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2023年8月26日土曜日

書評『近世日本社会と宋学(増補新装版)』(渡辺浩、東京大学出版会、2010 初版1985年)ー 政治思想史の観点から「外来思想としての儒学」の受容とその意味について考える

 

旧版をもっていたが読まないままに月日が流れ、そのうちに「増補新装版」が出版されていた。旧版が行方不明になっていることもあり、増補新装版で読むことにした次第。

この本は、 江戸時代(=徳川時代)を思想面から理解するための必読書といっていいだろう。すでに古典的名著といってよい。

読んでみてそう思ったのは、一般的な理解とは異なるように見えながら、ほんとうに重要なことが書かれているからだ。

この点にかんしては、歴史教育の怠慢こそ責めなくてはならないが、おそらく本書が研究書であり、正確を期すために採用されたタイトルに原因があるかもしれない。

「宋学」ってなに? そこでつまづいてしまうと、もうそれだけで敬して遠ざけてしてしまうのではないかな。


「宋学」とは、「朱子学」を中心とした儒学

「宋学」とは、「朱子学」を中心とした儒学のことである。「新儒学」ともいう13世紀中国の南宋時代に始まった動きを、朱熹(=朱子)が体系化した儒学のことだ。この段階にいたって、はじめて「四書五経」が正式に儒学の経典となった。

このようにとっつきにくいタイトルであるが、論旨はきわめて明解だ。しかも、きわめて
説得力がある。

「宋学」すなわち「朱子学」は、江戸時代において本格的に導入されることになったが、18世紀末まで正式に「官学化」されたことはなく、儒者はマイノリティ的な存在だった。なぜなら、徳川幕府は武家政権であったからだ。

論旨は明快で読みやすい。その論旨を立証するために、「封建」「士農工商」「華夷」「士」「仁政」「君臣」 「修己治人」「孝」「礼」といった朱子学の概念ごとに、個々の日本人儒者たちの言説が、これでもか、これでもかと引用され、読者にむかって提示される。引用をもって語らしめるというスタイルである。

ただし、引用文はそのままのかたちで掲載されており、残念なことに現代語訳がついていないので、その点はガマンして読む必要はある。だが、それだけの価値のある読書体験となることは間違いないだろう。


「外来思想としての宋学」の導入とその「日本化」

「外来思想としての儒学」は、近世以前は宮中の学問であった。4世紀から5世紀にかけて、王仁(わに)によって「千字文」と「論語」が伝えられたと伝承されているが、「統治者にとっての支配の学である儒学」が一般化されることはなかったのである。

「外来思想としての仏教」が鎌倉時代に日本化され、室町時代、そして戦国時代まで日本人の思想の中心をなしていたが、江戸時代に入ってからは儒学がそれにとって代わるようになる。

徳川幕府は、仏教を民衆支配のためのツールとしてつかった次第はよく知られているとおりだ。キリシタン禁教政策の観点から、宗門改帳と檀家制度の確立がなされたのは江戸時代前期のことである。

よく言われているように、学問好きの徳川家康が朱子学に注目したわけだが、なぜ朱子学だったかといえば、同時代の東アジアにおいては、朝鮮でも中国では「科挙」をつうじて朱子学の解釈が正統とされていたからだ。とくにこれといった理由はないようだ。

ところが、武家政権であり、官職は「家」による世襲によって行われた日本では、科挙が採用されることがなかった。したがって、朱子学の意味づけが朝鮮や中国とはまったく異なるのである。この状況は18世紀末の「寛政の改革」まで変わらない。

大学頭になった林羅山も、あくまでも家康の「お伽衆」のひとりという扱いだったというのは驚きだ。けっして特権的な地位が与えられていたわけではないのである。支配階層においてもそうだったのであり、民間の朱子学者の社会的な影響も限定されていたのである。

ただし、例外は五代将軍の綱吉であろう。儒学に入れ込んでいた綱吉については、ドイツ人のケンペルが礼賛しているとおりである。「生類憐れみの令」だけが綱吉ではない。

八代将軍の吉宗は、現代でいう「実学」に関心があって、儒学そのものはそれほど重視していたわけではない。とはいえ、荻生徂徠が吉宗の政策アドバイザーとなったのは、儒者としては異例の出世であった。同様の事例としては、先行する新井白石くらいだろうか。

はじめて儒学を日本化し、日本人にフィットしたものに読み替えたのが伊藤仁斎と東涯の親子である。

仁斎は『論語』を最大級に評価し、それが現在の日本での儒学評価につながっている。現代日本では『論語』だけが関心の対象である。「古学」を重視した仁斎の延長線上に、荻生徂徠の「徂徠学」がある。

徂徠以降は、狭義の日本儒学史の範囲を越えた思想展開となるので、本書での記述はそこで終わる。


■「徂徠学」の流行と衰退、朱子学の「官学化」は思想史の対象外

言語の解釈に出発点として強調した「徂徠学」は、ヨコ展開の応用によって本居宣長の「国学」を生み出し、また「蘭学」の発展を促進することになる。それぞれ日本の古語とオランダ語の徹底究明が学問の原動力となった。

朱子学が正式に官学化され、徂徠学が衰退していったのは、松平定信の時代の18世紀末以降のことだが、あくまでも制度化されたわけであって、朱子学の分野で思想的に面白い展開があったわけでない。陽明学は宋学の範囲を越えている。

本書では、寛政の改革による朱子学官学化については言及されていない。これは著者の専門である「政治思想史」ではなく、「教育社会史」において取り上げられるテーマである。

とはいえ、江戸時代の儒学を考えるにあたっては、思想史と教育社会史の両者をあわせた理解が必要なのではないかとわたしは考えている。

どうしても、思想史による記述を読んでいると、朱子学にかんする位置づけを誤解しかねないからだ。思想史の特性とその限界である。思想的な面白さと、社会的な影響は必ずしも比例しない。ところが、制度化された思想は社会的には大きな意味をもつ。

思想と制度の関係については、俯瞰的な視点での記述が必要だろう。そうでないと、幕末の状況を理解することはできなくなる。朱子学の理解があって、はじめて陽明学の意味がわかってくるからだ。






目 次 
宋学と近世日本社会 ー 徳川前期儒学史の一条件
はじめに
第1章 徳川前期における宋学の位置
 第1節 その「盛行」
 第2節 幕府との関係
第2章 宋学と近世日本社会
 第1節 形式の適用
  1 「封建」
  2 「士農工商」
  3 「華夷」
 第2節 「士」
  1 「仁政」
  2 「君臣」
  3 「修己治人」
 第3節 「家」
  1 「姓」
  2 「孝」
  3 「国家」
 第4節 「礼」
  1 「家礼」
  2 「王礼」
 第3章 儒学史の一解釈
補論1 伊藤仁斎・東涯 ー 宋学批判と「古義学」 
 1 はじめに
 2 批判の対象
 3 批判と主張
  1 「道」
  2 「人情」「風俗」
  3 「仁」
  4 「王道」
  5 「革命」
 4 主張の背景
増補にあたって
補論2 「礼」「御武威」「雅び」ー 徳川政権の儀礼と儒学 
 1 儒学の「礼」
 2 徳川将軍をめぐる儀礼と儀式
 3 新井白石の改革
 4 吉宗による逆転
 5 むすび
索引

著者プロフィール
渡辺浩(わたなべ・ひろし)
1946年、横浜生まれ。1969年東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。同助手、同助教授を経て、1983年より東京大学教授、同じ丸山眞男門下の松本三之介の後任として日本政治思想史講座を担当する。専門は日本政治思想史、アジア政治思想史。東京大学理事副学長、日本政治学会理事長などを経て、2010年、法政大学法学部教授。2017年定年、法政大学名誉教授。同年、日本学士院会員に選ばれる。東京大学名誉教授。 
著書は、『近世日本社会と宋学』(東京大学出版会、1985年) 『近世日本政治思想』(放送大学、1985年) 『東アジアの王権と思想』(東京大学出版会、1997年) 『日本政治思想史 十七~十九世紀』(東京大学出版会、2010年)がある。(Wikipedia記載の情報を編集)



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