一昨日(2010年12月13日)、雨のなか午後3時前、たまたま丸の内の皇居前の交差点で信号待ちをしていたら、馬車が通るので交通規制があった。
パトカーの先導で、雨具を着た騎馬警官数人が随行、馬車が2台パカパカと蹄の音を響かせながら、日比谷方面に向けてゆっくりと走り去っていった。氷雨のなかであったが、蹄の音は鳴り響いていた。
どこかの国の特命全権大使が、天皇陛下に信任状捧呈式のために参内したのだろうか。
日本国内では、皇居で行われる特別な行事以外では馬車を見ることなどない。実際、私もテレビでしぁ見たことがないし、それも今上天皇陛下の皇太子時代のご成婚のパレードのモノクロ映像だけである。いまの皇太子のご成婚の際のパレードはオープンカーだったので馬車ではなかった。
しかも日本には暴動鎮圧のための騎馬警官もいまは存在しない。馬上から棍棒を振り下ろす騎馬警官は、デモ隊の暴徒からみれば恐怖のまとであろう。
英国ではいまでも当然のことながら馬車が使われている。ダイアナ妃の成婚式の中継を見たが、馬車が使われていて、まさにプリンセスそのものだった。来春には、そのダイアナ妃の息子で長男のウィリアム王子の成婚式が行われるが、財政危機状況であっても、さすがに馬車のパレードが行われることだろう。
実際に走っている馬車を日本で見たのは今回が初めてだ。
たまたま地上に出て交差点待ちをしていたので、たまたまデジカメを持参していたので(・・携帯カメラもあるがデジカメはシャッターチャンスを逃さないためにつねに持参するようにしている)撮影できたわけだ。
馬車といえば、足尾銅山の公害問題について、明治天皇の乗る馬車に直訴状を投げ入れようとして、即座に逮捕された田中正造を思い出す。
結局、田中正造は狂気であるとされ、即日無罪放免された。1901年(明治 34年)12月10日のことである。
江戸時代であれば処刑確実となったはずの決死の覚悟の直訴、失敗に終わった田中正造の胸中の思いはいかなるものであったのか? この事件そのものと直訴状の中身は広く世の中に知れ渡ったので、この決死の行為の意味はあったというべきであろう。
さて、本日12月15日は田中正造の誕生日である。天保12年の生まれなので旧暦では 11月3日、西暦では1841年12月15日となる。直訴事件から12年後の大正2年(1913年)9月4日に亡くなった。
特に意図したわけではないが、たまたま目撃した馬車から連想が及んだ田中正造の誕生日が、本日12月15日であったというのは、偶然の結果であったとしても面白い。
シンクロニシティというやつか。
■馬関連
ミャンマーではいまだに「馬車」が現役だ!-ミャンマーは農村部が面白い
書評 『馬の世界史』(本村凌二、中公文庫、2013、講談社現代新書 2001)-ユーラシア大陸を馬で東西に駆け巡る壮大な人類史
■足尾銅山の公害問題で天皇に直訴した田中正造関連
『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・このドラマには田中正造も登場する
(2016年3月20日 項目新設)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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