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2024年8月13日火曜日

「10年前の新刊」である『すごいインド ー なぜグローバル人材が輩出するのか』(サンジーヴ・スィンハ、新潮新書、2014)をはじめて読んで見たが面白い。「古いインド」から生まれた「新しいインド」がインドの変化とグローバル人材を生み出していることがわかる

 

自宅の本棚に「棚差し」したまま、忘却のかなたに去っていた本を最近「再発見」した。読んだら、これがけっこう面白い。 


2014年はモディ政権が誕生した年で、あれからもう10年になるのだな、と。モディ政権は3期目に入っている。

本書の著者サンジーヴ・スィンハ(Sanjeev Sinha)氏は1973年生まれで、グローバル人材が輩出している、かの名門 IIT(Indian Institutes of Technology:インド工科大学)の卒業生。

出版当時は在日18年のインド人ビジネスマン。本書でモディ政権への期待を語っている。  



■「なぜインドからグローバル人材が輩出するのか?」という問い

「なぜインドからグローバル人材が輩出するのか?」という問いは、もちろん現在でも健在だ。というよりも、さらに重要度が増し、状況は加速しているような気もする。 

帯にも書かれている MS の CEOナデラ氏は2024年現在も現役であり、ハーバード・ビジネススクール(HBS)の学長は交代しているが、2021年からふたたびインド系のスリカント・ダタール氏である。 

政治の世界では、つい最近まで英国の前首相スナク氏もそうだったし、米国大統領選での民主党候補カマラ・ハリス氏も、共和党の副大統領候補の配偶者ウーシャ・ヴァンス氏もインド系だ。 

米国の大企業の CEO や、理工系の大学やビジネススクールの教授にはインド系がじつに多い。わたしがその昔、米国のMBAコースで統計学を教わったのもインド人の教授だった。その英語はインドなまりがきつくて、えらく聴き取りにくかったが・・ 

著者によれば、旧来からの支配階層であるインドの「政治エリート層」は英国に留学するが、新興の「学歴エリート」は、米国に向かうのだという。



■「古いインド」から「新しいインド」への脱出

 著者は、みずからの貧しい生い立ちについて語りながら、いかに出世への階段を上ることがでいたかを半自叙伝的に語っている。それは「古いインド」から「新しいインド」への脱出と重なっている。 

「インドといえば IT産業」というのが、すくなくともビジネスパーソンのあいだでは「常識」であろう。 

冷戦崩壊後の1990年代、社会主義路線から自由主義経済に移行したインドだが、1980年代のインディラ・ガンディー政権時代から「初等教育普及」が国策として始まったことが、その基礎にあることが実感を込めて指摘されている。

 IT産業はまったくあたらしい産業であり、「2000年問題」(Y2K)を機に世界的にインド人エンジニアへの需要が高まったことで一気に飛躍した。 

「過去のしがらみのないIT産業」がインドを変化させただけでなく、インド人のプライドを高めることにつながっていると著者はいう。 

さらに、旧財閥企業とは違うのだ強調している。独立以前から存続してきた旧財閥企業は、ワイロなどの「汚職」をつうじて政府と癒着してきた。つまり、「古いインド」をそのまま引きずっているのである。 

インドの社会問題というと、まずは「貧困」が先に来るが、「汚職」もまた大きな問題なのである。ビジネスという点からいえば、後者は無視できないものである。

現在はこれらに加えて、深刻化する大都市の「大気汚染」や「集団レイプ事件」の多発などをあげなくてはならないだろう。 


■現在のインドはイスラエルによく似ている

読んでいて思ったのは、著者自身は指摘していないが、インドはイスラエルによく似ているな、という感想だ。 

インドが独立したのは1947年、イスラエルが建国したのは1948年とほぼおなじ頃であり、最初は世俗的で社会主義的だったが、冷戦崩壊後に「経済自由化」した点が共通している。

それだけではない。面積も人口規模もまったく違うが、「多様性」に富み、「英語」がつうじるという点も共通している。そして、「IT産業」が経済を牽引していながら、いまだに社会主義時代の残滓があるという点もまた同様だ。 

インドがそもそも多言語・多宗教地帯で「多様性」に富んだ国であり、「多様性のなかの統一」を保っている国であるのに対し、イスラエルは世界各地から移民してきたユダヤ人によって構成された国であり、同様に「多様性のなかの統一」を保っている国である。 

移民の受入国と移出国という違いもあるが、「多様性」・「英語」・「個人主義」・「議論好き」という点で共通しているのである。 

現在のモディ政権が熱烈にイスラエルを支持しているのは、ヒンドゥー至上主義者の立場から反イスラームであるだけでない。イスラームを国教とする国々に囲まれており、さらには国内にムスリムを抱えている点がイスラエルと共通しているからだ。 

マジョリティーが「民族宗教」である点が共通している。イスラエルはユダヤ教であり、インドはヒンドゥー教である。ともに国家としての歴史は短いが、長い歴史をもつ人たちである。

近年はインドでもイスラエルでも民族宗教が強調されるようになってきた点が共通している。アイデンティティ・ポリティクス化である。

それ以外の点でもさまざまな点で、インドとイスラエルよく似ているのである。個人的感想であるが、いろいろと気づきの多い本であった。 



■「10年前の新刊」であるが、いま読んでも面白い

「10年前の新刊」であるが、いま読んでも面白い。内容さえアップデートすれば、そのまま通用する内容だといっていいだろう。 

もちろん、成長スピードの速いインドの変化は、書籍で追いかけるにはムリがある。

とはいえ、「なぜインドからグローバル人材が輩出するのか?」という基本的な「問い」は、つねに原点に戻って繰り返すことが必要だ。今後も重要な問いであることは間違いない。


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2024年2月4日日曜日

書評『仏教の歴史 ー いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエール・ロベール/今枝由郎訳、講談社選書メチエ、2023)ー 日本人の「常識」の欠落部分を外部の目で補うことの重要性

 


 「仏教史」の本は、日本人が日本語で日本人のために書かれたものであれば、それこそ無数にある。だが、仏教をブッダ在世以後の初期段階から西洋世界に普及しつつある現在までカバーしたものは、それほど多くはないのではないかな? 

著者の着眼点は、仏教経典で使用されている「言語」から分類と説明を試みていることにある。漢文も日本語も読みこなせる語学の天才で、中国仏教や日本仏教に精通している碩学ならではのものといえよう。 

一般的には「初期仏教」と「大乗仏教」。大乗仏教の最終形である「密教」(=金剛乗)、そして初期仏教の新生である「上座仏教」に区分が可能だが、言語で分類すると以下のようになる。

初期仏教」以来のパーリ語をそのままつかっている「上座仏教」サンスクリット語からの翻訳である漢文訳をそのまま使用してきた大乗仏教の「中国仏教」、おなじくサンスクリット語から組織的に翻訳されたチベット語訳をそのまま使用してきた大乗仏教の「チベット仏教」に分類可能だ。 

「日本仏教」は、漢文経典をそのまま使用してきたので、中国仏教系列となる。この状況は朝鮮半島もベトナムも同様だ。

東南アジアは基本的に上座仏教圏だが、中国文明の影響圏にあるベトナムだけは別物である。 ユーラシア大陸内部のモンゴルはチベット仏教圏である。

「経典」で使用されている「言語」を軸に考えると、漢文経典を使用してきた地域では、お経を耳で聴いてもちんぷんかんぷんであることは共通していることもわかる。もちろん、「マントラ」としては意味があるわけだが・・・ 

このように、外部の視点で、しかも俯瞰的に眺めると、日本仏教の性格がよく見えてくる

だが、それだけではない。 ひとくちに「仏教」といっても千差万別であり、「仏教」について言及するときは、どの地域のどの時代の「仏教」であるかを認識しておかなくてはならないのである。特定の「宗派」にとらわれた「井の中の蛙」的認識ではいけないのだ。 


原著 Petite histoire du bouddhisme 画像をクリック!


このように日本人の「常識」からの欠落部分を外部の目で補うことのできる本書は2008年の出版だが、原題が Petite histoire du bouddhisme(仏教小史)とあるように、すぐに読めてしまう。だが、いかんせん、記述が簡単すぎて説明不足なのが物足りない。 

とはいえ、日本語版は豊富な注釈つきで、いたれりつくせりの編集になっている。 日本語版は、盟友でチベット仏教が専門の今枝氏が日本語訳しているが、当然のことながら著者本人も目を通しているはずだ。「日本語版のための序文」は著者みずから日本語で執筆しているとのことだ。 

キリスト教やイスラーム教とならぶ世界宗教でありながら、多様性に充ち満ちた仏教その全貌を歴史的展開をつうじて把握するのは最適な1冊であろう。 


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目 次
序言(ジャン・ボベロ) 
日本版のための序文(ジャン=ノエール・ロベール)
はじめに 
第1章 諸宗教の中での仏教 
第2章 ブッダ 仏 ― 第一の宝 
第3章 ダルマ 法 ― 第二の宝 
第4章 サンガ 僧 ― 第三の宝 
第5章 三つの叢書 三蔵(トリピタカ) 
第6章 大乗と真言乗 
第7章 中央アジアと中国への伝播 
第8章 チベットからモンゴルへの伝播 
第9章 東南アジアへの伝播、そしてインドへの回帰 
第10章 朝鮮から日本への伝播 
第11章 仏教と言語 
第12章 仏教の欧米への伝播 
第13章 仏教研究批判 
仏教の歴史 略年表 
主要参考文献 
訳者解説 
索引

著者プロフィール
ジャン=ノエル・ロベール(Jean-Noel Robert)
 1949年生まれ。フランス国立東洋言語文化学院日本語学科卒業、パリ第七大学国家文学博士号取得。コレージュ・ド・フランス名誉教授。義真『天台法華宗義集』の研究は日本天台宗の教理についての西洋語による最初の体系的解明として国際的にも高く評価される。また、鳩摩羅什訳『法華経』のフランス語訳、慈円の釈教歌についての研究のほか、日本文化を古今東西の文化史の文脈から捉えることを提唱し、2021年度の第三回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2022年5月26日木曜日

書評『ゲコノミクス ー 巨大市場を開拓せよ!』(藤野英人、日本経済新聞出版社、2020)ー 個人レベルの「選択の自由」が保証された社会では酒を飲まない人がマジョリティになる!

 

酒をやめて「500日」になったこともあり、積ん読となっていた本をささっと読んでみた。  著名な投資家は、「酒を飲まない人」を大ぐくりで「ゲコノミスト」と命名している。

「下戸(げこ)」とは厳密にいえば「酒を飲めない人」のことだが、「酒を飲めないから、飲まない人」だけでなく、「酒は飲めるが、飲まない人」までカバーしている。 わたしも自分自身が「酒を飲まない人」にならなかったら、こんな本はまず読むことはなかっただろう。

わたしは「酒は飲めるし、強いし、好きだ(った)が、飲まないことにした人」なので、厳密にいえば狭い意味の「下戸」ではない。だが、広い意味で「ゲコノミスト」に分類委されるということになるのだろう。そんな人は少なくないようだ。 「ゲコノミスト」の個別性、多様性が重要なのである。

(2022年5月16日に500日達成していた)

2020年5月に初版がでた本だが、読んでいると2019年には「飲み会スルー」が流行語になったとあった。 ああ、そういえばそんなこともあったなと思い出しながら読んだが、2020年1月から始まった「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)がパンデミックとなって、この2年間で組織が主催する「飲み会」がほぼ絶滅危惧種となった。 大きな環境変化である。

この流れは、もはや不可逆の流れといっていいだろう。お酒を飲まない人がマジョリティになる! 飲む飲まないは、あくまでも「個人の自由意志」にもとづく「選択の自由」の問題だという認識が定着してきたのである。

酒を飲みたい人は飲めばいいし、飲みたくない人は飲まなければいい。そんな社会が到来しつつあり、定着しつつあるのだから、たいへん結構なことではないか! ようやく日本も、先進国になりつつあるわけだ。

すでに「お酒を飲まない人」の巨大な市場が存在するのに、業界はまだ、まだ対応しきれていないというのが本書の趣旨。その通りだろう。 

ちなみに、わたしは酒を飲まなくなってからも「ノンアルビール」は飲まない。むかしから嫌いだからだ。ビールからアルコールを抜けばいいというのは陳腐な発想だ。 

個人的な話だが、なんといっても「水」がいちばんうまい。それも「炭酸の入っていない純水」。料理の味はアルコールで舌をごまかすのではなく、水ならきちんと味わうことができる。我慢して酒を飲まないのではない。飲みたいという気持ちじたいが失せてしまった。 

巻末の「ゲコゲコ 特別対談 糸井重里×藤野英人」は面白かった。 著者の藤野英人氏だけでなく、糸井重里氏も「下戸」だったのか。


目 次
序章 ゲコノミクスについて、大マジメに語ろう
第1章 見落とされてきた巨大な「ゲコ市場」
第2章 投資家が考える「企業経営とアルコール」
第3章 多様性と「飲む・飲まない」の選択との関係
第4章 ゲコ市場開拓のヒント
ゲコ×ゲコ特別対談 糸井重里×藤野英人

著者プロフィール
藤野英人(ふじの・ひでと)
レオス・キャピタルワークス株式会社代表取締役社長・最高投資責任者。1966年富山県生まれ。1990年早稲田大学法学部卒業。国内・外資大手投資運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス創業。主に日本の成長企業に投資する株式投資信託「ひふみ投信」シリーズを運用。JPXアカデミーフェロー、明治大学商学部兼任講師、東京理科大学上席特任教授。一般社団法人投資信託協会理事。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2021年9月19日日曜日

書評『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ、新潮文庫、2021)―「ブレクジット」(=EU離脱)後の英国の現在の空気がビンビンつたわってくるライブ感で読ませる


単行本がでてから2年間で60万部突破という『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ、新潮文庫、2021)を読んだ。著者の本は、読むのはこれで3冊目だ。  

イングランド南部の海岸にある地方都市ブライトンを舞台に、日本出身の母親(著者のこと)と労働者階級出身のアイリッシュ系英国人の配偶者のあいだに生まれた一人息子の成長物語。この本も、読み出すと最後まで読みたくなってしまう。 

「イエローでホワイト」というのは言うまでもなく肌の色「ブルー」というのは、すでに日本語にもなっているように憂鬱(ユーウツ)という意味。カトリック系の公立小学校(そんなのが英国にはあるのだ)を卒業して、中学に入学して、ノートに書きつけた息子の学校生活と家庭生活、地域生活が人間関係を中心に描かれる。 

そこにあるのは「多様性」(ダイバーシティ)。だが、この「多様性」は、「みんなちがって、みんないい」といった類いのキレイ事の話ではない。 

人種、民族、宗教、階級、LGBTQ。こういった見える化された違いと目に見えない違いが、複雑にからみあって多様性を生み出し、その多様性が差別感情を生み出し、さまざまな形の暴力も誘発する。 

そんな状況のなかを生き抜いてきた著者にとっても、「地雷」を踏みかねないのが現在の英国の現実なのだ。そんなシーンがこの本には満載だ。 

「他者に対するエンパシー」ということばと概念が、この本をつうじて有名になった。 「エンパシー」(empathy)は、同情を意味する「シンパシー」(sympathy)と似ているが、後者が感情の動きだけであるのに対して、前者は知的に認識して行動に移すことまで含まれている。 

このエンパシーによって、複雑な多様性のある社会を生きてくことが、英語で「他人の靴をはく」(to put oneself in someone's shoes)と表現される。感じるだけでなく、行動に移すことが大事なのだ。 この表現も単行本をつうじて有名になったことは周知のとおり。

こういったメッセージは、すでになんども語られているので、これ以上は書く必要もないと思う。 

だが、本というのはどういう読み方をしてもいいわけであって、自分にとっては「ブレクジット」(=EU離脱)後の英国の現在の空気がビンビンつたわってくる、そのライブ感に強く感じるものがあった。 

「中流階級崩壊」という点において、新自由主義を推進したサッチャー後の英国の後追いをしている日本だが、不可逆的な流れとして、ますます多様性が当たり前となることは間違いない。 

そんな日本社会で生きていくための「予行演習」として、この本を読むことが必要なのではないかと思う。脳内シミュレーションである。 

繰り返すが、「多様性」はキレイ事で済まされることのない社会の現実(リアリティ)なのである。英国の状況は、他人事と考えないことだ。 


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PS 続編である『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』が2024年6月に文庫化された



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・・マーガレット・サッチャーの死を祝う人たちが英国には多くいた



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