■中東パレスチナ地域を「複眼的」に見るために重要な視点を提供してくれる本■
本書は、とくにシリア、レバノン、パレスチナなど、東地中海地域を中心にした、中東地域のキリスト教徒について扱ったブックレットである。
圧倒的なムスリム地域において、人口の 1%に満たないキリスト教徒は、同様の状況にある日本のキリスト教徒とは大きく異なる点がある。
それは、この地域においては、キリスト教のほうがイスラームよりはるかに古い(!)ということだ。
つまりこの地域においてはキリスト教は外来の宗教ではないということであり、また圧倒的なマジョリティであるイスラームとは、同じ一神教であるという共通点ももっていることである。
中東のキリスト教徒は、その長い歴史のなかで、数々の苦難を乗り越えて今日まで生きのびてきたわけであり、そのことだけをとっても賛嘆に値する。
ただし、マイノリティであるキリスト教徒を十把ひとからげに取り扱うことはできない。日本と同様、教義によって、キリスト教徒はきわめて細分化されており、それぞれの教派に属する人口はまたさらに小さなものになる。
とはいえ、アラブ世界において彼らキリスト教徒知識人たちが果たした役割はきわめて大きいようだ。
アラブ・ナショナリズムにつながるアラビア語復興運動は、聖書をアラビア語に翻訳する事業に携わったアラブ人キリスト教徒が指導的役割を果たしたことなど、アラブ世界においてマイノリティであるキリスト教徒が果たしてきた役割は大きいことを、本書によって知ることができる。
本書の著者は文化人類学者で、アラブ人キリスト教徒の多い、イスラエルの港町ハイファでフィールドワークを行ってきた人である。
そのため、もっとも特徴のあるのが、第2章「中東のキリスト教徒 その実像」に記された、中東のキリスト教徒の具体的な衣食住やアイデンティティについて記された文章である。
中東のキリスト教徒が、イスラーム世界で使われる太陰暦ではなく、太陽暦に基づく農耕暦にしたがって古代から祝祭を行ってきたということが、実に興味深く思われた。
中東パレスチナを、ムスリムとは異なる視点から見ることを可能とした本書は、「複眼的な視点」を可能とさせてくれる。知的好奇心を大いに満たしてくれる内容になっている。
中東問題に関心のある人は、一読する価値があるといえよう。
<初出情報>
■bk1書評「中東パレスチナ地域を「複眼的」に見るために重要な視点を提供してくれる」投稿掲載(2010年8月27日)
■amazon書評「中東パレスチナ地域を「複眼的」に見るために重要な視点を提供してくれる」投稿掲載(2010年8月27日)
目 次
輝く赤い十字架
第1章 中東キリスト教の諸教派
キリスト教徒はどこにいる?
古東方正教会
東方正教会
カトリック諸派
プロテスタント諸派
東方アッシリア教会
中東のキリスト教の祝祭
第2章 中東のキリスト教徒、その実像
ムスリムのキリスト教徒観、キリスト教徒のムスリム観
住居と食文化にみる独自性
結婚の肖像
移住と家族のあり方
メディアとキリスト教
子どもの教育とキリスト教徒アイデンティティの育成
キリスト教徒のアイデンティティ
アイデンティティの相克
民間信仰のダイナミズム
第3章 アラブ・ナショナリズムとキリスト教
アラビア語復興運動
レバノンのアラビア語復興運動
バアス党の父、ミシェール・アフラク
パン=アラブ主義への反動とキリスト教徒
イスラエルと南部レバノン軍
教会の信頼回復に向けて-新世代の指導者たち
十字架は輝きつづけるか
コラム
01 アルメニア人虐殺問題
02 デリケートな「ステイタス・クオ」問題
03 世界で活躍する、中東のキリスト教徒の著名人たち
04 イスラエルの「新移民」とアラブ人キリスト教徒
参考文献
著者プロフィール
菅瀬晶子(すがせ・あきこ)
1971年生まれ。総合研究大学院大学文化科学研究科修了(博士:文学)。専攻、文化人類学、中東地域研究。現在、総合研究大学院大学学融合推進センター特別研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<書評への付記>
ブラジル生まれでフランスで教育を受けた、日産とルノーの CEO を兼任するカルロス・ゴーンは、レバノン系でかつキリスト教である。「自動車業界にはレバニーズが多い」と言ったのは、トヨタ元会長の奥田氏である。
元国連事務総長のブトロス・ブトロス=ガリは、エジプト人のコプト正教会に属するキリスト教徒。サッダーム・フセイン統治下のイラクで長く外相を務めたタリク・アジズはカトリック教徒。『オリエンタリズム』の著者エドワード・サイードは、パレスチナ出身のプロテスタント系キリスト教徒。
このようにイスラームが支配的なアラブ世界出身者には、意外なことにキリスト教徒が多い。マイノリティという観点からも着目すべき存在である。
マイノリティとして生きることの意味についてもいろいろと考えさせてくれる。
また、聖書のアラビア語翻訳についても、用語の選択が面白い。一神教のイスラームでは神のことをアッラーというが、キリスト教徒も神のことをアラビア語でアッラーという。
日本人からみると、なんだか変な感じがしなくもないが、一神教の神は本来的に同一であることを示しており興味深い。
後発の一神教イスラームにおいては、イエス・キリストもユダヤ教以来の数ある預言者の一人に過ぎない。イスラームにおいては、ムハンマドが最後の預言者という位置づけである。
そして預言者ムハンマドが預かった神のコトバはアラビア語であり、聖典クルアーン(コーラン)は神のコトバそのものだから、翻訳されたクルアーンは聖典ではなく、あくまでも参考書に過ぎないとされる。
キリスト教聖書の翻訳が、その言語の近代化をもたらしたのとは対照的に、イスラーム圏では言語近代化がイスラームの内側から発生しなかったのは、そういう理由がある。
<関連サイト>
(2023年11月17日 項目新設)
<ブログ内関連記事>
書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)
・・キリスト教徒が「人口の 1%」である日本、なぜそうなのか
書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・キリスト教聖書の翻訳が、その言語の近代化に与えた影響の大きさ
書評 『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)
・・マイノリティとして生きること
タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム・・マイノリティとして生きること
本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・生活体系としてのイスラームの規範はすべて太陰暦カレンダーに基づく
『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「踏みひしがれた人や喧嘩に負けた犬は、自然自らを頼りとするに至る。さもなくば滅亡あるのみであろう」というコトバにマイノリティとして生きる覚悟が示される
P.S. 新年のミサに訪れたキリスト教信者たちが、自爆テロに巻き込まれて殺害されるという惨事が、201年1月1日、エジプト第二の都市アレクサンドリアのコプト教会で発生した。不寛容は憎しみ以外の何者も生み出さない。
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