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2012年1月22日日曜日

岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』をブログ版としたようなものだ



岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』のブログ版のようなものだ。つい最近、この2冊を古書として入手することができた。

現在でも文庫版で読める『東南アジア紀行 上下』には、残念ながら写真が文庫カバーのカラー写真2枚しかない。『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある』 を参照。

梅棹忠夫と大阪市立大学による「東南アジア探検」で撮影された写真の一部は、昨年(2011年)出版された  『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011) に収録されているが、調査探検のあとに国民への報告の一環として行われた講演会以外では、この岩波写真文庫での公開が数少ない例外であったようだ。

 『タイ』は正式タイトルは『タイー学術調査-』(梅棹忠夫=監修、大阪市立大学東南アジア学術調査隊=写真、岩波書店、1958)、『インドシナの旅』は『インドシナの旅-カンボジア・ベトナム・ラオス-』(梅棹忠夫=監修、大阪市立大学東南アジア学術調査隊=写真、岩波書店、1958)である。

いずれも総頁数は64頁の小冊子で、最初のページから最後のページまでびっしりと写真が収録されている。

写真につけられた簡潔なキャプションは、現代でいえばブログの文章そのものといっていいだろか。逆に言うと、現在のブログ記事の構造そのものといっていいだろう。

フィールドワークで写真を撮影し、その場で文章で簡単なコメントを書いておく。写真の情報量はきわめて多いので、写真を撮影することじたいが情報生産である。それを知的生産にまでたかめる第一歩が、写真にコメントする作業である。

「思想はつかうべきものである。思想は論ずるためだけにあるのではない」(「アマチュア思想家宣言」『思想の科学』1954年)と主張し、カメラで写真を撮るように思想を論ずるべきだと説いた梅棹忠夫の「思想」の実践そのものといっていいだろう。




これは、タイの首都バンコク近郊のクリーク(水路)の写真とその説明文だが、観光用ではないこういったクリークが1958年にはまだ存在したわけだ。

文字としての記録はもちろん重要だが、たとえモノクロでサイズの小さな写真であっても、画像のもつ情報量は文字とはケタ違いである。いまから50年以上前の東南アジアを写真でみると、変化していないものと、まったく変化してしまっているものとがわかってじつに面白い。

出版社が違うから難しいかもしれないが、中公文庫版の『東南アジア紀行』と岩波写真文庫の『タイ』と『インドシナ』を再編集して一冊本にしたらさぞ面白かろうに、と思ってしまう。どなたか試みていただけないだろうか?

とくに、ベトナム戦争によって破壊される前のインドシナ三国、高度成長で消えてしまうまえのタイの写真はきわめて貴重である。

50年前の名残をさがせばまったくないわけではないものの、やはりいったん消えてしまうと二度ともどっってくることはない。

昔の東南アジアを直接知っているわけではないのでノスタルジーではないのだが、このモノクロ写真はモノクロであるがゆえに、そういった感想を抱かせるものがある。



<ブログ内関連記事>

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある』
・・表紙カバーの写真2枚を掲示しておいた

書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)・・東南アジア関連の写真も

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)・・東南アジア関連の写真も

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)で黙殺されている第7章とあわせ読むべきだ

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!


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2012年1月20日金曜日

『東南アジアを学ぼう ―「メコン圏」入門』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)で、メコン川流域5カ国のいまを陸路と水路を使って「虫の眼」でたどってみよう!

■大河メコン川流域の5カ国のいまを描いた入門書

本書は、陸路と水路で知る「メコン圏」、すなわち大河メコン川流域の5カ国のいまを描いた入門書である。

「メコン圏」に属するのは、メコン下流からさかのぼれば、ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー、そして中国である。つまるところ東南アジアの大陸部のことだ。

ちょっと古い表現をつかえば、インドシナ半島よりやや広い地域をさしている。いわゆるインドシナ諸国にタイとミャンマーと中国を加えた地域になる。

『東南アジアを学ぼう ―「メコン圏」入門』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)は、おそらく出版社の意向で「東南アジア」がタイトルとしては全面にでたのだろうが、実際は「メコン圏」のみを扱ったものだ。

地続きではあるが、マレー半島のマレーシアとシンガポール、それに地域大国であるイノドンシアはいっさい登場しないので注意していただきたい。

タイが専門で鉄道ファンでもある著者は、鉄道が走っている場所は鉄道で、鉄道がない場所は高速バスで、メコン側は水路でと、さまざまな交通手段をつかって陸路を案内してくれる。

この地域の基本は、東西南北に走る縦貫道の存在。「東西回廊」と「南北回廊」が、メコン圏を貫く交通路である(・・下図を参照)。

「南北回廊」は、南はバンコクから北は中国の昆明(クンミン)にさかのぼって、東はベトナムのハイフォン(海防)にいたるルート。タイ、ラオス、中国、ベトナムの四カ国を横切るルートである。

「東西回廊」は、東はベトナムのダナンから、西はミャンマーのモーラミャインまで東西を貫くルート。ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーの四カ国を横切るルートである。

本書で「南回廊」となっているのは、下図では「第二東西回廊」とされているもの。ベトナムのヴンタウ(・・ホーチミンのさらに下流河口)から、カンボジアをへてバンコクまで至るルートである。




わたしも、鉄道や高速バス、あるいは空路や経済ミッションなどの機会をつうじて走ったことがあるが、日本で想像するような快適なハイウェイとはほど遠いのが実態だ。

しかし、道がつながったということはきわめて大きな意味をもつ。とくに大河メコン川を、はしけではなく、そのままクルマで走って通過できるということは、まさに革命であろう。

メコン川は南北で人々を結びつけると同時に、東西では分断していたからだ。



■「戦場から市場へ」と提唱されてから20年

帯には、「戦場から市場へ-「変化」と「活気」にあふれるメコン圏を見にいこう」ともある。

「戦場から市場へ」というのは、フランスの植民地であったインドシナを舞台にした二次にわたるベトナム戦争が終結し、「戦場」となったインドシナを「市場」に変えようと提唱した、1991年当時のタイの首相チャートチャーイのフレーズである。

このフレーズが提唱されてからすでに20年、当時はタイの通貨であるバーツが支配する「タイ・バーツ圏」が「メコン圏」を支配するのではと予想されていたが、現在では中国の人民元が着実に支配力を強めている。地続きのラオスだけでなく、3年前にはカンボジアの市場でも人民元をみた。

このように、ベトナム戦争が終結し、カンボジア紛争も終結して20年以上たつこの地域は、開発経済学の観点から GMS(=Greater Mekong Region:メコン圏)という概念がつくられ、「東西回廊」と「南北回廊」の構想とその実現によって、地域市場としての成長が期待されつつつつある。


■中国(シナ)でもインドでもないインドシナ!

「中国、インドの次はココ!」と帯のキャッチコピーにはあるが、わたしとしては「中国、インドじゃなくてココ!」と言っておきたいものだ(笑)。

インドシナという表現でわかるように、この地域はインドとシナ(=中国)の二代文明が出会い、浸透している地域である。

基本は、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアで支配的な上座仏教。すなわちインド文明の延長線上にある。これにヒンドゥー教の王権概念が支配原理となった地域だ。現在では、王制が残っているのはタイとカンボジアだけだが。

日本、朝鮮とならぶ中華文明の一つであるベトナムは、儒教・道教、それに大乗仏教という、わたしの表現では「中華文明の三点セット」が支配する地域である。現在では地理的概念としての東南アジアの一国と認識され、ASEANにも加盟している。「メコン圏」としての認識が高まれば、ベトナムはさらに中国からの遠心力が働くこととなるだろう。

地域大国としてのタイ、それに対抗すべく着々とチカラをつけつつあるベトナム。この二国が「メコン圏」のメジャープレイヤーだが、ますますプレゼンスを強めているのが中国である。中国との関係を抜きに「メコン圏」について語ることはできない。ここはまた、日本と中国の影響力行使競争の場でもある。

本をだしにして「メコン圏」について書いてみたが、ビジネスだけでなく、地域全体を知るという観点からの入門書として、大学生以上が読むと思い白い本になっているというべきだろう。

ぜひみなさんも機会があれば、空路でメガ都市とメガ都市のあいだ、メガ都市とリゾート地のあいだを跳ぶだけでなく、地を這うような旅も経験していただきたいものだと思う。タイはもう面白くなくなってきたので、ラオスあたりが面白いでしょう。

若ければバックパッカーの旅もまたよし、ということで。


(画像をクリック!)

目 次        
序章 メコン圏とは?  
第1章 南北回廊(ハイフォン〜昆明〜バンコク)  
1. 紅河沿いの鉄道(ハイフォン〜昆明)
2. 山峡を貫く高速道路(昆明〜景洪)
3. メコンの川下りと新たな陸路(景洪〜チエンセーン・チエンコーン)
4. タイ族の南下ルート(チュエンセーン・チェンコーン〜バンコク)
第2章 東西回廊(モーラミャイン〜ダナン)   
1. タイを横切る道(モーラミャイン〜コーンケン)
2. 分断の川メコン(コーンケン〜サワンナケート)
3. アンナン山脈越えのルート(サワンナケート〜ドンハ) 
4. ハイヴァン峠を越えて(ドンハ〜ダナン)
第3章 南回廊(ヴンタウ〜バンコク)           
1. メコン・デルタをさかのぼって(ヴンタウ〜プノンペン)
2. 疲弊した鉄路(プノンペン〜バッドムボーン)
3. かつての国際鉄道(バッドムボーン〜バンコク)
4. 新たな海岸沿いのルート(プノンペン〜バンコク)
終章 メコン圏から見えること   
あとがき
参考にした主な本など

著者プロフィール   
柿崎一郎(かきざき・いちろう)         

1971年静岡県生まれ。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。横浜市立大学国際総合科学部准教授。タイを中心とするメコン川流域の交通網の発展や、バンコクの都市交通の整備に関する研究を進める。著書に、『タイ経済と鉄道-1885~1935年』(日本経済評論社、大平正芳記念賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





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『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

タイのあれこれ (15) タイのお茶と中国国民党の残党
・・ゴールデン・トライアングルの秘史

ベトナムのカトリック教会

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)

カンボジアのかぼちゃ

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである


P.S. ちなみにこの投稿で850本目の記事となりました。今年2012年内に1,000本目指します。なお、姉妹編の佐藤けんいち公式ブログとあわせると、1,055本書いたことになります。


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2011年12月17日土曜日

『東南アジア紀行 上・下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある



■「移動図書室」という先駆的な試み-フィールドワークによる「知的生産」とはこういうものだ!■

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 初版単行本 1964)を読んだのは、文庫本に書き込んだメモによれば1995年の7月である。おそらく、タイにはじめて行った際の参考書として読んだのであろう。旅の最中か、旅の前後かが現在でははっきりしないのだが。

もともと東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に出版された本で、もととなった自動車による東南アジア探査は、1957年から1958年にかけてのことであるから、もういまから53年前(!)のことになる。

現在からみれば、資本主義化が進展し、すっかり近代化する以前のタイはもとより、ベトナム戦争によって荒廃するまえのインドシナ三国(=ベトナム、ラオス、カンボジア)の貴重なドキュメントにもなっている。

ベトナム戦争について簡単に振り返っておこう。

植民地支配を行っていたフランスとのあいだで戦われた第一次インドシナ戦争が1958年に終結し、第二次インドシナ戦争であるベトナム戦争は、1960年12月に「南ベトナム解放民族戦線」が結成され南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始されてから始まった。

1975年3月に北ベトナム軍による全面攻撃が開始され、4月30日にサイゴンが陥落することで終結した。だが、カンボジアはその後もポルポト派による混乱が続き、最終的に混乱が収まったのは、国連監視下のもと 1993年に民主選挙が実施されてからである。ラオスはこの間の1975年に王政が倒れて人民共和国となっている。

したがって、梅棹忠夫が率いる学術調査隊は、インドシナ半島が動乱に巻き込まれて荒廃する前に行われた、まさに貴重な記録になったのである。

日本の敗戦によって大陸の探査ができなくなったこともあり、梅棹忠夫は探検の方向を東南アジアに据える。これは戦後日本が東南アジアに送り出した最初の学術調査隊となった。

この旅行で踏査した記録は、『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011) に豊富に収録された写真とあわせてみるとじつに興味深い。この文庫本には、文庫本の上下のカバーにある、著者が撮影したカラー写真2枚(・・上掲)しか掲載されていない。

「東南アジア学術探検」は、『文明の生態史観』で提唱した梅棹理論の検証という側面もあるが、まずは日本の敗戦から12年後に実行された旅行記として読めばいいと思う。そして、その時代の「失われた東南アジアの面影」をさぐるために。

わたしにとって何よりも興味深いのは 「移動図書室」 についてである。この探査行にフィールド・アシスタント(・・運転手兼通訳)として全行程に同行した東南アジア学者の石井米雄氏は、当時は外務省留学生としてタイ王国のバンコク滞在していたが、本書の解説でもその件を回想している。

「移動図書室」というコンセプトは、きわめて現代的だ。いまならテクノロジーの進歩で、「電子書籍」という形でポータブル化が可能となり、だれでも簡単に実行可能となったといえる。媒体は何であれ、知的インプットは 「現場で本を読む」に勝るものはないからだ!


非番のときは、わたしは後の座席にすわって、いつものとおりタイプライタで日記をつける。しかしこんどの旅行では、もう一つ新しいくふうをやってみた。それは移動図書室の設置である。移動図書室などというとたいそうだが、要するに、木箱に一ぱい本をつめて、車につんで来ているのだ。わたしは、広い座席を占領して寝そべりながら、本をよむ。寝そべるために、大きなフォーム・ラバーのまくらも持ってきている。

出発まえに、東京の古本屋をあさって、戦争中の「大東亜共栄圏」に関するものをだいぶ買った。満鉄調査部の「南洋叢書」などは、いま見ても、ひじょうにいいものである。それから、バンコクで英語のものをたくさん買った。それを、みんな持ってきている。
現地で実物を見ながら本を読む。わたしはまえから、これはひじょうにいい勉強法だと思っている。本に書いてあることは、よく頭に入るし、同時に自分の経験する事物の意味を、本でたしかめることができる。

(出典:『東南アジア紀行(下)』P.64~65) 太字ゴチックは引用者(=わたし)



ところで、『私の読書法』(大内兵衛/茅誠司他、岩波新書、1960)には、梅棹忠夫が書いた 「行動中心の読書」 という文章が収録されている。『東南アジア紀行』の前か後かはわからないが(・・『著作集』があれば調べることは可能)、「移動図書室」についての記述はないものの、そのエッセンスとなる思想が書かれているので引用しておこう。

わたしのやり方は、自分に何かはっきりした課題、それも主として行動上の課題があって、そのために本を読む。いわば、行動中心の読書法である。これはいまに至るまでつづいている。
・・(中略)・・

わたしは、自分が実地に歩いて見てきた事実を、本の中に発見し、その歴史的・理論的な意味をさとる。本で得た知識は、実地の体験で確める。この操作をくりかえすうちに、わたしは重大な教訓を得たようだ。それは、本というものは、かならずしも信用できないものだということである。・・(中略)・・とにかく活字をうかつには信用しないという習慣は、このころにできあがりいまにいたるまで残っている。そのことは、だいたいにおいて良い影響をおよぼしたようだ。

(出典:『私の読書法』(大内兵衛/茅誠司他、岩波新書、1960)P.57~66) 太字ゴチックは引用者(=わたし)



こういった 「知的生産の方法」 だけでなく、じっさいにその方法論を駆使して観察した記述が、現在2011年の時点で読んでもひじょうに新鮮だ。これは自分がじっさいに現地を歩いて五感をつうじて得た結論だからだろう。

現地を自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分で感じたことを、その場で本を読んで検証するというプロセスをなんども繰り返して、知識を生きた知識として自分のアタマのなかに定着させていくのである。

その具体的な観察内容をいくつか引いておこう。梅棹式の 「アタマの引き出し」 のつくりかたの実践例である。


●ベトナムの国民性 (第15章 P.135)

食事をしながら、石井さんはつくづく言った。
「ベトナム人というのは、まったくえらいもんだ。そう思いませんか」
わたしも同感だ。タイやカンボジアでは、食堂といえばみんなシナ人の経営である。しかし、この国ではシナめし屋の数ははるかに少い。この店だって、ちゃんとベトナム人の経営である。看板も、メニューも、みんなローマ字書きのベトナム語である。
・・(中略)・・

ベトナム人の国民性については・・(中略)・・こうしていなかを走って、かれらの日常の働きぶりを観察すればわかるというものだ。ベトナム人は勤勉で、エネルギッシュである。勤勉という点では、わたしの見たかぎりでの東南アジアの諸民族の中では、ベトナム人が一ばんである。


●タイの柔軟性 (第22章 P.268~269 探査行から4年後のバンコク再訪の際の感想)

タイという国は、インドなんかとはちがって、なんとなく制約の少ない国である。文化的・社会的に自由なのだ。複雑な社会制度や、やっかいな慣習にしばられることなく、なんでもとりいれながら、のびのびとやっている。テレビをいちはやくとりいれたのも、そういう点のあらわれだろう。その点はどこか日本に似ているのである。

じっさい、日本ではやることは、かなりの程度にタイでもはやる可能性がある。ひょっとしたらタイの人のなかには、ひそかに日本の世相の動きを観察していて、意識的にまねることをやっている人がいるかもしれない。日本的商業主義は、ここでは成功する公算が高いのである。


どうだろうか。この文章が書かれたのは、1964年である。まったくその後の展開を読み切ったような発言ではないか。

こういった切れ味の鋭い観察結果をまじえたこの紀行文は、梅棹忠夫のものだからというだけでなく、東南アジアの過去を知る上でもたいへん貴重な記録となったのである。

もちろん、現在読んでもじつに面白いドキュメントである。ぜひ一読を薦めたい。




(画像をクリック!)



目 次
上巻
まえがき
第1章 バンコクの目ざめ
第2章 チュラーロンコーン大学
第3章 太平洋学術会議
第4章 アンコール・ワットの死と生
第5章 熱帯のクリスマス
第6章 謙虚に学ぶべし
第7章 ゆううつよ、さようなら
第8章 最高峰にのぼる
第9章 類人猿探検隊
第10章 ランナータイ王国の首都
下巻
第11章 配置を終る
第12章 歴史の足あと
第13章 ゾウと王さま
第14章 コーチシナ平原
第15章 チャムの塔
第16章 大官道路
第17章 大森林をゆく
第18章 高原の朝
第19章 最後の隊員会議
第20章 汽車の旅
第21章 再会
第22章 バンコクは変わった
第23章 エピローグ
追記
解説(石井米雄)



<書評への付記>

東南アジアの学術調査から帰国したあと、ちょうど南極越冬から帰国した西堀栄三郎の『南極越冬記』(岩波新書、1958)をまとめる仕事を依頼されたようだ。

国民的な関心事からいったら、それは宗谷による南極越冬のほうがはるかに高かったことは間違いない。西堀栄三郎は、今西錦司の先輩であり、梅棹忠夫からみるとはるかに先輩ということになる。

この事実は、『南極越冬記』(岩波新書、1958)のあとがきで西堀榮三郎自身も記しているが、これを知った上で 『南極越冬記』 と 『東南アジア旅行記』 を読んでみると面白いかもしれない。

また、本書の文庫版の解説を執筆している石井米雄氏は、『道は、ひらける ― タイ研究の五〇年-』(石井米雄、めこん、2003)で、『東南アジア紀行』のことを回顧している。本文にも「石井さん」として登場する。

当時、石井氏は外務省派遣の留学生としてタイのバンコクに駐在していた際に勧誘され、「学術調査」に助手として参加することになった。石井氏は、知る人ぞ知る語学の天才で、タイ語をはじめとした東南アジア各国語だけでなく、ラテン語まで習得している。





<ブログ内関連記事>

■東南アジア関連

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)
・・日本の敗戦時、タイのバンコクに居た辻正信のインドシナ半島から中国にかけての僧侶に身をやつしての逃避行の記録。1945年当時のインドシナ半島の貴重な記録でもある

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編

ベトナムのカトリック教会

カンボジアのかぼちゃ

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)


■梅棹忠夫関連

岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』をブログ版としたようなものだ

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い


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