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2023年9月20日水曜日

書評『原郷としての奄美 ー ロシア文学者 昇曙夢とその時代』(田代俊一郎、書肆侃侃房、2009)ー 奄美に生まれたロシア研究者の根底にあったのは「抑圧されてきた民(ナロード)」への共感であった

 
『原郷としての奄美 ロシア文学者 昇曙夢とその時代』(田代俊一郎、書肆侃侃房、2009)という本があることを知って、さっそく取り寄せて読んでみた。福岡の地方出版社からでている本だ。

ロシア文学を日本語訳で読んできた人なら、名前くらいは見たこと、聞いたことがあるのではないだろうか。長年にわたって気になってきた存在であるが、その人についてほとんど知ることができなかったのが、この本で本格的に取り上げられた昇曙夢(のぼる・しょむ 1878~1958)である。

南国情緒あふれれるカバーの挿画は、奄美に移住して南国の自然を日本画として描いた田中一村によるものだ。そう、昇曙夢は奄美出身である。正確にいえば、奄美大島に隣接する加計呂麻島(かけろまじま)の出身であったのだ。

加計呂麻島というと作家の島尾敏雄である。大東亜戦争末期に学徒動員で特攻艇の隊長として赴任していた東北出身の「島尾隊長」。そして、戦後になってからの、加計呂麻島出身の妻ミホとのあいだの壮絶な関係を描いた『死の棘』ではないか。


■ロシア文学とロシア社会の紹介者として

昇曙夢は最初はロシア文学の翻訳者として、そしてロシア革命以降もロシア文化の紹介者として活躍した人だ。

とはいえ、現在でも容易に入手できるのは、ロシア文学のなかでも特異な文学者であるソログープの短編集『かくれんぼ・毒の園』(岩波文庫、2013)くらいであろう。それも改版によってあらたにラインナップに加えられたものだ。



その昇曙夢が奄美にかんする大著を書いていることをしったのは、いつのことだったか。かれこれ20年くらい前だろうか。

それが『大奄美史』である。そうか、昇曙夢は奄美出身だったのか、だから西郷隆盛についても『西郷隆盛獄中記 奄美大島と大西郷』なんて本を書いているのだな、と。納得したのであった。



本書によれば、長きにわたる薩摩藩の支配により、新時代とはほど遠い状態に据え置かれていた奄美から脱出したい、その一心で鹿児島にでたものの、師範学校の入試には失敗、鹿児島で布教活動が始まっていた「ロシア正教」の信徒になった。そんなとき千載一遇のチャンスがめぐってくる。

勉強ができることが見いだされ、東京はお茶の水のニコライ堂にある6年制の「正教神学校」で寄宿舎生活を送りというチャンスである。いちどつかんだチャンスは絶対にものにする、そんな気迫さえ感じさせるものがある。脇目も振らずに猛勉強し、ロシア語を身につけたのである。

卒業後はすぐに神学校の講師として論理学・心理学・倫理学を担当する一方、精力的に書きまくったらしい。日露戦争を契機にロシアについて知りたいという需要が増大していたためだ。捕虜収容所の通訳やジャーナリスト的な活動も行っていた。

ロシア文学の翻訳もやっているが、正規の学校制度のルート出身ではなかったがゆえの苦労もつきまとったようだ。

なぜ奄美出身の昇曙夢が、ロシアや革命以降のソ連にも関心を抱き続けたのか、著者である西日本新聞の田代氏も、「跋」を書いているロシア研究者の長縄光男氏も、抑圧されてきた民(ナロード)への共感が原点にあったのではないかとする。


ロシアにおいては、1860年に解放されるまで「農奴制」がつづいていた。約240年にわたる「タタールのくびき」という異民族支配から脱したあとも、ロシア人がロシア人を奴隷化する時代が約2世紀にわたってつづいたのである。

昇曙夢はソ連時代に4回渡航しているが、1928年にソ連にいった際に収集した資料をもとに、『ソヴェートロシヤ漫画・ポスター集』(昇曙夢編、南蛮書房、昭和4=1929年)という著作を出版している。著作権が切れているので国会図書館デジタルコレクションでネットで閲覧することができるが、内容は革命後のソ連の政治と社会を礼賛するような内容である。

昇曙夢は、スターリンの農業集団化政策や、ウクライナで大量餓死を招いた「ホロドモール」については知らなかったのだろうか?

長縄氏も指摘しているように、生涯にわたって正教徒でありつづけた昇曙夢が、「無神論」を国是とし、正教会を徹底的に弾圧したソ連とどう内面で折り合いをつけていたのかが掘り下げられていない。

この点については、わたしも疑問に思っている。今後の研究テーマであろう。


■昇曙夢の夫人の「回想録」は貴重な証言

さすがに九州の新聞社だけあって、奄美もふくめた徹底した取材にもとづく内容は、はじめて知る事実も多く有益であった。

とはいえ、新聞連載の文章をそのままの形で書籍にしているので、読み切り形式のメリットとデメリットの双方がでている。書籍化の際にはもう一度練り直して、書き直したほうがよかったのではないかと思う。新聞連載ものの「負の側面」である。

本文にもまして夫人の昇藤子による『思い出の記』が貴重である。昇家に残された生原稿の活字化とのことで、これを読むためだけでも入手する価値がある。

50ページ弱のこの回想録は身辺雑記も含んだものだが、昇曙夢のロシア語、ロシア文学関係人脈の広さが来客録という形で残されているからだ。そのなかには、ロシア文学翻訳家として著名な米川正夫と中村白葉、のちの湯浅芳子や金子幸彦なども含まれる。

とはいえ、昇曙夢が今後も言及されるとすれば、おそらくロシア関連ではなく、郷土奄美をこよなく愛し、奄美のために献身した郷土の偉人のひとりとしてであろう。

柳田國男との交流によって触発され、文字通り昇曙夢のライフワークとなった『大奄美史(奄美諸島民族誌)』の著者として。




目 次
本文(*小項目が並ぶので省略)
思い出の記(昇藤子)
跋(長縄光男)
昇曙夢 略年譜
参考文献
あとがき

著者プロフィール
田代俊一郎(たしろ・しゅんいちろう)
1950年、北九州市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。西日本新聞客員編集委員、筑紫女学園大学非常勤講師。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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・・湯浅芳子(旧制 井上)は京都から単身上京して昇曙夢に弟子入りしている。ともにソビエト・ロシアに多大な関心をもっていた


・・奄美に移住したのは、沖縄復帰前は奄美が日本の最南端であったから


・・「沖縄と奄美の深くて濃い関係です。人間を軸に据えると見えてくるのが、沖縄と奄美という南西諸島のあいだの関係」

・・トルストイ主義者たちがソ連でつくった共同生活体(コミューン)に、「生活と労働」は、スターリンによる集団農業化で弾圧され、最終的にはコルホーズ化され消滅した。



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