先日のことだが、『ヤンキーと地元 ー 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(打越正行、ちくま文庫、2024)を読了した。
10年にわたって底辺に生きる若者たちとともに行動をともにし、「参与観察」というフィールドワークによって調査を行ってきた社会学者による、読み応えのある渾身の一冊だ。
この本の存在を知ったのは、じつは著者の訃報をネットニュースで知ってからだ。 昨年2024年12月9日に45歳で急逝した著者。さっそく検索して本書の存在を知った。
しばらく品切れになっていが、入手したのは12月25日付けの第3刷。だが、2024年11月10日が初版の本書には、著者の死去についてはなにも記されていない。「追記」が必要だと思うのだが・・・
ここに記されているのは、2007年から10年間に及ぶ「つかえない内部観察者」という立場による究極の「参与観察」の記録。寝食をともにし、行動をともにしてこそ見えてくるものがある。その記録としてのエスノグラフィー(民族誌)である。
食えない人文系の研究者である著者は、クラウドファンディングによる支援で、単行本としてまとめ上げることができた。本書は著者にとっては研究の区切りとなるものであり、文字通り代表作となった(・・なってしまった、と言うべきか)。
登場人物は、著者以外は匿名にしてあるが、リアルな人間の顔の見える、読み応えのある私的ノンフィクションとして読むことも可能だ。
著者は、文庫版に収録された「補論 パシリとしての生き様に学ぶ」で、「参与観察における調査者の立場」を2軸マトリクスで4つに分類している。
関係性としての「部外者/内部者」をヨコ軸に、有用性としての「つかえる/つかえない」をタテ軸にした4象限である。以下に示した③と④がいわゆる「参与観察」である。
①つかえない部外者②つかえる部外者③つかえる内部関係者④つかえない内部関係者
調査対象の内部に入り込む「参与観察」においては、「内部関係者」となることが求められるわけだが、「つかえる」か「つかえない」という違いが、意外と大きな意味をもってくることが、著者自身の「パシリ」としての立ち位置の記録から見えてくる。 それは「寄り添う」などという美辞麗句で表現されるものではない。
著者自身の「自分史」から、おのずと見いだされてきた立ち位置。これは著者独自の希有なものだと言わざるを得ないが、同時に、誰にでもその人なりの立ち位置というものがあることも示唆している。著者とおなじであるハズがないのだから。
(先行する社会学者の佐藤郁哉氏による『暴走族のエスノグラフィー』(新曜社、1984)は、カメラマンという属性によって「参与観察」した成果)
結論めいたものがいっさい記されていない本書だが、間違いなく言えるのは、2007年から10年にかけての、「地元」に生きる沖縄の若者たちの、声にならない声を拾い上げ、記録として残されたことだ。
読者としては、安直な要約で済ませてしまうのではなく。あくまでもその記録を記録として受け取るべきなのだろう。
●この記録は沖縄固有のものなのか、それとも日本社会全体に共通するものでもあるのか? ●少子化が進むなか、沖縄の現場労働における外国人労働者の状況は?
などなど、そんな問いの数々が誘発されるのは、この本に記された内容が、それだけリアルなものだからなのだ。
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目 次はじめに第1章 暴走族少年らとの出会い第2章 地元の建設会社第3章 性風俗店を経営する第4章 地元を見切る第5章 アジトの仲間、そして家族補論 パシリとしての生き様に学ぶ ー その後の『ヤンキーと地元』解説 打越正行という希望(岸政彦)初出一覧調査実施一覧生活史インタビュー・実施記録参考文献
著者プロフィール打越正行(うちこし・まさゆき)1979年生まれ。社会学者。2016年、首都大学東京人文科学研究科にて博士号(社会学)を取得。文庫版出版当時、和光大学現代人間学部専任講師、特定非営利活動法人社会理論・動態研究所研究員。2024年12月9日に45歳で急逝。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆修正)
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