この本は面白い。じつに面白い。日本という国を知るためには必読書といっていいのではないか。
松本健一氏は、日本の近世と近現代の思想を、人物を中心に描いてきた多作の人だ。惜しくも2014年にお亡くなりになったが、遺著となったこの本は、図らずも松本氏にとっての集大成、あるいは総決算のような内容になっている。
「天皇家にはなぜ姓がないのか」という副題にまず目がいく。これは序章のタイトルでもあるが、なかなかうまい導入である。だが、それだけでなく、この本の底流に流れるテーマでもある。
天皇家だけに姓がないのは、天皇が姓をあたえる存在であるのに対し、それ以外は天皇から姓をあたえられる存在だからである。
著者は、この仕組みは、おそらく7世紀の天武天皇の時代に確立したのであろうと推測している。もちろん仮説であって確証があるわけではないが、きわめて説得力のある議論だ。
なぜそうなったか? それは、日本という国が、王朝の交替が発生する中国とは違う国であることを明確にするためであろう。著者はそう整理する。 中国は「易姓革命」の国であるが、日本はそうではないのだと。
「日本」という国名じたい、その頃に確立したものだ。 兄の天智天皇の子から帝位を奪い取った天武天皇は、実質的には儒教的な意味での「革命」によって権力を握った存在である。だからこそ、自分の子孫にはそんなことが起こらないよう、深慮を巡らしたのであろう。「革命」はだめだが、「維新」なら良い、と。
ここで意味をもってくるのが「孟子」なのだ。「孔子」とならんで「孔孟」と称される儒教の聖人であるが、上に立つ人の民に対する「仁」を重視した孔子とは違って、その2世紀に生きた孟子は、「義」を重視し、民に「仁」を施さない王は倒してもよい、とした。
日本語では「仁義」と熟語的にもちいるが、「仁」と「義」はベクトルの方向が違うのである。「仁」は上から下へ、「義」は下から上に働くものだ。
つまり孔子が「統治する側」の論理と倫理であるのに対し、孟子は「統治される側」の論理と倫理を重視しているのである。一言でいってしまえば、孟子の思想は「民主思想」であり、「革命思想」なのである。
朱子学を体制の学とした徳川幕府であるが、「四書五経」に含まれる『孟子』は「教養」として教えるだけで、『孟子』を「実践」として強調しないようにしてきた。
幕末の志士たちの根底で、行動の原動力となっていたは「陽明学」だとされることが多いが、それよりも「孟子」のもつ「革命思想」の方こそ重要ではないかと著者はいう。
吉田松陰、西郷隆盛、そして北一輝。いずれも「孟子」を重視した「革命家」たちである。吉田松陰が孟子を読み抜くことで生まれたのが『講孟余話』である。孟子の影響が大きいことがわかる。
西郷もまたそうであり、「昭和維新」(≓「226事件」)の思想的バックボーンであった北一輝もまたそうだったのだ。だが、北一輝は失敗に終わった。
権力奪取の段階では「孟子」が重視されるが、権力基盤が確立し安定してくると「孔子」が重視され、「孟子」は背景に追いやられる。日本史をこの繰り返しとみると、また違った姿が見えてくることだろう。
著者によれば、現在の中国共産党も悪名高き「孔子学院」にあるように「孔子」は強調しても、「孟子」は学校では教えていないらしいのだ。「孟子」のもつ「民主思想」と「革命思想」が怖いのだろう。
現在の日本では、すでに儒教はおろか、孔子も孟子もたんなる「教養」、あるいは「知識」レベルの存在となってしまっているのだが、それでも見えないところで孔孟の思想が作動しつづけているといっていいのかもしれない。
そんなことを考えるためにも、ぜひ一読するべきだと思う。話の展開だけでなく、語り口もまた大いに読ませるものだからだ。
目 次序章 天皇家にはなぜ姓がないのか第一話 日本国の成り立ちと『孟子』第二話 革命のない天皇制国家へ第三話 『孟子』は日本に入らなかったか?第四話 国学思想と『孟子』第五話 吉田松陰の「国体」論第六話 西郷隆盛の「至誠」第七話 北一輝の「民主革命」第八話 近代日本のなかでの教養 ― 新渡戸稲造・福沢諭吉・丸山眞男第九話 『孟子』は忘却されたか ― 三島由紀夫・司馬遼太郎・河上徹太郎あとがきに代えて
著者プロフィール松本健一(まつもと・けんいち)日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。主な著書に『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、アジア・太平洋賞受賞)、『日本の近代1 開国・維新』(中公文庫、吉田茂賞)、『評伝北一輝 全五巻』(中公文庫、毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞)など多数。2014年没。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに wikipedia 情報で加筆)
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