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2023年1月29日日曜日

書評『幕末の先覚者 赤松小三郎 ― 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)― 「福澤諭吉」になりそこねた男の短い生涯

 

 幕末に非業の死を遂げた「先覚者」は、佐久間象山や坂本龍馬など数知れない。 

赤松小三郎という人もまた、非業の死を遂げた先覚者である。そのことは『幕末の先覚者 赤松小三郎 ー 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)という本で知った。  

おお、そんな人がいたのか! まったく知らなかった。 

赤松小三郎(1831~1867)は、信州の上田藩に生まれた下級武士。数学が得意で、遊学先の江戸で内田五観(いつみ)の私塾「瑪得瑪第加」(マテマチカ)で数学を研鑽、さらにオランダ語を習得し、のちには英語も身に付けた。勝海舟の従者として長崎で海軍伝習所でさまざまなことを学んでいる。 

だが、よく似た経歴をもつ福澤諭吉(1835~1901)とは違って、「万延元年遣米使節」には加われず、米国に渡航することはできなかった。すでに勝海舟の従者ではなかったからだ。「福澤諭吉」になりそこねてしまったのだ。 

その後は、さまざまな紆余曲折があったが、横浜に駐留する英国陸軍部隊(*)の大尉からナマの英語と英国の歩兵操典を学び、英国式兵学者として身を立てる途が開ける。
   
(*)英国は居留地における自国民の権益を守るため、幕府の許可のもとフランスとともに陸軍部隊を駐留させていた。「英仏横浜駐屯軍」という
  
生麦事件など攘夷派によるテロが横行してきたことが背景にある。駐留期間は、1863年(文久2年)から1875年(明治8年)に及んだ。その規模は、英軍は1000人強、フランス軍は300人レベルであった。国家主権の観点から、日本の要求によって1875年に全面撤退することとなった。




「第2次長州征伐」に参加した上田の藩士として京都に駐留した小三郎は、帰国要請をかわしながら京都で兵学塾を開く。上田藩という小藩ではなく、日本全体を変革したい、そんな大きな野心を抱いていたからだ。 ちなみに、福澤諭吉も英語から「雷銃操法」「兵士懐中便覧」「洋兵明鑑」などを翻訳していることを付け加えておこう。

英語から翻訳した『英国歩兵操典』が評判となり、教えを請う者が続出。薩摩藩や会津藩などからも招聘され、教官として訓練にあたることになる。 

だが、これが「あだ」になったのだ。変転きわまりない情勢のなか、昨日の友は今日の敵となる。 

同盟を結んでいた薩摩藩と会津藩だが、関係が険悪化する。薩摩藩が倒幕に政策を転換し、長州と組むことで京都の治安維持にあたっていた会津藩を裏切ったのである。

軍事教官として双方に密接にかかわっていた赤松小三郎は、薩摩藩から幕府のスパイ扱いされ、抹殺されることになってしまったのだ。 

斬ったのは、人斬り半次郎こと中村半次郎(のちの桐野利秋)である。護身用のピストルを抜く暇もなく、叩き斬られたのであった。薩摩示現流の遣い手を前にしては、ピストルなどなんら用をなさなかったわけだ。暗殺の背後関係については不明なままだというが、薩摩藩の統一意思であることと考えるべきだろう。 

福澤諭吉の『西洋事情』にもインスパイアされ、議会制度の建白書を幕府にも提出(・・慶喜も目を通したらしい)し、なんとか内戦を回避したと願って奔走していたのだが・・。 

時代に先駆けた「先覚者」は非業の死を遂げる。36歳で死んだ赤松小三郎もまた、その例外ではなかった。 

幕府を倒す原動力になった薩摩藩の陸軍を教練した、「恩人」ともいうべき人物を葬り去った薩摩藩。非情なものである。存在すら知られることなく100年以上も経過していたのである。それだけ、薩摩藩による隠蔽工作が成功していたということだろう。
 
相楽総三もそうであるが、名誉回復をはかる動きが出てきているのである。消し去ってしまったはずの薩摩藩の「黒歴史」に、ふたたび光が当たり始めている。 

数学と英語が得意なこの人物は、もうすこし遅く生まれていたら、どんな分野であっても間違いなく成功を収めたことだろう。現代に生まれていたら、難関大学も突破しているはずだ。生まれる時代は、自分には選べない。 

とはいえ、こんな人物がいたのだということは記憶にとどめておきたい。 


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目 次
プロローグ ― 幕末史から消されていた憂国の志士
第1章 上田藩に生まれる ― 学問に励む日々
第2章 勝海舟との出会い ― 長崎での日々
第3章 英式兵制と横浜居留地 ― 内戦の勃発
第4章 幕末政局の舞台・上方に向かう ― 薩摩藩の接近
第5章 憂国の志士として奔走する ― 雄藩の合従連衡
第6章 非業の死 ― 小三郎が夢見た新国家
エピローグ ― 赤松小三郎の遺産
赤松小三郎関連年表
参考文献

著者プロフィール
安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)
1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




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2021年11月14日日曜日

山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』(岩波文庫、1991)と『武家の女性』(岩波文庫、1983)は、あわせて読むべき「幕末の水戸藩」にかんする二部作



社会主義者であった山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』(岩波文庫、1991 初版1974)『武家の女性』(岩波文庫、1983 初版1943)を2冊つづけて読んだ。いずれも購入してから20年以上もたっているので、本は黄ばんでしまっている。 この時期の岩波文庫の紙質の問題でもある。
  
先に『尊皇攘夷-水戸学の400年』(片山杜秀、新潮選書、2021)を読んで、幕末の水戸藩の動きについて知らなければ、幕末から明治維新の歴史について深く知ることはできないと、あらためて悟ったからだ。そのからみでようやく読み始めることにした次第。 

著者の山川菊栄(1990~1980)は、夫の山川均(1880~1958)とともに社会主義者あり、女性解放運動の思想家でもあった。 その菊栄の旧姓は青山で、青山氏は水戸藩士で、曾祖父も祖父も『大日本史』の編纂にもかかわった儒者でもあり、烈公・徳川斉昭や藤田幽谷・東湖とも親しく交わった人物であった。 

『覚書 幕末の水戸藩』では、激動する水戸藩の状況が、母親など近親者や当時を知る古老など、さまざまな人物の記憶から呼び戻されたエピソードや手紙をつうじて、手に取るように縦横に語られる。じつに面白い読み物だ。  

このあとつづけて『武家の女性』を読んだが、おなじ時代の水戸藩を女性の視点で描いたものになっている。タイトルは一般的な状況を連想させるが、中身は幕末の水戸藩そのものだ。幕末の水戸藩にかんしては、むしろ執筆と出版が30年先行する『武家の女性』ほうに詳しい記述がみられることもある。  

『覚書 幕末の水戸藩』が政治を中心に経済についても語ったものであれば、『武家の女性』は、著者の生家の青山家もそうだったが、下級武士の家庭を描いた社会史ともいうべき作品で、社会経済に重点がある。わたしなら『女たちの幕末水戸藩』とでもタイトルをつけたいところだ。 

『武家の女性』には、下級武士の倹約を旨としたつましい生活ぶりが具体的に描かれている。そうでなくても財政状況が厳しかった水戸藩の下級武士は、全国レベルからみても厳しい生活が強いられていたのである。傘張りの内職の話も実話として登場する。

夫婦と子どもを中心とした「核家族的」な下級武士の生活と、経済的に恵まれていたので「妻妾同居」が当たり前だった家老など上級武士との違い。それは、経済面だけでなく、倫理面にも現れているといっていいだろう。マルクス主義的にいえば、下部構造である生活形態が、上部構造である思考形態を規定していたわけだ。

経済的には上級武士と下級武士との格差が大きかったものの、実質的にはその中間層というべき存在が、もっとも苦しかったことも指摘されている。下級武士の生活は苦しかったが、余計な出費がないので、なんとかやりくりができたのであった。

そんな下級武士が「変革」の主体になったのは、当然といえば当然であることがおのずから理解されるのである。

それにしても、武士という存在の窮屈さよ、と読んでいて嘆息したくなる。

倫理性の高さは誇るべきだとしても、下級武士の末裔であるわたしとしても、そう思わざるを得ないのだ。窮屈な武士と自由闊達な町人の違い。が具体的なエピソードをつうじて語られている。

むしろ、武士と農民の近さと、そでにもかかわらず違いもあることにこそ注目すべきなのだ。水戸学においては、「尊皇思想」と「攘夷思想」だけでなく、「農本思想」が中核の一つをなしていたことにも注意を向ける必要があろう。

というわけで、山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』と『武家の女性』は二部作として読むのがふさわしい。この2冊をつづけて読むことで、男たちの世界と女たちの世界の両面をあわせて、はじめて複眼的かつ立体的に幕末の水戸藩を捉えることが可能となるからだ。

尊皇攘夷思想の震源地となった水戸藩に始まった「維新革命」は、下級武士が主体となった革命であった。しかしながら、武士身分内の身分格差を背景に、藩論が二分して内ゲバ状態になって凄惨な殺し合いに陥った水戸藩は、結局のところ維新の果実を味わうことができなかった。そのことを、具体的な叙述をつうじてあらためて確認することになる。 

著者の山川菊栄は社会主義者であったが、いわゆる「講座派」ではなく、「労農派」であったことは大きい。講座派がマルクス主義の歴史法則を強調した教条的な姿勢であったのに対し、労農派のほうはおなじマルクス主義に依りながらも、日本の現実から出発する姿勢をもっていた。

しかも、山川菊栄は、戦中には日本民俗学の柳田國男の影響をうけることになる。『武家の女性』は、柳田國男の力添えで出版されたことが「はしがき」に記されている。社会主義に対する弾圧が厳しいなか、その他多くの社会主義者と同様に、精神安定の拠り所を民俗学に求めたのであった。

山川菊栄による「社会史」ともいうべき本が、出版からすでに70年以上たった現在でも、読んでいてまったく違和感を感じないのはそのためだろう。今後も末永く読み続けられていくことは間違いない。 


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