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2010年3月31日水曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直  (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)




 前回からインレー湖入りしたわけだが、「一日ボートツアー」でだいたいの観光名所はまわり尽くしてしまうので、半日ボートツアーを2回にして、ゆったりとした滞在にするのもおすすめである。インレー湖ではせわしなく動き回るようなことはしたくないものだ。
 観光名所は、南北に細長い湖の南半分に集中しており、ファウンドーウー・パヤーという水上寺院、ジャンピング・キャットで有名なガーペー僧院、高級絹織物や高級蓮糸織物で有名なインポーコン、それに少し遠出していく仏塔の廃墟群ので有名なインデインなどに限られる。
 つまり一日ツアーで、ほぼ回るべき場所は終わってしまうのだ。観光名所のいくつかについては、のちほど紹介はしておこう。


 観光名所にいくのもいいが、やはりなんといっても面白いのは、モーター付きのロングボートでインレー湖を走り回ることである。インレー湖の北半分は湖が拡がっており、私がいったときは霧がかかって、湖水と曇り空の境目がはっきりしないような空間を、ひたすらモーターボートが快音を響かせながら、北へ北へと走るという、なんだかややシュールな感じもなくはなかったのだが、南半分は水上の浮島(floating islands)に人家や畑が密集し、浮島と浮島のあいだ、人家と人家のあいだが運河のような感じになっており、まるでヴェネツィアを隅から隅までヴァポレットで移動してまわっているかのような気分になれるのだ。だから、インレー湖は「東洋のベニス」なのである。

 私が訪れた3月後半は乾期が終わって暑気になる前なので乾燥しており、水位も下がって2メートルくらいしかないらしい。雨期に増水する際には6メートルくらいまで水位が上がることもあるらしい。
 しかし浮島であるかぎり、水位の変化には対応できるのである。ただし、流されてしまわないように水底に杭をうっておく必要はあるが。
 もっとも人家は水底に杭を打って建設しており、木造の高床式建築になっている。これがまた、ヴェネツィアのようで面白い。もちろんヴェネツィアの場合は、石造の建築物だが、舟が唯一の交通手段であるということは共通している。


 さて、本題に入ろう。インレー湖で食べるトマトサラダがなぜうまいのか?
 もちろんミャンマー風サラダドレッシングがうまいということもある。ゴマだれとピーナッツだれがミックスしたドレッシングは実にトマトに合っていて、これだけでミャンマー・ビアとの相性も抜群である。
 でもそれだけでなく、トマト自体がうまいのだ。皮がやや固いが、これは何よりも天然物の証拠、見た目と舌触りが赤いピーマンに似ているが、同じナス科の植物なのでも不思議ではない。

 インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)、それは「水耕栽培」にあったのだ!
 水耕栽培というと、日本ではいま話題になっている、屋内の「植物工場」がアタマに浮かぶだろう。パイプのなかを肥料が溶こまれた水が循環しており、土をいっさい使わずに、非常に衛生的に野菜を栽培することができるのが水耕栽培である。この分野では日本が先進的で、環境的に厳しい中近東向けにも輸出商戦が活発化しているというやつである。
 ところが、インレー湖の場合はまったく異なる。屋外天然の「植物工場」なのだ。
 先にもかいたように、インレー湖には浮島が80近くあるらしいが、インダー族は湖で漁業を行うだけでなく、浮島の上に作った畑で野菜の栽培も行っている。ざっと見た限りでは、トマト(右上写真)、かぼちゃ(下写真)、へちま、などなどが栽培されているようだ。

 浮島は、インレー湖にはふんだんに存在する浮き草のうえに藻や泥で盛り土をして作られており、流されないように湖底に木の杭をうって固定されている。また、湖底の泥を掬いだしては、盛り土をして固めている光景が、インレー湖のあちこちでみることができる。
 この浮島に各種の野菜類を栽培しているわけだが、水分は植物が自ら湖から直接吸い上げるので水をやる必要はない。野外なので自然の太陽光がふりそそぐし、温度調整も必要ないので燃料費もかからないきわめて省エネな「植物工場」というわけなのだ。

 私は農業技術の専門家でもないし、「浮島による水耕栽培」のメカニズムも実際に検証しているわけではないが、きわめてユニークな栽培方法であると思う。まさに長年の知恵のかたまりといえるだろう。
 浮島であるがゆえに、人々は作物の手入れは舟をあやつって、舟の上から行っている。この風景だけみれば、タイのサムット・サコーンの水上ワイナリー(Floating Winery)みたいだが、インレー湖の場合は、作物は浮島の上で栽培しているのが大きな違いだ。
 ただ、浮島が土地とみなされるかどうかはわからないし、権利関係がどうなっているのかもわからない。おそらく慣習法が支配する世界なのだろうが。
 それにしても、このインダー族の生活慣習というのは実に興味深いものがある。実に環境に適応して生きてきた人々であるのだ。


 そんなことを考えながら、水上レストランで昼食をとった。ミャンマー・ビアに、インレー湖でとれた魚を使ったシャンカオスエ(=シャン州の麺)、そしていうまでもなくトマトサラダ。
 こういう組み合わせもなんだか、という感じがしなくもないが、油ギチギチのカレーだけがミャンマー料理ではないのである。

 うーん、しかしなんといっても、ミャンマー・ビアがうまい! 昼から飲むビールは最高だ。しかも、ミャンマー・ビアは数々の賞を受賞しただけのものはある。のどごしさわやか、しかもキレがある。いまミャンマー全土でミャンマー・ビアが席巻しているのは理由(わけ)があるのだ。

 インレー湖は、リゾート気分でのんびりと滞在するに限る!


 (インレー湖 ③)につづく



                 

2010年3月30日火曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直  (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)



           
 「ミャンマー三度目の正直」、やっと憧れのインレー湖でリゾート三昧してきた。私にとっては、13年目にやっと解決した「懸案事項」なのである。やっとインレー湖にいくことができたのだ。

 インレー湖は「東洋のベニス」だ! 一言で要約すればそうなる。
 ベニス(Venice)とは昔の英語風ないいかたで、本当はイタリア語風にヴェネツィア(Venezia)といいたいところなのだが、「東洋のベニス」というフレーズがすでに定着しているので、あえて使うことにする。
 ベニス(ヴェネツィア)とはアドリア海に面したイタリアの都市で、あえて説明するまでもないと思うが、市内に網の目のようにはりめぐされた運河が市民の交通手段で、自動車は一台も乗り入れできない都市である。もちろん観光客も同様で、有名なゴンドラは現在では観光客のみが相手だが、ヴァポレットという中型の水上乗り合いタクシーが運河を行き交っている。
 「東洋のベニス」とはどこか? 19世紀には、タイのバンコクのことを指していたらしい。らしい、というのは、現在のバンコクは運河の大半は埋め立てられ、自動車の道路となってしまっており、生き残った運河もゴミが捨て放題で悪臭の発生源になってしまっている。
 東京と同様、バンコクもまったく風情のない都市と化してしまっているのである。東京銀座の数寄屋橋もかつては運河だったのだが・・・。バンコクもかつての「東洋のベニス」を偲ぶことができるのは、昔の世界を題材にした映画作品のなかだけだ。

 ではインレー湖がなぜ「東洋のベニス」なのか? こんなこといっているのは多分私だけだろうから、写真で示すのがベストでしょう。
 写真はおいおい紹介していくこととするが、インレー湖でも居住地域は、浮島が多数あって浮島の間の舟の通路が実質的に運河のようになっているからだ。これがヴェネツィアのような印象を受けるのである。

 さて、インレー湖への行き方だが、ヤンゴンからどういくかを簡単に説明しておこう。私がインレー湖に滞在していたのは、2010年3月17日から19日までの三日間である。
 自動車や鉄道でもいくことは可能だが、時間が潤沢にある人以外は、国内便の航空路線があるのでそれを利用することをすすめる。ただし片道でも1万円近くするので安くあげたければ陸路という手もある。要は、あなたの単位あたりの時間価値をどう評価するのかという問題である。
 今回、私はエア・バガン(Air Baganを利用した。ヤンゴン国内空港からマンダレー経由でヘーホー(Heho)まで飛ぶ。9ヶ月前にミッションに参加してきたときも、同じくエアバガンでマンダレーにいっている。
 ミャンマーの玄関口であるヤンゴン国際空港は、きれいで立派なものとなったが、エアバガンは旧国際空港の建物を使用しているので、ものすごく古くて汚い。行きはさることながら、帰りの便で驚いたのは、なんとバゲージ用のターンテーブルもない(!)ので、荷物はそのまま一つ一つおろしていくのだ。

 さてヘーホー空港に着くと、クルマでインレー湖の玄関口ニャウンシュエ(・・・ミャンマーはなぜだか、ミャンとかニャンとか、猫語みたいなコトバが多いね~。今回はとにかく猫づくしだったが、この話はまた後ほど)まで約1時間走ることになる。国内交通にかんしてはあらかじめ旅行代理店をつうじて手配を頼んでおいたほうがいい。そのほうが現地でふっかけられる心配もないのでかえって安心である。
 陸路をしばらく走ると山を一つ越えることになる。これがなかなか景色がよい。峠越えのドライブはなかなか興趣のあるもので、もしチャンスに恵まれれば、平行して走るミャンマー国鉄の列車に遭遇できるかもしれない。ちなみに、私はラッキーなことに、インレー湖からの帰途、「撮り鉄」と化したのであった。しかし、眺めている限り超スローモーな走りで、よっぽど時間のある人でなければ鉄道利用は・・・

 峠を越えると、あとは平野のなかの平坦な道をひたすら走る。
 ニャウンシュエにいく途中に、シュエヤンウェ僧院がある。この僧院は現在でも現役の木造建築の仏教僧院であるが、隣接する仏塔の内部が素晴らしい。


 仏塔内部の壁のくぼみ(・・これを語の本来の意味でニッチという)の一つ一つに、信者から寄進された小さな仏像が収められており、非常に素晴らしい空間を作り上げている。いまから15年前に訪れた、インドのラダック地方にあるチベット仏教の僧院アルチ・ゴンパの壁画を思い出した。内容的には、十分に匹敵しうるる、美術的にも実に素晴らしいものである。必見だ。

 ちょうど私がいったときは田植えの季節であり、農民が総出で田植えをしている風景に出会った。苗代で育てた苗を手で植えていくのは、日本とまったく同じである。
 コメ作りがすべての基礎にあるミャンマーは、やはり日本とよく似た世界なのかもしれない。別のクルマで走っていた西欧人のグループが"鬼のように"ビデオを回していたが、彼らの目に写る田植え風景は、間違いなく「エキゾチック・アジア」なのだろう。だが、日本人である私には懐かしい(!)風景なのであった。

 そうこうするうちにいきなり自動車の旅は終わる。ニャウンシュエである。ここで自動車を降りて、ボートに乗り換えることになる。いよいよインレー湖エリアに入ったのだ。コテッジの連絡所で、モーター付きのロングボートは約1時間の旅となるので、お手洗いを済ませるようにいわれる。
 ポータが私のスーツケースをかついでボートに積み込む。そうなのだ、ここから先はもう自動車ではアプローチできないのである。まさに、ヴェネツィアなのだ。「東洋のベニス」のはじまりである。
 モーターボートは最初は濁った水路をひたすら走っていくが、しばらくすると広い湖水にでる。なんだか、ベトナム南部のメコンデルタのような雰囲気を味わえる。ボートが湖に入ると水は澄んで、空気も冷たくなる。ここをひたすら波を切りながら走っていく。
 行き交うのは、観光ポスターにもなっている、インレー湖の住民インダー族による、独特な方足漕ぎ漕法で舟を操る漁民たち(冒頭の写真)。おお、ついにインレー湖に来たのだ(!)という感激に浸る私である。

 そして約1時間のモーターボートの旅が終わりに近づくと、目指すべき水上ホテルが遠景から視界に入ってくる。今回予約したのは、ゴールデン・アイランド・コテッジⅠ(Golden Island Cottage Ⅰ)、湖水のなかにある、文字通り舟でしかアプローチのできない水上ホテルである。これがインレー湖なのである。これが高原の水上リゾートなのである!

 ホテルの従業員たちが楽器を鳴らしながら歓迎してくれるにもうれしいものだ。こうして早朝にヤンゴンをでて、航空機・自動車・モーターボートと乗り継いで、昼前にはホテルにチェックインすることができた。


 さっそくランチはホテルのレストランでとって腹ごしらえをする。ミャンマー・ビアと麺、そしてトマトサラダを頼み、テラスで湖水を見ながら食事をする。
 冷えたミャンマー・ビアがうまい、そしてうれしい誤算がトマトサラダだった。ゴマとピーナッツのドレッシング(?)のかかったトマトサラダが実にうまい。私はインレー湖に滞在していた足かけ3日間、昼と夜はひたすらトマトサラダを食べ続けることになるのだった・・・。インレー湖で食べるトマトがうまい理由(わけ)は、じきにわかることになる。

 この日は午後からボートによる半日ツアーに、翌日も半日ツアーでボートを繰り出すことになるのだが、このツアーについての紹介は、次回のお楽しみとしておこう。


(インレー湖 ②)につづく



                    

2010年3月29日月曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直  (1) ミャンマーで ツイッター(twitter)は使えるか?




 ミンガラバー!

 ブログにはすでに何度も書きましたが、先週ミャンマー(=ビルマ)にいってきました。
 といっても三回目、前回(2009年6月)からは9ヶ月目、一番最初(1997年5月)にいってからは13年目、という具合です。

 むかし、高野山の真言宗の宿坊に宿泊した翌日、宿代を払いにいったときお寺の住職からいわれたのは、「お山には三度くるといいましてな・・・」。宿坊ではお風呂に入った後、おししい精進料理をいただき、翌朝には早朝の1時間のお勤めに参加、私は真言宗ではないですが、たいへん気持ちのよい経験になります。

 ♪ ミャンマーよいとこ 一度はおいで あらどっこいしょ~
 
 そうです、一度でもミャンマーにいった人は、お山(=高野山)ではないですが、必ず三度来ることになる(ハズ)です。
 ミャンマー再遊記(8)-熱心な上座仏教徒たち の末尾に私はこう書きました。

さて、次はいつミャンマーにいくことになるのかな? 仕事で? 観光で? 瞑想で?・・・意外とすぐだったりして、な~んてことはなさそうか。

 私もまさかこう書いた時点では、こんなに早く三度目の訪問が実現するとは思いもしませんでした。
 まさに「仏縁」、いや「人の縁」というものでしょうかね、仕事でも、観光でも、瞑想でもなく、友人の結婚式に参加するのが主目的、でした。友達の縁は大切に。
 とはいえ、せっかくミャンマーにいくのですから、憧れのインレー湖(・・ヤンゴン市内のインヤー湖ではありません!)に行きたい、なんとかして行きたい、13年前に行きそびれてから、これが私の懸案事項となっていたのでした。
 そしてこれが、13年目にしてようやっと実現、満足、満足の一語に尽きます。インレー湖についてはまたのちほど詳しく紹介することにしますが、ミャンマーきっての高原水上リゾートです。まさに、「三度目の正直」にして実現したわけでした。


 さて今回の3月訪問ですが、年度末の忙しいときに・・・という状況には、幸か不幸かありませんでしたので、結婚式には参加する旨を昨年解答したわけです。 ミャンマー風結婚式なんて資料で見たことはおろか、実際に参加することなど、もしかしたら一生に一度かもしれませんからね。
 何事も実際に参加してみるもの。自動車メーカーのホンダではないですが、現場・現物・現実の「三現主義」で行動しなければなりません。結婚式については、また詳しく紹介いたします。
 結婚式での上座仏教の僧侶による法話と祝福、これについてもご紹介します。ナーモー、ナーモー、ナーモー(南無、南無、南無)。

 さて、今回訪問した3月下旬とはどういう時期かというと、今年の1月に旅行代理店をつうじて現地の予約を入れた際のことですが、ツイッターにも書きましたように、

3月にミャンマーの首都ヤンゴンに行くのだが、希望した空港近くのホテルの予約が取れなかった。Myanmar Gems Emporium という宝石のオークションがあるらしい。ヒスイの取引が多いので、中国・香港系のバイヤーが多数参加するらしい。うーん、なんともいえんなあ。

 という状況でした。

 ミャンマーは知る人は知るとおり、古来より地下鉱物資源の豊富な国で、沖合のアンダマン海では、石油や天然ガスといった燃料が産出され、主に隣国のタイと中国にはパイプラインで輸出してます。ミャンマーからの天然ガス供給がなければ、タイの工業生産は成り立ちません。タイは現在、原子力発電所建設計画をもっていますが、依然としてミャンマーのガスなしにはやっていけないでしょう。

 古くは英国の植民地時代には内陸でも原油がでたので、英国には Burmah Oil という会社があったくらいです。1963年までビルマで事業活動を行っていましたが、「ビルマ式社会主義を」標榜したネウィン政権時代に国有化され、その資産をもとに Myanma Oil and Gas Enterprise が作られて今日にいたっています。
 Burmah Oil Company 自体はのちに潤滑油の Castrol と一緒になって Burmah-Castrol となりましたが、2000年には同じ英国の BP(旧 British Petroleum、もともとは Anglo-Iranian)に買収されて、Burmah のブランドはこの世から消えてしまいました。残念な話です。
 かつて石油関連の調査プロジェクトにかかわっていたとき、いまから10年以上前のことになりますが、オーストラリアにはまだ Burmah-Castol があり、企業訪問して経営者インタビューしたことがあります。なぜ Burmah(バーマ)なのか!?と疑問に思って調べたら、ビルマ(Burma)では原油が生産されていたから、というわけだったのでした。会社名を Burma から取ってつづりを少し変えた、ということなのですね。詳しくは wikipedia(英語)の Burmah Oil を参照。
 Burmah Oil のロゴは昔は「ビルマ・ライオン」だったはず。左下の写真は現在使用されている 1,000 Kyat(チャット)札のウラです。実勢レートでは約1米ドルに該当します。

 石油や天然ガスについては、フランス企業は英米のスキをついて参入していますし、実は米国も参入を狙っているらしい、という話はちらほら耳にしています。まあ欧米諸国はホンネとタテマエは使い分けているということでしょう。
 ちなみにいまでも内陸部には油田では、原油掘削が行われています。

 地下鉱物資源にかんしては、Myanmar Gems Emporium という宝石のオークションが開催されていたことを書きましたように、たしかに私がヤンゴンに到着したTG(タイ航空)の夜の便も満員で、華人系ビジネスだけでなく韓国人のビジネス人も目立ちました。日本企業もボヤボヤしてると、また漁夫の利を奪われてしまいますよ、という危機感(?)も感じた私です。
 Myanmar Gems Emporium は、今年の春は 3月12日から20日まで開催、華人が大好きなヒスイ(jade)、ダイヤモンド、サファイヤなどの宝石(gem)、真珠などの原石が取引されるらしい。Myanmar Gems というサイトがるので参考になるかも。私はこのビジネスに関わったことはないのでよく知りませんが、ミャンマーは宝石にかんしては、知る人ぞ知る国のようです。
 日本からはバンコク経由でいくのが一番近いのですが、近隣諸国からは当然のことながら直行便が飛んでいるので、けっして遠い存在ではないのです。


 さて、今回の私のミッションは、通信事情を調べることもありました。ミャンマー再遊記(1)-通信事情 など には書きましたが、ミャンマーでは Gmail なら問題なく使えます! 前回は事前に裏技を指南されたのですが、先般 Google 自身が技術的な改良を行ったので、ミャンマーでもまったく何の問題もなく、Gmail が使用できる状態となりましたので、ご心配なく。今度ミャンマーに行かれる方は、事前に Gmail のアカウントを取得されることをおすすめします。
 ツイッターが使えるのかどうか? これについては実際に私がヤンゴンのホテルから「つぶやき」ましたので、使用可能は実証済みです。ただし、ツイッター使用には裏技が必要だといっておきましょう。Google のブログである Blogger はアクセスできませんし(・・だから、私のこのブログもミャンマーでは更新できなかった)、いろいろ制限があることは否定いたしません。
 何よりも、携帯電話の国際ローミングサービスが使用できないので、日本の携帯が使えませんし、日本から直接電話したり、携帯メールの送受信もできません。
 ミャンマー国内のみしか使えない携帯番号を取得しないと電話もできないという状況ですから、腰をすえて長期滞在でもしない限り、国内専用の携帯をもつこともないでしょうし、当面は観光でもレンタル携帯電話をもっていくのも意味がありません。私はミャンマー国内向けの SIMカードは試したことがないのでわかりません。もちろん、タイで使用する GSM規格の携帯電話も使えません。不便ですね。

 参考のために、私がヤンゴンから「つぶやいた」内容を再録しておきます。ドキュメントとしては、何らかの意味があるかもしれません。時系列に掲載します。

ミンガラバー! お久しぶり! 現在ヤンゴンです。ツイッター使えますねー やってみるもんだなあ。これから友人の結婚式&お坊さんの法話会です。時差は2時間半。昨夜まで田舎にいたので、ウェブがつながりませんでしたが、ヤンゴンの高級ホテルは問題なし。ではまた。詳し話は後ほど。
10:16 AM Mar 20th webから

ツイッターはつながったが、Bloggerによるマイ・ブログはアクセス拒否だ。残念。まあどっちにしろ詳しい話は、帰国後に「三度目のミャンマー、三度目の正直」というタイトルで、ブログで連載しますのでこうご期待。 http://e-satoken.blogspot.com/
10:26 AM Mar 20th webから

ミャンマーは一年で一番暑い4月直前で、夕方なんかものすごく暑い。タクシーもエアコンないから、熱風が窓から入ってくる。首都はクルマが増えて空気が悪い。日本の中古車が自家用車もバスも現役で走り回っている。昭和のにおいをまき散らしてるねー。治安はまったく問題なし!バンコクより安全です。
10:46 AM Mar 20th webから


 なお、冒頭に掲載した写真は、ヤンゴン市内インヤー湖畔のカフェにて。WiFi(ワイファイ:無線LAN)の Hotspot があるので、無線でインターネット可能です。この写真だけみたら、アメリカと全然かわりませんね。


 では次回以降、インレー湖の話、ミャンマー料理の話、「大日本帝国」との遭遇、ミャンマー風結婚式の話、ミャンマーのマルコメ君たち、生きている「昭和」などなど、順不同で(・・執筆者のきまぐれで)、ミャンマー紹介記事を書いていきます。乞うご期待!

 (つづく)

       


    

2010年3月28日日曜日

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)




「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか、直接的な参考にはならないが、現状を冷静に見つめるための「考えるヒント」を与えてくれる本

 「脱欧入亜」によってアジア・アフリカで一大植民地帝国を築き上げ、ヨーロッパ大陸とは基本的に距離をとってきた大英帝国の興亡
 1492年から始まった「西洋による世界支配の500年」、その先導役となったのがスペイン帝国であったならば、その後に覇権を握ったのは、エリザベス一世のもと海賊を取り込み、「情報力」によってスペインの「無敵艦隊」を打ち破った英国であった。英国は以後、スペインに変わって大西洋世界の覇権を握り、アメリカ独立によって北米を失うという痛い経験をしたのちも、「大英帝国」としてアフリカからアジアにわたる一大植民地帝国を築き上げていった。
 しかし大英帝国は、衰退過程に入ってから約半世紀にして植民地のほぼすべてを名誉ある撤退によって放棄、最終的には「脱亜入欧」によってヨーロッパに回帰することになる。米ソによる冷戦構造が崩壊したのち、1994年に雑誌連載されたこの歴史書は、大英帝国はすでに「歴史」として描かれる対象となったことを図らずも示すこととなった。

 本書は、大英帝国の支配が及んだ植民地の記述は非常に少なく、なぜ英国が300年近くにわたって覇権を維持できたか、ローマ帝国やヴェネツィア共和国の比較を念頭におきながらも、もっぱら英国内部の政治経済の状況と、政治を支えた貴族と国民の精神力に重点を置いた記述を行っている。大英帝国の草創期からその終焉にいたるまでを一冊で描いた本書は、日本語でよめる本では先駆となるもので、意外にも充実した読書感をもつことができた。
 私は個人的には中世から近世にいたる英国史にはまったく興味を感じることのできないのだが、大英帝国となって以後、とくにヴィクトリア女王統治下に絶頂期を経験し、以後衰退していく英国史には大いに興味をそそられた。より現代に近いというのもその理由の一つだろう。
 多くの有識者が改革の必要性について論じていたにもかかわらず、成功しているがゆえに改革が徹底できないもどかしさ。もちろん著者の念頭には、本書が雑誌連載されていた当時の1994年、そして単行本としてまとまった1997年当時の日本の状況があるのだろう。16年たった2010年の現在、この国で改革は果たして実行されたといえるのだろか。ただただ迷走を続けているようにしか見えないのだが。

 大英帝国に替わって世界の覇権を握ったのは米国であるが、現在この米国の覇権に挑戦するかのように視られているのが中国であることはいうまでもない。しかし、本書を読んで思うのは、英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがあるのだ。歴史の教訓として、英国はドイツを意識しすぎるあまり、衰退を早めたことが本書では語られている。もちろん当時の英国と現在の日本とでは、置かれている環境に違いがあるものの、、地政学的には似たようなポジションにある英国のパターンが日本にもあてはまるのではないかと考えるのは不自然なことではないだろう。
 第二次世界大戦の勝利者となった英国が、実は財政的には破綻状態にあり、あらたな覇権国となりつつあった米国を頼みの綱と思い込んでいたにもかかわらず、戦争終結後は米国からきわめてビジネスライクな対応をされた英国の姿に、われわれはいったい何をみるべきか。われわれ自身のマインドセットも大幅に変更しなくてはならないのかもしれない。こんな感想ももつのである。

 「歴史にイフはない」と、当然といわんばかりにクチにするのは、二流の歴史家に過ぎないと私は思っている。人間の歴史とはさまざまな局面における政治的な意志決定が複雑にからみあい、意図せざる結果をもたらすものである以上、その時々の意志決定の是非について「イフ」を考えるのは、むしろ生産的で建設的な思考である。著者も、衰退論を研究する意味はそこにあると主張しており、大いに納得するものを感じた。
 日本もすでに「下り坂の衰退過程」にあるとはいえ、なんとかして国家として、民族として生きのびるためには、国民一人一人が考え、行動していかなくてはならない。本書は、そのための直接的な参考にはならないが、現状を冷静に見つめるためにの、考えるヒントを与えてくれる本である。

 「ローマ帝国」衰亡史や「ヴェネツィア共和国」衰亡史もさることながら、いまから50年前の1960年に「帝国の終わり」を公式に宣言したばかりの「大英帝国」の衰亡史こそ、まだまだ現時点においてリアリティをもって想像することのできる「歴史」である。
 いかに「下り坂の衰退過程」をマネジメントしていくか、この課題を考えることは政治家だけにまかすわけにはいかないのだ。


<初出情報>

■bk1書評「「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか、直接的な参考にはならないが、現状を冷静に見つめるための「考えるヒント」を与えてくれる本」投稿掲載(2010年3月24日)


<書評への付記>

ミャンマー(ビルマ)の真ん中で『大英帝国衰亡史』を読む-「ご当地読書」のすすめ


 この本は、ミャンマーにもっていって、リゾート地のインレー湖にある水上コテッジのテラスで読み終えた(左写真)。背景に写っているのは、インレー湖の有名な足漕ぎ舟の漁師である。
 ミャンマーはいうまでもなくかつてはビルマ(Burma)と呼ばれた国であり、大英帝国の植民地として、英領ビルマは英領インドの一部として統治されていた。現在にいたるまでミャンマーでは軍事政権が続いている理由の一端に、かつての大英帝国が政策として巧みに実施運用していた「分割統治」(divide and rule)があることは知っておくべきである。
 多民族状況のビルマで民族どうしを互いに牽制させることによっって、ごくごく少数者である植民統治者である英国の支配を可能にした。これがいかに問題を現在まで残しているか、国内内戦状態がいまだに終わっていないのが、ミャンマー連邦(Union of Myanmar)の実情である。国内統一のための軍の存在は否定することはできないのである。もちろん、真の意味における民政移管が進展することを切に望むが、国内治安状況を考慮に入れれば、民主化にはまだまだ時間がかかるのは仕方あるまい。
 この点については、かつて私が書いた 書評『ミャンマーの柳生一族』(高野秀行、集英社文庫、2006)を参照されたい。ミャンマーを江戸時代に見立てた冒険作家の記述は実に鋭い。面白くてためになる本である。

 しかし、せっかく旧植民地ビルマ(ミャンマー)にもっていって読んだのだが、英領インドにかんする記述も、英領ビルマにかんする記述もごくわずかだった。「本書は、大英帝国の支配が及んだ植民地の記述は非常に少なく・・・」と書評に書いたのは、そういうことが背景にあった。
 とはいえ、こういう本を日本国内ではなく、「ご当地」の一つで読むというのも、また面白いものがある。観光気分を損ねない範囲内で、旅先でも本を読みたいものだ。
 ビルマ(ミャンマー)から大英帝国が去って62年、すでに「今は昔の物語」となっている感がなくもない。
 13年前に初めて訪れた時に比べても、大英帝国の名残が日に日に消えてゆくミャンマーであった。


『大英帝国衰亡史』(中西輝政)について

 本の中身については書評に書いたとおりだが、著者については毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人物でもあるので、少し注記しておきたい。

 著者は、京大法学部大学院で政治学者・高坂正堯(まさたか)の弟子であり、英国贔屓(びいき)は、師匠譲りのものといえるだろう。以前このブログに書いた 書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)を読んでいただけると幸いだが、高坂正堯に比べると、同じ保守派とはいっても、資質の点からいってもだいぶ異なる印象を受ける。また、私自身は民主主義先進国である英国政治を特別視するつもりもないし、中西輝政のように英国の貴族制度が素晴らしいと手放しで礼賛する気持ちもない。
 この本を読んだのは、「大英帝国」の通史として、日本語で読める先駆的作品であること、かつ首尾一貫した内容で論旨に破綻がなく、また比較的コンパクトにまとまった本であるからだ。
 英語では、すでに British Empire にかんするに大冊が何冊も出版されており、私自身も2冊もっているが、正直いって面倒くさいので全部とおしで読むことはしていない。自分の関心にあわせて、アジアの旧植民地の記述を斜め読みするだけである。

 私が書評に書いた文章にこういう一節がある。
英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがあるのだ。歴史の教訓として、英国はドイツを意識しすぎるあまり、衰退を早めたことが本書では語られている。もちろん当時の英国と現在の日本とでは、置かれている環境に違いがあるものの、、地政学的には似たようなポジションにある英国のパターンが日本にもあてはまるのではないかと考えるのは不自然なことではないだろう。

 これは私の感想であって、著者自身のものではないが、いろいろと考えさせられるものが多い歴史的事実であるというべきである。
 日本を軸にして考えても、大英帝国がはじめて結んだ軍事同盟である「日英同盟」によって、からくも日露戦争に勝利した日本は、その後勃興してきた米国の横やりで日英同盟を破棄することを余儀なくされ、大東亜戦争においてはついには大陸国家ドイツと軍事同盟(=「日独伊三国軍事同盟」)を結ぶに至る。
 地政学的に見れば、ユーラシア大陸の両端に位置する英国と日本はきわめて似た性格をもっているが、「衰退する大英帝国」を見限り、「勃興するドイツ」と手を結んだのが正しい政策であったのかどうか、答えがすでにでているとはいえ、日本が国家としての透徹した歴史観を欠いていたことの証左ともなる意志決定であったといわざるをえまい。
 つい最近ブログに書いた 『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』(Foresight編集部=編、新潮社、2000) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その2)には、2000年時点における塩野七生のインタビュー記事から引用を行ったが、19世紀の時点において「衰退する英国」「勃興するドイツ」にかんして面白い発言があったので再録しておこう。

塩野 たとえば、ギボンは『ローマ帝国衰亡史』を18世紀の啓蒙主義時代に書いた。・・(中略)・・当時のイギリス人として学ぶべきことは、どうすればローマのように衰退しないですむか、という一事だけだった。そこでギボンは、ローマの衰亡史のみをとりあげたわけ。
---ローマ帝国の後半部ですね。
塩野 ええ。ギボンはイギリスはローマを超えたと思っているので、ローマ帝国の興隆期のことは書く必要などないと思ったのでしょう。・・(中略)・・1848年にはヨーロッパ各地で革命が勃発・・(中略)・・この混迷の時代にモムゼンというドイツ人の歴史家が、建国からカエサルの死までの、ローマの興隆期を書くのです。まだドイツが統一されていない時期でしたから、なぜローマが統一し興隆できたかを、知りたいという痛切な欲求があったんですね。これが、ギボンのものと並んで現代に至るまでのローマ史の名著の一つであるモムゼンの『ローマ史』が書かれた背景です。

 英国は衰退し、ドイツもすでにピークは過ぎ、そして日本もともに下り坂の衰退過程にある。国のかたちはさまざま異なれども、いずれも全盛期はすでに過ぎていることは明らかである。
 
 しかし、中西輝政が『大英帝国衰亡史』最終章で書いているように、1960年代の英国はすでにビートルズを生み出し、新しい英国として再生していったことが語られている。
 1980年代には私の好きな元祖ビジュアル系バンドのクイーンも生み出しているし。ビートルズのメンバーはみなアイリッシュ(・・さかのぼればケルト人)の系統であったが、クイーンのボーカル故フレディー・マーキュリーは、パルシー(=ゾロアスター教徒)のペルシア系インド人植民地官僚の息子であり、まさに大英帝国の遺産そのものである。いまクイーンを聴きながらこれを書いているが、YouTube で Killer Quuen でも聴いてみましょうかね。ついでに We Are the ChampionsFlash も。きりがないからここらへんでやめとこう。
 「リーマンショック」以降の英国の現状は、財政面にかんしてきわめて多難なものがあるとはいえ、大英帝国の終焉以降も数々の苦難を時には荒治療も行いながら、なんとか乗り越えてきた。マーガレット・サッチャー、そして政党は違ってもその改革の継承者であるトニー・ブレア。
 1990年代のブレアの時代には「クール・ブリタニカ」(Cool Britanica)というキャッチフレーズを全面に打ち出したことも記憶に新しい。
 ビジネス界でいえば、いうまでもなく異端児リチャード・ブランソン率いるヴァージン・グループがある。いまはもう事業から撤退したが、私はかつて新宿のヴァージン・メガストアで海外版CDを大量に購入していたものだ。
 まあ、こんな状況もずべて踏まえた「大英帝国以後」を誰か書いてほしいものだ。
 しかし、中西輝政の表現を借りれば、「脱欧入亜」の大英帝国から、「脱亜入欧」で欧州に回帰したはずの英国では、EUには加盟したものの、究極の国家主権(sovereignty)である「通貨発行権」(seigniorage)を欧州に委譲して英ポンド(GBP)を放棄し、共通通貨ユーロを導入することにかんしては英国内では反対論も根強く、欧州内でのポジショニングとしてはスイスフラン(SFR)にこだわるスイスに近いものがある。
 さて、日本は日本円(JPY)の通貨発行権を守るのか、それとも「友愛」精神によって「アジア共通通貨」の道を選ぶのか??


 著者は、米国については以下のように書いている。

幼稚にも見える自己中心性と理想主義の一方で、到底それらと普通には同居しえないほどの鋭敏な感覚と複雑な「計算」能力をもつ、それが当初より国家としてのアメリカの本質であった。・・(中略)・・このようなアメリカ外交の、膨張的なパワー志向と原理的理想主義、プラグマティックな国益追求と高邁な理念の自己主張が、独特の仕方で結びつく、そのあり方・・(後略)・・(P.197)

 この覇権国である米国が簡単に衰退すると考えるのは、きわめて浅はかだというべきだろう。米国はユーラシア大陸国家ではなく、アメリカ大陸国家であることを忘れてはならない。
 「ユーラシア大陸の西端に位置する島国である英国」にとっての「ユーラシア大陸国家ドイツ」「ユーラシア大陸の東端(=極東)に位置する島国である日本」にとっての「ユーラシア大陸国家・中国」
 このいずれの関係にもあてはまらない、別の大陸の覇権国・米国は、地政学的に見れば別種の存在である。安直な「米中同盟論」などに耳を貸さないことが、われわれには必要なのではないか。私にはそう思われてならないのだ。

 著者は、1934年の時点で「英国衰退論の当否」という論文で、英国衰退を否定した外交官・石井菊次郎を引き合いに出して、以下のようなコメントを書いている。太字ゴチックは引用者による。

しかし事実として石井の予測がはずれたというだけでなく、石井のような発想には、大国の興亡という長大なドラマと歴史のダイナミズムを見てとる洞察力において、欠けるところがあり、とかく眼前の現状を過大評価しやすいという実務家にありがちな深い欠陥が指摘されねばならない。(P.84)

こうした、いわば目前の状況に拘泥する近視眼的な政治的配慮が、歴史を見据える眼を曇らせたのである。政策や実務に深い関心をもつ人間が、歴史の長い行末を見てゆくことの難しさを示す例といえよう。(P.85)

 実務家である私にとっては、実に耳に痛い苦言であり指摘である。肝に銘じておきたい。

 歴史は経済史に限ってみても、短期波動、中期波動、長期波動という異なる波動で動いていることに注意しておかねばならない。
 とくにコンドラチェフの波ともいう長期波動は重要であり、私はさらに「500年単位」の歴史の重要性を強く意識している。
 とはいっても、限られた人生であるし、ビジネス界にいる以上、どうしても月次単位あるいは四半期単位でものをみるクセも強い。デイトレーダーではないので、あまりにも細かい動きは見ないようにしているが、しかし歴史家の洞察力をもつのはいうはやすし、実際は難しい。
 歴史的洞察力と日々のビジネス活動との関係、実務家である以上、中西輝政のような態度はとりにくい。現在の関心を出発点にして歴史を考える点においては、歴史家も実務家も同じはずだが・・・。

 だからこそ面白い。真の意味で成功した人間は、必ずや確固とした歴史観をもっているものである。





<ブログ内参考記事>

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)・・「海洋国家日本」のモデルとして高坂正堯が想定したのは英国

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)・・国連には加盟したが EU には加盟せず、スイスフランを死守するスイス


P.S.
The Economist 最新号にこういう記事がでている。まだまだ英国は健在のようだ。(2010年3月29日付記)
The British economy Out of the ruins: Growth will be sluggish. Yet, as a crucial election looms, Britain still has a lot going for it
Mar 25th 2010 | From The Economist print edition




               
                                 

2010年3月27日土曜日

『フォーサイト』2010年4月号(最終号) 「創刊20周年記念号 これからの20年」を読んでさまざまなことを考えてみる




 『フォーサイト』2010年4月号(最終号)を読んだ。3年間の継続購読をしていた私は、2010年2月で購読期間がきれたのだが、のこり2冊を購読するため追加料金を払って入手した。やはり長年読んできたし、最後まで見届けたいという気持ちもあったからだ。画竜点睛を欠くわけにはいけないしね。

 あらためてここで振り返って考えておきたいのは、署名記事の是非についてである。『フォーサイト』は署名記事であり、先行していた『選択』と比べて新鮮味があったのは事実である。記事に署名を入れることで責任の所在を明確にし、執筆者のバックグランドまで含めた個性を把握した上で、掲載記事や掲載論文を読むことを可能にする点、これは大きなメリットであるし、現在では新聞記事も署名記事が増えているのはその流れであるといえよう。
 一方、先に名前を出した『選択』英国の『The Economoist』は現在でもかたくなに、無署名記事を中心にしている。署名記事にしない理由は、『選択』の場合は、情報ソースを明かさないことでディープなインサイド情報を書くことができることであり、実際メディア関係者が覆面で執筆しているようだ。『The Economist』の場合は、昔からそうしているという以上の理由は見いだしにくいが、執筆者そのものよりも編集長の個性が何よりも中心にあるという姿勢のあらわれであろうか。
 署名記事と無署名記事のメリット/デメリットはよく知ったうえで、情報を取り扱う必要があるし、そのためのノウハウも確固として存在する。

 さて、『フォーサイト』はどうであるか、ということにかんしては、署名記事ゆえのメリットもあるが、デメリットも少なからずあるような気がしなくもない。署名記事の場合、内容もさることながら執筆者名でその記事や論文を読む選択をすることがあり、せっかく中身がよくても執筆者が自分の好みでない場合、オミットしてしまうことも多々あるからだ。もちろん逆の場合のほうが多いことは確かだが。
 また、掲載している記事や論文が玉石混淆で、非常に優れた内容のものもあれば、なんだこれはというような記事も少なくない。総花的な編集方針なので、政治経済の記事以外の企業関係の記事には少しがっかりさせられるものが多い。これは先にもみたように署名記事の限界が現れているものと思われる。
 「世間」のなかで生きている日本人にとって、しかもメディア関係者という、さらに狭い「世間」のなかで生きていく人間にとって、本当の意味での記事は書きにくいだろう。命かけてまで書くという気概をもったジャーナリストもまた、この国では生きるのは難しい。無署名原稿でなければ書けない記事というものがある。とくに企業関係の記事は、キレイごとだけの記事だと面白くともなんともない。
 こういった本質的な問題を、ウェブ版ではどう解決していくのか、あるいは現在のフォーマッットのままただ単に発表媒体を印刷媒体からインターネットに移行するだけなのか、注視したいと思う。


 以上、本質的な話について考えてみたが、最終号の特集について触れておこう。 「創刊20周年記念号 これからの20年」と題して、さまざまな特集記事を掲載している。目次を哨戒しておこう。太字ゴチックは私の注目記事。

「待ち受ける「2つの未来」」(インタビュー:ニーアル・ファーガソン)
「社会保障改革に立ちはだかる「既得権益層」」(鈴木亘)
「人口減少社会でも「豊かさ」は実現できる」(大竹文雄)
「暗雲垂れこめる「製造業の未来」」(新田賢吾)
「アジアの養殖業は世界の胃袋を満たせるか」(中田誠)
「激化する「食料」と「環境」の相克」(井田徹治)
男たちへ、女たちへ、若者たちへ(書面インタビュー:塩野七生)

人物篇 次の20年の20人
地域篇 これからの20年の世界
アメリカ/ロシア/中国/朝鮮半島/ヨーロッパ/中東/インド/東南アジア/アフリカ/中南米

今後20年のフォーサイト・スケジュール


 ざっと読んでみて「これからの20年」といえるような記事は、正直いってあまりなかった。ほとんどの記事が、現時点の問題をそのまま延長線上のものとして取り上げているに過ぎないからだ。
 このブログでも何度も書いているように、「20年先のことを透視できる」のはいかさま相場師たちや預言者たちだけであろう。それですら大半がはずれるというのが、この世の常である。
 私は、経営企画担当として経営企画業務を長年やってきているが、5年先ですらわからないのに、なんで10年先や20年先がわかろうか、というものだ。
 そんななかでも読むに値する論文が、「人口減少社会でも「豊かさ」は実現できる」(大竹文雄)であった。将来推計の人口分布をもとにした経済学者の論文は読む価値のあるものである。これはぜひ目をとおすべきだと推奨しておきたい。

 また、「男たちへ、女たちへ、若者たちへ」(書面インタビュー:塩野七生)は、もちろん読む価値がある。20年後は確実に死んでいると明言している、1937年生まれの作家の若者へのアドバイスはきわめて潔よい。塩野七生の『男たちよ』は私の人生の指南書でもあるが、司馬遼太郎ではないが、塩野七生にはぜひ若者向けに遺書(?)を残して欲しいものだと思う。

 結局のところ、いまのような激動期は、10年先や20年先の確実な予測などできるわけがない。その意味では、「待ち受ける「2つの未来」」(インタビュー:ニーアル・ファーガソン)は面白い。
 ニーアル・ファーガソン(Niall Ferguson)という歴史家の名前は、恥ずかしながらこのインタビュー記事を読むまで知らなかったが、現在ハーバード大学の歴史学教授とハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の経営管理学教授を兼任し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の歴史学と国際関係論の教授を兼任する気鋭の歴史学者である。Wikipedia(英語版)の記述によればそうある。
 1964年にスコットランドに生まれた気鋭の歴史学者である。専攻は金融史と経済史、および植民主義の歴史とのことで、日本語に翻訳された著書には、『憎悪の世紀 上下-なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか-』(仙名紀訳、早川書房、2007)『マネーの進化史』(仙名紀訳、早川書房、 2009)があるようだ。「今後20年間で」注目しなければならない歴史学者のようだ。
 詳しくは直接『フォーサイト』の本文を読んでいただくのがよいと思うが、私の心に「刺さった発言」を
引用しておく。太字ゴチックは引用者によるもの。

ファーガソン まさに歴史的なターニングポイントです。大きな視野でいうならば、「西洋の上昇の終焉」という歴史的転換期です・・(中略)・・こうした西洋(この場合、日本も含む)の衰退と裏腹に、中国やインドを筆頭とする東洋は、経済危機から打撃を受けることもなく、成長を続けている。
 私の見通しが正しければ、西洋はいま、500年以上居座ってきた支配的地位からすべり落ちようとしている。つまり07年の危機は単なる経済危機ではなく、世界的な力のバランスが西から東へと移行していく歴史の転換期なのです。

ファーガソン 歴史学者として学んだのは、「未来」は一つではないということ。未来は「フューチャーズ」*と複数で語るべきなのです。そして、私たちには複数の未来の中から道を選び取っていく選択肢がある。

(*引用者注:フューチャーズ futures と複数形にすると「先物」(さきもの)のことをさす。さすが金融史専攻の歴史学者である。日本語版の編集者はこういうシャレをきちんと日本語で説明しておくことが必要。いまひつ気配りが足りないな・・・)

ファーガソン 中東からアフリカにかけての出生率の高い地域で、満たされない思いを抱える若い男性が危険なエネルギーをためている。百年前はこれがドイツであり日本であった。こうした怒れる若者の圧力が、領土拡大の背景にあった。だが、高齢化し、成熟した日本やドイツにそんな圧力はない。その意味でも沸点は移動した


 つまるところ、 「創刊20周年記念号 これからの20年」特集の、私にとって最大の収穫は、ニーアル・ファーガソンという「今後20年間注目すべき歴史学者」を発見したことに尽きるかもしれない。ファーガソンの著作は、時間をみつけて読んでみたいと思っている。

 いまほど歴史学の重要性が増している時代もないだろう。歴史作家の塩野七生は、「日本人は垂直(歴史)思考が不得手」と述べているが、歴史ドラマや歴史小説が好きでも、それは歴史的思考とは異なるものである。ドラマや小説は、時代背景を過去に設定しただけの現代ものであり、いくらドラマをみても垂直的(=歴史的)に思考する訓練を行うことはできない。もちろん、エンターテインメントとして楽しむのはまったく問題ない。
 まあ、私などの表現を使えば、垂直的は通時的といいかえてもいいが、「通時的」(ディアクロニック)な思考と「共時的」(シンクロニック)な思考、いいかえれば歴史的思考と構造的思考の両面でものを見なければ、ワンランク上のビジネスパーソンにはなることができないだろう。

 この点にかんしては、歴史的には衰退過程にあるとはいえ、まだまだ西欧に学ぶべきものは多い。その上で、市場としての中国やインドでビジネスチャンスを発掘していくことが、これからの日本人ビジネスパーソンに求められる課題ではなかろうか。
 こんな期待に応えてくれるインテリジェンス雑誌が欲しいものである。
 ウェブ版の『フォーサイト』が、この期待に応えてくれることを望みたい。

 
 
<参考サイト>

niallferguson.org(歴史家ファーガソンの公式ウェブサイト 英語)
Niall Ferguson on Twitter(歴史家ファーガソンのつぶやき)


<ブログ内関連記事>

『2010年中流階級消失』(田中勝博、講談社、1998) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その1)

『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』(Foresight編集部=編、新潮社、2000) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その2)

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)

                   
P.S.
 この記事をもって、ブログ掲載記事が300本目となった。250本目のときにも書いたが「継続はチカラなり」、ブログ開設から11ヶ月で300本書いたが、これで「ほぼ毎日更新中」の公約は、看板に偽りなしと実証できているものと、自分をちょっとだけ褒めてやりたい。仕事が忙しくなってから(・・でないとまた困るのだが)も、「ほぼ毎日」できるか、私にとって限界への挑戦となる。
 今後もさらに、350本目、400本目を目指して、とりあえず小さな目標(苦笑)でがんばります!
 読者の皆様には、この場を借りて感謝申し上げる次第です。



                        

2010年3月26日金曜日

『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』(Foresight編集部=編、新潮社、2000) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その2)




  『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』(Foresight編集部=編、新潮社、2000年9月30日)をとりあげよう。
 月刊情報誌『フォーサイト』が、2010年4月号をもって休刊することになったことはすでにこのブログにも書いたことである。月刊「フォーサイト」休刊・・フォーサイトよ、お前もか?参照。その後、ウェブで今年夏をメドに再開する計画らしいが、印刷媒体での復活は実現するかどうか不透明である。

 「夢の実現か、悪夢の到来か 次の10年を読み解く80の質問」、と表紙に印刷されている。1990年に創刊し、20年後の2010年に「休刊」することとなった『フォーサイト』、今から振り返れば、ちょうど折り返し地点の2000年に出版された意欲的な出版物が、『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』である。
 この10年で何が発生したか、『フォーサイト』にとっての最大の事件は、何よりもこの本の編者である『フォーサイト』自体が「休刊」に追い込まれたことだろう。これはきわめて象徴的な出来事だ。もちろんこの件は、2000年に出版された本書には書き込まれていないが、「想定外」だったと弁明するのだろうか。

 この本の一番最後に収録された「実践的未来予測のススメ」という、作家・水木楊による論文には次のような文章がある。水木氏は、シミュレーション小説の第一人者として紹介されている。

自分の人生でも、会社のこれからでもいい。できるだけ恐ろしい悪夢を描いてみることをお勧めする。・・(中略)・・最悪のシナリオを描けば描くほど、何をすべきか、してはならないかが見えてくる。・・(中略)・・
シナリオを描けば、未来はやってくるものではなく、選び取るものであることが分かってくる。・・(中略)・・いわば「建設的悲観論」と言ってもいい。予測するとい、意志をもつということである。意志なき予測は、ただの戯れ言でしかない。(P.300)

 最悪の事態は想定していたとは思うが、事業の撤退もまた必要である。採算にのせることが難しいと判断して休刊、とあったから苦渋の決断であったろう。担当責任者にとっては残念なかぎりだろうが(・・この気持ちは痛いほどわかる)、しかしながら経営判断としては間違いとはいえない。

 ただ出版業界で使う「休刊」や、企業スポーツの世界で使われる「休部」というまやかしの表現は好ましくない。実質的に「廃刊」であり「廃部」である。大東亜戦争で「撤退」を「転進」といいかえたような欺瞞を過じるのである。
 本来は、「フォーサイト」の20年、などのタイトルで、20年の歴史を総括すること求められるのではないか。その際には、本書の総括も行っていたっだきたいものだ。


 さて、内容の大見出しだけ紹介しておこう。80の質問すべてを再録していては長くなりすぎるので、割愛させていただく。

●特別インタビュー① 塩野七生-「日本再生のためにローマ人から何を学ぶか」
●特別インタビュー② スティーブ・ケース(AOL会長)-「次に目指すのはインターネットによる“ニュー・プロフィット”だ」)
●次の10年を読み解く80の質問 PART 1
 ①「唯一の超大国」アメリカの行方
 ②日米経済再逆転は起こるか
 ③中国は本当に「21世紀の超大国」となるのか
 ④インターネットがもたらすのは豊かさか格差か
 ⑤日本の改革は成功するか
 「アメリカ編」
 「中国」編
 「ロシア」編
 「ヨーロッパ」編
 「中東」編
●次の10年を読み解く80の質問 PART 2
 「日本」編
 「環境」編
 「生命工学」編
 「科学」編
 「スポーツ芸能」編
●編集長インタビュー①寺島実郎(三井物産戦略研究所所長)
●編集長インタビュー②船橋洋一(朝日新聞コラムニスト)
●編集長インタビュー③ピーター・タスカ(アーカス・インベストメント取締役)
●編集長インタビュー④梅田望夫(ミューズ・アソシエイツ社長)
●次の10年を動かす注目の80人 PART 1
●次の10年を動かす注目の80人 PART 2
●民族宗教世界地図2001
●徹底分析・一年予測「2001年、世界と日本はこう動く」
●実践的未来予測のススメ(水木 楊)
●「未来年表2001‐2010」(監修=水木 楊)


 本書に戻ろう。塩野七生のインタビュー記事が、10年後の現在でもそのまま通用するのは、彼女が2000年単位の話をしているからだろう。元祖「歴女」とでもいうべき塩野七生の発言は、きわめて洞察力のあるものなので、この文章の最後に引用をおこなっておく。 
 一方、作家の木下玲子による、AOL会長スティーブ・ケースのインタビューが収録されているが、いまから振り返るとスティーブ・ケースって誰?ってかんじだな。ドッグイヤーだからというよりも、回線業者がメディアを丸呑みするという戦略仮説が完全に破綻したということだ。一時期AOL TIME WARNER なんて名前の会社になっていたのだが。
 この戦略(仮説)を猿まねした、ライブドアによるフジテレビ買収攻勢や楽天による TBS 買収攻勢も、「♪ そんな時代もあったねと・・・」というようなお話だろう。兵(つわもの)どもが夢の後? 
 もちろん、事業経営は実験室内での実験ができないので、仮説は実際にやってきて検証するしかない。それにしても、だ。回線業者はコンテンツをもつ意味はない。モチはモチ屋、というのがこの巨大な「社会実験」の結論である。結局儲かったのは投資銀行だけか。

 副題の「夢の実現か、悪夢の到来か」、これは悪夢の到来、というべきだろうか。正直いって希望はほとんど失われたが、しかしまだ絶望には至っていないという状況だろうか? いずれにせよ結論は「夢か悪夢か」・・・もちろん人によって異なるだろう。
 それにしても、10年程度でも予測というのは難しいものだと思う。人間は、現在の延長線上にしか将来をみることしかできないから、どうしても現在のホットイッシューに目がいってしまう

 20年どころか10年ですら常識が通用しなくなるわけだ。
 私がこのブログに書いた、書評『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)を読んでいただきたい。こういうことを書いている。

序章で著者が指摘しているように、現在の常識と固定観念に邪魔されて、20年後どうなっているかすら本当のところ想像もできないというのが、ごくごくフツーのことなのだ。「未来に通用しなくなると確実にわかっているのは、現在の常識なのである」(P.22)。

 ということで、私は2010年の現時点において、2020年予測本や2030年予測本は軽くあしらうことにした。どうせ当たらないに決まっているからね。
 それよりも超・長期のトレンドをみたほうがいいと考えている。大きな流れを押さえた上で、目先の行動の是非を判断していく。
 確実に予測できるのは人口トレンドだけである。大前研一のメルマガ『ニュースの視点』2010/3/24 特別号に掲載されていた【20年前にみた日本と今の日本。そして今考える20年後の日本~自分で未来を明るくする努力を!】に、「人口ピラミッドの推移」(1930年~2055年) が紹介されている。国立社会保障・人口問題研究所によるものである。日本の人口分布を1930年から10年きざみ(・・2000年以降は5年きざみ)で2555年まで、アニメーションによってシミュレーションできるようになっている。見るとぞっとしないのだが、怖いもの見たさでクリックして見ていただきたい。現実をしっかりと見据えることからしか、何事も始まらないからだ。

 それはともあれ、10年後確実なことは、私もあなたも10歳余計に年をとっていること。これは20年後も同様、そしてそれ以後は・・・私にはわかりません。



<参考>

 ●特別インタビュー① 塩野七生-「日本再生のためにローマ人から何を学ぶか」から、塩野七生のコトバを抜粋して引用しておこう。「2000年単位」の思考法についての箴言の数々だ。(太字ゴチックは引用者によるもの)

塩野 日本人は垂直(歴史)思考が不得手なために、それ以前の80年代後半、日本経済の調子が少しばかり良かったので舞い上がってしまったところがあります。

塩野 私としては、ごく自然にローマに向かったのです。『ローマ人の物語』を書き始めるまでの20年間、ルネサンス時代を書いてきました。ルネサンスというのは、価値が崩壊した時期の人間が次の価値をどう生み出そうかという運動でした。・・(中略)・・そのルネサンス精神を基盤にして西欧文明が出来上がってから500年がたった。その最後の20世紀末にわれわれはいる。そして再び価値観の崩壊という危機にわれわれは直面しているわけですねある意味で、500年続いたルネサンス人の時代も終わりを迎えたとも言えます

塩野 たとえば、ギボン『ローマ帝国衰亡史』を18世紀の啓蒙主義時代に書いた。・・(中略)・・当時のイギリス人として学ぶべきことは、どうすればローマのように衰退しないですむか、という一事だけだった。そこでギボンは、ローマの衰亡史のみをとりあげたわけ。
---ローマ帝国の後半部ですね。
塩野 ええ。ギボンはイギリスはローマを超えたと思っているので、ローマ帝国の興隆期のことは書く必要などないと思ったのでしょう。・・(中略)・・1848年にはヨーロッパ各地で革命が勃発・・(中略)・・この混迷の時代にモムゼンというドイツ人の歴史家が、建国からカエサルの死までの、ローマの興隆期を書くのです。まだドイツが統一されていない時期でしたから、なぜローマが統一し興隆できたかを、知りたいという痛切な欲求があったんですね。これが、ギボンのものと並んで現代に至るまでのローマ史の名著の一つであるモムゼン『ローマ史』が書かれた背景です。
 モムゼンはローマ建国から、カエサルの死までを書き、ギボンは、五賢帝最後の人であるマルクス・アウレリウス帝の死から西ローマ帝国の滅亡を描いた。なぜか、アウグストゥスからマルクス・アウレリウス帝までの全盛期が抜けているのです。

塩野 日本は、キリスト教文明圏では、一種の辺境に位置しているので、かえって純粋化される傾向がありますね。キリスト教というのは、なにか上等な人々の宗教というイメージが強い。しかし、『ローマ人の物語』で繰り返し書いたように、一神教というのは、諸悪の根源であったと私は思っています。

塩野 日本人はすべてを自前でやろうとし過ぎる。ある種のことは別の人に任せた方がいい。異種、異分子ともっと接触しないと駄目なんですよ。どの時代でも同じですが、純粋培養の組織は必ずつぶれますよ。



<ブログ内参考記事>

書評『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)




                            

2010年3月25日木曜日

『2010年中流階級消失』(田中勝博、講談社、1998) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その1)




 1998年に読んだ本書を、出版から12年たって再読、ざあーっと拾い読みしてみた。この12年間に二回大きな金融危機が訪れている。1998年は「アジア金融危機」(1997年)の翌年、この年には前年の三洋証券破綻につづき山一証券が破綻して自主廃業、また長銀(=日本長期信用銀行)が破綻している。
 そして2009年、サブプライムローン問題に端を発した世界金融危機。
 この2つの金融危機を経て、世界はそして日本どうなったか?

 『2010年中流階級消失』は、「金融ビッグバン」後の英国で、英国の証券会社に日本人として勤務していた著者が体験し、つぶさに観察した実情を「鏡」にして、日本の行く末を考察した内容の本である。2010年にむけて進行するであろうシナリオにおいて、日本人が敗者とならないための方策を指南した本である。
 この本が出版された前は、金融ビッグバンはウェルカム、規制撤廃ウェルカム、そしてホワイトカラーのムダをいかに削減するかという「リエンジニアリング」(re-engineering ・・懐かしい響きだな、マイケル・ハマーさん)が流行していたが、1998年は前年から続いていた金融危機が頂点に達していた年である。

 そして、タイトルでもある「2010年」のいまはどうなっているか?
 かつて「一億層中流社会」などといわれた時代があったことすら、日本人の記憶から消えようとしている。著者は「日本は10%富者と90%の貧者に大分裂」するといった。1998年当時の英国がすでにそういう状態になっていたからだ。
 2010年現在、そこまで極端には二分化していないが、「持てる者」と「持たざる者」の格差は急速に拡大を続けていることは確かだ。 大前研一『ロウアーミドルの衝撃』(講談社、2006)が出版されたのは2006年であるが、そのなかで大前研一は、日本人の8割がロウアーミドル、すなわち「中の下」以下になっていると警告するとともに、マーケティングの考え方を根本的にあらためなければならない、と主張していた。
 この流れのなかに、三浦展の『下流社会』(光文社新書、も含めて良いのだろうか。しかし、三浦展の本については、amazon.co.jp のレビューをみるべし。マーケティング・アナリストを自称する三浦展は、調査データの統計処理がきわめて恣意的で、しかも彼が名指しする「下流」へのあからさまな嫌悪感をしめしており、若者世代の論客である後藤和智からは徹底的に論破されている。『若者論」を疑え! 』(宝島社新書、2008)が徹底的に叩いている。後藤和智の本は必読書。
 「格差社会」が流行語となったのは2006年だが、ますます格差は拡大、年収200万円以下の労働者は、労働者全体の約1/4、1,000万人を突破しているだけでなく、生活保護以下の収入レベルのワーキングプアが増大し、貧困問題がクローズアップされるに至っている。
 方向性としては、著者の警告どおりとなっている、といわざるをえない。

 1998年に読んだとき、もっとも印象にのこったのは、著者自身が序章で書いている、少年時代の回想である。両親が離婚して再婚先の継母にいじめぬけれた話である。著者は1964年生まれ、同世代といってもよい人なのに、こんな厳しい経験をしている人がいるのか、という驚きである。
 もちろんこの経験が原動力となって、大学中退後英国で成功をおさめるまでにいたった、ハングリー精神の源ではあるのだが・・・
 
 参考のために、目次を紹介しておこう。

序章 飛行機を手に入れた新聞少年
第1章 日本は10パーセントの富者と90パーセントの貧者に大分裂する
第2章 英国のビッグバンで勝ち残ったのは誰か
第3章 日本人を去勢したものは何か
第4章 中流階級が消失する四つの理由
第5章 大競争時代を支配する10の原理
第6章 資産をつくるための10の基本
第7章 「シミュレーション」2010年の明と暗
終章 日本人よ、群をはなれろ


 著者の基本的主張は、「基本は7%の利回りで資産は10年で2倍」という常識である。
 運用利回りはものの考え方一つなので、消費の際に7%ディスカウントになるように、積極的にネット通販や金券ショップ、ポイントなどを活用しつくすこともよい。これは実際的なアドバイスである。

 本書には、面白いコトバがちりばめられているので、この機会に引用しておこう。

ただし強弱を決めるのは、ノレッジ(知力)、フォアサイト(先見性)、スマート・アクション(賢い行動)、アピアランス(アピール性)、ラック(運)の五点。これらのうち一つでも欠いていれば、淘汰されていった。ビッグバン後に消息を聞かなくなった友人を、私は何人も知っている。(P.20)

英国のビッグバンを経験した私には、その後の10年を観察して、日本は将来、欧米以上に深刻な事態に直面するであろうことがわかる。それはなぜか?国民にリスクをとる気概がないからだ。(P.44)

歴史に倣い、頭を使い、真実を汲み取る――シンプルであるが、これも、上流に仲間入りするための重要な姿勢だ。(P.146)

「無駄な経済」は中流階級とともに消滅する(P.152-153)

 狭い世界のひとつ、確率では、起こりうる事象の確率の和は1になることが前提だ。(中略)
 しかし、確率がすべてでないことを、社会人になって弱肉強食の世界に飛び込んでから知った。勝者として生き残る確率と、敗者として寂しく消え去って確率を足しても1にならないのだ。そのわけは、次のゲームに参加できないほど、つまり再起不能なまでに没落してしまう人間が存在するからである。(P.334)


 参考になっただろうか。

 ところで、著者の田中勝博氏のブログを参考までに紹介しようと思って、久々に検索してみたら、なんとお亡くなりになったらしい。
 享年47歳、あまりにも早い死である。若い頃のムリがたたったのだろうか。相場の世界で生命をすり減らしたのか。切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog 2010年2月19日 を参照。株式投資の世界には深入りしていない私は知らなかった。
 
 ご自身の著書の内容を、著者自身が2010年にどう評価しているのか知りたかったものではあるが、まさか本人も自分が「消失」する事は想定すらしなかったことであろう。株式投資家で経済学者であったケインズは、「長い目でみれば人はみな死ぬ」(Like I said, in the long run - we're all dead.)という有名な警句を吐いているが、出版当時34歳であった著者にとって、2010年は遠い将来の話ではなかったはずだ。人の命はまことにもって儚いものよのう。

 この場を借りて、ご冥福をお祈りしたい。合掌。


<参考サイト>
ハンドル名:たなかよしひろ さん
ブログ・タイトル:田中勝博(たなかよしひろ)の法則 (注:現在閉鎖中)
サイト紹介文:孤独なマーケットの世界から抜け出しませんか・・・たくさんの仲間が待っています。
自由文:迷ったときには、遊びにきてください。迷いから抜け出す『ヒント』をご用意してお待ちしております! http://www.blogmura.com/profile/00364772.html





<ブログ内参考記事>

書評『現代日本の転機-「自由」と「安定」のジレンマ-』(高原基彰、NHKブックス、2009)

             

                   

2010年3月24日水曜日

TIME誌 March 22, 2010号(日本版) [ANNUAL SPECIAL ISSUES] 10 IDEAS FOR THE NEXT 10 YEARS と New America Foundation について




 先週、ミャンマーにいってきたことはこのブログにも書いたが、空港の ANA ラウンジで、たまたま TIME誌 の最新号(March 22, 2010号 日本版)を見つけたので読んでみた。

 高校三年生から読み始めた TIME誌だが、年間購読をやめてから何年になるのだろうか。
 かつて「考える英語」を標榜、現在は元祖「ナニワ英語道」を名乗る、大阪出身の大先達・松本道弘の影響で TIME誌を cover to cover(オモテ表紙からウラ表紙まですべて)で読むなんてことをやっていたし、松本氏の影響で大学時代に武道を究めようとしたのも懐かしい。私は柔道ではなく合気道を選んだが、何よりも「個」を重視する武道と英語とは相性がいいという松本道弘の仮説は正しいと、私は自分の経験からも実感している。

 M.B.A.で勉強したいたときは、Internationl Business の授業で The Economist を購読せよといわれていたし、卒業してからは BusinessWeek をずっと読んでいたことを思い出せば、TIME の購読しなくなってからだいぶたつように思う。ここ数年はまた The Economist を読んでいたし。
 近年は、TIME誌は、海外出張の飛行機のなかで読むくらいしかなくなっている。


 さて、TIME 今週号の特集に戻ろう。非常に面白い内容であったので紹介しておこう。
 [ANNUAL SPECIAL ISSUES] 10 IDEAS FOR THE NEXT 10 YEARS、すなわち「次の10年間のための10の考え」である。もちろん米国人向けに執筆された文章なので、米国社会の現状をもとに書かれた内容だが、興味深いので、とりあえずタイトルだけでも掲げておくこととする。( )内は執筆者名。

1. The Next American Century - Don't believe the prophets of doom(Andres Martinez)
2. Remapping the World - Good borders make good neighbors. Bad ones make wars(Parag Khanna)
3. Bandwidth Is The New Black Gold - And it's a scarce resource(Tim Wu)
4. The Dropout Economy - The future of work looks a lot like unemployment(Reihan Salam)
5. China and the U.S.: The Indispensable Axis - Their frenemy-ship will shape the world(Christina Larson)
6. In Defense Of Failure - making mistakes is a great American freedom(Megan Mcardle)
7. the White Anxiety Crisis - America is getting a new minority(Gregory Rodriguez)
8. TV Will Save the World - In a lot of places, it's the next big thing(Charles Kenny)
9. The Twikight of the Elites Why America has entered the post-trust era(Christopher Hayes)
10. The Boring Age - The times, they aren't a-changin'(Michael Lind)

 執筆者の名前をみていると、非アングロサクソン系の名前が多いことに気がつく。これが現在の米国の現状なのだろう。そしてそれはまさに米国の強みでもある。
 私が知っている執筆者は一人もいないが、いずれも著書をもつなどの言論人である。

 タイトルを日本語に直しておこう。ついでに本文中にある引用(excerpts)も一緒に訳しておく。

1. The Next American Century - Don't believe the prophets of doom(Andres Martinez)
 ◆次の米国の世紀-終末論を説く預言者たちを信じるな
 「世界の人口の5%にしか過ぎない米国が、世界の経済活動の25%を産出している」
 ◆執筆者の Andres Martinez は、New America Foundation の Bernard I. Schwarz Fellows Program のディレクター。8.の執筆者 Charles Kenny 以外はみな New America Foundation の関係者とのこと。
 New America Foundation については wikipedia(英語版)を参照。3月24日現在の文章から引用しておく。この非営利の政策シンクタンク団体の性格がわかるはずだ。設立メンバーとボードメンバーの名前に注目されたい。Google CEO の Eric Schmidt が、ボードの議長を務めている。

 The New America Foundation is a non-profit public policy institute and think tank located in Washington, D.C.. It was founded in 1998 by Ted Halstead, Sherle Schwenninger, Michael Lind and Walter Russell Mead.
 In 2007 Steve Coll, a former managing editor of The Washington Post, succeeded Ted Halstead as President of the New America Foundation.
 Well-known board members include political commentator Fareed Zakaria, Christine Todd Whitman, international relations theorist Francis Fukuyama, Atlantic Monthly correspondent James Fallows, former Federal Reserve Vice Chairman Roger Ferguson, and economist Laura D'Andrea Tyson. Google's CEO, Eric Schmidt, is chairman of the foundation's board of directors.


 なお、TIME 今週号については、New America Foundation のウェブサイトで 10 Ideas for the Next 10 Years として紹介記事が掲載されている。

 
2. Remapping the World - Good borders make good neighbors. Bad ones make wars(Parag Khanna)
 ◆世界地図を書き換える(リマッピングする)-良き国境線は良き隣国を生み出す。悪しき国境線は戦争を引き起こす
 「脱植民地時代の政治上の国境線は、中近東においてはトラブル以外の何者でもなかった--われわれはこの地域の地図を傷つけてきた国境線を消し去ることはけっしてできない。しかし、国境線を越えて今後も多く建設されるであろう鉄道線とパイプラインが貿易量を増大させ、相互依存を深めることとなるだろう。クルディスタンやパレスチナのような新国家がさらに生まれてくるかもしれないが、エネルギーと輸送のプロジェクトが、忘却と暴力の現状のかわりに、これら新国家を地域経済のなかに平和に埋め込むことを可能とする」
 ◆執筆者の Parag Khanna は、The Second World: How Emerging powers Are Redefining Global Competition in the 21th Century の著者

3. Bandwidth Is The New Black Gold - And it's a scarce resource(Tim Wu)
 ◆帯域幅(=通信回線が持つデータ転送量のこと。周波数の下限と上限の幅をさす)は次の「黒い黄金」だ-それは「稀少財」である
 ◆執筆者の Tim Wu は、コロンビア大学法学部教授で、The Master Switch が刊行予定。

4. The Dropout Economy - The future of work looks a lot like unemployment(Reihan Salam)
 ◆ドロップアウト経済-仕事の未来は雇用されていない状態のようなもの
 「郊外のどこかには、雇用されていない23歳が、文化的反乱を計画している」
 ◆執筆者の Reihan Salam は、超党派のシンクタンク e21 の政策アドバイザー、National Review のブロガー、Forbes.com のコラムニスト。
 ◆(コメント)中流階級崩壊にともない、10人に3人のハイスクール生徒がドロップアウトしている現実。この記事を読むと、日本でも大学に進学せずに起業する若者がでていることも想起される。面白い記事だ。

5. China and the U.S.: The Indispensable Axis - Their frenemy-ship will shape the world(Christina Larson)
 ◆中国と米国:絶対不可欠な軸-この二カ国の友好敵対関係が世界を形作る
 「米国と中国の関係は、米国と英国の同盟関係のような特別な関係と考えてはならない。今後も進化していく唯一無二の関係には先例がない」
 ◆執筆者の Christina Larson は、Foreign Policy magazine の編集者の一人

6. In Defense Of Failure - making mistakes is a great American freedom(Megan Mcardle)
 ◆失敗を擁護する-失敗することは米国の偉大な自由の一つである
 「ゴールは失敗を排除することではない。失敗に十分耐えうる回復力のあるシステムを構築することにある」
 ◆執筆者の Megan Mcardle は、Atlantic誌のビジネスと経済学の編集者

7. The White Anxiety Crisis - America is getting a new minority(Gregory Rodriguez)
 ◆白人の不安危機-アメリカは新しいマイノリティを獲得しつつある
 「現在のマジョリティ(である白人)が、始まりつつあるマイノリティという地位にいかに反応するか、これはこの国が直面している、もっとも社会的でかつ人口学的な問題なのである」
 ◆執筆者の Gregory Rodriguez は、Mongrels, Bastards, Orphans, and Vagabonds: Mexican Immigration and the Future of Race in America の著者。

8. TV Will Save the World - In a lot of places, it's the next big thing(Charles Kenny)
 ◆それでもテレビは世界を救う-多くの土地では next big thing だ
 ◆執筆者の Charles Kenny は、開発エコノミストで、イノベーションと思考とグローバルな生活水準についての本が刊行予定。
 ◆(コメント)先進国ではウェブに移行しつつあるが、発展途上国ではこれからがテレビの時代

9. The Twilight of the Elites - Why America has entered the post-trust era(Christopher Hayes)
 ◆エリートの黄昏-なぜ米国は信頼崩壊後の世界に突入しているのか
 「現在のこの危機が続く限り、そのリスク長く、そして醜い、脱=発展のプロセスとなるだろう
 ◆執筆者の Christopher Hayes は、Nation誌のワシントン編集者。
 ◆(コメント)政治家、カトリック教会、エグゼクティブ・・こういったエリートへの不信感が米国では増大している

10. The Boring Age - The times, they aren't a-changin'(Michael Lind)
 ◆うんざりするような時代-時代は、変わらない
 「グローバルにジェット機による輸送は、いまだにガスタービンに依存しているが、これは1930年代に開発されたものだ」
 ◆執筆者の Michael Lind は、New America Foundation の経済成長プログラムの政策ディレクター。


 以上、ざっとみてきたが、これらは未来予測ではない。
 いま米国が直面している、しかも今後10年間に大きな問題となることが予想されるものについて、それぞれ識者がコメントしたものだ。
 なんらかの参考になるかと思い、紹介することにした次第である。参考になれば幸いである。


<参考サイト>

TIME in partnership with CNN
New America Foundation
松本道弘公式ブログ 元祖ナニワ英語道     



                      
          

2010年3月23日火曜日

Google が中国から撤退!?(その3)



              
 Google が中国での検索事業から撤退するというニュースが、NHKではトップニュースとして今朝から何度も放送している。中国におもねりがちな「日本の公共放送」である「みなさまの NHK」 にとっては、太平洋を挟んだ米国と中国のつばぜり合いは「対岸の火事」として済ませるわけにはいかない一大事なのだろうか?
 Google なんて何のことかさっぱりわからないような、アナログ世代のシニア世代の多くの日本人にとって、果たしてトップニュースの意味があるのだろか? という感想がなくもない。Google をただ単に便利な検索ツールとしてしか思っていないような人たちにとっても、このニュースが果たして大きな意味をもつのかどうか?

 もちろん、私は重大事件だと考えているが、このブログでも過去二回にわたってこのテーマで書いているので、驚きはまったくない。
 ◆Google が中国から撤退!?-数週間以内に最終決定の見通し(2010年1月14日)
 ◆Google が中国から撤退!?(続き)(2010年1月15日)
 原理原則の国である米国を代表する企業 Google と、同じく原理原則の国である中国の共産党政権が、お互いの原理原則をぶつけあった結果、でてきた結論に過ぎないからだ。

 とりあえず、後日の検証目的で、ネット上の報道を要約して紹介しておこう。中国での検索事業からの撤退は以下のような内容である。

・2010年3月22日 12:03:00 PM(米国時間)にアップロードされた公式ブログのなかで、Google は、で、中国本土での「ネット検索サービス」を同日停止したと発表。
・Google は、中国政府による検閲の中止を求めてきたが、認められないことが明らかになったためとしている。
・中国版サイト「Google.cn」にユーザーがアクセスすると、香港版サイト「Google.com.hk」に自動転送される。
・検索停止の一方で、中国における研究開発事業や営業活動は継続する意向。

 実際にこのとおりかどうかは、直接自ら確かめていただきたい。

 Google の公式ブログにアップロードされた文章は、 A new approach to China: an update と題されている。ここらへんについては、英語の表現に気をつけてみておく必要がある。
 The new approach ではなく、A new approach と単数形の不定冠詞 a を使用している。そしてコロンのあとは an update とこれまた、単数形の不定冠詞である。
 つまりどういうことかというと、中国政府の検閲政策に対して、数ある対抗策の一つとして、Google が3月22日付けの結論に達したという現状報告を示しているわけである。
 定冠詞も不定冠詞ももたない日本語や中国語では表しにくいニュアンスを示しており、ある意味ではまだまだ交渉の余地がありますよ、譲歩の余地はお互いにあるのではないですか、というニュアンスを表明しているわけである。
 おそらく中国政府が折れることはないだろうが、今後は Google が採用した「新しいアプローチ」である、香港のサーバーに「検閲のない簡体字で検索」(uncensored search in simplified Chinese)できるサービスが果たしていつまでつづけられるかが焦点になることだろう。

 実際、Google は、Mainland China service availability というページで、Google が提供するサービスのうちどれが中国国内で可能で、どれが不可能かを毎日アプデートすると表明している(We will therefore be carefully monitoring access issues, and have created this new web page, which we will update regularly each day, so that everyone can see which Google services are available in China.)。
 後学のために、3月21日(米国時間)現在の状況は以下の通りである。左の画像をクリックすると拡大した画像をみることができます。
 
 Web(グーグルのウェブサイト): No issues(=問題なし*) 
 Images: No issues(=問題なし) 
 Youtube(動画サイト): Blocked(=完全にブロック)
 Sites(グーグルでつくるウェブサイト): Blocked(=完全にブロック)
 News(ニュース): No issues(=問題なし) 
 Ads(ウェブ広告): No issues(=問題なし) 
 Docs(ドキュメント): Partially Blocked(=一部ブロック) 
 Gmail(メール): No issues(=問題なし) 
 Blogger(グーグルでつくるブログ): Blocked(=完全にブロック)
 Picasa(画像投稿サイト): Partially Blocked(=一部ブロック) 
 Groups(グループ): Partially Blocked(=一部ブロック)

 *(注):ただし、www.google.cn から自動的に www.google.com.hk にリディレクトされる。 

 なお、Google が提供しているサービスの一覧はここを参照。

 私はこのブログでも書いたように、昨日(3月21日)まで約一週間ミャンマーに滞在していたが、ミャンマーでは Google の Gmail は使用できるし、しかも2010年3月20日と21日時点では Twitter(ツイッター)も使用できたことを確認した。
 ツイッター上の、私が書き込んだ過去ログを参照していただきたい。 http://twitter.com/kensatoken1985
 後学のために、ヤンゴンから書き込んだ「つぶやき」を再録しておこう。なお、投稿時間は日本時間となっているが、日本とミャンマーのあいだの時差は2時間半(・・中途半端でめんどくさいなあ)であり、現地時間は日本時間から2時間半引いたものになる。

ミンガラバー! お久しぶり! 現在ヤンゴンです。ツイッター使えますねー やってみるもんだなあ。これから友人の結婚式&お坊さんの法話会です。時差は2時間半。昨夜まで田舎にいたので、ウェブがつながりませんでしたが、ヤンゴンの高級ホテルは問題なし。ではまた。詳し話は後ほど。
10:16 AM Mar 20th webから

ツイッターはつながったが、Bloggerによるマイ・ブログはアクセス拒否だ。残念。まあどっちにしろ詳しい話は、帰国後に「三度目のミャンマー、三度目の正直」というタイトルで、ブログで連載しますのでこうご期待。 http://e-satoken.blogspot.com/
10:26 AM Mar 20th webから

ミャンマーは一年で一番暑い4月直前で、夕方なんかものすごく暑い。タクシーもエアコンないから、熱風が窓から入ってくる。首都はクルマが増えて空気が悪い。日本の中古車が自家用車もバスも現役で走り回っている。昭和のにおいをまき散らしてるねー。治安はまったく問題なし!バンコクより安全です。
10:46 AM Mar 20th webから

昨日は、ミャンマー式結婚式に出席、たいへん貴重な体験をすることができた。大僧正の法話はパーリ語でほとんどわからなかったが、ミャンマーの人たちも必ずしも全部はわからないようだ。食事会でうまいミャンマー料理を堪能、夜も中華街で生ビール浴びるほど飲んで、快適な一日を過ごしました。マル
10:21 AM Mar 21st webから


 やろうと思えばできるのに、ミャンマー政府が Gmail も Twitter も完全にブロックしていないのは、それなりの考えがあってのことだろう。もちろん外部からは検証のしようがないのだが。
 Gmail にかんしては、ミャンマーでは半年前も現時点でも大きな変化はない。中国政府も Gmail はブロックはしていないようだ。

 インターネットの検閲は、発展途上国では当たり前のように行われている。これはたいていの国で、一カ所で集中管理が可能なためだ。中国やミャンマーはいうまでもなくタイも同様で、反政府的な内容のウェブサイトやブログはフィルタリングに引っかっかって閲覧できない。アラブ諸国も同様であると聞いている。
 いずれの国においても自国のエンジニアだけでなく、外国人の専門家を雇っているらしい。そういう話も耳にする。


 今回の問題にかんしては、中国政府が正しいのか、Google が正しいのか、「表現の自由」(free speech)という価値観(values)にかかわるものだけに、どちらが一方的に正しいとは一義的には決められるものではない
 もちろん、「表現の自由」が確保された日本という民主主義国家の国民である私は、米国のそれに近い価値観をもっているが、中国政府の抱えている問題がまったく理解できないわけでもないのである。
 Google のボードにおいても、中国からの検索事業撤退の利害得失と法的な問題にかんして、相当突っ込んだ議論と徹底的な検証が行われたものと推測されるが、おそらく中国事業を犠牲にしても、全世界における Google の評判(reputation)とブランド価値(brand equity)の維持を考慮に入れれば、撤退もやむなしという結論に達したのであろう。そう推測するのが自然である。

 この Google の意志決定が今後の米国や日本の中国ビジネスにどのような影響を与えていくのか、詳細にモニターしていく必要がある。もちろん、ソフトウェア系統とハードウェア系統はわけて考える必要があるが、現在ではほぼすべてのビジネス活動にソフトウェアが関わっているので、まったく何の影響も受けない事業活動はないと考えるべきだ。

 現時点では、まだよく見えてこないというのが正直なところである。


<ブログ内関連記事>

Google が中国から撤退!?-数週間以内に最終決定の見通し

Google が中国から撤退!?(続き)








                                    

本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000) 、そしてラオスのことなど




ニワトリはいつ、どこで家禽(かきん=家畜化された鳥類)になったのか?

 秋篠宮殿下というと「ナマズの殿下」、という連想があるのではないだろうか?
 実は私も数年前までは、そういう固定観念をもっていた。ナマズの調査のために、ひんぱんにタイにいかれてメコン川で調査している、と。
 ところが、殿下におかれては、主要な研究テーマはナマズからニワトリに移っておられた。このことを知ったのは本書によってである。
 出版されたのは2000年、すでに10年前だが、案外この事実を知らない方が多いのではないかとおもって、あらためて学術書である本書を紹介する次第である。

 テーマは、ニワトリはいつ、どこで家禽(=家畜化された鳥類)になったのか
 殿下はこのテーマを1988年から2年間のオックスフォード大学大学院において、最初はミトコンドリア DNA をもちいた遺伝子レベルの研究から始めている。だが、家禽化のプロセスは自然変異ではなく、人間の手によってなったのではないか、という問題意識から、生物学のアプローチと文化人類学のアプローチを融合した研究を行うに至った。家禽の生息する生態系は、そこに居住する住民の民俗全体から捉えねばならないという考えからである。
 東南アジアのインドネシア、タイ、フィリピンでのフィールドワークをつうじて探求してきた研究成果は、ついに中国雲南省のタイ族居住地域であるシップソンパンナー(西双版納)において・・・・この続きは直接確かめていただきたい。

 昭和天皇は変成菌(=粘菌)とヒドロ虫今上天皇はハゼの分類学、そして天皇家三代の学問である生物学、その直系の後継者である秋篠宮殿下の研究テーマはナマズと家禽(かきん)。
  『殿様生物学の系譜』(科学朝日編、朝日選書、1991)という本があるが、生物学研究は欧州でも日本でも貴族の趣味として始まった経緯がある。山階鳥類研究所総裁の秋篠宮殿下の場合も、めぐまれた立場にいるといえばそのとおりだが、その環境におぼれず、地道に研究を続けておられる学究であることがうかがわれる。
 本書の最終章に収録された、本書の寄稿者の学者たちとの座談会は、研究の発想もふくめて、全体像を知るうえで興味深い。
 秋篠宮妃紀子殿下による、タイ族の民俗文化にかんする、音楽と舞踊の研究についてのお話もたいへん興味のあるものだ。
 
 ニワトリに関心のある人も、タイをはじめとする東南アジアに関心のある人も、ぜひ本書は存在だけでも知っておいてほしいものである。


<初出情報>

■bk1書評「ニワトリはいつ、どこで家禽(=家畜化された鳥類)になったのか?」投稿掲載(2010年1月8日)

 *再録にあたって字句の一部を修正した。


<書評への付記>

秋篠宮殿下と東南アジア皇室外交

 本日(2010年3月23日)、秋篠宮殿下は学習院女子高等科をご卒業されたばかりの長女の眞子様をともなわれて、家禽(かきん)類の調査研究などのため、ラオスへの私的訪問の旅に出発された。
 本来は、タイ王国とラオス人民民主主義共和国の二カ国の訪問の予定であったが、バンコク情勢が不測の事態が発生しかねないので、取りやめとなったのは当然といえば当然だろう。秋篠宮殿下にとってはたいへん残念だろうし、またタイ王国の王室関係者にとっても残念なことだとお察しする。帰国は3月28日とのことだ。

 秋篠宮殿下については、皇孫誕生という皇位継承の面ばかりが強調されて報道されるきらいがあるが、本来は物静かな学者肌の人であり、実際にフィールドワーカーとして、研究者としての業績も顕著なものがある。また、国民に無用な迷惑はかけるべきでないというお考えの持ち主である。
 そんな秋篠宮殿下の研究テーマが、今回取り上げた「家禽」の研究であり、この面での研究成果は画期的なものだといってよい。ひろく日本国民は秋篠宮殿下の研究成果を本書をつうじて知ってほしいものだと思う次第である。


ラオスと「第2タイ=ラオス友好橋」について

 ラオスはタイの隣国であり、メコン川に面した、同じく上座仏教圏である。世界遺産に指定されている古都ルアンプラバーンの早朝の托鉢シーンは有名であり、最近はやや観光化してしまっているようだが、私も2年間に実見した。

 また、2006年12月20日の、Thai-Laos Friendship Bridge Ⅱ(第2タイ=ラオス友好橋)の開通記念式典には、ラオス政府の招待で参加もしている。タイ側のムクダハーンとラオス側のサヴァナケットを結ぶ、メコン川にかけられた二番目の橋である。日本の ODA 資金による援助ローンで建設された、日本の息もかかったものである。
 なお、一番最初にできたのは、タイ側のノンカイとラオス側のヴィエンチャンを結ぶもので、現在では鉄道線路も敷設された。三番目の橋は中国のカネによるものだ。
 面白いことにタイは日本と同じくクルマは左側通行だが、ラオス側はフランスの植民地であったこともあり右側通行である。このため、橋のまんなかで交通レーンが入れ替わることになっている。インドシナ半島を陸路で結ぶ交通ルート、いわゆる「東西回廊」がだんだんと整備されてゆく状況にあるが、この点は面倒なものであるといわざるをえない。ちなみにミャンマーは右側通行ラオスとカンボジア、ベトナムは右側通行である。
 「東西回廊」など陸路だけでなく、空路と海路も含めた東南アジアのロジスティクスについては、『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、2008) が、実用書としても、読み物としても面白いので推薦しておく。

 ちなみのこの式典には、タイ側からはタイ国王ラーマ9世の長女であるシリントーン王女(右写真)が列席されていたが、私たちと行動をともにしていた通訳のタイ人女性は、感激のあまり涙がこぼれたと漏らしていた。タイにおけるシリントーン王女の存在はスーパースター並である。私がシリントーン王女をナマで、しかも至近距離から拝顔させていただいたのはこの一回限りだ。

 左に掲げる写真は、ラオスの美少女たち。ラオスは知られざる(?)美少女王国である。タイ北部のチェンマイ方面とラオスはもともと同じ民族で、タイ北部に美人が多いのは理由があるのだ。
 記念式典にあたって、ラオス国旗とタイ国旗にまじって日本の日の丸も振ってくれているのはうれしいかぎりだ。

 ラオスは人口500万人と国土の割には人口密度が低く、首都ヴィエンチャンも人もバイクもまばらにしか走っていない。それでも昔よりクルマが増えた!ときくと不思議な気分になる。むしろ古都ルアンプラバーンのほうが、欧米からの観光客であふれているので賑やかなくらいだ。


 私的訪問とはいえ、こういった形で秋篠宮殿下が東南アジア皇室外交を行っていただくことは、「東南アジア派」の私からみればありがたい限りである。バンコク情勢が安定化し、タイ王国への訪問がスムーズに実現することを願う。






            
                

2010年3月22日月曜日

ミャンマーより戻りました

                                         
 ミンガラバー(こんにちは)!

 ミャンマーより帰国しました。
 「三度目のミャンマー、三度目の正直」、3回もいくとさすがにミャンマー(=ビルマ)のことがよくわかってきたような気もします。
 
 しかし、それにしても寒い。昨日までギンギンの太陽のもと、摂氏30度超の土地にいたので、日本がものすごく寒く感じます。
 今回は、バンコク経由ですが、バンコクは乗り換え(トランシット)のみで、タイ王国には入国しませんでした。もしかすると、これは自分にとっては初めての経験かもしれないような感じが・・・。その昔、初めてカンボジアにいったときはバンコク経由でいきましたが、フライトの都合上、意味のない一泊を強いられたし、インドに行くときも、必ずバンコクでは途中下車していたし。そういえば、バックパッカーとしてネパールのカトマンドゥにいったときは、昔のドンムアン空港で10時間くらい乗り継ぎ待ちをしたなあ、と思い出した。
 今回は、わざわざバンコク市内に入るのも面倒だし、時間のムダになるなと思ってストップオーバーしないことにしたのは正解だったようだ。

 まさか、再び「赤シャツ組」による大規模なデモがあるとは、エアチケットを予約したときには想像もしていなかったので。昨日、バンコクでトランシットの際に、タイの英字紙 The NationBangkok Post を読んだら、先週土曜日のデモが凄かったようだ。両紙とも、一面は真っ赤である(2010年3月21日付け紙面)。
 私が住んでいたMRT(地下鉄)沿線地域でも、道路封鎖による車両通行止めと軍による検問が行われていたようだ。まさか、本当に「赤シャツ組」がデモ参加者から集めた血液を撒いたとはね・・・。市内での爆弾テロ騒ぎも起こっており、新聞報道によればロケットランチャーも含めて武器が拡散しているようだ。物騒なことになっている。

 「虫の知らせ」というんですかね? 私はそれほど予知能力の高い人間ではないので何ともいえないのですが、バンコク立ち寄りをしない意志決定を無意識に行ったことは、ラッキーだったと思っておきたい。
 とはいえ、昨夜の乗り換え便の成田行き TG(タイ航空)にはあやうく乗り損ねるとこだった。搭乗時間を1時間勘違いしていたうえ、搭乗ゲートもまったく勘違いしていたので、えらく走らされた。スワンナプーム国際空港はなんせ広すぎるし、導線設計に大きな問題があるから、搭乗ゲート間違えると大変なことになってしまうのだ。昨夜も何キロ走ったかわからないくらいだ。
 ギリギリセーフで間に合ったから良かったが、ラウンジに入る際に、チケットに記載されている搭乗時間から注意を促すとか、TG の接遇職員はいっさいしないのが不思議なのだ。ちょっといってくれればいいのに。気配りのないタイ人世界。
 タイのサービスレベルは国際標準からみたら正直いって高くない、ということをあらためて感じさせれれた一日であった。

 今回のミャンマーの見聞については、「三度目のミャンマー、三度目の正直」と題して、後日ブログに連載する予定ですので乞うご期待。
 それにしても、「微笑みの国」はすでにタイのことではなく、ミャンマーのことである! これは太字で強調しておきます。
 ♪ ミャンマー良いと~こ 一度は~おいで!
 冗談好きでよく笑うミャンマー人たちのことをもっと知ってもらいたいのです。

 ではでは。



               

2010年3月16日火曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直


             
 サワディーカップ!(タイ語)
 いまバンコク国際空港のTGラウンジ。入国しないので市内の騒ぎとはいっさい関係なし。ひさびさに飲んだ、冷えたビア・チャーン(象さんビール)がうまい!

 これから乗り継ぎでヤンゴンへ。約1時間強。
 本日よりミャンマーです。「三度目のミャンマー」、「三度目の正直」、ですね。
 略称RGNは Rangoon の略。次はヤンゴンからといきたいところだが、ブログや、ツイッターは使えるのかな?? なんだか無理っぽいね。トライアルだけはしてみませう。

 ミャンマーは、昨年2009年の6月にいったばかりなので、また・・・という感なきにしもあらずですが、今回は仕事というよりも限りなくプライベートですね。今回のミッションは結婚式の出席。お坊さんの法話。

 ミャンマー国内の通信事情については、すでにミャンマー再遊記(1)-通信事情 など書いたとおりでので、実況中継は難しいだろうなあ。
 ブログの更新も、ツイッターもできないと思います。試してみますが、たぶん・・・
 ただし、ミャンマー国内では Gmail は使えるので(・・中国みたいに全面衝突とはなっていないようです)、メールのやりとりは可能です。
 しかし、携帯電話の国際ローミングサービスはないし、したがって携帯メールの送受信もできません。
 ヤンゴン市内の高級ホテルではネットは無線で可能ですが、ときどき大規模停電があるので・・・
 
 次回通信は早くても今週末になります。
 そでまでみなさんお元気で。

 ミンガラバー!(ビルマ語)



<ブログ内関連記事>

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 全10回+α(2010年3月)

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次




    
                  

2010年3月15日月曜日

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む




 月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年 NO.3 の献本が、「R+ レビュープラス」から届いたので、さっそく目をとおしてみた。
 まず、論文タイトルと筆者、そして論文のサマリーと筆者略歴をじっくり読んでみる。それから、本文を読んでみる。

 とりあえず、ここでは論文タイトルと筆者名を、雑誌掲載順に並べて紹介しておこう。

<CFRミーティング>
ジョセフ・スティグリッツが語る金融危機と規制、経済の不均衡、中国、ドルの将来(ジョセフ・E・スティグリッツ/コロンビア大学教授)
  
日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?(ジョージ・パッカード/米日財団会長)
  
<フォーリン・アフェアーズ・アップデート>
「北京コンセンサス」の終わり(姚洋(ヤン・ヤオ)/北京大学国家発展研究院副所長) 
  
<Classic Selection 2007><CFRアップデート>
中国・インド経済が直面する社会格差という開発ジレンマ-農村の貧困と格差社会への対応を
 
<CFRミーティング>
新たな世界経済のシステミックリスクとしての各国の財政赤字 (セバスチャン・マラビー/米外交問題評議会シニア・フェロー 国際経済担当)
 
<CFRインタビュー>
アメリカの財政赤字とドルの運命(ライアン・アベント/Economist.com エディター) 
  
<CFRブリーフィング>
金融規制案は危機の本質を見落としている-システミックリスクの震源は債券保証会社だった(マーク・レビンソン/米外交問題評議会(CFR)国際ビジネス担当シニア・フェロー)
 
<Review Essay>
なぜ援助では貧困を緩和できないのか-中国とインドが援助に依存せずに成長を遂げたのはなぜか
(ジャグディッシュ・バグワティ/コロンビア大学教授)
 
<Review Essay>
女性を助ければ、途上世界が救われる(イソベル・コールマン/CFRシニア・フェロー)
 
  
核武装後のイランにどう対処するか(前編)(ジェームズ・M・リンゼー/米外交問題評議会研究部長、レイ・タキー/米外交問題評議会シニア・フェロー)
 
核不拡散と原子力の平和利用を両立させる道はあるか
(チャールズ・ファーガソン/米科学者連盟会長)
 
<特集 世界は再び食糧不足の時代へと向かっている>

世界は再び食糧不足の時代へ-結局、マルサスは正しかったのか(チャーリスル・フォード・ランゲ/ミネソタ大学教授、チャーリスル・ピエール・ランゲ/イエール大学学生) 
  
<Classic Selection2008
食糧危機の打開を阻む先進国の政治と妄想-貧困国の現実に目を向けよ(ポール・コリアー/オックスフォード大学経済学教授)
 

  「フォーリン・アフェアーズ」(FOREIGN AFFAIRS)とは、直訳すれば外務省の「外務」(foreign affairs)のことだが、いうまでもなく米国の外交問題の専門雑誌である。各国の現役の政治経済の指導者が寄稿することでも有名な、国際政治における政治的意志決定に大きな影響を及ぼしてきた米国の専門誌である。「国際政治」と「国際経済」は不可分の関係にあるという「国際政治経済学」の立場が一貫しており、その点は今月号にも一貫している。

 国際版は、スペイン語版Foreign Affairs Latinoamérica)、日本語版Foreign Affairs in Japan)、ロシア語版Russia in Global Affairs)がでているようで、国際版の購読者数は総計18,600人と、かなりの数になっている。
 国際版のウェブサイトの記述によれば、日本語版は1990年から1998年までは中央公論社が、1998年から2008年までは朝日新聞社の月刊オピニオン誌『論座』が、2008年以降は Foreign Affairs Report として、印刷媒体での刊行を月刊でつづけているとある。付け加えれば、現在は株式会社フォーリン・アフェアーズ・ジャパンが発行主体となっている。
 私は、日本版はずっと朝日新聞社の傘下にあったものだと思い込んでいたので、なにか「色がついてしまっているな」と敬遠していたのだが、この事実を知って安心した次第だ。
 もちろん発行主体の CFR(Council for Foreign Relations:外交問題評議会)自体の特性をアタマにいれておく必要があるが、日本語版の翻訳記事の選択と編集で、二重のバイアスがかかることに留意しておく必要がある。
 なお、「外交問題評議会」(CFR)は、Wikipedia の簡潔な要約を使えば以下のようになる。
アメリカ合衆国のシンクタンクを含む超党派組織。略称はCFR。「外交関係評議会」と訳されることもある。1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われている。超党派の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られる。本部所在地はニューヨーク。会員はアメリカ政府関係者、公的機関、議会、国際金融機関、大企業、大学、コンサルティング・ファーム等に多数存在する。知名度が高く、影響力が大きいことで知られる。


 実は、日本語版の「Foreign Affairs Report」を通読したのは、今回が初めての経験である。
 私自身の専門は国際政治学ではないので、毎月購読しているわけではないが、必要に応じて個別の論文を英語で読むことは過去にあった。英語版であれ、日本語版であれ、一冊まるごと読むのは今回が初めてだ。非常に新鮮な思いを味わった。
 思ったより日本語の訳文がこなれており、とくに英文を参照することなく、そのままアタマに入ってくるような平明な文章になっているのがありがたい。
 また、各論文に付されたサマリーがまた的確で、本文をざっと読む前と読んだあとにサマリーを読むと、論文の要旨がすうーとアタマのなかに入っていくのを覚える。
 掲載論文を根拠に私自身が論文を書くことがあれば、レファレンス先として日本語訳をあげることが十分に可能な訳文になっているといってよいだろう。
 ただし、「なぜ援助では貧困を緩和できないのか-中国とインドが援助に依存せずに成長を遂げたのはなぜか」(ジャグディッシュ・バグワティ)の原題が Banned Aid (バンド・エイド)なんて、英語のダジャレを、そのまま日本語に移せないのは残念。いっけん堅くみえる論文も、こういう遊びがあるってことを伝えたいものだ。もちろん、論文でも触れているように、これは U2 のボノも参加していた Band Aid にひっかけたものだ(・・さらにさかのぼれば絆創膏の band aid からきている)。論文の著者の立場は直接本文で確かめていただきたい。


 2010年3月号の内容についてだが、論文そのものの中身まで言及しだすと、私自身が Review Essay(評価論文)を書かなくなってしまうので深入りは避けておくが、これは面白いと思った論文に簡単なコメントだけ加えておきたい。

 「ジョセフ・スティグリッツが語る金融危機と規制、経済の不均衡、中国、ドルの将来」(ジョセフ・E・スティグリッツ)については、ノーベル賞受賞の経済学者であり、グローバリズムに対しては批判的な見解を示している論客で日本でも著名な人なので、特に付け加えることはないが、ただ経歴には世界銀行のチーフ・エコノミストであったことを付け加えるのが親切というものだろう。
 米日財団会長ジョージ・パッカードによる、「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」については、米国でも公平な立場の発言があることを知るためにも、目をとおすことが望ましい。執筆者の立場は国防総省とは異なるし、また米軍内部にも空軍と海兵隊のライバル意識があって問題をややこしくしていることが指摘されている。
 姚洋(ヤン・ヤオ)による「「北京コンセンサス」の終わり」は、かなり突っ込んだ提言を行った論文であるが、北京大学国家発展研究院副所長という肩書きの発言であり、政府も了承している考えの表明と考えて良いのだろう。その意味では面白い。

 このほか、2010年3月号では「国際援助」関係の論文がいくつか収録されており、いずれも興味深く読むことができた。「中国・インド経済が直面する社会格差という開発ジレンマ-農村の貧困と格差社会への対応を」「なぜ援助では貧困を緩和できないのか-中国とインドが援助に依存せずに成長を遂げたのはなぜか」(ジャグディッシュ・バグワティ/コロンビア大学教授)、「女性を助ければ、途上世界が救われる」(イソベル・コールマン/CFRシニア・フェロー)。後者の2本の論文は単行本のレビューであるが、レビュー執筆のあり方としても一つの参考になる。

 「国際経済問題」にかんしては、「新たな世界経済のシステミックリスクとしての各国の財政赤字」(セバスチャン・マラビー/米外交問題評議会シニア・フェロー 国際経済担当)、「アメリカの財政赤字とドルの運命」(ライアン・アベント/Economist.com エディター)、「金融規制案は危機の本質を見落としている-システミックリスクの震源は債券保証会社だった」(マーク・レビンソン/米外交問題評議会(CFR)国際ビジネス担当シニア・フェロー)があるが、一番最後の論文はかなり核心をついた内容の論文で参考になる。米国においては、「債務保証会社」の監督責任が州政府レベルにあって、連邦政府にはない(!)という事実が、サブプライムローン問題の核心にあるという指摘、これは勉強になった。

 「核兵器と原子力問題」については、「核武装後のイランにどう対処するか(前編)」(ジェームズ・M・リンゼー/米外交問題評議会研究部長、レイ・タキー/米外交問題評議会シニア・フェロー)、「核不拡散と原子力の平和利用を両立させる道はあるか」(チャールズ・ファーガソン/米科学者連盟会長)。これらの論文を読むと、問題の整理が容易になる。

 最後に、<特集 世界は再び食糧不足の時代へと向かっている>として論文2本が収録されている。
 「世界は再び食糧不足の時代へ-結局、マルサスは正しかったのか」(チャーリスル・フォード・ランゲ/ミネソタ大学教授、チャーリスル・ピエール・ランゲ/イエール大学学生)、「食糧危機の打開を阻む先進国の政治と妄想-貧困国の現実に目を向けよ」(ポール・コリアー/オックスフォード大学経済学教授)。
 とくに、後者のポール・コリアーについては、主著である最貧国問題解決のための必読書である『最底辺の10億人-最も貧しい国々のために本当はなすべきことは何か?-』(ポール・コリアー、中谷和男訳、日経BP社、2008)は、このブログでも取り上げている
 「食糧問題」については、奇しくも講談社の月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」2010年3月号が、「特集 世界の「食糧争奪」戦争-フィレオフィッシュが食べられなくなる日」という特集を組んで取り上げている。
 とくに「食糧問題」は、「エネルギー問題」とならんで日本の生存にためには生命線ともいえる問題であり、対岸の火事と思うことなく自分の問題として真剣に捉える必要がある。あわせて読むことをお薦めしたい。


 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」は、最初から最後まですべてのページに目を通すのも良し、必要な論文だけピックアップして読むのも良し、あるいはタイトルとサマリーだけ読むのも良し。読者の目的に応じて読むことができるように、日本語版はよく工夫して編集されている。
 日本語版の公式ウェブサイトとあわせて利用すれば、より実りある活用が可能となるだろう。

 なお、本誌のバックナンバーは基本的に一般書店には配本していないということだが、最新号だけでなくバックナンバーが amazon.co.jp で入手可能であることを付け加えておこう。



              

2010年3月14日日曜日

書評 『日本語は亡びない』(金谷武洋、ちくま新書、2010)




水村美苗の『日本語が亡びるとき』への違和感を表明した本としては賛成だが・・・

 2002年に出版された『日本語に主語はいらない』(金谷武洋、講談社メチエ)を読んだとき、よくぞ言っていただいたと感謝したくなったと、私は bk1 の書評に書いた。
 本書は、具体的にはバイリンガルの日本人作家・水村美苗の『日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)への反論を意図して執筆したと、著者は「はじめに」で述べている。私自身、水村美苗の本を読んだとき非常に強い違和感を覚えたので、またとない援軍が現れたものだと思って、著者の「蛮勇」には大いに期待して本書を手に取った。

 ざっと読んでみての感想は、「満足半分」に「期待はずれ半分」である。
 「満足半分」というのは、著者の専門である、カナダ人への日本語教育実践から発見した日本語の特性から、日本語はけっして亡びないことを論証していることだ。これについては大筋で賛成である。著者の理論が正しいか正しくないかは、言語学の専門家どうしで論戦しあえばいい。
 「期待はずれ半分」といったのは、本の半分が本論とはあまり関係ない、宮部みゆきと中島みゆきの話で占められているからだ。しかも、言語学的な分析ではなく、このふたりの「みゆき」が表現する日本人の心性について語っているだけであって、だから「日本語は亡びない」という論旨とは、結びつきが弱すぎるのである。

 結論としては、この本は、水村美苗の『日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)への違和感を表明した本とはなっているが、分量を半分にして、言語社会学的な話で残り半分を書くべきではなかったのか、というのが私の感想である。

 とまあ、ここまで辛口の評価をしてきたが、水村美苗の『日本語が亡びるとき』への反論がでてきたことは、たいへん喜ばしい。著者がふと漏らしているように、水村美苗には12歳の時に、自分の意思ではなく有無をいわさず米国に連れて行かれたときに経験したトラウマがあるのだろう。
 日本語を実用的に使っているのは、ごくごく少数のインテリ作家だけでなく、圧倒的多数の一般ピープルだからだ。どう考えても、日常生活で英語を使うとはとても思えない圧倒的な日本人にとって、「日本語が亡びる」などという危機意識は、はっきりいって無縁の発想だろう。

 ほんとうに亡びる可能性が高いのは、話者が激減している、いわゆる「危機言語」である。人口が減少しているといっても、1億人を切るのにいったい何年かかるというのだ。日本語が「危機言語」であるかどうかは、この本がある程度まで解答している。

 「日本語は亡びるか」というテーマに興味のある人は、半分は読むに値するので、目を通したらいいとはいっておこう。


<初出情報>

■bk1書評「水村美苗の『日本語が亡びるとき』への違和感を表明した本としては賛成だが・・・」投稿掲載(2002年3月12日)
■amazon書評「水村美苗の『日本語が亡びるとき』への違和感を表明した本としては賛成だが・・・」投稿掲載(2002年3月12日)




<書評への付記>

 書評のなかでも触れた、日本語に主語はいらない』(金谷武洋、講談社メチエ、2002)の書評を再録しておこう。

よくぞはっきりと言い切ってくれた、と著者には申し上げたい

サトケン
2002/01/14 23:57:00

 よくぞはっきりと言い切ってくれた、と著者には申し上げたい。そう、「日本語には主語などもともとない」のである。本書は日本語学者の三上章の「主語無用論」を継承・発展させたものである。

 明治以来、近代化=西洋化を国是とした日本は、日本語を劣等言語とみなしてこれを改造しようとした結果、言語構造のまったく異なる英語の文法でもって日本語を説明しようとして国語文法が作られた。その結果、日本語では「主語が省略されることが多い」などと説明され、英語と比べて日本語は非論理的だなどという自虐的な発言がまかりとおる事態となっているのである。
 そしてその弊害が、海外の日本語教育の現場で発生していると著者は訴えている。著者は言語学者だが単なる学者ではなく、カナダのそれも英仏二言語併用のケベック州で日本語教育の研究と実践に従事している「現場の人」である。その人が、現行の日本語文法(国語文法)では日本語をきちんと説明できない、あまっさえカナダ人の教え子たちに対して申し訳ない、とさえいわざるをえないのが現状なのだ。
 そういう人がタイトルとおりの主張をしているのだから説得力は強い。しかも本人は「不退転の覚悟」で望んでいると書き記している。日本語という人間関係重視が目的の言語でこういう内容の本を書くというのは実に難しいことなのだ。

 本書がとくに痛快なのは、エイゴ(=英語)セントリック(=英語中心主義、言語学者角田太作氏による表現)を徹底的に攻撃している点である。英語(というよりも米語)しか解さない日本の言語学者の多くが、チョムスキーの生成文法にしたがって日本語を分析しているさまを、著者は悪しき実例として滑稽さとともに描き出しているが、日本語を英語の文法で説明することなど土台ムリな話なのだ。

 本書は実に痛快な本だ。だがちょっと残念なのは、「母語」ではなく「母国語」と一貫して表記していること、東アジアの言語として日本語と朝鮮語、中国語を並列的にならべていることである。日本語とまったく言語構造の違う中国語ではなく、むしろ朝鮮語、モンゴル語をあげてもらった方がよかったのではないかと思う。この点の説明が足りないので誤解が生じる恐れがある。
 本書には田中克彦の『国家語をこえて』が引用されているが、ぜひ『ことばと国家』『チョムスキー』などに展開されている視点も加えると、本書はさらに現状に対するラディカル(根源的な)批判となって、もっと面白い本になったものと思う。

 ぜひ著者自身による日本語文法書と教科書を、日本語と英語その他で作ってほしいものだ。


初出情報 ■bk1書評「よくぞはっきりと言い切ってくれた、と著者には申し上げたい」投稿掲載(2002年1月14日)


「危機言語」について

 「危機言語」(endangered language)とは、文字通り、話者(speaker)がいなくなることで消滅の危機にある言語である。Wikipedia の記述によれば(2010年3月14日)、以下のようにある。

Michael Kraussによれば、100万程度の話者を持つ言語は、今後100年程度は安定であるとされている。この基準によれば現存する言語のうち半数は22世紀の初めまで、つまり約100年以内に完全に話し手を失い、消滅すると予想される言語である。

 日本の人口は現在、約1億2千7百万人いるが、このうち広い意味で日本語を母語とする日本在住者が限りなく同数に違いであろうと推計して、上記の計算式をあてはめれば、日本語が亡びるのは127世紀後になる。つまり紀元148世紀ということになる。果たしてそれまでに地球は滅亡せず、日本人だけでなく人類も生き残ってるのかどうか?(笑)

 あれだけアメリカ文学を読み込んで、自らアメリカ人作家の日本語の新訳も多数出している、世界的大作家の村上春樹が、なぜ日本語で書き続けているのか。理由は簡単である。本人が日本語で書くのが一番ラクだからだろう。そして、いくらでも翻訳需要があって、翻訳者もそれぞれの言語に存在するから英語で書く必要などまったくない。
 逆に、古くはポーランド人のジョゼフ・コンラッドや、最近では日本人のカズオ・イシグロのように母語ではなく、英語で書いた英語作家も存在するが、かれらにとって、書き言葉としての英語は、もはや第二言語以上の存在になっており、母語で書くよりも、英語で書くほうがナチュラルなためである。
 一方、学術的著作はフランス語や英語で行いながら、文学作品は自らの母語であるルーマニア語でのみ(!)書いたミルチャ・エリアーデのような存在もいる。
 
 『日本語が亡びるとき』で危機感を表明した作家・水村美苗の場合は、12歳から家族に連れられてどっぷりそのなかに浸かっていた英語は、母語である日本語並みになっており、いわばバイリンガルといってよい存在となっている。
 それだけの英語力のある人間だからこそ、英語が自分の日本語を浸食していると痛切に感じるのだろう。そういった個人的な事情はわからなくはないが、圧倒的多数の日本人にとっては無縁の発想である。日本の場合、大学をでていても水村美苗氏ほど英語を使いこなせる人間はごく少数に過ぎない。
 以前このブログでも紹介した、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフも同じような意味で、母語であるハンガリー語が浸食されているという危機感を痛切に感じており、日常生活で使用し、作家としても使用しているフランス語を「敵語」と表現している。

 それになんといっても日本は島国である。大陸国の場合、大言語圏に隣接する小言語は、おうおうにして飲み込まれてしまうもので、私はかつてシベリア鉄道に乗って、北京からモスクワに向かった際、北京からウランウデまで同じコンパートメントで一緒になったブリヤート・モンゴル人母子のことを思い出す・・・
 旧ソ連に組み込まれていたバイカル湖周辺のモンゴル系のブリヤート人は、一説によれば日本人ともっとも遺伝子レベルで近いともいわれるくらいで、外見は日本人とまったく変わりないのだが、母と子の会話がすべてロシア語(!)であったのだ。モンゴル語ではなく、ロシア語。これが「危機言語」あるいは「消滅言語」の姿である。ブリヤート人でもロシア語を母語とする者は半数近くに達しているらしい。

 日本語の今後については、日本語は文部科学省が決めるものでもなければ、インテリ作家が決めるものでもない。圧倒的多数の一般使用者が日常生活をつうじて、無意識のうちにう作り上げていくものだ。
 日本語のボキャブラリーは英語に由来するものが今後も大幅に増えるだろうが、基本的な言語構造にはいささかの揺るぎも生じないだろう。これが金谷氏の議論を、極度に圧縮した私なりの結論だ。
 
 まあ、というわけで、水村美苗の『日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)を読んだときに感じた、非常に強い違和感に、留保付きだが、正面から反論する言語学者がでてきたのは、よろこばしい次第である。
 ただし、長期にわたって事実上占領され傀儡(かいらい)国家となり、知識階層がほぼすべて抹殺されたという、内外モンゴルのような悲劇的状況が起これば、話はまたく別である。
 
 つまるところ、話者の人為的に抹殺差されるという事態が発生しない限り、日本語が亡びることはないのである。


<参考サイト>
 
危機言語小委員会


<ブログ内参考サイト>

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)

ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと