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2025年6月9日月曜日

「自力」あってこその「他力」ではないか? ― 『歎異抄』を読んで感じる違和感の正体をたしかめる。カギは清沢満之(きよざわ・まんし)にあり




違和感を感じたのは、「悪人正機」と「絶対他力」。この2点については、おそらく高校の倫理社会の授業でも取り上げられるテーマではないかと思う。 

前者の「悪人正機」にかんしては、1995年の「サリン事件」の際にも大いに論じられたはずだが、みなすっかり忘れてしまっているのだろうか。麻原彰晃のような大悪人も救済されるのか? そんな問いである。 

後者の「絶対他力」については、ある意味では「『歎異抄』原理主義」」といった印象をつよく感じる。 

信心としての発言ならわからなくはないが、日常生活に応用するにはムリがあるのではないか。「自力」で努力することの意味がわからなくなってしまうからだ。 


■清沢満之という知られざる哲学者 

なぜこうのように思うかというと、清沢満之(きよざわ・まんし)という、浄土真宗の大谷派(東本願寺)が生んだ僧侶で、知られざる哲学者の文章を以前から読んでいたからだ。 

わたしが読んでいたのは、『清沢文集』(岩波文庫、1928)である。清沢満之は、夏目漱石や西田幾多郎にも影響をあたえている。フランス現代思想を専門にしていた今村仁司氏が、晩年にほれこんで『現代語訳 清沢満之語録』(岩波現代文庫、2001)も出しているほどの存在だ。  




昭和2年(1927年)に創刊された岩波文庫だが、その翌年に出版されたのが『清沢文集』である。参考のために岩波書店のウェブサイトから内容を再録しておこう。


清沢満之(1863‐1903)は16歳で僧門に入り,東大哲学科を卒業,一高の教授となり,のち,東本願寺関係の教職についた.当時,本願寺が財を追うに汲々とし,既に親鸞の精神が失われ去られているのを見るに堪えず,筆と舌をもってその革新を叫んだ.すなわち明治精神主義の警鐘となった人である.


一向宗(=浄土真宗)中興の祖である蓮如によって400年にわたって封印されてきた『歎異抄』。これを再発見し、その意味を明らかにし積極的に評価したのが清沢満之である。

ただし、清沢は『歎異抄』だけでなく、初期仏典である『阿含経』とあわせてエピクテートスの『語録』を「予の三部経」として愛読していた。 

エピクテートスは、『自省録』のマルクス・アウレリウスに先行する古代ローマのストア派の哲学者。清沢満之はエピクテートと書いているが、英語版で愛読していたようだ。東大でフェノロサから直接ヘーゲルなど学んでいた清沢は、通訳ができるほと英語には堪能だった。





エピクテートスがその最たる存在だが、ストア派哲学においては、「自分でコントロールできるもの」と「自分ではコントロールできないもの」を分けて考えよと説いている。

これをさして、清沢満之は「如意」と「不如意」と書いている。「如意」とは「意のままになる」なので、「不如意」は「意のままにならない」を意味している。カネがないという俗語的用法のもともとの意味は、そういうことになる。 

エピクテートスを愛読していたということは、清沢満之は『歎異抄』でいう「絶対他力」には限定づけを行っていることになる。『歎異抄』絶対主義者ではないのである。精進や積善など「自力」の要素を否定していないのである。

自己啓発哲学にからめていえば、ある意味ではスピリチュアル系の「他力」を前提としながらも、セルフヘルプ的な修養、つまり「自力」を否定はしていないことになる。重要なことは、「自力」には限界があるということだ。

宗門に属していた「中の人」であったが、幕末に生まれた没落士族出身の清沢満之は、明治時代前期の「成功時代」の空気を吸っていた人物であり、哲学志向の持ち主ならでは、というべきではないだろうか。



■『歎異抄』に感じる違和感をたしかめる

内発的動機ではなく外的要因からではあったが、『歎異抄』をひさびさに読むことになったのも、これまたなにかの「仏縁」である、そう感じて購入したまま長らく積ん読のままにしてきた関連書を、つぎからつぎへと読んでみた。『歎異抄』をひさびさに通読して抱いた違和感の正体を確かめたかったからだ。 

*****


仏教をベースにした宗教学者の山折哲雄氏は、岩手県の浄土真宗の末寺の出身で、父親の布教先であるサンフランシスコで生まれた人。多作のこの人の本は、10代後半の大学学部時代以来これまで何冊も読んでいる。




『悪と往生』の原本は2000年の出版で、1995年のサリン事件がキッカケになったのだという。 弟子の唯円の聞き書きで構成された『歎異抄』と、親鸞自身の手になる主著『教行信証(きょう・ぎょう・しん・しょう)』との内容のズレを指摘し、「弟子というものは師を裏切るもの」だと書く。 

山折氏は、このテーマだけで『教えるえること、裏切られること ー 師弟関係の本質』(講談社現代新書、2003)という本を書いているが、あらためてその意味をかみしめている。  

*****

同時並行的に『地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし 小説 暁烏敏(あけがらす・はや)』(石和鷹、新潮文庫、2005)を読む。暁烏敏という名前は時々耳にするものの、どういう人か知らなかったので。 

 タイトルの「地獄は一定すみかぞかし」は『歎異抄』にでてくる有名なフレーズ。「地獄に落ちることはわかっているが、いまここの自分がいるところが地獄なのだ」という自己認識をを意味している。




暁烏敏は、門徒地帯である北陸の、金沢にも近い貧乏寺に生まれ、先に名前をだした清沢満之の弟子で、『歎異抄』を前面に打ち出した「破格の念仏僧」。 生きていた当時は、カリスマ的な人気をほこっていたが、スキャンダルまみれで毀誉褒貶あいなかばする人物であったようだ。

たしかに文学作品の素材としては面白いが、「悪人正機」をそのまま生きた人物であったといえるのかもしれない。 その意味では説得力のある説教者だったわけだ。

だが、この暁烏敏もまた、「弟子というものは師を裏切るものだ」という山折哲雄のテーゼそのままを地で生きた人物といえる。というのも、師である清沢満之の哲学的な側面を黙殺して、『歎異抄』を絶対化した人だからだ。自分の都合にあわせて、師の名前を利用したと言われても否定しようがない。 

*****

『清沢満之と日本近代思想 ー 自力の呪縛から他力思想へ』(山本伸裕、明石書店、2014)は、知られざる哲学者であった清沢満之について詳しく知ることのできる良書。一読してみて、清沢満之を知るには、まずこの本から始めるといいと思った。  




先にも触れたが、意外なことに清沢満之はお寺の出身ではない。勉強はできたが没落士族であったため、東本願寺の奨学金を得て、帝大になる前の東大で哲学を学んでいる。宗教哲学の開拓者たらんと意気込んでいたのである。

そのまま大学に残っていたら、西田幾多郎の前に「日本初の哲学者」になっていただろうという評価もある。 

「目次」は以下のようになっている。 

序章 清沢満之ー「神話」の形成とその解体 
第1章 人物と思想 
第2章 東京大学哲学科 
第3章 清沢満之のインパクト 
第4章 『歎異抄』の再発見 


清沢満之には、もっと注目があっていい。どうも「宗門の人」という固定観念ができあがってしまって、敬遠されてしまったままなのだろう。残念なことである。 


(清沢満之 Wikipediaより)



*****

『仏教の大東亜戦争』(鵜飼秀徳、文春新書、2022)は、京都にある浄土宗寺院の住職でジャーナリストの著者によるノンフィクション作品。  

明治維新にともなう「廃仏毀釈」で壊滅的な打撃を受けた仏教界が、いかに近代日本において国策を支える存在として機能してきたかをつぶさに検証している。 




なかでも大きな役割を演じてきたのが、豊富な資金力と閨閥によって明治維新体制の支配層とも密接な関係をもってきた、東西両本願寺の浄土真宗であることが明らかにされる。物心両面にわたって支配体制を支える一翼であったことは紛れもない事実なのだ。

戦国時代末期に一向一揆が壊滅的打撃を受けて以降は、その時代の支配層とたくみに折り合いをつけて生き抜いてきた教団である。

禅仏教と戦争協力の件については、禅宗各派が戦後ほっかむりしてきたことに対して、だいぶ前から糾弾されてきたが、戦争協力にあたって浄土真宗のはたした役割については、あまり知られていない。功罪両面にわたって冷静に受け止める必要がある。 

*****

このテーマとも関係があるのが、『親鸞と日本主義』(中島岳志、新潮選書、2017)。 この本の存在は出版当時から知っていたが、じつはつい最近まで黙殺していた。タイトルにあるこの組み合わせにあまり関心がなかったからだ。 

思想史家の中島氏は、近代日本とインドの関係についてのノンフィクション的研究書を何冊も出しているが、バーク以来の本来の意味としての「保守主義」の立ち位置から近現代の日本思想について積極的な言論活動を行っている人。

 特定の宗派には属していないが『歎異抄』を座右の書とし、自分は「門徒」である自覚している中島氏は、このテーマは他人事ではないとしている。 

わたしもそうだが、一般的に「日本主義」というと、どうしても「日蓮主義」のイメージが固定観念として濃厚にある。

田中智学の「国柱会」の影響下にあった軍人の石原莞爾などを想起するからだ。浄土宗の僧侶で作家の寺内大吉氏の『仮城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』(中公文庫、1996)などの印象が大きい。だから、中島氏のこの本は黙殺していたのだ。




 ところが、激しいアカデミズム攻撃をおこなったことで悪名高い蓑田胸喜(みのだ・ むねき)など『原理日本』の関係者は、いずれも親鸞主義者であり、「絶対他力」のロジックを国家神道体制のもとにおける「惟神(かんながら)」に援用している。このことは初めて知って驚いている。

『歎異抄』を戯曲化した『出家とその弟子』の著者である倉田百三が、後年は国家主義者に転じていること。

また、徹底的に弾圧された獄中のマルクス主義の運動家たちが、浄土真宗がその中心であった「教誨師」によって「転向」していること。 

先にも名前を出した暁烏敏が、浄土真宗の門徒たちを殺生をおこなう戦場に送り出すためのロジックを編み出して、ある種のイデオローグ(・・いやデマゴーグというべきか?)として煽りに煽った存在であったこと。(・・ただし、なぜか中島氏は、暁烏敏の手のひらを返したようなご都合主義的な敗戦後の「転向」については触れていない)。 

そんな事実がつぎつぎと明らかにされ、「日蓮主義」だけでなく、「親鸞主義」もまた「日本主義」や「超国家主義」を支えていたことを知った。

日本最大の宗派である浄土真宗の存在の大きさについては、日本近現代史を考えるうえで、無視できない重要な要素である。 今後は、「積極哲学」ともいうべき日蓮主義と、「消極哲学」ともいうべき親鸞主義の違い、近現代の日本におけるその意味について、考えていきたい。



 ■「『歎異抄』絶対主義」はきわめて危険 

話がだいぶ拡散してしまったようだが、結論としては「『歎異抄』絶対主義」あるいは「『歎異抄』原理主義」は、きわめて危険だということだ。400年前に蓮如が封印したのもわかる気がする。『歎異抄』は古典であるが、依然として取扱注意の危険な本なのだ。

「絶対他力」は信心の世界では可能かもしれないが、現実の日常として生活をおくるうえでは不可能である。精進や積善というと古くさいニュアンスがあるが、すこしでも自分を向上させるための修養は必要である。

自力」あっての「他力」、そして「自力」の限界を悟ることの意味を体感することは必要だ。そのキッカケとして『歎異抄』を読むことには意味がある。だが、古典だからといって、無批判に賞賛したり、自分に都合よく読むのもまた禁物である。けっして軽々しく取り扱うべき内容ではない。 

もちろん、そう書いているわたしは「門徒」ではないものの、「凡夫」(ぼんぷ)だという自覚はもっており、知らず知らずのうちに悪を犯している「悪人」であることは否定しない。『歎異抄』のそんな要素にかんしては共感する。 

だからこそ、浄土真宗の「中の人」でありながら、ストア派のエピクテートスを愛読していた哲学者・清沢満之の存在を意識しておきたいのだ。 



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2020年5月4日月曜日

『法然の衝撃-日本仏教のラディカル』(阿満利麿、人文書院、1989)は、タイトル負けしていない名著。現在でもインパクトある内容だ


『法然の衝撃-日本仏教のラディカル』(阿満利麿、人文書院、1989)という本を取り上げたい。すでに30年も前の出版だが、タイトル負けしていない名著といっていいだろう。なぜいまこの本を取り上げるのか、まずはその背景となる理由を簡単に記しておく。

***

FBで「7日間ブックカバーチャレンジ」というチェーンメールのようなものが行われている。4月後半から続いている。

新型コロナウイルスのパンデミックによる「緊急事態宣言」の最中、自宅にステイすることを余儀なくされている人たちが多いなか、少しでも読書文化の向上に貢献しようという取り組みのようだ。趣旨そのものはともなく、あるテーマに関連して7冊をセレクトするという行為には意味があるので、その試みに乗っかってみることにした。

最初は、引きこもり(stay-at-home)関連で4冊セレクトしたが、4月25日早朝に父が臨終に近いという緊急連絡を受け取ってから、病院に直行、臨終には間に合わなかったが、葬儀一式にかかわるためバタバタしていた。初七日までは喪に服すと決めて、FBへの投稿をいっさい行わず、5冊目からの再開は、4冊目の後の5冊目だから「四五」すなわち「死後」と定めて、その関連の本を取り上げることにしたのである。

5冊目は、『唯葬論-なぜ人間は死者を想うのか-』(一条真也、サンガ文庫、2017)。この本は、葬儀一式にかかわった機会にはじめて読んだ本。この本については、内容をふくらませた上で、のちほどブログにアップすることにする。

6冊目に選んだのは今回紹介する、『法然の衝撃-日本仏教のラディカル』(阿満利麿、人文書院、1989)。亡くなった父が浄土宗であり、その関連から自分自身も浄土宗について知る必要を強く感じていたので、かつて2回ほど集中的に読み込んだ時期がある。いまからもう四半世紀も前に読んで、強い印象を受けた本が、この1冊だ。

以下、FBに投稿して、内容を紹介した一文をそのまま再録しておこう。

***

法然なくして親鸞なし!

日本仏教の二大勢力は親鸞を宗祖とする浄土真宗と、日蓮を宗祖とする日蓮宗だが、その親鸞は法然の弟子であり、法然の「革命性」を認識しなければ、いわゆる「鎌倉新仏教」を理解できないことを示した内容。

法然とその後継者である親鸞、法然と徹底的に対決した日蓮。南無阿弥陀仏という「六字の名号」で成仏できるとした革命性阿弥陀仏にのみ帰依するという、ほとんど一神教に近い性格。戦国時代末期の一向一揆の原動力がこれだ。

私自身は、特定の教団や教派に属すつもりはないが、もともと浄土系の家に育っているので、浄土宗や浄土真教とは何か、という問いには強い関心がある。

浄土系の仏教は、生きるチカラが湧いてくるという類いの教えではないが(と自分は思っているが)、安心して死ぬ、安心して死者を送るためには、ほんとにすぐれた教えであり、体系であると、今回あらためて確信した。

阿満利麿氏は、経歴によれば元NHKディレクターの宗教学者。阿満氏の著書は、かなり読んだが、この本が一番だと思う。それだけ内容が濃く、タイトル負けしていないインパクトの強い本なのだ。

***

旧著紹介ということで、ここで取り上げた次第。





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「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた

『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた

「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?

善光寺御開帳 2009 体験記

葬儀は究極のサービス業である(2020年5月2日)-4月25日に永眠した父の葬儀一式にかかわって思うこと

書評 『唯葬論ーなぜ人間は死者を想うのか-』(一条真也、サンガ文庫、2017)-「なぜ生者は死者を弔うのか?」という問いを全18章で論じ尽くした渾身の一冊



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2011年11月9日水曜日

書評『仏教入門 法然の「ゆるし」 (とんぼの本)』(梅原猛 / 町田宗鳳、新潮社、2011)― ビジュアルを楽しみながら知識も得ることのできるすぐれた「法然入門」


 今年2011年は、法然上人八百回忌の年にあたる。その意味では、本書は企画本といってよい。
    
 『仏教入門 法然の「ゆるし」 (とんぼの本)』(梅原猛 / 町田宗鳳、新潮社、2011)は、全体的にビジュアルを楽しみながら、知識も得ることのできるすぐれた「法然入門」となっている一冊である。

 本書のタイトルは、『仏教入門 法然の「ゆるし」』とあるが、これは正確には「法然から入る仏教入門」というべきだろう。「仏教」と一口に言っても、原始仏教から密教まであまりにも幅が広すぎるからだ。

 むしろ、今年10月から12月まで国立博物館で開催中の「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 のよきガイドブックとして活用すべき本だろう。

 出品目録を中心とした公式カタログは、国立博物館のミュージアムショップで販売しているが、法然と親鸞の合冊であり、しかもあまりにも大部なので購入はためらうものがある。

 本書はハンディなつくりで、展覧会にも出品されている国宝「法然上人絵伝」をカラー図版で見せてくれるところに最大の特徴がある。絵伝に従いながら法然上人の生涯をたどることができる。これは混雑している会場ではなかなかできにくいことだ。

 そして、「日本最大の思想的革命家は法然である」と喝破した梅原猛の特別寄稿「死の教師、法然」で、法然の借り物でない、自分で考え出した思想の秘密を理解し、同じく「思想の革命家」であることを主張してきた町田宗鳳が、わかりやすいQ&A方式で、法然の思想が現代の日本人にとってもつ意味を解説する。

 法然が生まれた土地である岡山の美作(みまさか)と京都に、法然の足跡をたどる写真紀行も、事前のシミュレーションとして活用できる。

 今年はまた、奇しくも「親鸞聖人七百五十回忌」の年でもある。

 同じく企画本として、梅原猛との浄土真宗僧侶との共著で『仏教入門 親鸞の「迷い」(とんぼの本)』(梅原猛 / 釈徹宗、新潮社、2011)が出版されているので、親鸞への興味が強い人はそちらもあわせて読むとよいだろう。

 「親鸞の思想、それは凄まじいまでの悪の自覚である」と喝破した梅原猛の親鸞論や、梅原猛が校注したた『歎異抄』(講談社文庫、現在は講談社学術文庫)は、わたしもむかし読んだものだ。『歎異抄』は有名な本だから。

 梅原猛は、親鸞だけでなく法然についても、『法然 一五歳の闇』(角川ソフィア文庫)法然の哀しみ』(小学館文庫の二冊を書いている。その事実からわかるよに、じつは親鸞よりも法然のほうにつよい思い入れがあるようだ。

 わたし自身といえば、浄土宗の周辺に生まれたということや、個人的な好みもあって、人間としてはある程度「ええかげん」さを認める寛容な法然のほうにより強く惹かれるものがある。あまりにも「近代的」で「合理的」すぎる親鸞より、法然のほうが思想家としてははるかに過激だったのであるが。

 本書は最初に書いたように「仏教入門」と銘打たれていても、あくまでも「法然をつうじた仏教入門」であり、「ザ・仏教入門」ではない。

 わたしは、法然は日本仏教においては空海と並んで重要な人物であると考えているが、仏教はもっと広いコンテクストで捉えたいのだ。上座仏教からチベット仏教まで、幅広く。


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目 次

法然の言葉(町田宗鳳監修&解説の5選)
1. 法然の生涯-「万民救済」に生きた日本仏教の革命家(林田康順・浄土宗僧侶)
2. 法然の思想-リアリストの革新性とは(町田宗鳳)
3. 死の教師、法然(梅原猛)
4. 法然への旅-美作と京都に上人の足跡を辿る(編集部)
法然への旅 マップ(=二十五霊場と由緒寺院を掲載したマップ)
法然年表
参考文献

<関連サイト>

『仏教入門 法然の「ゆるし」 (とんぼの本)』(新潮社ウェブサイト)
・・「編集者のことば」などが読める


<ブログ内関連記事>

■法然上人と念仏関連

善光寺御開帳 2009 体験記
・・善光寺は宗派には関係ないが、とはいえ天台宗と浄土宗が中心になって管理運営している。極楽浄土を願い庶民信仰のお寺である

「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?・・既成教団への失望感を、率直な気持ちとしてつづった

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)
・・編集工学の大家による「編集」を切り口にした斬新な法然論。第三部の特別対談 松岡正剛×町田宗鳳 「3-11と法然」はぜひ読むべき

書評 『法然・愚に還る喜び-死を超えて生きる-』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)

『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた

「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた
・・『南無阿弥陀仏』という著書をもち、「妙好人」を讃えていた柳宗悦は、法然や親鸞のそのさきの一遍上人を見つめていた

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は、じつは大阪の浄土真宗の門徒の家に生まれた人でもあった。

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992・・町田宗鳳氏が修士号を取得したハーバード神学大学院(Harvard Divinity School)について書いた記事

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す
・・カトリック中世ではよく知られていた標語「死を忘れるな」にからめて書いた生きる意味について

経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく


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2011年11月6日日曜日

「法然と親鸞 ゆかりの名宝 ー 法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた


 先月10月26日のことだが、「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌-」にいってきた。東京の国立博物館・平成館で、12月4日まで開催されている。

日時: 2011年10月25日~12月4日(途中、前期と後期で作品の入れ替えあり)
場所: 国立博物館・平成館(東京・上野)
主催: 国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援: 文化庁
特別協力: 知恩院、増上寺、西本願寺、東本願寺その他




 今回の展覧会に足を運ぶのは、美術ファンというよりも浄土系の在家信者とその周辺の人たちが多いのではないだろうか。

 同じく仏教信仰の対象でありながら、美術性の強い密教系の仏像や仏画などが、仏教のワクを超えて一般人の関心を大きく引きつけるのとは事情がやや異なるのではないかと思われる。

 ちょっと古いが 2000年度の文部科学省のデータでは、浄土宗と浄土真宗など浄土系各派をあわせると 19,500,000人(≑ 1,950万人)になる。日蓮系の 1,700万人を抜いて、日本では最大の勢力を誇る宗派である。この計算が正しければ、日本人の 6人に1人はなんらかの形で浄土系の信徒ということになる。

 もちろん、わたしのように浄土宗の周辺に生まれながらも、とくに活動をしていない者も多数いるだろう。だが、法然や親鸞は、一般でも気にはなるという人も少なくないのではないだろうか。



 とくに親鸞にかんしては、知識人や文化人の多くがとりあげてきたし、近年では作家の五木寛之による『他力』などのベストセラーも影響が大きい。

 一般的な知名度では、親鸞、法然、一遍の順番ではなかろうか。


日本仏教史における法然の意味

 だが、法然上人(1133~1212年)が専修念仏(せんじゅねんぶつ)を広めることで、日本ではじめて仏教を一般民衆の手に届くものにしたことは、まさに「日本仏教史における革命」としかいいようがない。

 浄土真宗の「宗祖」である弟子の親鸞聖人(1173~1262年)もまた、法然が道なき道を切り開いていなければ、けっして念仏の道には進まなかったであろう。

 念仏が身分や男性の性別に関係なく平等に受容されるようになったからこそ、これにつよい危機感を感じた日蓮宗の「宗祖」日蓮聖人も、アンチの立場から獅子奮迅の念仏反対運動を行ったことを知らねばならないのである。

 そして、法然、親鸞、日蓮という、いわゆる「鎌倉新仏教」の「宗祖」はいずれも、比叡山で学んだ学僧であったということにも注意しておきたい。

 その先陣を切って、道なき道を切り開いた法然上人はまさに開拓者。日本仏教史上において、それほど意義ある存在なのだ。


今年2011年は「法然上人800年大遠忌」であり、「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもある

 ことしは「法然上人800年大遠忌」である。1212年に法然上人が入寂(にゅうじゃく)されてから800年。考えてみれば、すいぶん昔の話ではある。

 だが、ちょうどその「法然上人800年大遠忌」の年の3月11日、日本と日本人は、大地震と大津波、そして原発事故という未曾有の大災害に見舞われた。その後も台風による大洪水被害など、つぎからつぎへと自然災害に見舞われており、地震活動もまた「活動期」に入ったとさえ言われている状態だ。

 「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもあるという認識をわたしはもっている。「法然上人800年大遠忌」が「3-11」と重なったのはたんなる偶然とは片付けにくい。大いなる「警告」であると受け止めるべきであろう。

 なんせ、3万人にも近い人たちが、大津波に飲み込まれて亡くなっているのである。この事実を受け止め、深く認識することなしに法然上人を論じるのはナンセンスではないだろうか。

 だからこそ、800年という時間を超えて、法然上人が生きた「末法の世」と重ね合わせながら、法然上人の生涯を考える機会にもしたいものだとつよく思うのである。
 
 今回の企画は、「3-11」など予想だにしないころから始まったのだと思うが、まさにドンピシャのタイミングとなったというべきである。



法然上人80歳!親鸞聖人90歳!-ともに厳しい法難を体験しながら長寿を全うした理由はなんだろう?

 今回の展覧会でつよく印象に残ったのは、法然と親鸞は40歳の年齢差のある師弟関係なのだが、それぞれ80歳と90歳という当時としても、もちろん現在であっても長寿を全うしたことだ。これがひじょうにつよく印象に残った。

 法然上人は、晩年のなんと 75歳(!)で土佐に流され(・・結局は讃岐になった)、同じ年、親鸞は 35歳で佐渡に流されている。許されて京都に戻ったのは法然上人79歳。長命であっただけでなく、使命感のつよい人は念仏の呼吸法によって、意識も肉体も強靱であったのだろう。

 法然上人の生涯は、絵巻物として残されており、今回の展覧会でも閲覧することができる。




わたしの推奨する見所

 まずはなんといっても、国宝の「早来迎」だろう。これは前期(10月25日~11月13日)だけの展示なので、ぜひ見逃さないでほしい。


 わたしはこれを勝手に阿弥陀如来の急降下爆撃(笑)といっているのだが、「お迎え」は突然予期せず、しかしながら確実にやってくるので安心せよ!ということをじつにわかりやすく語った絵解きなのだ。

 人間にとって、生物である以上、死は絶対に免れ得ないだけでなく、しかもいきなり突然やってくることさえある。まさにカトリック世界でいわれてきた標語メメント・モリ(死を忘れるな)である。

 しかし、そうであっても、阿弥陀如来は必ずどんな時でも、どんな人でも分け隔てなく救済してくれるのである。そう考えれば、安心して生きることができるではないか。

 安心して死ぬことができるということは、安心して生きることができるということなのだ。そんな教えなのではないかと勝手に解釈しているのだ。

 もちろん「早来迎」は、美術品としてもすぐれている。スピード感、躍動感にあふれたダイナミックな構図。この来迎図はまことにもって国宝にふさわしい!

 「山越えの阿弥陀如来」。これもまたよい。当麻寺(たいまでら)にあるものと同じ構図。折口信夫が小説『死者の書』を書くキッカケになったのも「山越えの阿弥陀如来」だ。西方浄土は日が沈む方向、日本人の他界観をよく示した図像である。

 そして言うまでもなく「国宝・法然上人絵伝」。絵巻物である。ぜひご覧になっていただきたい。

 美術品ではないが、阿弥陀如来像のなかにはいっていた「4万6千名の署名」はスゴイ!驚異的である! 必見である。

 法然上人没後一年目にあわせて、弟子たちによって追慕の意味で作成された阿弥陀如来像。1974年に滋賀のお寺で発見された際に、仏像の胎内から経文のほかに「4万6千名の署名」が収められていたというのだ。

 展覧会では、画像や映像などさまざまな手法を駆使してその全体像をみせてくれるのだが、まさに圧巻。またまた、法然上人の日本仏教史においてもつ意味をあらためて再確認させられるのである。


 浄土系には縁のない一般の方々も、ぜひ一度は見に行くことを勧めたい。日本仏教史、日本史の学習のためにも、また「3-11」後の「末法の世」を行く抜く知恵を学び取るためにも。





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