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2024年12月17日火曜日

書評『「"右翼" 雑誌」の舞台裏』(梶原麻衣子、星海社新書、2024)―「中の人」だった著者がフリーになって回顧する「自分史」の20年

 

出版されたばかりの『「"右翼" 雑誌」の舞台裏』(梶原麻衣子、星海社新書、2024)を読んだ。新書カバーのデザインは、「"右翼" 雑誌」そのもの模したもので面白い。もちろん内容も面白かった。  

『正論』や『WILL』など「"右翼" 雑誌」の愛読者から、編集する側に回った1980年生まれの著者は、自衛隊員の子どもとして生まれ育った「右派女性」。 

そんな著者が、あえて左翼用語をつかえば「蟹工船」のような雑誌編集の現場体験を語った、13年間の雑誌編集者としての半生記というか回顧録のような内容。「自分史」的な「中の人」の視点と、退職後にフリーになって距離をおいて見る視点が、複眼的になっていて読ませる内容にしている。 

政治とメディアという外部環境の変化のなか、雑誌編集者としてかかわっていくなかで、立ち位置は変わらないものの、自分自身の考えが成熟していったプロセスが語られる。 外部からはわからない内情はもちろん興味深い。

『WILL』と、そこから分離した『HANADA』で編集長をつとめてきた、現在なお82歳で現役の花田紀凱氏へのインタビューを読むと、その編集姿勢が思想に起因するものではなく、好奇心全開で面白いネタを提供したいという編集者魂にあることが納得される。 

それにしても思うのは、保守派を自称する右派にとっての「天敵」である「朝日新聞」もかつての勢いを失い、リベラル派という左派にとっての「天敵」であった安倍晋三元首相が暗殺されて以後は、右派も左派もともに迷走しているという印象がぬぐえないことだ。ソ連崩壊後の状況を想起させるものがある。 

どうやら、右派と左派という枠組みじたいが陳腐化しつつあるようだ。いっけん左右で分断化が進行しているようにも見えるが、じつは格差問題をめぐって、右派も左派も関係なく上下対立に移行しているのではないか?  双方向性メディアであるSNS全盛時代のいま、TVやマスコミといった「オールドメディア」への不信感が増大している。

そんななか、紙媒体の雑誌の立ち位置はどう変化していくのか、はたして生き残るのだろうか、政治とメディアと読者という関係からも見ていく必要があるだろう。 

ちなみに、わたしといえば、『WILL』も『HANADA』も買って読んだことはない。一部の記事をリアル書店で立ち読みしたことがあるだけなので、「"右翼" 雑誌」の読者としての資格はなさそうだ。 


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目 次
はじめに 
第1章 「右翼雑誌」はこうして作られる 
第2章 ゲリラ部隊は正規軍にはなれない 
第3章 「最強のアイドルにして悲劇のヒーロー」 安倍晋三 
第4章 ピンからキリまで 「右翼雑誌批判」の虚実 
第5章 読者との壮大な井戸端会議 
第6章 『Hanada』編集長が考えていること 花田紀凱氏インタビュー 
おわりに

著者プロフィール
梶原麻衣子(かじわら・まいこ)
編集者・ライター。1980年埼玉県生まれ。埼玉県立坂戸高校、中央大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。IT企業勤務後、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経て現在はフリーの編集者・ライター。紙・ウェブ媒体を問わず、インタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の企画・編集・構成(ブックライティング)などを手掛ける。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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2023年11月15日水曜日

書評『女帝 小池百合子』(石井妙子、文春文庫、2023 単行本初版2020年)ー 前半生にはある種のピカレスク的な痛快さもあったが、政治家として権力を握り始めた後半生は・・・

 

『女帝 小池百合子』(石井妙子、文春文庫、2023)を出版されてすぐに読んだ。単行本が出版されたのは新型コロナ感染症の蔓延が始まっていた2020年5月のことであった。それから3年半で文庫化されたわけだ。

2020年5月の時点では「女帝」という単語が大きな話題になっていた。都知事としての再選を控えていた時期でもあり、「カイロ大学卒業という学歴詐称疑惑」にかんする真相暴露本的な受け取り方をされていた記憶がある。読みたいと思ったが、断念したのは多忙であったためだ。

文庫化されたことを文春のネット版で知ったのは、つい最近のことだ。いまから50年前のカイロ時代に同居していた女性が、単行本の段階では「仮名」にしていたが、今回の文庫化にあたって「実名」にすることを決断したという。後先長くない人生、「歴史に対する責任」を避けたまま死ぬわけにはいかないという覚悟によるものだ。

それがそうとうな覚悟であることは、現在もカイロに在住するその女性の置かれた立場を考えれば容易に想像がつく。これは「終章 小池百合子という深淵」を読めばよく理解できる。

「エジプト革命」(2011年)後に民主化されたが、クーデタによってふたたび「軍事政権」に戻ったエジプト。その後、民政移管されたとはいえ、国軍がにらみをきかせる体制であることは言うまでもない。

日本とエジプトは、経済援助をつうじた密接な関係にある。そのエジプト政府と日本をつなぐ重要な「結節点」の一つが小池百合子という政治家だ。

学歴詐称であるかどうかなど、エジプト政府からみたら重要性が低いのだろう。いや、というよりも、このコネクションを「政治的アセット」として維持することの重要性を熟知していると考えるべきではないか。

だから、エジプト政府の管轄下にある国立カイロ大学は、「小池百合子は卒業生である」と公式に決めたのだ。そう考えるのが自然である。その意味をよく考えなくてはならない。


■「小池百合子という生き方」には正負の両面がある

それにしても思うのは、小池百合子とその父親が、じつによく似た存在であることだ。ウソでウソを固めた詐欺師のような存在。この親にしてこの子ありというべきか。

あっけらかんと「平気でウソをつく人」である。「芦屋のお嬢様」など、人びとが勝手に思い描いている「うるわしき誤解」をそのまま利用するしたたかさ。使い勝手のいい存在として各界で実力ある男たちからチヤホヤされ、男たちのつまらぬプライドや虚栄心をくすぐるたくみさ。

ある意味、政治家(せいじや)向きといえばそのとおりなのかもしれないが、男社会で女を武器にして実力者に取り入り、つぎからつぎへとパトロンを変えていくしたたかさは、けっして彼女は例外的な存在ではない。それがテレビという「虚の世界」にぴったりとはまったことが、のちのち大きな意味をもってくる。

競争の少ない世界でトップに立つという「小池百合子的生き方」。その根本をなしているのは、ビジネスの世界では「ブルーオーシャン戦略」とよばれているものだ。ニッチ分野を狙って、ムリすることなく、ムダな競争を回避するの理にかなっている。ナンバーワンではなく、オンリーワンを狙え。狭いニッチ分野をシェアを独占する戦略である。

かならずしも自分が好きだったからではなくても、エジプト、カイロ大学、アラビア語を選択したことの意味がそこにある。そんな選択する人は、現在でもけっして多数派ではない。しかも女性であれば、間違いなく武器になる。けっして専門家として極める必要はないのだ。ハクがつけばそれでいい。見てくれが重要だ。つまりイメージ戦略である。

平気でウソをつく人生だが、前半生の軌跡を読んでいると、ある種のピカレスク的な痛快ささえ感じるものがあった。その手法に問題がないとはいえ、「とんとん拍子で出世して~」というやつだ。上へ上へという上昇志向。それじたいは、けっして悪いことではない。野心をもつことは悪いことではない。舛添要一氏であれ、竹中平蔵氏であれ、その根本的動機はみな共通している。

日経系列のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」(WBS)の初代キャスターに抜擢されて脚光をあびたが、しょせん東京ローカルの番組である。しかも、年齢のこともあってテレビの世界での限界を感じていた彼女は、政治の世界への転身を図る。まさに舟を乗り移った(jump ship)のである。

自民党一強時代が終わり流動化が始まっていた。時代の流れにうまく乗ることができたからだ。新党乱立ブームが始まっていた。

政治家になって以降の、後半生の軌跡を読んでいると、痛快さは消えて空恐ろしいものを感じるようになる。テレビの世界がしょせん「虚の世界」であるのに対して、政治の世界は人びとの生活に影響を与える「実の世界」であるからだ。

読者の多くは、リアルタイムで見ていた状況を思い出し、「自分史」を重ね合わせて見つめ直すことになるだろう。「ああ、そういえば、そんなこともあったな」、と。人間の記憶なんていい加減なものだから、過ぎ去ったことなどあっという間に記憶の底に沈んでしまう。こういうノンフィクションを読んでいて、思い出すことは多い。

あまりにも節操のない姿勢。打ち出す政策の具体的な裏付けのなさ。それにもかかわらず、「つかえるフレーズ」を繰り出すことでメディアが持ち上げ、「変革」を期待する一般大衆の気持ちをわしづかみにする。テレビの世界の出身者だけに、大衆の心理操作などお手のものなのだろう。

利用価値がなくなると、いとも簡単にポイ捨てされていった男たちの死屍累々たることよ。男たちだけではない、女性だからということで熱烈に支持した女性たちも平気で裏切っていく。そして、ルサンチマンからくる陰湿な復讐。あな恐ろしや。

もはや、そこにはピカレスク的な痛快さなどかけらもない。政治家として権力を握り始めてからは、危険なものを感じることになる。

権力はただしく行使すれば人びとのためになり善をもたらすが、権力を私利私欲から恣意的に行使すると、その悪しき影響は計り知れないものとなる。

自分もかって小池百合子氏が都知事選に出馬し当選したとき、一時的な熱狂の渦に巻き込まれたことを思い出し、内心忸怩たるものを感じている。いや、反省することしきりである。自戒の意を込めて、恥ずべき記録として残しておくことにする。

「カイロ大学卒業」も学歴詐称だったのか、アラブの指導者たちにインタビューしたというアラビア語の実力も眉唾ものだったのか、「芦屋のお嬢様」というのもマスコミが勝手につくりだした幻想だったのか・・・。


■政治とマスコミの共犯関係だけではない

こういう政治家を作り出したのは、政治の世界やマスコミの世界だけでない。意識的だろうが無意識的だろうが、それに荷担してきた日本人の責任である。

小池百合子都知事は、現在なお相も変わらず内容に乏しいカタカナのフレーズを振り回し、実効性のない政策をぶち上げては都民が支払う税金を浪費している。とはいえ、東京都知事が直接選挙によって選出される以上、小池百合子的な都知事がこれからも登場しては消えていくことだろう。

「劇場型政治」というフレーズが登場したのは、小泉政権のときだったか。すでに陳腐化した表現だが、「パンとサーカス」を求める民衆の要求は、閉塞感が強まれば強まるほど加速していくことであろう。東京が日本の首都である限り、東京に日本の富が集中している状況においては、それは東京だけの問題ではない。

「本人が言っているのだから正しい」とは、よくクチにされるフレーズである。だが、その発言内容はかならずしも正しくはない。意図的にウソをつく場合もあれば、意図的に事実をふせることで受け手の印象を操作する手法もある。

人の数だけ「真実」があるのだ。小池百合子氏にとっての「真実」、それを否定する人にとっての「真実」。いずれも「真実」であるとしても、それは「事実」ではない可能性がある。

このノンフィクション作品にも多数の関係者の証言が引用されているが、そのすべてがその特定の個人による記憶の再現であり、主観的なものであることは言うまでもない。読者はそう受け止めて、クリティカルに読まなくてはならないのである。

「真実」ではなく、「事実」(ファクト)そのものを確定する作業は、じつにむずかしいタスクなのだ。それを熟知している著者の『女帝 小池百合子』いう労作は、「平成時代」の日本現代史の記録として読まれるべきである。





目 次 
序章 平成の華 
第1章 「芦屋令嬢」 
第2章 カイロ大学への留学 
第3章 虚飾の階段 
第4章 政界のチアリーダー 
第5章 大臣の椅子 
第6章 復讐 
第7章 イカロスの翼 
終章 小池百合子という深淵
あとがき
文庫版のためのあとがき
主要参考文献・資料一覧


著者プロフィール 
石井妙子(いしい・たえこ) 
1969年、神奈川県生まれ。白百合女子大学卒業、同大学院修士課程修了。囲碁観戦記者。ノンフィクション作家。約5年を費やして取材、執筆した『おそめ 伝説の銀座マダム』(新潮文庫)で、講談社ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補となる。2021年5月13日、『女帝 小池百合子』で第52回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。綿密な取材にもとづく人物評伝は、各方面で高い評価を受けている。(本データはこの書籍以前の著書のプロフィールに加筆)。


<関連サイト>

・・小島敏郎「『私は学歴詐称工作に加担してしまった』小池百合子都知事 元側近の爆弾告発」(2024年4月11日)
・・ついに側近だった人物が「実名」で告発! 『女帝』の文庫版でカイロ時代に同室だった北原氏が「実名」で告発したことに勇気をもらったのだ、と

(2024年4月11日 記す)


・・同居人であった北原百代氏が「実名」で本書の著者・石井妙子氏のインタビューに答えている

・・同上

(2024年4月12日 追加)


◆カイロ大学留学経験のある農業ジャーナリスト浅川芳裕によるもの




(2024年4月13日 追加)


◆経済小説家の黒木亮氏によるもの


政治家・小池百合子の「学歴詐称問題」については、経済小説家でロンドン在住の黒木亮氏による連載記事を読んでから、判断していただきたいと思う。三和銀行の行員時代にエジプトのカイロ・アメリカン大学で学士号を取得し、アラビア語もできるインベストメント・バンカーであった黒木氏のリサーチによる結論は、あえて書くまでもないと思う。エジプトがどういう国であるか、同時に知ることもできる。


<ブログ内関連記事>

・・「エジプトが大きくわけて4つのアイデンティティが複合して構成されていることだ。 空間的な大きさから順番に、①イスラム世界、②中東世界、③アラブ世界、④エジプト の4つである。この4つのアイデンティティが複合的に交わり、ときに応じて特定の要素が全面に出てくる」



・・「小池氏にかんしても、卒業したのか卒業してないのか真相は不明だが、コネと交渉力を行使してカイロ大学に入学したことも、在学していたことも事実であるから、エジプト流のサバイバル術を身につけていることは明らかだ。ということは、小池氏は一筋縄ではいかないクセ者だということを意味している。」(筆者コメント)







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2017年8月22日火曜日

書評『崩壊 朝日新聞』(長谷川 熙、WAC、2015)― 徹底した取材によって「悪しき企業風土」がはびこる報道機関の謎を探った歴史ノンフィクション



『崩壊 朝日新聞』(長谷川 熙、WAC、2015)を読んだ。このタイトルでこの出版社だと内容はだいたい推測できると思うが、じつは著者は朝日新聞の「中の人」であった

長谷川氏は、1933年生まれの「老ジャーナリスト」と帯のウラにある。定年まで朝日新聞の記者で、その後『AERA』を経て現在フリーの記者。この本を書くために『AERA』を辞めたのだという。

だいぶ以前だが、『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(朝日新書、2009)という本を読んで、アメリカの責任を問うだけでなく、返す刀で日本政府も批判する硬派な姿勢に感心したこともあり、長谷川熙(はせがわ・ひろし)という著者の名前がアタマのなかに刻まれたのである。

「慰安婦問題」がいっこうに解消しない。政府間で解決したはずの問題が、ふたたび韓国政府によって蒸し返されている。こんな状況を前にしたら、ハードコアの「嫌韓派」ではなくてもウンザリしてしまうだろう。

そもそもその原因をつくりだしたのが朝日新聞の「虚報」であることは、いまや周知のことだろう。当の朝日新聞も「虚偽報道」であったことは2014年に認めたが、著者はその件にかんする「特集」が掲載された2014年8月5日をもって朝日新聞は崩壊した、新聞としての実質は最終的に終わったと断言する。

「虚報」を掲載し、長年にわたって「虚偽」を否定せず、歴史を「捏造」してきた朝日新聞社の体質がいかに形成されてきたのか、その原因を取材する著者は、「中の人」であった強みを活かして本書を書き上げた。外からする批判のための批判ではない

企業風土や企業体質は一朝一夕にできあがらない。それは良い企業風土であっても、悪しき企業風土であっても同じことだ。歴史的な蓄積が企業風土に反映する。人間は習慣の奴隷であり、人間が構成する組織もまた無意識のうちに習慣の奴隷となる。だからこそ、企業風土を変えるのはきわめてむずかしい。

朝日新聞社の場合も、「戦後」になってから共産主義シンパが経営者として牛耳ってきただけでなく、「戦前・戦中」の「ゾルゲ事件」でソ連のスパイとして逮捕・処刑された尾崎秀実(おざき・ほつみ)に連なるものであることを追求している。コミンテルンの関与である。一級の知識人であった尾崎秀実は元朝日新聞記者であった。

 「現在」を知るためには「過去」にさかのぼって検証しなくてはならない。本書の後半は、ほとんど歴史ノンフィクションのような趣(おもむき)をもっている。日本近現代史ものを読んでいるような感想をもちながら読み込んでしまう。それは、植民地支配や戦争をつうじたアジアとのかかわりでもある。

 「目次」の文言をみれば、どんな本であるか理解できると思う。わたしにとっては、第2部の第2章がとくに興味深いものであった。『毛沢東 日本軍と共謀した男』(遠藤誉、新潮新書、2015)と響き合うものがある。中国国民党を叩くことは中国共産党の利益となり、ひいてはコミンテルンを指導したソ連の利益になるという構図が重なり合う。

第1部 過去を「悪」と見る条件反射
 第1章 吉田清治を称えた論説委員
 第2章 マレー半島「虐殺報道」の虚実
 第3章 松井やよりの錯誤
第2部 視野が狭くなる伝統
 第1章 朝日にたなびくマルクス主義
 第2章 尾崎秀実の支那撃滅論の目的
第3部 方向感覚喪失の百年
 第1章 歴史を読み誤り続けて
 第2章 一閃の光、そして闇

もちろん、朝日新聞にもまともな記者はいる。それは過去においても現在においても同様だろう。だが、悪しき企業体質をもつ組織のなかで正気を保つのは容易なことではない。会社勤めをして組織の「中の人」になった経験をもっている人なら、感覚的に理解できるはずだ。

おそらく、大半の社員は易きに流され、悪しい企業体質に染まってまうのではないか。組織は「世間」であり、そこには「空気」が醸成される。空気に染まること、それはいわゆる「事なかれ主義」である。さらには、そのことに自覚症状もなくなっていく。「大企業病」である。

本書からむりに教訓を見いだすことは必要ないが、朝日新聞社の百年に蓄積された病巣を振り返ることは、悪しき企業体質がいかに形成されていくかについてのケーススタディーとして読むことも可能だろう。朝日新聞のケースは、報道機関であるだけに、よけい罪が重いということは明記しておかねばならない。

朝日新聞社にかんしては、批判のための批判ではなく「他山の石」としなくてはならない。かつて一度たりとも朝日新聞を購読したことのないわたしは、そう思うのである。


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著者プロフィール   

長谷川煕(はせがわ・ひろし)

ジャーナリスト。1933年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学専攻卒。1961年に朝日新聞社入社。88年初めまで経済部など新聞の部門で取材、執筆し、次いで、創刊の週刊誌『AERA』に異動。93年に定年退社したが、その後もフリーの社外筆者などとして『AERA』で取材、執筆を2014年8月まで続ける。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

朝日新聞の慰安婦虚報は 日本にどれだけの実害を与えたのか デマ報道を基に米国で繰り広げられた反日活動 (古森義久、JBPress、2014年8月20日)

(2017年8月29日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない


■報道機関の宿痾

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!
・・「新聞社であれ、テレビ局であれ、個々の記者たちに問題意識がないというわけではない。「個」としての記者には良心もあれば、気概もあるはずだ。だが、日本人は見えない「世間」という縛りのなかで生きているので、ついつい組織の意向に同調していまいがちだ。著者の牧野氏もまた、日本経済新聞社のなかにいるときは、言いたいことがいえない、書いた記事がそのまま掲載されないという悔しさを感じ続けていたようだ。「世間」が支配する日本においては、新聞記者は組織の外に出ない限り、存分に活動することはできないのである。一人でも多くの新聞社社員が「脱藩」して、本来の意味のジャーナリストになってほしいものだ。」  この本の著者の牧野氏は日本経済新聞の記者であった

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・新聞社という企業組織もまた「世間」であり、充満する「空気」に抗うことはむずかしい

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)-「無極性時代のパワー」であるウィキリークスと創始者アサンジは「時代の申し子」だ


■「戦後」の日本に蔓延したマルクス主義という害悪

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・ソ連が崩壊するまで、いや崩壊してもなお現実を見ようとしないマルクス主義者が日本の大学には亡霊のように徘徊して害毒をまき散らしている

書評 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)-左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!


日本近現代史とアジア

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖

書評 『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)-この本を読んでから韓国について語るべし!

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


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2014年3月28日金曜日

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる


2014年を騒がしてきた再生医療分野における「STAP細胞事件」、マスコミやネットでの持ち上げ方と引きずり下ろし方の展開は、ジェットコースターのように激しいものがありますが、どうも問題の本質からは遠いのではないかと感じておりました。

NHKの特集番組を製作した担当ディレクター自身による著書 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)を読むと、「科学社会」における「科学倫理」の問題が構造的なものであることがよくわかります。

本書で取り上げられた、2002年に発覚して一大スキャンダルとなった「史上空前規模の論文捏造事件」と、2014年の「STAP細胞事件」は、物理学と医学・生物学専門分野と、捏造の規模が違うものの、「既視感」(デジャビュー)を感じてしまうのです。

「史上空前規模の論文捏造事件」とは、「超電導」の分野でノーベル賞に最も近いといわれたドイツ人の「若きカリスマ物理学者」が、アメリカのベル研究所を舞台「超電導」の分野英国の『ネイチャー』や米国の『サイエンス』などの科学専門ジャーナルに矢継ぎ早に発表した26本の論文にかんするもの。

その論文の大半に実験データ捏造による不正(misconduct)が発見されたのです。しかも、論文捏造が発覚するまで、なんと3年(!)もかかっています。

一方、「STAP細胞事件」は、日本人の「若い女性研究者」が、実験データ捏造と論文捏造を行った事件。あっという間に脚光を浴びて、あっという間に地に墜ちた事件です。

日本のこの事件では、わずか2カ月たらずで急展開しているのは、そうでなくても研究不正が発生しやすい医学・生物学分野で、しかも「若い女性研究者」であるというファクターを抜きには考えられないでしょう。

ともに科学ジャーナルの『ネイチャー』を舞台にしたものであり、研究者の国籍が日本とドイツと異なりながらも、科学立国の30歳前後の若い研究者である点、しかもアメリカ東海岸の「科学社会」とかかわっている点も共通しています。

また、ストーリー性の強調といった点は、たしかに「偽ベートベン事件」の佐村河内守氏と同じですが、研究者がかかわる「科学社会」に固有の問題は、マスコミ報道だけでは理解できません。


「科学社会」における構造的問題

本書は、国内外のテレビ番組コンクールで受賞したNHKの特集番組をもと書きおろされたものです。

残念ながら番組は見ていないのですが、番組では紹介されていない膨大な取材内容をもとに書きおろされた本書を読むと、ドキュメントとして興味深いだけでなく、科学の専門コミュニティにまつわる構造的な問題が手に取るように理解できます。


「史上空前規模の論文捏造事件」のケースにおいては、なんと論文捏造が発覚するまで3年もかかったいます。その理由はなぜか? なにが背景にあったのでしょうか?

本書の「第9章 夢の終わりに」の小見出しをあげておきましょう。「科学社会」における「科学倫理」がなぜ機能しなかったのか、その輪郭がなんとなく理解できるでしょう。

●正しさが担保されない現実
●「間違い」への寛容
●不正を立証する困難
●気づかれにくい小規模の捏造
●捏造が「再現」される可能性
●「狭い専門領域
●「再現性」の幻想
●「金(かね)の生(な)る木」と秘密主義
●国家というプレッシャー
●成果主義の功罪
●内部告発は可能か
●「共同研究」のあいまいな責任
●科学の「変容」と科学界の「構造的問題」

上記の小見出し意外に重要なキーワードとしては、「信頼を基本にした科学社会」、「不正(misconduct)と間違い(mistake)の違い」、「確証バイアス」、「論文引用回数(サイテーション)」、「商業出版物である科学ジャーナルのインパクト・ファクター」などをあげておきましょう。くわしくは本書を読んでみてください。



「狭い世界」では「空気」が働きやすく「世間」が形成されやすい

自然科学分野とはいえ、人間がかかわる社会、しかもきわめて「狭い世界」での事象であるだけに、避けて通れない倫理的問題が発生します。

「狭い世界」は、本質的に「空気」が働きやすい「世間」的な要素をもっていることを示しています。

たとえ特定の研究者の論文に不正や捏造の疑いをもったとしても、コミュニティ全体にその研究者を称賛する「空気」が醸成されていると一人では反対しにくいこと、さらにその世界の学界ボスが称賛しているとなれば、なおさら反対はしにくい。これは「世間」以外の何者でもありません。

「狭い世界」では「空気」が醸成され「世間」が形成されることは、日本だけではなく、アメリカであっても同じことがわかります。

わたし自身は、大学受験前に「文転」して社会科学系にいったので自然科学分野出身ではありませんが、米国の工科大学の大学院で学んでいた時代、理工系の研究室に出入りしていた頃を思い出しながら読みました。

米国人や日本人の研究者たちとの交流をつうじてさまざまな話をしてましたが、科学(サイエンス)であれ工学(エンジニアリング)であれ、基本的に研究室を基本にした狭い人間関係というコミュニティであるのはたしかなことです。この点は、日本もアメリカも同じでしょう。本書を読めばドイツもまた同じであることがわかります。つまり普遍性のある話なのです。

「科学社会」における「科学倫理」の機能不全問題は、どうしたら解決することができるか?

医学・生物分野における米国の ORI(= Office of Research Integrity:米国研究公正局のような独立機関を設立し、研究不正が発生しない「仕組み」をつくることも重要です。

とはいえ、若い研究者の卵たちは「狭い世界」のなかで、指導的立場にある研究者の日常的な振る舞いすべてから「学ぶ」のである以上、科学倫理は研究者すべてが実践しなければ意味がありません

つまり、座学をいくら行っても解決されるものではないということです。研究者としてのスタート地点である博士号を取得する時点に、すでに問題の根があるからです。

本書には、米国の研究者の3分の1は、なんらかの形で不正にかかわっていると紹介されてますが、「科学倫理」の徹底はそれほどむずかしいのです。人間の行動と心理がかかわってくるからです。


「科学倫理」にかんする問題はタックスペイヤーとして関心をもつべき

「STAP細胞事件」が一過性のスキャンダルとして終わることなく、「科学社会」にかかわる本質的な問題として日本全体で国民的な議論が深まることを期待したいと思います。

なぜなら、舞台となった理化学研究所(=理研)の約1,000億円の研究資金は、その大半が日本国民の「血税」によってまかなわれているためです。その意味では騙されやすい一部の民間人からカネをまきあげた佐村河内守氏よりも、はるかに罪は大きいというべきでしょう。

そうでなくても財政悪化が進行している現在、予算には優先順位をつけて執行される必要があります。ただしい予算執行のためにも、タックスペイヤー(納税者)として大いに関心をもたなくてはなりません。

本書は「科学ジャーナリスト大賞2007」を受賞しています。迫真のドキュメントとして興味深く読めるだけでなく、ジャーナリスト魂ここにありと感じることのできる本書は、ぜひ読んでおきたい一冊として推奨します。


* 研究者「個人」と研究室という「組織」、そして「学会」というコミュニティという「社会」にかかわる問題については、姉妹編のブログ 「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる! も参照していただけると幸いです。




目 次

はじめに
プロローグ
第1章 伝説の誕生
第2章 カリスマを信じた人々
第3章 スター科学者の光と影
第4章 なぜ告発できなかったのか-担保されない「正しさ」
第5章 そのとき、バトログは-研究リーダーの苦悶
第6章 それでもシェーンは正しい?-変質した「科学の殿堂」
第7章 発覚
第8章 残された謎
第9章 夢の終わりに
 正しさが担保されない現実 「間違い」への寛容 不正を立証する困難 気づかれにくい小規模の捏造 捏造が「再現」される可能性 狭い専門領域 「再現性」の幻想 「金(かね)の生る木」と秘密主義 国家というプレッシャー 成果主義の功罪 内部告発は可能か 「共同研究」のあいまいな責任 科学の「変容」と科学界の「構造的問題」 日本は大丈夫なのか?
 日本学術会議の対応
 アメリカ型でよいのか
 第2、第3のシェーンを防ぐには
エピロ-グ-「わからなさ」の時代に
放送歴・受賞歴・番組スタッフ一覧

本書の元になったNHK特集番組『史上空前の論文捏造』は、以下の4つの賞を受賞。
① バンフ・テレビ祭 最優秀賞
② アメリカ国際フィルム・ビデオ祭クリエイティブ・エクセレンス賞
③ アルジャジーラ国際テレビ番組制作コンクール銅賞(調査リポート部門)
④ 科学技術映像祭・文部科学大臣賞

著者プロフィール

村松 秀(むらまつ・しゅう)
1968年、横浜生まれ。東京大学工学部卒業。1990年NHK入局。「NHKスペシャ ル」「クローズアップ現代」「サイエンスアイ」等を担当し、環境、先端科学、 医療、生命倫理など主に科学系番組の制作に携わってきた。特に環境分野では、 環境ホルモン問題を日本で最初に報道、その後も継続して取材を続ける。「地球!ふしぎ大自然」「迷宮美術館」など新番組の立ち上げも多い。現在、科 学・環境番組部専任ディレクター、「ためしてガッテン」デスク。NHKスペ シャル「生殖異変」で放送文化基金賞本賞、地球環境映像祭大賞、科学技術祭内閣総理大臣賞、戦後60年関連企画で毎日芸術賞特別賞など受賞多数。著書に 『生殖に何が起きているか』(NHK出版)、『環境から身体を見つめる』(アイオーエム)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

科学ジャーナルの『ネイチャー』

理化学研究所(=理研)

米国史上最悪の「科学研究不正」の反省と対処に学ぶこと (大西睦子、フォーサイト、2014年4月3日)
・・1932年から1972年まで40年間にわたり、アラバマ州タスキーギの農村で、米国政府の公衆衛生局によって行われた、米国史上最悪の研究不正と言われる「タスキーギ梅毒実験」について

ハーバード大学内でも勃発した世界的著名教授の「論文撤回」騒動 (大西睦子、フォーサイト、2014年4月30日)

裸の王様だったSTAP細胞研究者-こんな研究に数十億円の税金を注ぎ込んだ責任を明らかにすべし (伊東 乾、JBPress、2014年4月9日)
・・研究所の人事そのものに問題があることが示唆されている

【STAP細胞論文問題】科学史上最悪のシェーン論文捏造事件が残した教訓と防止策 (ハフィントンポスト、2014年4月14日)
・・「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)とは「シェーン論文捏造事件」のこと

STAP細胞論文、世界一の不正で「教科書に載る」 改革委員会が指摘 (ハフィントンポスト、2014年6月14日)
・・「STAP細胞の論文をめぐる問題で、理化学研究所(理研)が設置した外部有権者による改革委員会は6月12日、小保方晴子さんらが所属する「発生・再生科学総合研究センター(CDB)」を解体することなどを求める提言書を公開した。同じ日に開かれた改革委員会の記者会見では、委員らがこの問題について「世界の3大不正の一つ」「教科書になる」などと発言。被害は理研だけにとどまらず、今後発表される日本の研究者の論文全体にも影響が及ぶ可能性を指摘した。・・(中略)・・研究者の倫理観を研究している信州大学特任教授の市川家国氏は、STAP論文問題では様々な不正が同時に行われている点を挙げ、2002年にアメリカで起こった「超電導研究不正(シェーン事件)」や、2005年に韓国で起った「ES細胞捏造(ファン・ウソク事件)」と並び、三大不正事件の一つであると断言。「3つの事件のなかでも一番がSTAP細胞論文の問題で、これから教科書的に扱われることになる」と述べた。」

(2014年614日 情報追加)






<ブログ内関連記事>

「セルフブランディング」と「セルフプロデュース」、そして「ストーリー」で「かたる」ということ-「偽ベートーベン詐欺事件」に思う
・・この記事で「騙された消費者もまた共犯者」という趣旨で書いているが、騙された被害者はあくまでも日本国民の一部である。「STAP細胞事件」は、国の予算=納税者の血税を使用しているので、結果として国民全体を被害者にしたのと同じである。河内守よりも、より悪質であるといわざるをえない

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「壊れた『世間』にかわって現在の日本人、とくに若い人たちを支配して猛威をふるっているのが『空気』だという指摘は、実に納得いくものである」「安定した状態ではその組織なり人間関係の中で『世間』が機能するが、不安定な状態では『空気』が支配しやすい。/『世間』が長期的、固定的なものであるのに対し、『空気』は瞬間的、その場限りの性格が強い」。

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである
・・解剖学者の養老孟司氏は「学会は世間」であると言っている

集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害 (きょうのコトバ)
・・グループシンクという「空気」がつくりだす「集団浅慮」のワナ

映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた-1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化
・・視線という権威、権力が支配する空間が「世間」。集団同調圧力は日本人以外にも働くのである

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「世間」も「空気」も特殊日本的現象ではない

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・

(2014年5月9日 情報追加)


 
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2012年4月25日水曜日

書評『官報複合体 ー 権力と一体化する新聞の大罪』(牧野洋、講談社、2012)ー「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのもの、つまり官僚情報の垂れ流しだ

日本経済新聞で20年にわたって経済記事を書いてきた元・編集委員が新聞社を「脱藩」してはじめて書くことのできたジャーナリズム論だ。

ウェブマガジン『現代ビジネス』(講談社)に連載された記事を再構成して加筆したものである。

すでに一部はウェブでも読んでいたが、あらためて通読すると日本の新聞メディアの構造的問題が浮かび上がってくるのを実感した。

いまから十数年前になるが、ある日系の石油会社のエグゼクティブから、「(とくに月曜日の)日本経済新聞の一面は政府の垂れ流し記事だから、まったく読む必要はない」という話を聴いたことがある。つまり日経の一面は「官報」となんら変わりがないということだ。

それ以来、わたしは新聞とは距離を置いて接するようにしてきたが、本書のタイトルを見て真っ先に思ったのはそのエピソードであった。

著者は、政「官」と「報」道(=マスコミ)報道の複合体のことをさして「官報複合体」というのだが、わたしは、読んで字の如く「官報」、すなわち官僚情報の垂れ流しと受け取っても問題ないと思う。日本の新聞は官報そのものなのだ。

ピューリッツァー以来の本来あるべきジャーナリズムの機能とは、権力を監視するウォッチドッグ(=番犬)にあるはずだ。だが、日本の新聞には市民の目線から権力をチェックする権力監視型報道は皆無である。

速報性においてはインターネットにはるかに劣るのにかかわらず、いまだに通信社機能が全面にでている日本の新聞社の姿勢。米国を過度に持ち上げる必要はないが、それにしても日本の新聞はひどすぎる。

これは、「3-11」の原発事故報道によって、多くの国民は痛感したことだろう。日本の新聞においては、ジャーナリズムにおいてもっとも重要なファクト・ファインディングが行われていないのだ。日本ではむしろ、日本の新聞社系列ではないため記者クラブから締め出されている雑誌記事のほうがより「調査報道」に近い

米国を代表する経済紙WSJ(=ウォール・ストリート・ジャーナル)と日本経済新聞の違いもまた、本書を読んでいてつよく印象づけられた。現在のWSJはメディア王マードックの傘下に入って変質してしまったようだが、記者クラブのない米国の新聞ジャーナリズムの基本線をつくったのがWSJであったというのは、ジャーナリズムの世界には詳しくないわたしには意外な話だった。

問題は、この期に及んでも、テレビと新聞以外の情報源をもたない国民が多数を占めることだ。帯の文句ではないが、「今すぐ新聞をやめなければあなたの財産と家族が危ない!」というのは、けっして誇張でもなんでもない。わたし自身、新聞購読をやめてから3年になるが、仕事でも生活でもまったく困っていない。

果たして日本の新聞社に自浄作用はあるのだろうか。それとも、根こそぎ崩壊してしまうのだろうか・・・。

<初出情報>

■bk1書評「「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのもの、つまり官僚情報の垂れ流しだ」投稿掲載(2011年4月4日)
■amazon書評「「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのもの、つまり官僚情報の垂れ流しだ」投稿掲載(2011年4月4日)





<書評への付記>

わたしはすでに新聞を読まなくなってだいぶたつ。だが、雑誌は読んでいる。新聞よりも、はるかに深い分析が行われているからだ。しかも、事実究明(ファクト・ファインディング)にかんしては、新聞よりもはるかに執拗に行っている。

また、シンクタンクやコンサルティング会社のレポートのほうが、バイアスが存在するとはいえ、徹底的な事実重視を基本姿勢としている点において「調査報道」に近いのではないかという気もする。

しかし、シンクタンクやコンサルティング会社といえども、株主や取引先の意向とはまったく独立に意見表明はできないものだ。

もちろん、完全に独立した言論というものは原理的にありえない。自分もふくめた、かならず何かの立場に基づいた見解であり、発言であるからだ。

しかし、ある特定の勢力に気兼ねして本当のことについて書かないばかりか、あきらかに偏向した見解を、あたかもそれがただしい見解であるかのように語る傾向のある日本の新聞マスコミに対する批判はますます根強いものとなる傾向にある。

これはテレビも同罪である。日本の地上波のテレビ局が、NHKを除けば、すべて新聞社系列であるから、これは当然といえば当然だ。

ただし、新聞社であれ、テレビ局であれ、個々の記者たちに問題意識がないというわけではない。「個」としての記者には良心もあれば、気概もあるはずだ。

だが、日本人は見えない「世間」という縛りのなかで生きているので、ついつい組織の意向に同調していまいがちだ。著者の牧野氏もまた、日本経済新聞社のなかにいるときは、言いたいことがいえない、書いた記事がそのまま掲載されないという悔しさを感じ続けていたようだ。

「世間」が支配する日本においては、新聞記者は組織の外に出ない限り、存分に活動することはできないのである。一人でも多くの新聞社社員が「脱藩」して、本来の意味のジャーナリストになってほしいものだ。

新聞社も読者離れがすすめば、ビジネスである以上、限られたパイ(=購読者=市場)をめぐる競争のなかで淘汰される会社もでてくるだろう。そのときこそ、ほんとうの競争が始まるのである。

ほんとうの競争がはじまって、新聞社が本来の役割を取り戻してほしい。会社なんだから、差別化を打ち出せばいいのだ。記事の中身で勝負すべきなのだ。


<関連情報>

牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」
・・本書のもとになったオンライン・マガジン連載の原稿


<ブログ内関連記事>

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)




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