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2023年8月25日金曜日

書評『古典と日本人 ー 「古典的公共圏」の栄光と没落』(前田雅之、光文社新書、2022)-「公共圏」の消滅した現在をあえて直視したうえで、あえて提言を行う姿勢に敬意を表したい

 

しばらく前のことになるが、『古典と日本人 ー 「古典的公共圏」の栄光と没落』(前田雅之、光文社新書、2022)という本を読んだ。高校時代に古文好きであったマイナーな人間として、気になるタイトルだったからだ。

内容としては、かつて日本の古典が「常識」としての「教養」であり、「共通言語」として機能していた「公共圏」が消滅の道をたどることになった、明治時代以降の「近代」をあえて直視し、にもかかわらず古典を学ぶことに意義のあることを主張している。

高校時代に古文好きで、はまっていた「マイナーな人間」としては、大いにその論旨に賛同するものである。

古典は日本語人にとっての「共有財産」として意識し、「常識」として身につけることが必要なのだ。

とはいえ、著者のいう「公共圏」について、ややクリティカルに見ていくことにする。なぜなら、2020年代の現在、「公共圏」を復活することなど不可能であるからだ。

「公共圏」は、あくまでも歴史的な存在であり、それじたいが発展と衰退のライフサイクルを備えた現象であったと見るべきではないか。

おそらく「古典的」という形容詞が誤解を招いている。「古典」を中核にした「公共圏」といったほうが実態に近いように思う。


■「公共圏」は排他的な存在であったのではないか?

「公共圏」への参加資格は、いわゆる「古典」にかんする「教養」とその駆使である。

いわゆる「四大古典」である。具体的には、『古今集(古今和歌集)』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』の4つだ。最後の『和漢朗詠集』を除いたら、現在でもなんらかの形でその一端に触れることはあろう。

だが、その本質において「公共圏」とは、きわめて排他的な存在であったことに注意喚起すべきではないか? というのは、参加資格のハードルが高かったからだ。

まずは文字が読めることは言うまでもないが、すくなくとも「四大古典」はアタマのなかに完全に入っていること、記憶しているだけでなく、しかるべきときに適切に応用を効かせること。これは、なかなかできることではない。それなりの修練を積むには時間的余裕が必要であり、金銭的余裕がないと時間をつくることができない。  

公家文化であった「公共圏」は、その後「武家」の台頭によって、「公武」の「公共圏」となる公家と武家の交差するのが「古典」だったのである。

これは日本特有の状況かもしれない。「封建制」の歴史を共有する日本と西欧だが、騎士階層が本などまったく読まず、無教養であったヨーロッパ中世にはありえないことだからだ。この点は強調しておいたほがよい。

公家と武家の交差するのが「古典」だったわけだが、その代表ともいうべき存在が戦国武将の細川幽斎であり、時代ははるか下るが18世紀末に老中を務めた松平定信であった。

細川幽斎が、関ヶ原の戦いの際、丹後田辺城に籠城した際のエピソードは有名だ。(・・その田辺とは、現在の京都府舞鶴市のことである。舞鶴生まれのわたしとしては触れてほしかったところだが・・)

幽斎は、二条流の歌道伝承者であった公家の三条西実枝から「古今伝授」(こきんでんじゅ)を受けている。

「古今伝授」とは、『古今集』の解釈を「秘伝」として伝授するもので、伝授された者が死ぬと解釈はもろともに消滅してしまう。それを恐れた後陽成天皇が勅使を田辺城に派遣し、幽斎の命を救ったのであった。

著者は言及していないが、「応仁の乱以降の戦国時代で日本社会は完全に変容した」という議論がある。中国史の泰斗であった内藤湖南が提唱したものだ。「公共圏」の変容についても論じるべきだろう。

「公共圏」の存在によって、公家は武家に対する文化面における優位性を失うことなく、政治においては武家中心でありながら「公武が両立」することを可能としたのである。

これが、前近代の日本社会の支配層、つまり特権階層を支えた「仕組み」のひとつであった。


■「公共圏」はいずれ消滅する運命だったのではないか?

18世紀半ば以降、とくに19世紀前半になってからは、「国学」の発展と一般社会への普及をつうじて参入障壁が下がり、日本の古典を前提にした「公共圏」が拡大していった。あるいは「拡散」して「希薄化」していったというべきかもしれない。

裏返しにしていえば、文字の普及によって識字率が上がり、「公共圏」の敷居が大幅に下がったのである。

「公共圏」は、西欧文明を全面的に導入した明治政府によって断ち切られたわけだが、わたしはいずれ消滅に向かったであろうと考える。なぜなら、誰もが参入できるような「公共圏」は、もはや排他的な存在ではなくなるので、特権意識を持ちようもないからだ。

論を進めるにあたって、著者は「近代」を「西欧近代」とほぼイコールの存在としているが、内発的な「近代」はすでに18世紀半ば、遅くとも19世紀初頭から始まっていると、わたしは考えている。

「公共圏」を大いに推進した松平定信。「第5章 公共圏の繁栄」を体現する政治指導者として取り上げられているが、定信は国学に精通していた田安宗武(=徳川宗武)の息子であり、かれ自身もとりわけ『源氏物語』を好んでいた

当時の上級武士の教養となっていた漢詩よりも、和歌のほうが得意だったらしい。子孫に残した回想録『宇下人言』(うげのひとこと)も漢文ではなく、擬古文で書いている。

そんな定信が、意図してかどうかは別にして、日本の「近代化」を促進する役割を演じていたのである。「寛政の改革」において官学化した朱子学は、日本の古典よりも儒学を強調し、漢文と漢詩(=詩吟)が「教養」として「近代化」を促進する基盤となったのである。

漢学の基礎があってこそ、漢字語とし新規の造語が活発に行われ、西欧文明の導入がスムーズに遂行されたのである。漢学振興もまた過渡期の現象であり、明治時代中期以降には漢学は衰退して現在にいたっている。

そう考えると、「公共圏」が消滅していったのは、外的な要因だけではなく、それ自身に内在する要因もあったというべきではないだろうか。


■「公共圏」が消滅したとしても古典を学ぶべき

以上、ややクリティカルに見てきたが、現実を直視した著者の姿勢には敬意を表するものである。

また、提言としての「百人一首の小学校からの暗唱」はたいへんよいことだ。


たしかにこれはそれ以降の人生において、わたしにとって「教養」そのものとなっている。現在でも、すべてとはいわないが、上の句だけでも、下の句だけでも、思い出すことができる。

暗唱は学問の基礎である。暗唱しておけば活用が可能になる。これは語学に限らず、学問の基礎というべきだ。声を大にしていっておく。


司馬遼太郎を一刀両断する姿勢もよい。司馬遼太郎は古典とその意味がまったくわかっていないという批判だ。その批判は説得力がある。今後、司馬遼太郎作品を読む際には、この点を踏まえるべきだろう。

ただし、蓮田善明が取り上げられているが、その弟子であった三島由紀夫について言及がなかったのは、ちょっと不思議な感じがした。

古典にたいする態度は、司馬遼太郎と三島由紀夫では正反対だからでもある。




目 次 
序章 古典を学ぶことに価値や意味はあるのか 
第1章 古典意識の成立 ― 古典なるものと藤原俊成の戦略 
第2章 古典的公共圏への先駆 ― 古典と注釈 
第3章 古典的公共圏の確立 ― 身だしなみとしての和歌・古典
第4章 古典的公共圏の展開 ― 戦乱においてますます躍動する和歌・古典
第5章 古典的公共圏の繁栄 ― 古典の王国だった近世日本
第6章 古典の末路 ― 古典を見捨てた近代
終章 古典の活路 ― それでも古典を学ぶことには意義がある
おわりに
読んでおきたい古典(現代語訳・注釈書)10選

著者プロフィール
前田雅之(まえだ・まさゆき)
1954年、山口県生まれ。明星大学人文学部日本文化学科教授。早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。専門は古典学、中世文学、日本思想史。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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