「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル コレクション の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル コレクション の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年5月27日水曜日

「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」(サントリー美術館)に行ってきた(2026年5月27日)― 日本よりも海外で高く評価され愛好されてきた天才画家の最大コレクション

 

「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」(サントリー美術館)に行ってきた(2026年5月27日)。河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)は、幕末から明治時代にかけて活躍した天才画家である。

ありとあらゆる画題を縦横無尽に描きまくった曉斎、その全貌を現時点では世界最大のコレクションから精選して出品されている。

曉斎については知っていても、一部しか見たことのないわたしにとって、今回の企画展は大いに期待していたものであり、その期待はまったく裏切られることはなかった

ほぼ同時期に見た日本の明治時代後期の洋画家の作品があまりにも陳腐で、まったく取るに足らぬほど印象の薄いものと感じたのもむべなるかな。天才と秀才の違いである。


(パンフレットの裏)


河鍋暁斎といえばカエルである。カエルの学校、カエルの行列、カエルどうしの戦争などなどの戯画や諷刺画。 3歳のときに最初に描いた絵がカエルだったというエピソードがある曉斎ならではである。

『河鍋暁斎戯画集』(山口静一/及川茂編、岩波文庫、1988)のカバーには、人力車を引くカエルと、人力車でふんぞり返っているカエルが描かれている。戯画であり、明治時時代初期の風俗を諷刺したものであるが、なんと生き生きとしたカエルであることか!





■日本よりも外国のファンの多い暁斎

今回の企画展は、「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」というタイトルにあるとおり、ゴールドマン氏のコレクションの日本公開である。

イスラエル・ゴールドマン氏は英国人の美術商で、日本版画を中心にディールしているそうだ。暁斎に惚れ込んで、現時点では世界最大のコレクターとなっている。

どうも河鍋暁斎は日本では正統の美術史から除外されてきたようだが、生前から外国人のファンが多いようだ。

「奇想の系譜」で有名な美術史家・辻惟雄氏が単独執筆した『日本美術史』の英語版の表紙カバーには、なんと北斎ではなく暁斎のカエルの戯画が使用されている。日本語のオリジナル版にも収録されている大英博物館蔵の作品である。

それほど、河鍋暁斎は外国受けする日本人画家なのであろう。




『日本の開国  ―  エミール・ギメ あるフランス人の見た明治日本(知の再発見双書54)』(創元社、1996)によれば、日本の宗教事情の調査のために来日した実業家のギメと同行した画家のフェリックス・レガメは、二人で暁斎を訪問している。

北斎没後では最高の日本人画家として暁斎を評価しており、河鍋暁斎とレガメの日仏両国の画家は、お互いの似顔絵を描いてエールの交換までしているのだ。スケッチをするレガメの姿は暁斎が描いたものであり、上掲書に掲載されている。


(曉斎が描いたレガメ wikipedia英語版より)


外国人の曉斎ファンといえば、なんといっても特筆すべきは、「日本の西洋建築の父」あるいは「日本近代建築の父」と称されるジョサイア・コンドルであろう。好きが高じてなんと暁斎に弟子入りまでしているのだ。

このことは、一昨年のことだが、はじめて駒込の「古河庭園」を訪問した際にはじめて知った。

三菱財閥の別邸である古河庭園の庭園内のレンガ造りの洋館はコンドルの設計で、館内には暁斎とコンドルとの師弟関係を示した展示品があった。暁英(きょうえい)と名乗ることを許されたコンドルの日本画は、玄人はだしであることに驚かされた。

その後、品切れになっていた 『河鍋暁斎』(ジョサイア・コンドル、山口静一訳、岩波文庫、2006)に重版がかかったのでさっそく入手し、その全貌について知ることができたという次第。コンドルにかんしては、建築家としてだけでなく、河鍋暁斎のコレクターで、しかも日本画家でもあったことも知っておきたい。




おそらくユダヤ系であろうゴールドマン氏も、ジョサイア・コンドルとおなじく英国人である。河鍋暁斎好きは意外なことに英国人好みなのだろうか? 

ゴールドマン氏のコレクションには、「旧ジョサイア・コンドル所蔵」のものだけでなく、「福富太郎所蔵」のものも含まれている。浮世絵コレクターとしても著名だった「キャバレー王」福富太郎である。ゴールドマン氏は、会場で上映されていた動画の挨拶で福富太郎のことを熱く語っていた。曉斎愛は国境を越える。

今回展示されている屏風絵仕立ての「百鬼夜行図」は、旧福富太郎コレクションである。こういう愉快な絵を見ていると、2020年代の日本人のほうが、暁斎をよく理解できるのかもしれないと思う。マンガやアニメにどっぷり浸かって育った現代日本人には、まったく違和感など感じさせないのである。

ゴールドマン氏は、コレクションを大英博物館に寄託しているとのこと。自宅で密かに楽しむのなんてケチくさいことはしないというのが素晴らしい。



北斎が自称「画狂人」なら、暁斎は自称「画鬼」(ガキ)

行きの電車のなかで村松梢風の『本朝画人傳 巻四』(中公文庫)所収の「河鍋暁斎」を読んでおいたが、これは正解だった。

まずは奇想の浮世絵師・歌川国芳に弟子入りし、そのつぎに正統派である狩野派で基礎をきっちり学び、その後は独自にさまざまな流派の画法を研究して自分のものとしたことを知った。

河鍋暁斎が少年時代の狩野派で学んでいたころ、川に流れてきた生首を写生したエピソードなど、なるほど「画鬼」(がき)と自称した曉斎ならではである。北斎が自称「画狂人」であるなら、暁斎は自称「画鬼」(ガキ)であったわけだ。

ちなみに「画鬼」(demon of painting)をタイトルにした企画展が開催されていたようだ。
Demon of Painting: Art of Kawanabe Kyosai,  Timothy Clark, 1993 という図録が出版されている。



英語版の wikipedia の河鍋 暁斎の項にはこうある。


Kawanabe Kyōsai (河鍋 暁斎; May 18, 1831 – April 26, 1889) was a Japanese painter and caricaturist. In the words of art historian Timothy Clark, "an individualist and an independent, perhaps the last virtuoso in traditional Japanese painting".


「伝統的な日本絵画の最後のヴィルトゥオーゾ」という評価である。ヴィルトゥオーゾとはイタリア語で巨匠のことだ。

そんな曉斎は、旺盛な好奇心の持ち主であり、ありとあらゆるものを観察して写生し、そのイメージをアタマの引き出しに蓄えていたからこそ、どんな画題であろうと即座に描き下ろすことが可能だったのだ。

構想を練ってから取り組んだ大作だけでなく、いわゆる鑑画会で即興で描き下ろした作品にもすばらしいものがあるのはそのためだ。



■狩野派最後の天才画家であった狩野芳崖


帰りの電車内でおなじく『本朝画人傳 巻四』(中公文庫)所収の「狩野芳崖」を読んだ。

狩野芳崖は、狩野派最後の天才画家とよばれていて、フェノロサと岡倉天心による「日本画」構想の重要な担い手と期待された人物である。

『本朝画人傳』の中公文庫版は、没年でそろえて再編集されているので、1889年に58歳で亡くなった河鍋暁斎のすぐ前に、1888年(明治20年)59歳で亡くなった狩野芳崖が収録されている。

じつは、河鍋暁斎(1831~1889)と狩野芳崖(1828~1888)は、ほぼ同時代生きた画家なのである。

しかも、この二人の天才画家には、意外なことに共通点も少なくない。二人とも狩野派の出身であることだけでなく、奇人変人の類いの芳崖ほどではないが、曉斎も能の愛好家あったことなどがそうだ。

さらにいえば、曉斎も芳崖も、二人とも外国人によって高く評価されたことは特筆すべきだろう。前者は英国人のコンドル、後者は米国人のフェノロサである。

とはいえ、あらゆる流派の画法を身につけた河鍋暁斎が明治時代に入ってからも大いに受けまくっていたのに対して、徳川幕府の崩壊とともに大名というパトロンを失った狩野派の狩野芳崖は、貧乏のどん底で苦しんでいた。

そんな芳崖の「仁王捉鬼図」が、『本朝画人傳 巻四』のカバーに採用されている。


(狩野芳崖の「仁王捉鬼図」)


芳崖といえば、完成間際で亡くなったことで遺作となった「悲母観音」(ひもかんのん)が有名だが、「仁王捉鬼図」における仁王がその首をつかんでいる鬼の苦悶の表情は、ほとんどマンガである(笑)

河鍋暁斎と狩野芳崖が、いっしょに論じらることなどほとんどないようだが、意外に似たようなテイストも示しているのが面白い。2020年の現時点で見ると、作品を作品として虚心坦懐に見ることができるようになるのかもしれない。

岡倉天心という権威づけもあって、オーソドックスな「日本美術史」に位置づけられいる芳崖と違って、正当に評価されてこなかった曉斎だが、そういった権威づけとは関係なく、作品本位で評価することがいかに大事なことか。この点は、とかくブランド(=名前)で判断しがちな日本人は、大いに反省すべきであろう。

日本サイドが海外に売り出したい画家、日本サイドの意向にかかわりなく海外勢のお気に入りの画家。この両者には大きな違いがある。現代では村上隆など、その代表的存在であろう。

美術品は、その作者の死後ほんとうの評価が定まる。生前に評価されても死後忘れ去られてしまう流行画家。死後だいぶたってから再評価される画家。死後のことなど誰にもわからないが、アーチストにとってはひたすら自分の思うままに作品をつくることのみ。






今回はミュージアムショップでマグネットを3ケ購入。今回はめずらしくマグネット愛好家のわたしの趣味にあった作品がマグネット化されていたのはうれしいことであった


画像をクリック!




PS 美術コレクターとしての福富太郎

曉斎のコレクターでもあった福富太郎についてもっと知りたいと思って資料を探していたら、『 芸術新潮 2021年5月号』で「キャバレー王は戦後最高のコレクター 「福富太郎」伝説」が特集されていることを知り、さっそく入手して読んでみた。


画像をクリック!


福富太郎氏は、すでに2018年に亡くなっている。その生前に暁斎のコレクションを一括してイスラエル・ゴールドマン氏に譲渡したようだ。

美術コレクターとしての福富太郎については、もっと知られていい。

(2026年6月7日 記す)




<ブログ内関連記事>



■日本人よりも外国人が高く評価してきた日本人画家

・・明治時代の日本美術発見者であるフェノロサとビゲローによる収集品は、その大半がボストン美術館に収蔵されている

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007) 
・・テーマ性で収集したジョブズやドラッカーとは異なり、埋もれていた一人の絵師の作品に惚れ込んだアメリカ人コレクターによるコレクション


■日本美術のコレクターたち

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館)に行ってきた(2015年5月28日)-水墨画を中心としたコレクションにドラッカーの知的創造の源泉を読む 
・・青年期まで過ごしたウィーンやフランクフルトなどで接していた、第一次世界大戦と同時代の「ドイツ表現主義」が実現できず終わったことを、すでに江戸時代の日本人が禅画で実現していたとドラッカーは言う。「写実」ではなく「写意」として

・・「新版画」の橋口五葉や川瀬巴水



■その他の日本美術






(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2021年3月10日水曜日

書評『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(紀田順一郎、松籟社、2017)― まさに「蔵書一代」を体現した著者の人生の完結編


 
高校時代、たまたま入手した『現代人の読書-本のある生活』(三一新書、1964)という本を繰り返し、繰り返し読んでいた。その内容は現在でも隅々まで記憶に残っている。 

評論家で読書法や本の整理法など、多方面にわたって多くの著作を出してきた紀田順一郎氏の29歳のときものだ。その老成した内容に、迂闊なことながら高校時代の自分は、まさか29歳の人間が書いた本だとは思いもしなかった。 

その『現代人の読書』に出てきた「蔵書一代」というフレーズが自分のなかに刻み込まれていたこともあり、ふと思い出して最近のことだがネット検索してみたら、その紀田順一郎氏が『蔵書一代-なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(松籟社、2017)という本を出していることを知った。著者82歳の著作である。  

ブログの紹介記事などを読んで、すぐにでもこの本を読みたくなったので、さっそく amazon で取り寄せてみた。 

本の帯には、「やむを得ない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、「蔵書とは何か」という命題に改めて取り組んだ・・」とある。

帯の背とカバーの裏には、「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし」と記されている。なかなか含蓄深い。 




冒頭に置かれた「序章<永訣の朝>」が、まさに「自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分」を描いた小編だ。

諦念のにじみでた読ませる文章は、切ないというか、痛恨の思いというか、ことばで表現するのは難しい。一部だけ抜粋して引用しておこう。

いよいよその日がきた。ーーー半生を通じて集めた全蔵書に、永の別れを告げる当日である。 
(・・中略・・) 
本を見送る気はなかったが、つい十二段ほどの外階段を降り、トラックに乗り込む店主に挨拶した。
いまにも降りそうな空のもと、古い分譲地の一本道をトラックが遠ざかっていく。私は、傍らに立っていた妻が、胸元で小さく手を振っているのに気がついた。
その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に倒れ込んでいた。(・・後略・・)


蔵書家あるいは愛書家、そうでなくてもなんらかのコレクターなら、ぜひ全文を読んでほしい。引用した文章に続く文章がまた、ボディーブローのように効いてくるのだ。「蔵書一代」という「悟り」に至るプロセスが記された、忘れがたい小編となっている。




この本を読んでいて『随筆 本が崩れる』の著者で、文字通り本の山に埋もれて死んだ評論家の草森紳一氏が、著者の大学時代のサークルの後輩であることを知った。なるほど、そうだったのか、と。  

整理など無縁であった草森紳一氏の蔵書3万冊超はすべて保管され、生まれ故郷の北海道の地にある短大に移管された。実家には3万冊超収納の書庫がすでに別個に設置されていたそうだ。だから合計7万冊近い蔵書が散逸を免れた。  

システマティックに整理された紀田順一郎氏の蔵書3万冊超は、上記のとおり、手元に残した600冊以外はすべて古本屋に処分され、散逸した。 

紀田氏は後輩の草森氏の蔵書の行方については語っていないが、いろいろ思うところはあろう。そしてまた、私自身もいろいろ思うところがある。


紀田順一郎氏の著作活動は、ほぼ処女作といっていい『現代人の読書』から始まり、最後の著作となるであろう『蔵書一代』でもって「円環として完結」したことになる(・・本書に掲載された「著者年譜」を参照)。それは「蔵書一代」を体現したような人生の表現でもあった。

さて、私の「蔵書」といえば、紀田氏のいう「蔵書」ではなく、稀覯書があるわけでもなく、ただ単に「マイ・コレクション」としての雑書の山に過ぎないというべきであろう。もちろん愛着はあるが「蔵書一代」はもとより覚悟している。

「わが亡きあとは売りてよね(米)買え」と蔵書印に彫ったのは江戸時代の蔵書家であった。このことも含めて、人生の早いうちから、その「覚悟」を著作をつうじて教え諭して頂いた先達としての紀田順一郎氏には、心の底から感謝していると、この場を借りてお伝えしたい。


画像をクリック!



目 次
序章  〈永訣の朝〉 
第Ⅰ章  文化的変容と個人蔵書の受難 
第Ⅱ章  日本人の蔵書志向 
第Ⅲ章  蔵書を守った人々 
第Ⅳ章  蔵書維持の困難性 
参考文献 
あとがき 
著者年譜


著者プロフィール
紀田順一郎(きだ・じゅんいちろう)
評論家・作家。1935年横浜市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業。書誌学、メディア論を専門とし、評論活動を行うほか、創作も手がける。主な著書に『紀田順一郎著作集』全八巻(三一書房)、『日記の虚実』(筑摩書房)、『東京の下層社会』(同)、『生涯を賭けた一冊』(新潮社)、『知の職人たち』(同)、『古本屋探偵の事件簿』(創元推理文庫)、『日本語大博物館』シリーズ(ジャストシステム)、『昭和シネマ館』(小学館)、『横浜少年物語』(文藝春秋)、『幻島はるかなり』(松籟社)など。『幻想と怪奇の時代』(松籟社)により、2008年度日本推理作家協会賞および神奈川文化賞(文学)を受賞。訳書に『M・R・ジェイムズ怪談全集』(東京創元社)など。荒俣宏とともに雑誌「幻想と怪奇」(三崎書房/歳月社)を創刊したほか、叢書「世界幻想文学大系」(国書刊行会)を編纂。(出版社サイトより)



PS 紀田順一郎氏が死去、享年90歳

紀田順一郎氏が亡くなったそうだ。「評論家の紀田順一郎さん死去、90歳」(読売新聞 2025年9月4日)から引用しておこう。

書物論、情報論、近代史など多彩なテーマで活躍した評論家の紀田順一郎(きだ・じゅんいちろう、本名・佐藤俊=さとう・たかし)さんが2025年7月15日、致死性不整脈のため死去した。90歳だった。告別式は既に済ませた。
 
横浜市生まれ。商社勤務の後、28歳で文筆家の道に入り、「日記の虚実」「東京の下層社会」「日本語大博物館」「私の神保町」など多くの著書を発表。1975年からは「世界幻想文学大系」45巻を弟子の荒俣宏さんと10年がかりで編集した。
 
古書集めをライフワークに博覧強記の本の虫として知られ、本とデジタル技術の可能性にも早くから着目。「第三閲覧室」など古書ミステリー小説も発表した。2008年、「幻想と怪奇の時代」で日本推理作家協会賞(評論部門)。2006年から2012年まで、神奈川近代文学館長を務めた。

 

書籍をつうじて、いろいろお世話になりました。「蔵書一代」を貫かれた人生。ご冥福をお祈りします。合掌  (2025年9月6日 記す)



PS2 中公文庫で文庫化(2026年6月)

紀田順一郎氏が亡くなってから1年たたないこの時期、本書『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』が中公文庫で文庫化された。ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。(2026年7月2日 記す)






<関連サイト>






■荒俣宏氏の「蔵書一代」


・・知の怪人こと荒俣宏氏も、先輩の紀田順一郎氏にならって、78歳で蔵書を処分。引っ越し先のマンションには500冊のみの生活に


研究者の死後、蔵書はどう処分されるのか(保坂修司、Newsweek日本版、2019年7月10日)

(2022年8月3日、2025年10月16日 情報追加)


<ブログ内関連記事>








・・『日本語大博物館-悪魔の文字と闘った人々』(紀田順一郎、ジャストシステム、1994)を取り上げている


(2021年7月23日、2024年2月11日 情報追加)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2019年12月20日金曜日

美術展「ハプスブルク展 ― 600年にわたる帝国コレクションの歴史」(国立西洋美術館)に行ってきた(2019年12月20日)― 皇帝や皇后、王女たちの肖像画は見る価値あり

(マリー・アントワネットはハプスブルク家出身) 


美術展「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展-600年にわたる帝国コレクションの歴史」(国立西洋美術館)に行ってきた(2019年12月20日)。

タイトルにあるとおり今年(2019年)は、1869年(明治2年)に明治政府とオーストリア=ハンガリー帝国が「日墺修好通商航海条約」を締結して外交関係を樹立してから150周年となる記念の年である。各種の美術展が開催された1年となった。

オーストリアといえばハプスブルク帝国であるが、ハプスブルク帝国が第1次世界大戦の敗北によって崩壊したのは1918年、すでに100年前のことになる。現在のオーストリアは永世中立国の小国となってしまったが、かつては中欧の大国であったのだ。そのハプスブルク家が600年にわたって蒐集してきたコレクションが展示されている。


(王女マルガリータ の作品)


展示の目玉はなんといっても、スペインの画家ベラスケスの「王女マルガリータ」であろう(上記のパンフレット掲載の画像)。

スペイン・ハプスブルク家に生まれたマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(1651~1673)の見合い用に1659年に描かれた作品だ。ウィーンの美術史美術館(KHM)の収蔵品で、ベラスケスの「青いドレス」と別の画家による色違いの「緑のドレス」の肖像画が2点並べて展示されている。どちらが好みか、どちらが素晴らしいかは、自分の目で確かめてみるといい。


(パンフレットより)


そして、マリー・アントワネット(冒頭のパンフレット掲載の画像)。これも同じくウィーンの美術史美術館(KHM)の収蔵品で、作者はマリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン。日本では無名だが、18世紀フランスではもっとも有名な女性画家だったらしいい。フランスのルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットは、ハプスブルク家で唯一の女帝マリア・テレジアの愛娘であった。


(一番左が女帝マリア・テレジア、一番右が皇后エリザベト。会場にて筆者撮影)


このほか、ハプスブルク家を代表する女帝マリア・テレジア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世とその皇后のエリザベト(通称シシー)の肖像画も展示されている。

18世紀のロココ時代に啓蒙専制君主であった女帝マリア・テレジアが二の腕も太いふくよかな姿であるのにに対して、すでに近代人であった皇后エリザベトが、ダイエットによって引き締まった姿に、現代的な美が示されているのと対称的だ。そんなことを画像で確認してみるのも面白い。

皇帝や皇后、王女の肖像画を除けば、個人的にはあまり面白くない展示だったことは告白しておく。甲冑や装飾品など、無名の画家たちによる作品など、正直いって関心が湧いてこない。すでにネットでチケット購入済みだったので、行ってみた次第。金曜日の夕方に行ってみたが、比較的混んでいなかった。

ハプスブルク大好き人間は、行く価値はあるだろう。個人的には、常設館で同時開催されているミニ展示企画の「内藤コレクション展 ゴシックの小宇宙」のほうが、はるかに興味深いものだった。






<関連サイト>

「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展-600年にわたる帝国コレクションの歴史」(公式サイト)


<ブログ内関連記事>

■ハプスブルク家

『神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展』(東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム)にいってきた(2018年1月7日)-2017年に開催された『アルチンボルド展』(国立西洋美術館・上野)を補完する企画展

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録
・・歴代皇帝の心臓が教会に保管されてきた。カトリックの擁護者であったハプスブルク家の「心臓信仰」

「サラエボ事件」(1914年6月28日)から100年-この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった

書評 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子-激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯-』(エーリッヒ・ファイグル、北村佳子訳、 朝日選書、2016)-第一次世界大戦後から冷戦構造崩壊までのヨーロッパ現代史

JBPress連載コラム13回目は、「31歳のイケメン首相誕生か?オーストリアに注目せよ-「ハプスブルク帝国」崩壊から100年、今も中欧で求心力を発揮」(2017年11月21日)


■マリー・アントワネット

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ

『水曜日のアニメが待ち遠しい』(トリスタン・ブルネ、誠文堂新光社、2015)を読んで日本のアニメとマンガがいかに1970年代以降のフランス社会に受け入れられていったかを知る
・・『マリー・アントワネット』(惣領冬実、講談社KCデラックス モーニング、2016)と『マリーアントワネットの嘘』(惣領冬実/塚田有那、講談社、2016)を取り上げている


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end