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2022年5月26日木曜日

書評『ゲコノミクス ― 巨大市場を開拓せよ!』(藤野英人、日本経済新聞出版社、2020)― 個人レベルの「選択の自由」が保証された社会では酒を飲まない人がマジョリティになる!

 


酒をやめて「500日」になったこともあり、積ん読となっていた本をささっと読んでみた。  著名な投資家は、「酒を飲まない人」を大ぐくりで「ゲコノミスト」と命名している。

「下戸(げこ)」とは厳密にいえば「酒を飲めない人」のことだが、「酒を飲めないから、飲まない人」だけでなく、「酒は飲めるが、飲まない人」までカバーしている。 わたしも自分自身が「酒を飲まない人」にならなかったら、こんな本はまず読むことはなかっただろう。

わたしは「酒は飲めるし、強いし、好きだ(った)が、飲まないことにした人」なので、厳密にいえば狭い意味の「下戸」ではない。だが、広い意味で「ゲコノミスト」に分類委されるということになるのだろう。そんな人は少なくないようだ。 「ゲコノミスト」の個別性、多様性が重要なのである。


(2022年5月16日に500日達成していた)


2020年5月に初版がでた本だが、読んでいると2019年には「飲み会スルー」が流行語になったとあった。 ああ、そういえばそんなこともあったなと思い出しながら読んだが、2020年1月から始まった「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)がパンデミックとなって、この2年間で組織が主催する「飲み会」がほぼ絶滅危惧種となった。 大きな環境変化である。

この流れは、もはや不可逆の流れといっていいだろう。お酒を飲まない人がマジョリティになる! 飲む飲まないは、あくまでも「個人の自由意志」にもとづく「選択の自由」の問題だという認識が定着してきたのである。

酒を飲みたい人は飲めばいいし、飲みたくない人は飲まなければいい。そんな社会が到来しつつあり、定着しつつあるのだから、たいへん結構なことではないか! ようやく日本も、先進国になりつつあるわけだ。

すでに「お酒を飲まない人」の巨大な市場が存在するのに、業界はまだ、まだ対応しきれていないというのが本書の趣旨。その通りだろう。 

ちなみに、わたしは酒を飲まなくなってからも「ノンアルビール」は飲まない。むかしから嫌いだからだ。ビールからアルコールを抜けばいいというのは陳腐な発想だ。 

個人的な話だが、なんといっても「水」がいちばんうまい。それも「炭酸の入っていない純水」。料理の味はアルコールで舌をごまかすのではなく、水ならきちんと味わうことができる。我慢して酒を飲まないのではない。飲みたいという気持ちじたいが失せてしまった。 

巻末の「ゲコゲコ 特別対談 糸井重里×藤野英人」は面白かった。 著者の藤野英人氏だけでなく、糸井重里氏も「下戸」だったのか。


目 次
序章 ゲコノミクスについて、大マジメに語ろう
第1章 見落とされてきた巨大な「ゲコ市場」
第2章 投資家が考える「企業経営とアルコール」
第3章 多様性と「飲む・飲まない」の選択との関係
第4章 ゲコ市場開拓のヒント
ゲコ×ゲコ特別対談 糸井重里×藤野英人

著者プロフィール
藤野英人(ふじの・ひでと)
レオス・キャピタルワークス株式会社代表取締役社長・最高投資責任者。1966年富山県生まれ。1990年早稲田大学法学部卒業。国内・外資大手投資運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス創業。主に日本の成長企業に投資する株式投資信託「ひふみ投信」シリーズを運用。JPXアカデミーフェロー、明治大学商学部兼任講師、東京理科大学上席特任教授。一般社団法人投資信託協会理事。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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(2023年12月17日 項目新設) 


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・・組織が主催する「飲み会」を支配しているのは日本人を見えないところで縛り付けてきた「世間」である


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2021年11月23日火曜日

書評『ない仕事の作り方』(みうらじゅん、文春文庫、2018)-笑わせながら本質に迫る内容のビジネス書

 
 『ない仕事の作り方』(みうらじゅん、文春文庫、2018)をようやく読んだ。リアルタイムでみうらじゅんのファンであれば当然だが、そうでなくても読む価値のある本だ。 

単行本がでたとき読もうと思いながらも、タイミングを失していた。文庫化されてもまたタイミングを失し・・。昨日、書店の店頭で見て即購入。面白いのですぐに読んでしまった。*

*(注) これは6月4日時点の話。この投稿はFBで最初に公開したものを加筆修正したもの

「ない仕事」を「作る」ということは、むずかしく言い換えれば「市場創造」ということになる。個々のアイテムとしては世の中には存在しているのだが、それをまとめてカテゴライズしてコンセプト化し、記憶に残るネーミングによって1つの「市場」を浮上させる。 

みうらじゅんが作りだして、もっとも有名になったのが「マイブーム」と「ゆるキャラ」だろう。すでに市民権を得ており、だれが最初に言い出したのかさえわからなくなっているほどだ。 固有名詞の普通名詞化である。

この本で、その手の内をぜんぶさらけ出してくれているだけでなく、糸井重里とのスペシャル対談もいい。みうらじゅんの発言にも、糸井重里の発言にも、なかなか含蓄のあるものがあって読ませるものがある。 

よくできたビジネス書として読むのもいいかもしれない。 




目 次 
第1章 ゼロから始まる仕事-ゆるキャラ
第2章 「ない仕事」の仕事術
第3章 仕事を作るセンスの育み方
第4章 子供の趣味と大人の仕事-仏像
スペシャル対談 糸井重里×みうらじゅん I don't believe me. 

著者プロフィール
みうらじゅん
1958年京都市生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、漫画家、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンなどとして幅広く活躍。1997年、造語「マイブーム」が新語・流行語大賞受賞語に。2005年、日本映画批評家大賞功労賞受賞。2018年、仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞。興福寺「阿修羅ファンクラブ」の会長。音楽、映像作品も多数ある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2014年8月30日土曜日

アダム・スミスの 「見えざる手」 は 「神の手」 ではない! ― それは 「意図せざる結果」の説明として導入されたものだ



日本のビジネス関係者が日頃なにげなく使用する表現に、「神の見えざる手」というものがある。経済学の父アダム・スミスが使ったとされている表現だ。

需要と供給の関係をつうじて市場(=マーケット)にはたらく自動調整メカニズム(=ビルト・イン・スタビライザー)のことである。政策当局者という「見える手」による介入ではなく、自由放任(=レッセフェール)純粋状態ではたらくとされている。

マーケット参加者の個々の意志をこえて、あたかも「見えない」力によって動かされているという印象を受けるから使われるのである。マーケットの健全性はこの「見えざる手」によって可能となる。

マーケットについて語る人でこのフレーズを知らない人はいないだろう。経済学を勉強したことのない一般人のあいだでも比較的しられているかもしれない。もしかすると高校の「政治経済」(?)の授業で習ったような気もする。

動機がたとえ利己主義によるものであっても、その振る舞いがたとえ利己的なものであっても、マーケットにおいては、不正な手段を用いない限り、自分の思うような形での操縦は不可能である。あたかも「神の意志」がはたらいているかのように

だが、アダム・スミスは「神の見えざる手」とは一言もいっていないのだ!

アダム・スミスは、「見えざる手」という表現を使用してはいても、それが「神の手」などとは言っていないのである。

この表現がでてくるのはアダムスミスの主著の一つ『国富論』(1776年)である。オリジナルのタイトルは The Wealth of Nations であり、 『諸国民の富』とするのが適当だろう。

原文をみてみよう。アダム・スミスの 『諸国民の富』の初版本(?)がなぜか東京駒込の東洋文庫に所蔵されているようで、この写真は展示されていた際にわたしが撮影したものである。


(アダム・スミスの「見えざる手」(an invisible hand)  東洋文庫にて筆者撮影)


By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was not part of it. By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it. I have never known much good done by those who affected to trade for the public good. It is an affectation, indeed, not very common among merchants, and very few words need be employed in dissuading them from it.

個人的な安全(his own security)や個人的な利得(his own gain)を最大化しようと追求しようと意図しているのにもかかわらず、「見えざる手」(an invisible hand) に導かれて、社会全体において自分が意図すらしていなかった結果を促進してしまう(to promote an end which was no part of his intention)、ということをアダム・スミスはいっているのである。

個人的な利己主義が社会全体の利益を増大させるマジックを、「見えざる手」で表現しているわけだ。これは言い換えれば、「意図せざる結果」(unexpected results)について語ったものだが、社会科学においてはかならず心しておかねばならないきわめて重要な考えである。

見えざる手」(an invisible hand) が『諸国民の富』に登場するのは、たったのこの一回だけなのだ。索引(インデックス)で調べてみればすぐにわかることだ。

英語の原文は、不定冠詞 an のついた単数形 an invisible hand なので、右手なのか左手なのかもわからない。どちらか一方の手である。ましてや両手ではない。大文字の Hand ではないので、「神の手」ではない。

アダム・スミス本人の意図にかかわりなく、受けいれる側が自分たちに都合のいいような解釈をした結果、意味が変容して定着したのだということがわかる。これもまた「意図せざる結果」(?)かもしれない。

『諸国民の富』が出版された1776年は、フランス革命の13年前である。18世紀後半には、もはや、あえて神の名を出す必要がなかったと考えるべきかもしれない。

あくまでも個人的な利己主義が社会全体の利益増大に転ずるメカニズムについて語っているのだが、「見えざる手」という日常表現が誤解を生みだしたのかもしれない。アダムスミスの心中はわからないが。

日本ではよく「ゴッドハンド」なる表現がつかわれるので、その連想もあるのかもしれないが、「神の見えざる手」とはクチにしないよう、大いに気をつけるべきなのだ。


(見開きページの右側に「見えざる手」が登場する)



アダム・スミスの『諸国民の富』は厚さは『聖書』(バイブル)なみ

「見えざる手」(an invisible hand) が登場するのは、『諸国民の富』の中ほどである。最初のページから読み始めて、ここに到達するまでにいったいどれだけの時間がかかるのだろうか。

しかもたった一回しか登場しないので、読み飛ばしてしまう恐れが大きい。索引(=インデックス)がなければ、とても探すことはできないだろう。

アダム・スミスの『諸国民の富』は、あまりにも長いので、たとえ経済学部出身者でも全部読んだ人はいないだろう。写真にある原書は、2,000円という破格の安値で大学時代に購入したものだが(・・その当時すでに当然のことながら著作権は切れていた)、経済学部出身ではないわたしは、もちろ読んでいない。自慢にはならないが・・・。

アダム・スミスの文章は、読み始めても、抑揚のない話が続くので、読み進めるのが困難だからということもある。この性質は、すでにかなり昔の学者も指摘していることだ。

大学時代、一般教養課程の歴史関係の授業で、ビザンツ史の世界的権威であった渡辺金一教から図書館から借りて読むようにと言われたのが、「アダム・スミスの体系なき体系」(三浦新七)という論文である。

三浦新七は、一橋大学(=東京商科大学)草創期の歴史学者で山形銀行頭取だった人だ。「アダム・スミスの体系なき体系」は、『商学研究』(1923年)に発表された論文で、『東西文明史論考-国民性の研究-』(岩波書店、1950)に収録されている。この本は小平分館(当時)に何冊も収蔵されていた。

興味のある人は、この論文はネットでも公開されているので、読んでみたらいいと思う。旧字体で旧かなという、きわめて古めかしい文体だが、内容的にはアングロサクソン的思考の本質に肉薄するものだといっていい。

ちなみに、三浦新七はドイツに長く遊学していて、歴史学者ランプレヒトの助手をつとめていたドイツ畑の人であった。ドイツ的な思考方法に慣れていたからこそ、アダム・スミスについて「体系なき体系」という表現でその特色を明確に洗い出しているのである。

アダム・スミスは、「分業」(division of labor)など労働経済学や労働社会学にかんする重要な概念を生み出したことでも有名だ。だから、社会学史の授業ではマルクスに先行する「社会学者」としても登場する。

さらにいえば、『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)という著作の著者でもあることも付記しておかなくてはならない。1759年に出版されたこの本は、『諸国民の富』(1776年)の17年前に出版されたものであることに注意しておきたい。「見えざる手」(an invisible hand)という表現は、すでに『道徳感情論』にも登場しているらしい。

経済学と倫理学は、そもそも同じルーツから出てきたものであり、両者はオモテとウラの関係にある。この姿勢をもっとも明確に意識しているのは、インドのベンガル出身のアマルティヤ・セン博士であろう。厚生経済学の立場から、アダムスミスの「ホモエコノミクス」(homo economicus)仮説について、的確なコメントをされている。

アダム・スミスはスコットランド人であった。


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<関連サイト>

「アダム・スミスの体系なき体系」(三浦新七) (一橋大学機関リポジトリ)

An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
・・『諸国民の富』の全文がここで読める


<ブログ内関連記事>

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・「見えざる手」が「神の見えざる手」と誤解されていることに著者が言及している

「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・「<書評への付記-"実学としての歴史学"->」と題した文章で、歴史家・三浦新七と「アダムスミスの体系なき体系」にも触れてある


「見えないもの」を「見える化」する

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要
・・プロテスタント神学の立場から。内容にはかならずしも同調する必要はないが、思考のフレームワークを知るのはよい

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!
・・日本人にいちばん欠けているのが「見えないもの」を「見える化」する能力


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2013年7月24日水曜日

書評『世界史の中の資本主義 ー エネルギー、食料、国家はどうなるか』(水野和夫+川島博之=編著、東洋経済新報社、2013)ー「常識」を疑い、異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ



「これから10年、大転換後の大局を読む」と帯のキャッチコピーにあるが、「10年後」までではなく、さらに数十年もつづくであろう「移行期の長い21世紀」について考えるための本である。

「100年デフレ」論者の水野和夫氏の主張を、エネルギーと食料という人間の経済にとっての制約条件であり、かつ人間の生存に不可欠なライフラインの二大分野を具体的に見ていくことで、ビジネスパーソンを中心にした読者も読めば素直にアタマに入ってくるような読みやすい本に仕上がっている。

エネルギーと食料の分野でいま進行しているのは「商品化」と「金融化」というキーワードで表現することができる。

商品化はコモディティ化といいかえてもいいが、これはもともと差別化が難しく大量にバルクで取引される原油取引市場や穀物取引市場においては常識となっていたものだが、こういった分野では季節ごとの需給変動や天変地異などの気候変動などに対応するため先物取引(フューチャーズ)が発達してきた。

2000年代以降は先進国におけるカネ余り現象のなか、アメリカを中心に「経済の金融化」が進展し、エネルギーや食料などの先物取引市場に実物取引のプレイヤーではない、機関投資家やファンドなどの金融プレイヤーたちが大量に参加するようになってきた。これが「金融化」である。

エネルギーや食料が「金融化」したことにより、実需とは関係なく相場が乱高下する事態が観察されるようになったのである。つまり価格変動は実体経済の動きとは関係なくなっているのである。

そもそも先物取引市場は、実需の変動リスクを最小にするために設計され開設されてきたものだが、いまでは実体経済の動きとは関係なく、金融取引として相場が操作されるようになっているのである。つまりガセネタもふくめた「情報」に過敏に反応する状態となっているのだ。

エネルギーはもちろん無限ではないが、そのときどきの経済状況とエネルギー価格、そして掘削テクノロジーによって不思議なことに埋蔵量は増大している。食料は一般人の常識とは異なり、1910年代の空中窒素固定法の発明による化学肥料というテクノロジーによって、むしろ過剰な状態が続いている。だからこそ食料価格が下落しがちなのであり、そのために先進国は補助金によって農家の所得補償を行わざるを得ないのである。

そもそも食料が過剰でなければ地球全体で人口が増加するはずがないという川島氏の主張には説得力がある。川島氏は本書では言及していないが、大飢饉が発生するのはディストリビューション(流通)の問題であるという経済厚生学のアマルティヤ・セン博士の主張はしっておくべきだろう。したがって、世界的には食料は過剰だが、飢饉や食料暴動が単発的かつ局地的に発生することは今後もありうる

このようにエネルギーと食料について具体的に見てくことで、カネ余り現象のなか「経済の金融化」が進行し、行き場を失ったマネーがエネルギー市場や食料市場という商品市場で暴れ回っている現状が理解されるだけでなく、水野和夫氏の「100年デフレ」論が具体的な裏付けで強化されて、さらに説得力が増すものとなったといえよう。現在はつぎの時代に転換するための移行期なのだ。

しかし、これほど説得力のある水野理論が、なぜいまでも「異端」とされているのか? 

それは機関投資家やファンドマネージャーたちが、いわゆる「ポジショントーク」によって相場が自分たちに有利になるような情報操作しているからだろう。投資銀行のゴールドマン・サックスが打ち出した「BRICs」などその最たるものといっていいのではないか。マスコミもまたそれを煽って増幅している。

経済は「金融化」すればするほど、相場は「情報」に敏感に反応するようになる。たとえそれがつくられた恣意的なストーリーであっても、繰り返し耳にすることによって「常識」となってしまうのである。誰もが無知なビジネスパーソンと思われては恥ずかしい思いはしたくないだろう。それはある意味では、洗脳によるマインドコントロールといっていいかもしれない。

本書ではエネルギーと食料について大きく取り上げられている。共通するのは「過剰」というキーワードだ。

この過剰という現実が超長期的なデフレ状態をもたらし、さらには経済全体の停滞をもたらすのだが、本書では言及されていないのが労働力の過剰である。日本をはじめとする先進国では人口減少フェーズにあるが、省力化テクノロジーの発達によって労働力が過剰になっているのである。

労働力も供給過剰になれば、当然のことながら賃金水準は下がっていくことになる。だが、デフレ状態がつづくのであれば低所得でもそれなりの暮らしを送ることは可能となると考えてよいものかどうか・・・

こういった経済と社会をめぐる重要問題を考えるためにも、「常識」を疑い異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ。

これからどう生きていくか考えるためにも、ぜひ最初からすべて読んだうえで、自分のアタマで考えてほしいと思う。事実を事実として曇りなき眼で冷静に見ることほど難しいものはないのだから。





目 次

はじめに-世界史の中の資源バブル
第1章 【資本主義】-金融バブルが引き起こす世界史の大転換(水野和夫)
第2章 【エネルギー問題】-シェール革命が進むも原油価格の大暴落は起こらない(角和昌浩)
第3章 【食料問題】-これから世界は食料の「過剰な時代」へ突入する(川島正之)
第4章 【世界システム】-金融化した資本主義と第二の近代(山下範久)
終章 近代資本主義の終わりと次なる社会システムについて(水野和夫)
座談会 「長い二一世紀」において、資源、食料、資本主義はどこヘ向かうのか(水野和夫・角和昌浩・川島正之・山下範久) 


編著者プロフィール

水野 和夫(みずの・かずお)
日本大学国際関係学部教授 1953年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。金融市場調査部長、執行役員、理事・チーフエコノミストなどを務める。2010年9月三菱UFJモルガン・スタンレー証券を退社し、内閣府大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官。2013年4月より日本大学国際関係学部教授。主な著書に『100年デフレ』(日本経済新聞社、2003年)、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社、2007年)、『超マクロ展望 世界経済の真実』(共著:集英社、2010年)、『資本主義という謎』(共著:NHK出版、2013年)がある。

川島 博之(かわしま・ひろゆき)

東京大学大学院農学生命科学研究科准教授 1953年生まれ。1977年東京水産大学卒業。1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員などを経て、現在、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。主な著書に『世界の食料生産とバイオマスエネルギー』(東京大学出版会、2008年)、『「食糧危機」をあおってはいけない』(文藝春秋、2009年)、『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版、2011年)、『データで読み解く中国経済』(東洋経済新報社、2012年)

角和昌浩(かくわ・まさひろ)
昭和シェル石油チーフエコノミスト。1953年生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。

山下範久(やました・のりひさ)
立命館大学国際関係学部教授。1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得、ニューヨーク大学ビンガムトン校社会学部大学院においてI.ウォーラースティンに師事。


<ブログ内関連記事>

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

「バークレー白熱教室」が面白い!-UCバークレーの物理学者による高校生にもわかるリベラルアーツ教育としてのエネルギー問題入門

書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)-顧客志向の「先進国型ビジネス」としての日本農業論

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?


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