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2023年1月29日日曜日

書評『幕末の先覚者 赤松小三郎 ― 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)― 「福澤諭吉」になりそこねた男の短い生涯

 

 幕末に非業の死を遂げた「先覚者」は、佐久間象山や坂本龍馬など数知れない。 

赤松小三郎という人もまた、非業の死を遂げた先覚者である。そのことは『幕末の先覚者 赤松小三郎 ー 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)という本で知った。  

おお、そんな人がいたのか! まったく知らなかった。 

赤松小三郎(1831~1867)は、信州の上田藩に生まれた下級武士。数学が得意で、遊学先の江戸で内田五観(いつみ)の私塾「瑪得瑪第加」(マテマチカ)で数学を研鑽、さらにオランダ語を習得し、のちには英語も身に付けた。勝海舟の従者として長崎で海軍伝習所でさまざまなことを学んでいる。 

だが、よく似た経歴をもつ福澤諭吉(1835~1901)とは違って、「万延元年遣米使節」には加われず、米国に渡航することはできなかった。すでに勝海舟の従者ではなかったからだ。「福澤諭吉」になりそこねてしまったのだ。 

その後は、さまざまな紆余曲折があったが、横浜に駐留する英国陸軍部隊(*)の大尉からナマの英語と英国の歩兵操典を学び、英国式兵学者として身を立てる途が開ける。
   
(*)英国は居留地における自国民の権益を守るため、幕府の許可のもとフランスとともに陸軍部隊を駐留させていた。「英仏横浜駐屯軍」という。
  
生麦事件など攘夷派によるテロが横行してきたことが背景にある。駐留期間は、1863年(文久2年)から1875年(明治8年)に及んだ。その規模は、英軍は1000人強、フランス軍は300人レベルであった。国家主権の観点から、日本の要求によって1875年に全面撤退することとなった。




「第2次長州征伐」に参加した上田の藩士として京都に駐留した小三郎は、帰国要請をかわしながら京都で兵学塾を開く。上田藩という小藩ではなく、日本全体を変革したい、そんな大きな野心を抱いていたからだ。 ちなみに、福澤諭吉も英語から「雷銃操法」「兵士懐中便覧」「洋兵明鑑」などを翻訳していることを付け加えておこう。

英語から翻訳した『英国歩兵操典』が評判となり、教えを請う者が続出。薩摩藩や会津藩などからも招聘され、教官として訓練にあたることになる。 

だが、これが「あだ」になったのだ。変転きわまりない情勢のなか、昨日の友は今日の敵となる。 

同盟を結んでいた薩摩藩と会津藩だが、関係が険悪化する。薩摩藩が倒幕に政策を転換し、長州と組むことで京都の治安維持にあたっていた会津藩を裏切ったのである。

軍事教官として双方に密接にかかわっていた赤松小三郎は、薩摩藩から幕府のスパイ扱いされ、抹殺されることになってしまったのだ。 

斬ったのは、人斬り半次郎こと中村半次郎(のちの桐野利秋)である。護身用のピストルを抜く暇もなく、叩き斬られたのであった。薩摩示現流の遣い手を前にしては、ピストルなどなんら用をなさなかったわけだ。暗殺の背後関係については不明なままだというが、薩摩藩の統一意思であることと考えるべきだろう。 

福澤諭吉の『西洋事情』にもインスパイアされ、議会制度の建白書を幕府にも提出(・・慶喜も目を通したらしい)し、なんとか内戦を回避したと願って奔走していたのだが・・。 

時代に先駆けた「先覚者」は非業の死を遂げる。36歳で死んだ赤松小三郎もまた、その例外ではなかった。 

幕府を倒す原動力になった薩摩藩の陸軍を教練した、「恩人」ともいうべき人物を葬り去った薩摩藩。非情なものである。存在すら知られることなく100年以上も経過していたのである。それだけ、薩摩藩による隠蔽工作が成功していたということだろう。
 
相楽総三もそうであるが、名誉回復をはかる動きが出てきているのである。消し去ってしまったはずの薩摩藩の「黒歴史」に、ふたたび光が当たり始めている。 

数学と英語が得意なこの人物は、もうすこし遅く生まれていたら、どんな分野であっても間違いなく成功を収めたことだろう。現代に生まれていたら、難関大学も突破しているはずだ。生まれる時代は、自分には選べない。 

とはいえ、こんな人物がいたのだということは記憶にとどめておきたい。 


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目 次
プロローグ ― 幕末史から消されていた憂国の志士
第1章 上田藩に生まれる ― 学問に励む日々
第2章 勝海舟との出会い ― 長崎での日々
第3章 英式兵制と横浜居留地 ― 内戦の勃発
第4章 幕末政局の舞台・上方に向かう ― 薩摩藩の接近
第5章 憂国の志士として奔走する ― 雄藩の合従連衡
第6章 非業の死 ― 小三郎が夢見た新国家
エピローグ ― 赤松小三郎の遺産
赤松小三郎関連年表
参考文献

著者プロフィール
安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)
1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




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2021年4月11日日曜日

書評『フォン・ノイマンの哲学 ― 人間のフリをした悪魔』(高橋昌一郎、講談社現代新書、2021)― 20世紀を代表する超天才を根底で支えていた「哲学」とは?



フォン・ノイマンといえば、ありとあらゆる分野に名前を残している「超天才」である。ノイマン型コンピュータ、原爆などの工学分野だけでなく、経済学の分野でもゲーム理論で知られている。 

52年の生涯で150編の論文を発表、その範囲は論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学に及んでいる。常人の常識を超えた怪物としかいいようがない。

最近でたばかりの『フォン・ノイマンの哲学-人間のフリをした悪魔』(高橋昌一郎、講談社現代新書、2021)は、そんなフォン・ノイマンの「哲学」を、知られざる豊富なエピソードをまじえながら、その人生をたどりながら跡づけようとしたものだ。  

オーストリア=ハンガリー二重帝国(いわゆるハプスブルク帝国)のブダペストに生まれたユダヤ系のジョン・フォン・ノイマン(1903~1953)は、マッドサイエンティスト的匂いをプンプンさせているにもかかわらず、意外なことに、いわゆる奇人変人タイプの科学者ではなかった。愛情たっぷりの家庭環境で育ち、豊かな教養を身につけた社交家でもあった。 

フォン・ノイマンの「哲学」といっても、ここでいう「哲学」は、哲学者が扱う哲学といいうよりも、言動を根底で支えている「思想」といったようなものだ。経営者の「哲学」とか、職人の「人生哲学」のようなものだと考えればいい。 

「科学優先主義」「非人道主義」「虚無主義」。この3つが著者が取り出した「フォン・ノイマンの哲学」だ。 

科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきであり、目的のためなら原爆のような非人道的兵器でも許され、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しない。 

彼をモデルにしたとされるキューブリック監督の『ドクター・ストレンジラブ』に登場するマッド・サイエンティストそのものである。あるいは、第1次世界大戦時のドイツで毒ガス開発に従事したユダヤ系の化学者のフリッツ・ハーバーを想起させるものがある。 

こんな人物が、第2次世界大戦での米国の勝利に多大な貢献をなしたのである。「戦後」の米国を支配した「合理主義信仰」の権化のような存在であった。 

数学で天才ぶりを発揮したが、「純粋数学」の分野はゲーデルに譲り、もっぱら実際的な問題解決に資する「応用数学」に注力した。限りなく工学分野に近い数学である。その天才的知性は、とてつもない記憶力をフルに活用した産物である。1日4時間睡眠でも可能だったのだ。 

原爆開発中に浴びた放射能が原因でガンになり、52年というけっして長くない人生を閉じたフォン・ノイマンだが、肉体的な苦しみについては伝わっていても、闘病生活と早すぎる死をどう内面的に捉えていたのかが、まったくわからない。少なくともこの本には書かれていない。おそらくフォン・ノイマン自身もなにも語っていないのでろう。

徹底的な虚無主義だったのだろうか? ほとんど共感というものを感じさせない「人間のフリをした悪魔」であった人物だが、現代に生きるわれわれはフォン・ノイマンの発明の恩恵を多大に受けているのである。 そのことは、けっして忘れてはならないことだ。

あらためてフォン・ノイマンという超天才の生涯をたどってみるのも意味あることだろう。少なくとも、わたしはひじょうに楽しみながらこの本を読んだ。 


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目 次
はじめに-人間のフリをした悪魔 
第1章 数学の天才 
第2章 ヒルベルト学派の旗手 
第3章 プリンストン高等研究所 
第4章 私生活 
第5章 第2次大戦と原子爆弾 
第6章 コンピュータの父 
第7章 フォン・ノイマン委員会 
おわりに 

著者プロフィール 
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
1959九年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在は、國學院大學教授。専門は、論理学・科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『ゲーデルの哲学』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』などがある。


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2018年4月7日土曜日

書評『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子、東洋経済新報社、2018)ー 教育関係者、人材育成関係者は必読。読むことを強く薦めたい



 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子、東洋経済新報社、2018)を読んだ。新井氏の新刊を待ち望んでいたからだ。AIとは人工知能(Artificial Intelligence)の略だが、この本では「人工知能技術」に限定して使用されている。

この本は、とくに学校教育の関係者や企業の人材育成関係者は必読だ。つまらないビジネス書を読んでいるヒマがあったら、この本をじっくり読んだほうがはるかにためになると断言していいい。 



帯のオモテには「人工知能はすでにMARCH合格レベル」と書かれている。MARCHとは私大の頭文字を並べたものだ。 

これは著者が主幹となって実施してきた「東ロボ」(=ロボットは東大に合格するのか。)というAI技術関連のプロジェクト、「全国読解力調査」(RST)プロジェクトの結果を要約したものだ。つまりこのレベルの大学では、簡単にAIに代替されてしまうということ。悲観的な近未来像である。 

帯のウラ(写真)には、AIにまつわる神話と幻想をことごとく否定する文言が並んでいる。AIは神ではなく、人類を滅ぼすこともなく、シンギュラリティ(=人工知能が人間の脳を凌駕する特異点)も到来しない。 



なぜなら、コンピュータは文字通り計算機でありそれ以上のものではないこと、数学の言語である「論理」と「確率」と「統計」で表現できる事象以上のこと、すなわち「意味」は解析できないからだ。しかも、機械と生物は異なる存在だ。人間の脳は生物である。 

だが、これで安心してはいけない。逆にいえば、数学の言語で表現できることはAIが効率的に遂行してしまうのである。つまりAIに代替されてしまうということ。「意味」にかかわり、「推論」を必要とする分野以外は、機械のほうがはるかに人間に勝る。もはや大学卒業資格が職業生活において差異化の要素にはならないのである。 

「全国読解力調査」(RST)プロジェクトの結果こそ、真剣に受け止めるべき内容だ。つまり、中学卒業時点までに習得される「読解力」が、その後の人生を大きく分けるのである。 

「読解力」とは「国語力」と言い換えてもいいだろう。文章の「意味」が正確に理解できなければ「教科書」が読めないのであり、英語も数学も理解できないことを意味している。就職してからマニュアルや手順書も読んで理解できないのである。プログラムも組めないのである。 

日本語もできないのに、英語ができるはずがない、すべての基礎は日本語がきちんと理解できて使用できることだと、私は繰り返し主張してきたが、この認識は企業の人材育成現場だけではなく、教育現場でも危機意識が共有されてきたようだ。高度人材の育成もさることながら、底上げに注力しないと日本は完全にダメになる。 

その意味では、本書の主張は全面的に賛成であり、心強い援軍となる。ぜひ読むことを薦めたいのはそのためだ。 

著者の新井紀子氏は国立情報学研究所勤務の数学者。しかし単なる数学者ではなく、数学を広く社会に位置づけて考えることのできる人だ。数学のもつ特性と限界を心得ている人である。 

著者による問題提起は、真剣に受け止めて欲しいと思う。


(画像をクリック!)


目 次
  
はじめに-私の未来予想図 
第1章 MARCHに合格-AIはライバル 
 AIとシンギュラリティ 
 偏差値57.1 
 AI進化の歴史 
 YOLOの衝撃-画像認識の最先端 
 ワトソンの活躍 
 東ロボくんの戦略 
 AIが仕事を奪う
第2章 桜散る-シンギュラリティはSF 
 読解力と常識の壁-詰め込み教育の失敗 
 意味を理解しないAI 
 Siriは賢者か? 
 奇妙なピアノ曲 
 機械翻訳 
 シンギュラリティは到来しない
第3章 教科書が読めない-全国読解力調査 
 人間は「AIにできない仕事」ができるか? 
 数学ができないのか、問題文を理解していないのか?-大学生数学基本調査 
 全国2万5000人の基礎的読解力を調査 
 3人に1人が、簡単な文章が読めない 
 偏差値と読解力
第4章 最悪のシナリオ 
 AIに分断されるホワイトカラー 
 企業が消えていく 
 そして、AI世界恐慌がやってくる
おわりに


著者プロフィール
 

新井紀子(あらい・のりこ)
国立情報学研究所教授、同社会共有知研究センター長。一般社団法人「教育のための科学研究所」代表理事・所長。東京都出身。一橋大学法学部およびイリノイ大学数学科卒業、イリノイ大学5年一貫制大学院数学研究科単位取得退学(ABD)。東京工業大学より博士(理学)を取得。専門は数理論理学。2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務める。2016年より読解力を診断する「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

個性は主張する vo.19 国立情報学研究所情報社会相関研究系 教授 新井紀子氏
・・新井紀子氏のインタビュー記事が、一橋大学の広報誌HQに掲載されている。「数学が大の苦手だと思っていた。大学入試を終えたとき裏庭で数学の教科書をきれいさっぱり燃やしてしまった」とある。「数学ギライが数学の道に進むようになったキッカケは、松坂和夫先生との出会いでした。ようやく数学から解放されると喜んでいたのに、一橋大学では数学が必修。打ちのめされる思いでイヤイヤ出席した授業でしたが、松坂先生の講義は数学の神髄は「計算・答」を是とする学校数学に非ずとはっきり悟らせてくれたのです。そうだ数学には筋道というストーリーがあるんだと知ったときは、目の前がパッと開ける思いでした」


<ブログ内関連記事>

書評 『コンピュータが仕事を奪う』(新井紀子、日本経済新聞出版社、2010)-現代社会になぜ数学が不可欠かを説明してくれる本

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?

英語よりも日本語をキチンと教育してもらいたい!-「英語至上主義」と訣別し、人的資源の有効活用策を考えるべし


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2015年9月22日火曜日

書評『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる ― 21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、アルテス、2015)― 音楽は「実学」であり、かつ「教養」でもある



『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる  ―  21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、2015)は、音楽関係の書籍の専門出版社アルテスの新刊。

たまたま書店の店頭でみかけてすぐさま購入することにしたのは、「リベラルアーツとしての音楽」というテーマが、わたしには刺さるものがあるからだ。

「ハーバード白熱教室」の成功以来、ハーバードと冠につけた便乗本があふれている。だが、本書はそうではない。アメリカではじめて総合大学に音楽学科を新設したのがハーバード大学だからだ。ハーバード大学をはじめとするアメリカの著名な総合大学における音楽教育への取り組みを網羅的に取り上げて解説している。

ハーバード大学で音楽教育がはじまったのは、意外なことに1855年のことらしい。たかだか160年前に過ぎないのである。その後、イェール大学やコロンビア大学、スタンフォード大学など、名だたる総合大学が音楽学科を設置するようになって現在に至っているのだが、なんと MIT のような工科大学でも「音楽学科が設置されているのである! 音楽教育が、演奏家育成を目的にしたものだけでなく、広い意味でリベラルアーツ(・・いわゆる「教養」)に位置づけられているためだ。

日本では大学レベルの音楽教育といえば、もっぱら芸術系大学が中心となっているが、アメリカでは総合大学の音楽学部出身者の演奏家が少なくない。ジュリアード音楽院などの音楽大学を凌駕(りょうが)する勢いがあるようだ。音楽を演奏技術だけでなく、幅広いパースペクティブのもと、社会のなかに位置づけていることが大きな意味をもっているのだ。

さらにいえば、音楽を楽しむ層の裾野を広げるということも、総合大学の音楽大学の使命とされている。鑑賞するだけでなく、みずから演奏する楽しみである。もちろん基本となるクラシック音楽が中心であるが、ジャズやロック、民族音楽にも目配りは広い。

アメリカの音楽学部や音楽学科では、プロの演奏家志望の学生だけでなく、他学部の学生も履修可能である。演奏家志望の学生にとっては「実学」であり、そうではないが音楽を愛し楽しむ学生にとっては、現代社会に生きるための「教養」となる。ここで「教養」といったが、それはたんなる「知識」のことではないことは言うまでもないだろう。

音楽は、ラテン語でいえば、アルテス・メカニカエ(artes mechanicae)であり、アルテス・リベラーレス(artes liberales)でもある。後者は英語のリベラルアーツのことだが、アート(art)を「芸術」と訳したのでは本当の意味が見えてこない。アートは、芸術であり技術でもある。つまりは「術」ということがその本質である。

「第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史」において、古代ギリシアから古代ローマ、そして西欧中世を経て、音楽の国ドイツからアメリカへの流れをくわしくトレースしているが、そもそも音楽をリベラルアーツとして位置づけてきたのが西欧文明なのである。

古代ローマから中世にかけて音楽は数学として理論的に捉えられてきたが、演奏技術と音楽理論の乖離(かいり)が存在したといえるかもしれない。近代以降、とくにルター改革を経たドイツでは「数学としての音楽」ではなく、「音楽としての音楽」が主流となり、その延長線上にアメリカの音楽教育があることが本書に記されている。具体的にいえば、ドイツ北部のゲッティンゲン大学に学んだアメリカ人教育者たちが、ハーバード大学においてその路線を継承したのである。

アメリカでは「音楽の知」という観点から、音楽が積極的に評価されていること。総合大学における位置づけは、本書によれば以下のようになる。

●ハーバード大学: 音楽で「多様な価値観を理解する力」を育む
●ニューヨーク大学: 音楽で「歴史をとらえる力」を学ぶ
●マサチューセッツ工科大学: 音楽で「創造的な思考力」を高める
●スタンフォード大学: 音楽で「真理に迫る質問力」を高める
●カリフォルニア大学バークレー校: 地域文化研究の一環として
●コロンビア大学とジュリアード音楽院: 単位互換から協同学位へ

古代ギリシアでは、集団間でのハーモニー(=調和)を生み出し、個としての人格陶冶(とうや)となるという観点から、音楽は「市民」(=自由人)のたしなみであったことが想起される。まさにリベラルアーツが、奴隷ではない「自由」人を「自由」人たらしめるものであることのよりどころであった。その意味では、西洋音楽を導入した日本が、音楽を音「学」ではなく、音「楽」として受容したことは意味あることであったと思うのである。

本書は、あらたな時代のリベラルアーツのあり方について、教育改革の最中にある日本の大学にとっても示唆するものが多いといえよう。また、音楽専攻を志している若者たちへの大きな動機付けにもなるだろう。

ただ、音楽を専攻していない人にとっては、やや理解しにくい点が多々あるのが残念だ。内容的には盛りすぎ、詰め込みすぎなので、やや読みにくいの。もうすこし内容を練ってストーリー性をもたほうが良かったのではないかと思う。「社会と音楽の関係」というテーマについては、テーマがテーマだけに社会学的な考察もほしい。

音楽学部が、演奏家育成という実技教育(あるいは「実学」教育)であり、かつリベラルアーツ教育(=「教養」教育)でもあるというその意味について、両者の複雑で微妙な関係についての突っ込んだ考察がほしいところだが、これは後日に期すべきことであろう。

「リベラルアーツとしての音楽」というテーマは、今後さらに重要になるといっていい。いまだに存在する「教養イコール読書」という旧来型の思い込みは、早く捨て去る必要がある。アメリカから学ぶべきことは、まだまだ多い。


(画像をクリック!)

目 次

はじめに
第1章 音楽<も>学ぶ-教養としての音楽教育
 音楽はいつから大学の中にあたのか?
 ハーバード、スタンフォード、ニューヨーク大学-各大学で1000人以上が音楽を履修
第2章 音楽<を>学ぶ-大学でも専門家が育つ
 音楽学科はどこに属しているのか?
 音楽を中心に幅広く学びたい
 音楽の専門家をめざして
 なぜ大学で音楽を?
 大学と音楽院の提携プログラムから
 音楽院でも高まるリベラルアーツ教育の需要
第3章 音楽を<広げる>-社会の中での大学院の新しい使命
 大学から社会へ-どのように実社会へつないでいくのか
 実社会は音楽・芸術をどう見ているのか?
 社会から大学へ
第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史
 リベラルアーツの未分化期
 リベラルアーツの広まり
 リベラルアーツの学位化
 リベラルアーツの近代化
 リベラルアーツの拡大化
第5章 音楽<で>学ぶ-21世紀、音楽の知をもっと生かそう
 グローバル時代に求められる人間像は?
 大学のリベラルアーツは変わるのか?
 未来世代はどのような音楽環境を迎えるのか?
おわりに-音楽の豊かなポテンシャルをみいだして
引用・参考文献
コラム
インタヴュー


著者プロフィール

菅野恵理子(すがの・えりこ)
音楽ジャーナリストとして世界を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を連載中(ピティナHP)。著書にインタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。(出版社サイトより)



PS ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」

コラムで世界的なヴァイオリニスト・諏訪内晶子のインタビューがあるが、くわしくは彼女自身の著書 『ヴァイオリンと翔る』(NHKライブラリー、2001 単行本初版 1998)を参照。ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」を受講し、コロンビア大学では政治学や政治思想史の授業を聴講したという。とくに日本人にとっては、西洋音楽が生み出されてきた背景についての深い知識が不可欠である。


<ブログ内関連記事>

■リベラルアーツ

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

書評 『教養の力-東大駒場で学ぶこと-』(斎藤兆史、集英社新書、2013)-新時代に必要な「教養」を情報リテラシーにおける「センス・オブ・プローポーション」(バランス感覚)に見る

『キーワードで学ぶ 知の連環-リベラルアーツ入門-』(玉川大学リベラルアーツ学部編、玉川大学出版会、2007)で、現代世界を理解するための基礎をまずは「知識」として身につける

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

"Whole Earth Catalog" -「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」を体現していたジョブズとの親和性

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと


■「教養」としての音楽

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・現代音楽につながる賛美歌は、ルターによる宗教改革から始まった

書評 『オーケストラの経営学』(大木裕子、東洋経済新報社、2008)-ビジネス以外の異分野のプロフェッショナル集団からいかに「学ぶ」かについて考えてみる

「鈴木未知子リサイタル2015@船橋きららホール~未知なる道の途中で~」(2015年4月19日)で、中東世界の楽器カーヌーンとアフリカ起源のマリンバを聴く


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