「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 洗脳 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 洗脳 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年1月5日水曜日

書評『地球星人』(村田沙耶香、新潮文庫、2020)は、「宇宙人視点」で日本社会の「世間」の構造をあぶりだす哲学小説

 

『地球星人』(村田沙耶香、新潮文庫、2020 初版2018)は、「宇宙人視点」で「地球星人」、そのなかでもとくに「日本人」を支配する見えない人間関係としての「世間」の構造を暴き出した快作だ。 

「宇宙人視点」からみたら、「地球星人」の「常識」はけっして「常識」ではない。「価値観」もいまた同様だ。 この小説の主人公は「地球星人」ではあるが、少女時代に自分のことを「宇宙人」と思っていたという設定である。

『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫、2005) で哲学者の古東哲明氏がいうこよを要約すれば、「異邦人として、エイリアンとして地球上の事物を視るのが哲学者のものの見方であり、立ち位置である。一般人が当たり前だと見なして考えもしないことを、驚きの目でもって凝視し、考え抜くのが「哲学者」という存在であり、「哲学」という知の営みだ」ということになる。

そうであるなら、小説家の村田沙耶香氏がやっていることは、まさに原初的な意味で「哲学者」の仕事であるというべきだろう。だから、その作品は「哲学小説」だとわたしは捉えている。 

地球星人の「常識」は、じつは「常識」ではない。暴き出されるのは「世間」という目に見えない存在の蜘蛛の巣。「洗脳」されて「世間」と一体化し、思考停止状態になるのがマジョリティの幸福。同調意識と善意の押しつけ・・・

主人公といっしょに「世間の縛り」という「うっとおしさ」に「いらだち」を感じている読者は、ある種の開放感を味わうことになるのではないだろうか。あるいはカタルシスといっていいかもしれない。カタルシスもまた、古代ギリシアの哲学者アリストテレスが、ギリシア悲劇の効果にについて抽出した概念だ。

現実に強い違和感を感じている人すべてに薦めたい。とはいえ、この小説の衝撃的な結末を受け入れるかどうかはまた別の話だ。「世間」を否定した小集団のあいだにも、すでに「世間」が発生していることを「地球星人」である読者は観察せざるをえなくなるからだ。 

『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の小説を読むのは2年ぶり、これで4冊目だが、読むたびに、作家自身が抱いている「違和感」を突き詰める執拗なまでの姿勢、そしてイマジネーションのあり方の常人との違いに驚かされるばかりだ。 





著者プロフィール
村田沙耶香(むらた・さやか)
1979年千葉県生まれ。小説家。玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業。2003年、「授乳」で第46回群像新人文学賞優秀作受賞。09年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。13年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。16年、「コンビニ人間」で第155回芥川賞受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

・・「異邦人として、エイリアンとして地球上の事物を視るのが哲学者のものの見方であり、立ち位置である。一般人が当たり前だと見なして考えもしないことを、驚きの目でもって凝視し、考え抜くのが「哲学者」という存在であり、「哲学」という知の営みだ。タレスをはじめとして、古代ギリシアの哲学者たちの多くがフェニキア出身のセム系の人びとであり、文字通りの異邦人であった。著者によるこの指摘は、じつに重要だ。ソクラテスとプラトンはギリシア人ではあったが、「内なる異邦人」といっていい。」




・・「出家」とは「出・世間」のことだ。世界を終わらせて、世界から離脱せよ


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2020年8月9日日曜日

書評『日本人はなぜ自虐的になったのか ― 占領とWGIP』(有馬哲夫、新潮新書、2020)― 敗戦後75年にも及ぶ日本の病理を考える



暑い日が続いている。夏だから当然だとはいえ、暑い夏にはほんとうに消耗させられる。そんな夏の暑い日に広島と長崎に原爆が投下され、日本は「敗戦」したのだ。今年2020年で75年前のことになる。

この時期にふさわしいテーマが戦争ものだ。『日本人はなぜ自虐的になったのか-占領とWGIP』(有馬哲夫、新潮新書、2020)を読了。占領時代のものもまた、広い意味で戦争ものといっていいだろう。 

日本人の主観的意識においては「終戦」であるが、「敗戦」によって「終戦」したことは否定しようのない歴史的事実である。だが、その「敗戦」の仕方がまずかったのだろう、なぜか現在に至るまで日本人から自虐意識が抜けない。これは病理現象というべきだろう。

なぜそんな状態が続いているのか? その根源は「敗戦」後の米国による7年間に及ぶ占領時代にある。1945年から1952年までの7年間だ。

本来は「条件付き降伏」であったにもかかわらず、「無条件降伏」だと思い込まされてきた日本国民戦争に罪悪感をもち、侵略戦争と防衛戦争の区別もなく戦争を悪とみなす思い込みをもつ日本国民。こういったマインドセット(=精神のあり方)が形成されたことの背景にあるのはなにか。

著者は、それを米軍による「心理戦」に求めている。二度と米国に刃向かわないように、日本人のマインドを改変すること。そこまでやらなければ、戦争目的が遂行されたとは見なさない。そういう姿勢である。米国による「日本改造」が、そのミッションであった。それはほぼ成功したといってよいだろう。

「終戦の詔勅」によるポツダム宣言の受諾は8月15日だったが、正式に降伏文書に署名したのは9月2日である。この事実までは、比較的知られていることだろう。だが、それですべてが終わったわけではないのだ。戦闘は終わったが、戦争は継続していたのだ。

日本の占領統治にあたったのは、連合国軍のなかでも米軍が中心であったが、その米軍の「心理戦」の中核にあったのが WGIP である。War Guilt Information Program の略だ。「戦争を罪悪(ウォー・ギルト)と思い込ませる情報プログラム」とでもなるのだろうか。「プロパガンダ」である。「洗脳プログラム」である。米国の都合のいいような日本を作り上げるプログラムである。

WGIP については以前から取り上げられ、糾弾的な姿勢で論じられてきたてきたが、賛否両論にわたって論争がかまびすしい。存在そのものを否定する論もあるが、著者の有馬氏は米国の公文書館に保存されている第1次資料に基づいた調査研究を行った。その成果が本書である。

マスメディア(当時は、新聞・ラジオが中心、しかもラジオはNHKしかなかった!)と映画の活用、その後に導入されたTVもまた「反共」を目的に米国が積極的に普及させたものだ。繰り返し視聴することで、知らず知らずのうちに価値観が刷り込まれていく。

日本政府が正式に命名した「大東亜戦争」を使用させず、「太平洋戦争」だと思い込ませるようマスメディアをつかった刷り込んだのはその一例だ。太平洋戦争はあくまでも米国の観点にしか過ぎないのに、このネーミングのせいで日本人は「先の大戦」における中国大陸と東南アジア(当時は南洋)について忘却しがちである。

そして極めつけが学校教育であった。教育ほど「洗脳」が効果的に行われる場所はないからだ。マスコミュニケーション理論の「回路形成理論」(チャネリング)が活用されたのである。

「回路形成」とは、著者の表現をつかえば、「やわらかい土の上に水を流すと、溝が形成され、そのあと何度水を流してもおなじ溝を流れることになる」ことである。事実の解釈の枠組みが脳内に回路として形成され、しかも固定してしまうのだ。

アタマがまだ柔らかいうちに回路が形成されてしまうと、ほぼ一生にわたって、おなじ回路を情報が流れることになる。その最大の「被害者」ともいうべきなのが、団塊世代(1947~1949年生まれ)である。

だが、無意識レベルで刷り込まれているので、その世代の人びとは自分たちが「被害者」であることはもちろん、「加害者」であるという意識すらない。繰り返し蒸し返される慰安婦問題などの負の遺産は、そもそも問題そのものを作り出したのは日本人であって、韓国人はそれを利用しているに過ぎないのだ。

慰安婦問題もそうだが、原爆報道もそうだし、尖閣問題という「いま、そこにある危機」が迫っているにもかかわらず、相も変わらず戦争反対を唱える平和ボケの敗北主義者を生み出している根源には、占領時代の米軍による心理戦とWGIPがあったことは、歴史的事実としてしかと認識すべきであるのだ。

著者の立ち位置は、あくまでもファクトベースのものであって、特定のイデオロギーに立脚するものではない。

「WGIPコミンテルン陰謀説」を主張する「歴史戦」論者たちとは一線を画していることは、特記しておくべきだろう。朝日新聞だけでなく産経新聞もまた批判しているのは、フェアな態度だというべきである。


画像をクリック!


目 次 
まえがき 
第Ⅰ部 今ここにあるWGIPマインドセット 
第1章 日本のマスメディアと教育は歴史的事実を教えない 
第2章 なぜいまWGIPなのか 
第3章 WGIPマインドセットの理論的、歴史的証明 
第Ⅱ部 占領軍の政治戦・心理戦はどのように行われたのか 
第4章 ボナー・フェラーズの天皇免責工作と認罪心理戦 
第5章 ケネス・ダイクと神道指令 
第6章 ドナルド・ニュージェントと国体思想の破壊 
第7章 心理戦は終わらない 
第Ⅲ部 WGIPの後遺症 
第8章 原爆報道に見る自虐性 
第9章 慰安婦問題に見るWGIPの効き目 
第10章 WGIPマインドセットの副産物「平和ボケ」 
あとがき 


著者プロフィール
有馬哲夫(ありま・てつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<ブログ内関連記事>

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
・・「日本改造」の舞台となった東京。米国人と日系アメリカ人

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・原作のタイトルは『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)。内容は大幅に異なる。占領する側と占領される側とは、それほど溝が深い

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)-きわめて大胆な仮説的推論。じっさいに自分で読んで内容が是か非か判断してほしい

JBPressの連載コラム第73回は、「東京大空襲で10万人の死者、「3・10」を忘れるな-原爆よりも犠牲者が多かった米軍の非道な「無差別殺戮」」(2020年3月10日)
・・原爆だけではない!

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ

『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)-「原爆についての謝罪」があれば、お互いに誤解に充ち満ちたねじれた日米関係のとげの多くは解消するか?

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2013年10月27日日曜日

書評『サウンド・コントロール ―「声」の支配を断ち切って』(伊東乾、角川学芸出版、2011)― 幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考



現役の指揮者で大学教官である著者は、『さよならサイレントネイビー  ―  地下鉄に乗った同級生』(集英社、2006)という著書で作家としてデビューしている。

本書『サウンド・コントロール  ―「声」の支配を断ち切って』(伊東乾、角川学芸出版、2011)は、オウム真理教に参加したことによって地下鉄サリン事件にかかわり、死刑判決を受けた同級生の物理学徒について書かれた本だ。

「サイレントネイビー」とは、みずからの行為についてはいっさい弁明をしないという日本海軍の美学のようなものだが、みずからの行為について沈黙を守るのではなく、世の中にむけて弁明せよというのが著者の主張だ。だが、内容については共感できる部分と、なんだか言いようのない違和感を感じる両面があったことを覚えている。

本書 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』について話を進めると、「サウンドコントロール」というと、オーディオデバイスや音声入出力端子についての音響工学の話のようだが、内容はまったく違う。『さよならサイレントネイビー』の続編といっていい内容の本だ。

大量虐殺の発生したルワンダの裁判から始まった記述は、ソクラテスを裁いた古代ギリシャ裁判員法廷、封建制日本の裁きの場であるお白州、ナチス・ドイツのホロコースト、現代日本のマルチメディア裁判員法廷と、いっけんバラバラでとりとめのないような印象を受ける。

著者が本書で一貫して主張したいのは、「声の支配の権力性」と「音によるマインドコントロール」がもつ問題という一点に収斂(しゅうれん)される。

音声、すなわち聴覚が人間にとってより根源的な知覚であることは、本書では触れられていないがソクラテスのデルフォイの神託や、ジャンヌ・ダルクへの神の呼びかけを考えてみればわかることだろう。

声の支配によるコントロールがより根源的なものであることは、これもまた本書では触れられていないが、マスコミといえば新聞とラジオしかなかった戦前、しかもJOAK一局しかラジオ放送がなかった戦前日本のことを考えれば想像することは困難ではない。

マインドコントロールは声によって行われる。これはオウム真理教においてもマントラという形で行われていた。そもそも大乗仏教と密教には音声によるマインドコントロールが埋め込まれている。

本書は 『さよならサイレントネイビー』の続編とも言うべき内容なのだが、そのために逆に読後感があまり心地よくない。いまひとつ著者の思想には共感できないものを感じるからだ。

違和感の源泉は、著者が4代(?)つづくキリスト教の家に生まれたという出自にあるのかもしれない。圧倒的多数の一般日本人とはやや異なる視点でものをみているためもあろう。「空気」に着目した山本七平や「世間」に着目した阿部謹也のように。

わたしにとっては、著者の問題意識はアタマでは理解できなくはないのだが、なぜか言いようのない違和感が残るのは否定できない。鶴見俊輔に感じるのと同じ、共感と違和感のまじりあった感想に似ているような気がする。もしかすると、それは著者が戦略的に狙っていることなのかもしれないが・・・。

だが、取り上げられたテーマと考察そのものは、じつに知的好奇心を刺激するものが多い。

法務官僚からキリスト教に改宗した古代ローマの聖アンブロジウスがキリスト教に埋め込んだ音声による権力装置、音響学にも造詣の深かった作曲家の父をもつガリレオ・ガリレイにおける「音楽の知」など、じつに読み応えがある。クラシックの音楽家である著者は、キリスト教がその根幹にある西欧文明について熟知しているからだ。

数学や物理学と音楽は密接な関係にあるが、それにとどまらず西欧的な意味のリベラルアーツを身につけている著者の守備範囲はきわめて広くかつ深い。数学と物理学、音楽と法学と人文学の融合。まさに「文理融合の知性である。

読み方は読者次第だ。


画像をクリック!


目 次

  飛べない白鳥のイントロダクションⅠ
第1部 南へ 一九九四/二〇〇七年、ルワンダ 草の上の合議
 第1章 サバンナの裁判員
 第2章 雨のガチャチャ
  飛べない白鳥のイントロダクションⅡ
第2部 西へ 司教座と法廷 ローマからギリシャへ
 第3章 ガリレオのメトロノーム
 第4章 官僚アンブロジウスの遠謀
 第5章 玉座は蜂を駆逐する
  飛べない白鳥のイントロダクションⅢ
第3部 東へ 白い砂の沈黙 日出づる国の審判で
 第6章 石山本願寺能舞台縁起
 第7章 銀閣、二つのサイレンサー
 第8章 裁きの庭と「声」の装置
第4部 北へ メディア被曝の罠を外せ! サウンド・コントロールと僕たちの未来
 第9章 確定の夜を超えて
  跋 それでも鳥は北を目指す
あとがき

著者プロフィール 

伊東 乾(いとう・けん)
1965年、東京生まれ。作曲家、指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学理学部物理学科、同大学院総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環・作曲=指揮・情報詩学研究室准教授。第二次世界大戦時の音楽メディア情宣への批判を原点に、人間にとって「聴く」とは何かをジャンルを越えて問いつつ、作曲・演奏・基礎研究などに取り組む。第1回出光音楽賞ほか受賞多数。2006年にはオウム真理教のマインド・コントロールを追った『さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<ブログ内関連記事>

書評 『指揮者の仕事術』(伊東 乾、光文社新書、2011)-物理学専攻の指揮者による音楽入門

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
戦前においてラジオは唯一のマスメディアであり、しかもJOAK一局しかないかったからだ。この点については、著者による 『ラジオの戦争責任』(PHP新書、2008)においてすでに触れている。大東亜戦争の突入したのは。ラジオによって増幅された国民の声であったことも指摘されている。

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い! ・・戦争へと押しやった国民の声はラジオによって増幅された可能性が高い

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」

【セミナー開催のお知らせ】 「生きるチカラとしての教養」(2013年6月27日)

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう
・・アートと数学の関係についても講義

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・音楽による「洗脳」はここからはじまった。すでに不可逆の流れとして日本人の脳は西洋化されている


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2013年7月24日水曜日

書評『世界史の中の資本主義 ー エネルギー、食料、国家はどうなるか』(水野和夫+川島博之=編著、東洋経済新報社、2013)ー「常識」を疑い、異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ



「これから10年、大転換後の大局を読む」と帯のキャッチコピーにあるが、「10年後」までではなく、さらに数十年もつづくであろう「移行期の長い21世紀」について考えるための本である。

「100年デフレ」論者の水野和夫氏の主張を、エネルギーと食料という人間の経済にとっての制約条件であり、かつ人間の生存に不可欠なライフラインの二大分野を具体的に見ていくことで、ビジネスパーソンを中心にした読者も読めば素直にアタマに入ってくるような読みやすい本に仕上がっている。

エネルギーと食料の分野でいま進行しているのは「商品化」と「金融化」というキーワードで表現することができる。

商品化はコモディティ化といいかえてもいいが、これはもともと差別化が難しく大量にバルクで取引される原油取引市場や穀物取引市場においては常識となっていたものだが、こういった分野では季節ごとの需給変動や天変地異などの気候変動などに対応するため先物取引(フューチャーズ)が発達してきた。

2000年代以降は先進国におけるカネ余り現象のなか、アメリカを中心に「経済の金融化」が進展し、エネルギーや食料などの先物取引市場に実物取引のプレイヤーではない、機関投資家やファンドなどの金融プレイヤーたちが大量に参加するようになってきた。これが「金融化」である。

エネルギーや食料が「金融化」したことにより、実需とは関係なく相場が乱高下する事態が観察されるようになったのである。つまり価格変動は実体経済の動きとは関係なくなっているのである。

そもそも先物取引市場は、実需の変動リスクを最小にするために設計され開設されてきたものだが、いまでは実体経済の動きとは関係なく、金融取引として相場が操作されるようになっているのである。つまりガセネタもふくめた「情報」に過敏に反応する状態となっているのだ。

エネルギーはもちろん無限ではないが、そのときどきの経済状況とエネルギー価格、そして掘削テクノロジーによって不思議なことに埋蔵量は増大している。食料は一般人の常識とは異なり、1910年代の空中窒素固定法の発明による化学肥料というテクノロジーによって、むしろ過剰な状態が続いている。だからこそ食料価格が下落しがちなのであり、そのために先進国は補助金によって農家の所得補償を行わざるを得ないのである。

そもそも食料が過剰でなければ地球全体で人口が増加するはずがないという川島氏の主張には説得力がある。川島氏は本書では言及していないが、大飢饉が発生するのはディストリビューション(流通)の問題であるという経済厚生学のアマルティヤ・セン博士の主張はしっておくべきだろう。したがって、世界的には食料は過剰だが、飢饉や食料暴動が単発的かつ局地的に発生することは今後もありうる

このようにエネルギーと食料について具体的に見てくことで、カネ余り現象のなか「経済の金融化」が進行し、行き場を失ったマネーがエネルギー市場や食料市場という商品市場で暴れ回っている現状が理解されるだけでなく、水野和夫氏の「100年デフレ」論が具体的な裏付けで強化されて、さらに説得力が増すものとなったといえよう。現在はつぎの時代に転換するための移行期なのだ。

しかし、これほど説得力のある水野理論が、なぜいまでも「異端」とされているのか? 

それは機関投資家やファンドマネージャーたちが、いわゆる「ポジショントーク」によって相場が自分たちに有利になるような情報操作しているからだろう。投資銀行のゴールドマン・サックスが打ち出した「BRICs」などその最たるものといっていいのではないか。マスコミもまたそれを煽って増幅している。

経済は「金融化」すればするほど、相場は「情報」に敏感に反応するようになる。たとえそれがつくられた恣意的なストーリーであっても、繰り返し耳にすることによって「常識」となってしまうのである。誰もが無知なビジネスパーソンと思われては恥ずかしい思いはしたくないだろう。それはある意味では、洗脳によるマインドコントロールといっていいかもしれない。

本書ではエネルギーと食料について大きく取り上げられている。共通するのは「過剰」というキーワードだ。

この過剰という現実が超長期的なデフレ状態をもたらし、さらには経済全体の停滞をもたらすのだが、本書では言及されていないのが労働力の過剰である。日本をはじめとする先進国では人口減少フェーズにあるが、省力化テクノロジーの発達によって労働力が過剰になっているのである。

労働力も供給過剰になれば、当然のことながら賃金水準は下がっていくことになる。だが、デフレ状態がつづくのであれば低所得でもそれなりの暮らしを送ることは可能となると考えてよいものかどうか・・・

こういった経済と社会をめぐる重要問題を考えるためにも、「常識」を疑い異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ。

これからどう生きていくか考えるためにも、ぜひ最初からすべて読んだうえで、自分のアタマで考えてほしいと思う。事実を事実として曇りなき眼で冷静に見ることほど難しいものはないのだから。





目 次

はじめに-世界史の中の資源バブル
第1章 【資本主義】-金融バブルが引き起こす世界史の大転換(水野和夫)
第2章 【エネルギー問題】-シェール革命が進むも原油価格の大暴落は起こらない(角和昌浩)
第3章 【食料問題】-これから世界は食料の「過剰な時代」へ突入する(川島正之)
第4章 【世界システム】-金融化した資本主義と第二の近代(山下範久)
終章 近代資本主義の終わりと次なる社会システムについて(水野和夫)
座談会 「長い二一世紀」において、資源、食料、資本主義はどこヘ向かうのか(水野和夫・角和昌浩・川島正之・山下範久) 


編著者プロフィール

水野 和夫(みずの・かずお)
日本大学国際関係学部教授 1953年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。金融市場調査部長、執行役員、理事・チーフエコノミストなどを務める。2010年9月三菱UFJモルガン・スタンレー証券を退社し、内閣府大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官。2013年4月より日本大学国際関係学部教授。主な著書に『100年デフレ』(日本経済新聞社、2003年)、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社、2007年)、『超マクロ展望 世界経済の真実』(共著:集英社、2010年)、『資本主義という謎』(共著:NHK出版、2013年)がある。

川島 博之(かわしま・ひろゆき)

東京大学大学院農学生命科学研究科准教授 1953年生まれ。1977年東京水産大学卒業。1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員などを経て、現在、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。主な著書に『世界の食料生産とバイオマスエネルギー』(東京大学出版会、2008年)、『「食糧危機」をあおってはいけない』(文藝春秋、2009年)、『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版、2011年)、『データで読み解く中国経済』(東洋経済新報社、2012年)

角和昌浩(かくわ・まさひろ)
昭和シェル石油チーフエコノミスト。1953年生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。

山下範久(やました・のりひさ)
立命館大学国際関係学部教授。1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得、ニューヨーク大学ビンガムトン校社会学部大学院においてI.ウォーラースティンに師事。


<ブログ内関連記事>

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

「バークレー白熱教室」が面白い!-UCバークレーの物理学者による高校生にもわかるリベラルアーツ教育としてのエネルギー問題入門

書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)-顧客志向の「先進国型ビジネス」としての日本農業論

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2013年3月16日土曜日

書評『ドアの向こうのカルト ― 9歳から35歳まで過ごした、エホバの証人の記録』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)― 閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録



『ドアの向こうのカルト ー 9歳から35歳まで過ごした、エホバの証人の記録』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)は、体験者にしか書けないインサイド・レポートである。

東京ガールズコレクションを手掛けたプロデューサーが、入信した母親に引きずられる形で信者となって生きてきた25年間を回想した手記である。一人称の語りによるノンフィクションのような印象をもった。

評論家が書いたものではない、告発するジャーナリストが書いたものではない、研究者が書いたものでもない。そのなかに25年間、すなわち四半世紀もの長きにわたって、しかも人間成長期の9歳から35歳までを過ごした人が書いたものである。ひとつひとつの記述の迫真性、説得力が違う

「エホバの証人」は「ものみの塔」と言われることもある。かれら自身の認識においてはキリスト教のようだが、わたしはキリスト教ではないと思っていた。おそらく大半の人はカルトとみなしていることだろう。

著者はみずから25年間を過ごしたエホバの証人の信者としての人生を否定してしまうわけではない。すでに「解約」した現時点から振り返って、その意味を記憶のなかにある具体的な事実に即して解明しようとしている。

エホバの証人の擁護者からみたら、まさに「サタン」の仕業ということになるだろうし、否定的な人からみたら物足りないかもしれない。

だが、たとえ自分の人生の奥底からほとばしり出てくるものを抑圧してきたのがエホバの証人という教団であるとしても、それを全否定しては、それこそ人格崩壊をもたらしかねないし、賢明な処世とはいえない。著者が「リセット」したうえで、この手記を書くことを決意したのはぞのためだろう。

本書には、エホバの証人とマルチ商法が酷似していることに、当時はまだエホバの証人の信者だった著者が驚愕するシーンがでてくる。なんとなくそう感じている人も少なくないだろうが、さすがにエホバの証人のインサイダーであった人の話だけに説得力がある。

わたしはこのレポートを、閉鎖的な社会集団の事例研究として読んでいた。狭い社会集団は閉鎖的であるがゆえにマイノリティ(少数派)であるが、またそうであるがゆえにネットワークでつながっている同じ世界の住人とはきわめて親密な人間関係を築くことができるという逆説がある。ただし、そのネットワークは外部との接触をもたないネットワークであるのが問題ではあるのだが。

閉鎖的な組織や小集団といえば、まず想起するのはオウム真理教だろう。そして連合赤軍。新左翼の党派性の行き着いた先である。シベリア抑留者がそうであるし、さらにいえば帝国陸軍や旧東ドイツ国民、いまなおつづく北朝鮮もそのカテゴリーに含めていいかもしれない。エホバの証人が「王国」という表現をつかっているのは、ひじょうに示唆的・・・・である。

閉鎖的な社会集団は、「敵」の存在を明確化することによって、内部の結束と正統性をつくりだす。エホバの証人においては、それは「サタン」である。エホバとサタンの二項対立によって、すべて説明する二元論である。これは強弱の違いはあれ、キリスト教のなかにビルトインされたマニ教的世界観である。

世界観とは、ものの見方を規定するフレーム(枠組み)のことだ。エホバの証人ではこのほか、背教者(=アンチ・キリスト)を蛇蝎のごとく嫌い、教団外部の一般人のことを「世の人」と表現しているようだ。笑ってしまうのは、オウム真理教の事件についてのエホバの証人の反応である。カルト的な小集団のなかにいると、自分たち自身のことを相対的に把握することはできなくなってしまうようだ。

①絶対性、②純粋性、③選民性、そして④布教性、この4つを著者はエホバの証人の特性といっているが、最後の布教性がエホバの証人にはきわめてつよくあらわれている。

これに日本人に多くみられるリゴリズム的なまじめさが加わると、きわめて抑圧的に働くようなる。著者の記述によれば、アメリカの会衆(コングレゲーション)においては、日本よりもかなりリラックスしたものであるという。アメリカ人との比較から、日本人の特性が浮かび上がる。

閉鎖的な社会集団の特性としては、思考停止状態、組織への依存症、クリエイティビティ欲求の抑圧、感覚の鈍磨などをあげることもできよう。世界終末の日であるハルマゲドンを待つだけの受動的な生き方になりがちなことも指摘されている。どうせ世界が滅びるのであれば、頑張っても仕方ないではないか」という態度である。

面白いのは、これはとくに日本人の場合なのだろうが、たいていは女性から入信し、その子どもが巻き込まれ、最後に配偶者もというパタンが日本人の場合は多いようだ。著者の場合もそうだが、とくに海外駐在員の妻(・・いわゆる「駐妻」)は現地での就労ビザがないので、することがなく精神的に満たされない。物質的な欲望に飽き足りないと、その一つの方向性として宗教に向かうう傾向もなくはないようだが、それがたまたまカルトであるということなのだ。

わたしはこの本を読んでいて後半になってくると、おなじようにキリスト教系の閉鎖的な社会集団であるアーミッシュを思い出した。資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」についてを参照していただきたい。シンプルな生き方にあこがれる人も少なくないだろうが、ものをあまり考えないシンプルマインド状態となってしまうと、それは無知蒙昧の一歩手前といっても言い過ぎではない。

多かれ少なかれ、どんな人でもある特定の価値観のもとに生きているわけである。生きてきた軌跡そのものであり、それは経験と知識によって形成されているものだ。

その価値観を相対化できるかどうかが、自由にモノを考えることができるかどうかの分かれ道になる。その意味では、自分のアタマで考え、自分で行動するとはどういうことかについても考えさせてくれる本である。

ページ数も多くてやや重い内容であるが、ぜひ読むことをすすめたい。


画像をクリック!

 

目 次

はじめに-35年前の8ミリビデオ
第1章 カルト生活の幕開け
第2章 自己アイデンティティの上書
第3章 信者としての自覚の芽生え
第4章 信者としてのアイデンティティ
第5章 激動の活動時代
第6章 芽生える疑問
第7章 アイデンティティとの闘い
第8章 脱宗教洗脳
第9章 ミッション・インポッシブル―親族洗脳解約
第10章 死と再生-人生バージョン2.0
おわりに
推薦図書



著者プロフィール  

佐藤典雅(さとう・のりまさ)
株式会社1400グラム代表取締役。ロス在住。1971年広島県生まれ。少年期の大半をアメリカで過ごし、ハワイの高校を卒業。グラフィックデザイナーとしてキャリアを開始させる。医療業界でのコンサル営業、BSデジタル放送局を経てヤフーに入社。2005年にブランディング社に入り、LAセレブ、東京ガールズコレクション、キットソン等のプロデュースを行う。2010年に独立し事業戦略のコンサルを手掛けて現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

『ドアの向こうのカルト』著者インタビュー ベンチャー企業もカルト!? 元「エホバの証人」ビジネスパーソンが語る“社会の中の洗脳”



PS. 文庫化

『カルト脱出記 ー エホバの証人元信者が語る25年間の記録』 (河出文庫)と改題したうえで2017年1月に文庫化された。(2017年2月10日 記す)


画像をクリック!



<ブログ内関連記事>

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について
・・「Devil's Playground(日本未公開)という映画がある。 http://www.youtube.com/watch?v=n518iLqRekM&feature=fvst  ロバート・レッドフォードが主催するサンダンス映画祭で、オフィシャル・セレクションとなったドキュメンタリー映画である。製作公開は2003年。『目撃者-刑事ジョンブック』とは異なる視角から、アーミシュの若者たちの人生選択の姿を描いた、すぐれたドキュメンタリーとなっている。10代後半の男女は、今後もアーミシュとして生きるか否かという、人生の選択を意志決定する前に、「完全な自由」を与えられることになる。こうして若者たちは連日パーティーにふけり、酒やドラッグに浸り、やりたい放題、好き放題の生活をしばらく送るのだが、大半の者がだんだんと「無制限の自由」に虚しさを感じて、アーミッシュのコミュニティーに戻る道を選択していく・・・。Devil's Playground とはアーミッシュが、彼らのコミュニティのソト側の世界を表現したコトバである」。

エホバの証人の場合は、本書の記述によれば、アーミッシュのような巧みな仕組みはないようだ。教団の歴史の長さも関係するのだろう。もちろん、電気を否定するアーミッシュはインターネットに接触する機会もないのだろうが。

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」


マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・閉鎖的組織が生み出す悲劇はカルトに共通する

(2014年1月16日、2015年7月25日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end