新型コロナ感染症が緩和された状態でも入場は予約制だったが、ようやくそのような面倒なことがなくなったためだ。丸の内まで行く用事があったので、東京駅から丸ノ内線で足を伸ばしてみた次第。
(無料で配布されているパンフレット)
鈴木信太郎(1895~1970)は、フランス文学研究者で、もっぱらフランス詩を日本語訳してきた先駆者的存在だ。上田敏の『海潮音』のつぎの世代である。
芝居の『シラノ・ド・ベルジュラック』を一緒に日本語訳した、先輩で盟友の辰野隆とともに、東大文学部のフランス文学科で多くの後進を育成した功績も大きい。門下からは研究者だけでなく、大岡昇平などの作家や、小林秀雄などの評論家も輩出している。
フランス詩にかんしては、マラルメやヴァレリー、ボードレール、さらにさかのぼって中世のヴィヨンの研究と翻訳で知られている。これらの翻訳はみな岩波文庫に収録されている。
わたし的には、これらにピエール・ルイスの『ビリチスの歌』を付け加えておきたい。映画化にあわせて角川文庫から1977年に復刊された際に入手して読んだ。古代ギリシア世界を模した作品だ。
(母屋から庭を見る 筆者撮影)
「鈴木信太郎記念館」は、その鈴木信太郎氏の旧宅を記念館として保存したものだ。
本人が亡くなったあとは、建築家になった長男夫妻が住んでいたが、その後は寄贈されて保存されることになった。
(書庫棟の外観 筆者撮影)
住宅建築としても特徴のあるもののようだ。和風建築の母屋(これは戦災のため戦後に再建)に、昭和3年(1928年)に建築された鉄筋コンクリートによる書庫。
なによりも稀覯書を収集し、愛書家であった鈴木信太郎氏が建築にはカネをかけたもののようだ。そのおかげで空襲による熱で鉄扉が開かなく被害もあったものの、書庫そのものは無傷で生き延びることができたのである。
(書庫棟の入り口の鉄扉 筆者撮影)
わたし自身の関心から、まずは書斎に入ってみたが、なかなか立派な書斎であった。
外観は鉄筋コンクリートだが、内装は木のぬくもりを感じさせる落ち着いた空間。どっしりと鎮座する重厚な木造テーブル。この空間で知的作業が行われたわけだ。うらやましい。
(書庫棟の内観 豊島区の公式ウェブサイトより)
「資料の接写は控えてください」とあったので、ルールに従い蔵書はガラスケース越しに閲覧するのみとする。見ているだけでも気持ちいい。当方の判断で、書斎全体の写真は撮影することにした。
玄関には鈴木信太郎氏の等身大のパネルが設置されていて、「いっしょに自撮りしましょう」とあったので2ショットで自撮りしみた。だが、オジサンが動いてくれないので、ちょっと難しかったな。
<ブログ内関連記事>
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end