプトでも、強国ロシアを破った日本の英雄は、多くの人びとに勇気を与えたのである。
(明治神宮から東郷神社、乃木神社まで)
東郷神社から乃木神社までは、Google Map によれば、だいたい35分くらいのようだ。とはいえ、梅雨の中日の真夏日の炎天下を歩くのは、正直いって心地よいものではない。当日の東京都心は31℃まで上昇したという。だが、どんな夏日でも緑陰は気持ちよい。
Google Map が推奨する最短ルートは、途中で青山霊園を通り抜けることになる。青山霊園も近くには何度も行っているが、霊園のなかに入るのは久々だ。お墓が並ぶ向こう側に高層ビル群が見えるのも、なんだか不思議な風景である。
(青山霊園の「乃木将軍墓道」の石標)
青山霊園に乃木大将の墓地があることは今回はじめて知った。なるほど、乃木神社は青山からも近いわけだな。乃木将軍墓道の石標にしたがって歩く。
(乃木将軍墓所)
もちろん、乃木大将の墓を詣でる。墓は子息のものを含めた小墓地といったおもむきであった。
(正面からみた「旧乃木邸」)
霊園を通り抜けてしばらく歩くと、まずは通りに面して「旧乃木邸」があることを知る。訪問は今回がはじめて。google mapに従った結果たどりついたわけである。
旧乃木邸は内部には入れないが、外から見学することはできる。回廊づたいに歩いて行くと、それぞれ乃木大将と夫人が自刃した部屋の前を通ることになる。
旧乃木邸から下っていくと乃木神社に。またまた正門からではなく裏門から入ることになった。神社の境内は、思ったよりも狭い。比較的こじんまりとした神社だった。
(乃木神社の境内)
じつは乃木神社は今回はじめてであることに、訪れてみてから気がついた。行ったつもりでいたのだが、まったくの初めての参詣だったのだ。
この事実には、少なからぬ驚きを感じている。それほど、乃木大将の存在は、わたしにとって、いや日本人の多くにとって、その好悪や是非は別にして、現在にいたるまできわめて大きな存在なのだろう。だから、なんとなく行ったことがあるような、ニセの記憶が作られていたのだ。漱石の『こころ』の影響も大きいと思う。
(「乃木神社御鎮座百年」と記されたのぼり旗)
冒頭にも記したように、乃木神社は今年令和5年が創建100年なのだそうだ。明治神宮はすでに3年前に創建100年を迎えている。明治天皇の崩御に際して「殉死」した乃木大将夫妻。神社の創建の日が近いのはそのためでもあり、たとえ場所は離れていても、この主従関係はきっても切れない関係にあるのだろう。
宝物館を訪れ、乃木大将関連の遺品の数々を拝観。入場無料である。
創建から100年を迎えた乃木神社の境内は、すでに神さびた雰囲気さえ醸し出している。こうして神社というものは、あたかもはるか昔から存在していたかのように受け取られていくのだろう。
(乃木神社の隣は乃木坂駅)
これに対して、東郷神社の創建は、88歳の天寿を全うした東郷元帥の死後のことだから、歴史は思ったほど長くない。海軍ということもあって、東郷元帥は乃木大将よりも、より合理主義精神の持ち主のような印象を受ける。もちろん、敬神の念の強い人ではあった。
東郷神社と同様に乃木神社でも、結婚式場だけでなく「勝守」が販売されている。
だが、日本海海戦で完勝した東郷元帥とくらべると、最終的に戦略的要地である「203高地」を落としたとはいえ、多大な犠牲者をだした乃木大将が、たいへん失礼ながらやや見劣りすることは否定できない。本人も死ぬまで自責の念を持ち続けている。
だから、乃木神社の「勝守」はあえて購入はしなかった。
■「創建100年」といっても、日本の歴史においては古いようで新しい
その後、急坂を登って10分ほどにある「赤坂氷川神社」を参詣。氷川神社は大宮にある武蔵国一宮として有名。素戔嗚尊(スサノヲ)を祀る出雲系である。
赤坂の氷川神社の創建は江戸時代。江戸時代中期の将軍吉宗の時代にこの地に遷御されたとのこと。やはり近代以降に創建された神社とはテイストがずいぶん異なる。いやがおうでも、そう感じないかんじないわけにはいかない。
(赤坂氷川神社の「茅の輪くぐり」 さすが古社ならでは)
いまの季節は「茅(かや)の輪くぐり」。さすが古社の氷川神社ならではだ。明治時代に創建された「近代の神社」とは、そこが違うのである。近世日本の民俗に即した年中行事にもとづいているのである。
明治神宮と乃木神社の創建100年という月日は、日本の歴史においては長いようで短いのである。
とはいえ、これから100年、200年とたっていくと、「近代」に創建された神社はどういう受け取り方をされることになるのだろうか?
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