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2013年9月9日月曜日

滝川クリステルがフランス語でプレゼンした理由

(「お・も・て・な・し」のプレゼンをする滝川クリステルさん)

2020年のオリンピック開催都市が東京に決定した。まずは一件落着といっていいだろう。

今回は最終段階で日本国の政治のトップである安倍首相みずからプレゼンをすると聞いていたので、結果についてはぜんぜん心配はしていなかった。さすがに最終決戦の相手がまさかイスタンブールとは想定していなかったが・・・

安倍首相のプレゼンは、ゆっくりとしたスピードで明瞭な発音の英語でたいへん評価できるものであった。トップが国際的な場で公的な発言をするということは、事実上の公約であるから、その重みはその他の政治家や役人の比ではない。

だが、今回のプレゼンでもっとも戦略的であったなと思わされたのは、リーアナウンサーの滝川クリステル氏のフランス語によるプレゼンである。英語ではなくフランス語だということに意味がある。

今回の勝利は、プレゼンもさることながら事前のロビー活動がおおきくモノをいったようだし、すでにネットでは滝川氏のフランス語プレゼン効果について指摘がされているので屋上屋に重ねることになるが、あえて一言さらに付け加えておこう。


オリンピックの第一言語は英語ではなくフランス語

オリンピック(IOC)の第一言語はフランス語なのである。なぜなら、オリンピックはフランスのクーベルタン男爵(1863~1937)が提唱した運動である。だから、現在にいたるまでフランス語が支配的なのである。

孫氏の兵法に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とあるが、まさにIOCの意思決定メカニズムやキーワードを知りつくしたうえで精密に設計し構築されたプレゼンであったといえよう。

「ロンドン・オリンピック 2012」開会式の「ヘイ・ジュード」-英国のソフトパワーここにあり! と題したブログ記事に書いた内容を再録しておこう。2012年のロンドンオリンピック関連ネタだ。

お気づきになった方もいるかと思いますが、開会式で使用されたコトバは、まずフランス語でつぎに英語でした。

ロンドンは英国の首都ですから英語が使用されていますが、英語圏以外では、フランス語、英語、現地語の順番になるようです。

近代オリンピックの提唱者は、よく知られているようにクーベルタン男爵ですが、この人はフランス人でした。スポーツの世界は基本的に現在でも欧州が仕切っていますが、近代オリンピックは英語支配の世の中である現代世界でも、いまでもフランスの息がかかっているというわけなのです。

スポーツの世界はまだまだ欧州が支配する世界。これが世の中の現実というものだ。

近代スポーツの大半は英国で生まれたが(・・例外はバレーボール、バスケットボール、ベースボールなどが米国生まれ)、オリンピックはフランスが仕切っているのである。サッカーもまた欧州勢が中心にある。


フランス語によって解決している国際問題もある

フランス語が近代オリンピックの第一言語であることはその成り立ちにもとづくものであるが、実際にフランス語が第一言語であることによって、微妙な国際政治問題がうまい具合に解決されている例を紹介しておこう。

それは日韓関係のことである。

英語だと韓国は Korea だが、フランス語なら Coreé du sud(=南コリア) である。英語のアルファベットだと K は J のあとになるが、フランス語のアルファベットだと C の Coreé は J の Japon の前になる。ちなみに北朝鮮は Coreé du nord(=北コリア)となる。

つまりフランス語だと韓国のほうが日本よりも先になるという話だ。

ただそれだけの話であるが、これくらいのことで韓国人が溜飲を下げてくれるなら安いものではないか。日本人からすれば、どうでもいいようなことではあるのだが。

このほか国際スポーツにおいては中華民国(=台湾)など国名でもめている問題もある。誰もがスポーツに政治を持ち込みたくはないだろうが、現実に問題が存在する以上、なんらかの解決策を検討するのは人間の知恵というものだ。

「名を捨てて実を取れ」というわけでもないが、ややこしい日韓関係もフランス語を使用すれば期せずして問題は解決しているという例である。


「英語至上主義」では読み誤る

わたしは大学時代に第二外国語としてフランス語を選択したのだが、その理由は高校時代に外交用語は英語とフランス語だという記事を読んだからである。いまでは英語の支配力がさらに拡大しているが、フランス語はまだまだ影響力が消えたわけではない。

とくにアフリカの旧植民地を中心にまだまだフランス語圏は多い。アジアではフランスの旧植民地であるベトナムでもカンボジアも英語化がすすんでいるが、世の中がすべて英語だと思い込んでいては、おおいに読み違えることもある。

日本人が国際社会で使用する言語は英語が前提になるが、国際社会の現実は「常識」としてアタマのなかにしっかりといれておくべきなのである。

もちろん、フランス語でプレゼンをやればそれでOKというほど世の中は甘くないのも事実ではあるが・・・



<関連記事>

【東京五輪】世界をメロメロにした滝川クリステルの「オ・モ・テ・ナ・シ」スピーチ(ガジェット通信 2013年9月9日)
・・このほか多数あり

「オリンピックはこうして決まった」(NHKクローズアップ現代 2013年9月9日放送の文字全文)




<ブログ内関連記事>

『恋する理由-私が好きなパリジェンヌの生き方-』(滝川クリステル、講談社、2011)で読むフランス型ライフスタイル

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・
・・日本とフランスの関係をサブカルチャーから考えてみる。フランスと日本は、知らず知らずのうちにお互い影響を与え合っている

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読むことなく明治維新を語るなかれ!
・・陸軍草創期はフランス人教官によってフランス語で士官教育が行われていた

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

書評 『マイ・ビジネス・ノート』(今北純一、文春文庫、2009)
・・フランス企業で活躍してきた著者によるビジネス書。論理志向のつよいフランス社会が実感的に理解できる



書評 『W杯に群がる男たち-巨大サッカービジネスの闇-』(田崎健太、(新潮文庫、2010 単行本初版 2006)





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2013年3月17日日曜日

書評『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない


「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない。東アジア情勢は急速に変化しつつあるのである。

韓国は朝鮮半島にある「半島国家」である。半島の地政学的条件とは大陸と陸続きであるということだ。地政学的条件は変えられないのである。たとえ大統領があたらしくなろうと、大陸国家の動向は無視できるものではない。韓国の命運を握っているのは中国だと韓国人が認識したとき、「離米従中」は不可避の動きとなる。

著者は前著 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)では、まだ不確定な要素もあるので、「思考実験」の結果は近未来シミュレーション小説という形にするしかなかった。だがこの本をすでに読んだ人なら、朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題だということが十分に理解できるだろう。

もちろんシミュレーション小説とは異なり、北朝鮮の金正日が突然死して金正恩が継承することは予想はできなかったが、地政学的条件を前にしたら政権トップが誰であろうがさほど大きな意味をもつものではない。

ウィットフォーゲルをもとにした社会科学者・湯浅赳男氏の「中心・周辺・亜周辺」フレームワークにおいては、「中心」に位置する中国、中国の「周辺」に位置するコリア(韓国・北朝鮮)にたいして、日本は「亜周辺」に位置するだけでなく、海によって「中心」から隔てられた「海洋国家」を本質とする。

韓国と日本とは、そもそも地政学的条件が違うだけでなく、価値観においても乖離(かいり)が始まっていることに注意しなくてはならないのである。

本書は、日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」というコラムですでに発表されているものを一冊にまとめたものだが、あらためて通読してみると、朝鮮半島問題とは中国問題なのであると痛感する。

「離米従中」する韓国は、米韓関係、中韓関係だけでなく、なんといっても米中関係という枠組みのなかで見なくてはならない。半島国家をめぐる状況はつねに複雑であり、それを見る視点も複眼的でなくてはならないのだ。

はたして韓国は日本と価値観を共有する国家といっていいのだろうか? 国家と国民のサバイバルは、その国家と国民じしんが決めることであるが、その結果が日本と日本国民にも降りかかってくる以上、注視しなくてはならないのである。

われわれにできることは、「離米従中」する韓国という認識を基本に据え、希望的観測は捨ててリアリズムに徹することである。

しかし、同時に忘れてはならないのは、中国も韓国もともに人的関係ということでいえば移民のネットワークをつうじて米国との関係が深いということだ。

米国か中国か二者択一となりがちな日本人的単細胞な発想では世の中を理解することはできないということは肝に銘じておかねばならない。






目 次

プロローグ 中国の空母が済州島に寄稿する日

第1章 「中国」ににじり寄る「韓国」の本音
 1. 米国に捨てられてきた韓国の覚悟
 2. 中国から "体育館の裏"に呼び出された韓国
 3. 「日本と軍事協定を結ぶな」と中国に脅された韓国
 4. 「尖閣で中国完勝」と読んだ韓国の誤算
 5.  【対談】漂流する韓国を木村幹・神戸大学大学院教授と読み解く

第2章 「日本」を見下す「韓国」の誤算
 1. 「7番目の強国」と胸を張る韓国のアキレス腱
 2. 「日本病に罹った」とついに認めた韓国
 3. 【対談】『老いていゆくアジア』の大泉啓一郎氏に聞く
 4. 【対談】真田幸光・愛知淑徳大学教授と「金融」から読み解く

第3章 「米国」と離れる「韓国」の勝算
 1. 韓国、「ミサイルの足かせを外せ」と米国に刃向かう
 2. 「明清交代」を受け入れる韓国人
 3. 中国包囲網目指し、米朝が野合する日
 4. 【対談】池上彰さんと語る朝鮮半島、そしてアジア

第4章 『妖怪大陸』を見つめる日本の眼
 1. 韓国は中国の「核のワナ」にはまるのか
 2. 【対談】「反日国家に工場を出すな」と主張し続けた伊藤澄夫社長に聞く

エピローグ 結局は「中国とどう向き合うか」だ

著者プロフィール  

鈴置高史(すずおき・たかふみ)
日本経済新聞社編集委員。1954年、愛知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。1977年、日本経済新聞社に入社、産業部に配属。大阪経済部、東大阪分室を経てソウル特派員(1987~1992年)、香港特派員(1999~2003年と2006~2008年)。04年から05年まで経済解説部長。1995~96年にハーバード大学日米関係プログラム研究員、06年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)ジェファーソン・プログラム・フェロー。「中国の工場現場を歩き中国経済のぼっ興を描いた」として02年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



PS 続編の 『中国という蟻地獄に落ちた韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)が、11月30日に出版されました。


目 次

プロローグ 米中両属の韓国
第1章 北京にひた走るソウル
第2章 「北の核」が背中を押した
第3章 よみがえる「華夷意識」
第4章 日韓は米中の代理戦争を戦う
エピローグにかえて 近未来予測・米中首脳会談
半島の「非核・中立」化で手打ち 韓国はパキスタン目指し、カンボジアに


<関連サイト>




「日韓併合100年」に想うこと (2010年8月22日)


地政学で国際情勢を考える

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える

(2014年4月8日 情報追加)







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2010年10月30日土曜日

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる




 月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版)の「アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革かそれとも日本システムからの退出か 1986-2010」の献本が、「R+ レビュープラス」から届いたので、目をとおしてみた。


このアンソロジーの構成

 ではまず、論文タイトルと筆者、そして論文のサマリーと論文発表時点の筆者略歴をじっくり読んでみよう。「日本的制度」を軸にして、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」に発表された論文、とくに米国人による諸論考を集成したアンソロジーになっている。

 収録された論文は、1986年から2010年までの約25年間をカバーしている。これは元号でいえば、ほぼ「平成」の歴史そのものである。

 「昭和」の後期が、高度成長と盤石な「日本的システム」による「世界の一等国」としての確立の歴史であったとすれば、「平成」の歴史とは、安定していた「日本的制度」に揺らぎが生じ、アイデンティティを巡ってもがき苦しむ年月であるということもできようか。

 とりあえず、ここでは論文タイトルと筆者名を、雑誌掲載順に並べて紹介しておこう。なお、( )内の年月と肩書きは、論文発表時点のものである。


第一章  制度改革、それともシステムから退出するか?

「日本システムから脱出する企業と個人」(2001年9月号 レオナード・J・ショッパ/バージニア大学准教授)

「行政指導と終身雇用の終わり-「日本株式会社」の復活はない」(1993年6月号 ピーター・F・ドラッカー/クレアモント大学院大学教授)

「日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」」 (1997年4月号/マイケル・ハーシュ & E・キース・ヘンリー/それぞれ、「ニューズウィーク」誌国際版ビジネスエディター、MITシニア・リサーチ・アソシエート)


第二章 日本的制度とは何か

「超えられなかった過去-戦後日本の社会改革の限界」(1999年9月号 ウォルター・ラフィーバー/コーネル大学歴史学教授)

「日本問題-異質な制度と特異性に目を向けよ」(1986年1月号(『諸君』) カレル・ファン・ウォルファレン/オランダ人ジャーナリスト)

「1940年体制の弊害を克服するには」(2002年1月号 ウィリアム・H・オーバーホルト/ハーバード大学アジアセンター研究員)

「官僚と政治家が日本を滅ぼす?」(2000年7月号 オーレリア・ジョージ・マルガン/豪州ニューサウスウェールズ大学政治学教授)


第三章 変化する国内・国際環境に日本は適応できるか

「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」(2010年3月号 ジョージ・パッカード/米日財団会長)

「日本の歴史認識と東アジアの和解を考える-反動を誘発する謝罪路線の危うさ」(2009年5月号 ジェニファー・リンド/ダートマス大学助教授)

「高齢社会が変える日本経済と外交」(1997年6月号 ミルトン・エズラッティ/投資顧問会社ロードアベット パートナー)

「米恐慌型経済への回帰」(1999年2月号 ポール・クルーグマン/マサチューセッツ工科大学教授)

「論争 グローバル経済危機はいつまで続くのか-日米、二つの経済バブルを検証する」(2009年7月号 リチャード・カッツ & ロバート・マッドセン/それぞれマサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロ-、オリエンタル・エコノミスト・アラート誌編集長)



タイムラインに沿って、日米関係の枠組みのなかで「日本問題」を考えてみる

 先にも書いたように、このアンソロジーは、「フォーリン・アフェアーズ」編集部によるテーマ別の整理がされている。

 私は、このアンソロジーは、全体が「日本的制度」問題関連の論文集と捉えているので、一つの読み方として、論文発表時点のタイムラインにあわせて読んでみたいと思う。その時々の外部環境を前提に読んだほうが、理解しやすいと思うからだ。

 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」という文脈でみれば、これは端的にいって、日米関係における日本の位置づけをめぐる議論ということになる。

 「平成」の歴史そのものとオーバーラップするこの25年間とは、日米関係における日本と米国の力関係の変化が徐々に変化していった歴史である。この時期は、私見では、3つに分類することができる。

 第1期は、1980年代後半は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に褒め殺されていることにも気がつかずにユーフォリアに浸りきっていた陶酔の時代

 第2期は、日本にとっては、1991年のバブル崩壊後の「失われた20年」。この期間は、米国はクリントン政権のもと、金融と IT を中心としたイノベーションで経済力を回復し、日米逆転状況となる。力関係の逆転状況において、「日本的制度」が徹底的に批判され、米国政府による「日本改造計画」が着々と実行されていった時代。この後、米政権は共和党のブッシュ・ジュニアに移るが、日本の小泉政権との蜜月のもと、前政権の政策はさらに露骨に実行されていった。「日本的制度」の堀り崩しが
 安全保障面では、ソ連崩壊によって冷戦構造が崩壊したあと、米国は次なる仮想敵を求めて模索していた時代である。2001年の「9-11テロ」が発生することによって、イスラーム過激派が仮想敵と決定されるまでは、日本が仮想敵とされていた時代もあったのだ。

 第3期は、2008年の「リーマンショック」に端を発する、米国経済復活を支えていた金融資本主義に大きな欠陥があることが判明して以後と米国経済の弱体化の時代
 しかしこの時期は、日米関係だけをみていれば、米国が日本の失敗を徹底分析する時代であるが、中国の政治経済両面における台頭というファクターが無視できないものとして浮上してくる。この文脈においては、日本も米国も、ともに弱体化しつつあることが、それ以前の時期とは大いに異なる状況だ。
 「日本的制度」をめぐる議論は、日米関係という二者関係のなかだけで論じることはもはや不可能である。日中関係、米中関係、日米関係は、日中米というトライアングルのなかで見ていかなければもはや意味をなさない。
 これ以前の時代がそうでなかったわけではもちろんないが、政治と経済が不可分の実態である以上、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」的な、政治経済という視点でものをみることは、従来にまして重要性を増してくるだろう。

 以上みてきた、3つの時代区分は、私なりに整理するとこんな感じになる。

1. 1980年代後半「バブル時代の日本」-「日本異質論」の先駆け
2. 米国による「バブル経済崩壊後の日本的制度」改造計画の外圧
3. 「リーマンショク」後の弱体化する日本と弱体化する米国、そして中国の台頭


 このようにタイムラインで並べ替えてみると、「日本的制度」にかんする議論とは、日本国内からでてきた議論というよりも、「日本異質論」に始まった、日本の外側から指摘が始まった議論であるということがわかる。
 バブル期に自身満々であった日本は、こういった議論にはまったく耳を貸さなかったが、バブル崩壊後、長引くデフレ状況のなか、外部からの批判に対して自己改革できないもどかしさに、鬱積(うっせき)が蓄積していった時期でもある。

 以下、アンソロジーに収録された論文をざっと見ておきたい。米国が日本をどう見ていたのか、どんような圧力をかけようとしていたのか、時系列で振り返ると歴史的経緯がよく把握できる。


1. 1980年代後半「バブル時代の日本」-「日本異質論」の先駆け

 まず、「日本問題-異質な制度と特異性に目を向けよ」(1986年1月号(『諸君』) カレル・ファン・ウォルファレン/オランダ人ジャーナリスト)について。いまから、すでに24年前の論文である。
 この論文によって、「日本異質論者」として登場したのが、オランダ人ジャーナリストのカレル・ファン・ウォルファレンであった。1989年に出版された著書 『The Enigma of Japanese Power 』は私も当時読んだが、「だからどうした、日本は成功しているのだ」という根拠なき自信(?)に充ち満ちていた当時の日本であった。この主著の日本語訳は、現在では『日本 権力構造の謎 上下』(篠原勝訳、ハヤカワ文庫NF、1994)として読むことができる。
 「日本的制度」に切り込む姿勢を見せたこの論文を再録していることは、歴史的記念碑としての意味はあるだろう。ただし、時代背景を正確に再現しながら読むことが必要だろう。


2. 米国による「バブル経済崩壊後の日本的制度」改造計画の外圧

 このアンソロジー集ではもっともボリュームが大きいのが、1990年の「バブル経済」崩壊後から、2008年までのあいだの20年間弱に発表された 7本の論文である。

 テーマは、世界に恐れられた日本のイメージが消え去り、「成功のワナ」に捉えられた日本が、自らの改革を躊躇していた状況。そしてこれに、いらだちを強め圧力をかけ続けていた米国。
 仮想敵であったソ連が1991年に崩壊したあと、冷戦崩壊後いまだ米国にとっての仮想敵が絞り切れていなかったが、9-11でイスラーム過激派にフォーカスが合わされるまでは、日本が仮想敵として想定されていたことも思い出すべきだろう。

 私は、1990年から1992年にかけて米国の工科大学の大学院に留学していたが、ある教授からの依頼で日本の競争力分析プロジェクトの手伝いをさせられたが、この時代の「日本的制度」改造論は、すでに入念に準備されていたことを理解している。

 「日本叩き」、「スーパー301条」、「日米構造協議」、こういったキーワードがこの時期を象徴的に示している。


 「行政指導と終身雇用の終わり-「日本株式会社」の復活はない」(1993年6月号 ピーター・F・ドラッカー/クレアモント大学院大学教授)は、いま再びブームになっているドラッカーによるものである。日本熟知する「社会生態学者」による論考は、「日本的制度」の転換期の状況をよく指摘している。

 「日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」」 (1997年4月号/マイケル・ハーシュ & E・キース・ヘンリー/それぞれ、「ニューズウィーク」誌国際版ビジネスエディター、MITシニア・リサーチ・アソシエート)は、1998年に始まる不良債権問題の決壊前夜の、非金融業の国際的ブランドをもつ製造業動きをマルチナショナル企業化への動きとして肯定的に論じている。

 「高齢社会が変える日本経済と外交」(1997年6月号 ミルトン・エズラッティ/投資顧問会社ロードアベット パートナー)は、2010年の現在すでに顕在化している問題について、かなり早い時期に指摘を行っている。経済的な基盤の変化が外交安全保障に与える影響について。

 「米恐慌型経済への回帰」(1999年2月号 ポール・クルーグマン/マサチューセッツ工科大学教授)は、1997年のアジア金融危機を予言的に警告していた経済学者による論考。1998年には拓銀(北海道拓殖銀行)と山一証券破綻、この論文がでたあと長銀(日本長期信用銀行)と日債銀(日本債券信用銀行)が破綻したことを思い出すべきだろう。日本国内でも「昭和恐慌」の振り返りがさかんに行われていた。

 「超えられなかった過去-戦後日本の社会改革の限界」(1999年9月号 ウォルター・ラフィーバー/コーネル大学歴史学教授)は、日本でも話題になった、ジョン・ダワーの『敗戦を抱きしめて』(岩波書店、2001 原著出版は 1999年3月)の書評の形をとった論考。あくまでも占領軍であった米国の立場からみた「日本的制度」論である。

 「官僚と政治家が日本を滅ぼす?」(2000年7月号 オーレリア・ジョージ・マルガン/豪州ニューサウスウェールズ大学政治学教授)は、このアンソロジーのなかでは唯一の非米国人による論考。著者はオーストラリア人である。2000年7月当時の首相は、自民党の小渕首相が倒れたあとの不透明な経緯で就任した森首相。この時代背景のもとに読むと、アクチュアルな姿勢が感じ取れる。

 「日本システムから脱出する企業と個人」(2001年9月号 レオナード・J・ショッパ/バージニア大学准教授)は、経済学者ハーシュマンの有名な「発言か退出か」というフレームワークをもとに議論を展開している。本アンオロジーの表紙にも記されている、Foreign Affairs Essays on Japan: Voice or Exit from the System ? の "voice or exit" である。この論考の呼びかけに応じるかのように実現した、2009年の「政権交代」は、日本国内からでてきた「発言」(voice)であったのだが、この国民の発言(声)に十分に応えることのできない民主党政権は・・・

 「1940年体制の弊害を克服するには」(2002年1月号 ウィリアム・H・オーバーホルト/ハーバード大学アジアセンター研究員)は、過去の成功を創り出した「1940年代体制」(・・この表現自体は経済学者・野口悠紀夫のものだろう)という「成功のワナ」に捕らわれたまま身動きのできない日本への、投資銀行のエコノミストとしてアジア各地で過ごしてきた執筆者からみた正確な見取り図はバランスのとれたもので、2010年の現時点から読んでも説得力がある。


3. 弱体化する日本と弱体化する米国、そして中国の台頭

 2008年の「リーマンショック」によって、米国経済自体の脆弱化が明らかになってきており、この前の時代のような、米国による一方的な対日圧力という構図が成立しなくなってきた時期である。

 そして、2009年は周知のとおり、「政権交代」によって民主党が政権を握り、自民党政権が野に下った年である。以後、現在にいたるまで、台頭する中国をめぐって日米関係が漂流していることは、とくに安全保障面において大きな問題を引き起こしている。

 米国に次ぐナンバーツーの一からの転落傾向の始まっていた日本は米国にとってどのように写っているのだろうか。


 「日本の歴史認識と東アジアの和解を考える-反動を誘発する謝罪路線の危うさ」(2009年5月号 ジェニファー・リンド/ダートマス大学助教授)の原題は、The Perils of Apology(謝罪の禍い)、Jennifer Lind, Sorry State: Apologies in International Politics, Cornell Univ. Press, 2008(日本語未訳)の抜粋。近隣諸国への「謝罪」外交について、1950年代の西ドイツ(当時)が採用した「アデナウナー・モデル」の有効性と日本への応用を論じている。「謝罪」と「謝罪を否定する(国内の)反動」の中間路線である。政治経済が密接にからみあう現代世界に生きる日本人にとっても、日中関係を考えるうえで、賛否両論が当然あろうが読む価値のある論文といえよう。

 「論争 グローバル経済危機はいつまで続くのか-日米、二つの経済バブルを検証する」(2009年7月号 リチャード・カッツ & ロバート・マッドセン/それぞれマサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロ-、オリエンタル・エコノミスト・アラート誌編集長)は、米国は日本の「失われた20年」の失敗原因を的確に学んだかにかんする論争である。日本人の目からみれば、米国の経済バブル崩壊はデジャヴュー(既視感)のある現象だが、ともに弱体化の道をすすむ日米両国をめぐる論争といってしまうと言い過ぎだろうか。

 「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」(2010年3月号 ジョージ・パッカード/米日財団会長)は、近著『ライシャワーの昭和史』(森山尚美訳、講談社、2009)の著者であり、駐日大使時代の特別補佐官として、ライシャワー博士の側近として過ごしてきた日本通である。漂流する「日米安保条約」体制を、日本の立場もよく踏まえたうえでバランスのとれた論述を行っている。このような人を一人でも増やすことが、同盟国である日米双方にとって必要なことをあらてめて感じるのである。


 以上、あえて編集部によるテーマ分類のワクを外して、論文発表のタイムライン順に内容を概観してみた。


アンソロジーを読む意味とは

 そもそも「論文」(essay)とは何のために執筆され、発表されるのか、その意味をこのアンソロジーをよむうえで考えておきたい。

 「論文」とはそもそも、ある特定のテーマに対して論を立て、その論を展開して主張を行い、論文を読んだ者になんらかの形でアクションを起こすべく仕向けるために執筆されるものである。

 したがって、すでに「論文」発表後の結末を知っている現在から、過去に執筆された「論文」を読むとき、なにかしら強い違和感を感じることもあるのは、「フォリン・アフェアーズ・リポート」に登場した諸論文の性格によるものであろう。

 その意味では、アンソロジーとは、投資銀行で使う意味とは異なるが、Tombstone のようなものであるのかもしれない。その心は、その後の展開を知っている立場からみれば、論点をハズしている論文もあるが、発表時点においてはそれなりに意味や影響力をもった論文であるということだ。だから、「記念碑」の意味で Tombstone といってみた。

 基本的に「フォーリン・アフェアーズ」掲載の論文は、米国の利害をなんらかの意味で反映したものだとみてよい。しかし、この米国の見解だけを見ていたのでは公平とはいえまい。

 たとえば、関岡英之という論者がいる。米国による「日本改造計画」に警鐘を鳴らしている論客である。その著書 『拒否できない日本-アメリカの日本改造計画が進んでいる-』(文春新書、2004)『奪われる日本』(講談社現代新書、2006)の二冊をつうじて米国の戦略性について逆照射した論考を発表しているが、こういった本を読んでみることも、インパーシャルな視点を身につけるためにも必要だといえるだろう。

 今回、1986年から2010年までの約25年にわたって「フォーリン・アフェアーズ・リポート」に発表されてきた、「日本的制度」をめぐる論文のアンソロジーを通観してみて、「自分史」を振り返る機会ももつことができた。私は1985年に大学を卒業してから約25年間、ビジネスマンとして過ごしてきた人間である。

 そのときどきの批判や悲観論、さまざまな見解が示されているが、日本も米国も25年間のあいだ、国家として続いてきたわけである。外部環境の激変のなか、今後の日本、そして日米関係がどう変化していくのか、今後も思索を行ううえで、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の意義は大きなものがある。


終わりに

 なお最後になるが、「R+ レビュープラス」担当者によれば、「今回は過去にFARをレビューして頂いたことのある方の中から、編集長自らこの方にレビューを書いて頂きたいという方を直接選んで頂きました」ということでの指名である。

 たいへん名誉なことであるので、よろこんでお受けすることにした。

 こういう機会を与えていただいた「R+ レビュープラス」と月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の双方に、この場を借りて感謝の意を表したい。





<参考サイト>

フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010
・・「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の公式サイト


<ブログ内関連記事>

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.5 を読む-特集テーマは「大学問題」と「地球工学」-

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)・・マンガ家・石ノ森章太郎による『マンガ 日本経済入門』(日本経済新聞社、1986)の英語版 JAPAN Inc.: Introduction to Japanese Economics (Comic Book、1988) を題材に・・・







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end     

2010年5月17日月曜日

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.5 を読む-特集テーマは「大学問題」と「地球工学」-



 
月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 に引き続き、2010年No.5 のレビューを引き受けることとなり、R+より献本をいただいた。

 月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版)そのものについては、私がブログに執筆した 月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む を参照していただけると幸いである。「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の読み方についても書いておいた。

 前置きはさておき、2010年No.5 の内容紹介を行うこととしたい。


 2010年No.5 の目次は以下のとおりである。

●特集1 経済と社会を支える大学の条件とは

アジアの大学は世界のトップを目指す(リチャード・レビン)
<Classic Selection 2007> グローバル化する大学(ウィリアム・R・ブロディ)
---------------------------
欧州経済ブロックの形成を-貿易国家の衰退と貿易ブロックの台頭-(リチャード・ローズクランス)
新しいヨーロッパのポテンシャル-リスボン条約で欧州の何が変わるのか-(アンソニー・L・ガードナー、S・アイゼンシュタット)
----------------------------
朝鮮半島の緊張は続く(チョイ・カング)
BRICsはフォーラムとしての連帯を維持できるか(CFRブリーフィング)
ソビエト崩壊から20年、冷戦を再検証する(ローレンス・フリードマン)

●特集2 火山の爆発が地球を冷やす-それを工学的に実施すれば・・・

CFRミーティング 地球工学の国際ルールを(M・グランジャー・モーガン、ジョン・ステインブルーナー)
<Classic Selection 2009> 温暖化対策の切り札としての地球工学オプション-地球工学オプションの恩恵とリスクの検証を-(デビッド・ビクター、M・グランジャー・モーガン、ジャイ・アプト、ジョン・ステインブルーナー、キャサリン・リック)
-----------------------------

世界は人権侵害であふれている-オバマの約束は果たされるのか-(ケネス・ロス)
パレスチナ国家の樹立を急げ-最終地位合意よりも暫定合意を優先せよ-(エフード・ヤーリ)


 今月号もなかなか読み応えのある論文が精選されて日本語訳で提供されている。
 
 「特集1 経済と社会を支える大学の条件とは」 と 「特集2 火山の爆発が地球を冷やす-それを工学的に実施すれば・・・」 を中心に見ていこう。

 「大学問題」と「地球工学」というテーマが、いったい外交や政治経済学のフィールドとどうかかわっているのか。これらのテーマ設定の意味についても、「フォーリン・フェアーズ」に掲載された論文であることを考慮にいれたうえで読んでみたい。

 ともに、「クリティカル・シンキング」を身につけるための格好の材料となっている。



特集1 経済と社会を支える大学の条件とは
 
 この特集で取り上げられた2本の論文は、米国の大学にとっての肥沃な市場である、アジアの教育市場における新しい質の大学教育へのニーズと、サプライサイドである米国の大学の国際戦略の双方について、複眼的に見ることができる構成になっている。

 ともに、米国の大学生き残り策を考えるためのヒントを提供することが、論文執筆の主目的である。

 ① 「アジアの大学は世界のトップを目指す」(リチャード・レビン イエール大学学長)は、戦後アジアの大学教育についてのレビューを行いながら、日本や韓国で成功した従来型の大学教育には限界があることを指摘し、ポストモダン時代に求められる教育ニーズには、新しい教育方法の導入が不可欠であることを指摘している。とくに新興国である中国とインドに絞り込んだ論述から、大学教育を軸にした人材開発競争の行方についての見取り図を得ることができる論文である。

 この論文の執筆者は、特定の研究領域の垣根を越えた幅広い見識と「クリティカル・シンキング」を涵養する米国型の教養(リベラル・アーツ)教育システムの優位性を強調しているが、これについては異論はあまりないだろう。この点にかんする的確な状況認識をもつ中国で米国スタイルの大学教育が定着すれば、大きな競争力の源泉になることは間違いない。この点においても、中国は日本にとって大きな脅威となる可能性がある。

 ただし少人数教育にかんしては、日本は戦前のドイツモデルによるゼミナール制や研究室制度があり、すでに定着していることを、執筆者は看過しているようだ。また、戦後は米国モデルに転換しながらも、日本では「教養課程」として導入された、米国型のリベラル・アーツ教育が、結局のところなぜ定着しなかったについてのコメントがほしかったところである。

 こう考えると、中国において、果たして米国スタイルの新しい大学教育が定着するかどうかは、現時点では未知数であることがわかる。執筆者もいうように「優れた大学に不可欠な要素とは、やはり(言論と研究の)自由」(P.15)であるから、中国においてこうした自由が確保されるかどうかについては、かなり疑問があるといわざるをえない。 

 では翻って、「自分のアタマで考え、主体的に行動できる人間」を育成するために、日本の大学関係者は何をすべきであるか、この課題については自ら思考することが必要である。本論文はそのためのヒントとなるであろう。


 ② <Classic Selection 2007> グローバル化する大学(ウィリアム・R・ブロディ ジョンズ・ホプキンス大学学長)も、米国の大学生き残り策探求の一環として執筆された論文である。

 「IT-IT現象」(International Travel と Information Technology)、「学会におけるマイケル・ジョーダン現象」「学問の世界はフラット化した」などと、なかなか印象的なフレーズを散りばめたこの論文は、世界的大企業がリードする米国産業と同様、国際的な競争力をもつ米国の有名大学が「メガバーシティ」として世界に君臨することは可能か、という問いを設定している。

 「メガバーシティ」(Mega-versity)とは論文執筆者によれば、「世界から選りすぐりの教授陣と学生を集め、インターネットでつなぐ巨大教育機関のこと」であるが、フラット化する学問世界において、こうしたモデルが必ずしも出現するかどうかは不明、というのが執筆者の見解のようである。

 たしかに大学教育ニーズの高まるアジアでは日本も含め、米国の有名大学のフランチャイズ校が次々と開校しているが、ある特定のプレイヤー(=有名校)が世界の大学教育の世界で席巻するという状況は起きていないし、これはなかなか困難でもあるようだ。2007年に執筆されたこの論文が、2010年の時点においても意味をもつ理由である。

 日本の大学は、シンガポールやインドなどとは異なり、日本語という言語の壁のおかげで、現在のところ米国の大学のフランチャイズは成功しているとはいえない状況にある。しかしその一方で、有望な若者が日本の有名大学への進学を選択せず、米国の有名大学へそのまま進学するコースを選択する者が増加しつつある。

 こうした現象を考えると、果たして日本の大学は、日本語の壁を越えて世界的なポジションを確立することができるのか。この課題にたいする解答は自ら思考しなくてはなるまい。
 米国の大学関係者がいかなる考えをもっているか知るうえで、この論文は有用であるといえる。



特集2 火山の爆発が地球を冷やす-それを工学的に実施すれば・・・
 
① CFRミーティング 地球工学の国際ルールを(M・グランジャー・モーガン、ジョン・ステインブルーナー)
② <Classic Selection 2009> 温暖化対策の切り札としての地球工学オプション-地球工学オプションの恩恵とリスクの検証を-(デビッド・ビクター他)については、正直いって私の専門分野ではないので、論評しにくい。

 いまここで告白するが、そもそも「地球工学」(Geoengineering)というコトバそのものは、目にするのは実は今回が初めてなのである。さっそく Google 検索で wikipedia の記述をみると、英語版では Geoengineering (or Climate Engineering)という記述があり、ああなるほど、極端な話、「気候変動」を工学的に操作する学問なのか、とわかった。

 「地球工学」が果たして温暖化対策の切り札になりうるのか?

 地球環境問題解決の「ラストリゾート」としての工学的手法は、研究蓄積がほとんどなされておらず、「地球工学」にかんする実験そのものが外交政策論争のテーマになりうるのである。なぜなら、大気は一国の範囲を超えて地球規模の問題となるからだ。

 こうした論文を読むに際しては、論文執筆者たちのプロファイリングから始めるのが適切だろう。いかなる背景のもと、いかなる方向の議論を誘導している人たちなのかを知ったうえで論文に目を通すと、読む上うえで手がかりを得ることができる。

 2つの論文に重複する執筆者を含め、総勢6名が関与している。「フォーリン・アフェアーズ・リポート」記載の履歴を引用しておこう。

●グランジャー・モーガン:カーネギーメロン大学 工学・公共政策学部長、同大学付属地球環境政策決定センター所長
●ジョン・ステインブルーナー:メリーランド大学教授(公共政策)、同大学付属国際安全保障問題研究所長
●ルース・グリーンスパン・ベル:世界資源研究所 米国気候変動政策ディレクター代理
●デビッド・ビクター:スタンフォード大学法学部教授、米外交評議会の科学技術担当非常勤シニアフェロー、スタンフォード大学 エネルギーおよび持続可能な開発プログラム・ディレクター
●ジャイ・アプト:カーネギーメロン大学 工学・公共政策学部教授
●キャサリン・リック:カーネギーメロン大学博士課程在籍

 米国の際だった特徴であるが、こうした工学分野のテーマと社会科学分野の学際的融合チームというものが出来上がっていることが、このごく簡単なプロファイリングから知ることができる。

 これは「特集1」の論文② でも述べられている、「新しい研究領域に挑むため、地理的、財政的、または官僚主義的な障壁を乗り越えて、迅速に学際的な研究グループを立ち上げることが、いまや大学の課題になってきている」(P.21)という記述の、まさに格好の実例ともなっていることがわかる。

 工学者と社会科学者がチームとして対話が可能なのは、米国スタイルのリベラル・アーツ教育(=教養教育)のたまものというべきであろうか。


 「特集2」の 2本の論文によれば、「地球工学」が扱うテーマは大きくわけて2つに分類されるようだ。すなわち、「太陽放射管理」と「二酸化炭素除法」である。前者は、地球温暖化を少しでも緩和するために太陽光を遮断する技術、後者は二酸化炭素の排出を減らすことが困難である以上、大気中に堆積する二酸化炭素を除去する技術である。

 「地球工学」のアプローチはあくまでも気候変動問題解決の「ラストリゾート」としての位置づけである。現時点では本格的な研究蓄積は驚くほど少ないようであり、この点がまさに執筆者たちに共通する懸念であるようだ。

 それは、それぞれの国ごとに「勝手に地球工学的対策を強行するかもしれない。この点が不安になった。この段階で、私は外交政策の専門家たちも、この問題について検討を始めるべきだと考えた」(P.70)。
 
 自然科学や工学分野のテーマを、外交政策論争の舞台に取り上げること、これが可能となるのも米国ならではであり、また「フォーリン・アフェアーズ」ならではといえるだろう。私はこの2本の論文に目を通すことで、はじめて問題が存在すること自体を知ることとなった。

 果たして日本の政治家は、こういった論文を読みこなしているのだろうか? せっかく日本語になっているのだから、スタッフが政治家に要約して理解させるべくレクチャーをしておくべきだろう。

 米国政治のトップエリートと日本のいわゆる "エリート" の知的体力の圧倒的な違いは、もしかすると、こういう論文の取り扱い一つにあらわれるのかもしれない。

 その意味では、私はエリート失格であるが・・・



 こういう機会でもないと「地球工学」について考えることはなかったと思う。

 日本語版として提供していただいた「フォーリン・アフェアーズ・リポート」関係者には、この場を借りて感謝の意を表したい。

 おかげさまで私自身、たいへん勉強になりました。






PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判に変更した。内容にはいっさい手は入れていない。あらたに「ブログ内関連記事」の項目を新設した。(2016年7月24日 記す)



<ブログ内参考記事>

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.5 を読む-特集テーマは「大学問題」と「地球工学」-

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.12 を読む-特集テーマは「The World Ahead」 と 「インド、パキスタン、アフガンを考える」

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる


■大学問題

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

ヨーロッパの大学改革-標準化を武器に頭脳争奪戦に

書評 『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009)
 日本以外の世界のトップエリートはいかなる教育を受けているのかについての本。

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある

(2016年7月24日 項目新設)




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2010年3月15日月曜日

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む




月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年 NO.3 の献本が、「R+ レビュープラス」から届いたので、さっそく目をとおしてみた。

 まず、論文タイトルと筆者、そして論文のサマリーと筆者略歴をじっくり読んでみる。それから、本文を読んでみる。

 とりあえず、ここでは論文タイトルと筆者名を、雑誌掲載順に並べて紹介しておこう。

<CFRミーティング>
ジョセフ・スティグリッツが語る金融危機と規制、経済の不均衡、中国、ドルの将来(ジョセフ・E・スティグリッツ/コロンビア大学教授)
  
日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?(ジョージ・パッカード/米日財団会長)
  
<フォーリン・アフェアーズ・アップデート>
「北京コンセンサス」の終わり(姚洋(ヤン・ヤオ)/北京大学国家発展研究院副所長) 
  
<Classic Selection 2007><CFRアップデート>
中国・インド経済が直面する社会格差という開発ジレンマ-農村の貧困と格差社会への対応を
 
<CFRミーティング>
新たな世界経済のシステミックリスクとしての各国の財政赤字 (セバスチャン・マラビー/米外交問題評議会シニア・フェロー 国際経済担当)
 
<CFRインタビュー>
アメリカの財政赤字とドルの運命(ライアン・アベント/Economist.com エディター) 
  
<CFRブリーフィング>
金融規制案は危機の本質を見落としている-システミックリスクの震源は債券保証会社だった(マーク・レビンソン/米外交問題評議会(CFR)国際ビジネス担当シニア・フェロー)
 
<Review Essay>
なぜ援助では貧困を緩和できないのか-中国とインドが援助に依存せずに成長を遂げたのはなぜか
(ジャグディッシュ・バグワティ/コロンビア大学教授)
 
<Review Essay>
女性を助ければ、途上世界が救われる(イソベル・コールマン/CFRシニア・フェロー)
 
  
核武装後のイランにどう対処するか(前編)(ジェームズ・M・リンゼー/米外交問題評議会研究部長、レイ・タキー/米外交問題評議会シニア・フェロー)
 
核不拡散と原子力の平和利用を両立させる道はあるか
(チャールズ・ファーガソン/米科学者連盟会長)
 
<特集 世界は再び食糧不足の時代へと向かっている>

世界は再び食糧不足の時代へ-結局、マルサスは正しかったのか(チャーリスル・フォード・ランゲ/ミネソタ大学教授、チャーリスル・ピエール・ランゲ/イエール大学学生) 
  
<Classic Selection2008
食糧危機の打開を阻む先進国の政治と妄想-貧困国の現実に目を向けよ(ポール・コリアー/オックスフォード大学経済学教授)


  「フォーリン・アフェアーズ」(FOREIGN AFFAIRS)とは、直訳すれば外務省の「外務」(foreign affairs)のことだが、いうまでもなく米国の外交問題の専門雑誌である。各国の現役の政治経済の指導者が寄稿することでも有名な、国際政治における政治的意志決定に大きな影響を及ぼしてきた米国の専門誌である。「国際政治」と「国際経済」は不可分の関係にあるという「国際政治経済学」の立場が一貫しており、その点は今月号にも一貫している。

 国際版は、スペイン語版Foreign Affairs Latinoamérica)、日本語版Foreign Affairs in Japan)、ロシア語版Russia in Global Affairs)がでているようで、国際版の購読者数は総計18,600人と、かなりの数になっている。

 国際版のウェブサイトの記述によれば、日本語版は1990年から1998年までは中央公論社が、1998年から2008年までは朝日新聞社の月刊オピニオン誌『論座』が、2008年以降は Foreign Affairs Report として、印刷媒体での刊行を月刊でつづけているとある。付け加えれば、現在は株式会社フォーリン・アフェアーズ・ジャパンが発行主体となっている。

 私は、日本版はずっと朝日新聞社の傘下にあったものだと思い込んでいたので、なにか「色がついてしまっているな」と敬遠していたのだが、この事実を知って安心した次第だ。

 もちろん発行主体の CFR(Council for Foreign Relations:外交問題評議会)自体の特性をアタマにいれておく必要があるが、日本語版の翻訳記事の選択と編集で、二重のバイアスがかかることに留意しておく必要がある。

 なお、「外交問題評議会」(CFR)は、Wikipedia の簡潔な要約を使えば以下のようになる。
アメリカ合衆国のシンクタンクを含む超党派組織。略称はCFR。「外交関係評議会」と訳されることもある。1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われている。超党派の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られる。本部所在地はニューヨーク。会員はアメリカ政府関係者、公的機関、議会、国際金融機関、大企業、大学、コンサルティング・ファーム等に多数存在する。知名度が高く、影響力が大きいことで知られる。


 実は、日本語版の「Foreign Affairs Report」を通読したのは、今回が初めての経験である。

 私自身の専門は国際政治学ではないので、毎月購読しているわけではないが、必要に応じて個別の論文を英語で読むことは過去にあった。英語版であれ、日本語版であれ、一冊まるごと読むのは今回が初めてだ。非常に新鮮な思いを味わった。

 思ったより日本語の訳文がこなれており、とくに英文を参照することなく、そのままアタマに入ってくるような平明な文章になっているのがありがたい。

 また、各論文に付されたサマリーがまた的確で、本文をざっと読む前と読んだあとにサマリーを読むと、論文の要旨がすうーとアタマのなかに入っていくのを覚える。

 掲載論文を根拠に私自身が論文を書くことがあれば、レファレンス先として日本語訳をあげることが十分に可能な訳文になっているといってよいだろう。

 ただし、「なぜ援助では貧困を緩和できないのか-中国とインドが援助に依存せずに成長を遂げたのはなぜか」(ジャグディッシュ・バグワティ)の原題が Banned Aid (バンド・エイド)なんて、英語のダジャレを、そのまま日本語に移せないのは残念。いっけん堅くみえる論文も、こういう遊びがあるってことを伝えたいものだ。もちろん、論文でも触れているように、これは U2 のボノも参加していた Band Aid にひっかけたものだ(・・さらにさかのぼれば絆創膏の band aid からきている)。論文の著者の立場は直接本文で確かめていただきたい。


 2010年3月号の内容についてだが、論文そのものの中身まで言及しだすと、私自身が Review Essay(評価論文)を書かなくなってしまうので深入りは避けておくが、これは面白いと思った論文に簡単なコメントだけ加えておきたい。

 「ジョセフ・スティグリッツが語る金融危機と規制、経済の不均衡、中国、ドルの将来」(ジョセフ・E・スティグリッツ)については、ノーベル賞受賞の経済学者であり、グローバリズムに対しては批判的な見解を示している論客で日本でも著名な人なので、特に付け加えることはないが、ただ経歴には世界銀行のチーフ・エコノミストであったことを付け加えるのが親切というものだろう。

 米日財団会長ジョージ・パッカードによる、「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」については、米国でも公平な立場の発言があることを知るためにも、目をとおすことが望ましい。執筆者の立場は国防総省とは異なるし、また米軍内部にも空軍と海兵隊のライバル意識があって問題をややこしくしていることが指摘されている。

 姚洋(ヤン・ヤオ)による「「北京コンセンサス」の終わり」は、かなり突っ込んだ提言を行った論文であるが、北京大学国家発展研究院副所長という肩書きの発言であり、政府も了承している考えの表明と考えて良いのだろう。その意味では面白い。

 このほか、2010年3月号では「国際援助」関係の論文がいくつか収録されており、いずれも興味深く読むことができた。「中国・インド経済が直面する社会格差という開発ジレンマ-農村の貧困と格差社会への対応を」「なぜ援助では貧困を緩和できないのか-中国とインドが援助に依存せずに成長を遂げたのはなぜか」(ジャグディッシュ・バグワティ/コロンビア大学教授)、「女性を助ければ、途上世界が救われる」(イソベル・コールマン/CFRシニア・フェロー)。後者の2本の論文は単行本のレビューであるが、レビュー執筆のあり方としても一つの参考になる。

 「国際経済問題」にかんしては、「新たな世界経済のシステミックリスクとしての各国の財政赤字」(セバスチャン・マラビー/米外交問題評議会シニア・フェロー 国際経済担当)、「アメリカの財政赤字とドルの運命」(ライアン・アベント/Economist.com エディター)、「金融規制案は危機の本質を見落としている-システミックリスクの震源は債券保証会社だった」(マーク・レビンソン/米外交問題評議会(CFR)国際ビジネス担当シニア・フェロー)があるが、一番最後の論文はかなり核心をついた内容の論文で参考になる。米国においては、「債務保証会社」の監督責任が州政府レベルにあって、連邦政府にはない(!)という事実が、サブプライムローン問題の核心にあるという指摘、これは勉強になった。

 「核兵器と原子力問題」については、「核武装後のイランにどう対処するか(前編)」(ジェームズ・M・リンゼー/米外交問題評議会研究部長、レイ・タキー/米外交問題評議会シニア・フェロー)、「核不拡散と原子力の平和利用を両立させる道はあるか」(チャールズ・ファーガソン/米科学者連盟会長)。これらの論文を読むと、問題の整理が容易になる。


 最後に、<特集 世界は再び食糧不足の時代へと向かっている>として論文2本が収録されている。

 「世界は再び食糧不足の時代へ-結局、マルサスは正しかったのか」(チャーリスル・フォード・ランゲ/ミネソタ大学教授、チャーリスル・ピエール・ランゲ/イエール大学学生)、「食糧危機の打開を阻む先進国の政治と妄想-貧困国の現実に目を向けよ」(ポール・コリアー/オックスフォード大学経済学教授)。

 とくに、後者のポール・コリアーについては、主著である最貧国問題解決のための必読書である『最底辺の10億人-最も貧しい国々のために本当はなすべきことは何か?-』(ポール・コリアー、中谷和男訳、日経BP社、2008)は、このブログでも取り上げている

 「食糧問題」については、奇しくも講談社の月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」2010年3月号が、「特集 世界の「食糧争奪」戦争-フィレオフィッシュが食べられなくなる日」という特集を組んで取り上げている。
 とくに「食糧問題」は、「エネルギー問題」とならんで日本の生存にためには生命線ともいえる問題であり、対岸の火事と思うことなく自分の問題として真剣に捉える必要がある。あわせて読むことをお薦めしたい。


 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」は、最初から最後まですべてのページに目を通すのも良し、必要な論文だけピックアップして読むのも良し、あるいはタイトルとサマリーだけ読むのも良し。読者の目的に応じて読むことができるように、日本語版はよく工夫して編集されている。
 日本語版の公式ウェブサイトとあわせて利用すれば、より実りある活用が可能となるだろう。

 なお、本誌のバックナンバーは基本的に一般書店には配本していないということだが、最新号だけでなくバックナンバーが amazon.co.jp で入手可能であることを付け加えておこう。





PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判に変更した。内容にはいっさい手は入れていない。あらたに「ブログ内関連記事」の項目を新設した。(2016年7月24日 記す)


<ブログ内参考記事>

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.5 を読む-特集テーマは「大学問題」と「地球工学」-

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる
              
月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.12 を読む-特集テーマは「The World Ahead」 と 「インド、パキスタン、アフガンを考える」


リーマンショックと世界金融危機

書評 『マネー資本主義-暴走から崩壊への真相-』(NHKスペシャル取材班、新潮文庫、2012 単行本初版 2009)-金融危機後に存在した「内省的な雰囲気」を伝える貴重なドキュメントの活字版

書評 『ユーロ破綻-そしてドイツだけが残った-』(竹森俊平、日経プレミアシリーズ、2012)-ユーロ存続か崩壊か? すべてはドイツにかかっている

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

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2010年2月17日水曜日

書評『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)― 国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論




国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

 2010年以降の「日本の立ち位置」はいったいどこにあるのか、これを真剣に考える人にとっては、いまこそ議論の出発点として振り返るべき論文集である。中公クラシックスという形で、古典として出版された意義は大いにある。

 本書『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)は、いまから45年前の1965年、著者31歳のときの処女作である。

 単行本タイトルともなった「海洋国家日本の構想」と巻頭におかれた「現実主義者の平和論」だけでなく、「外交政策の不在と外交論議の不毛」、「二十世紀の平和の条件」、「二十世紀の権力政治」、「中国問題とは何か」、「核の挑戦と日本」の全7編、いずれも読み応えのある論文である。

 大半が雑誌論文として発表されたものであり、1964年当時の一般の知的読者向けに平明な文章で書かれているが中身の濃い、読み応えのある内容となっている。

 今回、初めて全編とおして読んでみて思うのは、時代の制約があるのは当然としても、本質においてはまったく古びていないことだ。たとえば日米安保条約について、現在の迷走する状況をあたかも予言しているかのような記述を目にしたとき、その透徹した「現実主義者」のまなざしには思わず恐れ入った。

 著者の論点が本質においてけっして古びていないのは理由がある。

 それは、日本をめぐる国際政治的 "状況" は大きく変化しても、日本がおかれている地理的条件に基づいた国際政治的 "条件" が変化することはないからだ。日本は地理的には「極東」でありながら東洋ではなく、開国以来の政策によって西洋世界の「極西」となったが西洋ではない。アイデンティティがはっきりしない宙ぶらりんの存在なのである。

 島国として大陸から距離があることを、著者は「東洋の離れ座敷」と表現しているが、この地理的条件のおかげで、中国文明、西洋文明、アメリカ文明の圧倒的影響を受けながらも、日本人による取捨選択を容易にしただけでなく、直接国土を蹂躙(じゅうりん)されることもなく今日までやってこれたのである。

 しかしながら、地理的条件からいえば欧州に対する英国に近いのにかかわらず、英国とは異なり「海洋国」としての意識が弱く、「島国」のままではないか、というのが著者の懸念である。

 海洋によって世界とつながっている日本がとるべき道は、太平洋を圧倒的に支配する米国海軍による通商保護体制のもと、必要な軍備を備えた通商国家として、知的能力でもって世界に貢献することではないか、と。

 あくまでも政治を権力の観点から捉え、イデオロギーでみることを排した高坂正堯は、現実追随主義ではない現実主義者であった。解説者の中西寛・京大教授のコトバを借りれば、それは「理念を実現するための手段を選択する上での現実主義」である。

 京都人特有の柔らかな語り口に潜む、現実認識と強靱な論理によって貫かれた本書は、政治の本質、国際政治の本質を考えるうえで、日本人に残された大いなる知的遺産であるといえよう。

 アクチュアルな問題を論じて本質について語った本書の諸論文は、今後も振りかえるべき古典として残っていくであろう。


<初出情報>

■bk1書評「国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論」投稿掲載(2010年2月14日)


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<書評への補足>

国際政治学者・高坂正堯が原論活動を行った時代とは

 高坂正堯(こうさか・まさたか)は国際政治学者(1934~1996)。長く京都大学法学部教授を務めた。

 生前は、日曜朝の田原総一郎が司会する番組にレギュラー出演し、コメンテーターとして柔らかい京都弁で活躍していた姿を覚えている人も多いだろう。62歳の若さで亡くなったことは、実に惜しまれてならない。

 「海洋国家日本の構想」(1963)は著者の論壇デビュー作で、この論文を収めた本書『海洋国家日本の構想』(1965)は、同じく京都出身で京大教授であった梅棹忠夫(1920-)の代表作『文明の生態史観』(中公文庫、1974 原著1967)と並んで、戦後日本が生んだ重要な古典といっていいだろう。現在では、当たり前の考え方になっているので、出版当時のインパクトは想像しようもないのだが。

 弟子の一人である中西寛・京大教授の本書解説によれば、いわゆる左派の"進歩思想"が幅をきかせていた時代には、とくに「現実主義者の平和論」は、かなりのインパクトがあったらしい。

 現時点から読むと、本書で展開されているような考えは、至極まっとうではないかという気もするが、私が大学生だった25年前でも、まだまだ抵抗感をもつ者も多かっだろうとは思われる。念仏のような平和論を唱える者がまだまだ多数派だったし、「非武装中立」なんてナンセンスな戯れ言を平気で党是にする政党があったくらいだからね。「産学協同」なんてまったくありえないとされた時代でもあった。

 最近、総括せよ!さらば革命的世代-40年前、キャンパスで何があったか』(産経新聞社取材班、2009)という本を読んでいたら、たまたま高坂正堯にかかわるエピソードを見つけたので紹介しておきたい。「全共闘」時代の1969年、京大応援部長(当時)の回想である。

 ゼミの指導教官だった国際政治学者の高坂正堯教授(故人の研究室が破壊されたときのことだ。
 学生たちは当時、沖縄国際海洋博のブレーンを務めていた高坂教授に「資本主義、大企業を喜ばせるにすぎない」などと主張して公開討論を要求、応じた教授は、時計台広場でマイクを持って討論に臨み、堂々と彼らを論破した。
 ところが、その翌日、学生らはゲバ棒を手に研究室を襲撃、使い物にならなくなった部屋を見て、高坂教授は「卑怯千万」と悔しそうにつぶやいたという。(P.96)

 こんな時代もあったのだ。

 「全共闘世代」を扱ったこの本は、なんと産経新聞社によるもので、しかもともに1973年生まれの記者二人が取材を担当したという。全体的にバランスのとれた内容になっている。また、この本の副題にある「革命的」世代というのがミソだ。「革命」世代ではない「革命」世代。

 しかしなんといおうが、「全共闘」世代の次の(次の?)世代にあたり、「新人類」などと一方的にレッテルを貼られた私の世代からみれば、破壊だけして何も残さなかった、理解不能な世代としかいいようがないので、まったく何の共感も感じない。もちろんなかにはまともな人もいないではないが、小学生の頃、大学というのはゲバ棒をふるう場所だと思っていたのは、私だけではないはずだ。

 ただし注意しておかねばならないのは、『総括せよ!』でも指摘されているが、当時の大学進学率は15%と、2009年時点では50%という「大学全入時代」からは考えられない数字であり、「団塊世代」=「全共闘世代」ではないことだ。ここらへんはよく気をつけておかねばないといけない。つまり、「総括」が必要なのは「全共闘世代」であって、「団塊世代」全体ではない、ということだ。

 ずいぶん昔だが、私がとくに何の考えもなく「総括」というコトバを使ったら、その世代の上司から「総括」というと連合赤軍の「浅間山荘事件」を思い出すので使って欲しくないんだよねー、といわれたことを強烈に覚えている。そのときはじめて「総括」というコトバの隠された意味を知ったのであった。

 私は、浅間山荘事件をリアルタイムでテレビ中継を見ていた世代である。

 誰がなんといおうと、「全共闘時代」に比べれば、いまの世の中のほうがはるかにマシだ。世の中は「右傾化」したのではなく「正常化」したのである。

 いまのような時代だからこそまた、高坂正堯の言説がまともに見えるのである。しかし、「正常化」はしたものの「流動化」し迷走を続ける現在の日本。最後に書評のなかでも触れた「日米安保条約」についての発言を引用しておこう。

 国際社会の現実と遊離した条約は意味を持たない。しかし、そうかといって、すべての条約が無意味であるわけではない。条約は現実を法的なものにし、強めるのである。
 ついでながら、日米安保条約についても同じことがいえる。日本には日米安保条約さえ結んでいればよいかのようにいう人がいるが、日本の安全は極東の情勢にかかっているし、日米関係は友好関係の有無にかかっている。日米両国の全般的な友好関係が崩れた場合、仮に日米安保条約があっても、それは意味がないのである。(P.30)

 「現実主義者の平和論」(注(2)より


 45年前の発言(雑誌発表はその2年前)である。2010年の現在、この発言の意味をかみしめるる必要があるのではないだろうか。



                    
<ブログ内関連記事>

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

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「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)・・2年前の2010年に発生した「尖閣事件」と「尖閣ビデオ流出」にかんして所感をつづったもの

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書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009) ・・海上保安庁巡視艇と北朝鮮不審船との激しい銃撃戦についても言及。海上保安官は命を張って国を守っている!

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2010年2月16日火曜日

書評 『100年予測 ― 世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)― 地政学で考える




「100年予測」に用いられた分析フレームワークは、少なくとも今後20~40年先を予測するにはきわめて有効な方法論だ

 「100年先なんか、どうせ生きていないから関係ない」などと思うなかれ。

 「100年予測」のために本書で使用された分析フレームワークは、少なくとも今後20年先を予測するにはきわめて有効な方法論だ。10年先の「長期予測」でも、5年先の「中期予測」でも、もちろん「短期予測」でもない、「超・長期の予測」である。

 序章で著者が指摘しているように、現在の常識と固定観念に邪魔されて、20年後どうなっているかすら本当のところ想像もできないというのが、ごくごくフツーのことなのだ。「未来に通用しなくなると確実にわかっているのは、現在の常識なのである」(P.22)。

 100年とはいわず、20年先から40年先を予測する方法は、通常の予測方法とは異なるのは当然だろう。著者のアプローチと使用する分析フレームワークは、古くて新しい「地政学」(geopolitics)である。「地政学が扱うのは、国家や人間に制約を課し、特定の方法で行動するように仕向ける、非人格的な大きな力なのだ」(P.25)。

 地理的・環境的制約条件という人間が変えることのできない絶対的制約条件からみたら、個々の政治指導者の行動など、長期的にみれば重視する必要はない、というのが地政学の立場に立った著者の基本姿勢である。経済学が個々のプレイヤーに注意を払わないのと同じだ、と。

 この立場から導き出されるのは、1492年のコロンブスの大航海に始まって1991年のソ連崩壊までの500年にわたって続いた、大西洋世界を中心とした西欧による「世界システム」が終わり大西洋と太平洋の制海権をともに支配する地理的条件にめぐまれ、世界最大かつ最強の海軍力をもつにいたった米国に「世界システム」が始まったという認識である。

 安価で大量輸送が可能な海上交通を保護するには、海軍力による制海権がモノをいうからである。1980年代に、太平洋貿易が大西洋貿易を上回ったことが、覇権交代を象徴的に物語っている。著者の認識を一言でいえば、「アメリカは衰退寸前であるどころか、上げ潮に乗り始めたばかり」(P.374)ということである。(・・この見解は民主党首脳に聞かせてやりたいね)。この見解は、原著が「リーマンショック」発生以後の出版であることに注目しておきたい。

 しかもまた、ユーラシア大陸とは異なり、南北戦争という内乱を例外として、建国以来200年以上にわたって本格的な侵略を受けたことがないという地政学的条件から考えると(・・「9-11」は攻撃だが、侵略ではない)、次の500年続くかどうかはわからないが、少なくとも今後100年は米国の覇権が続くと考えたほうがいいのかもしれない。私自身は最低50年は続くと思っていたが、考えを改めたほうがよさそうだ。地球儀を前に眺めると、その意味がよく理解できる。

 だから、日本語版の表紙カバーの地図(・・左上写真参照)は、著者の意図を反映したものだとはとはいえない。表紙カバーのデザイナーの「日本が中心となった世界地図」という固定観念がそうさせてしまったのだろう。米国では「米国が中心に描かれた地図」が当たり前であり、さらにいえば地球儀で考えたほうが、著者がいわんとすることをより明瞭に理解できるはずだ。アメリカは大西洋と太平洋をともに支配を及ぼせる唯一の存在なのだ。




 本書は予測の内容そのものよりも、著者が提示している「仮説」(・・あくまでも「仮説」だ!)を、著者が根拠としているさまざまな理由づけをもとに、読者自らが思考実験によって「検証」してみることだ。これは何よりもすぐれた知的トレーニングとなるし、また思考訓練の機会ともなる。 

 たとえば、2050年には日本・トルコ・ポーランドが米国と戦争することになる!と予測しているが、 これだけ取り出してみるとセンセーショナル以外の何者でもない。たしかに、2040年以降についてはSF的というか、荒唐無稽と思う人も多いだろう。私も正直いってよくわからないし、現時点では当然のことながら検証のしようもない。

 しかし、少なくとも2040年代までの日本については、過去の日本の行動パターンから類推する限り、著者の推論はけっして荒唐無稽とは思われない。これは人口減少を織り込んだ上の予測である。もちろん、中国が分裂し、ロシアが崩壊するという予測が前提にあるのだが(・・これも可能性としてありえない話ではない。とくにロシアの人口減少スピードが予想以上に早いことはすでに常識だ)。
 
 歴史というものは、いってみれば複雑系であるから、予測どおり直線的(リニア)に進むものではない。さまざまな制約条件のもとで、生き残りを賭けて下した意志決定と行動が、それぞれ互いに影響し合い、影響は複雑な経路をたどって次のアクションにつながっていく。歴史とは、「意図せざる結果」の集積なのだ。これは社会科学的なものの見方である。

 歴史そのものは繰り返すことはないが、同じようなパターンが繰り返されていることは否定できない。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはこのことをさしているのだ。

 本書は、出版以来米国内では賛否両論の熱い議論を呼び覚ましているようだが、何よりも読み物として面白いし、「超・長期の予測」を行うための方法論である「地政学」に基づいた、著者の「仮説」を黙殺すべきではないのではないか? 

 この仮説をたたき台にして、少なくとも今後数十年の方向性を考える上で、自分なりの仮説つくりをしてむいるのも悪くない。

 知的刺激に充ち満ちた好著である。ぜひ一読をおすすめしたい。



PS 2014年6月に文庫化された。文庫化されるまでの期間が長かったように思うが、文庫化されたということは、読むに値する本であることの一つの証明であろう。(2014年6月27日 記す)


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<初出情報>

■bk1書評投稿「「100年予測」に用いられた分析フレームワークは、少なくとも今後20~40年先を予測するにはきわめて有効な方法論だ」投稿掲載(2010年2月12日)

 *再録に当たって加筆修正と字句の修正を行った。


<書評付記>

著者ジョージ・フリードマンと「ストラット・フォー」などなど

 米国におけるネット上の意見については、amazon.com における George Friedman, The Next 100 Years: A Forecast for the 21st Century, 2009 の Customer Reviews を参照。賛否両論でかなりの数の投稿レビューがある。


なお、書評のなかで述べたように、日本版のカバーデザイン画は本書のメッセージを正確に反映したものとなっていない。原書のカバーと見比べていただきたい。無意識に支配する固定観念、これは日本人だけでなく、米国人も同様だろう。

 しかし、アメリカ海兵隊(USMC)のロゴのような、アメリカ大陸真ん中にもってきたこの地図を見ると、アメリカ大陸、とくに北米、そして米国がいかに地政学的優位性をもっているかがわかる。地球儀でみたほうが、より鮮明に意識できるだろう。

 しかもそのなかの一握りの権力中枢が、米国の命運を握っているのである。いい悪いは別にして、これは否定できない事実である。

 ハンガリーのブダペストで、ホロコースト生き残りのユダヤ人家庭に1949年に生まれた著者は、子供時代に両親とともに米国に移住している。

 「ストラトフォー」(Stratfor)は、Strategic Forecasting, Inc. の略。1996年テキサス州オーステチンにて、同社CIO(Chief Intelligence Officer)ジョージ・フルードマンによって設立された。「世界最強のインテリジェンス企業」と帯には書かれているが、そのとおりであろう。「影のCIA」(The Shadow CIA)ともいわれることもあるらしいが、インターネットで有料会員向けの情報提供を行うのみである。

 公式サイトは http://www.stratfor.com/ ただし英語のみ。有料会員制だが無料で読める記事もある。

 なお、本書『100年予測』の内容については著者本人がビデオで解説しているので、要点をつかむことができるだろう。ご参考まで(音声は英語のみ)。同じビデオ The Next 100 Years が YouTube にもある。人口減少、エネルギー問題、米国、金融危機、中国、ロシアについて語っている。

 米国は衰退過程にあり、一国による覇権の負担に耐え得ないので、実は「隠れ多極派」が米国以外の国々に覇権の一部負担をさせようとしていると主張する田中宇(たなか・さかい)とは、いっけん真逆の見解のように見えるが、さてどちらが正しいのだろう。

 フリードマンの主張は、米国は自分より強い国が出現さえしなければよいというもので、米国はイスラーム世界が分裂したままの状態であればそれで十分であり、それ以上のものを望んでいるわけではない、とする。

 かつて英国が植民地支配の基本方針としていた「分割して統治せよ」(divide and rule)にきわめて似ているといえないだろうか。自ら育成した政権も、言うことを聞かなくなってくると力づくで打ち倒す、というのはわれわれも何度も目撃している。イラクのサッダーム・フセイン政権もその一例であった。

 
 少なくとも「500年単位」の歴史という観点から見るかぎり、フリードマンのいっていることに耳を傾けたくなる。確かに、第一次グローバリゼーションであった、西欧による「世界システム」は20世紀にほぼ終わりを告げている。地中海から大西洋にかけての覇権をほしいままにした西欧世界も、第二次大戦によって大きく疲弊し、植民地を手放して縮小していった。

 第二次グローバリゼーションともいうべき米国主導の「世界システム」は、第二次大戦の勝利によって本格的に始まったといっていいだろう。この勝利によって全世界における英国の覇権は縮小、米国は日本海軍を完膚無きまで壊滅させたことによって太平洋の覇権も手に入れることとなる。大東亜戦争において、日本は西欧によるアジア支配の終焉を促進させる働きをし、米国による覇権確立の途を開いたことになる。敵として戦ったとはいえ、米国からみた日本の功績は大きい。

 現時点において、全世界に11隻の航空母艦(空母)を就航させているのは、世界中で米国ただ一国のみである。英語で aircraft carrier と表現する空母は、海上における航空機動力であり、これを全世界で展開する能力と経済力をもつのは米国だけだといっても過言ではない。かつて冷戦時代に覇権を争ったロシアも現在ではただ1隻のみであり、中国が航空母艦建設構想をぶち上げたが、果たして対抗勢力となりうるかはきわめて疑問である。果たして経済的負担に耐えられるのかどうか。

 こういう状況において、「通商国家」に存在意義のある日本がいかなる戦略をもって生き抜いていくか、答えは自ずから決まってくるというものだ。日本と米国では、チカラの差は歴然としている。
 なんといっても、地理的条件だけは、人間には全面的に変えようがないのである。個人なら移動すればいいが、民族単位での大規模移動が何を引き起こすか、ちょっと想像してみればそれがいかにナンセンスな発想であるかわかるはずだ。

 日本の民主党は、「米国と対等の関係になる」などと、たいへん勇ましいことを主張しているが、国際政治における軍事力の意味、とくに海軍力のもつ意味を理解しているのだろうか。たいへん疑問を感じざるを得ない。対米戦争の覚悟もなしに、米国と中国を天秤にかけ、いたずらに「友愛」をクチにして中国にすり寄るのはやめたほうがいいのではないか。

 食糧もエネルギーも、大半を海上輸送に依存している日本の生存条件と生命線がどこにあるのか、民主党の首脳は真剣に考えたことがあるのだろうか(・・といって、私は自民党を支持しているわけではない)。

 ただ、書評のなかにも書いたが、過去の日本の行動パターンを見ていると、追い詰められると突然急旋回して暴走するということが何度も観察される。人口減少状況で財政悪化の度合いの深刻化している日本は、いったいどこを向いて進んでいるのか。

 人口問題と、食糧・エネルギー問題、つまり広い意味での安全保障について、真剣に考える必要があるのだ。国民の生命・財産を守るのが政治の役目である。


『2020-10年後の世界新秩序を予測する-』(ロバート・J・シャピロ、伊藤真訳、光文社、2010)について

 東京の大型書店では、『100年予測』2020-10年後の世界新秩序を予測する-』(ロバート・J・シャピロ、伊藤真訳、光文社、2010)が平積みになっていた(2010年1月現在)。ついでにこの本についてもコメントをしておきたい。

 原著タイトルは、Robert Shapiro, Futurecast 2020: A Global Vision of Tomorrow, 2008
 エコノミストによる将来予測であるが、「リーマンショック」という金融危機発生以前の出版でもあり、予測がはすでに2010年時点でずれているもの(例えば、ケルトの虎アイルランドの苦境など)も少なからずあるが、韓国の実力の評価など日本人が考慮に入れておかねばならない項目もある。

 著者の論調は、①人口構造の変化―高齢化と労働人口比率の減少、②グローバリゼーションの進展、③米国が、比肩する国のない唯一の世界的軍事・経済大国となった。一国がこれほどの力を握ったのはローマ帝国以来であるという地政学的状況、の3つに集約することができるだろう。

 ただし、はっきりいってこの本は読む必要ない。小見出しと本文の内容が矛楯している箇所も少なからずあるし、とにかく長すぎるのである。同じことグダグダ何度も繰り返している箇所が多いので読んでいて面白くない。

 端折って翻訳したということだが、『100年予測』で分析のキーワードとなっていた「地政学」(geopolitics)にかんする一章が、日本語版ではまるまる省略されている、と訳者あとがきにある。Chapter 6 The New Geopolitics of the Sole Superpower: The Players という章だそうだが、これではこの本の価値を大きく下げる結果となっているのではないか。

 というわけで、この本は途中まで読んだが、最後まで読むのはをやめにして廃棄することとした。カネのムダだが、時間のムダのほうがもっと困る。フランクリンではないが、まさに「時はカネなり」(Time is Money)だ。大枚2,300円も払って購入したのに、まったくもって「高値つかみ」させられた。こういう本はよくレビューで確認してから購入するかどうか決めなければならないと痛感したのであった。古本屋に売っても100円がいいところだろう。
 
 なお、長期予測本では3つの原理-セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす-』(ローレンス・トーブ 、 神田昌典=監修、金子宣子訳、ダイヤモンド社、2007)も面白い。この本には米国のユダヤ人が米国を捨ててイスラエルに移住することになる、という予測?が書かれているが、そういうありえそうもないことを考えてみることも、アタマの体操にはなるといってよいだろうか。ちなみにこの本の著者ローレンス。トーブもまたユダヤ系である。
 


<関連サイト>

The American Public's Indifference to Foreign Affairs | Stratfor Geopolitical Weekly TUESDAY, FEBRUARY 18, 2014 (George Friedman)
・・アメリカは「衰退」しているのではない。第二次大戦時や冷戦時代とは異なり、アメリカを取り巻くコンテクストが変化したため、国民が外交にも内政にも「無関心」になったのだ、という趣旨。Stratfor主筆ジョージ・フリードマン論考。コンテクストは経営用語なら外部環境と言い換えていいだろう (2014年2月18日 追記)


ブログ内の参考記事

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

 戦国時代末期の16世紀、日本は西欧主導の「第一次グローバリゼーション」の波に全面的にさらされた。その本質に気がついていた為政者は、信長も秀吉も、国内統一戦争においてグローバリゼーションをうまく活用、最終的に天下をとった徳川幕府は「世界システム」から日本を切り離すことで、盤石の国内支配体制を確立する。
 そして、西欧主導の「世界システム」の絶頂期であった19世紀に、再び開国して荒波のなかに乗り出していったのが、幕末・明治の日本であったのである。


書評 『続・100年予測』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、ハヤカワ文庫、2014 単行本初版 2011)-2011年時点の「10年予測」を折り返し点の2016年に読む

(2016年6月10日 情報追加) 


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