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2018年8月14日火曜日

JBPress連載コラム第32回目は、「ミャンマーのリゾートで「大日本帝国」に遭遇した-「ビルマ」を舞台にした日本と英国の複雑な関係」(2018年8月14日)


JBPress連載コラム第32回目は、「ミャンマーのリゾートで「大日本帝国」に遭遇した-「ビルマ」を舞台にした日本と英国の複雑な関係」(2018年8月14日) ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53791

今年もまた「8月15日」を迎える。年中行事化しているとはいえ、この時期に「先の大戦」について考えることは、けっして無意味なことではない。 

「大日本帝国」が消滅してから70年以上たった現在でも、ひょんなことから「大日本帝国」に遭遇して驚かされることもある。 

今回は、そんな個人的な体験を踏まえながら、「先の大戦」すなわち「大東亜戦争」とその後の複雑な歴史について、かつて「ビルマ」と呼ばれていたミャンマーを舞台に考えてみたい。 

大日本帝国は、ビルマ(=ミャンマー)の地で大英帝国と激突したのである。

(以下略)

ミャンマーのリゾート地で遭遇した「大日本帝国」とは何か、ぜひご確認いただきますよう。

つづきは本文で http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53791






<ブログ内関連記事>

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 全10回+α

「ミャンマー再遊記」 全8回+α

ミャンマーで日本向けオフショア開発が有望な理由-それは日本語能力にある

書評 『銃とジャスミン-アウンサンスーチー、7000日の戦い-』(ティエリー・ファリーズ、山口隆子/竹林 卓訳、ランダムハウス講談社、2008)

映画 『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』(2011年、フランス・英国)をみてきた

エンマ・ラーキンの『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』(Finding George Orwell in Burma)を読む-若き日のオーウェルが1920年代、大英帝国の植民地ビルマに5年間いたことを知ってますか?

書評 『抵抗と協力のはざま-近代ビルマ史のなかのイギリスと日本-(シリーズ 戦争の経験を問う)』(根本敬、岩波書店、2010)-大英帝国と大日本帝国のはざまで展開した「ビルマ独立」前後の歴史

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!


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2014年5月21日水曜日

書評『アマン伝説 ― 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』(山口由美、文藝春秋、2013)― 植民地解体後の東南アジアで生まれた「アマン」と「アジアン・リゾート」というライフスタイルとは?



読もう読もうと思いながら、買ってから1年近く「積ん読」状態だった『アマン伝説』(山口由美、文藝春秋、2013)をやっと読んだ。この本で扱われているテーマは、ずいぶん前から気になってはいたのだ。

いわゆる「アジアン・リゾート」の牽引役となった「アマンリゾーツ」の「アマン」なるものはいかに生まれたか、そのバックグラウンドにあるものはなにか、そしてどのように進化していったのかについて、その創業者エイドリアン・ゼッカの人生を軸に描いたノンフィクションだ。

残念ながら「アマン」にはいまだ宿泊したことがないのだが、アジアといえば東南アジア(および南アジア)を連想する人にとっては興味深い内容の本だと思う。もちろんこのわたしもそうである。東南アジアと南アジアをあわせて「モンスーン・アジア」という。

いわゆる「アジアン・リゾート」は、「アマンプリ」(・・タイのプーケット島)や「アマンダリ」(・・インドネシアのバリ島)などに代表される、ヴィラ(別荘)的な、バンガロー的なスタイルのリゾートホテルが当たり前になっている。これは「アマン」の模倣であるが、一つの大きな流れだといっていいだろう。

かつてはノスタルジックなコロニアル・スタイルの都市型ホテルが注目を浴びることが多かったが、いまでは「アジアン・リゾート」における「アマン」的なリゾートホテルのほうが人気が高いのではないだろうかか。


(2006年に出版されたムック この頃がアジアンリゾートブームのピーク?)


いろんな読み方のできる本だ。ビジネス・ノンフィクションとして読むことも可能だし、ホテル&リゾートの本として読むことも、植民地解体後の東南アジア史戦後日本とくにバブル時代の日本経済史として読むことも可能だ。

著者は1962年生まれだからわたしと同じである。つまりバブル時代のなんたるかを肌身をつうじて知っているということだ。わたしの場合は、もっぱらビジネスの内側の人間として、本書にも登場する、いまはともに亡きイーアイイーの高橋治則氏と長銀との関係など、たいへん懐かしい(?)思いをしながら読んだ。直接関係はないものの、間接的に接点があったからだ。

ハワイ、香港、南太平洋、そしてバブル時代の日本・・・。バブル時代とは不動産開発に狂奔した時代であった。ホテルとリゾートもハードそのものは不動産である。

この本が出版された2013年4月にはまだ決まっていなかったが、2020年の東京オリンピック誘致でキーワードになったのが「お・も・て・な・し」。この表現に体現された日本型ホスピタリティとは何かについて考えるためのヒントになるかもしれない。第11章には、「日本旅館」をネットワーク化している星野リゾーツの星野氏へのインタビューもある。ことし(2014年)の夏には、なんと金融街の東京・大手町で「アマン」の第一号が誕生するようだ。

西欧とアジアが「植民地」という形で密接な関係をもつことになったのが「モンスーン・アジア」。インドネシアはジャワ島のスカブミ出身で、オランダ人入植者と華人系エリートの血を引く創業者エイドリアン・ゼッカもその一人であった植民地エリートたち。かれらのライフスタイルとイマジネーションが「アマン」的なものを生みだし、まずは仲間たちのあいだに、そして広く受容されるようになっていったのであろう。

そして「アマン」をインスパイアした大きな要素の一つが日本であるという事実。この事実は、本書である程度まで裏付けられているが、アメリカを含めた西欧、アジアそして日本という3つの枠組みで捉えることが、現代の東南アジアを考える際に重要な視点であることをあらためて強く感じるのである。このいずれを欠いても、現代の東南アジアは理解できないのだ。

テーマがテーマだけに、カタカナ比率が多くてやや読みにくい印象を受けるかもしれない。また「私」がやや多い印象を受けるのは難点かもしれない。だが、ホテルの世界もまた人と人とのつながりの世界であり、「アマン」であればそれはなおさらそうであろう。

このテーマが好きな人にとっては読み応えのあるノンフィクション作品であるといっていいと思う。かならずや知的好奇心を満足させてくれるはずだ。


画像をクリック!


目 次

プロローグ ジャワ島・スカブミへ
第1章 スリランカ 兄弟の庭
第2章 サヌールの夜 タンジュンサリとバトゥジンバ
第3章 三浦半島 ミサキハウスの休日
第4章 リージェントの伝説 バブルの夢の結末
第5章 スズ鉱山の島からリゾートへ プーケットの躍進
第6章 バリの原風景 ウブドの魔性
第7章 ライフスタイルの創出とアマンジャンキー
第8章 孤島リゾートとホスピタリティ
第10章 アジアンリゾートブームの舞台裏
第11章 日本人とアマンの夢
エピローグ アジアンリゾートの今、そして未来
あとがき
関係略年表
主要参考文献



著者プロフィール

山口由美(やまぐち・ゆみ)
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。旅とホテルを主なテーマにノンフィクション、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆している。日本旅行作家協会会員。日本エコツーリズム協会会員。2012年、『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』で小学館ノンフィクション大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


(ジャカルタの南にボゴール、さらにその先にスカブミ ここでゼッカは生まれた)




<ブログ内関連記事>

ホテル&リゾート、そしてスパ

「遊ぶ奴ほどよくデキる!」と喝破する大前研一の「遊び」の本を読んで、仕事も遊びも全力投球!

書評 『星野リゾートの事件簿-なぜ、お客様はもう一度来てくれたのか?-』(中沢康彦、日経トップリーダー編、日経BP社、2009)-「現場」がみずから考え実行する組織はどうやったらつくれるのか
・・日本型ホスピタリティである「お・も・て・な・し」を実現するのが「日本旅館」。この伝統的な「旅館」を独自性のある日本発のコンセプトとして現代に活かすかが課題

書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001)-「コンシェルジュ」という「ホスピタリティ」の仕事と「サービス」の違いとは?
・・ホスピタリティとはなにか?

滝川クリステルがフランス語でプレゼンした理由
・・(「お・も・て・な・し」のプレゼンをする滝川クリステルさん

タイのホテルの朝食はオールシーズン「フルーツ三点セット」-タイのあれこれ(番外編)

タイのスパ(spa) へご案内-タイのヒーリング・ミュージックを BGM に


戦後日本史

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"
・・バブル時代のライフスタイル

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史


現代インドネシア

映画 『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)-インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!
・・スカルノからスハルト開発独裁体制への権力シフト時に起こった大虐殺

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・大東亜戦争中の日本占領時代のジャワ島の捕虜収容所が舞台

書評 『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーセン、加藤剛訳、NTT出版、2009)-日本限定の自叙伝で名著 『想像の共同体』が生まれた背景を知る ・・インドネシア政治を人類学的フィールドワークで研究したベネディクト・アンダーセン


西欧による植民地化とアジア

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる ・・ボゴールの植物園。モンスーンアジア

なぜ「経営現地化」が必要か?-欧米の多国籍企業の歴史に学ぶ
・・・グローバルビジネスの原型である「オランダ東インド会社」についての記述あり  「「植民地」における企業経営の経験が非常に大きいと思われます。 英領インドにおける英国の東インド会社(East India Company)、蘭領東インド(=現在のインドネシア)におけるオランダの東インド会社が典型的な事例です。英国とオランダの双方に本社のある、エネルギーのロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell)や、食品のユニリバー(Unilever)のような英蘭系グローバル企業は、その最右翼というべきでしょう。 要は、限られた駐在員ですべてをこなすのは不可能なので、「二重支配体制」を創り上げたのです」

書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!
・・英語をつかい英語をつうじて西欧に開かれたマインドをもつ「アングロチャイニーズ」という華人系の時代


現代の東南アジアは「現地」と「日本」と「米国を筆頭とする西欧」の「三点測量」で見よ

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ
・・「英語をつうじて西洋人の目に映る日本」と、「タイ語をつうじてタイ人の目に映る日本」のいずれにも熟知しているこの作家がみる日本・・(中略)・・「西洋人の目」とは、いわゆる「オリエンタリズム」のプリズムをいったん通過した日本であり、龍安寺の石庭や高野山といった、伝統的で、精神的な日本である。後者の 「タイ人の目」とは、著者と同世代以下のタイ人がものごころついてからドップリと浸かってきた日本のマンガでありアニメをつうじたものであり、また日本映画をつうじて同世代以下の一般のタイ人には親しい世界である。」

(2016年3月15日 情報追加)


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2012年7月27日金曜日

「遊ぶ奴ほどよくデキる!」と喝破する大前研一の「遊び」の本を読んで、仕事も遊びも全力投球!




「勉強本」ばっかり読んでいても仕事ができるようにはならない。

遊ばないヤツは、仕事もできないのだ!

どうせ読むなら、「遊ばないヤツは、仕事もできない!」と喝破する大前研一の「遊び」の本を読んで、仕事も遊びも全力投球するべきだ!!

これまで読んできた大前研一の「遊び本」を最近のものからが逆順に並べてみるとこんな感じになる。


●『旅の極意、人生の極意』(大前研一、講談社、2006)
●『遊ぶ奴ほどよくデキる』(大前研一、小学館、2005)
●『遊び心』(大前研一、学習研究社、1988)


こう並べてみると、1980年代後半に社会人になって、しかもコンサルティングファームなんかに入ったので、大前研一から大きな影響を受けていることを感じる。

大前研一の『企業参謀』は当時の愛読書だったが、その延長線上で『遊び心』もまた1980年代後半には愛読していたというわけだ。『遊ぶ奴ほどよくデキる』 は、その後の展開もふくめた最新版ということになる。

ともに、いわゆる自己啓発書ということになるのだろう。

ワークライフバランスをダイナミックに展開するとこういう風になるということだ。ワークだけでなく、ライフの面においても、知らず知らずのうちに大前研一の考えが自分のなかで血肉化しているのをあらためて感じる。

遊びとしては、なんといっても旅がいい。

若い時は貧乏旅行もいいが、すこしカネができたら知恵をめぐらして、高級リゾート地の高級ホテルを格安で利用することも視野に入れるべきだろう。その意味では『旅の極意、人生の極意』は、よきガイドになる。学生時代、通訳とツアガイドで稼いでいたという大前研一ならではの内容だ。ぜひ最新版改訂版がほしいものである。

旅先で本を読むのもまた一興だ。

旅という非日常的な環境に身をおくこと自体が、五感をフルに解放することになるだけでなく、旅はゆたかな経験となって、エピソード記憶として刻み込まれることになる。

そして、そんな経験とあわせて本を読めば、かけ算でゆたかな経験となって脳裏に刻み込まれることになるわけだ。

豊富なエソード記憶こそ、イノベーション発想の原点。ビジネス書というサプリメントだけを読んでいたら、カラダもココロもやせほそるばかり。

「引き出し」を増やしたかったら遊ぶべし!

夏こそ遊べ! 遊ばないヤツは、「専門知識は豊富でもツマライナイやつ」(拙著の副題)になってしまうぞ!










<ブログ内関連記事>

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

『BBT on DVD 大前研一LIVE』(トライアル版)を視聴してみた

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために




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2010年3月31日水曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直  (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)




(インレー湖を手漕ぎ舟で行く住人)

 前回からインレー湖入りしたわけだが、「一日ボートツアー」でだいたいの観光名所はまわり尽くしてしまうので、半日ボートツアーを2回にして、ゆったりとした滞在にするのもおすすめである。インレー湖では、せわしなく動き回るようなことはしたくないものだ。

 観光名所は、南北に細長い湖の南半分に集中しており、ファウンドーウー・パヤーという水上寺院、ジャンピング・キャットで有名なガーペー僧院、高級絹織物や高級蓮糸織物で有名なインポーコン、それに少し遠出していく仏塔の廃墟群ので有名なインデインなどに限られる。
 つまり一日ツアーで、ほぼ回るべき場所は終わってしまうのだ。観光名所のいくつかについては、のちほど紹介はしておこう。


 観光名所にいくのもいいが、やはりなんといっても面白いのは、モーター付きのロングボートでインレー湖を走り回ることである。インレー湖の北半分は湖が拡がっており、私がいったときは霧がかかって、湖水と曇り空の境目がはっきりしないような空間を、ひたすらモーターボートが快音を響かせながら、北へ北へと走るという、なんだかややシュールな感じもなくはなかったのだが、南半分は水上の浮島(floating islands)に人家や畑が密集し、浮島と浮島のあいだ、人家と人家のあいだが運河のような感じになっており、まるでヴェネツィアを隅から隅までヴァポレットで移動してまわっているかのような気分になれるのだ。だから、インレー湖は「東洋のベニス」なのである。

(まさに「東洋のベニス」)

 私が訪れた3月後半は乾期が終わって暑気になる前なので乾燥しており、水位も下がって2メートルくらいしかないらしい。雨期に増水する際には6メートルくらいまで水位が上がることもあるらしい。
 しかし浮島であるかぎり、水位の変化には対応できるのである。ただし、流されてしまわないように水底に杭をうっておく必要はあるが。
 もっとも人家は水底に杭を打って建設しており、木造の高床式建築になっている。これがまた、ヴェネツィアのようで面白い。もちろんヴェネツィアの場合は、石造の建築物だが、舟が唯一の交通手段であるということは共通している。



 さて、本題に入ろう。インレー湖で食べるトマトサラダがなぜうまいのか?

(トマトサラダ こいつは美味い!)

 もちろんミャンマー風サラダドレッシングがうまいということもある。ゴマだれとピーナッツだれがミックスしたドレッシングは実にトマトに合っていて、これだけでミャンマー・ビアとの相性も抜群である。
 でもそれだけでなく、トマト自体がうまいのだ。皮がやや固いが、これは何よりも天然物の証拠、見た目と舌触りが赤いピーマンに似ているが、同じナス科の植物なのでも不思議ではない。

 インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)、それは「水耕栽培」にあったのだ!

 水耕栽培というと、日本ではいま話題になっている、屋内の「植物工場」がアタマに浮かぶだろう。パイプのなかを肥料が溶こまれた水が循環しており、土をいっさい使わずに、非常に衛生的に野菜を栽培することができるのが水耕栽培である。この分野では日本が先進的で、環境的に厳しい中近東向けにも輸出商戦が活発化しているというやつである。

 ところが、インレー湖の場合はまったく異なる。屋外天然の「植物工場」なのだ。

(インレー湖の水耕栽培トマト)

 先にもかいたように、インレー湖には浮島が80近くあるらしいが、インダー族は湖で漁業を行うだけでなく、浮島の上に作った畑で野菜の栽培も行っている。ざっと見た限りでは、トマト(上写真)、かぼちゃ(下写真)、へちま、などなどが栽培されているようだ。

(舟いっぱいに積まれたカボチャ)


 浮島は、インレー湖にはふんだんに存在する浮き草のうえに藻や泥で盛り土をして作られており、流されないように湖底に木の杭をうって固定されている。また、湖底の泥を掬いだしては、盛り土をして固めている光景が、インレー湖のあちこちでみることができる。
 この浮島に各種の野菜類を栽培しているわけだが、水分は植物が自ら湖から直接吸い上げるので水をやる必要はない。野外なので自然の太陽光がふりそそぐし、温度調整も必要ないので燃料費もかからないきわめて省エネな「植物工場」というわけなのだ。

 私は農業技術の専門家でもないし、「浮島による水耕栽培」のメカニズムも実際に検証しているわけではないが、きわめてユニークな栽培方法であると思う。まさに長年の知恵のかたまりといえるだろう。

(浮島での水耕栽培)

 浮島であるがゆえに、人々は作物の手入れは舟をあやつって、舟の上から行っている。この風景だけみれば、タイのサムット・サコーンの水上ワイナリー(Floating Winery)みたいだが、インレー湖の場合は、作物は浮島の上で栽培しているのが大きな違いだ。
 ただ、浮島が土地とみなされるかどうかはわからないし、権利関係がどうなっているのかもわからない。おそらく慣習法が支配する世界なのだろうが。
 それにしても、このインダー族の生活慣習というのは実に興味深いものがある。実に環境に適応して生きてきた人々であるのだ。



 そんなことを考えながら、水上レストランで昼食をとった。ミャンマー・ビアに、インレー湖でとれた魚を使ったシャンカオスエ(=シャン州の麺)、そしていうまでもなくトマトサラダ。
 こういう組み合わせもなんだか、という感じがしなくもないが、油ギチギチのカレーだけがミャンマー料理ではないのである。

(ミャンマービアで乾杯!)

 うーん、しかしなんといっても、ミャンマー・ビアがうまい! 昼から飲むビールは最高だ。しかも、ミャンマー・ビアは数々の賞を受賞しただけのものはある。のどごしさわやか、しかもキレがある。いまミャンマー全土でミャンマー・ビアが席巻しているのは理由(わけ)があるのだ。

 インレー湖は、リゾート気分でのんびりと滞在するに限る!


 (インレー湖 ③)につづく



PS 写真を大判にし、あらたにキャプションを加えた。内容には手は入れていない(2015年10月4日 記す)


<関連記事>

・・「浮き畑が、湖を徐々に窒息させつつあると懸念する声が上がっている。肥料や農薬、排水などに含まれる化学物質や腐った浮草なども問題となっている。浮き畑で栽培する作物には、根覆いが必要だ。しかし、そのために使われている水草のホテイアオイが過剰繁茂し、他の植物の光合成を遮って、湖の酸素濃度を低下させてしまう。ミャンマー政府の報告書によると、1992年~2009年にインレー湖の浮き畑面積は6倍に増えた。今も栽培面積は拡大する一方だ。」
⇒ そんな状態になっているとは!


(2024年1月2日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・水耕栽培という本質において、インレー湖の農業は植物工場との共通点がある

(2015年10月4日 項目新設)





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2010年3月30日火曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直  (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)




 「ミャンマー三度目の正直」、やっと憧れのインレー湖でリゾート三昧してきた。私にとっては、13年目にやっと解決した「懸案事項」なのである。やっとインレー湖にいくことができたのだ。


 インレー湖は「東洋のベニス」だ! 一言で要約すればそうなる。
 ベニス(Venice)とは昔の英語風ないいかたで、本当はイタリア語風にヴェネツィア(Venezia)といいたいところなのだが、「東洋のベニス」というフレーズがすでに定着しているので、あえて使うことにする。

 ベニス(ヴェネツィア)とはアドリア海に面したイタリアの都市で、あえて説明するまでもないと思うが、市内に網の目のようにはりめぐされた運河が市民の交通手段で、自動車は一台も乗り入れできない都市である。もちろん観光客も同様で、有名なゴンドラは現在では観光客のみが相手だが、ヴァポレットという中型の水上乗り合いタクシーが運河を行き交っている。

 「東洋のベニス」とはどこか? 19世紀には、タイのバンコクのことを指していたらしい。らしい、というのは、現在のバンコクは運河の大半は埋め立てられ、自動車の道路となってしまっており、生き残った運河もゴミが捨て放題で悪臭の発生源になってしまっている。

 東京と同様、バンコクもまったく風情のない都市と化してしまっているのである。東京銀座の数寄屋橋もかつては運河だったのだが・・・。バンコクもかつての「東洋のベニス」を偲ぶことができるのは、昔の世界を題材にした映画作品のなかだけだ。

(インレー湖をめぐるクルージングにて)


 ではインレー湖がなぜ「東洋のベニス」なのか? こんなこといっているのは多分私だけだろうから、写真で示すのがベストでしょう。

 写真はおいおい紹介していくこととするが、インレー湖でも居住地域は、浮島が多数あって浮島の間の舟の通路が実質的に運河のようになっているからだ。これがヴェネツィアのような印象を受けるのである。


 さて、インレー湖への行き方だが、ヤンゴンからどういくかを簡単に説明しておこう。私がインレー湖に滞在していたのは、2010年3月17日から19日までの三日間である。

 自動車や鉄道でもいくことは可能だが、時間が潤沢にある人以外は、国内便の航空路線があるのでそれを利用することをすすめる。ただし片道でも1万円近くするので安くあげたければ陸路という手もある。要は、あなたの単位あたりの時間価値をどう評価するのかという問題である。

 今回、私はエア・バガン(Air Baganを利用した。ヤンゴン国内空港からマンダレー経由でヘーホー(Heho)まで飛ぶ。9ヶ月前にミッションに参加してきたときも、同じくエアバガンでマンダレーにいっている。

 ミャンマーの玄関口であるヤンゴン国際空港は、きれいで立派なものとなったが、エアバガンは旧国際空港の建物を使用しているので、ものすごく古くて汚い。行きはさることながら、帰りの便で驚いたのは、なんとバゲージ用のターンテーブルもない(!)ので、荷物はそのまま一つ一つおろしていくのだ。


 さてヘーホー空港に着くと、クルマでインレー湖の玄関口ニャウンシュエ(・・・ミャンマーはなぜだか、ミャンとかニャンとか、猫語みたいなコトバが多いね~。今回はとにかく猫づくしだったが、この話はまた後ほど)まで約1時間走ることになる。国内交通にかんしてはあらかじめ旅行代理店をつうじて手配を頼んでおいたほうがいい。そのほうが現地でふっかけられる心配もないのでかえって安心である。

(ディーゼル機関車が牽引する客車がのろのろと峠越え)

陸路をしばらく走ると山を一つ越えることになる。これがなかなか景色がよい。峠越えのドライブはなかなか興趣のあるもので、もしチャンスに恵まれれば、平行して走るミャンマー国鉄の列車に遭遇できるかもしれない。ちなみに、私はラッキーなことに、インレー湖からの帰途、「撮り鉄」と化したのであった。しかし、眺めている限り超スローモーな走りで、よっぽど時間のある人でなければ鉄道利用は・・・


 峠を越えると、あとは平野のなかの平坦な道をひたすら走る。

 ニャウンシュエにいく途中に、シュエヤンウェ僧院がある。この僧院は現在でも現役の木造建築の仏教僧院であるが、隣接する仏塔の内部が素晴らしい。

(シュエヤンウェ寺院)


 仏塔内部の壁のくぼみ(・・これを語の本来の意味でニッチという)の一つ一つに、信者から寄進された小さな仏像が収められており、非常に素晴らしい空間を作り上げている。いまから15年前に訪れた、インドのラダック地方にあるチベット仏教の僧院アルチ・ゴンパの壁画を思い出した。内容的には、十分に匹敵しうるる、美術的にも実に素晴らしいものである。必見だ。

(シュエヤンウェ寺院の壁龕の仏像群)


 ちょうど私がいったときは田植えの季節であり、農民が総出で田植えをしている風景に出会った。苗代で育てた苗を手で植えていくのは、日本とまったく同じである。

(ニャウンシュエ付近 ミャンマーの田植え)

コメ作りがすべての基礎にあるミャンマーは、やはり日本とよく似た世界なのかもしれない。別のクルマで走っていた西欧人のグループが"鬼のように"ビデオを回していたが、彼らの目に写る田植え風景は、間違いなく「エキゾチック・アジア」なのだろう。だが、日本人である私には懐かしい(!)風景なのであった。


 そうこうするうちにいきなり自動車の旅は終わる。ニャウンシュエである。ここで自動車を降りて、ボートに乗り換えることになる。いよいよインレー湖エリアに入ったのだ。コテッジの連絡所で、モーター付きのロングボートは約1時間の旅となるので、お手洗いを済ませるようにいわれる。

(ニャウンシュエで舟に乗り換え)

 ポーターが私のスーツケースをかついでボートに積み込む。そうなのだ、ここから先はもう自動車ではアプローチできないのである。まさに、ヴェネツィアなのだ。「東洋のベニス」のはじまりである。

 モーターボートは最初は濁った水路をひたすら走っていくが、しばらくすると広い湖水にでる。なんだか、ベトナム南部のメコンデルタのような雰囲気を味わえる。ボートが湖に入ると水は澄んで、空気も冷たくなる。ここをひたすら波を切りながら走っていく。

 行き交うのは、観光ポスターにもなっている、インレー湖の住民インダー族による、独特な方足漕ぎ漕法で舟を操る漁民たち(冒頭の写真)。おお、ついにインレー湖に来たのだ(!)という感激に浸る私である。

(ゴールデンアイランドコテッジが目の前に)


 そして約1時間のモーターボートの旅が終わりに近づくと、目指すべき水上ホテルが遠景から視界に入ってくる。今回予約したのは、ゴールデン・アイランド・コテッジⅠ(Golden Island Cottage Ⅰ)、湖水のなかにある、文字通り舟でしかアプローチのできない水上ホテルである。これがインレー湖なのである。これが高原の水上リゾートなのである!

(ゴールデンアイランドコテッジにチェックイン)


 ホテルの従業員たちが楽器を鳴らしながら歓迎してくれるにもうれしいものだ。こうして早朝にヤンゴンをでて、航空機・自動車・モーターボートと乗り継いで、昼前にはホテルにチェックインすることができた。


 さっそくランチはホテルのレストランでとって腹ごしらえをする。ミャンマー・ビアと麺、そしてトマトサラダを頼み、テラスで湖水を見ながら食事をする。

 冷えたミャンマー・ビアがうまい、そしてうれしい誤算がトマトサラダだった。ゴマとピーナッツのドレッシング(?)のかかったトマトサラダが実にうまい。私はインレー湖に滞在していた足かけ3日間、昼と夜はひたすらトマトサラダを食べ続けることになるのだった・・・。インレー湖で食べるトマトがうまい理由(わけ)は、じきにわかることになる。

 この日は午後からボートによる半日ツアーに、翌日も半日ツアーでボートを繰り出すことになるのだが、このツアーについての紹介は、次回のお楽しみとしておこう。


(インレー湖 ②)につづく


PS 見やすくするために写真を大判に変更し、行替えを増やした。内容にはいっさい手は入れていない。(2016年6月21日 記す)


<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

三度目のミャンマー、三度目の正直 (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・

(2015年10月4日 項目新設)
(2016年6月21日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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