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2025年11月1日土曜日

「旧乃木邸一般公開」にたまたま遭遇、はじめて内部を見学(2025年11月1日) ― 「見えないなにか」に導かれ、乃木大将夫妻が自刃された「厳粛な空間」をこの目で見る機会を得たのは感慨深い

 

ミッドタウンのサントリー美術館に行った帰りに乃木坂駅に向かって歩いていたら、「旧乃木邸」と黒字で書かれた大きな提灯がつり下げられていることが目に入った。 




気になって門をくぐってみると、「令和七年度 旧乃木邸一般公開」という立て看板がある。

旧乃木邸は外から眺めたことはあるが、なかに入ったことはない。「入場無料」とあるので入って見ることに。 30分ごとに20名限定で20分間なかを見学できるということで、14時からの「第14部入場券」を手に入れることができた。 

たまたまその前を通りかかったからこそ、はじめて一般公開のことを知ったのだが、案内役の老婦人によれば、乃木大将夫妻が自刃した命日の9月13日と、11月1日から3日まで毎年一般公開されているのだそうだ。 

来年また来たらいいかかとと思って、そう告げたが、せっかくの機会なのだからぜひ訪問してほしいと言われ、たしかにそうだなと思ったので、説得に応じることにした。そして、それは正解だった。来年のことなど誰にもわからないから。 





入場までの待ち時間が30分ほどあったので、まずは外装が赤レンガの乃木大将の馬小屋の内部を見る。


(馬小屋の外観)


そのあと、坂をくだってひさびさに乃木神社を参拝。雅楽の響きが聞こえてくるが、なんだろうかと思ったら、なかでは神前結婚が行われていた。 ああ、乃木神社でも結婚式が行われているのだな、と。

「宝物館」(入場無料)では、今回もまた乃木大将の遺品などを拝観。日本人にとっての乃木大将の意味、死して神となった乃木大将のことを考えながら旧乃木邸に戻る。そういえば、むかし司馬遼太郎の『殉死』という作品を読んだことがあったな、と。 



(東郷平八郎による「純誠剛毅」渋沢栄一による「忠勇義烈」)


受付で資料と絵はがきをいただき、なかに入る。最初の入場者に近かったので、じっくり内部を見学できた。

内部が撮影禁止なのは残念だが、乃木大将夫妻が自刃された部屋をみると、それは当然のことだと思う。それは2階にある。わたしは、この部屋と遺品にひとりで対面した。

すでに100年以上のことであり、乾燥してカサカサになっているとはいえ、自刃当日に着用していた軍服と血染めの下着が遺品として残されており、厳粛な空間なのだ。まさにこの部屋で殉死されたのかと思うと、じつに感慨深いものがある。 

見学を終えて外に出て、乃木坂駅に向かって下っていったら、レンガ作りの馬小屋の先に、「乃木神社」と書かれた石柱があった。




よくよく見ると、石柱の左に「東郷平八郎書」とあった。明治という時代、そして日露戦争をそれぞれ陸海で戦った二人の軍人、 乃木大将と東郷元帥。

たまたまその前を通りかかったから、一般公開がされていることを知ったのだが、よくよく考えてみたら、旧乃木邸は乃木坂駅に向かう途中にあるわけではないのだ。駅に向かう道を行きすぎてしまったからこそ遭遇したのである。

「目に見えないなにか」に導かれるような体験だったといえるかもしれない。「見えないなにか」とは、死してのち神となった乃木大将だったのかもしれない。いずれにせよ、まさに一期一会といえるだろう。

こういうこともあるのだな、と思った。世の中には、思いがけないことが充ち満ちている。



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2025年10月31日金曜日

「薬漬け医療」」よさようなら! 5年間にわたって飲みつづけることを余儀なくされた「尿酸値を下げる薬」の服用が終了。ここに「痛風」治療がついに終了(2025年10月31日)



本日(2025年10月31日)、5年間飲み続けた「尿酸値を下げる薬」が終了。「薬漬け医療」よ、さようなら! 

すでにアルコールもほぼやめているわたしは、「痛風」とは縁を切ったと思いたい。と、こう書くのは、痛風と縁が切れたかどうかは、神のみぞ知るだからだ。




数分で終わった、診療の場での会話を再現しておこう。

前回の診断で「治療開始から5年」というメモが記入されていたはずなのに、本日の担当女医は、「お薬どのくらい出しますか?」と聞いてくる。

わたしが、「治療から5年たちました。ここらへんで終了にしていただけませんか?」と立て板に水のように述べると、気合いに飲み込まれたのか、一瞬おいてから、医者は「終了しましょう」といってくれた。

「ひきつづき健康診断は受けてください」といわれたので、「自治体の健康診断を受けております」と答えた。

そして、わたしは「ありがとうございました」」と頭を下げ、痛風治療はここに完全に終了したのであった。

めでたし、めでたし。終わりよければすべてよし。



PS ほんとうは5年ではなく4年10ヶ月だった

あとから記録を調べてみたら、治療が開始されたのは2020年12月のことで、正確にいうと満5年ではなく、4月10ヶ月であった。まあ、そこのところは目をつむっておこう。終わりよければすべてよし。

「ここで終了してほしい」と述べたことは、結果として幸いだったことになる。そうでなければ、いつまでたっても「薬漬け医療」は終わらないからだ。治療の主体は医者ではなく、あくまでも患者の側にある。(2025年11月2日 記す)




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2025年10月29日水曜日

「日米同盟」が盤石なものに! 日本を劇的に変えつつある高市早苗首相の誕生で日本は別の国に生まれ変わった!(2025年10月28日)



首相就任から1週間で外交デビューした高市早苗総理大臣。

積極姿勢でASEAN でのモテモテの大歓迎のあとは、日本でトランプ大統領とがっちり握手「日米同盟」が盤石なものとなった。すばらしい!




迎賓館をトランプ大統領のエスコートで階段を降りる高市首相。絵になっているねえ・・・


(ホワイトハウスのXに投稿された画像)


あまりにも素晴らしい。まさに「世界のなかで華やかに咲く日本」の到来。




日本を劇的に変えつつある高市早苗首相の誕生で、日本は明るくなった! まるで別の国に生まれ変わったようだ! 

歴史がつくられゆく日々を日本国民として体験できることがうれしい。


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2025年10月26日日曜日

映画『サガン ― 悲しみよ、こんにちは ―』(2008年、フランス)を DVD ではじめて視聴(2025年10月25日)― 「戦後フランス」の文化を担った作家は、その人生もまた「愛と孤独」を生きた人であった

 


先週視聴した映画『ルルドの泉で』(2009年)で主役を演じていた女優のシルヴィー・テステュが気になって調べてみたら、その前年の『サガン』でも主人公のサガンを演じていたことがわかった。ああ、あの女優か、と。 

この映画は、フランスの作家フランゾワーズ・サガンの伝記映画である。1954年に18歳で書いた『悲しみよ、こんにちは』が世界的ベストセラーになって作家デビュー、戦後フランスを代表する作家の一人となった。




若くして大金が転がり込んできたサガン。もともとブルジョワ家庭の出身とはいえ、金銭感覚をまったく欠いていた彼女は、取り巻き連中にかこまれた浪費人生を送り、みずから運転するクルマの交通事故で瀕死の重傷を負って以来、治療で使用されたモルヒネ系のクスリに依存した薬物中毒となる。




スキャンダルまみれの人生であったが、最後は孤独のうちに69歳でなくなった。 「愛と孤独」のテーマそのものを生きた人であった。 




そんなサガンを演じているシルヴィー・テステュは、容貌や体つきが似ていることもあるが、迫真の演技でサガンになりきっている。さすがフランスの知性派女優ならではといえようか。彼女は、小説や脚本を執筆し映画も監督している。

 


ココ・シャネル、エディット・ピアフなど、フランス文化を世界的なものにすることに貢献した女性たちを描いた伝記映画のなかでも、フランソワーズ・サガンを描いたこの映画は指折りの一本となっている。
  
戦後フランスの一面を描いたこの映画には、アルジェリア戦争、1968年学生革命、ミッテラン政権などの外的事象が実写フィルムで挿入される。サガン自身は政治には無関心であったが、サガンと生きた時代が重なるフランス人にとっては、感慨のあるものではないだろうか。 






1980年代前半、大学の学部時代に第二外国語としてフランス語を選択したわたしは、『悲しみよ、こんにちは』をフランス語原書の "Bonjour, Tristesse" で読みかけたことがある。完読できなかったが、その意味でもフランソワーズ・サガンの名前には親しいものを感じているのだ。 



たとえ、デビュー作で代表作の『悲しみよ、こんにちは』以外は忘却されようとも、フランソワーズ・サガンは記憶されつづけることになるのだろう。この映画もまた、その役割を演じることになることだろう。 


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PS 1954年に18歳でデビューしたフランソワーズ・サガンと、1955年に22歳でデビューした石原慎太郎に共通するもの

ちなみに、石原慎太郎が『太陽の季節』で鮮烈デビューしたのは1955年で22歳のときだった。
 
1954年で18歳でデビューしたフランソワーズ・サガンと比較してみると、「同時代性」という観点から「戦後」という時代を考えるうえで有益であろう。

サガンは政治には無関心であったが、ジャズをはじめとしたアメリカ文化(・・息子をもうけた二番目の夫はアメリカ人であった)と「実存主義」の影響を受けているといわれる。政治家となった石原慎太郎もまた、作家としてフランスの「実存主義」に大きな影響を受けた人である。

「戦後日本」は「戦後フランス」の影響をつよく受けている。哲学や思想、そしてなによりも映画やシャンソンなど芸術文化において。


『サガン』の主演女優シルヴィー・テステュの自伝 Il n'y a pas beaucoup d'étoiles ce soir, 2003



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