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2014年9月5日金曜日

書評『名門大学スキャンダル史 ― あぶない教授たちの素顔』(海野弘、平凡社新書、2010)― 奇人変人の巣窟である大学を人物エピソードで描いた英米名門大学史



『名門大学スキャンダル史   ―  あぶない教授たちの素顔』(海野弘、平凡社新書、2010)は、奇人変人の巣窟である大学を、人物エピソードで描いた英米名門大学史である。

「名門大学」は英国と米国の大学に限定されているが、これはいまという時代をそのまま反映したものだろう。英語圏すなわちアングロサクソン圏の大学が知の世界をリードしているのは分野を問わないことであり、日本人のみならずそのように思っているはずだ。

自然科学分野では英国の『ネイチャー』、米国の『サイエンス』が二大科学ジャーナルとなっているように、学術の分野でも英米、あるいは米英のアングロサクソンがメインストリームなのである。

本書は、著者の関心ゆえか、取り上げられた変人教授たちは人文系が中心である。秘密結社やホモセクシュアル、スパイ研究の余滴といったものであろう。楽しんで書いていることは一目瞭然だ。だが、それだけが人文系が中心である理由ではなさそうだ。

本書を読んでいておそらく誰もが意外に思うことであろうことは、中世以来の歴史と伝統をもつ英国のオックス・ブリッジ(=オックスフォード大学&ケンブリッジ大学)が、初期近代においては、みずから「大学改革」を実行できず、長きにわたって停滞していたことである。

つまり、17世紀から19世紀まで「大学衰退の時代」であったことだ。この時代の大陸欧州ではフランスを中心に、国王のバックアップをうけた「科学アカデミー」が軍事や工学という「実学」を中心に知の世界をリードしていたのである。英国の場合は「王立協会」(=ロイヤル・ソサエティ)がそれにあたる。

18世紀から19世紀にかけて、王立協会で活躍していた学者たちが、改革を大学に持ち込んだことによって、ようやく改革がはじまるのである。「近代化」への対応が本格化したのは、英国の名門大学の場合、20世紀になってからなのである。

英国の名門大学オックスブリッジは停滞していたがゆえに、一般世界からのアジール(=避難所)として奇人変人たちを抱え込んでいたということなのだろう。「虚学」ともいうべき人文学においては超優秀でも、「実学」の世界である一般世界ではとても受け居られないような面々が隠れ住んでいたわけだ。

英国編は面白かったが、米国編はそれほどでもなかった。

その理由は、アメリカでは大学は「実学」を中心に「近代化」の推進者の役割を担ってきたからであろう。奇人変人の隠れ家という機能はもっていなかった。

アメリカ東部の名門大学は、そもそもプロテスタントの牧師養成の神学校を中核に発展したものである。神学部もまた「実学」である。1853年の南北戦争後に大学数が増加し、当時は「新興国」であったアメリカの経済発展と並行現象が見られる。

本書で取り上げられているのは、フランクリン・ルーズヴェルト大統領とブレーントラスト、ケネディ大統領とキャメロットなどの、いわゆる「ベスト&ブライテスト」であり、大学が政治家のシンクタンクとして政策立案機能を支えていたのである。本書には言及はないが、ランド・コーポレーションなどのシンクタンクや民間企業の研究所が知を生みだす源泉であるのはアメリカの特色だろう。

とはいえ、アメリカでも人文系の現状は、あまりにもひどいようだ。ラディカル知識人というリベラル知識人たちの逃避先や巣窟となっているのである。人文系にかんしては日本もひどいが、アメリカもまた輪をかけてひどいようだ。

本書に取り上げられた「あぶない教授」たちは、いずれも著名人だが、業績だけではうかがいしることのできない「変人ぶり」をフルに発揮している。

現在ではチームや組織でなされることも多いが、学問というものは、基本的には個人的な営みであることには変わりない。科学的探求や学問というものは、職人仕事とは性格を異にするものだ。ある意味では変人奇人であり、そうではなくても限りなく近い存在だ。

「スキャンダル史」を期待して手に取るとがっかりするかもしれないが、人物エピソード中心の、裏口から見た「英米名門大学史」として楽しめるだろう。


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目 次

プロローグ
第一部 イギリス篇-オックスフォードとケンブリッジ
 <見えない大学>と王立協会
 アイザック・ニュートン
 スウィフトのアカデミー諷刺
 18世紀 オックスブリッジの荒廃
 サミュエル・ジョンソンの時代
 19世紀と大学のドン
 カリスマ的ドン ジョン・ヘンリー・ニューマン
 オックスフォード最初の美術教授 ジョン・ラスキン
 美のスキャンダル ウォルター・ペイター
 帝国主義者たち カーゾン、ローズ、ミルナー
 先生とアリスたち ルイス・キャロル
 二十世紀のオックスブリッジ
 批評のカリスマ F. R. リーヴィス
 ブルームズベリー派とケインズ
 我慢できない大知識人 バートランド・ラッセル
 ケンブリッジ・スパイ アンソニー・ブラント
 オックスフォード・ファンタジー トールキンとC. S. ルイス
第二部 アメリカ篇-ハーバードとエール
 アメリカ大学事情
 ハーバードのドンエリオットとローエル
 ニューディールと大学知識人 ローズベルトのブレーン・トラスト
 ニューヨーク知識人と亡命知識人
 大学とスパイヒス=チェンバーズ事件
 ケネディ官邸の教授たち
 空飛ぶ経済学者 ジョン・ケネス・ガルブレイス
 大学から遠く離れて ノーマンメイラー
 世界のコメンテーター ノーム・チョムスキー
 幻覚革命の導師(グル) ティモシー・リアリー
 エール大学の秘密結社 スカル・アンド・ボーンズ
エピローグ


著者プロフィール

海野 弘(うんの・ひろし)
1939年東京都生まれ。評論家。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務を経て、美術・映画・音楽・都市論・歴史・華道・小説などの分野で執筆活動を展開。主な著書に『アール・ヌーボーの世界』『アール・デコの時代』『モダン都市東京』(以上、中公文庫)、『陰謀の世界史』『スパイの世界史』
『ホモセクシャルの世界史』(以上、文春文庫)、『花に生きる 小原豊雲伝』『陰謀と幻想の大アジア』(平凡社)、『秘密結社の世界史』『秘密結社の日本史』(平凡社新書)など多数。(出版社サイトより)


<ブログ内関連記事>

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?


■英国のオックス・ブリッジ関連

日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)
・・20世紀のオックスブリッジをインサイダーとして体験した日本人が書いた本の数々

書評 『イギリスの大学・ニッポンの大学-カレッジ、チュートリアル、エリート教育-(グローバル化時代の大学論 ②)』(苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2012)-東大の "ベストティーチャー" がオックスフォード大学で体験し、思考した大学改革のゆくえ

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう

「知の風神・学の雷神 脳にいい人文学」(高山宏 『新人文感覚』全2巻完結記念トークイベント)に参加してきた
・・高山宏の『近代文化史入門-超英文学講義-』(高山宏、講談社学術文庫、2007)に、オランダから英国へ、英国の王立協会(ロイヤル・ソサエティ)の話がでている


■ハーバード大学関連

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992
・・プロフェッショナルスクール(専門大学院)の一つである「神学大学院」について、ビジネススクールとの対比で書いている

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業


■科学的探求精神と変人性

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・科学者という人間類型を突き動かしてきた知的衝動とは?

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ

スティーブ・ジョブズはすでに「偉人伝」の人になっていた!-日本の「学習まんが」の世界はじつに奥が深い
・・「奇人変人」、「偉人変人」 ⇒ 「偉人」=「変人」! 大学からドロップアウトした人材である

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる


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2014年9月4日木曜日

書評 『人を殺してみたかった-17歳の体験殺人!衝撃のルポルタージュ-』(藤井誠二、山田茂=写真、双葉文庫、2003)-科学的探求精神の根底にある「衝動」は「制御」のメカニズムがなければ暴走する


2000年5月、愛知家豊川市で発生した「豊川市主婦殺人事件」という「少年犯罪」のルポルタージュである。

「豊川市主婦殺人事件」とは、17歳の男子高校生が、見ず知らずの家に侵入して高齢の主婦を殺害した事件のことだ。事件の発生当時、なによりも世の中を驚愕させえたのは、加害者の高校生がもらしたという、「人を殺してみたかった」という殺害動機である。

2014年7月、長崎で「同級生殺害事件」が発生した。加害者の女子高生が、同級生の女子を殺害して遺体を解体しようとした事件である。この事件の発生で、わたしがまっさきに想起したのは「豊川市主婦殺人事件」のことであった。

「同級生殺害事件」の報道が過熱するなか、藤井誠二氏による記事に目がいった。「人を殺してみたかった」少年を取材した者として、いま考えていること(BLOGOS、2014年8月1日)である。

やはりおなじように思っている人がいるのだという感想をもった。しかも、記事の執筆者は、「豊川市主婦殺人事件」を取材して記事にし、単行本を執筆した当の本人である。双葉文庫から出版された『人を殺してみたかった-17歳の体験殺人!衝撃のルポルタージュ-』のことは、その記事ではじめてその存在を知った。出版社が大急ぎで増刷中である、と。

ようやく入手できた文庫を読んでみて思ったのは、「豊川市主婦殺人事件」と長崎の「同級生殺害事件」の共通性と違いである。

知的好奇心がきわめて強いが、想像力や共感性をいちじるしく欠いた加害者ということは両者に共通している。長崎の少女の場合は殺害対象が親しい同級生、豊川市の場合は見ず知らずの他人という違いがある。そして計画性の有無。本書によれば、豊川市の少年の場合は、殺害を思い立ったのは前日のことで計画的なものだったとは言い難い。

豊川市の少年の場合は、「人を殺す」という行為を自分が実験し観察したいという動機であった。「体験殺人」あるいは「純粋殺人」といわれるゆえんである。長崎の事件については、いまだ詳細はあきらかにされていない。

善悪の判断とは別に、この事実はしっかりと見つめなくてはならない。


■2014年時点で「豊川市主婦殺人事件」を読むことの意味

『人を殺してみたかった』で重要なのは、なによりも事件そのものを再現した第1章と第2章の記述である。第3章で、加害者が語ったコトバをできるかぎり正確に事実として引用していることがきわめて重要だ。解釈抜きの、ナマの発言を知りたいからだ。

さらに重要なのは、精神鑑定の結果にもとづいて、ある特定の病名のもとに事件の決着がつけられてしまっていることへの違和感がにじみ出てくる第5章と第6章の記述だ。この章はやや長いという印象があるが、精神鑑定もまた主観性と恣意性を免れないものであることについての注意喚起として読むべきであろう。

このルポルタージュが単行本として出版された2001年、文庫化された2003年と現在を比べると、少年法が改正され、世の中全般に厳罰化志向がつよくなっていることをあげることができる。またアスペルガー症候群についての理解も深まっているだろう。

だが、依然として事件の本質や加害者の動機は明らかにされないままである。これは単に少年法の壁が厚いから情報開示がなされていないといった理由だけではない。もしかすると、加害者少年自身も、真の動機などわかっていないのではないのかという疑問だ。

加害者の自白と、精神鑑定にたよる検察の手法の限界というべきではないだろうか。

著者の藤井氏はこう書いている。

同日付の中日新聞は、少年の通う私立高校の副校長が記者会見で「これまで力を入れて指導してきた命の大切さ、人に対する思いやりをサイド、見直すように考えていきたい」と話したことを掲載しているが、そんなレベルで「理解」してはならぬ魔物のような何かを加害者少年は内包している。おそらくそれは現代を生きる同世代の子どもたちにも心の奥底で通底しているのではないか・・・・。

学校関係者の発言は、いつも同じ文言が繰り返されるものでしかないが、「魔物のような何か」、という著者の表現に注目したい。デモーニッシュと言い換えてもいいのだが、著者としてもこう書くしかなかったのであろう。

特定の病名をラベリングして一件落着という、いわゆる専門家からは絶対に出てこない表現である。ある意味、専門家ではないからこそ感じる率直な感想ではないだろうか。

さらにさかのぼれば、1997年にはいわゆる「酒鬼薔薇事件」が発生していることを想起すべきだろう。「神戸連続児童殺傷事件」である。この事件では、14歳の少年が二人の小学生を殺害した事件だが、この事件の加害者の少年Aについても、同様の感想を持たざるを得ない。

「本書に対する批評-文庫版あとがきにかえて」は、最後に読むべき章である。わたしは、ここに掲載されている三人の評者のうち、宮崎哲弥氏の発言にもっとも納得感を覚える。


■とことん理詰めで考える科学的探求精神。だがそれは・・・

とことん理詰めで突き詰める姿勢、じっさいに自分で体験してみないと納得できないという感覚。これだけ取り出せば、いわゆるロジカルシンキングと五感による体験である。

「いっさいの前提を捨て、ゼロベースで考えよ!」。ビジネス界でも同じような説き続けられてきてひさしい。二次情報や三次情報に依存せず、自分の目で確かめよ、自分の足を使い、自分の手を使って事実そのものを確かめよ。一次情報重視のファクトベースの姿勢である。

これらは、現代の世の中でさかんに求められていることではないだろうか? おそらくそう言われ続けているのはビジネスパーソンだけではなく、子どもたちも同様だろう。

だが、冷静に考えてみれば、徹底してものを考える人間がじつは少数派であるからこそ、こういう発言がくどいほど繰り返されるのだろう。

世の中には加害者の少年少女のように、とことん理詰めで考えるという「思考実験」を繰り返し、さらには、なんでも自分で実験して確かめてみないと気が済まないという人間も存在することが、一般人にはイマジネーションできないのも無理はないのかもしれない。

ほんらい科学者というものはそういうものだ。知的衝動ともいうべき「魔物」のに突き動かされる存在が科学者の本質である。それは性欲や食欲などの欲望にも近いものかもしれない。知的衝動とはデモーニッシュな欲望である。

だとすれば、それを抑制するものは、科学的探求精神には内在していないことになる。 

駆動という推進力だけでなく、制御というコントロール機能が機械には不可欠だが、これは機械だけでなく機械を生み出した人間も同様である。機械の場合は、制御はスイッチのオンとオフで行われるが、人間の場合はどうやって衝動を制御するのか。

こういうとおそらく。それは「理性」だという答えが返ってくるだろうが、では「理性」とはなんだ、という議論になってしまう。「理性」というコトバを出してきても、なにも言ったことにならないのではないか。

この件については、マスコミ報道に「腑に落ちない」ものを感じて、 「魂」について考えることが必要なのではないか?-「同級生殺害事件」に思うこと というブログ記事を執筆したので、あえて重複は避けて語らないことにしたいと思う。

加害者の少年や少女が更生可能かどうかは、わたしにはわからない。英米と比較して、児童精神医学の不備であることがそれを困難にしていることもたしかだろう。同じような傾向をもつ少年少女であっても、じっさいに殺人を犯すのは、ほんの一握りであることもまた事実である。

だが、さらなる加害者と被害者を発生させないためには、専門家がけっしてクチにしない、できないいことに一般人が違和感をもとに考えてみる必要があるのではないかと思うのである。事件後の加害者の更正も大事だが、発生を予防することのほうが、はるかに重要である。

その意味でも、狭義の専門家ではないノンフィクション作家が書いたこのルポルタージュは、読む意味があるといってよい。一般人が感じる違和感を出発点にした取材活動の成果だからだ。

マスコミ報道に違和感を感じる人は、ぜひ読むことをすすめたい。



目 次

まえがき

第1章 殺意
 明日、人を殺そう
 おたのしみ袋を持って
 振り下ろされたげんのう
第2章 逃走
 どうして気絶しないんだ
 第二の殺意
 竹藪に戻らなきゃ
 体験は終わった
 出頭
第3章 動機
 少年法の壁
 新聞報道
 作られる「動機」
 少年の言葉
 プラスの体験
第4章 家族
 少年を育んだ人々
 少年の家族観
 親友と呼べるような友人はいなかった
 家族との「距離」
第5章 審判
 検察鑑定
 審判
 加害者少年の保護
 再鑑定
第6章 課題
 アスペルガー症候群
 診断の根拠
 専門的ケアの必要性
 二つの症例
 課題

あとがき
本書に対する批評-文庫版あとがきにかえて
解説 重松清



著者プロフィール

藤井誠二(ふじい・せいじ)
1965年名古屋市生まれ。ノンフィクションライター。高校在学中に「愛知の管理主義教育」を告発する社会運動に参加。その記録を卒業と同時に出版し、地元で大きな反響を呼ぶ。上京後、週刊誌記者などを経てフリーに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

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・・科学者という人間類型を突き動かしてきた知的衝動とは?

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・あらたな発見を行ってきた西欧の科学者(・・かつては科学者は哲学者でもあった)は「向こう側」という「見えない世界」への感受性が高い

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない

むかし富士山八号目の山小屋で働いていた <総目次>
・・「『長距離走者の孤独』で有名な、英国の作家アラン・シリトーは、「20歳までの経験でその後の人生は決まってしまう」といったそうです。私自身の富士山山小屋における体験が、その後の人生すべてを決定したとまでは思いませんが、現在の自分を振り返ってみても、「何事も自分で体験してみないとわからない」という基本姿勢は、まったく変わっていないように思われます」  このこと自体を否定すべきではない!

書評 『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹、新潮新書、2013)-この本をいかにマネジメントの現場に応用するか考えるべき

(2015年7月1日 情報追加)




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