■「自分史」を書くことによって「自分」を発見し、これからの人生の道筋をつけるということ
「自分史」なんて、語っている「自分」以外の「他者」にとっては、面白くもなんともないだろう、とは単純に思う必要はない。
「自分」の体験をキチンと言語化し、「他者」と共有可能なコトバで語ったとき、それがまったく「他者」とは縁のない「自分」固有の経験であっても、不思議なことに共通性を見出した「他者」によって発見され、ある種の共感をもって読まれることがある。
また、無名の人を対象にしたインタビュー記事や番組での語りに非常に惹きつけられることがあるが、これはなぜなのだろうか。
それはおそらく、その人でしか語り得ないことを語っているからであろう。「自分」自身のフィルターを通した経験が、「自分」のコトバとして語られているからであろう。
もちろん、腕のいいインタビュアーが、その無名人からうまく話を引き出しているということはある。
まっくの無名人の「自分史」が、自費出版ではなく、商業出版されてことがある。読めば、得意な体験の持ち主とわかるが、ありふれた一人の男性の「自分史」であることには変わりない。
もちろん、商業出版である以上、編集者がうまく著者の話を引き出して読むに耐えるものに編集している可能性はある。とはいえ、著者の体験そのものは、見せ方は別として原石としての存在感があることは否定できない。
そういう不思議な内容の一冊があるので、ここで紹介しておきたい。
■『サリンとおはぎ-扉は開くまで叩き続けろ-』(さかはら あつし、講談社、2010)
■なぜか最後まで読み進めてしまう、不思議な印象に充ち満ちた「自分史」物語
まず最初に、ある二人の人物の経歴を並べてみよう。
●1966年京都府生まれ、京都大学経済学部卒業、電通を経てカリフォルニア大学バークレー校でM.B.A.取得・・・
●1962年京都府生まれ、一橋大学社会学部卒業、長銀総研を経てレンセラー工科大学でM.B.A.取得・・・
前者は、この本の著者さかはらあつし氏の経歴。
後者は、恥ずかしながら、不肖(ふしょう)私の経歴である。実は私も、カリフォルニア大学バークレー校にはM.B.A.取得前に夏期講習(サマー・エクステンション)参加のため滞在していたので、短期間ながら在学経験がある。
この二人の経歴は、それぞれ本人の努力のたまものではあるが、経歴だけでものを見る人にとっての意味と、当事者である本人たちの認識とは大きく異なるものである。これは私の自意識においても同じである。見えないところで苦労をしている点は人後に落ちないはず。
「履歴書」には現れてこない、人知れぬ苦労や失敗があるのだということ、これに気がつかねばならないのではないかということを、この本は教えてくれる。
もちろん私の苦労は、さかはらあつし氏のものには、遠く及ばないのであるが。
著者のさかはら氏が、なぜこの本を執筆したのか、いかにして出版に至ったのか、「まえがき」には何も記されておらず、「あとがき」も存在しないので、著者を直接知る人以外はまったく知ることができない。もしかすると、誰も聞かされていないのかもしれない。
著者は、ある種の学習障害のため集中力と理解力を欠き、高校の成績はビリ。京大には4浪してやっと合格。さらに「サリン事件」際、サリンがまかれた車輌に乗り合わせたことで、さらなる後遺症に現在に至るまで苦しむことになる。
本書の帯にはこう記されている。「起きていることに、「なぜ?」はない。それはただ起こったんだ。」
そう、起こっていること、起こったことは、ありのままの事実として受け止めて、受け入れなくてはならないのだ。
著者が、自殺した友人と交わした3つの約束のうち、京大とMBAは実現した。4浪して京大に入学しただけでなく、米国でM.B.A.という約束も実現。最後に残ったのが、映画でアカデミー賞を受賞するという約束である。
この本の執筆は脚本家(シナリオ・ライター)修業の一環なのだろうか。自らの半生を「自分史」としてさらけ出すことは、もちろん取捨選択というプロセスを経ているので語られていないこともあろうが、勇気のあることだ。
シンクロニシティ。二度の交通事故に遭遇しても死ななかった経験。サリン事件の車輌に乗り合わせた経験。そしてなんと、知らずにオウムの加害者側にいた女性に引き寄せられて結婚し離婚したという経験。人生は「たまたま」なのか、それとも「引き寄せ」という宇宙の法則(?)が働いているのか・・・
「叩き続ければ、扉は一瞬だけ開く」という人生の教えを実行していった、一人の男性の44歳の人生が、最後まで読ませてしまうのはなぜか?
実に不思議な本だった。この人の人生を知ったからといって、何になるのかわからないのだが・・・。それだけ、無意識のうちに人を惹きつけるチカラをもった人なのだろうと思う。
もうひとつの隠れたテーマは、ユダヤ人と映画産業である。これも何かの「導き」なのだろうか? 著者が学生時代に観光ガイドとして出会ったユダヤ教のラビとの交友から始まった見えない糸である。
タイトルの「サリン」についてはいうまでもないが、「おはぎ」とは、著者の友人が製作した短編映画のことだ。
本書には、著者の人生を導いた魅力的なコトバがいくつも引用されている。
-入学後のガイダンスでの経済学部長の話(P.57)
-「天才論」の授業での教授の話(P.68)
-千葉敦子の『ニューヨークの24時間』(P.125)
『ニューヨークの24時間』(千葉敦子、文春文庫、1990)は、私の愛読書でもあって、米国留学には持参したくらいだ。『ニューヨークでがんと生きる』の著者は、すでに1987年に亡くなってから23年もたっているから忘却されてしまっているのか、現在は、絶版であるのが残念。
本書に引用されたコトバは、著者自身の感受性のフィルターを濾過したものばかりだが、ほぼ同世代の私もつよく共感するものばかりである。
私の世代以外の人にとっても響くコトバであるといいと思う。
目 次
第1章 やりたかったらやってみるしかない
- 共通一次 150点からの京大受験
第2章 いま起きていることを見逃すな
- 就活、電通入社からサリン事件遭遇
第3章 夢に向かって前進できる仕掛けを作れ
- 人の夢のアシストをする 生き延びるための熾烈な戦い
第4章 「なぜ?」はない。それはただ起こったんだ
- どこまでもつきまとうオウム真理教の影
著者プロフィール
さかはら あつし
1966年、京都府生まれ。4浪して京都大学経済学部に入学。1993年に卒業後、電通に入社。1995年3月20日、通勤途上で地下鉄サリン事件に遭遇。サリンが撒かれた車両に乗車したが、奇跡的に重篤な被害を免れた。事件後、電通を退社。1996年渡米しMBA取得。帰国後、2002年、かつてオウム真理教側にいた女性とめぐり会い結婚する。2003年、離婚。2009年、アカデミー賞の招待客としてレッドカーペットの上を歩くという経験をする。現在、アカデミー賞獲得を目指し、サリンの後遺症と闘いながら人生を歩み続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
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「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ
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思考と行動の主体はあくまでも「自分」である。そして「自分」はつねに変化の相のもとにある
(2012年7月3日発売の拙著です)
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