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2009年12月28日月曜日

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) 



    
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」については、私はやや否定的なニュアンスで書いてきたが、これは歴史的な文脈を考えて視聴するべきであると考えるからである。
 ドラマ自体はよく出来ている、と評価したい。私も楽しみながら第一部は全部見てしまった。

 何はともあれ、昨日(12月28日)の放送で第一部が終了、第二部は2010年末、第三部は2011年末とたいへん気の長い話である。
 これだけ長期にわたるTVドラマ作成というプロジェクトは、製作する側からみてもたいへんなことだろう。何よりも、主役を演じる俳優たちが、きちんと自己管理してもらわないと、大きく支障を来すからだ。
 とくに前半の主役三人、すなわち秋山好古秋山真之の秋山兄弟と同郷の正岡子規。それから後半は、秋山兄弟に加えて広瀬武夫、である。
 第一部ではまだ正岡子規は、結核からきた脊椎カリエスに苦しみながらも、まだ養生を続けており死去するには至っていない。撮影はそのうち終わるから、正岡子規役の香川照之はじきに解放されこととなろう。
 広瀬武夫も日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死して「軍神」となって途中で消える。秋山兄弟は最後まで残ることになる。

 そうそう思い出したが、司馬遼太郎の問題はもう一つある。秋山真之についてである。
 「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」の信号とともにZ旗(写真参照)を掲げ、東郷平八郎率いる日本艦隊がパーフェクトゲームとなった日本海海戦を立案した秋山真之参謀は、ビジネスマンから見れば、三国志の諸葛孔明以来の天才参謀といわねばならないのだが、彼は日露戦争後、精神に異常を来したという事実にいっさい触れていないことである。
 日本という「小さな国」がその存亡をかけて戦った日露戦争は、まさに死力をかけて死にもの狂いで戦った戦争である。1948年の建国以来、四面楚歌の状態にあるイスラエルにも比すべき状況であったのだ。いつ国が滅びて植民地化されるかわからない状況であった。
 だから、原作の末尾、故郷松山に戻って中学校校長として生涯を送った、最晩年の秋山好古が死の床で、ロシア軍の最強コサック騎馬軍団との死闘がフラッシュバックとして甦り、うなされていたというのも大いに頷ける話である。司馬遼太郎はこれについては多く語っている。
 しかしながら秋山真之の晩年については多く語ることをしていない。これが残念なのである。小説の構成上仕方がないといえばそれまでなのだが。
 人生の暗い面からひたすら目を背け続けた「国民作家」司馬遼太郎、彼を国民作家といい、「司馬史観」などともてはやしていては、日本人は進化しないだろう。


 さて、本題は司馬遼太郎ではない。比較文学者・島田謹二による秋山真之(1868-1918)の伝記と広瀬武夫(1868-1904)の伝記である。私としては、便乗本である各種の粗製濫造の解説本よりも、島田謹二の伝記2本を腰を据えて読んで欲しいと思うのである。
 それぞれのタイトルは、『アメリカにおける秋山真之 上下』(朝日選書、1975)、『ロシヤにおける広瀬武夫 上下』(朝日選書、1976)である。
 いずれも、文学研究者による比較文学の研究書であり、原資料をして語らしめるという手法を使っているので、正直いって読みやすい本ではない。 明治の漢文体による書簡は極めて読みにくい。しかし明治の、本当の意味で国の命運を背負っていたエリート軍人たちの肉声を聞くことができる意味では貴重である。

 秋山真之の伝記は文庫化もされたようなので、気軽に手にとって読めるようになったことは喜ばしい。もし根気があれば、司馬遼太郎の原作と読み比べてみるのもよいだろう。
 秋山真之が戦艦三笠から発した艦隊出撃報告電報「本日天気晴朗ナレド波タカシ」は後世に残る名言となった。これほど簡潔に表現した文章力は、島田謹二ならずとも、文学作品といわねばなるまい。

 広瀬武夫の伝記の「武骨天使伝」という副題が泣かせる。もうかなり昔のことだが、たまたまNHKのラジオ・ドラマで、異色の画家としても知られる、俳優の米倉斉加年(よねくら・としかね)の語りによるドラマであった。このドラマで広瀬武夫のことを知ったのである。
 ロシアの貴族令嬢との恋、しかし軍人の広瀬は旅順項封鎖戦で戦死・・・というメロドラマ調のものだったが、これがきっかけで島田謹二の分厚い伝記文学を読むキッカケとなった。

 島田謹二による、明治の海軍軍人二人の伝記は、発展途上国あるいは後進国においては、軍事官僚が数少ない知的エリートなのである(!)ということを教えてくれた本である。
 初版が出版された当時はもとより、朝日選書から廉価版がでた1970年代当時は、非現実的な「非武装中立論」などという妄論が幅をきかせていた時代であり、そんな時代に出版された、あえて軍人を称揚した伝記は、毀誉褒貶相半ばであったときく。
 以来40年近くを経て、日本もずいぶんマシになったといえるだろう。しかしながら、いまだに「平和主義」を主張して、連立政権内で妄論を吐いている女性弁護士もおり、リアリズムからまた距離が遠くなった現在の日本国ではあるが。

 明治の日本は後進国であり、発展途上国であった、という事実、この事実を知ったうえで、現在の発展途上国を見つめれば、いたずらに米国や欧州のような居丈高な態度はとれないはずだ。
 東南アジアの軍事政権による開発独裁も、そういった眼で見ることも必要であろう。国家草創期の人的資源には数量的に限界があるためだ。現在では中進国の韓国も同様のプロセスをたどっている。

 しかし、何度も繰り返すが現在の日本は先進国である。貧富の格差が拡大しようが、発展途上国における貧富の格差とは性格を異にする。
 長期スパンでみたGDPの推移のグラフなどをみてみればよい。たとえば、ネット上にはこんなものがある。
 日露戦争当時(1904年)の日本とは、まるで別の国といってよいだろう。

 今後間違いなく、日本は下降局面、すなわち「下り坂」になるが、そうはいっても緩やかな下り坂であるはずだ。
 もちろんGDPや、一人あたりGDPでは個人個人の実感とは違うことはあるだろう。これらの数値はあくまでも平均値であり、格差拡大により大幅に所得が減少している人も少なからずいるからだ。
 資本主義を選択し、上り坂にあった明治時代もまた、格差が拡大した時期である。明治後期から大正時代にかけて労働運動が激化したことを想起しなければならない。明治末期の大逆事件という冤罪、治安維持法のもとにおける、特高による社会主義者拷問などなど。
 こんなことを考えれば、言論の自由の保障された戦後日本は天国のような世界ではないか。戦前に比べたら、はるかにマシな状態であると思わねばならない。

 「下り坂」をうまく下るスキル、これは真剣に考えなければならない国家的プロジェクトではないか。もちろん個々人が取り組むべき課題ではある。
 「上り坂」は息が切れれるが怪我をすることは普通はない。しかし「下り坂」は全身で注意しなければ本当に危険である。いかに安全に下っていくか、これこそ先進国日本の大きな課題であり、チャレンジすべき目標である。
 「昇龍」は中国にまかせておけばよい。しかしその中国も天下をとれるのはたかだか30年、いや20年もないかもしれない。驕れる者も久しからず。これは中国も例外ではないであろう。

 これからの世の中、日本人は決して右顧左眄(うこさべん)することなく、気概をもって我が道を行け! これこそ幕末の志士や、明治の先人たちから受け取るメッセージではないか!?
 ドラマでも一部みられたが、秋山好古も秋山真之も広瀬武夫も、現在の観点からみたら間違いなく奇人変人の類といってもいいすぎではない。彼らはその当時にあっても奇行で知られていたようだ。

 「百万人といえど、我ひとりゆかん」の気概で生きていきたいものである。


P.S.
 ところで、この投稿をもってマイ・ブログ「つれづれ なるままに」への投稿はは201本目となった。
 何事であれ「継続は力なり」と実感している。
 次は300本を目指して書き続けていこう。ネタが尽きることはない。

      
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書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)・・「発展途上国」であった明治日本






(2012年7月3日発売の拙著です)








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