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2025年7月26日土曜日

「ポピュリズム」について考えるために『ポピュリズムとは何か ― 民主主義の敵か、改革の希望か』(水島治郎、中公新書、2016)など関連書を読み、そして考えてみた

 

 先日おわった参院選。その最中、いやそれ以前から、メディアに登場する「識者」とよばれる人たちが、やたら「ポピュリズム」が問題だ、問題だと、非難めいた口ぶりで語っている。 

選挙が終わったら、こんどは「敗軍の将」が詰め腹切るどころか、子どもでもわかるようなウソをついて居座りをつづけている。まったくもって世も末だな。「憲政の常道」は空文と化しているのか? 

「ポピュリズム」とは「大衆迎合政治」のことなのだ、と「識者」たちや、敗れた側の政治家たちがバカの一つ覚えのように口にする。大衆におべっかつかい、なにかとバラマキを主張するのだ、と。ポピュリズムは危険だ、と。

 だが、そういう姿勢は、自分に都合の悪いこと、自分に反対する勢力にラベリングしているだけではないのか? 

そう思うのは、わたしは「ポピュリズム」が悪いなどと考えたことすらないからだ。 

高校時代に、新書版のアメリカ史を読んでいて、19世紀アメリカの「人民党」の話のからみで「ポピュリズム」と「ポピュリスト」というコトバを知った。 

それ以来、ポピュリズムのいったい何が悪いのか、「民意」を吸い上げようという姿勢は、むしろ理想とすべき政治のあり方ではないか、と思ってきた。 

とはいえ、あらためて「ポピュリズム」とはなにか、考えてみる必要があると思う。 



■ポピュリズム政党に脱皮しようとしているフランスの極右政党

日本のメディアや政治家の言動から離れて、海外の状況を見てみたい。 

そう思って、まずは『ルペンと極右ポピュリズムの時代  ―  <ヤヌス>の二つの顔』(渡邉啓貴、白水社、2025)という本を読んでみた。先月のことだ。  




ところが、この本はわかりにくい。長いだけで、読んでいてもあまり面白くなかった。 

極右政党である「国民戦線」(FN)の設立者ジャン=マリー・ルペンがブルターニュ出身で(つまりケルト系)、当時はきわめて少数派の大学出のエリート(!)だったこと。

娘のマリーヌ・ルペンが大衆に基盤をおいた政党に変化させるため「国民連合」(RN)に党名変更、いわゆる「脱悪魔化」を推進する前から、その動きが始まっていたこと。なぜなら、フランス共和制の精神に反した言説をつづけていては、政治的な正統性を主張できないのでメインストリームたり得ないから。

そんな事実がわかった。だが、あまり面白い本ではない。 

なぜ面白くないのか? 著者のポピュリズム嫌いの本心が見え隠れしているだけでなく、おそらく大統領制をとるフランスの政治制度が、議院内閣制を採用した日本とは異なるので、感覚的にわかりにくいという点もあるのだろう。 

それなら、フランスよりもむしろイタリアだろう。マリーヌ・ルペンもさることながら、おなじ女性政治家で、しかも「極右」のレッテルを貼られてきたイタリア初の女性首相であるジョルジャ・メローニについてもっと知りたい。フランスもイタリアもカトリック国である。

だが残念ながら、各種のインタビュー記事などのぞけば、メローニについて日本語で読める書籍がまだ現れていない。



■現代を代表するポピュリスト政治家といえば実業家出身のベルルスコーニ

イタリアも議院内閣制で二院制だから、日本の政治制度と近いものがある。ということで、『ベルルスコーニの時代 ― 崩れゆくイタリア政治』(村上信一郎、岩波新書、2018)を読んでみた。 

出版当時はベルルスコーニなんてすでに過去の人なので黙殺していたが、読んでみる気になったのは、当初「極右」とラベリングされたが、ほぼ3年にわたって安定政権を率いているメローニ首相について理解するには、その前段階であるベルルスコーニ首相の時代について知っておく必要があるからだ。 




冷戦構造の崩壊で、二大政党制を基軸としていた体制が崩壊したイタリアは、日本と状況が似ている。似ているのは議院内閣制であるだけでない。旧枢軸国として米国の占領統治を受けた点も共通している。

イタリアも日本も、反共と容共の組み合わせの体制であった。 日本では万年与党の「自民党」と万年与党の「社会党」の組み合わせだったが、イタリアも同様に万年与党である「キリスト教民主党」と、万年野党の「共産党」の組み合わせだった。 

イタリアでは、冷戦時代に一時期「キリスト教民主党」と「共産党」が接近したが、融合することはないまま冷戦崩壊を迎えることになった。日本では冷戦崩壊後のことだが、自民党と社会党が融合した結果、社会党は消えていったイタリア共産党もすでに消滅している。

イタリアの場合、反共と容共の組み合わせの二大政党制が劇的に崩壊して多党制に移行そのななかからベルルスコーニという特異な人物が登場することになる。これが日本との違いである。 

しかも、ベルルスコーニは中道右派であり、フランスと異なるのは極右ではないということだ。既成政党であるキリスト教民主党が凋落し、政治界のパトロンを失った結果、自分のビジネスに悪影響がでないよう、みずからが政治の世界に出ざるをえなくなったのだ。

不動産で財を築き、メディアも支配するにいたった実業家のベルルスコーニは、自分の企業グループを政党化して、マーケティングを駆使した、まさに「企業ぐるみ」というべき選挙を実行、選挙で勝ったが8ヶ月で退陣、その後2回にわたって返り咲いて長期政権を実現した。その死にあたっては、なんと「国葬」されている! 

ベルルスコーニは、訴訟を多数かかえていたうえ、さらにスキャンダルまみれであったが、すくなくとも「民意」を吸い上げる政治は行っていたから長期政権が可能となったのであろう。

キャラ的には、陽性でめちゃくちゃ面白かったが、じつはミラノ大学法学部卒のインテリなのである。 大学進学率が低かった時代の大卒エリートなのだ。


(田名角栄/トランプ/タクシン/ベルルスコーニ 田中角栄氏は政府官邸、それ以外はwikipediaの画像を使用)


日本でいえば、おなじく実業家出身の田中角栄に似ていなくもない。政権末期には「金権政治」と批判されながらも、「民意」を吸い上げ、年金・医療制度の改革など実行したことは特筆に値する。教員給与の引き上げなど行ったことは、忘れてはいけない。 

ベルルスコーニは、むしろ米国のトランプ大統領の先行者といえるかもしれない。田中角栄は天才ではあったが学歴エリートではなかっただけでなく、石油ショック前の高度成長時代の人であり、冷戦構造崩壊後に顕在化した現象ではない。 

とはいえ、ベルルスコーニも、田中角栄も、ドナルド・トランプも、みな実業家出身のポピュリスト政治家であることは共通している。タイのタクシン・チナワットもこの系列に加えるべきだろう。タクシンは通信関係で財を築いている。 

こうやって列挙してみると、もちろんポピュリズム政治には功罪の両面があることがわかる。善いこともしたが、弊害ももたらしている。ただいえることは、一方的に悪いわけでも正しいわけでもない、ということだ。 



■政治学者が分析する「ポピュリズムとは何か?」 

さて、欧米のポピュリズム政治の事例をみたあとで、ポピュリズムにかんする本を購入していたが読まないままだったなと、思い出した。 





面白いことに、この2人の日本人の政治学者は、ともにポピュリズムじたいが悪いわけではないと明言している。民意をもとにしたポピュリズムは、デモクラシーには本来的に存在するものだ、と。 

だが一方では、ポピュリズムをどう制御するかが問題なのだという点も一致している。功罪の両面を考え、功罪の罪の面をどう制御するか、有権者には熟慮とそれにもとづく行動が求められるのである。 

『ポピュリズムとは何か ー 民主主義の敵か、改革の希望か』の著者である水島治郎氏は、オランダ現代政治の専門家でもあるので、フランスでもイタリアでもない、オランダの極右政党の分析も行っており有用である。ヨーロッパのポピュリズムを理解するためにも必読だといっていい。  





イタリア人政治学者の著者は、「カリスマ」という専門タームを厳密に使用しているので、日本語の一般的用法とは異なるが、ベルルスコーニ現象は中世以来のヨーロッパ政治史を逆回転させるものだと批判している。 

とはいえ、「政党政治の終焉」は「多党化」現象をさしたものであり、日本もすでにそのフェーズに突入したことを考えれば、ヨーロッパの状況は意識していく必要があると納得する。 



■ポピュリズムはそれじたいが悪しきものではないが・・・ 

ポピュリズムは、それじたいが悪ではない。とはいえ、SNS時代によってポピュリズムが加速し、ポピュリズムの暴走を制御することが困難化していることは否定できない。 

ただし、ポピュリズムと陰謀論は分けて考えたほうがいい陰謀論は、あきらかに単純明快な説明がほしいから飛びつくわけであって、専門家への不信感が根底にある。

フランスについて見たように、ポピュリズム政党がイコール極右というわけではない。フランスの場合は極右からポピュリズム政党への脱皮を図って成功したケースであるが、ドイツやオランダはそのプロセスにあるものの、それ以外の国はかならずしもそうではない。

したがって、ポピュリズムがそのまま排外主義を意味するわけではない。極端な単純化によってポピュリズム批判、というよりもポピュリズム非難を行うヤカラには要注意だ。

高度化し、さらに複雑さが増している現代社会は、それぞれの分野の専門家の存在によって成り立っている。だが、メディア人や知識人、その他の専門家の言説は、一般人の「常識」に反するもので、専門家以外の一般人を蔑視しているように、一般大衆から受け取られているのではないか?

アメリカの「反・知性主義」というわけではないが、学歴エリートでもある専門家による知識の独占が、権力と富の独占につながっているという意識が一般大衆にあって、「収奪」されているという被害者意識がポピュリズム伸張を支えている。これは否定できないはずだ。

根底にあるのは、グローバリズムを推進するエリート層に対する「不信感」である。

もちろん、DS(ディープ・ステート)まで行ってしまうと、陰謀論以外のなにものでもないのだが・・・・

いずれにせよ、草の根レベルで「民意」を吸い上げるというポピュリズムのポジティブな側面を評価すべきことはもちろんだ。だが、「衆愚政治」に陥りやすいというネガティブな側面もあることは、しっかりと理解しておかなくてはならない。 

当たり前のようだが、それが結論だといえようか。面白くもなんともないない結論なのだが・・ 



<今回紹介した書籍>


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目 次 
はじめに
第1章  ポピュリズムとは何か 
第2章 解放の論理―南北メリカにおける誕生と発展 
第3章 抑圧の論理―ヨーロッパ極右政党の変貌 
第4章 リベラルゆえの「反イスラム」―環境・福祉先進国の葛藤
第5章 国民投票のパラドクス―スイスは「理想の国」か 
第6章 イギリスのEU離脱―「置き去りにされた」人々の逆転劇 
第7章 グローバル化するポピュリズム 
あとがき
参考文献

著者プロフィール
水島治郎(みずしま・じろう)
1967年東京都生まれ。東京大学教養学部卒業、1999年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。甲南大学助教授、千葉大学法経学部助教授などを経て、千葉大学法政経学部教授。専攻はオランダ政治史、ヨーロッパ政治史、比較政治。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)








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2025年7月15日火曜日

映画『オール・ザ・キングズメン』(1949年、米国)- ポピュリスト政治家の誕生とその末路を描いた社会派のヒューマンドラマでポピュリズムの功罪を理解することが大事

 

DVDで『オール・ザ・キングズメン』(1949年、米国)という映画をはじめて視聴した。ポピュリスト政治家の誕生とその末路を描いた社会派のヒューマンドラマである。109分。  

「オール・ザ・キングズメン」(All The King's Men)とは、「マザーグース」に由来する英語の慣用表現。日本語でいえば「(王様の)取り巻き連中」といったニュアンスでつかわれている。 




米国の農村地帯の架空の町が舞台。一握りの政治屋たちによって牛耳られ、政治腐敗が横行する状況に憤った男が、民衆のためにと政治家を志し、なんどか落選の憂き目にあいながらも、民衆の圧倒的支持を得て最終的に州知事に当選するまでが前半。 

知事になってからは、公共工事や病院無償化などの公約をつぎつぎと実行、一般民衆の圧倒的支持をベスにした「ポピュリスト政治家」としての本領を発揮する。 

だが、州知事選の選挙資金づくりの段階から、すでにカネにまつわる黒い噂が流れていただけでなく、表沙汰になってないものの実質的にスキャンダルまみれであった。

知事になってからは贅沢な暮らしで愛人もつくり、息子がおこした交通事故で同乗者の女性が死亡(・・ずっとあとのことになるが、エドワード・ケネディ上院議員が起こした1969年の事件を想起させる)、スキャンダルもみ消しのため、死亡した娘の父親を暴力的に抹殺したり、親衛隊めいたものをつくって世論誘導を行っていたのだ。

ところが、そんな真相が見えていない民衆は、公約を実行する知事を圧倒的に支持するのである。 

とどまることのない男の政治的野望は、最終的に大統領を目指すのだが・・・

デモクラシーの暗部を描き、ポピュリスト政治家によるポピュリズム政治の功罪について正面から取り上げた内容である。 草の根の支持で選出された政治家であっても、大きすぎる野望と、裏腹に存在する人間としての弱さがみずからを蝕んでいく。


「アメリカン・デモクラシー」を日本に植え付けたかったGHQは日本公開を阻止 

見ていて思ったのは、ヒトラーが政権をとった1930年代のドイツの状況とよく似ているなということだ。映画のラスト近くにある親衛隊まがいのサポーターたちは、まさにナチスそのものだ。

そしてまた、デモクラシーである以上、しょせんアメリカも日本とたいして変わらないではないか。そんな感想も抱いた。 ポピュリズムの功罪とデモクラシーの暗部を描いているからだ。

「マッカーシー旋風」という「赤狩り」が米国で本格化する前の1949年に製作され公開されたハリウッド映画だが、日本では公開されなかったらしい。第22回アカデミー賞で、作品賞・主演男優賞・助演女優賞の3部門しているにもかかわらず。




1949年(昭和24年)当時は、いまだ占領下にあり、「アメリカン・デモクラシー」を日本に植え付けたかったGHQの意向が働いたのであろう。 検閲したうえで公開を許可しなかったと考えられている。検閲の対象となたのは日本映画だけではないのだ。

日本で初公開されたのは、1976年になってからだったらしい。ちょうどロッキード疑惑で汚職事件が話題になっていた頃である。 しょせんアメリカも日本とたいして変わらないではないかという感想をもった観客も少なくなかったようだ。


■ポピュリズムとポピュリスト政治家の功罪両面をよく理解することが大事

わたし自身は、ポピュリズムじたいは悪しきものだとは考えていない。

有権者の声に耳を傾け、民意を吸い上げてそれを政策として実行することこそ、政治家の本来的な役目だと考えているからだ。したがって、いわゆる「有識者」がいうように、ポピュリズムはけっして大衆迎合ではない。 

とはいえ、ポピュリズム政治の裏側にまで目を光らせないといけないのである。

「絶対権力は絶対に腐敗する」という名言があるではないか。政治家の野望が、悪しき方向に向かわないように制御するのは、有権者の役目である。 


(2006年にはショーン・ペン主演でリメイク版が製作) 


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2024年8月31日土曜日

アメリカ建国250年を目前にしたいま、あえてトクヴィルの古典的名著『アメリカのデモクラシー』(1835年/1840年)を読んでみた(2024年8月)

 

先日のことだが、アレクシ・ドゥ・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読了した。1ヶ月ほど前のことになる。部分的な引用はよく目にするが、全体を通しで読んだことがなかったのだ。

「読まなくては・・」という投稿を SNS の ことしの7月にFB にしてから、ちまちまと読み続けて1ヶ月かかったわけだ。読み飛ばすわけにはいかない重要なことが書かれているからだ。

購入してから10年以上も積ん読のままになっていたが、さすがに「2024年米国大統領選」が接戦状況となって、急速に面白くなってきたこの機会に読んでしまわないと、つぎはまた4年後(!)になってしまうからね。 

自分で口に出して宣言(?)して、自分で自分を追い込みでもしない限り、こういう古典的著作はなかなか読まないものだ。 




■なぜフランス革命後に生まれた若きフランス貴族がアメリカを視察したのか?

さて、岩波文庫版で4冊ある『アメリカのデモクラシー』だが、「第一巻」(上・下)と「第二巻」(上・下)で構成されている。原著にかんしては、前者は1835年の出版で、後者は1840年の出版である。 

「フランス革命」後に生まれた若き貴族であるアレクシ・ドゥ・トクヴィル(1805~1859)は、法学を修めたのち共和制の政府のもとで判事となる


(トクヴィルが45歳のときの肖像画 Wikipediaより)


1830年の「7月革命」でルイ・フィリップの王政が始まってから、公務員として新体制への宣誓を余儀なくされる。内心ではそれがいやだったが、なんとか口実をつくってアメリカ調査旅行を実現させた。

アメリカの監獄制度の調査旅行を企画したのである。公務での海外出張の許可を得て、盟友とともにアメリカに渡って9ヶ月にわたって精力的に視察を行った。1830年のことだ。 

その公務による海外出張の副産物が、1835年に出版された『アメリカのデモクラシー』(De La Démocratie en Amérique)なのである。当然のことながら原文はフランス語である。

もちろん、公務出張なので「アメリカの監獄制度」の調査報告書も如才なく提出しているとのことだ。 

とはいえ、本来は副産物であった『アメリカのデモクラシー』こそ、トクヴィルがほんとうは書きたかったもので、「第一巻」は一気呵成に数ヶ月で書き上げたという。 だからこそ、読んでいて若き著者の情熱や意気込みが感じとることができるわけだ。

『アメリカのデモクラシー』はフランスではベストセラーになり、その後、英語にも翻訳されることになる。 

内容にかんしては、古典的名著なのでこまごまと紹介する意味はないだろう。わたしなりに簡単に感想を書いておきたい。 


■法実務家による「アメリカのデモクラシー」の制度面の分析

1835年に出版された「第一巻」を一貫しているのは、「アメリカのデモクラシー」の制度面にかんする分析が、法律実務家の立場から、実地の観察と文献をもとに詳細に行われていることである。 

「共和制で連邦国家」というのが「アメリカという国のかたち」(constitution)であり、これが1776年の建国から13年後の1889年に制定された「アメリカ合衆国憲法」(Constitution of the United States)に規定されている。 

この点にかんしては、トクヴィルの時代からすでに200年近い追い現在、建国からまもなく250年になるアメリカだが、環境変化に応じて「修正条項」(Amedments)が追加されているとはいえ、「憲法」つまり「国のかたち」(Constitution)にはいっさい変更はない。根幹部分に変化はないのである。これはきわめて例外的なことかもしれない。

日本では State を「州」と訳すのでわかりにくいが、 State は「国家」を意味することばである。だから、United States とは「連合国家」であり、「合衆国」というよりも「合州国」と訳したほうが実態に近い

異なる表現をつかえば、 Federation(連邦)となる。 個々の State と Federation の関係は、日本人にはなかなかわかりにくいかもしれない。明治維新後の「中央集権」体制のもとにある、日本の都道府県と中央政府の関係とは違うのである。1776年の建国以来、米国においては State と Federation のコンフリクトは小さくない。

後者の Federation中心 の立場を代表する「連邦主義者」が、アレクサンダー・ハミルトンやマディソンに代表される論客たちで、かれらが精力的に執筆した『ザ・フェデラリスト』である。ちなみに、明治憲法の生みの親である伊藤博文は、英語版の『アメリカのデモクラシー』と『フェデラリスト』(こちらはもちろん英語)をつねに座右において熟読していたという。*

*津田梅子は、米国留学した6歳の時点から伊藤博文の物心両面にわたる庇護を受けてきたが、ハルビンでの暗殺後に書いた追悼文(英語)で、米国から帰国後のことであるが、トクヴィルの英語訳を示されて読むとよい、とサジェスチョンを受けたと回想している。




だからこそ、State と Federation の関係について詳細に記述しているトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は、いまなお読む意味があるといえる。

一般市民の日々の暮らしに密接にかかわる地方自治は、「州」レベルの領域であり、さらにいえば「タウン」という小単位まで降りてこないといけない。

「連邦」レベルの話は、外交や軍事、そして徴税にかかわるものだ。 日本でもよく知られているFBI(=Federal Bureau of Investigation)は、あくまでも連邦レベルの法執行機関である。

徴税は連邦政府の所管事項であるが、「付加価値税」(≓ 消費税)は個々の「州」レベルの話であり、州ごとに税率が異なるのである。*

*わたしはニューヨーク州に住んでいたが、ニューヨーク市の税率は、ニューヨーク州のその他の地域よりも高く設定されていた。 

トクヴィルは、アメリカで「相続税」が導入されていることを特筆している。

世襲制への対抗措置としての相続税は、現在の日本人には当たり前すぎて読み飛ばしてしまうだろうが、タイ王国のようにいまだに相続税が導入されていない国や、香港のようにいったん導入されたがその後廃止された地域があることを知っていれば、トクヴィルの驚きも理解されようというものだ。

このほか、読んでいてわたしが強い印象を受けたのは、「アメリカのデモクラシー」を草の根レベルで支えているのが「陪審制」(jury system)の存在であり、とくに「民事での陪審制」のもつ意味が大きいという指摘だ。 

その心はなにかというと、一般市民の義務である「陪審員」として裁判に参加することが、権利と義務の関係を知り、デモクラシーがいかに機能しているかを学ぶことになるからだ。それも身近なテーマである「民事」であればなおさら、ということになる。 


「デモクラシー」はアメリカ人の生活と思想にいかなる影響を与えているか?

1840年に出版された「第二巻」は、「第一巻」とは違って、「アメリカのデモクラシー」がアメリカ人の生活と思想にいかなる影響を与えているかについて、個別のテーマごとに考察が行われているが、さすがに現在では当てはまらない話も多い。 

1830年代当時、州の数は34に増えていたが、大規模な内戦となった「南北戦争」(1861~1865)の前の話であり、しかも20世紀にアメリカも参戦した2つの「世界大戦」の前であり、さらには本土がはじめて攻撃された2001年の「9・11」の前の話であるからだ。

とはいえ、なかなか鋭い考察だなと思われる事項もあった。 たとえば、「なぜアメリカはビジネス文明なのか」についての分析や、「アメリカ女性の自立性」など興味深いテーマもある。 

なかでも、「デモクラシー体制の軍隊はなぜ緒戦では弱いが、戦争が長引くと強くなっていくか」についての分析など、なるほどとうならされるものがある。トクヴィルの時代からすれば、はるか後世のことであるが、第二次世界大戦における「日米戦争」の推移を見れば、大いに納得がいくものだ。

トクヴィルについては、「デモクラシー」についての思想家で「社会学の元祖」の一人という扱いがなされているが、まずなによりもアメリカ理解のための基礎文献として読むのが、もっとも素直な読み方だと思う。 

もちろん、トクヴィル以後の200年で何が変わったのか、何が変わっていないのかについて、考える材料として捉えることが必要である。 

書けば長々となってしまうので、ここらへんでやめておくが、下手な解説書を読むより、いきなり本編に取り組んだほうがいいと思う。 

というのは、古典とされている本は、時間の試練を経ても生き残っているから古典なのである。それをどう読むかは読者次第であり、著者との対話をつうじて得るものが個々人で異なるのは、当然といえば当然なのだ。 

『アメリカのデモクラシー』は、2020年代の現在でも読む価値はある。そう確信した次第だ。 

岩波文庫版は、意外と日本語訳の訳文も読みやすいので、アメリカを制度面から理解するために、「第一巻」くらいは、ぜひ読んでおくといいと思う。ただし、日本語版に索引がないのが、玉に瑕なのので、自分で線引きするなり、付箋をつけたりするしかない。


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目 次
第一巻(1835年)
 序文
 第一部
  第1章 北アメリカの地形
  第2章 出発点について、またそれがイギリス系アメリカ人の将来に対してもつ重要性について
  第3章 イギリス系アメリカ人の社会状態
  第4章 アメリカの人民主権原理について
  第5章 連邦政府について語る前に個々の州の事情を研究する必要性
  第6章 合衆国の政治裁判について
  第7章 連邦憲法について
 第二部
  第1章 合衆国では人民が統治するとまさしく言える事情
  第2章 合衆国の政党について
  第3章 合衆国における出版の自由について
  第4章 合衆国の政治的結社について
  第5章 アメリカの民主政治について
  第6章 アメリカ社会が民主政治から引き出す真の利益は何か
  第7章 合衆国における多数の全能とその帰結について
  第8章 合衆国で多数の暴政を和らげているものについて
  第9章 合衆国で民主的共和制の維持に役立っている主な原因について
  第10章 合衆国の国土に住む3つの人種の現状と予想されるその将来にかんする若干の考察

第二巻(1840年)
 序言
 第一部 デモクラシーが合衆国における知的活動に及ぼす影響
  第1章~第21章(*詳細は省略)
 第二部 デモクラシーがアメリカ人の感情に及ぼす影響
  第1章~第20章(*詳細は省略)
 第三部 デモクラシーが固有の意味の習俗に及ぼす影響
  第1章~第26章(*詳細は省略)
 第四部 民主的な観念と感情が政治社会に及ぼす影響について
  第1章~第7章(*詳細は省略)
  第8章 主題の概観


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<ブログ内関連記事>

・・フランス人のトクヴィルが渡米したのは1830年代前半。その100年の1930年代の米国でウィーン出身の社会生態学者ドラッカーが考察したこと

・・「この映画のもう一人の主人公である「合衆国憲法」、とくに「権利章典」ともいわれる「合衆国憲法修正10カ条」(1791年制定)が大きな存在感を示す。合衆国憲法には、「人権」について定めた「権利章典」が欠けていたので、「修正」(Ammendments)という形で付加された。(・・・中略・・・)
「銃規制」については、一般市民による銃器所有を正当化する根拠となるのが「合衆国憲法修正第2条」である。つまり「銃器の所持と携帯」は「武装権」であり「自衛権」であり、米国人の認識においては「人権」なのである。「基本的人権」なのである。
(・・・中略・・・)そしてこの映画は、いきなり「修正第5条」から始まる。主人公がロビー活動において非合法な手段を用いて倫理違反を行ったのではないかという件にかんする上院の公聴会で、主人公は委員長の質問のすべてについて「修正第5条」をたてに証言を拒む。」

・・「スノーデン氏自身、「合衆国憲法」への思い入れが強く、とくに「憲法修正第4条」の「不当な逮捕・捜索・押収の禁止、安易な礼状発行の禁止」へのこだわりが、NSAによる通信監視の実態を暴露する動機になったようだ。」

・・「軍法会議であっても「陪審制」である。ただし、陪審員が現役の海兵隊将校たちであることは、軍法会議ならではといえよう。」



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2024年6月28日金曜日

民主主義が危機的状況にあると語られるいまこそ、「アメリカン・デモクラシー」を理解するためにトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読まなくてならないと思う今日この頃(2024年6月28日)

 

世界中の民主主義国で民主主義が危機的状況にあると語られることが多くなっている。その震源地とされるのがトランプのアメリカだ。 

むかし中学生の頃だったろうか、語呂合わせで英単語を覚えたとき、民主主義を意味する「デモクラシー」(democracy)は「でも暮らしいい」と覚えたものだ(笑) だからこそ、デモクラシーの理念と実態は維持しなくてはならない。

それはさておき、もともとギリシア語の「デモス」(=人民)と「クラシア」(=権力)の合成語であることからもわかるように、民主主義は愚民主義に堕してしまう危険を秘めている。実際に1930年代にナチス支配を生み出したワイマール共和国という前例がある。 





90分の大統領選ディベートを最初から視聴したが、バイデンの老人ぶりが際だった印象が強い。4年後のアメリカを指導しているバイデンを想像するのは難しい。もちろん、トランプの発言と内容には問題も多いが、力強さは感じられた「見た目は9割」である。




最終的にどちらが勝つことになろうと、大統領選における投票権をもたない日本国民は蚊帳の外ではあるが、民主主義国だけでなく、世界全体に与える影響はきわめつきに大きいので、注視せざるをえないのである。 

そんな「アメリカン・デモクラシー」であるが、1776年の独立革命から半世紀をへた1830年、調査旅行でアメリカを訪問し、詳細なレポートを製作したフランス人がいる。

アレクシー・ド・トクヴィルである。フランス革命後に生きたフランス貴族として、先行する民主主義国アメリカを研究したのであった。 

アメリカを知るための必読書とされるのが、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』である。1835年に第1部、1840年に第2部がフランスで出版されている。  

この本は、さまざまな分析に引用されるので断片的に読んではいるが、わたしもまた、まとまった形では読んだことがない。「読まれざる古典」といえようか。 

とはいえ、日々の出来事を追っていくだけでは見えてこないものがある。気合い入れて読まなくてはならないと思って10年前に購入したのだが、そのまま積ん読化して、いまだに通読していない岩波文庫版の4冊本。 

そろそろ、腰を据えて読まなくてはならないと思っているきょうこの頃だ。 


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