「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 陸軍 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 陸軍 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年6月25日日曜日

陸軍工兵学校(松戸)と陸軍鉄道部隊(津田沼)の「軍事遺跡」をむすんで走る新京成電鉄 ー 「広域葛飾」を回る小旅行を実行(2023年6月23日)

(旧陸軍工兵学校正門 松戸中央公園)

 
「葛飾」というと、かの国民的映画『寅さん』シリーズの「葛飾柴又」という連想が浮かぶので、葛飾といえば東京都葛飾区ということになるが、じつは「葛飾」は現在の「葛飾区」に限定された地域ではなく、江戸川をはさんだ両岸に拡がる広域の地域のことを指していた。

その「広域葛飾」には、葛飾区と松戸市が入るだけでなく、千葉県ではその東に隣接している柏市や、その南に拡がる鎌ケ谷市や船橋市にまで及んでいる。

千葉県下では2番と3番を争う柏市にある「千葉県立東葛高等学校」(東葛高校)は読んで字のごとく「東葛飾」であり、千葉県立船橋高等学校(いわゆる県船)のある船橋市には、かつて京成電鉄の「葛飾駅」も存在した。

「葛飾駅」は、紛らわしいと理由で現在は「京成西船駅」という、風情もなのもない合理性一点張りの駅名になってしまっている。まあ、JR西船橋駅から徒歩10分以内なので、乗換駅としての意味合いがすぐにわかるのは良いのであるが・・。

(下総国の葛飾郡 葛飾区のサイトより)


というわけで、一度は「広域葛飾」をぐるっと回ってみる必要があるなと思って、小旅行にでてみた。もちろん宿泊なしのワンデイコースである。

京成電鉄で京成船橋駅から乗車して江戸川を渡って、上野方面でお花茶屋駅へ。そこで下車して「葛飾区郷土と天文の博物館」へ。これについては昨日アップした投稿で触れておいた。

そこから曳舟側親水公園を歩いてJR亀有駅へ。歩くとけっこう長い。こち亀の両さんの銅像にあいさつして、亀有駅から常磐線に乗って江戸川を渡り、千葉県内の松戸駅で下車。ここで乗り換えて、新京成電鉄で八柱駅で途中下車、ふたたび船橋に戻るというループの小旅行であった。


■新京成電鉄の両端には陸軍基地の遺跡が残る

地元で利用している住民は知っていることだが、新京成電鉄はもともとは陸軍鉄道部隊の演習線であり、松戸の軍事基地と津田沼の軍事基地を結んだ路線であった。




現在でもその途中の「くぬぎ山駅」の周囲に陸上自衛隊松戸駐屯地がある。

新京成電鉄は、「陸上自衛隊松戸駐屯地」のなかを通り抜ける。電車のなかから、金網越しに基地にあるヘリコプターが見える。なかなかオツなものである。桜の季節には一般開放しているそうだが、まだ一度も訪れたことはない。

しかも、これらの軍事基地が立地している場所は、すべてかつての「牧」のなかなのである。「牧」とは、江戸幕府の「軍馬放牧地」のことであった。

さて今回、松戸駅で下車したのは、「陸軍工兵学校」の跡地を見るためである。


(陸軍工兵学校跡の石碑 筆者撮影)

陸軍工兵学校の跡地は現在は公園になっているが、松戸駅の東口にある。

そもそも松戸の地理について明るいわけではないが、松戸駅にいくときは、いつも西口(すなわち江戸川より)ではなんども下車している。かつてジュンク堂がテナントとして入っていたビルにいくためだが、その反対側の東口にいったことはまったくなかった。

(・・伊勢丹が撤退後には、あらたにジュンク堂とも縁の深い喜久屋書店が、居抜きで入居しており安心した。大型書店の存在は地域の文化程度を示すバロメーターである)




松戸駅の東口は、西口とは違って高低差がじつに大きい。これは実際にいってみてはじめてわかることだ。駅からは長い遊歩道を歩いて道路の上を歩いて対岸にわたる。このおかげで公園のふもとまで直接いくことができる。


公園を歩いて行くと、そこはかつての山城
であることがわかる。相模台城趾である。その土地を利用して陸軍工兵学校が建設されたわけだ。いまから100年近く前の1919年のことだ。第一次世界大戦の結果をうけて、陸軍が本格的に機械戦と工兵教育に取り組むことになったためである。

陸軍工兵学校は敗戦にともない1945年には閉校になっている。わずか26年の歴史しかもたなかったわけだが、松戸がじつは軍事都市であった名残が遺跡として残っているわけだ。

公園のはずれには、赤レンガづくりの陸軍工兵学校正門門柱が保存されている。

(旧陸軍工兵学校正門門柱 筆者撮影)

JR津田沼駅近くの千葉工大には、陸軍鉄道部隊の正門門柱が保存されており、それとは好対照といっていい。

(千葉工業大学正門 総武本線をまたぐ橋の上から筆者撮影)

陸軍工兵学校正門門柱からすこし歩いて、「陸軍石標」を見に行く。現在は住宅街のなかにある石標は、そこまでが陸軍の所有地だったことを示している。

(陸軍石標 筆者撮影)

松戸駅からは新京成電鉄に乗る。八柱駅で下車したのは、松戸市立博物館を訪れるためだったが、なんと休館中。だが、「金ヶ崎陣屋跡」の存在を知ることができたのは幸いだった。単に木製の表示が立っているだけだが、この陣屋が「牧」にとっては重要な意味をもっていたのだ。

(金ヶ崎陣屋跡の木柱 筆者撮影)


松戸駐屯地についてはすでに触れたので省略し、先を急ぐと海上自衛隊下総航空基地に近づくことになる。新鎌ヶ谷駅で東武野田線に乗り換える。この地域の住民は、P-1対潜哨戒機や大型ヘリコプターの爆音には慣れっこになっている。

そして、終点ではなく、一駅手前の駅だが、JR津田沼駅の乗換駅である新津田沼駅で下車して千葉工大にいくと、先にもふれたように、かつての陸軍鉄道部隊の正門がそのまま残っている。


新京成電鉄がかつての陸軍鉄道部隊の演習線であるだけでなく、薬園台駅から近い陸上自衛隊習志野駐屯地には、かつての「牧」がそのまま残されている。

かつての「牧」は、その広大な土地の一部を利用して、現在でも軍事基地として使用されているのだ。そして、その「牧」は「広域葛飾」の大きな部分を占めていたのである。



<ブログ内関連記事>







(2022年12月23日発売の拙著です)

(2022年6月24日発売の拙著です)

(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2021年5月19日水曜日

書評『英語と日本軍 ― 知られざる外国語教育史』(江利川春雄、NHKブックス、2016)― エリートの英語教育を近代日本の外国語教育全体の文脈に位置づける



『英語と日本軍-知られざる外国語教育史』(江利川春雄、NHKブックス、2016)は、日本の英語教育を近代日本の外国語教育全体のなかに位置づけた好著である。2017年に一読してレビューを書き始めたがそのまま放置していたのだが(*)、あらためて取り上げてみたい。

(*)2017年7月に作成したドラフト原稿をもとに、今回あらためて見直した上で書き直した。

知られざる事実が満載の本書で、誤った「常識」が正されることになる。地味な内容の本だが、重要な内容だ。日本のエリートにとって英語とはなんであったのかという問題意識に答えてくれる本だ。

本書の内容を一言で要約してしまえばこうなる。「開国」(1853年)後の1868年の明治維新以降を「近代」とすれば、日本近代史の150年において、軍民を問わず社会のエリートは途切れることなく英語を学習してきたのである、と。

「英語は敵性語」とされたのは大東亜戦争の4年間に過ぎず、それは近代150年のなかでは、あくまでも例外期間に過ぎなかったのである。

いや、もっと正確にいえば、そんな時代においてさえエリートは英語学習を行っており、なかでも海軍においては、終始一貫して英語教育が廃止されたことはなかったのだ。高等商業学校(高商)ですら受験から英語が消えた1944年、海兵予科では英語が必須とされていたのである。

よく「海軍は英語、陸軍はドイツ語」といわれるが、さすがにこれはあまりにも大ざっぱすぎる話であることが本書を読むとわかる。もちろん、外国語教育は、あくまでも将校以上が対象の話であって、基本的に下士官や兵には関係のない話である。

士官教育において外国語教育が重視されていたのは、近代の軍隊制度が西欧からの輸入文化であったからだ。

海軍も、最初は幕末にはオランダから学び、そしてフランスに学んだが、最終的に当時は世界最強の海軍国であった「英国モデル」で出発したため英語が重視された。海軍は海の世界の一員なので、もともと国際性が高いということもある。「日英同盟」のため英語の必要だったこともある。

陸軍は最初はフランスモデルで出発したが、その後おなじ大陸国家の「ドイツモデル」に変更している。仮想敵国がロシアであったので、ドイツ語・フランス語・ロシア語が主要な外国語とされた。

帝大や商大などの高等教育機関で英語が重視されているので、差別化の意味もあったらしい。このため、陸軍では、英語通の英米派の将校は主流ではなかった

最大の問題は、大東亜戦争(=第二次世界大戦)に突入した際に、交戦国である米国と英国で使用される「英語」、そしてそれ以前から戦場となっていた中国大陸の「中国語」を理解できる将校が陸軍には少なかったことだ。

「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」(孫子)という常識が通用しなかったのは致命的としか言わざるを得ない。

大東亜戦争においては、英国やオランダの植民地を占領したのはいいが、現地語だけでなく英語を理解できる軍人が少ないので占領行政に支障を来したという。泰緬鉄道建設のための捕虜虐待問題も、の一環として考える必要があるかもしれない。戦争中にはじめて実用語学の必要を痛感したが、あまりにも遅すぎたのだ。

ドナルド・キーンなどを輩出した、徹底的な特訓によって日本語教育を実施した米軍とは雲泥の差なのである。陸軍中野学校を例外として、語学とインテリジェンス(=情報活動)の関係が薄かったのだ。 

明治時代の草創期においては、軍事も含めた西洋文明摂取のための「実用語学」としてのウェイトが高かったが、近代化が軌道に乗って自立化した結果、実用性が減少して「教養語学」化していた。どうも実用性を軽視する傾向が、エリート層には生まれやすいのかもしれない。

戦時中は「鬼畜米英」とかいうスローガンが流れ、英語は「敵性語」というレッテル貼りがなされたが、面白いことに士官学校でも幼年学校でも英語教育が一貫していた。これは海軍だけでなく、陸軍でもそうだったらしい

戦時中とはいえ、機械操作が必要な航空パイロットなどには英語が必要だった。それほど先進国・英米の言語である英語が必要不可欠だったのだ。

敗戦後に英語が「大衆化」したのは、日米双方にそれなりの理由があったわけだが、アメリカ占領軍の統治方針と合致していたこと、英語が冷戦時代の米国の「ソフトパワー」の1つだったことも大きいだろう。

いずれにせよ、「戦前」のイギリス英語から、「戦後」にはアメリカ英語にシフトしていったわけだが、日本語とは言語体系が根本的に異なる英語を習得するのは、普通の日本人(・・「日本語人」というのが正確だろう)にとっては容易なことではない。

海軍では、耳で聴くオーラルメソッド、英語による授業、英文の直読直解など「実用英語」が教育されており、徹底的に厳しく搾られたようだ。なるほど、ここまでやれば英語通ができあがるのも当然だろう。

こういった戦前以来のエリート向けの語学教育に耐えられるのは、やはり現在でもエリート層に限られるのではないか。日本における英語教育について考える際、軍隊組織における英語教育について振り返ってみることの意味はそこにある。


画像をクリック!


目 次
はじめに
序章 英語教育の敗戦
第1章 近代陸海軍の創設と外国語
 1 幕末の軍制改革と西洋列強
 2 明治政府による日本軍の近代化
第2章 日本軍の外国語教育はどう変遷したか
 1 日清・日露戦争から第一次世界大戦へ
 2 軍縮期からアジア・太平洋戦争まで
第3章 アジア・太平洋戦争期の英語教育
 1 昭和陸軍の英語教育
 2 昭和海軍の英語教育
第4章 戦後日本の再建と英語
 1 英語教育の振興策と親米国民の育成
 2 旧日本軍の語学的遺産
 3 戦前と戦後の連続主要
主要参考文献
おわりに


著者プロフィール
江利川春雄(えりかわ・はるお)
1956年、埼玉県生まれ。和歌山大学教育学部教授。博士(教育学)。専攻は英語教育学、英語教育史。神戸大学大学院教育学研究科修了。現在、日本英語教育史学会会長。著書に、『近代日本の英語科教育史』(東信堂、日本英学史学会豊田實賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

・・「(幕末の諸藩の軍制改革において)最新鋭の鉄砲や大砲も発砲のリズムを音楽によって行ったためである。西洋音楽は近代軍隊にとってきわめて重要なソフトウェアであったわけだ。」


・・そのうちの1冊が『太平洋戦争日本語諜報戦-言語官の活躍と試練-』(武田珂代子、ちくま新書、2018)

書評 『ことばの哲学 関口存男のこと』(池内紀、青土社、2010)-言語哲学の迷路に踏み込んでしまったドイツ語文法学者
・・関口存男は陸軍士官学校でドイツ語を完璧にマスターしただけでなく、フランス語にも堪能で、その他の語学にも強かった

・・帝国陸軍の草創期はフランス語によって教育されていた。日本騎兵の父であった秋山好古もおなじ


・・占領地の軍政における英語使用

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・陸軍では少数派であった「英語」であった辰巳栄一中将

「男の修行」(山本五十六)
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」 には続きがあった!-山本五十六 その2
・・海軍将校の山本五十六は「英語」。ワシントンで駐在武官を務めた経験がある

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか
・・インドからマレー半島まで英国、フィリピンは米国

・・語学教育を重視する米国インテリジェンス機関の伝統は現在に至るまで一貫している


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2018年5月5日土曜日

司馬遼太郎の『花神』が面白い-「超」のつく合理主義者で無口で堅物という、およそ感情移入しにくい大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした幕末の『プロジェクトX』


司馬遼太郎の『花神』を読み終えた。新潮文庫の上中下の三冊本だが、面白いので一気に読んでしまった。これがまたじつに面白い。 

大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした歴史小説。大村益次郎は言うまでもなく「日本陸軍の父」靖国神社の境内に銅像がある(・・官軍側で死んだ将兵を祀った靖国神社の性格を考えれば当然というべきか。とういうよりも、靖国神社の原型となった招魂社をつくったのは彼である。安心して死ねるための装置が必要であったからだ)。 

その昔、NHK大河ドラマで放送されたので見ていたはずなのだが、健忘症なのか細かい中身はすっかり忘れている。記憶は稀薄である。あまりにも昔すぎるからかもしれないし、ドラマで視聴するのと、原作の小説を読むのとでは、ぜんぜん違う印象を受けるからかもしれない。 記憶に残っていたのは村田蔵六の「蔵六」とは亀の意味だというくらいだった(・・手足と頭としっぽで6つ。この6つを甲羅のなかに蔵しているから蔵六)。 

名のみ高くて、具体的にどういう人物だったかわからないのが大村益次郎こと村田蔵六。大村益次郎の名前で活躍した期間は、人生の最後のわずかに数年間

「超」のつく合理主義者で無口で堅物という、およそ感情移入しにくい主人公であるにもかかわらず、この小説は不思議なことになぜか面白い。幕末の動乱期にその才能を見いだされ、求められるがままに、やるべきことをやり尽くした、そう長くはない人生。小説的には面白くもない人物を、よくぞ小説の主人公に仕立て上げたものだ、と感嘆する。

長州の百姓身分の村医者の息子が、大坂に出て緒方洪庵の適塾で蘭医学を学び、超優秀なオランダ語の読解能力が買われて、医学から軍事学への道へと導かれていく。 医者から軍事技術者へ、そして倒幕軍の司令官へと、時代の激流のなかで、自ら意図したわけではないのにキャリアチェンジしながら、とんとん拍子で出世してていく主人公。現代風にいえば、ある種の「引き寄せ力」の持ち主だったようだ。 

小説だから、もちろん脚色は多々あろうが。 幕末から明治維新にかけての歴史を長州藩の立場から描いたこの作品は、薩摩藩の立場から描いた作品とも、会津藩の立場から描いた作品とも違うのは当然だ。それぞれの立場によって見えてくるものは異なるからだ。もちろん、長州藩のもつメリットとデメリット双方が浮き彫りにされているのは、この作家が単なる小説家ではないからだ。 

作者は長州藩の特徴として、つねに政治が軍事に優先した体質について語っている。具体的にいえば、軍事の天才・村田蔵六(=大村益次郎)を見いだして長州藩に引っ張り、最後までメンターとして守る立場にいたのが政治家の桂小五郎(=木戸孝允)だが、村田蔵六はあくまでも軍事技術の専門家として遇され徹底的に活用された。ある意味では、そういう概念がなかったにもかかわらず、シビリアンコントロールが徹底していたといえるのかもしれない。 

たしかに日露戦争においても、戦争指導にあたったのは長州藩の奇兵隊出身の山県有朋だが、戦争終結と講和のタイミングは絶妙であった。政治が軍事をコントロールしていたからこそ、日露戦争はからくも勝利できたのである。軍が暴走するようになったのは、明治維新の元老たちが退場し、陸軍人事における薩長の独占体制が崩れて以降のことである。長州藩の体質については、ポジティブな面をもっと評価すべきかもかもしれない。 ただし、平等主義の負の側面である下克上体質という悪しき体質を陸軍(および出先の関東軍)に持ち込んだのも長州であることは指摘しておかねばならないが・・)。

最期は暗殺された村田蔵六(=大村益次郎)だが、明治維新という「革命」に対して、かならず西から「反革命」が起こると先読みして、そのための準備に抜かりがなかったというのが、じつに興味深い。この点は、西南戦争を前史も含めて描いた『翔ぶが如く』でも何度も繰り返し言及されている。

みずからの戦争指導もあずかって、戊辰戦争があまりにもあっさりと決着がついたために、不完全燃焼に終わってしまい、攘夷と倒幕のエネルギーがくずぶったまま残るだろうという理解からだ。実際、これは明治10年に勃発した西南戦争として現実のものとなる。

先見の明の背景には、蘭学者(洋学者)として、究理学(=物理学)につうじていたことが背景にあったようだ。エネルギー保存の法則と作用反作用の法則である。自然科学と技術の知識が、血肉のものとなっていたことがうかがわれる。その意味でも、徹底的な合理主義者の大村益次郎は、人徳あり情に厚く存在そのものが思想であるような西郷隆盛とは、まったく対極にある人物であったようだ。 

「徴兵制」の実行によって身分制度が打破されたことは、奇兵隊を生み出した長州藩ならではの功績だし、そもそも百姓身分出身の大村益次郎自身の思想でもあった。その意味では、まさに「日本陸軍の父」というべき存在だ。 (・・これに対して警察は、不平士族対策もあって当初は士族中心であったが、この点も『翔ぶが如く』に書かれている)

大村益次郎がもし暗殺されずに生き延びていたら、日本陸軍はどうなっただろうかと、ずいぶん以前から考えてみることがある。 

だが、この小説を読んだあとに思うのは、陸軍の西洋式軍服を着た大村益次郎はまったく想像しにくいということだ。西洋の軍事技術で明治維新革命に貢献したが、あくまでも攘夷派でありナショナリストであり、最後の最後まで、戦場においても和服を貫き通したという頑固な姿勢。おそらく、やるべきことを終えたと思った時点で、地位にしがみつくことなく、あっさりと去って行ったのではないだろうか。 

大村益次郎について正面切って取り上げた本があまりないだけに、司馬遼太郎のこの小説は読む価値があると感じた。NHKでかつて放送されていた『プロジェクトX』のような、知られざるヒーローを描いた作品というべきかもしれない。





<ブログ内関連記事>


司馬遼太郎の歴史小説 『翔ぶが如く』 は傑作だ!

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を「半分読了」(中間報告)

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』(文春文庫)全10巻をついに読了!

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

「韮山反射炉」を見に行ってきた(2018年4月21日)-日本人なら一度は見学しておきたい反射炉は、まさに「百聞は一見にしかず!」の産業遺産
・・アヘン戦争(1840年)以降、蘭学の中心は医学から兵学へと移行していく

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・佐倉藩もまた、蘭学ことに西洋医学の中心地であった

福澤諭吉の『文明論之概略』は、現代語訳でもいいから読むべき日本初の「文明論」だ
・・福沢諭吉は、緒方洪庵の適塾では村田蔵六の後輩に当たるが、おなじく蘭学の秀才であった開国派の福澤諭吉と攘夷派の村田蔵六とは真逆の方向を志向することになる

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!


(2018年5月20日 情報追加)



(2017年5月18日発売の拙著です)




(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!




end

2017年8月29日火曜日

JBPress連載第7回目のタイトルは、「どう付き合う?今もなおアジアに深く根を下ろす英国-日本と英国の利害が重なり合う場「ブルネイ」」(2017年8月29日)


JBPressの連載コラムの最新コラムが本日公開です。連載開始から7回目となります。

タイトルは、どう付き合う?今もなおアジアに深く根を下ろす英国 日本と英国の利害が重なり合う場「ブルネイ」
⇒ ここをクリック http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50883

英国のメイ首相が明日(2017年8月30日)から初めて来日することになっています。今回の来日は日本政府による招待であり、公賓としての来日となります。

首脳会談では、喫緊の課題である北朝鮮の核問題対策が話し合われるとされていますがあ、もちろん「ブレグジット」(EU離脱)後をにらんだ英国と日本の関係強化も目的の1つでしょう。

日本から見れば、英国はユーラシア大陸を挟んで対極の位置にある欧州の島国ですが、アジアの植民地を手放していった「大英帝国」後の英国が、それでももなおアジア太平洋地域に深い利害関係をもっていることに注意喚起したい思います。

(ブルネイの位置 Google Map)  

その一つの「場」が、東南アジアの小国ブルネイなのです。そして英国はそのブルネイにいまなお陸軍部隊を駐留させており、その中核は世界最強の「グルカ兵」なのです。

では、本文をお読みいただきますよう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50883


(ブルネイのスルタン 英語書籍の表紙)


次回の更新は2週間後の9月12日の予定です。お楽しみに。







<ブログ内関連記事>

JBPress連載第6回目のタイトルは、「独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に」(2017年8月15日)

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱-選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!
・・グルカ兵の話がでてくる




(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)







Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end

2011年8月10日水曜日

『大本営参謀の情報戦記 ― 情報なき国家の悲劇』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で、原爆投下「情報」について確認してみる


 2011年8月6日に放送された「NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」を見て、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える という記事をこのブログに書いた。

 番組のなかで元大本営参謀であった堀栄三氏の証言がでてきたので、たしかこの人の書いた本をむかし読んだことがあると思いながら視聴していたのだが、番組のなかでは著書については、いっさい触れられることがなかった。

 番組を見終わったあと、情報検索してみたら『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇』(堀 栄三、文藝春秋社、1989)であることが確認された。

 その際、すでに文庫版もでていることを知ったが、書庫かダンボール箱のなかか、どこかに読んだはずの単行本があるはずだと思って探してみたら、一昨日(8月8日)本棚の奥からでてきた。

 さっそく、番組で言及されていた、米軍のB29による爆撃にかんする暗号解読? について、単行本の本文で確認してみた。

 以下に書く内容は、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える という記事の補足と考えていただいて構わない。

 ただし、引用するのは1989年発行の単行本初版第一刷から。文庫版をふくめたその後のエディションで訂正事項があるかもしれないが、確認していないのでわからない。


 B29 による爆撃にかんする暗号解読については、Ⅴ 再び大本営情報部へ に書かれている。B29 の B とは、Boeing(ボーイング社)のこと。B52 による北爆がおこなわれたベトナム戦争の記憶も遠くなった現在、念のために確認しておく。

Ⅴ 再び大本営情報部へ
 1. 日本軍の暗号の非能率ぶり
 2. 戦略爆撃と米軍暗号の解読
 3. B-29 のコールサインを追う
 4. 謎のコールサイン機の出現
 5. 米軍の日本本土上陸地点は?
 6. 地下に潜った陸軍特情部

 この一章を精読しなおしてみると、NHKスペシャルの内容とは微妙に違いがあることがわかる。

 堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめたが、当時は米国との開戦後、米軍が変更したあたらしい暗号コード解読が完了せず、もっぱら通信傍受によって得た情報をもとに解析をおこなっていたという。すでにして、暗号戦では日本は負けていたのである。

 ちなみに大本営陸軍部は、第一部が作戦、第二部が情報、第三部が運輸・通信、そのほか特殊情報部、総務部)などがあった。昭和18年(1943年)当時の大本営第二部(情報)は、第4課が情勢判断・宣伝・謀略・防諜、第5課がソ連情報、第6課が米英情報、第7課が支那情報・測量・地図、であった。第6課の米英情報は、それまで欧米情報の一部にしかなかったということは驚くべきことだ。

 1945年(昭和20年)8月6日、広島に投下された「原爆」が「原爆」と判明したのはいつか、該当箇所を引用して確認しておこう。

 午前8時15分、広島市上空に一大閃光とともに原子爆弾が投下された。
 「ああ、万事休す」
 第六課の米国班の堀たちが追跡した正体不明機は、原爆投下という特殊な任務機であったことを、最後まで見抜けなかった。
 山下大将(引用者注:山下奉文大将。フィリピンで戦犯処刑)が、リンガエン全部にかけるような投網が欲しい、と言った投網は米軍の方が先に使ってしまった。
 硫黄島基地に「われら目標に向って前進中」の電話を傍受した時点で、特情部は防空部隊に警戒を促す情報を送っていたが、最後まで特殊任務が何であったかを見破れず、その上、無線封止と、従来の戦法の裏をかいた侵入方向で、日本軍の防空部隊までが欺かれて虚をつかれてしまった。
 あのときの「ニューメキシコ州で新しい実験が行われた」という外電情報が、原爆実験であったと結びついたのは、広島に原爆が投下されてから数時間たっての反省と悔悟の結果であり、確実に原爆と堀たちが確認したのは、8月7日早朝ワシントンでトルーマンが正式に発表した放送内容を特情部がキャッチしたときであった。われわれは、沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。ただそれが金であると見抜く能力がなかったのだ。正体不明、特殊任務の内容がはっきりしたときには、広島市民の生命はすでに失われてしまっていた。
 予備知識の程度でも、また原爆の「ゲ」の字のかけらでも、われわれの知識の片隅にあったら、また米国内の諜報網が健在していたら・・(中略)・・。
 「あそこまでは出来ていた」という言い逃れは、戦争の中での情報の世界では通用しない。判断の間違いは直接敗戦の導火線に点火してしまうからだ。
 原爆投下を、たとえ半日でも前に情報的に見抜けなかったことは、情報部の完敗であり、広島、長崎市民犠牲に何ともお詫びの言葉もなく、さらにこれが日本始まって以来の敗戦の導火線に点火してしまったことを思うと、情報の戦争に対する責任も、作戦課と同罪であって、ただただ恐縮この上ない。
 いずれにしても情報の任に当る者は、「職人の勘」が働くだけの平素から広範な知識を、軍事だけでなく、思想、政治、宗教、哲学、経済、科学など各方面にわたって、自分の頭のコンピューターに入力しておかなければいけなかった。
 堀たちの頭に、原爆という語は、その当時かけらほどもなかったことを告白する。山下大将がバギオで、「投網が欲しい」と言ったとき、堀はまだ「面をつぶす兵器」と考えただけで、それ以上に深く考えなかったことが反省される。想い出しても、想い出しても残念であり、その罪の大なるを感じている。再び、「日本よ、将来とも情報を軽視してほならない」と言いたい。M-209暗号機(引用者注:スウェーデンを経て入手したと堀氏が書いている)の解読で、「ヌクレア(核の)」という文字が出たのは正確には8月11日のことであった。陸軍特情部も地団駄踏んで悔しがったがすでに遅かった。
(引用は、単行本 P.217~219 太字ゴチックは引用者=わたし)

 まさに It's too late. 遅すぎたのであった。「われわれは、沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。ただそれが金であると見抜く能力がなかったのだ」という告白のコトバは痛切なものがある。

 引用文中に「堀」とあるのは、著者の「堀」栄三氏本人のことである。一人称ではなく、三人称の固有名詞によって、あえて自分を突き放して、客観的姿勢を示そうとしたのであろうか。とはいえ、堀栄三氏自身は戦後の自衛隊時代もふくめて一貫して「情報畑」の人であり、どこまで正しいことを書いているのかはわからない。当然のことながら書いていない、書けないことが多々あるはずだ。

 ところで余談だが、わたしの祖父は、大正時代の "忘れられた戦争" である「シベリア出兵」に陸軍兵士として出征している。人を撃つのはイヤなので、志願して通信兵になったと聞いたことがある。敵として対面していたのは革命政権側のパルチザン部隊。敵の通信傍受がその基本任務であったようだ。そのために軍隊内の教育でロシア語を猛勉強したといっていたが、暗号解読についての話は聞きそびれたのでわからない。

 このように日本帝国陸軍にとって、仮想敵国は一貫してソ連であった。同じ大正年間の 1919年(大正8年)には、米国は「オレンジ作戦」の立案を開始している。「オレンジ作戦」とは、太平洋をはさんだ日本を仮想敵国の一つと想定した戦争計画であった。

 そしてほぼ一貫して陸軍は「親ドイツ」であった。とくに陸軍幼年学校出身者は、一般中学出身者とは異なり、英語を勉強していなかったのである。これらが英語による英米情報の組織的収集と分析が弱かった理由である。

 堀栄三氏の記述によれば、大東亜戦争がはじまってから泥縄式に英米情報の分析を始めたというが、あまりにも遅きに失したというべきだろう。

 一方、交戦国であった米国は、情報にかんしてはきわめて神経質であった。さきに引用した文章のあとに記述されているが、堀栄三氏たち第6課がたてた米軍の日本本土上陸作戦の予想があまりにも正確だったので、米軍サイドで情報漏洩がなかったかどうか、しつように取り調べられたという。1985年になってもまた同じ件で、別の米軍関係者から取材をうけたことが書かれている。

 それほど、米軍ないし米国は、インテリジェンスにかんして重きを置いているのである。これは、米系の外資系企業の情報管理の実態を知っていれば納得できることだ。

 本書の副題にあるように「情報なき国家」とは日本のことだ。「情報なき国家」の「悲劇」はいまにいたるまで、あまり変化がないようにさえ思われる。

 昭和20年(1945年)当時、最大の組織であった帝国陸軍は、「作戦」を重視しながらも、「情報」を「兵站」よりも軽視し、情報を収集しながらも情報を活かせなかった巨大組織が帝国陸軍であった。

 敗戦から66年、日本はふたたび敗戦した。しかも今度は米国に対する敗北というよりも、自壊であり、自滅である。

 「失敗から学ぶことを先送りし、失敗から何も学ばない日本型エリートの病理」について、出版当時には大いに話題になった本である。文庫版としてもロングセラーとして20年近く読み継がれてきたのも、その理由はあきらかだろう。
 
 著者は、まえがきでこう書いている。

 本文中では再々、戦略・戦術・戦場という昔の軍隊用語が出てくるが、もし企業の方が読まれる場合には、戦略は企業の経営方針、戦術は職場や営業の活動、戦場は市場(マーケット)、戦場の考察は市場調査(マーケッティング・リサーチ)とでも置き換えて読んでくだされば幸いである。

 戦略・戦術は、これが書かれた 1989年当時からすでに20年以上たったいまビジネス用語として完全に定着している。しかし、戦略と戦術の意味を正確に把握して、かつ情報との関係を明確に認識し、情勢判断と意志決定に活かしている人はいったいどれだけいるのだろうか?

 また、ビジネスの世界で「情報」というと、「情報システム」のことしか思い浮かばない固定観念のもちぬしが多い。たんなるデータや情報のままでなく、情報どうしをつき合わせて付加価値のついた情報に加工することが行われなければ意味がないのだが、いまだに「情報」の意味がわかっていないのではないかという印象がつよいのだ。

 ぜひ、文庫版で全文に目を通して、大いなる反省材料として、日々の業務に役立てたいものである。


 (画像をクリック!


目 次

まえがき
Ⅰ 陸大の情報教育
Ⅱ 大本営情報部時代(一)
Ⅲ 大本営情報部時代(二)
Ⅳ 山下方面軍の情報参謀に
Ⅴ 再び大本営情報部へ
Ⅵ 戦後の自衛隊と情報
Ⅶ 情報こそ最高の“戦力”
あとがき


著者プロフィール

堀 栄三(ほり・えいぞう)

1913年(大正2年)~1995年(平成7年)は、日本の奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。情報参謀。昭和18年(1943年)10月1日から大本営陸軍部第2部参謀として、アメリカ軍戦法の研究に取り組み、その上陸作戦行動を科学的に分析して『敵軍戦法早わかり』を作成した。正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後は、海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている(wikipedia日本語版に記述による)。



<ブログ内関連記事>

原爆関連

広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える 
・・この記事は今回の記事の補足としてぜひ目をとおしてほしいと思う


インテリジェンス関連

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)

書評 『731-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く-』(青木冨貴子、新潮文庫、2008 単行本初版 2005)
・・敗戦後日本における激しいインテリジェンス・ウォー

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010) 
・・ドイツ語畑でありながらロシア語を猛勉強しロシア専門家になった、ある情報将校の伝記


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2009年12月28日月曜日

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) 



    
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」については、私はやや否定的なニュアンスで書いてきたが、これは歴史的な文脈を考えて視聴するべきであると考えるからである。
 ドラマ自体はよく出来ている、と評価したい。私も楽しみながら第一部は全部見てしまった。

 何はともあれ、昨日(12月28日)の放送で第一部が終了、第二部は2010年末、第三部は2011年末とたいへん気の長い話である。
 これだけ長期にわたるTVドラマ作成というプロジェクトは、製作する側からみてもたいへんなことだろう。何よりも、主役を演じる俳優たちが、きちんと自己管理してもらわないと、大きく支障を来すからだ。
 とくに前半の主役三人、すなわち秋山好古秋山真之の秋山兄弟と同郷の正岡子規。それから後半は、秋山兄弟に加えて広瀬武夫、である。
 第一部ではまだ正岡子規は、結核からきた脊椎カリエスに苦しみながらも、まだ養生を続けており死去するには至っていない。撮影はそのうち終わるから、正岡子規役の香川照之はじきに解放されこととなろう。
 広瀬武夫も日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死して「軍神」となって途中で消える。秋山兄弟は最後まで残ることになる。

 そうそう思い出したが、司馬遼太郎の問題はもう一つある。秋山真之についてである。
 「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」の信号とともにZ旗(写真参照)を掲げ、東郷平八郎率いる日本艦隊がパーフェクトゲームとなった日本海海戦を立案した秋山真之参謀は、ビジネスマンから見れば、三国志の諸葛孔明以来の天才参謀といわねばならないのだが、彼は日露戦争後、精神に異常を来したという事実にいっさい触れていないことである。
 日本という「小さな国」がその存亡をかけて戦った日露戦争は、まさに死力をかけて死にもの狂いで戦った戦争である。1948年の建国以来、四面楚歌の状態にあるイスラエルにも比すべき状況であったのだ。いつ国が滅びて植民地化されるかわからない状況であった。
 だから、原作の末尾、故郷松山に戻って中学校校長として生涯を送った、最晩年の秋山好古が死の床で、ロシア軍の最強コサック騎馬軍団との死闘がフラッシュバックとして甦り、うなされていたというのも大いに頷ける話である。司馬遼太郎はこれについては多く語っている。
 しかしながら秋山真之の晩年については多く語ることをしていない。これが残念なのである。小説の構成上仕方がないといえばそれまでなのだが。
 人生の暗い面からひたすら目を背け続けた「国民作家」司馬遼太郎、彼を国民作家といい、「司馬史観」などともてはやしていては、日本人は進化しないだろう。


 さて、本題は司馬遼太郎ではない。比較文学者・島田謹二による秋山真之(1868-1918)の伝記と広瀬武夫(1868-1904)の伝記である。私としては、便乗本である各種の粗製濫造の解説本よりも、島田謹二の伝記2本を腰を据えて読んで欲しいと思うのである。
 それぞれのタイトルは、『アメリカにおける秋山真之 上下』(朝日選書、1975)、『ロシヤにおける広瀬武夫 上下』(朝日選書、1976)である。
 いずれも、文学研究者による比較文学の研究書であり、原資料をして語らしめるという手法を使っているので、正直いって読みやすい本ではない。 明治の漢文体による書簡は極めて読みにくい。しかし明治の、本当の意味で国の命運を背負っていたエリート軍人たちの肉声を聞くことができる意味では貴重である。

 秋山真之の伝記は文庫化もされたようなので、気軽に手にとって読めるようになったことは喜ばしい。もし根気があれば、司馬遼太郎の原作と読み比べてみるのもよいだろう。
 秋山真之が戦艦三笠から発した艦隊出撃報告電報「本日天気晴朗ナレド波タカシ」は後世に残る名言となった。これほど簡潔に表現した文章力は、島田謹二ならずとも、文学作品といわねばなるまい。

 広瀬武夫の伝記の「武骨天使伝」という副題が泣かせる。もうかなり昔のことだが、たまたまNHKのラジオ・ドラマで、異色の画家としても知られる、俳優の米倉斉加年(よねくら・としかね)の語りによるドラマであった。このドラマで広瀬武夫のことを知ったのである。
 ロシアの貴族令嬢との恋、しかし軍人の広瀬は旅順項封鎖戦で戦死・・・というメロドラマ調のものだったが、これがきっかけで島田謹二の分厚い伝記文学を読むキッカケとなった。

 島田謹二による、明治の海軍軍人二人の伝記は、発展途上国あるいは後進国においては、軍事官僚が数少ない知的エリートなのである(!)ということを教えてくれた本である。
 初版が出版された当時はもとより、朝日選書から廉価版がでた1970年代当時は、非現実的な「非武装中立論」などという妄論が幅をきかせていた時代であり、そんな時代に出版された、あえて軍人を称揚した伝記は、毀誉褒貶相半ばであったときく。
 以来40年近くを経て、日本もずいぶんマシになったといえるだろう。しかしながら、いまだに「平和主義」を主張して、連立政権内で妄論を吐いている女性弁護士もおり、リアリズムからまた距離が遠くなった現在の日本国ではあるが。

 明治の日本は後進国であり、発展途上国であった、という事実、この事実を知ったうえで、現在の発展途上国を見つめれば、いたずらに米国や欧州のような居丈高な態度はとれないはずだ。
 東南アジアの軍事政権による開発独裁も、そういった眼で見ることも必要であろう。国家草創期の人的資源には数量的に限界があるためだ。現在では中進国の韓国も同様のプロセスをたどっている。

 しかし、何度も繰り返すが現在の日本は先進国である。貧富の格差が拡大しようが、発展途上国における貧富の格差とは性格を異にする。
 長期スパンでみたGDPの推移のグラフなどをみてみればよい。たとえば、ネット上にはこんなものがある。
 日露戦争当時(1904年)の日本とは、まるで別の国といってよいだろう。

 今後間違いなく、日本は下降局面、すなわち「下り坂」になるが、そうはいっても緩やかな下り坂であるはずだ。
 もちろんGDPや、一人あたりGDPでは個人個人の実感とは違うことはあるだろう。これらの数値はあくまでも平均値であり、格差拡大により大幅に所得が減少している人も少なからずいるからだ。
 資本主義を選択し、上り坂にあった明治時代もまた、格差が拡大した時期である。明治後期から大正時代にかけて労働運動が激化したことを想起しなければならない。明治末期の大逆事件という冤罪、治安維持法のもとにおける、特高による社会主義者拷問などなど。
 こんなことを考えれば、言論の自由の保障された戦後日本は天国のような世界ではないか。戦前に比べたら、はるかにマシな状態であると思わねばならない。

 「下り坂」をうまく下るスキル、これは真剣に考えなければならない国家的プロジェクトではないか。もちろん個々人が取り組むべき課題ではある。
 「上り坂」は息が切れれるが怪我をすることは普通はない。しかし「下り坂」は全身で注意しなければ本当に危険である。いかに安全に下っていくか、これこそ先進国日本の大きな課題であり、チャレンジすべき目標である。
 「昇龍」は中国にまかせておけばよい。しかしその中国も天下をとれるのはたかだか30年、いや20年もないかもしれない。驕れる者も久しからず。これは中国も例外ではないであろう。

 これからの世の中、日本人は決して右顧左眄(うこさべん)することなく、気概をもって我が道を行け! これこそ幕末の志士や、明治の先人たちから受け取るメッセージではないか!?
 ドラマでも一部みられたが、秋山好古も秋山真之も広瀬武夫も、現在の観点からみたら間違いなく奇人変人の類といってもいいすぎではない。彼らはその当時にあっても奇行で知られていたようだ。

 「百万人といえど、我ひとりゆかん」の気概で生きていきたいものである。


P.S.
 ところで、この投稿をもってマイ・ブログ「つれづれ なるままに」への投稿はは201本目となった。
 何事であれ「継続は力なり」と実感している。
 次は300本を目指して書き続けていこう。ネタが尽きることはない。

      
<ブログ内関連記事>

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?  

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)・・「発展途上国」であった明治日本






(2012年7月3日発売の拙著です)








Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!

 
end