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2023年1月23日月曜日

書評『炎の陽明学-山田方谷伝 ー』(矢吹邦彦、明徳出版社、1996)ー 江戸時代後期から幕末、そして維新後まで生きた「財政の巨人」の生涯、その全容を知る

 

「構造改革」が流行語だった当時に山田方谷(やまだ・ほうこく)の存在を知って以来、読もう読もうと思いながら幾年月。 

読み終えて思うのは、やはり読んでよかったということだ。人物の概要だけ知っていてもダメなのだ。その全容を知らなくてはならないのだ、と。 

(帯のオモテ)

山田方谷(1805~1877)は、知る人ぞ知る存在である。方谷は号であり、通称は安五郎であった。

陽明学に傾倒した儒者。農民出身でありながら藩校の学頭に取り立てられ、備中松山藩の「ナンバー2」として、藩主から絶大な信頼を受け、藩政改革をやり遂げた「財政の巨人」。財政破綻していた藩政を短期間で立て直し、富国強兵を実現した才能と手腕、そして胆力の持ち主であった。 

藩政改革といえば、上杉鷹山という連想がすぐに働くだろう。内村鑑三が英文の『代表的日本人』で取り上げて以来、世界的に有名だが、その詳細を見たら、はるかに山田方谷には及ばない。


(山田方谷 Wikipediaより *方谷は写真撮影を嫌っていたという)

山間の小藩の財政とはいえ、山田方谷のとった手法と実行力は、現在でも財政立て直しの教科書とされるほどすぐれたものだ。その肝は、徹底的な経費削減と新規事業投資であった。もっとも有名な産品が「備中鍬」である。この手法は成功し、愛弟子の河井継之助が長岡藩で再現している。

しかも、その手法も実行もみな中国の史書にモデルを求めたということがすごい。儒者ならではのケーススタディ活用法である。当時はターンアラウンドの教科書などなかったのだ。

佐藤一斎の門下で塾頭をつとめた俊才であり、佐久間象山と並んで「佐門の二傑」と呼ばれた存在であったが、象山ほど世に知られていない。だが性格は真逆で、しかも人物としては、方谷ははるかに象山を上回る存在であったというべきだろう。 方谷が陽明学に傾倒したのに対し、象山は朱子学に徹底的にこだわった。

(帯のウラ)

司馬遼太郎の長編小説『峠』の主人公は、長岡藩の家老として戊辰戦争を戦った河井継之助だが、その継之助が内弟子として親しく教えを受け、死の直前まで心底から敬っていたのが山田方谷である。そう言えば、ああ、あの人かとわかるのではないだろうか。 

そんな山田方谷の盟友として人生を伴走したのが、著者の先祖にあたる庄屋の矢吹久次郎であった。本書は、山田方谷が矢吹久次郎にあてた密書を含む書簡を一次資料とし、残された漢詩から山田方谷の心情をさぐった評伝である。 山田方谷の情報網は、やり手の商売人でもあった矢吹久次郎にあったらしい。

(河井継之助 Wikipediaより)

陽明学というと、先に名を出した河井継之助だけでなく、大塩大塩中斎や西郷隆盛がすぐ連想される。だが、それだけが陽明学ではない。そのことを一身で示したのが山田方谷の生涯というべきだろう。 

方谷は陽明学そのものも突き抜けて、「活学」としての自分自身の哲学を作り上げていたというべきかもしれない。朱子学をベースに陽明学を修めていただけでなく、禅仏教や老荘思想の影響も受けていた博識の人であった。


■「ナンバー2」としての生き様

山田方谷がかつて師として教え、かつ「ナンバー2」として仕えた藩主の板倉勝静(いたくら・かつきよ)は、松平定信の孫であった。定信はまた八代将軍吉宗の孫である。

藩主の絶対的な信頼のもとに全面的に任されていたからこそ、山田方谷は大胆な改革を実行することができたのだ。いわば同志的結合である。 

(板倉勝静 Wikipediaより)

分析力と洞察力に富み、幕府の命運が長くないことを早くから予見していた方谷の反対にもかかわらず、「最後の老中」として徳川幕府と命運をともにした、「ナンバー1」である藩主との愛憎に満ちた関係。その結果、板倉勝静と備中松山藩は「朝敵」とされてしまう。

四方を新政府側に包囲されるという苦難に満ちた状況のなか、山田方谷は「無血開城」を実現する。長州藩にさきがけて農民兵を組織し、西洋式軍隊を常備していた備中松山藩だが、冷静な計算のもとに無用な衝突を避けることに成功した。

この点は、新政府側に中立を拒否されたため徹底抗戦の末に敗れ去り、結果として長岡を廃墟にしてしまった河井継之助との違いが大きく現れている。

継之助の墓碑銘の執筆を関係者からたのまれた山田方谷は、弟子の非業の死に筆をとることができなかったという。碑銘を書いたのは、方谷の一番弟子であった三島中洲である。

板倉勝静と山田方谷という主従関係を軸にした幕末史もまた、一般に流通している官軍サイドの幕末史とは違った側面から歴史を読む面白さがある。

財政立て直しの手腕が買われて、維新政府から6年にわたって何度も出仕を求められたが、最後まで断り続けた。その理由もまた興味深い。慶喜の直属の家来であった渋沢栄一との違いである。 

すぐれた手腕を示し、信念を貫き、見事なまでの出処進退を示した山田方谷であった。だが、私生活にはかならずしも恵まれなかったようだ。まあ、人生とはそういうものかもしれない。成功した経営者もそうであるが、偉人とよばれる人の多くがそうであるのと同様に。 

ずしりと重いこの本を読み終えて、人間の生き方、生き様にかんして、さまざまなことを考えている。そうさせるだけの人物が山田方谷であった。 




目 次
序文にかえて
第1章 もとめるは陽明学
 1 神童といわれて /2 両親の死、家業を継ぐ 
 3 儒教と武士道 /4 京都遊学
 5 武士への出世とおかげ参り
 6 陽明学との出会い /7 師の白鹿との対立
 8 江戸へ、佐門の塾頭 /9 佐久間象山の登場
 10 死をみつめて /11 藩校有終館学頭となって
 12 アヘン戦争勃発
 13 若き獅子たち /14 幕府諸藩の改革
第2章 風塵の嵐「藩政改革」 
 15 世子の御国入り /16 変身
 17 元締役拝命 /18 衝撃地帯
 19 帳簿公開 /20 節約令と産業振興
 21 藩札の改新 /22 文武奨励
 23 黒船襲来 /24 改新は進む
 25 方谷の危機 /26 火宅の人、方谷
 27 寺社奉行勝静の誕生
 28 安政の大獄と、勝静の失脚
第3章 幕末の政治顧問 
 29 孤灯の家 /30 河井継之助の来訪
 31 桜田門外の変 /32 勝静、幕閣に返り咲く
 33 老中勝静の政治顧問 /34 舞台は京都へ
 35 大政奉還と方谷の密書
第4章 明治維新 ― 森の人方谷 
 36 国破れて山河あり /37 江戸城開城と勝静流転
 38 青き竜、河井継之助の咆哮 /39 勝静の自首と藩再興
 40 新しい出発 /41 閑谷学校よ再び
 42 再会、勝静の来訪と久次郎の死
 43 春風と共に帰っておいで、生徒達
あとがき

著者プロフィール
矢吹邦彦(やぶき・くにひこ)
1940年、石川県加賀市塩屋生まれ。本籍、鳥取県日野郡阿毘縁。京都大学文学部社会学科卒。長きにわたるビジネスマン生活に別れをつげ、2000年4月より山田方谷の故郷・岡山県高梁市にある吉備国際大学教授に就任(新設された政策マネジメント学部および社会学部で、吉備文化論・実践マネジメント・実践マーケティング論を講義)。中小企業診断士(2004年刊行の著者につけられたプロフィール)


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