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2011年9月29日木曜日

きょうは何の日? ― ユダヤ暦5272年の新年のはじまり(西暦2011年9月28日の日没)


 「きょうは何の日?」なんていうと、TV番組のコーナーのタイトルみたいですね。

 答えは先に行っておきましょう。はい、きょうは「ユダヤ新年」のはじまりです。ユダヤ暦のお正月ですね。

 正確にいうと、昨日(西暦2011年9月28日)の「日没」から、ユダヤ新年ローシュ・ハ・シャナ(Rosh Ha Shana)が始まりました。

 したがって、本日(2011年9月29日)と明日(9月30日)は、日本国内のイスラエル大使館など政府機関などはみなお休みになります。イスラエル国内は当然のことながらお休みです。

 ちなみに、日本でも古代では、一日は「日没」から始まっていました。一日は夜明けとともに始まるという時間意識がいつごろ定着したのか知りませんが、日没から夜明けまでの「夜」を大切にするのは、古代世界には共通していたようですね。

 以前、このブログに 皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる と題して、日本を含めた各民族や宗教のカレンダー(暦)について、やや詳しく書いてみました。「ユダヤ暦」についても触れています。

 しかしなんといっても、天地創造から数える「ユダヤ暦」では 5772年(!)というのはスゴイですね。日本は皇紀 2671年、仏暦 2554年、西暦だと2011年、イスラーム世界のヒジュラ暦では 1432年になります。いかにイスラームが若い宗教であるかがわかります。
 
 ついでにいうと、イスラームの「ヒジュラ暦」は純粋太陰暦なので、太陽暦である西暦とは毎年ズレが生じますが、いっさい調整をしません。ですから、断食月であるラマダーンが今年のように真夏に重なると、なかなかやり過ごすのがたいへんなわけですね。

 ヒジュラ暦など純粋太陰暦は、365日を単位として循環している農事暦として使うには問題があるようですね。書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
で、「中東のキリスト教徒が、イスラーム世界で使われる太陰暦ではなく、太陽暦に基づく農耕暦にしたがって古代から祝祭を行ってきたということが実に興味深く思われた」という文章を書いてますが、西暦が太陽暦であることのメリットは、農事暦という観点から捉えることもできるようです。

 ユダヤ暦は太陰太陽暦で、農事暦のようです。ユダヤ教の聖典である『タルムード』の「ミシュナ」第一部「ゼライーム」(種子)は「農耕にかんする書」で全部で11章からなっています。

 『タルムード』とは、「聖書」成立以降にラビたちによって口伝で伝承されてきた記録を文字にして体系化したもの。「聖書」冒頭の「モーセ五書」(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に規定された成文法の施行細則のようなものと考えたらよいでしょう。

 参考のために「ゼライーム」(種子-農耕にかんする書)の11書の細目を紹介しておきましょう。

1. ベラホート: 祈祷
2. ペアー: 畑の刈り残し・落ち穂
3. デマイ: 十分の一の献げ物を納めたか否か疑わしい作物
4. キルアイム: 禁忌異種
5. シュヴィイート: 安息年
6. テルモート: 祭司への献納物
7. マアセロート: 十分の一の献げ物
8. マアセル・シェニー:第2の十分の一の献げ物
9. ハッラー: 献納練り粉
10. オルラー: 植樹3年間の禁忌果実
11. ビックリーム: 初物、初穂

 新年の「ローシュ・ハ・シャナ」については、「ミシュナ」第二部の「モエード」(祭日)に規定があります。

 参考までに「モエード」(祭日-祭りにかんする書) 12書の細目を紹介しておきましょう。

1. シャバット: 安息日
2. エルヴィーン: 安息日規定の補遺
3. ペサヒーム: 過越祭
4. シェカリーム: シェケルの献納
5. ヨーマ: 贖罪の日
6. スッカー: 仮庵祭
7. ベーツァー: 祝祭日にかんする規定 
8. ローシュ・ハ・シャナー: 新年祭
9. タアニート: 断食
10. メギラー: 巻物(プリム祭における「エステル記」の扱い方
11. モエード・カタン: 祝祭日中間の規定
12. ハギガー: 祝祭日の捧げ物

 「ローシュ・ハ・シャナー」にの典拠となる「聖書」の文言は、9つあがってますが、冒頭の「出エジプト記」と「レビ記」の文言を引用しておきましょう。

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい....」(「出エジプト記」 12・1~2)

主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい。あなたたちはいかなる仕事もさいてはならない。燃やして主にささげる捧げ物を携えなさい」(「レビ記」 23・23~25)

(出典:『ミシュナ Ⅱ モエード(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/長窪専三訳、教文館、2005)P.324~3325) 


 「ローシュ・ハ・シャナー」の本文は以下のようなものです。読んでもとくに面白いものではないですが、『タルムード』の「ミシュナ」とはこんなものだと知るくらいの意味はあるでしょう。

「ローシュ・ハ・シャナー」第一章

新年には4つある。ニサン[の月]の朔日(ついたち)には王のためと祭日のための新年。エルル[の月]の朔日には家畜の十分の一の捧げもののための新年。ラビ・エリアザルとラビ・シモンは言う。[それは]ティシュレ[の月]の朔日[である]。ティシュレ[の月]の朔日には、年のための、ヨベルの年のための、[樹木を]植えるための、および野菜のための新年。シェヴァト[の月]の朔日には樹木のための新年。[これは]シャンマイ派の言葉に従っている。[しかし]ヒレル派は言う。その[シェヴァトの月の]15日に。・・(以下略)・・

(出典:同上 P.329~330)


 ここまでいろいろ引用しましたが、ユダヤ教徒でなければ、正直いって面白くもなんともない記述が続きます。

 まあ、これが「律法」(The Law)というものの本質でしょうか。イスラームの『ハディース』も同様ですね。

 その規定を守る立場にいれば主体的な読みも求められるでしょうが、ユダヤ教徒でもムスリムでも、そのどちらでもないわたしのような人間は「縁なき衆生」、やはり「縁なき知識」にすぎないのかもしれません。


<参考書籍>

『ミシュナ Ⅰ ゼライーム(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/三好 迪訳、教文館、2003)
『ミシュナ Ⅱ モエード(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/長窪専三訳、教文館、2005)




<ブログ内関連記事>

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・『ハディース』からラマダーンにかんする記述を抜き書き

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・キリスト教の暦は太陽暦であり農事暦である

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ 「バイオダイナミック農法」(ビオデュナミ農法)としても知られている「シュタイナー農法」についても触れている。月や太陽の運行に従った自然農法である。


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2011年9月26日月曜日

「ナマステ・インディア2011」(代々木公園)に立ち寄ってみた-五感をフルにしてでインドに最接近


 ナマステ!

 昨日(2011年9月25日)の日曜日、「ナマステ・インディア2011」(代々木公園)に立ち寄ってみた。

 代々木公園で開催される恒例のお祭りで、昨年につづいて二年連続で訪問したことになる。

 毎年春の恒例のイベントとなっている「タイ・フェスティバル」が、「3-11」の影響で今年は中止になたのがまことにもって残念なのだが、まあ「インド・フェスティバル」でよしとしようか。

 「ナマステ!」(Namaste !)とは、インドだけでなく、ネパールでも使われる合掌スタイルをしながらする挨拶のコトバのことだ。

 中央ステージでは、大音響のインド音楽にあわせて、インド舞踊のパフォーマンス。見て、聞いて、そして楽しむ。とにかく楽しむのだ。平和はほんとうにありがたい。


「ナマステ・インディア2011」会場とNHKホールとの往復運動で「聴覚」と「味覚」の世界を行ったり来たり

 「ナマステ・インディア2011」会場は、物販や飲食が中心で、日本にいながらにしてインド気分を味わえる。

 来ているのは日本人が圧倒的に多いが、インド人の姿もかなり見られる。インド人は男どうし、カップルや家族などで来ている。在日インド人にとってもまた楽しいイベントだろう。

 日本人にとっては、楽しみはなんといっても本場のインド料理だろう。

 かくいうわたしも、じつはカレーを食べるのが目的でお昼の時間帯に会場に到着するようにスケジュールを調整したのだが、その直前の予定が30分以上長引きこれは断念、オペラ鑑賞の幕間(休憩時間)を利用して、インド・フェスティバルに立ち寄ってみたというわけだ。

 じつは、この日は朝からてんこ盛りのスケジュールだったのだ。

 朝から順番に、「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」に行ってから、その足で日本民藝館(駒場)まで行き、渋谷駅構内では岡本太郎の壁画「明日の神話」を見てから、原宿にいって用事をすませ、それからオペラを鑑賞するためにNHKホールについたときには、すでにオペラが始まる10分前。これじゃあとても「ナマステ・インディア2010」に立ち寄っているヒマはない。

 オペラについては、このブログに バイエルン国王ルードヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・ と書いた。「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」については、「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた として書いておいた。あわせてごらんいただけると幸いである。



 オペラ会場の NHKホールでは、ワーグナーの『ローエングリン』。「ナマステ・インディア2011」会場で聴きいったのはベンガルの宗教音楽。なぜか、このベンガル音楽のリズムにカラダが動いてしまう。

 西欧と南アジア、このまったく対照的な音の世界を往復していると、あまりにも両極端だなと思いつつ、インドではインド音楽にどっぷりと浸りきり、オペラの会場にもどってオーケストラによる前奏曲を聴くと、ただちに西欧音楽の世界のまっただなかに没入する。われながら不思議な感じだ。

 少なくとも音の世界に関しては、日本人である以上、日本的な感性が DNAレベルで継承されているとはいえ、じつは明治時代以来の西洋音楽一点張りの教育で、耳は西洋音階で作られているのである。だから、西欧音楽に違和感を感じないのは当たり前なのだ。

 その意味では、むしろインド音楽のほうが違和感があって当然なのだが、これもまたワールドミュージックが大量に流れ込んできた世代に属しているわたしの世代は、多くの種類の音楽を享受できる環境にあるのが幸いしているというべきか。ジャンルを超えて、「いいものはいい」とハッキリいえるのもありがたいことだ。
 
 味覚のほうは、音楽がかかわる聴覚よりも保守的なので、ある一定以上の年齢になるとあたらしい味覚は生理的に受け付けないようだが、幸いなことにわたしの世代の人間は、20歳代はじめの頃から、世界中の料理を食べる環境に恵まれてきたので、舌が肥えているというよりも、多様な味をそのまま味わう術を身につけているといえる。

 カレーだってそうだ。日本のカレーライスはすでに日本食の定番となっている和食(?)だろうが、インドのカリーとはおおきく異なる。しかも、ナンでカリーを食べるようになったのは、そう昔のことではない

 五感をつかって洋の東西をで比較してみるのもおもしろい。日本(人)というポジションがいかにユニーク(=唯一無二)なものであるかを実感することができるわけなのだ。





<関連サイト>

「ナマステ・インディア」


<ブログ内関連記事>

「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記






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バイエルン国王ルートヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・


 ルートヴィヒ2世(1845~1886)といえば、ルキーノ・ヴィスコンティ監督による『ルートヴィヒ-神々の黄昏-』(1972年製作)の印象があまりも強い。ヴィスコンティ映画で数々の主演を演じてきたヘルムート・バーガーの印象とともに強烈な印象が残存している。

 「ローエングリンの再来!」と称された美貌の持ち主であったルートヴィヒ2世が王太子時代の15歳に、バイエルン王国の首都ミュンヘンで1858年に上演された『ローエングリン』を観て魅了されたのが、後のワーグナー狂いの発端となったのであった。

 耽美主義の作家・須永朝彦氏は、『ルートヴィヒⅡ世』(須永朝彦、新書館、1980)でつぎのように書いている。

 童貞王と呼ばれたルートヴィヒは、その渾名(あだな)の通り四十年余の生涯を独身で過した。同族のバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの公女ゾフィ-と婚約したが結婚には至らず、専ら歳若い同性(貴族の青年、俳優、馬丁など)が彼の特殊な友情にあずかった。これとは別に、ルートヴィヒにはとっておきの崇高なる精神的愛情があって、夫(それ)を享(う)けた者は、女では婚約者ゾフィーの姉に当るオーストリア皇后エリーザベトであり、男ではリヒャルト・ワーグナーであった。
 幼くしてゲルマンの英雄伝説や騎士物語に淫するように親しみ、夢想癖をたっぷりと身につけていたルートヴィヒは、少年時代の終り頃には既にワーグナーの歌劇に取り懸かれていた。父王マクシミリアン二世の急逝に遇い、若くして王位に就いたルートヴィヒは、初めのうちこそ政務に励んだものの、秘書官に行方を探索させていたワーグナーとの間に連絡がとれるや、すなわち彼を召し出し後援に乗り出す。ルートヴィヒのワーグナーへの熱中ぶりはへ当時の<芸術家とその庇護者たる王侯>という関係の埒(らち)を大きく外れたものであり、湯水のごとく金をつぎこんで惜しまなかった。このメフィストフェレスめいた音楽家との関係は、短い蜜月のあとやや冷却するが、文通と経済的援助はワーグナーが死を迎える圭で続いた。
 幼少時からのゲルマン伝説の英雄たちへのせつないまでの憧憬を、ワーグナーの歌劇によって満たされたルートヴィヒは、次にローエングリンやタンホイザーなどワーグナーの作品のタイトルロールたちが棲むにふさわしい城館の建築を思い立つ。ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ・・(後略)・・(引用は P.15)

 こうしてバイエルン王国の財政を傾けるまでに城館の建設に熱中したルートヴィヒは、政治に関心を失い引きこもりがちとなり、ついには精神病の烙印を押され、強制的に退位させられ軟禁されるのだが、その翌日には侍医とともに謎の水死を遂げる。

 この事件を題材に執筆されたのが森鴎外の『うたたかの記』である。ドイツ留学中の鴎外は、ちょうどこの事件のときみミュンヘン大学に在学していたのであった。


 現在の日本では、ルートヴィヒ自身よりも、宝塚などをつうじてエリーザベト(=通称シシー)人気のほうが高いのだが、さすがにノイシュヴァンシュタイン城は観光名所として訪れた日本人の累計は相当な数にのぼることだろう。

 バイエルン王国の財政を傾けたといわれルートヴィヒについては、その大半が一般庶民である日本人観光客たちは「なんてバカなことをしたのか」とクチにしながらも、嬉々として観光しているわけだ。
 
 だが、ディズニーの白雪城のモデルとなったといわれるこの城によって、バイエルン州に落とされる観光収入がバカにならないことは言うまでもない。絵はがきをはじめとして観光みやげには日本語表記が入っていることからもうかがわれる。

 それにつけても、バブル時代の日本は、これに匹敵できるような観光資源を資産として後生に残せたのだろうかと慨嘆せざるを得ない。

 ワーグナーがらみといえば、ルートヴィヒはリンダーホーフ城内にワーグナーの『タンホイザー』に登場する「ヴェーヌスの洞窟」を作らせていた。ワーグナーの曲を演奏させながら、みずからはローエングリンに扮して船遊びを楽しんでいたという。

 現地で売っていた複製絵はがきを三枚並べてスキャンしておいたが、とくに一番右の絵はがきは、ルートヴィヒ自ら「白鳥の騎士」ローエングリンに扮したもの。よほどローエングリンが好きだっただな、自らをなぞらえていたのだとわかる。太ったルートヴィヒはテノール歌手のようである。



 40歳で亡くなったルートヴィヒとは正反対に、40歳過ぎるまではワーグナーを遠ざけていたわたしは、ようやくワーグナーと折り合いがつけられるようになってきた。それまでは、ヒトラーも愛したという、ドイツ的で、自己陶酔的でデモーニッシュな響きのある音楽は、実のところあまり好きではなかったのだった。いまでもイタリアオペラのほうが好きであることには変わらない。

 ワーグナーは『タンホイザー』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は劇場で鑑賞してきたが、『ローエングリン』を舞台で見るのはじつは今回が初めてである。


『ローエングリン』のあらすじ

 オペラのあらすじは、『ワーグナー』(高辻知義、岩波新書、1986)の第3章によれば以下のとおりである。

 あらすじは、10世紀当時、現在のベルギーの辺りのブラバント公国のエルザ公女が、魔女オルトルートの唆(そそのか)しにのった廷臣テルラムントの理不尽な求婚に悩んでいたおり、聖堂騎士団から派遣された白鳥の騎士ローエングリンが彼女の危機を救う。騎士は自分の素性を訊ねないことを条件にエルザとの愛を契り結婚生活に入るが、エルザは夫を愛するがあまり、ついに彼の名を訊ねてしまい、二人の愛は終わるという悲劇的結末である。(P.75~76)

ライン川下流地域に伝わる伝説「白鳥の騎士」をもとにしたものらしい。これはケルトにまでさかのぼるものらしい。これに聖杯騎士団がからんでくる内容。キリスト教以前の民話にキリスト教そのものである聖杯騎士団がからみあいワーグナー独特の世界が創造される。

 『ローエングリン』は、ワーグナーのオペラの中でも人気が高く、一時期はもっとも演奏機会の多い作品となっていたらしい。たしかに、第1幕、第3幕への高揚感を伴った前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)などは、だれもがそれとは知らずに一度は耳にしているハズである。
 

来日公演の舞台について-現代風の演出は正直いってイマイチ

 『ローエングリン』をバイエルン国立歌劇場の来日公演で鑑賞したのは、昨日9月25日(日)のことだ。

会場:NHKホール(代々木)
時間:15時~19時45分 合計演奏時間215分(休憩二回各35分)
歌唱:クリシティン・ジークムントソン(ハインリヒ王役)
   ヨハン・ボータ(ローエングリン役)
   エフゲニー・ニキーチン(テルラムント伯爵役)
   エミリー・マギー(エルザ・フォン・ブラバント役)
   ワルトラウト・マイヤー(オルトルート役)
指揮:ケント・ナガノ
演奏;バイエルン国立管弦楽団
合唱:バイエルン歌劇場合唱団

 ローエングリン役で出演予定だったヨナス・カウフマンが胸部結節の手術のため降板し、代わりにヨハン・ボータが舞台に立つことになった。このほか、テルラムント伯爵役、王の伝令も代役である。

 雑誌『選択』(2011年8月号)に掲載されていた記事「「風評被害」に泣くクラシック音楽界-有力演奏家の「来日拒否」相次ぐ」には以下のような文章がある。

「3-11」の原発事故によって、「9月に来日予定のバイエルン国立歌劇場では、歌手、合唱団、オーケストラなど総勢400人の来日メンバーのうち80人が無給休暇を取って来日を拒否しており、同劇場は他の歌劇場から急遽エキストラを募集するなどの対応に追われているという。

 こういう事情は事前に知っていたので残念ではあるが、歌手たちの「来日拒否」の心情は理解できないことはない。この事態によって、オペラの来日公演の質が維持できたのか下がったのか、熱心なオペラファンとは言い難いわたしには判断しかねるものがある。合唱団には日本人らしき顔が多かったような気がしたが。

 だが、実際に第三幕の終幕にあたっては、魔女オルトルート役のワルトラウト・マイヤーを頂点に、ローエングリン役のヨハン・ボータにも万雷の拍手が送られれた。これにはわたしもまったく異論はない。この二人はじつにすばらしい歌唱を聴かせてくれたからだ。

 米国人ケント・ナガノの指揮によってオーケストラが出す音も、まったく問題はなかった。バルコニー席からの長いラッパによる吹奏楽はステレオ効果が十分に発揮されて、音の快楽を存分に味わうことができた。

 それよりも、現代風の演出は正直いっていいとは思わなかった。カタログには音楽評論家がもっともrたしい解説記事を書いているが、内容については自分の「直観」のほうを信じたい。

 現代風に演出する理由はそれなりにあるのだろうが、ルートヴィヒ好きなな日本人にとっては違和感のみつきまとう。演出を現代風にしながら、歌詞は元もままというのもおかしなことだ。スーツを着た国王までは許されよう。しかしビジネスウーマンのようなジャケットを着た魔女オルトルートなど受け入れがたい。それならいっそのこと歌詞も現代風に改作するか、まったく別の内容で書き改めたらいいではないかと思ってしまうのだ。

 たしかにルートヴィヒはさておき、ヒトラーもまた『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だったことを考慮に入れると、ロマン主義的な演出を忌避したくなる心情はわからなくはない。

 「ドイツのために剣をとれ!」などという合唱は、現代のドイツ人にとってもアンビバンレントな感情を抱くのだろうか?ドイツ人ではないわたしにとっては、正直いってきわめて耳障りな合唱である。

 ただ、ワグナーが作曲した当時は、いまだドイツ統一は実現していなかったからこそ意味あるセリフだったと思う。作曲から初演にいたる 1848年から1850年は、言うまでもなく「ドイツ革命」が勃発して最終的に挫折に終わった数年間である。

 繰り返しになるが、現代風演出にまつわる不快感も、第三幕にいたってはどうでもよくなった。それは音楽のもつチカラによるものである。視覚を上回る聴覚への訴えかけである。

 舞台セットと舞台衣装がどうであれ「白鳥の騎士ローエングリン」のエリーザとその弟の王子を思う心情が切々と、音楽と圧倒的な歌唱をつうじて伝わってきたからだ。わたしは思わずココロで感じ入ってしまったのだった。

 音楽のもつチカラはじつに強い。そう感じた日曜日の夜であった。







<ブログ内関連記事>

「ワーグナー生誕200年」(2013年5月22日)に際してつれづれに思うこと

書評 『指揮者の仕事術』(伊東 乾、光文社新書、2011)-物理学専攻の指揮者による音楽入門
・・「第7章 「総合力」のリーダーシップ-指揮者ヴァーグナーから学ぶこと」

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない

語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法

スワンがゆく-日本人にとって白鳥とは?

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する
・・「(神聖ローマ帝国の)ルドルフ2世は、ある意味では、後世のバイエルン王国の「狂王」ルートヴィヒ2世に比すべき奇人というべきかもしれない。皇帝でありながら生涯独身を通し、芸術を愛し、学術を愛していた。」

(2017年10月22日 項目新設)


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「没後50年・日本民藝館開館75周年 ー 暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた(2011年9月25日)ー ついでに日本民藝館にも初めて立ち寄ってみた


 昨日(2011年9月25日)、松屋銀座で開催の「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた。

 今年2011年は、思想家・作家で「民藝」運動の推進者であった柳宗悦(やなぎ・むねよし 1889~1961)が没して50年、また立ち上げて初代館長を務めた「日本民藝館」の開設 75年という節目にあたる年である。

 展覧会の概要は以下のとおり。

会場:松屋銀座 8階イベントスクエア
会期: 2011年9月15日(木)~9月26日(月)
入場時間: 10:00~20:00 <入場は閉場の30分前まで、最終日17:00閉場>
主催: NHK、NHKプロモーション、日本民藝館
協力: 日本民藝協会
入場料: 一般1,000円 高大生700円日本民藝館

 展覧会の内容紹介の文章を引用させていただこう。

「素朴な器にこそ驚くべき美が宿る」と語った柳宗悦(1889~1961)は、無名の職人による誠実な手仕事を「民藝」(みんげい)と名づけ、沖縄から北海道まで全国各地を巡り、陶磁器・染織・金工・紙などさまざまな分野の中から、魅力的な品々を蒐集しました。
 宗悦の"美"を追い求める情熱は、様々な人々を巻き込みながら大きなうねりとなり、1936年には東京・駒場に念願の日本民藝館を開館。そして、手仕事の復権を目指す民藝運動や数多くの著書を通じて、豊かな日本文化を残すために尽力しました。
 宗悦の没後50年に当たる本年、宗悦が直観により見出した美しい器物、朝鮮時代の工芸、琉球や台湾の衣装や装身具など約250点を一堂に展観し、美の本質を求め続けた柳宗悦の生涯をたどります。
また、宗悦の長男であり、日本民藝館館長もつとめたプロダクトデザイナー・柳宗理(1915-)のデザイン作品や、雑誌『民藝』の表紙デザインも紹介し、父・宗悦、息子・宗理―2人の間に受け継がれたものに迫ります。

 この展覧会の存在は、工芸分野で会社を経営するフェイスブック上の友人から知って、急遽予定に組み込んで訪問することにした次第。

 この展覧会は、百貨店で開催される展覧会でありながら、かなり充実したものでり、行った甲斐があった。松屋銀座での開催はすでに終了してしまったが、この展覧会は日本各地を巡回する予定で、関東では横浜でもかなり長期間にわたって開催される予定なので、見逃した方はぜひ足を運んでいただければと思う。

●神奈川県・横浜そごう美術館(2011年10月22日~12月4日)
●大阪歴史博物館(2012年1月7日~2月29日)
●鳥取県立博物館(2012年4月7日~5月20日)
●広島県・奥田元宋小由女美術館(2012年5月29日~7月8日)


「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」はぜひ行くべき!

 さて話を「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」に戻すと、この展覧会は没後特集にふさわしく、柳宗悦がどういう人で何をやった人なのか、具体的な蒐集物をつうじて展示したもので、その全貌を簡単に知る上では絶好の展覧会である。価値あるものだといってよい。

 ここで、柳宗悦がどういう人であったのか、展覧会の説明文を紹介しておこう。

柳 宗悦(やなぎ・むねよし/通称 そうえつ)(1889-1961)
1910年学習院高等学科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。1913年に東京帝国大学哲学科を卒業後、朝鮮陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品に美に眼を開かれた。1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、1936年、日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。1957年には文化功労者に選ばれた。

 柳宗悦の名前を知らなくても、「民芸」というコトバは知らない人はいないだろう。「民芸品」の「民芸」である。ただ、柳宗悦に言及する場合は、「民芸」ではなく「民藝」を使うべきようだ。

 この「民藝」というコトバを作った人、そして「民藝」運動をプロモートしたのが、柳宗悦である。

 「民藝」は柳宗悦自身が記しているように、英語では folk crafts である。「民藝」については、「日本民藝協会」のウェブサイトに「民藝とは何か」というページがあるので参照していただきたい。

 手仕事による工藝品、ハンドクラフトである。名もなき職人たちがつくった工芸品。日常生活に美をさりげなく実現してきた手作りの工芸品。芸術家(アーチスト)ではなく、職人(アルチザン)。柳宗悦には『手仕事の日本』(岩波文庫、1985 初版単行本 1948)というタイトルの著書もある。

 お茶碗や湯飲み、皿、甕(かめ)や壺といった焼き物から、布や織物、衣服、染め物、湯釜、机、タンス、机といった生活用品全般から、大津絵、木喰仏(もくじきぶつ)、など柳宗悦の蒐集は広範囲におよび、地理的範囲も日本だけでなく朝鮮半島や台湾といった植民地、また沖縄や北海道の先住アイヌまで独自の文化をもった地域をひろくカバーしている。

 署名や銘の入る芸術家の作品ではなく、作品に署名は入らないが日常生活のなかに美をつくりだす職人たちの手仕事に着目した柳宗悦は、いわゆる「白樺派」から出発した人だ。だが、武者小路実篤など白樺派の文学者たちが忘却の彼方に消え去っても、おそらく柳宗悦は今後も長く生き続けることだろう。

 それは、具体的に目に見える「民藝」というカタチをつうじて精神(ココロ)を読み取ることができるからだ。たとえ文学作品は時代に合わなくなって読まれなくなっても、生活用品を使わなくなることはない。むしろ、ライフスタイルの見直しという観点から、手仕事への注目はますます高まりつつあるからでもある。値段は高くても価値あるものを持ちたいという欲求は、潜在的に多くの日本人が共有しているものだ。


 「民藝」の蒐集と、あらたな時代にむけての創作のプロモートが、多くの賛同者の協力によって成し遂げられてきたことも大きい。

 柳宗悦の「民藝運動」に共鳴した実作者たちには、板画の棟方志功、染色工芸家の芹沢圭介、陶芸家のバーナード・リーチ、富本憲吉、濱田庄司といった人たちも名を連ねている。和食用の食器として人気の高い益子焼も、濱田庄司の存在抜きには語れない。

 倉敷の大原美術館に、これら「民藝運動」にかかわった陶芸家の作品が多く所蔵されているのは、倉敷紡績(現在のクラボー)の大原孫三郎が「民藝運動」のパトロンだったこともあるようだ。大原美術館は言うまでもなく、じつは日本民藝館もまた大原孫三郎の寄付によることを今回知った。現在風にいうならフィランスロピーでるが、まさに日本語の陰徳というべき、実業家によるすばらしい行いである。


柳宗悦の「民藝運動」と思想との関係

 浄土系思想の研究者で実践者である阿満利麿氏の『柳宗悦-美の菩薩(シリーズ民間日本学者)』(リブロポート、1987)には、次のような一節がある。

・・(前略)・・<宗教的人間>であることが柳宗悦の本領なのである。宗教がどういうものであるか熟知した上で、宗教をさらに美の形で追求しようとしたのである。
・・(中略)・・「民芸」という言葉は、今日ではすっかり定着したが、それだけにまた柳宗悦が考えていた意味は忘れ去られてしまっている。「民芸運動」は柳にとっては、もともと「美の宗教」の実践運動であったのだ。
・・(中略)・・既成宗教に飽きたらず、そうかといって、自らの内部に沸きあがってくる宗教的要求に忠実であろうとする人々にとって、柳宗悦の展開した「宗教」はきっと訴えるところがあるだろう。(P.8~9 原文ママ 太字ゴチックは引用者=わたし)


 柳宗悦には『南無阿弥陀仏』という著書あり、法然や親鸞で終わらずに一遍まで視野に入れている。

 念仏三昧の人生をおくった在家の「妙好人」(みょうこうにん)にかんする文章は、鈴木大拙のものとあいまって読む価値のあるものだ。浄土系の念仏と生活の美である「民藝」が、柳宗悦においては一つのものとなるのであった。

 鈴木大拙がその最晩年に、自分の蔵書を中心とした「松ガ丘文庫」を柳宗悦に託したことは当然といえば当然だったのだろう。柳宗悦は、学習院時代に英語教師であった鈴木大拙の教えを受けているのであった。

 柳宗悦がさまざまな文章のなかで繰り返し強調しているのが「直観」である。

 「民藝」の美を見極めるのは「直観」。銘が入っているとか、識者が推奨するとかいった「知識」に惑わされることなく、自分がいいと思った「直観」を大事にする姿勢。これには大いに励まされるものがある。自分の直観の判断に従うこと、これがじつはもっとも確かなことなのである。もちろん、見る眼そのものは、つねに磨いておかねばならないのであるが。

 日本人にとっての「美」はただたんに美しいという感情を表すだけでなく、行為における倫理を意味し、また無意識レベルにおける宗教でもある。

 真善美のなかで「美」に重点がおいてきた日本人の、この「美」というすぐれた徳が今後も研ぎ澄まされることこそが、世界のなかで日本と日本人が独自性をもって生き抜いていくための必須条件であると強く思うのである。

 その意味において、「愛と美の法則」を説く美輪明宏だけでなく、「美の法門」を説く柳宗悦の名前もともに記憶しておいていただきたいと思うのである。


ついでに日本民藝館にも初めて立ち寄ってみた

 ついでに足を伸ばして東京・駒場の日本民藝館まで行ってみた。いままで一回もいったことがなかったらからだ。

 最寄り駅は、京王井の頭線の駒場東大前駅。出口を間違えて、東大教養学部の正門前にいってしまった(笑)東大も本郷の方はなんども行っているが、駒場東大は正門をくぐったのは初めての経験であった。駅を降りるといきなり東大駒場であるということは、初めて実体験したことになる。

 日本民藝館は駅から徒歩7分くらい、閑静な住宅街のなかでも、さらに時代物のなかなか渋い建物である(下の写真)。

 展示物も「民藝」品が中心で、陳列そのものがなかなか渋い味を出している。今回訪問したときは朝鮮の民藝の展示の特集が行われていた。 

 銀座松屋で「柳宗悦展」を観覧している際に目にとまった雑誌『民藝』のバックナンバーの表紙をみて、ああそういえば、だいぶ前のことだが飛騨高山の「日下部民藝館」にいったなあ、と思い出した。『民藝』を何冊か無料でいただいたからだ。

 駒場の日本民藝館もまた、二階建てのつくりで古い日本家屋である。現在ではかえってぜいたくなライフスタイルとなっているかもしれないが、かつての日本人のフツーの生活を想像するにはふさわしい空間である。

 機会があればまた訪れてみたいと思わせる建物と展示内容であった。





<参考文献>

 比較的容易に入手できる柳宗悦の仕事で「民藝」関係のもの

『民藝とは何か』(柳宗悦、講談社学術文庫、2006 単行本初版 1941)
『手仕事の日本』(柳宗悦、岩波文庫、1985 単行本初版 1948)
『民藝四十年』(柳宗悦、岩波文庫、1984 単行本初版 1958)




<関連サイト>

日本民藝館
・・東京・駒場にある大原孫三郎が資金提供した日本民藝館は建物自体が渋くて趣があるもの。また内部の展示そのものにも美的感覚が生きている

大原美術館(倉敷)
・・大原孫三郎がフィランスロピーの一環として地方文化向上のため設立した美術館。コレクションリストには、工芸作品として、バーナード・リーチ、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢銈介、そして棟方志功の名前があがっている。ぜひご確認いただきたい

飛騨高山の「日下部民藝館」
・・国の重要文化財に指定されている日下部民藝館


<ブログ内関連記事>

書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経
・・「愛と美の法則」を説く美輪明宏は熱烈な法華経信者、「美の法門」を説く柳宗悦は一遍上人の念仏三昧を理想としたが、実践者と思想家の違いはあれ、日本人の美意識が倫理と宗教の両面にかかわるものであることを示していた点が興味深い

「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた (2011年)

書評 『法然・愚に還る喜び-死を超えて生きる-』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)

「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡」展(東京国立博物館)にいってきた(2013年)

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・井筒俊彦は若き日に柳宗悦の影響を受けている

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・真善美のなかでは「美」をもっとも重視したシュタイナーが遺した「思考するアート」

(2014年2月22日、4月16日 情報追加)


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2011年9月21日水曜日

「木登りネコ」の写真撮影に成功- 『不思議な国のアリス』にでてくるチェシャ・キャットを思い出した


 先日、いま住んでいる地域に生息しているノラネコを追跡していたら、ひじょうに珍しいことに、ネコが木に登ってしまいました。

 「ブタもおだてりゃ木に登る」とはよくいいますが、「ネコも追い立てれば木に登る」とでも言うべきでしょうか(笑)

 目の前から走っていったと思ったら、すぐ近くにあった木にスルスルと登って姿を消してしまいました。反対側に回り込んで木を見上げたら、高さ2.5mくらいの太い枝にネコがいました。キジネコの模様が保護色となって、なかなかネコを識別できないほどでした。

 ノラネコとして生まれ育つと、野生動物の DNA のスイッチが ON になるようですね。

 基本的に「上から目線」が大好きなネコは、高い塀の上などでリラックスしていることが多いですが、木登りネコを目撃したのは、これが生まれて初めてのことでした。しかも写真に撮ることができたのはラッキー。

 上掲の写真は、左がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』にでてくるチェシャ・キャット、右はうちの近所の「猫町」に生息するキジネコです。ほんとうによく似ていますよね。

 チェシャ・キャットとは、アリスが道をたずねると禅問答のようなことをいって消えてゆく「木登りネコ」のことです。『アリス』に登場する動物や人物と同様、チェシャ・キャットもまた英語の慣用表現から生まれてきた存在ですね。

 もともとイギリス英語の慣用表現に to grin like a Cheshire cat (=チェシャ・キャットのようにニヤニヤ笑う)という表現があって、そこから作者のルイス・キャロルがつくりだしたキャラクターだとか。数学者のキャロルは、コトバ遊びの天才でもあったわけです。

 ただし、じっさいのネコは歯を見せて笑うことはありません。下をペロっと出してみせることはありますが、笑っているのかどうかはわかりません。飼い主やご主人を喜ばしたいという気性にあふれたイヌは、歯をみせて下もだらりと垂らして喜びを全面に表現しますが。

 なお、おなじく『アリス』に登場する「三月ウサギ」(March Hare)のことは、「ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??」と題してこのブログにも書いてますので、ご興味のある方はどうぞ。 





<読書案内>

『「不思議の国のアリス」の誕生(「知の再発見」双書 73)』(ステファニー・ラヴェット・ストッフル、 高橋 宏訳、創元社、1998)
・・表紙の挿絵は、チェシャキャットに道をたずねるアリス。右下にはホワイト・ラビットも





<ブログ内関連記事>

「ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??」




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2011年9月20日火曜日

医療ドラマ 『チーム・バチスタ 3-アリアドネの糸-』 のテーマは Ai (=画像診断による死因究明)。「医学情報」の意味について異分野の人間が学んだこと


 毎週火曜日夜10時台の医療ドラマ『チーム・バチスタ3-アリアドネの糸-』もいよいよ今夜(9月20日)で最終回。

 ドラマは原作は読んでないので結論がどうなるのか知らないが、というよりもドラマ化は原作とは結論を変えるのがいつものこと。ドラマはドラマとして最後まで楽しませてもらった。小説のドラマ化と映画化は、それぞれは別物と考えるべきなのだ。

 テーマは Ai、画像診断による死因究明。現役の医師でもある、原作者の海堂尊(かいどう・たける)氏がつくった Autopsy(検視) と Imaging(画像診断)の合成語、頭文字をとって Ai である。

 解剖すなわち死体損壊を行うことなく MRI(Magnetic Resonance Imaging)や CT(Computed Tomography)などによって画像をスキャンし、画像から死因を分析する方法らしい。これはドラマではじっさいに目に見えるものとして可視化されているので、イメージするのは容易になっている。

 1990年代以前からビジネスマンだったわたしなど、Ai ときくとまずは Artificial Intelligence (=人工知能)のことかと思ってしまうのだが、専門分野によって専門用語というものはそれぞれ違うものなのだ。だから、海堂氏はあえて Ai と i を小文字にしたらしい。iPhone や iPad などを念頭においていた山中伸弥学博士による iPS細胞(=人工多能性幹細胞)のネーミングと同じである。

 まあ、それはさておき、よくつくりこまれたドラマであった。ドラマ第一作『チームバチスタ』、シリーズ第二作目の『ナイチンゲール』、そしてシリーズ三作目となる『アリアドネの糸』は、社会的な重要性を主張してきた「死因究明」そのものずばりのテーマなので、原作者としての感慨はきわめて深いものがあることだろう。

 テレビドラマにとっては真犯人が誰であるかも大事だが、原作者にとっては Ai というコトバとその意味が少しでも視聴者に伝わったのであれば御の字ということだろう。


世の中に訴えたいテーマをエンターテインメントで発表してきた著者が放ったストレートな一球

 自分の主張したいテーマをエンターテインメント作品というカタチで世に問うことの出来る能力は、誰にでも備わったものではない。

 むしろ、Ai そのものについて書かれた『死因不明社会-Aiが拓く新しい医療-』(海堂 尊、講談社ブルーバックス、2007)のほうがストレートに問題を指摘し、提言もできるので書きやすいのではないかと思う。

 講談社ブルーバックスという器は、科学技術の分野をわかりやすく解説した老舗の新書本シリーズなので、エンターテインメントに比べたら読者層が限定されるだろうが、それでも狭い医学界よりは広い層を対象に設定できる。

 高度な内容にかんする本であるが、本名では無名に近いので、著者はあえてペンネームで出版することにしたそうだ。これは、講談社ブルーバックスにおいても珍しいケースのようだ。たしか、元ソニー取締役の土井氏が天外伺朗(てんげ・しろう)なるペンネームで、研究開発組織にかんする本を書いていたのを読んだ記憶があるが、それが先例となっているのであろう。
                      
 ただし、この本は、海堂尊名義であっても内容はエンターテイメント性は高くないが、さすが「ロジカル・モンスター」白鳥圭輔なる人物を創りだした著者だけのことはある。構成も内容もきわめてロジカルな本である。

 読めば理解できなくはないが、医学を学問として勉強したことがまっったくないわたしにとっては、これが医学の王道か、医学ではそのようにものを見るのかという新鮮なオドロキを感じた。


Ai の定義
 
 Aiの定義は、第8章「死亡時医学検索」の再建のための処方箋「Ai」で行われている。

 著者の説明をわたしなりのコトバで翻訳すれば、「Ai はスクリーニング、解剖はピンポイント」ということになろうか。Ai と解剖は相互補完関係にある。これはドラマを見ていた人にはピンとくる説明だろう。

 MRI などで遺体の全身画像を撮影し、この画像をもとに死因を究明する。それでも引っかかる点をじっさいに解剖してみるという形の補完関係である。解剖が破壊検査であるなら、Ai は非破壊検査であるともいえる。

 なんと驚くべき事に、解剖率がたった 2%台(!)という日本の現状では、たとえ解剖が行われなくても、Ai を行えば残り 97%強の遺体について死因究明を行いうることを意味しているのである。

 さてこの、『死因不明社会-Aiが拓く新しい医療-』だが、なんだか繰り返しが多いなあと思いながらも、最後まで筋を追って読み進めれば、問題の根深さに気が付かざるを得ない。それはゾッとするようなこの国の現実だ。


医療と医学の関係-プラクティスとしての医療行為とアカデミックな学問としての医学

 医療は生きている人間にたいしておこなわれるものであり、けっして無機質なモノではない

 医学用語というのは、医学を学問として勉強したことのない者にとってはなじみのない世界である。とくに「学問としての医学」が門外漢にとって新鮮なオドロキとなるのは、「医学情報」には生体と死体という二つの情報があるという認識である。

 生体にかかかわるプラクティス(=実践的行為)としての「医療」については、医学には直接かかわっていない一般人も、この側面には日常的に接しているものだ。「家庭の医学」などの「医学」はこの側面である。あくまでも生きている人間にとって有用な情報に限定される。

 しかし、生体だけではなく死体も扱うのが、アカデミックな理論体系構築を目指した「医学」である。これは著者が最初から最後まで一貫して主張していることである。

 死体から得た「医学情報」を、生体の「医療」へフィードバックすること。これが医学という学問の進歩にとって不可欠なだけでなく、生きている人間にとってもきわめて大きな意味をもつ。だからこそ、死体の検死が不可欠なのだというのが著者の主張である。

 しかしながら、日本では解剖はたったの2%、解剖ができないのであれば Ai を、しかも解剖と Ai は補完関係にあるといえるわけだ。

 医学における情報の意味を、著者は「実体情報」と「バーチャル情報」のふたつの足し算と考え、複素数で説明しているのが面白いと感じられた。たとえば、こういう式で表現されるとしている(P.160~161)。簡単に要約しながら紹介しておこう。

V info = VR + Vi

V : Vital(生体の)
R : 実数部分。生検情報や体表写真情報、血液の生化学解析など
VR :臨床検査の実体部分
i虚数部分
Vi :CT、MRI、エコー(超音波)など種々の画像診断情報。Vi は VR の影ともいえる情報だが、情報量は膨大でとても重要。

 死亡時医学検索の論理方程式は以下のとおり

N info = AR + Ai

N : Necrotic(死体の)
A : 解剖(Autopsy)。
AR :死亡時医学情報の実体部分。すなわち検案⇒解剖という従来の「死体検索」。
Ai :死亡時医学情報の虚数部分

 実数と虚数の足し算である複素数をつかって説明すると、実数以上の膨大な情報を範囲に含めることができる。著者は、虚数概念を導入することで量子力学が発達したことを例にとっているが、たしかに医学の世界も Ai によって大幅に拡張されることは間違いないだろう。

 梅棹忠夫も『情報の文明学』(中公文庫、1999 単行本初版 1991)に収録されている「情報産業論への補論」のなかで、「情報価格」を「お布施の理論」として、複素数をつかって説明している。計測可能な部分と計測不能は部分の足し算として表現されるべきだという考えに基づいている。

 複素数による説明は、その他分野にもインプリケーションは大きいといえよう。


「経営診断」と「事故調査」-アナロジー(類比)としての「死因究明」


 経営学には、「経営診断」というコトバと実体がある。

 「診断」(ダイアグノーシス:diagnosis)という行為にかんして、おそらく医学のアナロジーを経営分析に応用した概念であろう。

 「経営診断」とは、基本的に過去数年分の財務諸表分析を中心にした定量分析に、経営者や経営幹部や従業員へのインタビュー、工場実地見学などの定性分析を加えて、経営の健康状態を総合的に判断するアプローチのことである。銀行融資の際に行われる企業審査はこの一部である。

 本書を読みながら、これまで医学の本質も知らずにアナロジーとして論じてきたことを恥ずかしく思ったことを告白しておきたい。

 「経営診断」とは基本的に、いま生きている会社の断層図を撮影して分析するというニュアンスの強いコトバだが、「生体」だけでなく倒産した会社という「死体」を観察しなくては、ほんとうの意味で「生体」の診断はできないのだということにあらためて気がつかされたのであった。

 なぜその会社は破綻したのかは、いくつかのパターンに分類されるが、破綻にいたった事情は個別性があって千差万別である。会社が破綻する原因をよく理解できれば、破綻させないための方策も考えることができる。

 もちろん、わたし自身、1990年代には集中的に会社倒産について研究していたのだが、このこと自体を医学のアナロジーで考えることができることを失念していたというわけなのだ。

 最近は流行らないが、「経営診断」のことはかつて「経営ドック」と称していたコンサル会社もある。「人間ドック」のアナロジーである。また、経営コンサルタントもかつては「経営ドクター」などという表現も行われていた。診断と治療を行うという意味においてである。

 医学のアナロジーはこのほかにも、「カネは企業にとっての血液である」などという表現にも表れている。「出血を止める」とか「輸血」などという表現がそのまま使われることもある。会社組織におけるカネ回りは、生体における血液循環の比喩として語られているわけだ。

 また、犯罪捜査と死因究明をわけて考えるべきことは、犯罪捜査と事故原因究明をわけて考えることに共通している。後者は原因分析である。
 
 事故分析とは、事故が起こってしまったあとに、事故が起きないための教訓を知識として得るための知見を得ることを目的としている。

 「事故に学び、その知識を社会で共有することで、将来の重大事故を防ぐ」という、「失敗学」の畑中洋太郎氏の表現をみると、あきらかにパラレルな関係があることがわかる。

 事故は起こらないに越したことはないが、いったん起こってしまった事故について、責任者を追求すること焦点があたりすぎて、事故原因の究明に焦点が当たらないのでは意味がない。


論文形式によるストレートな主張とエンターテイメントによる間接的な主張

 Ai というテーマそのものをストレートに把握したい人はぜひこの本を読むべきだと薦めたい。

 だが、ドラマを見てからこの本を読むのは、ハードルが高いような気もする。本書が多くの読者を獲得するのはむずかしいだろうなとも思う。小説作品とはまったく異なるし、エンターテインメントとしてのドラマや映画とは大いに異なるからだ。

 なお、今年2011年の8月には、本書の各論編として『死因不明社会 2-なぜ Ai が必要なのか-』(海堂 尊=編著、塩谷清司/山本正二/飯野守男/高野英行/長谷川 剛、講談社ブルーバックス、2011)が刊行されたので付記しておこう。より具体的に Ai をめぐる話題が、それぞれ Ai を推進する現役の医師たちによって執筆されている。概念、歴史、医療、捜査、司法、倫理という側面からみた Ai は、医学と死というテーマそのものであるといっていいだろう。

 「Ai と倫理」の章では、歴史家のフィリップ・アリエスや哲学者のジャンケレヴィッチの「死にかんする考察」が解説されており、ひさびさにアリエスの名前を目にしたわたしは懐かしく思った。わたしの大学時代は「日曜歴史家」を自称していたアリエスが精力的に日本に紹介されていた時期であったからだ。アリエスについてはまた後日取り上げることとしたい。

 ところで、ペンネーム海堂尊氏の現在の肩書きは以下のようになっている。
 
独立行政法人放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院臨床検査室医長...

 『チーム・バチスタ』シリーズの主要登場人物である厚労省の白鳥室長の肩書きではないが、じつに長いと絶句してしまう。とても記憶できるものではありません(笑)

 ああそうか、著者は自分のこの長い肩書きを、登場人物で再現させることをつうじて揶揄しているわけなのか。こういうお遊びができるのも、エンターテイネント作品ならではのものなのだなあ、と。









<ブログ内関連記事>

検死と鑑識について

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る

書評 『タイに渡った鑑識捜査官-妻がくれた第二の人生-』(戸島国雄、並木書房、2011)
・・タイ南部を襲ったインド洋大津波による大量の遺体確認をおこなった日本人鑑識捜査官の記録


テレビドラマ

連続ドラマ『夜光の階段』-松本清張生誕100年

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

アルバイトをちょっと長めの「インターンシップ期間」と捉えてみよう
・・連続テレビドラマ『フリーター、家を買う。』(2010年放送)にヒントを得て

「泣いてたまるか」
・・渥美清または青島幸夫が主演した昭和40年代前半の連続ドラマ






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