ジャーナリストの立花隆が亡くなってから4年、猫ビルとその膨大な蔵書も処分されてしまったが、その人がいかなる人であったかについての説明は、現時点ではまだ必要はないだろう。
文理にまたがる膨大なノンフィクションを残した作家であり、NHKスペシャルなどへの出演によって最先端の科学技術の啓蒙をおこなった「知の案内人」でもあった。
マスコミや出版社によって「知の巨人」とラベリングされたその人は、晩年には「知の虚人」などと揶揄され、毀誉褒貶あいなかばする存在となってしまった。
立花隆本人がその「称号」を拒否することがなかったからであり、自業自得といってしまえばその通りなのだが、「知の巨人」なるブランドが正当な評価を遠ざけてしまてっているような気がしないでもない。
その意味でも、おなじくジャーナリストで作家でもある武田徹氏による『神と人と言葉と ー 評伝・立花隆』は、戦後日本を生きた立花隆というジャーナリストの全体像を知るうえで有用な評伝であった。
タイトルの『神と人と言葉と』にあるように、無教会派のキリスト教徒の両親のもとで育った立花隆は、その影響圏から脱しようとしたものの、スピリチュアルなものへの関心をつよく持ち続けた人であったことがわかる。
ジャーナリストの仕事は、基本的に「ファクトとロジック」が基盤となるものだが、著者によれば、ウィトゲンシュタインの影響を受けている立花隆は、ウィトゲンシュタインのいう「語り得ぬもの」について、その「語りうる限界」をひたすら拡張しようと試みたのであった。
外に向かっては宇宙空間へと限界を拡張し、内側に向かっては人間のインナースペース(内宇宙)に知的関心が向かったというわけだ。
そんな立花隆が、いわゆるニューサイエンスに大いに心を惹かれたのも当然のことだったのだろう。
一歩間違えばエセ科学になりかねない分野ではあるが、『宇宙からの帰還』や『臨死体験』など、現在でも読むに値する作品は、そんな立花隆にとっては、大いに意味のあった仕事だと納得させられる。
(画像をクリック!)
目 次
まえがき ーー 立花隆は苦手だった
1 北京の聖家族
2 焼け跡の知的欠食児
3 二十歳のころの反核運動
4 現代詩と神秘哲学
5 ヤクザと言語哲学 ― 週刊誌記者時代
6 『論理哲学論考』の磁力圏 ―「田中角栄研究」
7 ジャーナリズム+αへ ―『宇宙からの帰還』
8 もうひとつの調査報道 ―『脳死』
9 相転移と踏み止まり ―『脳死体験』
10 東大教授になったジャーナリスト
11 「立花先生、かなりヘンですよ」
12 ニュー・サイエンスと「知の巨人」
13 「あの世で会おう」―『武満徹・音楽創造への旅』
14 回帰と和解のとき
あとがき ーー 立花隆版『論理哲学論考』
創作と現実の間 ―(対談)大江健三郎×立花隆
参考文献
著者プロフィール
武田徹(たけだ・とおる)
1958年生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部教授。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。著書に『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞受賞)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
■『立花隆が読み解くテイヤール・ド・シャルダンが示した人類の未来』
まさに文理融合の立花隆ワールドそのものであり、大いに満喫しながら最後まで読んだ。集大成ともいうべき内容であるが、末尾がちょっと尻切れトンボなのは、雑誌連載のまま著者自身による単行本化がさなされなかったからであろう。
『サピエンスの未来』というタイトルは、編集担当者がつけたものだろうが、『立花隆が読み解くテイヤール・ド・シャルダンが示した人類の未来』とでもしたほうが、内容的には正確だろう。
(テイヤール・ド・シャルダン 1955年に撮影 Wikipediaより)
日本ではテイヤールと略していうことが多いが、シャルダンまでが名字であり、ファストネームはピエールである。
そんなテイヤールの独自な概念である、「複雑化=意識の法則」、「精神圏」(ヌースフィア)「オメガ・ポイント」、「超人間」、「超進化」などの解説を行いながら、1998年時点での科学技術の状況を踏まえて立花隆がテイヤール思想を読み解いた内容になっている。
人類の未来とはSF的であるが、SFを超えた思考が必要になる。それは科学的思考を踏まえた神学的思考である。
立花隆が冒頭で述べているように、この本のメッセージは「すべてを進化の相の下に見よ」というフレーズに集約される。
「進化の相」のもとにおいては、物質と精神は二元的に対立するものではなく、相互に影響し合いながら万物が進化していくのである。
そして進化の頂点にあるとされる人類(ホモ・サピエンス)もまた、進化のプロセスのなかにある。
物質である脳の発達が精神の発達を推進し、「放散」と「収斂」という「進化の弁証法」のもとに、さらなる高度な発達をしていくことになる。 そしてその行き着く先は「超人間」(・・ただしニーチェのいう「超人」とは異なり、超進化した人類の集合体)であり、「オメガ・ポイント」という一点に収斂していく。
ちなみに、本書には説明がないが、「オメガ」(Ω)とはギリシア文字の最後に来るものだ。英語なら「ゼット」(Z)というべきもの。「最初から最後まで」を意味する「アルファからオメガまで」という表現があるが、ギリシア語で書かれた新約聖書をベースにしたキリスト教ならではのフレーズである。
テイヤール・ド・シャルダンの議論について関心のある人は、立花隆による解釈を経たもじょであるが、ぜひ直接本書を読んでみてほしい。知的好奇心が大いに満足されるはずだ。
進化論の立場に立つ科学者であったテイヤール・ド・シャルダンは、超越的な神には否定的であった。そのためローマ教皇庁から生前は出版を禁止されていた。とはいえ最後の最後までキリスト教徒であり、その未来像にキリスト教的なテイストがあることは否定できない。
おそらく、そうだからこそ立花隆にとっては、大いに共感するものがあったのだろう。キリスト教的なるものから脱しようとした立花隆であったが、その発想の根底にキリスト教なるものがあったことは、『神と人と言葉と ー 評伝・立花隆』(武田徹)にあるとおりだ。
本書『サピエンスの未来』は、立花隆の集大成となる著作として読むのもよし、あるいはテイヤール・ド・シャルダンの思想を知るために読むのもよい。 百万年スケールで考えた人類の未来のひとつの見取り図である。
現在の日本ではいまだ広く知られているわけではないテイヤール・ド・シャルダンについての解説として読み、その思想的背景のひとつである「ロシア宇宙主義」について関心を深めるきっかけになることであろう。
(画像をクリック!)
目 次
解説 不安な時代の地の羅針盤(緑慎也)
はじめに
第1章 すべてを進化の相の下に見る
第2章 進化の複数のメカニズム
第3章 全体の眺望を得る
第4章 人間の位置をつかむ
第5章 人類進化の歴史
第6章 複雑化の果てに意識は生まれる
第7章 人類の共同思考の始まり
第8章 進化論とキリスト教の「調和」
第9章 「超人間」とは誰か
第10章 「ホモ・プログレッシヴス」が未来を拓く
第11章 終末の切迫と人類の大分岐
第12章 全人類の共同事業
著者プロフィール
立花隆(たちばな・たかし)
1940年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、文藝春秋入社。1966年退社し、東京大学文学部哲学科に学士入学。その後ジャーナリストとして活躍。1974年、『文藝春秋』誌に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。1979年、『日本共産党の研究』で第一回講談社ノンフィクション賞受賞。1983年、第31回菊池寛賞、1998年、第一回司馬遼太郎賞を受賞。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<ブログ内関連記事>
(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
ケン・マネジメントのウェブサイトは
ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。
禁無断転載!
end