『王室と不敬罪-プミポン国王とタイの迷走-』(岩佐淳士、文春新書、2018)という本が出版された。8月20日にでたばかりの今月の新刊だ。amazonで購入して、さっそく読んでみた。
それにしても、タイトルがあまりにも直球ど真ん中すぎる。タイに現在も関わっている人、過去に関わったことのある人なら、あらためて言わずもがなことだろう。こんなタイトルの本を出版するとは、この著者はよほど腹が据わっているのか、それとも・・?
2014年の最新のクーデター以降、いまだに民政移管が実現せず軍政が続いているタイ王国。立憲君主制のタイであるが、王政と民主主義の関係は、プミポン国王ラーマ9世がご健在であられた頃とはまったく様相を異にしている。民主化(といっても限定付きだが)以前の軍政時代のミャンマーを想起しないわけにはいかないのである。
ところが、この本は実際に読んでみると、タイトルから連想されるほどの刺激的な内容ではないことがわかる。参考文献をよく読みこなしたうえで関係者へのインタビューによるナマの声を拾い上げ、現在に至るタイ現代史を一般読者向けによく整理した内容になっている。タイにかんするホンネとタテマエの落差を明らかにした内容だ。
ただし、その参考文献のなかには、具体的な書名はここには書かないが、タイには持ち込み禁止の英文文献も含まれている(・・その英文書籍は、私も通読している。日本国内では入手可能だ。だが、出版されてから12年もたつが、日本での翻訳が出る気配もないのはなぜ?)。
個々の事象にかんして、著者自身の個人的な見解も加えられているが、私もその見解にはおおむね同意する。とかく王室関連の話題は、それこそ「不敬罪」のからみがあるので検証不可能なものが多い。そのため、推論するしかないのだ。
ただし、間違ったクチコミ情報が多いので、情報は精査する必要がある。フェイクニュース対応に限らず、情報リテラシーが求められるところだ。これは「不敬罪」が存在するタイでは、なおさらのことだろう。
■2014年クーデターから新国王即位までのタイ情勢
著者は、毎日新聞の記者で2012年4月から2016年9月までバンコクに駐在していた外信記者。まさにその赴任期間中にクーデターが発生し、現在まで続く軍政が開始されただけでなく、プミポン前国王の崩御とワチラロンコーン新国王即位があった。この本のもとになったのは毎日新聞に連載された記事とのことだ。 私はその記事は読んでいない。
だが、こんなストレートで直球なタイトルの本は、たとえ日本語であってもタイ国内への持ち込みは不可だろう。バンコク空港の税関で検査官にカバンを開けられて見つかったら、英語文献ほどその可能性は大きくないが、即没収される可能性もある。常識的に考えれば、この著者にタイ再入国許可が下りない可能性が高いし、無理に再入国は考えないほうが無難であろう。
(Kinokuniyaのネット書店の在庫状況 左からタイ、シンガポール、マレーシア 2018年9月2日現在の情報)
海外に出店している日本の紀伊國屋書店のネット店(Bookstore Kinokuniya)で在庫確認してみるとよい。東南アジアのタイ、シンガポール、マレーシアで在庫検索してみたところ、案の定タイでは在庫確認はおろか、タイトルさえ検索できなかった(上掲の画像の一番左がタイ)。皆さんも試みてみるといいだろう。タイの紀伊國屋書店の日本語書籍のサイトは以下のとおり。⇒ https://thailand.kinokuniya.com/t/books/japanese-books
著者も新聞社も、タイでは販売はおろか著者も再入国不可能の可能性もあることは想定内のことなかどうかは知らない。この本に書かれた内容は、タイの政治経済に関心のある人(・・とくに実際にかかわっている人)にとっては、当たり前と思えるようなことも多いので、イマイチといった感想が出るだろうし、あまり関心のない人にとってはどうでもいいようなことかもしれない。タイに興味はあるが、詳しくは知らないといった読者向けというべきだろう。
とはいえ、これをもって「不敬罪と王室」にかんする一般論にはしないほうがいい。タイのエスタブリッシュメントが、現在世界中に蔓延しているポピュリズムを否定しているという点をもって、素晴らしいなどとはとは思わない方がいい。あくまでも、タイという固有のコンテクストのなかで解釈すべき事象だからだ。
■「王政と民主主義はそもそも本来相容れない」???
本書を貫くスタンスにかんして私が違和感を感じたのは、著者が「王政と民主主義はそもそも本来相容れない」とアタマから決めてかかっていることだ。
1976年生まれという世代のせいなのだろうか、受けてきた教育のせいなのだろうか、それとも勤務先の毎日新聞社のスタンスによるものなのか? 著者の念頭には「立憲君主制の本家本元である英国」の存在が欠けているような印象を受ける。
たしかに「タイ式民主主義」は、米ソ冷戦時代の反共政策のもとに生まれてその後定着した歴史的な産物であり、その有効性は現在では大幅に形骸化してしまっている。
「不敬罪」など存在しなければ、問題も発生しないということもまた、否定しようのない事実ではあり、現代に生きる日本人としては、「不敬罪」が野放図に乱用されている現状が望ましいとはとても思えない。治安維持法が存在した戦前の日本を知識と知っていれば、当然の反応だろう。
だが、タイ王国のゆくえは、タイ国民自身が考えるべき問題であり、そのことは絶対に忘れてはいけないことだ。ビジネスであれ、それ以外の分野であれ、関係者は状況を正確に把握し、将来を予測するために、あくまでも本書に記載された知識を活用するというスタンスに徹しなければならないのである。知識として知ってくことは重要だが、クチに出してぺらぺらと語るようなことではない。
そのためには、最新情報を踏まえて執筆された本書は、タイについてあまり知らない人にとっては、ある意味では役にたつ内容となっているといえよう。「不敬罪」をタブー視しない英語文献なら多数あるが、日本語でこのテーマにかんして書かれた本は少ないからだ。
もっとも、タイといえば、観光(とくに夜の)にしか関心のない層には、まったく無縁の内容だろうが(笑)
目 次
プロローグ 「タイ式民主主義」の光と影
第1章 プミポン治世の終末
第2章 「タイ式民主主義」とは何だったのか
第3章 タクシンは「反王制」なのか
第4章 2014年クーデターの真実
第5章 プミポン国王後のタイ
エピローグ
謝辞
主要参考文献
著者プロフィール
岩佐淳士(いわさ・あつし)
毎日新聞外信部記者。1976年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2001年毎日新聞入社。福島支局を経て2006年4月に東京社会部。東京社会部では東京地検特捜部を担当し、小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件などを取材した。2010年4月に外信部に異動。2012年4月から2016年9月までアジア総局(バンコク)特派員。タイやミャンマーなど東南アジア各国の政治・社会のほか、中国とフィリピン、ベトナムが対立する南シナ海の領有権問題などを取材した。2016年10月、東京本社に帰任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<ブログ内関連記事>
JBPress連載第12回目のタイトルは、「タイではなぜクーデターがスムーズに行われるのか-「勅令・枢密院・不敬罪」3つのキーワードでタイを理解する(2017年11月7日)
タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ
・・「タイ語のマンガ版が興味深いのは、タイ王国憲法では、「神聖にして絶対不可侵」の存在である国王陛下を(・・戦前の大日本帝国憲法と同じ)、いかにマンガに登場させるかという点にかんして作者が大いに悩んだという。その結果、国王陛下はすべて白塗りで、透明人間のような描き方となった」
書評 『タイ 混迷からの脱出-繰り返すクーデター・迫る中進国の罠-』(高橋徹、日本経済新聞出版社、2015)-「2014年クーデター」は「混迷からの脱出」を可能としたか?
・・プミポン国王在世の末期まで扱っている
『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)
・・プミポン国王が主唱した仏教経済哲学。これと対立していたタクシン首相の新自由主義的な経済思想
JBPress連載コラム第31回目は、「まるでスイスのような知られざるタイの避暑地-タイ北部の山岳地帯でコーヒーが栽培されるまで」(2018年7月31日)
タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御(2016年10月13日)-つひにゆく道とはかねて聞きしかど・・・
タイのラーマ9世プミポン前国王の「火葬の儀」がバンコクで行われた(2017年10月26日)
「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)
この本が面白い!-26年ぶりに再読した『トルコのもう一つの顔』(小島剛一、中公新書、1991)、そしてその続編である漂流する『漂流するトルコ-続「トルコのもう一つの顔」』(旅行人、2010)
・・著者は、トルコ共和国への再入国禁止を2回くらっており、2回目の禁止は現在に至るまで解けていない
(2017年5月18日発売の拙著です)
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