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2025年1月5日日曜日

巳年の初詣は遠出せず「藁蛇」のある近所の神社に(2025年1月5日)ー 魔除けの蛇は地域を守る存在

 

 日本人だから、初詣はしておかなくてはならないなと思いつつ、あっという間に1月5日である。 

初詣は7日までにということで、遠出はせずに近所の神社を参詣。本日の午前中のことだ。 その名は「高根神明社」

神楽で有名(?)な神社だが、もともと伊勢神宮に寄進された荘園だった「夏見御厨」(なつみ・みくりや)であったこの地に設置された、平安時代後期からある由緒ある(?)ものらしい。

神社の森の隣の丘には「取掛西貝塚」という一万年前の縄文遺跡の残るこの土地は、弥生時代から村落があることが確認されている。御厨は室町時代まで存在したことが確認されており、江戸時代はこの地は幕府の直轄領であった。

なぜこの神社かというと、鳥居の前の木に「藁蛇」(わらへび)が巻かれているから。巳年でへび年だから、すこしでも蛇にちなんだ神社にしておきたいからね。さすがに三が日は終わっているので、人影は皆無。地域の神社らしく、観光地ではないので静寂なのがよい。 

「藁蛇」は、稲藁(いなわら)で編んだ蛇。魔除けの意味がある。道祖神などとおなじ機能をもたされた、地域を守る「藁蛇」。稲刈りが終わった秋に、あたらしい藁蛇が設置されるので、正月になるとちょっとくたびれているね(笑) 

千葉県船橋市内には、「藁蛇」のある神社はほかにもあって、いくつか実見している。龍なのか蛇なのか、一見しただけではわかりにくいが、ヒゲがないから蛇なだとわかる。

そもそも、奈良の美輪にある大神神社(おおみわじんじゃ)に限らず、日本人の原初的信仰が脱皮する蛇であったことは、民俗学者の吉野裕子氏が説得力ある議論をしている。 

この点については、『蛇 日本の蛇信仰』などを読むといい。そもそも神社のしめ縄は蛇を模したものであり、正月の鏡餅は、とぐろを巻いた蛇の形を模したものだ(!)など、思わずへえ~と言いたくなるような話が満載だ。となると、この藁蛇というのは、素朴な形でのしめ縄の原型といってもいいのかもしれないな、と。




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2013年1月13日日曜日

『蛇儀礼』(アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)― 北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ

(写真の左が著者のアビ・ヴァールブルク)


『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)という本があります。岩波文庫で100ページ以内の講演記録に、ドイツ版の解説の翻訳と、翻訳者による解説がつけられた200ページ程度の本です。

講演内容ですので、語り口もやさしい日本語になっており、読むこと自体はさして難しくないでしょう。

著者のアビ・ヴァールブルク(1866~1929)は、北ドイツの国際都市ハンブルクに生まれ、そこで人生の大半を過ごしたユダヤ系ドイツ人の在野の美術史家。ヴァールブルク図書館という私設図書館を後世に残したことで知られています。この図書館は、ナチスから逃れてロンドンに移設することに成功しています。

第一次大戦のドイツの敗北による不安のなか、精神の病をえてスイスの精神病院に入院することを余儀なくされたのですが、病の回復期に病院長であったビンスヴァンガーに頼んで、1923年に病院内で実施させてもらった講演とのこと。病気回復の証拠として企画した講演なのでした。

内容は、みずから30年前に体験した北米での人類学的フィールドワークを回想しながら「蛇儀礼」について報告し、その意味を考えながら、自らがよって立つ西欧文明のなかに、古代的要素を見出すための手掛かりを得たことに触れたものです。

著者の問題意識は、講演の最初で著者自らが語っている次の文章に表現されているといっていいでしょう。

(・・生きた蛇の舞踊とは)ヨーロッパの異教的古代にも似たような現象があるので、それを瞥見することで、最後に次のような問いを立ててみたいと思います。それは、未開の異教の世界に始まり、古典古代の異教世界を経て近代的人間の世界に発展させていく変化を見る基準を、プエブロ=インディアンのなかでまだ生きているおうした異教的な世界観が、どの程度まで与えてくれるだろうか、という問題です。

西欧人が見たアメリカ原住民の蛇信仰の諸相が語られますが、蛇信仰はじつは世界共通のものだといっていいのです。西欧文明においては、キリスト教がそれを抑圧してきたのですが、それ以外の文明ではかならずしもそうではない。

西欧人でありながらユダヤ人であることに悩みつづけた著者は、ハンブルクの著名な銀行家ヴァールブルク家の長男に生まれながら家督相続を拒否し、さらにはユダヤ教からも遠ざかるのですが、いくら自分の意識のなかでユダヤ性を遠ざけても、自分を見る周囲の目にはユダヤ人でしかないという矛盾を感ぜずにはいられないのでした。こうした自己認識と他者認識のズレが繊細な精神をもつ著者を、最終的に精神の病に追い込んだようです。

ドイツ人という西欧人であるはずの自分のなかに棲むユダヤというオリエント性、それは「魔術からの解放」されたはずの近代人の「合理性」のなかにひそむ古代人の「非合理性」を発見せざるをえないことのキッカケになったのかもしれません。

近代西欧世界に生きてききたユダヤ人の宿命、これは強いられた開国によって近代化=西欧化の世界に生きることになった日本人と共通する問題かもしれません。

しかし、みずからの内なる古代性を発見するのに、日本人の場合は北米のインディアン(=ネイティブ・アメリカン)を見る必要はなかったといっていいでしょう。なぜなら、近代日本においてもそこらじゅうに古代日本が転がっているからです。これは21世紀の現在でも変わりません。

古代日本人の原始蛇信仰については、蛇は古代日本人にとって神であった!-独創的な民俗学者であった吉野裕子の名著 『蛇』 を読んでみよう をご参照いただきたく。

西欧人にとって、みずからの内なる古代性を認識するのは、容易ではなかったようですね。いや、いまでも知識人以外には困難なことかもしれません。


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<附録> 銀行家ヴァールブルクをめぐるあれこれ

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005) に書いた文章を再録しておこう。

S.G.ウォーバーグ証券は、英国の老舗マーチャントバンクであったが、スイス銀行に買収されて SBC ウォーバーグとなっていた。「金融ビッグバン」による「ウィンブルドン化」などという表現が一世を風靡していた頃の話である。

SBC ウォーバーグは、さらに長銀と合弁することにより、長銀SBCウォーバーグとなったが、のちに UBS 証券となってウォーバーグの名前も消えてしまった。UBS のサイト(日本語版)に、度重なる合併によって警世された UBS の歴史が掲載されている。

英語読みのウォーバーグ(Warburg)は、ドイツ語ではワールブルクである。ハンブルクのユダヤ系銀行家一族からは、有名な美術史家アビ・ワールブルクがでている。かの有名なワールブルク文庫を残した学者である。

ちなみに、晩年の白洲次郎が S.G.ウォーバーグ証券の「顧問」となっていたことは、『風の男 白洲次郎』(青柳次郎、新潮社、1997)に記されている。S.G.ウォーバーグ証券の創業者ジグムント・ウォーバーグとの個人的友情から引き受けたものらしい。ジャック・アタリが執筆した、S.G.ウォーバーグ証券の創業者ジグムント・ウォーバーグの伝記 Un homme d'influence, 1985 には、白洲次郎の名前が2回でている。白洲次郎が野村證券を紹介した、とある。

白洲次郎が亡くなったとき、S.G.ウォーバーグ社は「白洲ライブラリー」の名前で、ケンブリッジ大学に日本学関連の膨大な図書を寄贈した、という。


高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) で取り上げたジェイコブ・シフはドイツ系ユダヤ人でアメリカに移住した銀行家。ハンブルクのヴァールブルク家とは姻戚関係を結んでいた。美術史家のアビ・ヴァールブルクが北米を旅行したのは、兄弟の結婚式に参列するためであった。



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ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている

書評 『治癒神イエスの誕生』(山形孝夫、ちくま学芸文庫、2010 単行本初版 1981)

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ

蛇は古代日本人にとって神であった!-独創的な民俗学者であった吉野裕子の名著 『蛇』 を読んでみよう

大神神社(おおみわ・じんじゃ)の「巳(み)さん」信仰-蛇はいまでも信仰の対象である!


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ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇 ー 知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている




冒頭に掲載したのは、ヘルメス(マーキュリー)羽のはえた杖にからまる二匹の蛇です。

ギリシア神話のヘルメスは、オリュンポス十二神の一柱です。商売の神であり、泥棒の神であり、もともとは旅人や羊飼いの守護神であり、神々の伝令役を務める役割もつとめています。ヘルメスは「つばさのはえたブーツ」を履いた姿で描かれます。

1980年代に文化人類学者の山口昌男が流行らせたトリックスターの典型でもありますね。それはヘルメスのもつ越境性という属性そのものであります。日本の道祖神のように、古代ギリシアでは境にはヘルメス像が設置されていました。

ヘルメスは商売の神であり、泥棒の神であることが示しているように、知恵を体現した神であるわけです。ヘルメス(Hermes)は、フランスの高級ブランドであるエルメスでもあります。フランス語はHの音を発音しないので、ヘルメスがエルメスとなるのです。


(一橋大学=東京商科大学の校章 CCは Commercial College の頭文字)


ローマ神話ではメルクリウス(=マーキュリー)ですが、もともとは東京商科大学であった現在の一橋大学の校章「マーキュリー」は、商売の神であるヘルメス(=マーキュリー)の杖から由来しているのです。1887年から校章として使用されているとのことです。


(バチカンのキアラモンティ美術館所蔵のヘルメス像)


ヘルメスのもつ杖はカドケウスといいますが、なぜ蛇が二匹からまっているのでしょうか?

日本のしめ縄も、じつは雌雄の蛇が絡み合っている姿を模したものだといわれていますが、おそらくカドケウスの蛇もまた雌雄の蛇なのでしょう。雌雄が対になることによって完全とか調和を象徴しているのかもしれません。

あるいは、マーキュリー(mercury)が、水銀や水星など、いずれも水からみのものであるように、水と縁の深い蛇がかかわっているのかもしれません。あくまでも推測ではありますが。


(一橋大学の卒業生クラブである如水会館(旧館)のレリーフ)


ヘルメスのもつ杖カデケウスは、医療関係のエンブレムとしても目にすることが多いと思います。

しかし、それはヘルメスの杖ではなく、医術の神であるアスクレピオスの杖 なのです。しかし、もともとアスクレピオスの杖にからまる蛇は一匹であったようです。




しかしながら、医療機関でも二匹の蛇がからまった杖がエンブレムになっているものも少なくありません。おそらくヘルメスの杖と混同されて二匹になったのでしょう。

ヘルメスにおいても、アスクレピオスにおいても、蛇は知恵の象徴であることは間違いないようです。

このアスクレピオスは医術を専門とする教団として古代地中海世界では覇権を握っていたのですが、新興のイエス教団に敗れ去ってしまいます。このいきさつについては 書評 『治癒神イエスの誕生』(山形孝夫、ちくま学芸文庫、2010 単行本初版 1981) をお読みいただければと思います。


(医神アスクレピオス 左手に蛇のからまる杖)


その結果でしょうか、キリスト教世界においては、蛇はアダムとイブに知恵の実であるリンゴを食べるようにそそのかした悪魔の手先として定着してしまいます。


(ドイツの画家デューラーによる「アダムとイブ」 1507年)


その後、蛇が悪魔の象徴として忌み嫌われる存在になっていることは、キリスト教とではない日本人にとっても、いわば常識となっていることでしょう。

歴史学者の阿部謹也先生の名著 『自分のなかに歴史をよむ』
に、少年時代に修道院で体験したこんなエピソードが紹介されています。ある日本人修道女が、「蛇は悪魔なのだから殺していいのよ」と言ってのけ、自分で棒をもって蛇を追い回した、というのです。

いきつくところまでいってしまった、という感にとらわられますね。フツーの日本人ならそんなことはとてもできません。罰(ばち)があたりますから。

このようにキリスト教の普及によって、蛇が悪魔とされてしまったのですが、キリスト教以前は蛇は悪魔どころか知恵の象徴として信仰されていたことは、ギリシア神話のヘルメスと医術の神アスクレピオスを想起していただければ容易に理解していただけることだと思います。

ところで面白いことに、蛇を悪魔とみなすキリスト教国であるはずのアメリカには、二匹の蛇がからまったアスクレピオスの杖をエンブレムにしている医療機関が多数あります。

キリスト教徒との医療関係者がこのことをどう考えているのか、じつに興味深いものがありますね。

もちろん、キリスト教は知識として知ってはいても、キリスト教徒ではない日本人のわたしは、蛇は忌み嫌われがちな存在だとしても、畏怖すべき存在であることは十分に承知しております。

蛇にまつわるさまざまなタブーを聞かされて育ってきましたから。現代に生きる日本人も、蛇信仰をもっていた古代日本人の末裔であります。

ヘルメスの杖とアスクレピオスの杖にからまる蛇について、いろいろ見ておきました。


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PS あらたに「一橋大学の卒業生クラブである如水会館(旧館)のレリーフ」の写真を加えた。(2015年3月25日 記す)。



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『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる。蛇は仏教にとっての守り神なのだ



『スッタニパータ』とは仏陀釈尊(ブッダ)の言行録です。日本では、『ブッダのことば-スッタニパータ』(中村元訳、岩波文庫、1984)として簡単に入手することができます。

仏典を原語から簡明な日本語に翻訳していただいた故中村元博士の解説によれば、『スッパニパータ』は、日本に伝来した大乗仏教経典のなかにはない。だから、仏教を原典研究するようになった明治時代までは日本人にはまったく知られていなかった経典なのです。

シッダールタ王子として生まれたブッダがしゃべっていたのはマガダ語ですが、その言行録はマガダ語からパーリ語に翻訳されて、現在でも上座仏教圏ではポピュラーな経典となっているわけなのです。

『スッタニパータ』は、いきなり「第一 蛇の章」から始まります。すべての文末が、「蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」で終わる章句が17並んでいるのです。

なぜ蛇なのでしょうか?

中村元博士は、『ブッダのことば(スッタニパータ)』の註で以下のように述べておられます。

・・-この聖典の最初に蛇のことばかり出てくるので、日本人は異様な感じを受けるであろう。しかしインドないし南アジアでは、どこへいっても蛇が多い。従ってインド人にはむしろ親しく感ぜられるのである。こういう風土的背景があるために、仏像やヒンドゥー教の神像には、光背が五頭とか七頭とかの蛇になっている場合が少なくない。蛇が霊力を以って神々を、また人々を護ってくれるのである。仏伝にも竜(つまり蛇)がしばしば登場する。

蛇が脱皮して旧い皮を・・-この表現はウパニシャッド及び叙事詩に用いられている。


だから、いきなり「蛇の章」から始まるわけですね。タイ王国などの上座仏教圏ではこの写真のような、とぐろを巻く七頭の蛇に守護された仏陀釈尊像はきわめてポピュラーな存在です。


(タイ王国のバンコクにて 筆者撮影)


では、「蛇の章」の冒頭に収録された章句を具体的に見ておきましょう。

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘:びく)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

4 激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

5 無花果(いちじく)の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

8 走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり越えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

10 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

11 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

12 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

13 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

14 悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

15 この世に還り来る縁となる<煩悩から生ずるもの>をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

16 ひとを生存に縛りつける原因となる<妄執から生ずるもの>をいささかももたない修行者はこの世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

17 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


個々の章句についての解説は控えますが、中村博士の「註」からもう一つだけ引用しておきます。

蓮華・・蛇が南アジアでよく見かける動物であるのに対して、インドの代表的な花は「蓮華」である。そこで蓮華の例をもち出したのである。

蓮の花は日本でも仏教のシンボルの一つとして定着していますが、「蛇と蓮」を対(つい)としてとらえるのが初期仏教あるいは上座仏教において重要だということはアタマに入れておきたいものです。

なお、『スッタニパータ』の構成は以下のようになっています。

第一 蛇の章
第二 小なる章
第三 大いなる章
第四 八つの詩句の章
第五 彼岸に至る道の章

シッダールタ王子が出家して修行中、瞑想にふけるなか、嵐による暴風雨からブッダを守ってくれたのは大きなコブラ蛇でした。蛇は仏教にとっての守り神なのです。


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書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである

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