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2022年12月24日土曜日

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796年)は、ある程度の人生経験を積んでから読むと味わい深い

 

この長編小説は、ヴィルヘルムという一青年の前半生の人生修行を描いたものだ。最後の最後まで、どんでん返しにつぐどんでん返しで読者を引っ張っていく。 

身分制社会だった時代、「市民階級」に生まれながら、当時のドイツではいかがわしいとされていた旅芸人の一座に身を投じ、自分が好きな演劇の世界で身を立てようと苦労を重ねる青年。迷い道を歩きながらも多くの女性たちとのかかわりを経て、ついに本当に自分が進むべき道を発見し、秘密結社から「修業証書」を渡されて修行時代を終える。そんな内容だ。 

いわゆる「教養小説」というジャンルに分類される小説だ。というよりも教養小説の元祖とされる作品である。小説のなかで大きな意味を占めるのが、当時のドイツがモデルとして学ぼうとしていたシェイクスピアの『ハムレット』の上演をめぐるやりとりである。

最初から最後まで「演劇の精神」に貫かれたこの小説は、ヴィルヘルムが少年時代に熱中した人形劇そのものといえるかもしれない。見えない糸に操られた登場人物たち。登場人物たちの関係性は、小説が最後に近づいていくにつれて明らかになっていく。

教養小説とは、ドイツ語のビルドゥングスロマン(Bildungsroman)の訳語だが、「教養」という日本語のニュアンスとはどうも違うような気がする。「教養」というよりも、むしろ「修養」というべきであろうし、「人間形成」小説とか、「自分発見」小説といったほうがいいのではないか。 

とはいえ、さすが「人生の達人」ともいうべきゲーテである。18世紀末の1796年、ゲーテが47歳で完成した長編小説である。全編これ名言と格言の集まりといった趣きで、人間心理への洞察力、人間観察の深さ、語りのうまさを存分に味わうことができる。 

たとえば、かの有名な「複式簿記は、人間の精神が生んだ最高の発明の一つ」という名言は、ヴィルヘルムの友人で商人になった男のセリフにでてくる。このほか、「涙ながらにパンを食べ・・」は、竪琴弾きの老人が歌う歌詞にでてくる。このほか自己啓発関連の名言が、それはもうそれこそ山のようにでてくるのだ。 

マリアーネ、フィリーネ、アマーリエ、テレーゼ、ナターリエといった個性豊かな女性たちの描き方も、さすがゲーテというべきだろう。こういった、それぞれ身分もキャラも違う女性たちとのかかわりが、さまざまな意味で、青年ヴィルヘルムの人間性(と魂)を磨いていくのである。 

だがなんといっても、印象に残るのはミステリアスな薄幸な少女ミニヨンであろう。「君知るや南の国」で始まるミニヨンの歌も有名だ。ゲーテがつくりだした人物で、これほど印象に残る人物もほかにはないだろう。 

(映画『まわり道』から。ヴィルヘルムとミニヨンの出会いのシーン)

ちなみに、自分的には、この小説を翻案したヴィム・ヴェンダースの映画『まわり道』でミニヨンを演じた、少女時代のナスターシャ・キンスキーの印象がひじょうに強い。 

そして、全8巻のなかにあって、転換点となる第6巻にあたる『美しき魂の告白』

ある女性がつづった手記という形をとった、これじたいがひとつの短編小説のような内容だが、ひたすら自分の「内面の声」に忠実に生きようとした女性の、神との対話をつうじた自己の確立を描いたものだ。このような生き方は、現代でも外的世界とさまざまなコンフリクトを生み出すことは言うまでもない。 

人間は活動することで、人生という旅をつうじてさまざまな人との出会いと別れを繰り返し、たとえ迷い道を歩くことになろうとも、いつかは自分が生きるべき道を見いだすことになる。これが全編をつうじてのメッセージだろうか。 

人生経験を積んでから読むと味わい深く感じるのは、迷っている最中には本当の道がわからないからかもしれない。もちろん、この歳になっても迷いが消えたわけではないが。 


 
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PS 外国文学の翻訳について 

それにしても、約40年まえに読んだときの内容をほとんど覚えていなかったことに驚いている。

小宮豊隆訳の岩波文庫の旧版があまりにもひどい訳だった(・・この人は漱石の弟子で漱石全集の編者として有名だが、ドイツ文学者でもあった) 。日本語にない白抜き句点を発明したり、まったく無意味な訳文であったことばかりが記憶に残っている。

もちろん、ミニヨンのことは覚えていたが、この小説の終わりのほうで描かれるミニヨンの最期は哀しいが、そんなことも記憶から消えていたとは・・。 

とはいえ、「新訳」であるこの岩波文庫版も問題がないわけではない。そもそも翻訳小説は、最初から日本語で書かれた小説と比べて、けっして読みやすいものではないが、違和感を感じるのは女性のセリフの訳である。 

いわゆる「女ことば」が存在するとされる日本語だが、あまりにもそれを強調すると、違和感を越えて滑稽にさえ響く。「・・わ。・・・わ。・・・わ」とつづく女ことば。いまの世の中、そんなしゃべり方する女性はいないだろう、と突っ込みたくなるのは、わたしだけではあるまい。 

男女間での差異が減少しユニセックス化が進む、現代日本語による訳が必要ではないだろうか。外国文学の翻訳者は、マンガやアニメのセリフなど、生きた日本語をもっと研究すべきだろう。


<関連記事>

・・『美しき魂の告白』で重要な意味をもつ「ヘルンフート同胞団」(モラヴィア同胞団)
モラヴィア兄弟団は、共通の体験、交わり、分かち合いを回復することによって教会の革新を目指す共同体運動の一つで、ドイツにおいてはモラヴィア教会(Herrnhuter Brüdergemeine)と呼ばれた。 ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ 1722年ツィンツェンドルフ伯爵の領地にモラヴィアから逃れてきたフス派、兄弟団の群れが、ヘルンフート(主の守り)と呼ばれる共同体を形成した。各地で迫害されていた敬虔派やアナバプテストも逃れてきたが互いに権利を主張しあって問題が絶えなかった。しかし、1727年8月13日の聖餐式で全員が聖霊の力を経験して、その結果として財産共同体が発足した。1737年にニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフが監督となる。・・・」(Wikipediaより)
 
<参考文献>




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