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2011年9月7日水曜日

明治22年(1889年)にも十津川村は大規模な山津波に襲われていた ― 災害情報は「アタマの引き出し」に「記憶」としてもっていてこそ命を救うカギになる


 災害時にこそ、「アタマの引き出し」が生きるチカラそのものになることを実感する機会は少ないかもしれません。

 今回の台風12号の被災地の状況を報道で知るにつけ心が痛みます。

 紀伊半島に2011年9月1日から4日間いすわった台風のため、大雨が降り続き、大規模な洪水と山崩れが発生しました。被災地の状況をテレビの映像でみると、つい半年前の「3-11」の大津波の被災地も思い出してしまいます。

 特に被害が大きかったのが、熊野に十津川(とつかわ)に紀州田辺ときくと、この土地を2回旅したわたしは心が痛みます。熊野には2回、十津川には1回いっています。

 はじめて熊野に行ったのは1995年5月8日前後のことです。

 なぜ日時まで確定できるかというと、小栗判官蘇りの湯で有名な湯の峰温泉に一泊したのですが、風呂からあがってテレビをみていたら歌手のテレサ・テンが滞在先のタイのチェンマイで亡くなったニュースが流れていたことを思い出したからです。ネット上の wikipedia で日時まで確定することができました。これがまさにエピソード記憶というものですね。エピソードにまつわる記憶がアタマのなかにあれば、インターネットの助けを借りれば事実関係が確定できるわけです。

 そのときは、熊野から十津川をさかのぼって奈良県の五條(・・ここもまた今回の台風で大被害を受けています)までバスで抜けるつもりでしたが、大雨のためバスが通行止めになって和歌山県の新宮市まで引き返し、紀州本線で大阪まで迂回しました。

 十津川は、奈良県の五條市と和歌山県の新宮市を結ぶ交通ルートが国道168号線の一本しかないので、そこが自然災害などによって寸断されると完全に孤立してしまうのです。ある意味では秘境のようなものといってもいいかもしれません。

 長年の念願であった十津川村には2003年にやっといくことができました。そのときは、逆に奈良県の五條市からバスで吉野を経由して十津川まで行きました。十津川では一泊して、その後バスで熊野まで抜けました。風光明媚な十津川沿いのルートを大いに楽しむことができたのはよい思い出です。

 十津川にいってはじめて知ったのは、明治22年(1889年)奈良県十津川村を襲った山津波のことです。テレビの災害報道ではなぜか触れていませんが、いまから 112年前の1889年8月17日から4日間つづいた大雨で大規模な山崩れが発生し、168人が亡くなったそうです。その結果、2,500人の住民が集団離村して、北海道に新天地を求め「新十津川」を切り開いた苦闘の歴史があるのです。

 十津川が大洪水という記事で思い出して、ダンボール箱のなかから 『十津川出国記』(川村たかし、北海道新聞社、1987) という本を引っ張り出してきました。旅から戻ったあと、もっとこの大洪水の話を知りたいと思って、ネット古書店から取り寄せてすぐに読んでみた本です。

 『十津川出国記』(川村たかし、北海道新聞社、1987)の目次を紹介しておきましょう。明治22年の大災害と北海道への集団移住の苦難を感じ取っていただけるものと思います。

第1章 近づく嵐
第2章 赤い湖
第3章 泥流走る
第4章 海陸をおおう惨状
第5章 悲報を受けて
第6章 秘境をめざす人々
第7章 北へ
第8章 苦難の行進
第9章 滝川での冬
第10章 米への憧れ
第11章 広野に立つ
第12章 明治は遠く
あとがき

 旅をしている最中や、旅先から戻ってきたあとに関連する本を読むと、旅というエピソードともに関連情報や知識がつよく記憶に刻まれまるものです。まさにアタマの引き出しですね。旅に持参したのは、司馬遼太郎の『街道をゆく 12 十津川街道』(朝日文庫、1983)です。2008年に新装版がでています。とくに幕末に大きな役割を果たした十津川郷士についての話が中心に書かれている紀行文です。

 今回の大災害で那智大社の社殿が土砂で半分埋まるという事態が発生していますが、同じ明治22年の大洪水で、熊野本宮の社殿が流されたことにも言及してほしいものです。

 日本サッカーのシンボル八咫烏(やたがらす)で有名な熊野本宮は、その結果、高台に社殿を移したのです。こういう事実もあわせて報道してほしいものだと思うのですが、歴史意識の乏しい日本のテレビ・ジャーナリズムの限界でしょうか・・・。

 たとえ直接に被災者とならなくても、災害列島に住む以上、他人事とは思わないことが大事ですね。  

 災害情報は、自分が体験していることや、親や祖父から直接聞いている話はアタマのなかに刻まれますが、本で読んだりテレビでみた情報も重要です。

 災害情報というものは、たとえ「記録」にのこっていても、自分のアタマのなかに「記憶」としてないと、いざというときにカラダが動くことにつながりません。生きのびるためには、たとえ自分が体験しないくても、本で読んだ記憶であってもアタマのなか「引き出し」としてとどめておくことが重要です。

 明日は我が身と思って、気持ちをひきしめておきたいものです。災害情報は「アタマの引き出し」にしておくと、いざというときにあなたの命を救うことになるかもしれません。


(画像をクリック!)



<関連サイト>

NHKクローズアップ現代(2011年9月6日)止まない雨 緊急報告 紀伊半島豪雨 
・・動画あり

NHKスペシャル 緊急報告 記録的豪雨の衝撃(2011年9月9日放送)



<ブログ内関連記事>

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

『崩れ』(幸田文、講談社文庫、1994 単行本初版 1991)-われわれは崩れやすい火山列島に住んでいる住民なのだ!

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

「場所の記憶」-特定の場所や特定の時間と結びついた自分史としての「エピソード記憶」について

(2015年7月18日 情報追加)


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2011年5月1日日曜日

5月1日は メーデー(May Day)


 本日5月1日はメーデーだ。勤労者の日である。

 今年(2011年)は、たまたま日曜日にあたっているので休日になっているが、なぜか日本では現在にいたるまで祝日になっていない。

 5月1日は、レイバーデー(Labor Day)ともいい、祝日にしている国は多い。世界のカレンダーから抜き出してみよう。

●労働節:中国、香港
●メーデー:フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、ドイツ、フランス、ベルギー
●春と労働の祝日:ロシア
●レーバーデー:オーストラリア(NT)
●メーデー:オーストラリア(QLD)、アイルランド
●アーリー・メイ・バンクホリデー:英国


■メーデーがインデックス(索引)となって思い出した「エピソード記憶」

 メーデーというと、大学を卒業して就職した年のことを思い出す。いまから26年前(!)の1985年のことだ。まだ「昭和時代」であった。

 4月の 1ヶ月研修が終わったあと、配属が決まったのだが、上司となった人から呼ばれて、5月1日から出張にいくから用意をしておくようにと、いきなり申し渡されたのであった。週末に銀座でカバンを買って、出張に備えたことを思い出した。

 配属初日がいきなり出張、出張先は山梨県の甲府。新宿駅から特急あずさ号にて甲府へ。

 訪問先の会社でミーティングに同席したのだが、そのとき窓の外から聞こえてきたのがメーデーの労働歌であった。なにやら違和感を感じながら聞いていたことを思い出す。

 こんなことスッカリ忘れていたのだが、エピソード記憶というのは面白いことに、「メーデー」がインデックスとなって、底に沈んでいた記憶が引っ張り出されてくる。けっして忘れたわけではない、再生してなかっただけなのだ。

 当時の上司の上司、すなわち部長は銀行から出向してきていた人なのに、毎年この日には家族を連れて「赤旗祭」(!?)に行くといっていた。資本主義の牙城であるはずの銀行で「赤旗」とは!! 

 当時はきわめて強い違和感を感じたのだが、まだソ連も健在で、社会主義の余韻がまだ世の中に存在していた時代である。作家の島田雅彦が、左翼のことをサヨクと書いて話題になってから、まだそれほど時間がたっていなかった頃が時代背景だ。

 1991年にソ連が崩壊して冷戦構造が終わってから今年で既に20年、いまではまったく何のことか想像もつかないかもしれない。


■メーデーの起源はメイフェア(五月祭)??
 
 メーデーは、ほんとうはメイデイと書いた方が発音に近い。May Day は最初の子音の違いだけで完全に韻を踏んでいる。音の響きからいったら heyday(真っ盛り)というコトバも連想する。

 もともとは、ヨーロッパでは伝統的に、この日に春の訪れを祝う「五月祭」が行われてきた。「メーデー」とは元来は五月祭を開く日であったのである。キリスト教以前から存在していた「五月祭」がベースにあるようだ。Wikipedia の記述を引用しておこう。東大の「五月祭」ではないので念のため(笑)。

 五月祭(ごがつさい)とは、古代ローマの祭に由来する。5月1日に、豊穣の女神マイアを祭り供物が捧げられた。夏の豊穣を予祝する祭りと考えられている。現在では、ヨーロッパ各地で、キリスト教伝来以前にさかのぼる起源をもつ、春の訪れを祝う日として定着している。英語では Mayfair, Mayday などと呼ぶ。
 この日は、メイポール(字義通りには「五月の柱」)とよばれる柱を立て、リボンや緑の枝などでかざり、その周りで人々が踊る。また未婚の女性からメイクイーンを選ぶなどの遊びをする。

 メイクイーン(May Queen)というと、日本では男爵とならんで有名なジャガイモの品種を思い出すが、実際にここに由来があるようだ。

 メイポール(May Pole)は、宗教学でいう世界樹(axis mundi)のこと。神がそこを伝わって降りてくる依り代(よりしろ)のことだろう。

 メーデーの前日(4月30日)からメーデーにかけての夜は、「ヴァルプルギスの夜」とよ前夜祭がおこなわれるとのこと。ワグナーのオペラにもでてくる「ヴァルプルギスの夜」、遠くケルトにも遡ることのできるこの祭は、不思議なことに、日本人にはさほど違和感を感じさせないものがある。

 キリスト教徒ではないののであれば、それを「異教的」というのは正しい表現ではない。

 さて、この「五月祭」と労働者の祭典である「メーデー」とは関係があるのか、ないのか?

 「メーデー」の起源は、wikipedia の記述によれば、「労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源」だそうだ。

 米国の秋の収穫感謝祭(Thanksgiving Day)を起源にもつ「勤労感謝の日」(11月23日)が日本でも祝日になったのに、春の種まき時期にあたる 5月1日の「メーデー」が祝日になっていないという事実。

 「勤労感謝の日」という奇妙な休日は、アメリカ占領軍が日本に押しつけたものだ。新憲法発布前は、5月3日は祝日ではなかったから、5月1日が祝日にならなかったのは不思議だ。

 講和条約成立後に「血のメーデー事件」(1952年)などが発生しているが、過激な労働運動が拡大することを占領軍が怖れていたからだろうか?

 ところで、わたしは、仕事でタイ王国のバンコクにいた頃、メーデーが祝日で休みになるということから、なぜ日本では祝日にならないのかという疑問を持ちだした。

 タイ王国の4月は、他の上座仏教国と同様、4月のなかばにソンクラーンという新年をむかえる暑い季節なので、4月はそうでなくても、あまり勤労意欲のわかない一ヶ月である。それなのにまた5月1日が祝日で休みかよ!? と思ったのであった。

 これはタイ王国での話であるが、人を使う側の立場と、使われれる立場の違いといえば、そのとおりなのだが・・・。





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P.S. メーデー(May-day)とメイポールについては、英国の人類学者ジェイムズ・フレーザーの『金枝篇』(The Golden Bough)に記述がある。

It would be needless to illustrate at length the custom, which has prevailed in various parts of Europe, such as England, France, and Germany, of setting up a village May-tree or May-pole on May Day.  (出典: http://www.bartleby.com/196/pages/page123.html )

イングランドやフランス、ドイツにおいては、メイデイ(5月1日)にメイツリーあるいはメイポールを立てる慣習がさまざま場所に存在した。もともと先住民のケルト人の慣習であったようだ。

現地でフィールドワークを行わなかったフレーザーは、「アームチェア・アンストポロジスト」(安楽椅子の人類学者)として、現在は専門家からはあまり顧みられないようだが、宣教師や外交官など現地駐在者から集めた膨大な情報をもとに分類研究した成果である『金枝篇』は、英文学にも大きな影響を与えたといわれている。

日本でも民俗学の柳田國男や折口信夫に大きな影響を与えている。折口信夫が英語原文から行った日本語訳は、そのいくつかが全集にも収録されている。折口信夫は「ふれいざあ教授のごうるでん・ばう」と独特の表記法で言及している。

『金枝篇』は抄訳版が岩波文庫やちくま学芸文庫からでているので、ぜひ一度は読んでいただきたいと思う。じつに面白い読み物である。







(2013年5月1日 追記)

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2011年1月12日水曜日

「場所の記憶」ー 特定の場所や特定の時間と結びついた自分史としての「エピソード記憶」について



 特定の場所や、特定の時間と結びついた記憶は、記憶として定着しやすいだけでなく、再生や想起することが容易である。つまり比較的思い出しやすい。

 以前このブログに、アニメーション映画 『戦場でワルツを』(2008年、イスラエル)をみた という文章を書いているが、一部再録してみよう。

 映画をみている途中で気がついたのだが、イスラエル軍による「レバノン侵攻」は1982年の暑い夏のことだった。そのとき従軍した青年たちは主人公も含め年齢はみな19歳、実は私とまったく同じだったのだ。いまここでカミングアウトするが、1962年12月6日生まれの私は、1982年の夏は19歳、他人事とは思えない。
 レバノン侵攻は当時日本TVでも大きく報道されていたので、そのTVの画面をみた場所とともに、いまだに記憶に強く残っている。


 「そのTVの画面をみた場所」とは、富士山の7合目半の山小屋であった。その日は富士山も快晴で暑い一日だった。特定の場所と結びついた記憶である。

 ちょうどその年の8月にイスラエルがレバノンに侵攻した暑い夏だった。アリエル・シャロン国防大臣(当時)が指揮したものであり、そのあまりにも強引なやり方に世界中から非難が集中した戦争である。

 山小屋にもテレビはあった。山小屋はある意味では宿泊業と飲食業のサービス業なので、朝から夕方までひっきりなしに働いているが、昼食後は夕方まで少しヒマになる。そのときテレビで見たのである。山小屋にもテレビくらいはある。富士山での山小屋アルバイト経験は、「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 にまとめておいた。

 イスラエルとパレスチナの話題から、日本と植民地であった朝鮮に話題が拡がり、山小屋の主人と、植民地朝鮮半島で日本人が何をしたのかをめぐって激論したことを覚えている。
 いまから考えると、植林の話など、日本人が貢献したことはきわめて大きかったのであり、山小屋の主人の言っていたことが正しかったのだ。
 若い頃の私は、まだまだ左翼が支配していた当時のマスコミによる悪しき影響に毒されていたようだ。事実を虚心坦懐に見ることのできなかったのが恥ずかしい。


 「フラッシュバック現象」という表現があるように、忘れ去ってしまいたいと思っていた記憶が、ふとしたキッカケで一気に意識の底から急浮上してくる体験がある。

 富士山の山小屋経験とイスラエル軍のレバノン進行の暑い夏が蒸す夏について記憶されているのは、フラッシュバック現象ではないが、自分にとっては濃厚な体験であったということだろう。

 これは、心理学でいう「エピソード記憶」である。一般的な事実の記憶である「意味記憶」や技能習得にかかわる「手続き記憶」とは別のカテゴリーに分類されているものだ。

 『戦場でワルツを』というアニメーション映画じたいは「偽りの記憶」をめぐる物語だが、激しい精神的衝撃という体験をともった記憶は、何らかの心理的作用によって、自分にとて都合のいいように作り替えられ記憶されることがあるようだ。これは心理学では「錯誤記憶」というが、自分を守るための心理的機制であろう。

 この映画は、自分にとってはなんだか他人事ではないような気がしてならない。
 体験と記憶との関係についての精神分析的な映画である。

 体験、記憶、時間、場所、コトバ、連想、夢と悪夢、フラッシュバック現象、トラウマ、記憶の改変・・・



P.S. 『場所の記憶-日本という身体-』(鎌田東二、岩波書店、1990)という本について

 神道学者の鎌田東二が使っている「場所の記憶」とは、場所そのものがもつ記憶=歴史のことである。聖なる土地じしんにまつわる人々の集合的記憶のことである。これは、「聖地感覚」ともいうべきものを指している。建築学者もときに使うことのある「ゲニウス・ロキ」(genius loci:地霊)にかかわるものである。

 この本に展開されている議論は実に面白いのだが、私がこの文章で書きたかったのは、特定の土地そのものにまつわる集合的記憶のことではなく、個人の一回限りの体験が行われた場所にまつわる、きわめて個人的な記憶についてである。個人の記憶を再生、想起させるものは何か、コンピューター用語でいうタグやインデックスにあたるものは何か、そういうことについて考えている。

 私の個人的記憶は「聖なる山」である「霊山富士」での体験であった。だがこれ自体は、富士山にまつわる集合的記憶との関連は定かではない。
 なお、『場所の記憶』は現在では、改題されて文庫化されている。『聖なる場所の記憶-日本という身体-』(鎌田東二、講談社学術文庫、1996)。ただし現在品切れ中だ。



<ブログ内関連記事>

アニメーション映画 『戦場でワルツを』(2008年、イスラエル)をみた 

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)
・・場所と結びついた記憶としてのトポグラフィック・メモリー(topographic memory) 、記憶を取り巻く文脈に結びついたコンテクスチュアル・メモリー(contextual memory)について

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ・・夢のお告げあるいは予知夢(よちむ)について






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