「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2010~2016 禁無断転載!



2013年12月28日土曜日

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流


アメリカ東海岸のニューイングランド地方には、明治時代初期には日本からの留学生が集中していた。本書は、マサチューセッツ州の州都ボストンに集まっていた日本留学生と、「ブラーミン」(=バラモン)と呼ばれていたボストンの上流階級との交流を描いた歴史探究ものである。

ボストンというとボストンマラソンを連想する人や、ハーバード大学や MIT(マサチューセッツ工科大学)などの世界的な有名大学、ボストン美術館やボストン交響楽団などの文化を連想する人もいるだろう。

大学や美術館などがボストンに集中しているのは、じつはボストンはもともとアメリカが植民地だった頃からの歴史ある都市で、中国や日本との国際貿易や金融で富を蓄積した都市だったからである。

そのボストンの上流階級がインドのカースト制の頂点に位置する「ブラーミン」(Brahmin)と呼ばれていたのは、「狭いボストンの中でも限られた高級住宅地に屋敷を構え、結婚やビジネス、社交活動などを通して緊密なネットワークで結ばれていた」(P.31)からだ。

ボストン美術館に招聘されて中国・日本美術の責任者であった岡倉天心とも密接な関係のあったフェノロサやビゲロー自前の天文台で冥王星の存在を予言し日本研究家でもあったパーシヴァル・ローウェルなど、みなボストン・ブラーミンである。お雇い外国人として来日し、大森貝塚を発見したエドワード・モースもまたこの人脈につらなる「知日派」だ。

本書で特筆すべきは、極端な「欧化主義者」であったとして過激な「国粋主義者」によって暗殺されることとなった森有礼(もり・ありのり 1847~1889)の初代日本代理公使としての活動が、アメリカではおおいに評価されていたことを描いていることだろう。

(1871年 外交官として米国駐在時24歳!の森有礼 wikipediaより)

薩摩藩から英国に留学し、のちアメリカにわたって高度な英語能力を身につけキリスト教徒になった森有礼は、初代日本代理公使として主にアメリカとの交際事務と在米日本人留学生の監督が任務であったが、アメリカでは広範囲にわたる人脈を築き上げ文化広報の役割も果たしていた。

不平等条約改正を目的とした「岩倉使節団」とともに渡米した初代女子国費留学生の山川捨松(=大山捨松)や津田梅子のホストファミリー探しに奔走したり、日本理解を促進するための講演活動、英文著作の出版など、さまざまな文化戦略活動を行っていたのが森有礼である。一橋大学の前身である商法講習所は森有礼の創設であるがり、初期の講師陣は森有礼のアメリカ人脈を駆使したものであったことは意外と知られていない。

ボストン・ブラーミンだけでなく、日本側においても森有礼を中心としたアメリカ留学組の人的ネットワークが陰に陽に影響力をもっていたのである。この事実は意外と知られていない。

このほか、日露戦争の講和条約の仲介役を果たしたセオドア・ローズヴェルトのハーバード大学時代の同級生であった金子堅太郎(1853~1942)。彼は英語スピーチの研鑽にもはげんでおり、詩人ロングフェローとの親しい交流など、著者が滞米中に記者として調べ始めて発掘した日米交流誌の黎明期のエピソードが一冊にまとめられている。

(1872年 米国留学中19歳の金子堅太郎 wikipediaより)

「終わりに」で著者が述べている感想が面白い。

明治の留学生たちは、言わば「三生」を経験したといえるのではないか。江戸と明治とアメリカと。この類い稀な経験の持ち主である彼らが、今まで相応な扱いを受けてきたとは思えない。その意味で、本書で彼らの未知の部分に光を当てることができたとすえれば幸いである。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

「三生」(さんせい)とは、福澤諭吉の「一身にして二生(にせい)を経(ふ)る」というフレーズを踏まえたものだろう。たしかに、幕末から明治初期にアメリカ体験があるといっても、学生として滞米経験がある日本人留学生たちと、公的な使節団の一員として渡米した福澤諭吉とは、経験の内容と質が異なるのは当然だ。

そして明治初期に留学した「知米派」が消え去ろうとしていた頃、「岩倉使節団」がアメリカを訪問した1871年の70年後の1941年、ついに日米は開戦にいたる。

日米戦争の敗戦後に生きるわれわれは、どうしてもその歴史的事実を考慮の外に置くことはできないが、全身全霊でアメリカから貪欲に学ぼうとしていた頃の日本と、日本びいきであったアメリカ東部の上流階級との交流を知ることは日米関係史の原点を知るうえで重要だ。

ところどころに重要な指摘や仮説が提示されているので、近代日本の出発点を知るためには読む価値のある本である。





目 次
   
はじめに
第1章 ニューイングランド史に登場する日本
第2章 ジャポニズムの源流
第3章 ボストンの婆羅門、ブラーミン
第4章 西からの訪問者たち-日本人留学生
第5章 日本人の友、アトウッド
第6章 武士とブラーミン
第7章 知の饗宴、岩倉使節団歓迎晩餐会
第8章 留学生の架け橋
終わりに
参考文献
主要人名索引

著者プロフィール

塩崎 智(しおざき・さとし)
1961年、愛媛県生まれ。上智大学文学部史学科卒業、国際基督教大学大学院比較文化研究科修士課程を修了。渡米し、全日制日本人学校ニューヨーク育英学園教員を経て、邦字新聞、雑誌などを媒体に歴史ジャーナリストとして活躍。現在は、拓殖大学外国語学部教授(日米文化交流史)、武蔵大学人文学部非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・ボストン美術館の日本美術担当キュレータをつとめた岡倉天心。そもそもボストンは幕末以来、貿易をつうじて日本との深い縁がある。貿易をつうじて蓄積された富が美術館やオーケストラなど各種の文化遺産の背景にある

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた
・・当然のことながら岡倉天心とボストンの知的世界との関係についても触れてある。幕末以来、ボストンと岡倉天心の生まれた横浜とは貿易をつうじて密接な関係がある。フェノロサ、ビゲローはいわゆる「ボストン・ブラーミン」であった

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う
・・南北戦争頃までは、いわゆるアングロ・サクソン系白人の牙城だったボストンも、次第に政治的にはアイルランド系、経済的にはユダヤ系の台頭を見る。ワスプは舞台裏に追いやられるようになり・・」( 『アメリカ「知日派」の起源』 P.31)

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・ハーバードの学部の授業。大学院と学部は異なる存在。ハーバード・カレッジはリベアラルアーツ教育に専念

シリコンバレーだけが創造性のゆりかごではない!-月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2012年1月号の創刊6周年記念特集 「未来はMITで創られる」 が面白い


「一橋大学 昭和60年会(昭和56年入学)卒業25周年記念大会」(2010年11月13日)に出席
・・一橋大学の前身の商法講習所は森有礼の創設にかかる。初期の教師陣は森有礼のアメリカ人であった

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで! ・・ニューヨーク州トロイにあるRPIは1824年創立のアメリカ最古の工科大学。この町にあるトロイ・アカデミーにて目賀田種太郎(・・専修大学の創設者の一人)などの日本人留学生が勉強していたという

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)-政治というものの本質、政治的人間の本質を描き尽くした「一級の書」

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・幕末に密出国した新島襄は偶然からボストンで学ぶことになるが、新島襄はアメリカンボード系の人脈であり、三位一体を否定するユニテリアン派が多数を占めるボストン・ブラーミンとは縁がなかった

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・キリスト教徒にならなかった留学生

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本




(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end