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2025年2月16日日曜日

『法句経(ダンマパダ)』と『自己信頼』(エマソン)ー「自己」(セルフ)を信頼することが大事であり、究極的に「自力」は「他力」と融合する



「大乗仏教」(マハーヤーナ)「上座仏教」(テーラヴァーダ)。この両者は、なにがどう違うのか? 

前者は東アジアとヒマラヤ越のチベット、後者はもっぱら南アジアのスリランカと東南アジアで栄えている。

典型的に異なるのは、上座仏教の世界は基本的に「自己救済型」、つまり「自力本願」だということだ。上座仏教は、ブッダの言行録をもとにした「初期仏教」にもっとも近い。キリスト教のアナロジーをつかえば、原始キリスト教に戻れと説いたプロテスタントと考えればよいだろう。

大乗仏教は、日本の浄土真宗がその典型であるが「他力本願」を旨とする。後者の「他力本願」のほうがより宗教性が強いが、実践倫理としては前者の「自力本願」は、「自己信頼」(あるいは「自恃」)に近いといえる。

この点を、初期仏教経典を見ることで確かめてみよう。

初期仏教経典には、先にも紹介した中村元訳で『ブッダのことば』と題された『スッタニパータ』のほか、『ダンマパダ』がある。日本では大正時代以降はじめて、原文のパーリ語から翻訳され、『法句経』(ほっくぎょう)として知られてきた。




『ダンマパダ』は、四行詩といってもいい韻文で書かれている。たとえばこういう一節がある。出典は、『法句経』(友松円諦訳、講談社学術文庫、1985)友松円諦は、浄土宗出身で「真理運動」の推進者であった。

おのれこそ  おのれのよるべ
おのれを措きて 誰によるべぞ
よくととのえし おのれにこそ
まことにえがたき よるべぞを獲ん
(友松円諦訳)


文語体でリズミカルな日本語訳である。わたし的にはこの訳がもっとも好きだ。

とはいえ、文語体になじまない人もいるだろう。口語体のもので現在もっとも流布しているのは、中村元による訳であろう。出典は『ブッダの真理のことば・感興のことば』(中村元訳、岩波文庫、1978)


自己こそ自分のあるじである。
他人がどうして自分のあるじであろうか? 
自己をよくととのえたならば、
得難きあるじを得る。
(中村元訳)


参考のために英訳もつけておこう。『ダンマパダ』はもっとも西洋語に翻訳された経典であるといわれる。


You are your only master.
Who else?
Subdue yourself,
And discover your master.
(Thomas Byron 訳)


出典は、Dammapada The Sayings of Buddha、Shambala Publication, 1993)。アメリカ人大学教授で仏教者となったラム・ダスによる序文がついている。

上記に引用した一節は、エマソンの「自己信頼」とおなじことを説いているといってよいだろう。太字ゴチックで下線を引いたフレーズ、「おのれこそ おのれのよるべ」「自分こそ自分のあるじ」「You are your only master.」は、みなおなじことを言っている。

世界的な仏教学者で比較思想の研究者でもあった中村元は、『自己の探究』(青土社、1980)でつぎのような指摘をしている。

「自己に頼る」という思想を打ち出したのは、西洋哲学ではエマソンが例外的なのだ、と。

エマソンが自分の思想に近いとして、東洋思想に大いに共感したのは、そういうところにあったようだ。「自己信頼」は、ブッダの思想にきわめて近い。




■鈴木大拙の「日本的霊性」において禅と浄土は一体化する

瞑想法ひとつをとっても、座禅を重視する禅宗はいっけん「自力本願」に見えるが、じつはそうではない。『般若心経』を重視する大乗仏教のど真ん中にあることを忘れるべきではない。そしてその背後には『華厳経』の世界観があることも。

これまた世界的な仏教学者で禅仏教を世界にひろめた鈴木大拙は、禅と結びつけられて論じられることが多いが、戦前は浄土真宗系の大谷大学で教鞭をとっており、「妙好人」の研究をつうじて浄土真宗にも造詣の深い人だった。学習院時代の弟子の柳宗悦は、浄土真宗に「民藝」の基盤を見ていた。

鈴木大拙の『日本的霊性』は、禅仏教と浄土仏教という、鎌倉時代の日本で花開いた新仏教に日本人の霊性(スピリチュアリティ)の根源を求めている。

「自力」は「他力」であり、「他力」は「自力」なのである。二律背反にみえる現象だが、目指すべき最終目的地はおなじである。

かの有名なフレーズ「人事を尽くして天命を待つ」とは、そのことを意味している。

「自力」によって「人事を尽く」したからこそ、「天命を待つ」という「他力」によって救われることになる。

「自力」なくして「他力」はないが、間違っても「自力」ですべてが成就するなどとは考えてはいけないのだ。これは西洋的合理主義のワナと言わねばならない。


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2025年2月14日金曜日

「陽明学」の安岡正篤もエマソン愛読者だった。「旧制高校」出身で「大正教養主義」の申し子であった安岡正篤における「教養」と「修養」について考える

 


在野の東洋思想研究者で、陽明学者として政財界に多大な影響をあたえたのが安岡正篤(やすおか・まさひろ)であった。

「歴代首相の指南役」といったフレーズや、「平成」という元号の選定者であり、また「終戦の詔勅」を添削した人であった。そんな話を聞いたことがあるかもしれない。 

安岡正篤といえば陽明学、つまり漢学者というイメージがあるので、おそらく「エマソン愛読者」というイメージは、なかなか出てこないのではないだろうか。 


■陽明学の安岡正篤もエマソン愛読者だった 

大阪に生まれた安岡正篤(1898~1983)は、「一高・東大」という超学歴エリートコースを歩み、東京帝大法学部出身でありながら官界での出世には早々と見切りをつけ、生涯を在野の思想家として貫いた人物だ。エマソンに出会ったのは旧制一高時代のことである。

安岡氏の世界訪問録である『新編 世界の旅』(エモーチオ21、1994 初版1942)には、欧州を歴訪したあと米国に渡航し、エマソンの旧宅をコンコードに訪ね、墓を探し出して墓参りしたことが書かれている。  

安岡氏の文章の引用は拙著『エマソン 自分を信じる言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2025)の「特別付録」として用意したものの、残念ながらページ数の関係から『エマソン 自分を信じる言葉』には収録できなかった。一部をここに採録しておこう。  

私も高等学校生の時代、彼の論文集を愛読したばかりではなく、その一部は教科書となって、厭な試験の種にまでなった。・・(上掲書 P.172 「コンコード」) 

ここにいう「論文集」とは『エッセイズ』のことで、その「第一部」には、かの有名な「自己信頼」(セルフ・リライアンス)が収録されている。時代はまさに「大正教養主義」のまっただ中であり、「教養主義」時代のエマソンの位置づけがわかろうというものだ。漢学者とし身を立てた安岡氏は、英語のみならずドイツ語も読みこなしていた。

 『対比列伝 戦後人物像を再構築する』(粕谷一希、新潮社、1982)に収録された「知の形態について 安岡正篤と林達夫」を読むと、バリバリの西欧派であった林達夫と東洋哲学の安岡正篤は、じつは一高で同級生だったことがわかる。「大正教養主義」の時代は、すでに明治時代ほどではなかったものの、いまだ「和漢洋」教養が血肉となっていた時代であった。  

安岡氏の「世界旅行」が行われたのは、1938年のことである。ムッソリーニ政権下のイタリアやヒトラーが政権獲得後のドイツだけでなく、英仏をはじめとする欧州先進国を歴訪している。 

ここで『世界の旅』の初版の出版年が、1942年(昭和17年)4月ということに注目したい。 

すでに前年の12月8日に対米英戦争に踏み切り、「鬼畜米英」が叫ばれていた時代である。米国訪問と米国人礼賛の内容をふくんだ著書の出版に対して、当局から検閲が強いられたものの、その大半をはねのけて出版にこぎつけたらしい。エマソン愛読者の面目躍如たるものがある。 


■エマソンは陽明学的である。

さて、拙著『エマソン 自分を信じる言葉』では、あえて「知行合一」という表現をつかうことにした。英語で表現すれば、knowing is doing となる。「知ることは行うこと」。アメリカのビジネス界では強調されるフレーズである。 この両者のギャップ(knowing-doing -gap)を以下にミニマムにするかが問われるのである。

「知行合一」とは、言うまでもなく陽明学の基本用語であるが、「知識は行動に移さなくてはならない」と説くエマソンは、ある意味では陽明学的といえるかもしれない。プラグマティズムが社会に浸透しているアメリカ社会は、あえてエマソンに言及することなく当たり前のマインドセットとしているのだ。

昌平坂学問所の儒官となっていた晩年の佐藤一斎の弟子に、中村敬宇(正直)がいる。というよりも、明治時代のベストセラー『西国立志編』(原著セルフ・ヘルプ)の訳者というべきかもしれない。 

朱子学を中心に陽明学まで修めていた中村敬宇は、幕府から派遣されて英国に留学、儒教の究極としてキリスト教徒になっている。儒教の「天」と類似する概念をそこに見いだしたのであろう。西郷隆盛のモットーとして有名な「敬天愛人」というフレーズの作成者である。

中村敬宇は、翻訳こそ出さなかったが、エマソンの愛読者でもあった。とくに『エッセイズ 第一集』に収録されている「償い」(コンペンセーション)を愛読しており、そこに『易経』の「陰陽二元論」を見ていたようだ。

相補性原理である「陰陽二元論」は自然界の法則であり、宇宙の法則である。地球が自転しているから昼と夜があり、満月になれば月は欠けていく。

エマソン自身は、若い頃から自分でこの「償い」というテーマを考察していたと本人自身が書いている。佐藤一斎がもっとも集中して研究していたのが『易経』であった。どうりで佐藤一斎とエマソンが似ているのは当然ではないか! 

このように東洋思想とはきわめて親和性の高いエマソンである。明治時代の先人たち、そしてかれらにつづく世代の人たちがエマソンを愛読した理由が、どこにあったかわかるのではないだろうか。 

ちなみに安岡正篤は、『易學入門』(明徳出版社、1960)の「易の根本思想」でつぎのように書いている。

易は宇宙人生を渾然として全きもの、現代知識人の理解を容易にするため、西洋的思惟・表現を仮るならば "the complete whole" として見る。それは無内容なものではなく、万有の遍満 plenitude であり、万有は偉大な連鎖 The Great Chain of Being である。(・・・後略・・・)*

そして、この一節に注をつけている。

*これらの解説については、1933年、ハーバード大学で行はれた A.O. Lovejoy 氏の連続講演 The Great Chain of Being に得る所があつた。

まさか、安岡正篤の書き物にラヴジョイの『存在の偉大なる連鎖』(ちくま学芸文庫、2013)が登場するとは思いもしなかった。この大著は、前近代の西洋思想における「天」の概念をプラトンから18世紀にいたるまで論述した「観念史」(history of ideas)の古典的名著である。

畏るべし安岡正篤! まさか山口昌男的であり、その師匠格の林達夫的なラブジョイまで目を通していたとは! 和漢洋の「教養」は「修養」の前提となっていたのである。

学問を実際に活かすとは、こういうことを指しているのである。


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<参考1> 『新編 世界の旅』(安岡正篤、エモーチオ21、1994 初版 1942)について

昭和17年(1942年)出版。1938年の欧州と米国横断旅行を4年後に出版。中国古典以外ではほぼ唯一の西欧関連のものだろうか。

「大正教養主義」の横溢する内容は、安岡正篤像を「異化」するために読む意味はある。時局的な内容ゆえに、かえって歴史的な興味もひくことだろう。

読めばこの時代の旧制高校出身者の「教養」の中身を知ることができる。理科はさておき、文科の教養の中身は、東洋古典の研究で名をなした安岡正篤にとっても、英語とドイツ語を介したものであったことがよくわかる。

それとともに、「大正教養主義」の時代においても、「教養」イコール「修養」であったことも納得させられる。

「目次」を紹介しておこう。

新序(昭和56年)
序(昭和17年)
航海
埃及とクレオパトラ
ナポリとポンペイの廃墟
羅馬-ムッソリーニとファッショ
フィレンツェ-ダンテと世界國家
ヴェネチャとガルダ-ダヌンチオの荘園
スウィス-國際連盟を弔ふ
パリ・ラ・フランス-ノートルダームの怪物
マルメゾーン-ナポレオンを憶ふ
ドーヴァー詩興
エーヴォン河畔-シェークスピーアの故蹟
ボーンマウスにて
ロンドン-英國及び英國人
ワイマール-ゲーテを憶ふ
ニュルンベルヒとミュンヘン-ナチスの起り
ベルヒテスガーデン
ダニューブに沿ひて
嗚呼ヘス
ウォシントンにて-アメリカ精神の問題
コンコード
 (一) エマーソンとホーソーン
 (二) 世界を旅して
西洋と日本
太平洋上-国家百年の計をを憶ふ
世界漫遊詩録
歴訪経路
あとがき(林繁之)



<参考2> 安岡正篤は「大正教養主義」の申し子。その実像と虚像

『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)の「第2章 右翼と教養主義」安岡正篤が取り上げられている。安岡正篤は基本的に「右派」として分類するべき人物である。

安岡正篤は最晩年の醜聞が週刊誌ネタになったことにより、神話のメッキがはげて落ちた偶像」となってしまったが、影が薄くなったとはいえ、ビジネス界にはいまだに信奉者が存在する。

陽明学をもとにした人間論、指導者論としての人気はつづいているが、戦前の「右翼思想家」としての側面は、意外なことにあまり知られていない

また、安岡正篤が「大正教養主義」の申し子であるという指摘が面白い。

官界でのキャリア地球は早々と捨ててしまったとはいえ、一高・東大の超エリートコースを歩んだ知識階層であり、軍部を含む戦前の国家官僚との親和性や、戦後の保守政治家や大企業経営者との親和性は、逆にいえばエリートと一般民衆との乖離を示している。これは同書に描かれている「血盟団」におけるエピソードに端的にあらわれている。行動主義の血盟団との確執は終生つきまとったようだ。

さて、すでに10年以上前のことになるが、片山氏の著書で取り上げられていた『昭和の教祖 安岡正篤』(塩田潮、文藝春秋、1991)を読んでみた。

これがまた面白い。この評伝は、ある意味で安岡正篤の「脱神格化」ともいうべき内容である。『「昭和の教祖」安岡正篤の真実』と解題さいたうえで、WAC文庫から2006年に再刊されている。この本については後述する。

この本の「第5章 白足袋の運動家」にこの世界旅行のことが書かれており、『世界の旅』(昭和17年)という本の存在を知った。

戦後に復刊されていたことを知り、アマゾンで中古本を購入、さっそく読んでみたらこれが面白い。ネットサーフィンならぬ、本の「はしご」である。

同書にでてくる「教養」について、西洋のものについてのみピックアップしておこう。「大正教養主義」の「教養」の中身が手に取るようにわかる。

プルターク
E.E.カミングスの英詩を暗唱
ムッソリーニのローマ進軍を追う ナポーリからローマへ
「一高時代、ダンテやゲーテに熱中したことを思ひ出して、それが一番懐かしかつた」(P.42)
ダヌンチオ・・三島由紀夫のダヌンツィオ好きは知られているが安岡正篤もまた。
アミエル(の日記) P.57
クルティウスの『フランス文化案内』(ドイツ語)
支那とフランスの比較文化論(P.69~73)
フランスの個人主義・・人口減少 (⇔ ドイツ ユーゲント)
ナポレオン → エマーソン『偉人伝』(英語)
マシュー・アーノルの英詩を暗唱 P.87 批評 P.115
シェイクスピア P.95
ワーズワース P.109
英国の衰退・・人口減少 P.116 (⇔ ドイツ ユーゲント)
ゲーテ P.120 
「イギリスはシェ-クスピーア、ドイツはゲーテであるが・・・近頃やはり彼の偉いところが解せられる」 ワーマールを訪問
 「國民聖地」としてのニュルンベルク
 『我が闘争』 Mein Kampf をミュンヘンで購入(1938年)
ヒトラーに劇作家クライストを読む
 ベルヒテスガーデンを訪問 ヒトラーの別荘地があった・・・
 チェコ併合直後に入る P.146に重要な指摘
ブダペスト 世界に流行した「暗い日曜」
 ヘス副総統と肝胆相照らす
アメリカのフロンティーアとパイオニーア p.163~165 P.170
エマーソンとホーソーン P.171
 「エマーソンにいたっては、カーライルと共に日本の学生に最もお馴染である。私も高等学校生の時代彼の論文集を愛読したばかりでなく、・・・」(P.172)
ホーソーン P.174
ベルリンのシュターツオーパーでワグネルの歌劇 P.203


先に紹介した『昭和の教祖 安岡正篤』(塩田潮)だが、仕官せずに在野でフリーランスで生き抜いた一人の人物として見る視点がよい。「安岡神話」破壊の本である。




南朝うんぬんは真偽の定かではないセルフプロデュースで、「歴代総理の指南役」も世間の虚像をうまく利用したセルフブランディング。実像と虚像、真と偽の「はざま」「あわい」をうまく利用したといえる。処世術。

「第4章 右翼の源流」と「第5章 「白足袋」の運動家」がとくに面白い。

『近代日本の右翼思想』(片山杜秀)の「第2章 右翼と教養主義」とあわせて読むと、安岡正篤の真相が見えてくる。「口舌の徒」だけでなく「白足袋の運動家」などといわれていたらしい。

思想としての右翼であっても、しょせん「主知主義」であったということ。責めるわけではないが、「知行合一」を説いた陽明学との距離があることは否定できない。

「歴代総理の指南役」にかんしても、個人的なつなりをもっていたのは吉田茂、岸信介、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳だけ、いずれも官僚出身で保守本流と呼ばれてきた政治家ばかり(P.243)である。田中角栄など、学歴エリートではない実利派との関係はない。

ここに安岡正篤の本質がみてとれる。東京帝国大学法学部卒の安岡正篤との同質性だけでなく、東京商大卒で大蔵官僚であった大平正芳が、なぜ安岡を頼りにしたかがわかる。大平は、漢文の教養不足を感じていた。

漢語の美辞麗句が意味をもたなくなった現在、もはや安岡正篤はあまり意味をもたなくなっている。「平成」とは異なり、あらたな元号の「令和」には、安岡の影すらない。

晩節を汚した占い師女性との一件についても、もはや忘却の彼方に去ったというべきか。

とはいえ、安岡正篤という人物は、「大正教養主義」なるものの本質を逆照射してくれる存在とみなすこともできる。

安岡はドイツ語でフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』を読み、みずから日本語訳までしていたという。訳稿を失ったため出版には至らなかったようだが。

つまるところは「学者」であり、処世術に長けていた人であった。だからといって、無意味だなどというつもりはない。なんといっても影響力が大きかったのだから。

安岡正篤にかんしては、実像と虚像のあわいを意識したうえで、近代日本思想史における位置づけを行うべきであろう。



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2025年2月13日木曜日

書評『ロシアとは何か ー モンゴル、中国から歴史認識を問い直す』(宮脇淳子、扶桑社、2023)ー モンゴル史の視点から「ロシアとはなにか」について考える

 


ロシアと「軍事同盟」を結んだ北朝鮮の「出兵」は実質的な「参戦」であり、ユーラシア大陸の東西がかかわる「世界戦争」化しつつあるのが現状だ。 

「力による平和」を標榜するトランプ大統領の再登場が局面打開につながることを期待しているが、はたしてウクライナとロシアの双方に納得のいく結論が出るのかどうか、きわめて不透明である。

そんなときだからこそ、あらためて「ロシアとはなにか」という問いが重要になってくる。


●なぜ、ロシアは侵略戦争を仕掛けてくるのか? 

●そもそも、ロシアとはいったい何なのか? 



モンゴル史を中心とした東洋史の専門家の立場からみた「ロシアの本質」。著者が語りおろした内容の、編集協力者による再構成なので読みやすい。  


■歴史を捏造するロシア。歴史の捏造は中国共産党だけではない 

ロシアは、長きにわたってモンゴル帝国の支配下にあって、その支配を脱して17世紀に生まれてきたことは「タタールのくびき」というフレーズに集約的に表現されている。

だが、そのフレーズじたいがロシアによる歴史の捏造であるというのが基本的な論点だ。 

たしかに、13世紀のモンゴル軍は侵略の際は大量虐殺を行っている。だが、平定後は基本的に間接統治を行っており、モンゴル統治下では平和が確保されてきたのが歴史的事実なのである*。

*いわゆる「タタールのくびき」の240年間については、最新研究を踏まえた『「ロシア」はいかにして生まれたか タタールのくびき(世界史のリテラシー)』(宮野裕、NHK出版、2023)を参照。
「ジョチ・ウルス」の統治下では、かならずしも平和が永続していたわけではなく、諸侯どうしの争いがつづいていいたが、基本的にハーンの裁定によって決着がつけられていたことが明らかにされている。最終的にジョチ・ウルスの分裂と衰退が、モスクワ公国を中心としたロシア形成への道を開くことになった。


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「元朝」という形で支配された中国(シナ)だけでなく、ロシアもまた然り。中国もロシアもモンゴル帝国の支配下にあった歴史を共有している。

そもそも、ロシアの起源は、北方のスカンディナヴィアからの開拓者であってスラブ系ではなく、先にみたように「タタールのくびき」で苦しんだわけでもなく、ギリシア正教を受け入れビザンツ帝国(=東ローマ帝国)の後継者を任じているが、ギリシア=ローマ文明をそのまま継承したわけでもない*。
 
*宮脇氏は言及していないが、ビザンツ帝国の「聖俗一致体制」は継承しているこれはロシア史の常識である。


18世紀のピョートル大帝による西欧文明化もけっして成功したわけではない。社会的矛盾を解決するために断行された20世紀のロシア革命の成果も、70年後にはソ連崩壊で消え去り混乱期を経てアイデンティティ模索のなか、「ユーラシア主義」に大きく傾き、「疑似民主主義」による独裁制をもたらす結果となっている。 

つまり、アイデンティティの核がきわめてあいまいで、揺れ動いている。つかみどころがないだけでなく脆弱なのである。虚勢を張っているのは、劣等感の裏返しだといえなくもない。 

東西に広大な領土を有するロシアは、「一帯一路」を推進して東西を結ぶ大構想をぶちあげている中国と同様に、実質的に「モンゴル帝国再興」を目指していると著者はいう。大いに説得力のある議論だ。ロシアも中国も、モンゴル人抜きの「モンゴル帝国」である*。

*ただし、モンゴル人に対する扱いは中ロで大きく異なる。ソ連の衛星国されたがモンゴル人としての国家を維持できた北モンゴルに対し、中共支配下で母語のモンゴル語を奪う民族浄化が遂行されている南モンゴルの状況に現れている。この点にかんしては、『内モンゴル紛争』(ちくま新書、2021)など楊海英氏の著作群を参照。


モンゴル人が主導した「13世紀のモンゴル帝国」は、わずか1世紀で瓦解した。中ロという、「21世紀のモンゴル帝国」は、はたしていつまでもつのか? 答えはそう難しいものではなさそうだ。わたしにはそう思えてならない。 

「ユーラシアの動乱」がもたらす結果には、日本列島の住民も十分に心の準備をしておく必要がある。 


■「岡田史学」でユーラシアを考えることの重要性

本書は、著者の宮脇淳子氏と、その師匠であり配偶者でもあった岡田英弘氏による、実質的な二人三脚による著作といっていいだろう。 

岡田英弘氏は、「世界史は13世紀のモンゴル帝国から始まった」とする主張を前面に打ち出した、名著『世界史の誕生』(ちくま書房、1992年)で日本人の世界認識に大きなインパクトをあたえた歴史家だ。わたしもこの本の影響を大きく受けている。現在は文庫化されている。  

岡田氏亡きあとは、宮脇淳子氏は「岡田史学」を世に広めることを使命とされている。本書でも岡田氏のロシア認識をベースに、最新の研究動向を踏まえながら、著者自身のことばでロシアについて語っている。 

「岡田史学」のなんたるかについては、「第1章 巻頭特別講義 入門・岡田史学」にまとめられている。冒頭に置くのはどうかなという気もしないではないが、名著『世界史の誕生』(1992年)を読んでいない人は、あとまわしでもいいので読んでおくべきだろう。 

 モンゴル史についても、ロシア史についても詳しくない人は、本書を読んで認識をあらためてほしいものである。モンゴル史を踏まえたロシアの実像は、広く「常識」となってほしいものだ。 


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目 次
プロローグ いまなぜユーラシアから見た世界認識が必要なのか 
第1章 巻頭特別講義 入門・岡田史学 
第2章 ロシア史に隠された矛盾 ― ユーラシア史からロシアの深層を見る 
第3章 国境を越える相互作用 
第4章 中国がめざす「モンゴル帝国の再現」―「一帯一路」とは 
第5章 ロシア、中国はモンゴル帝国の呪縛から解放されるか? 
エピローグ
参考文献

著者プロフィール
宮脇淳子(みやわき・じゅんこ)
1952年和歌山県生まれ。京都大学文学部卒業、大阪大学大学院博士課程修了。博士(学術)。専攻は東洋史。大学院在学中から、東京外国語大学の岡田英弘教授からモンゴル語・満洲語・シナ史を、その後、東京大学の山口瑞鳳教授からチベット語・チベット史を学ぶ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員を経て、東京外国語大学、常磐大学、国士舘大学、東京大学などの非常勤講師を歴任。現在、公益財団法人東洋文庫研究員としても活躍。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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・・ロシアを考えるには「勢力圏」(sphere of influence)という概念が有効




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2025年2月12日水曜日

エマソンの愛読者だったトルストイ。両者に共通するのは「東洋思想」への愛であった

 

「19世紀ロシア文学」の両巨頭といえば、言うまでもなくドストエフスキーとトルストイのことであるが、こと「自己啓発」という観点からしたら、トルストイの重要性には計り知れないものがある。 

トルストイ(1828~1910)には、そのものズバリの『人生論』と題した著書もあるし、家出先で病に倒れ臨終を迎えたその最期は、古代インド思想の「林住期」と「遊行期」を想起させるものがある。その劇的な最期については『終着駅 トルストイ最後の旅』(2010年)として映画化もされている。 

そのトルストイが「この本だけは読み継がれてほしい」と念願し、死の床で娘に朗読させていたほど思い入れの強かったのが、『文読む月日 上・中・下』(北御門二郎訳、ちくま文庫)という名言のアンソロジーである。  




最晩年の1908年に出版されたロシア語の原書のタイトルは「クルーク・チチェーニヤ」で、日本語なら「読書の輪(サークル)」とでもいった意味だ。 

拙著『エマソン 自分を信じる言葉』にも記しておいたが、1年366日で構成されているこの本の「1月1日」は、トルストイの言葉についで、いきなりエマソンが引用されている。拙著には採録しなかったが、本と読書にかんする文章だ。 

エマソンの愛読者だったトルストイだが、両者に共通するのは東洋思想への愛である。

インドはヒンドゥー教の古典から、儒教や道教の中国哲学、さらには13世紀ペルシアの詩人たちまで、そのカバーする範囲は両者でほぼ重なっている。 


■トルストイには『老子』のロシア語訳がある

そんなトルストイに『老子』のロシア語訳があることは、意外に知られていないかもしれない。

(『老子道徳経』のロシア語訳)


「平和主義」を説いていたトルストイは、『老子』を英語訳やドイツ語訳などで愛読していたらしい。 日本では『トルストイ版 老子』(加藤智恵子/有宗昌子訳、ドニエプル出版、2012)として出版されている。ロシア語原文とその日本語訳、原文の漢文とその英語訳を収めたものだ。  



歌手の加藤登紀子が帯に推薦文を載せているのは、訳者の加藤智恵子氏が実家のロシア(+ウクライナ)料理店キエフを継いだ実兄の配偶者だからだろう。加藤登紀子は「百万本のバラ」を歌うほどのロシア好きである。 


■「トルストイ版子」の共訳者は日本人

さてその『トルストイ訳 老子』であるが、トルストイと日本人の共訳であることも、あまり知られていないかもしれない。 

共訳者の日本人の名前は小西増太郎(1862~1940)。岡山の出身で正教徒となり、東京神田のニコライ堂に併設されていたニコライ神学校を卒業している。ロシア語をみっちり学び、司祭としての将来を期待されてロシアに留学する機会を得た小西増太郎は、キエフ(=キーウ)の神学校を卒業している。

その後、モスクワで大学在学中に『老子』のロシア語訳を欲していたトルストイに紹介され、共訳者として翻訳作業に従事することになった。運命的な出会いというべきだろう。
 



小西増太郎によるトルストイの回想録が『いかに生きるか ー トルストイを語る』(太田健一監修、万葉舎、2010)として出版されている。岩波書店から出版された1936年の初版の修正復刻版である。原文の文語体を口語体に変換して読みやすくなっている。  

この本はつい最近読んだのだが、トルストイについて語った本でこれほどのものは、あまりないのではないかと思う。しかも、日本人の手になるものとしては。

トルストイを訪問した日本人としては、文学者の徳冨蘆花の『巡礼紀行』(中公文庫)が有名である。おそらく現在でも、その認識はほとんど変わらないだろう。

また、その実兄でジャーナリストの徳富蘇峰も蘆花に先んじてヤースナヤ・ポリャーナにトルストイを訪問していることは『蘇峰自伝』に書かれている。


(蘇峰が直接トルストイからもらった手沢本聖書 小西上掲書に所収)


だが、4ヶ月にわたる共同作業をつうじて、もっとも身近で、もっとも長く接し、しかもその葬儀に参列した人は、小西増太郎をおいてほかにはいない。 

トルストイにはなんと30歳代から歯が一本もなかったこと(!)や、肉食を拒否した後期トルストイの食事のメニューなど、さまざまなディテールにかんする描写が興味深い。トルストイ好きなら、最初から最後まで楽しんで読める内容だ。 

文学作品としては、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』といった大作を残している文豪トルストイだが、後期のトルストイは説教臭くて好きではないという人も少なくないことだろう。 

とはいえ、『老子』をはじめとした東洋思想への愛、そして日本人との深い交友関係、若き日に南アフリカにいたガンディーとの書簡をつうじた交流など、「人生論」としての、「自己啓発」系作家としてのトルストイに、あらためて関心が高まることを期待したい。 そして、また肉食を拒否したベジタリアンとしてのトルストイについてもまた。 


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