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2018年4月18日水曜日

書評『戦争を始めるのは誰か ー 歴史修正主義の真実』(渡辺惣樹、文春新書、2017)- サブタイトルから受ける印象で敬遠せずにぜひ読むべき真っ当な内容の現代史


買ったまま積ん読にしていた『戦争を始めるのは誰か-歴史修正主義の真実-』(渡辺惣樹、文春新書、2017)を読んだ。読みながら思ったが、この本は読む価値が大いにある。 

「歴史修正主義」とか「真実」なんてコトバが表題にあるだけで胡散臭い感じがプンプンして敬遠したくなるのが正直なところだが、虚心坦懐にこの本を読んでみると、意外と(?)きわめて真っ当な内容であることに気づく。 

著者のいう「歴史修正主義」とは、世間一般で使用されている否定的ニュアンスのものとは違う。「米英両国の外交に過ちはなかったのか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観」のことだ。

具体的には、第二次世界大戦の米英を中心とした「連合国」の立場を正当化するために、事実関係を都合良く取捨選択してつくられたストーリーに異議申し立てをする立場のことだ。端的にいえば、日本を戦争に追いやった日本嫌いで中国好きのフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)の真相を明らかにし、日米戦争が本来は不必要な戦いであったことを明らかにすることにある。

著者は、けっして 「枢軸国」のドイツや日本が正しかったのだと主張しているわけではない。ヒトラーやスターリンが正しかったのだなどと主張しているわけではない。あくまでも虚心坦懐に事実関係を検証していく立場である。この点は強調しておく必要がある。 

帯のオモテには、「チャーチルとルーズベルトがいなければ第二次世界大戦は起こらなかった!」とある。 この本を読むと、とくにフランクリン・D・ルーズベルト(略してFDR)が諸悪の根源であったことが納得される。ニューディール政策の失敗を糊塗するため戦争による景気刺激を欲しており、欧州の戦争への介入機会を探っていたことは、日本人の常識とすべきだろう。

欧州問題にはかかわらないというワシントン以来の国是である「孤立主義」から逸脱し、「介入主義」を推進した張本人がFDRであり、そしてその先行者がおなじく民主党の第一次世界大戦への米国の介入を推進したウッドロウ・ウィルソンであることがよくわかる。 日本では理想主義者として礼賛されがちな二人だが、ともにプロテスタント牧師の子ども、善悪で白黒をつけたがる独善的思想の持ち主で、ともに人種差別主義者であった。

チャーチルについては、つい最近も2017年に英国で製作された『ウィンストン・チャーチル』という映画が日本公開されており、関心が再び高まっているものと思う。大恐慌(1929年)で大きな借金を抱えることになったことは映画にも出てくるが、ナチスが台頭したことが、反ナチス・反ドイツを主張していたチャーチルを政治の表舞台に「復活」させたことも事実である。チャーチルもまたFDRと同様、「好戦的」であったことは否定できない事実だ。 



日本で使用されている「世界史の教科書」で教えられてきた「米国政府の基本見解に基づく公式見解」とは違うかもしれないが、あくまでもドイツのポーランド侵攻(1938年)の時点で、第二次世界大戦の根本原因が何であったかを探った内容の本である。じっさい読んでみての感想は、かなりの程度、納得のいくものであった。 

世の中の出来事というものは、後付けの理屈で整理されるほど簡単な図式で割り切れるものではない。複雑な要素がからみあっているのであり、その時、その時の指導者たちの思惑が、意志決定の正しさや間違いも含めて複雑にからみあって、「流れ」が出来上がっていくものだ。 

この本が出版されたのは2017年1月で、その当時のわたくしは拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』の執筆に専念しており、この本を読むヒマはなかった。 だが、本書で展開されている基本的な見解にかんしては著者の渡辺氏とは共有しているものが多々あることがわかって、大いに心強い思いをしている。(上掲の写真の、帯のウラに記された箇条書きの文言を参照)。 

単行本のようにボリュームも内容もある本だが、関心のある人にはぜひ読むことを勧めたい。






目 次     
はじめに 
第1章 第一次世界大戦の真実 
第2章 第一次世界大戦後の歴史解釈に勝利した歴史修正主義 
第3章 ドイツ再建とアメリカ国際法務事務所の台頭 
第4章 ルーズベルト政権の誕生と対ソ宥和外交の始まり 
第5章 イギリスの思惑とヒトラー 
第6章 ヒトラーの攻勢とルーズベルト、チェンバレン、そしてチャーチル 
第7章 ヒトラーのギャンブル
おわりに
人名索引


著者プロフィール    
渡辺惣樹(わたなべ・そうき)
日米近現代史研究家。1954年生まれ。静岡県下田市出身。東京大学経済学部卒業。カナダ・バンクーバー在住。英米史料をもとに開国以降の日米関係を新たな視点から研究。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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2014年3月29日土曜日

書評『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)― 日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖



「世の陰謀の種はつきまじ・・・」、そうつぶやきたくなるのは私だけではないだろう。

これは、「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」という狂句をもじったものだ。石川とは石川五右衛門のことである。といっても『ルパン三世』のことではないので念のため(笑)

『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)は、明治維新から日露戦争をへて大東亜戦争に至る日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底的に解剖してみせた本だ。

タイトルをみたら「奇書」の類かという感想をもつかもしれないが、これはむしろ「トンデモ説」撲滅委員会代表が斬るとでもいった内容の本である。筆致はいたって冷静、具体的な「陰謀説」を俎上に乗せて捌いているが、腕前はじつに見事である。

本書は一般向けの新書本だが、方法論は厳密である。なんせ現代史の分野では、内外で「陰謀説」が発生し続けてきた歴史事件を多数扱ってきたプロの歴史家である。しかも大蔵省勤務の経歴をもつ法学部出身者でもある。この本では弁護士ではなく検事の役を務めている。1932年生まれの当年とって82歳であるだけに、さすがに日本現代史の生き証人としても説得力がある。

さて、本書で取り上げられる「陰謀説」は、「田中上奏文」(・・いわゆる田中メモランダム)、張作霖爆殺事件、第二次世界大戦、東京裁判、コミンテルン、CIA、ユダヤ、フリーメーソンといった日本近現代史の定番といった数々である。

とくに読みでがあるのが第3章と第4章。内容は「目次」の小見出しをこの記事のあとに掲載しておいたので、ご覧になっていただきたい。

第3章では、日米開戦の経緯と米国による占領政策がらみの「陰謀説」が検証されるが、日本は「騙された被害者」だという思い込みが、「陰謀説」がはびこる温床になっていることがよく理解できる。

歴史のどの時点に視点を置くかによって、見える景色はがらりと変わってくるのである。第2章で日米関係の歴史を例にとって著者は説明しているが、二国間関係というものは友好と対立をくり返すものであり、「友好」時代に出発点を置くか、「対立」時代に出発点に置くかで「陰謀説」が生まれるかどうかが決まってくるものだ。

「反米主義」というのが、アメリカには何を言っても許されるという「甘えの構造」以外の何物でもないこともよく理解できる。その証拠に、「陰謀説」を主張する評論家の面々は絶対に日本語以外での評論活動を行わない。もし英語で発表したら、徹底的に粉砕されるのは間違いない(笑) つまりは「閉ざされた言語」である日本語世界のなかでのマスターベーションに過ぎないというわけだ。

第4章は、「コミンテルン陰謀説と田母神史観」と題されているが、「田母神史観」とは現役の航空幕僚長時代に物議を醸す論文を発表して、シビリアンコントロールの観点から解任された田母神俊雄(たもがみ・としお)氏が主張する日本近現代史にかんする一連の歴史観のことである。ある種の「歴史修正主義者」(リビジョニスト)といっていいだろう。著者は「田母神史観」について以下記のような評価を行っている。

いずれも以前から流布され、専門家の間ではなじみの話題ではあるが、受け売りが多いとはいえ、諸説をかき集めて一堂に並べたのはユニークな着想といえよう。とかく陰謀論を唱える人士はある特定のテーマだけにのめり込む傾向があり、相互の交流は乏しく体系化ないし集大成を試みる人はいなかった。
はからずも田母神の手法は不十分ながらも体系化への流れを創ったことでインパクトを強め、共鳴者や応援団が一部のメディアを通じ昭和史の「書き換え」を迫る動きへ発展する。(P.150)

「体系化」とは、プロの歴史家らしい冷静な「評価」である。一定の評価を行ったうえで、「陰謀説」の内容検証を行っているので読み応えがある。「陰謀説」の検証をつうじて、シロウトが陥りやすい落とし穴を明らかにする手法は見事であるといえよう。

著者は、「第5章 陰謀史観の決算」で「陰謀説」の見分け方について説明してくれている。小見出しをそのまま引用すれば、陰謀説は以下のような特徴があるとしている。

「因果関係の単純明快すぎる説明」「飛躍するトリック」「結果から逆行して原因を引きだす」「挙証責任の転換」。一言でいってしまえば、「陰謀説」の主張者や応援団は、「無節操と無責任」ということに尽きる。別のい方をすれば、いっけん正しいようにみえるが、非科学的以外の何物でもないということだ。

わたしは、「表現の自由」という立場に立つが、自衛隊を退役しシビリアンとなった田母神氏本人はさておき、彼を手放しで礼賛する「応援団」の知識人たちの姿に、どうしても不思議な印象と違和感をもってしまう。そのほとんどが理系の素養を欠いた人文系の評論家で、一部を除けばプロの歴史家はそのなかにはほとんど含まれていない。検証なき仮説、予断にもとづく思い込みのオンパレード。

信じたいという「気持」や「心情」は理解できなくはないが、歴史学の史料批判という方法論からはずれた床屋談義や居酒屋トークにしか思えないのである。酒を飲みながら「トンデモ」について語るのはじつに楽しいが、まともに信じているとしたら、それはもうビリーバー(believer)の領域に踏み込んでいるとしかいいようがないのである。信じたい人はどうぞ信じてください。「信じれば救われる」(新約聖書・使徒行伝)のであるから。

しかしそれにしても、冒頭にもつぶやいたように「叩けども叩けども・・・」ある。まさに「陰謀説」叩きは「もぐら叩き」状態。

わたし自身、大学学部の卒論で「中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活」なるタイトルで、「陰謀説の一大地雷原」(笑)であるユダヤ関連をテーマにしたものだから、歴史的事実と妄想としての陰謀説のより分けにはきわめて敏感である。だからこそ、「それにしても・・・」となんどもつぶやきたくなるのだ。

著者が歴史学の厳密な方法論にもとづいて「陰謀説」を叩いても、それで陰謀説がこの世から消えることはない。なぜなら、ビリーバーの耳にはまったく響かないからだ。

思いこみが信仰レベルまで達しているのがビリーバーだが、まさに「釈迦に説法」「馬耳東風」。人間のコトバを聞く耳を持たない馬にたとえるのは馬に失礼だろうが、独自の「世界観」を脳内に構築しているビリーバーには、いったん信じ込んだら最後までといった趣がある。

とにかくこれは面白くてためになる本だ。日本近現代史の素材を「反面教師」として提示している本書を読むことを大いに推奨したい。といっても、ビリーバーには「馬の耳に念仏」であろうが(笑)


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目 次

第1章 陰謀史観の誕生-戦前期日本の膨張主義
第2章 日米対立の史的構図(上)
第3章 日米対立スティネットとの史的構図(下)
 食わせてもらった負い目
 占領体制のアメとムチ
 「アメリカ化」の貸借対照
 国内消費用の東京裁判史観
 ウォー・ギルトと「甘えの構造」
第4章 コミンテルン陰謀説と田母神史観-張作霖爆殺からハル・ノートまで
 田母神史観の検討
 張作霖を殺したのはソ連工作員?
 河本の犯行を示す8つの確証
 満洲事変から日中戦争へ
 ルーズベルト陰謀説とは
 トーランドとネイヴ
 スティネットと幻の日本爆撃
 ホワイトとハル・ノート
第5章 陰謀史観の決算
 コミンテルン
 ヒトラーとナチ党
 CIA・MI6対KGB
 ユダヤと反シオニズム
 戦後期のユダヤ禍論
 フリーメーソン
 オカルトへの誘い
 仕掛人対「トリック破り」
 因果関係の単純明快すぎる説明
 飛躍するトリック
 結果から逆行して原因を引きだす
 挙証責任の転換
 無節操と無責任
あとがき

著者プロフィール

秦 郁彦(はた・いくひこ)
1932(昭和7)年、山口県生まれ。現代史家。東京大学法学部卒業。ハーバード大、コロンビア大留学。プリンストン大客員教授、拓殖大教授、千葉大教授、日大教授を歴任。法学博士。1993年度菊池寛賞受賞。『慰安婦と戦場の性』『靖国神社の祭神たち』など著作多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」 ・・オカルト系トンデモ本の数々

「セルフブランディング」と「セルフプロデュース」、そして「ストーリー」で「かたる」ということ-「偽ベートーベン詐欺事件」に思う
・・騙されやすい人びと

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

「原爆の日」-立場によって歴史観は異なって当然だ

書評 『占領史追跡-ニューズウィーク東京支局長パケナム記者の諜報日記-』 (青木冨貴子、新潮文庫、2013 単行本初版 2011)-「占領下日本」で昭和天皇とワシントンの秘密交渉の結節点にいた日本通の英国人の数奇な人生と「影のシナリオ」

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・ホッファーの名著 True Believer についても紹介してある。政治学の古典である

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは


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2013年9月28日土曜日

月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2013年11月号の 「特集 そして、「理系」が世界を支配する。」は必読!-数学を中心とした「文理融合」の時代なのだ


月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)の最新号(2013年11月号)の 「そして「理系」が世界を支配する。」はじつに面白い特集だった。

アメリカでは、名門ハーバードですら人文系(humanities)の人気が下がっているという。就職で有利にならないからだ。人文系教育を中心にした小規模リベラルアーツ・カレッジでも状況は同じらしい。

もともと遅れて近代化を開始して日本は、欧米先進国へのキャッチアップを至上命題としてきたため、実用性の高い工学部が法学部が最重視されてきた。就職に直結しない人文系は低い扱いを受けてきた。だから最初このタイトルをみたときは、日本みたいになってきたのかな、と思った。

だが、アメリカの状況はそうではない。数学の重要性がかってないほど大きくなりつつあるというのだ。その理由はビジネス界におけるビッグデータにある。

ビッグデータとは、膨大なデータを収集分析することによって、いままで見えてこなかった相関関係を複雑なアルゴリズムにもとづいた統計的手法によって発見し、経験や勘に頼らない意思決定を行うことをさしている。膨大な量のデータを解析するため市販のソフトウェアでは処理不可能で、データ・アナリストという専門家が必要とされる。

そのデータ・サイエンティスト人気が沸騰しているのがいまのアメリカの現状であり、後追い的に日本でも人気が高まりつつある現状だ。いまもっともセクシーな職業(!?)とさえいわれている。

データ・アナリストになるには、統計学はもちろんのことコンピュータサイエンスや数学といった基礎的な学問だけではなく、世の中のもろもろについて通じている必要がある。分析対象が人間のかかわる現実社会である以上、たんなる技術オタクだけではデータを的確に読み取ることもできないからだ。

だから、人文系専攻の人気は急速に低下しているのである。学問としての必要がないわけではないが、就職先がないのでは仕方あるまい。そう考えている学生がアメリカでは少なくないらしい。

キーワードは、数学を中核においた「文理融合」というべきだろう。


■アングロサクソン世界における確率論的思考

「因果関係よりも相関関係」で考える! 編集長の冨倉氏は後記で特集のキモを的確に要約している。

時間差メカニズムが本質の因果関係が解明できなくても、2つの事象のあいだに相関関係があることがわかれば、それがビジネスの現場であればアクセルを踏み込めばいい。極論すればそういうことだ。むしろ過度に因果関係にこだわると足をすくわれることがある。

なぜなら、これは統計学や確率論をやっていれば「常識」であるが、相関関係イコール因果関係ではないからだ。統計的な相関関係は、かならずしも因果関係ではないのだ。日本人がよく理解していないのはこの点だ。

そもそもアメリカを中心としたアングロサクソン世界では確率論的思考が重視されてきた。人間社会は因果律に支配されているのではなく、未来は確率論により選択された意思決定によってつくられていくものである、と。

ビジネスの世界では生産管理は当然のこととして、それ以外のマーケティングにおいても統計学が重視されてきたし、全体的にその傾向がある。

ある意味では、アングロサクソン的思考そのものが理系の思考とは親和性が高いと思われる。実験と観察を重視し、しかも観察は多面的かつ複眼的に行うことが当然のこととされている。集合知という発想はコンピュータの処理能力アップが前提ではあるが、アングロサクソン的思考そのもののようだ。

いまアメリカではビッグデータ時代になってからデータアナリストの人気がうなぎのぼりで、必然的に統計学や数学が重視される傾向にあるわけだが、20数年前にアメリカの理工系大学のMBAコースにいたわたしの個人的印象ではかならずしもそうではなかった。

アメリカでは理系人気が落ち込み、ユダヤ系やインド系を除くと、一般的に白人のアメリカ人は数学が弱いという印象をわたし個人としてもっていた。だから、英語がそれほど得意ではない日本人でも、日本人としては平均レベルの高校数学さえできれば留学生活はなんとかやり過ごせるのだ、と(笑)

だが、この認識を改めなくてはいけないようだ。それほどアメリカでは急激に変化しつつあるのだ。


■「私立文系」の受験に数学の復活を!

そもそも、西洋文明においては古代ギリシア以来、リベラルアーツのなかに数学はしっかりと位置付けられている。有名なプラトンの学園には、「幾何学を学ばざる者この門をくぐるべからず」という額がかかっていたのであった。

だから、アメリカにおいても、もともと数学や理科はリベラルアーツ教育においても重視されてきたのだ。全体に安直な志向のなか数学を勉強する者が減っていたのであろう。だが、とくに2008年のリーマンショック以来、そんなことを言っていられない状況にあるということだ。

「理系」というのが日本語独特の表現で、「理系」と「文系」という区分じたい日本だけである。「文理融合」とならなくては日本には未来はない。

「私立文系」というカテゴリーは大学受験予備校がつくりだしたものだが、大学受験に数学がない(!)という状況は異常である。受験に数学をいれると受験生が減少し、その結果、受験料収入が減少してしまうという私学経営者の懸念は理解できなくはないが、日本全体のレベル底上げという大義はしっかりと理解していただきたいものだ。

英語だけではない。数学も必要なのだ。英語ができる生徒は数学もできるというのは、日本でもむかしからよく知られている「相関関係」の事例ではないか!

英語と数学に共通するもの、それはロジックである。論理的思考である。

わたしはこの10年以上、ことあるごとに数学の重要性を主張してきた。「黒船」というわけではないが、海の向こうのアメリカからやってくる大きなうねりによって、ようやく大学教育における数学重視の姿勢が生まれてくるのではないかと期待している。

日本の教育関係者のみなさんには、ぜひこの「特集 そして「理系」が世界を支配する」をすみずまで読んで危機感をいだき、そして数学の重要性について覚醒していただきたいと願う次第だ。





目 次

PART 1 世界のルールは「理系」が作る

●数字がすべての世界で、私たちは「アルゴリズムの奴隷」になるのか
●情報量の爆発的増加で ニュースの読まれかたも変わる
●世界を震撼させた「新時代の予言者」ネイト・シルバーとは何者か
●米国の名門大学が育成に力を注ぐビッグデータの〝魔術師〞とは
●ハーバードの学生たちに広がる急激な「文系離れ」の波紋
●ウォール街を 支配しているのは、経済学者ではなく数学者たちだった

◆Interview-1 大栗博司|物理学者
米国の「理系学生」たちの優秀さは日本の学生とは比べものになりません
◆Interview-2 竹内薫|サイエンスライター
 〝文系バカ〞になりたくないなら まず統計を学ぶことから始めよう

PART 2 「理系」は世界をこう見ている

●もし「数学オタク」のアラフォー女性が世界的IT企業のCEOになったら
●「理系」の億万長者たちが夢見るあまりに過激な「未来予想図」
●シリコンバレーの政界進出で米国の産業構造が塗り替えられる!?
●〝経験〞や〝勘〞なんかに頼らない
●グーグル流「革命的ベンチャー投資法」
●「2045年、すべての病は治療可能になり、他人の脳と〝連結〞できるようになる」
●ビッグデータは人間の脳を超えるのか「まったく新しい人工知能」の衝撃

◆Interview-3 安宅和人|ヤフーCSO
 これからのビッグデータ時代に「必要とされる人材」の条件とは
◆Interview-4 青木薫|翻訳家
〝文系人間〞でも楽しめる必読「理系の教養本」ガイド

その他は省略



<関連サイト>

 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2013年11月号
http://courrier.jp/contents/courrier108.html

経営者よ「因果関係」は追うな!「相関関係」を見よ-「ビッグデータ」伝道師が日本企業に告ぐ (ダイヤモンドオンライン 2014年3月20日)

「技術革新で仕事の5割が消滅」20年後の社会 (ハフィントンポスト 2014年1月20日 執筆者 Michael Rundle 47% Of All Jobs Will Be Automated By 2034, And 'No Government Is Prepared' Says Economist)

機械学習革命 的中したビル・ゲイツの予言 (日経コンピュータ、2014年8月4日~8日)
・・「自ら学習するマシンを生み出すことには、マイクロソフト10社分の価値がある」。 米マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏は今から10年前の2004年2月にこう語った。 その時は来た。 米グーグルや米アップル、米フェイスブックといった先進IT企業は今、コンピュータがデータの中から知識やルールを自動的に獲得する「機械学習」の技術を駆使し、様々なイノベーションを生み出し始めている。 これらは来たる機械学習革命の、ほんの序章に過ぎない。 機械学習の本質は、知性を実現する「アルゴリズム」を人間の行動パターンから自動生成することにある」

Keen On-『第二の機械時代(The Second Machine Age)』の著者にデジタル経済が進展する中での人間の役割を聞く (TechCrunch、2014年2月14日)

Artificial intelligence meets the C-suite Interview|  (McKinsey Quarterly, September 2014)
・・「Technology is getting smarter, faster. Are you? Experts including the authors of The Second Machine Age, Erik Brynjolfsson and Andrew McAfee, examine the impact that “thinking” machines may have on top-management roles.」  『第二の機械時代』の共著者ブリニョルフソンとマカフィーをまじえた座談会。エグゼクティブははたして生き残れるか?という議論で、ある起業家は、「機械にできることは機械にまかせるという発想はアウトソーシングの発想と同じだ」と喝破している。 

(2014年9月11日 情報追加)



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書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・アメリカの発明家でフューチャリスト(=未来研究者)のレイ・カーツワイルがその議論の中心

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)
・・コンピュータの処理手順を意味するアルゴリズムは、9世紀の科学者アル・フワーリズミーのラテン語読みがなまったものである

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・「自分でプログラムを組んでいてわかることは、これはまさしくタルムード思考の、例の複雑な論理そのものの現実化ではないか、ということである。ある条件ではこうしてみる、ある条件ではこんなふうにするということが、複雑に関連し合って絡み合うことが、本当にタルムード的なのである」、と著者は言う

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・「砲術家だけに数理的能力が高く、経済にも明るかった理詰めの人。余談になるが、江戸時代の日本では数学がブームだったという背景を知っておくことが必要だろう。カネがかからないひまつぶしとして、数学の難問を解くことが一般庶民レベルまで流行っていたらしい」 

書評 『シゴトの渋滞学』(西成活裕、新潮文庫、2013)-数学者が数式をつかわずに書いた読みやすくて役に立つ実用書

映画 『マネーボール』 をみてきた-これはビジネスパーソンにとって見所の多い作品だ!
・・「メジャーリーグ球団のひとつ、カリフォルニア州北部にフランチャイズのあるオークランド・アスレティクス(Oakland Athletics)の GM(=ゼネラル・マネージャー)として球団経営に数字とロジックを持ち込んで、劇的な V字回復を果たした44歳の中年男の実話(ture story)に基づいた映画」クーリエの特集でも取り上げられているネイト・シルバー(Nate Silver)がデータ・アナリストのモデルといわれる 

シリコンバレーだけが創造性のゆりかごではない!-月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2012年1月号の創刊6周年記念特集 「未来はMITで創られる」 が面白い

書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)

書評 『教養の力-東大駒場で学ぶこと-』(斎藤兆史、集英社新書、2013)-新時代に必要な「教養」を情報リテラシーにおける「センス・オブ・プローポーション」(バランス感覚)に見る

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

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2011年9月20日火曜日

医療ドラマ 『チーム・バチスタ 3-アリアドネの糸-』 のテーマは Ai (=画像診断による死因究明)。「医学情報」の意味について異分野の人間が学んだこと


 毎週火曜日夜10時台の医療ドラマ『チーム・バチスタ3-アリアドネの糸-』もいよいよ今夜(9月20日)で最終回。

 ドラマは原作は読んでないので結論がどうなるのか知らないが、というよりもドラマ化は原作とは結論を変えるのがいつものこと。ドラマはドラマとして最後まで楽しませてもらった。小説のドラマ化と映画化は、それぞれは別物と考えるべきなのだ。

 テーマは Ai、画像診断による死因究明。現役の医師でもある、原作者の海堂尊(かいどう・たける)氏がつくった Autopsy(検視) と Imaging(画像診断)の合成語、頭文字をとって Ai である。

 解剖すなわち死体損壊を行うことなく MRI(Magnetic Resonance Imaging)や CT(Computed Tomography)などによって画像をスキャンし、画像から死因を分析する方法らしい。これはドラマではじっさいに目に見えるものとして可視化されているので、イメージするのは容易になっている。

 1990年代以前からビジネスマンだったわたしなど、Ai ときくとまずは Artificial Intelligence (=人工知能)のことかと思ってしまうのだが、専門分野によって専門用語というものはそれぞれ違うものなのだ。だから、海堂氏はあえて Ai と i を小文字にしたらしい。iPhone や iPad などを念頭においていた山中伸弥学博士による iPS細胞(=人工多能性幹細胞)のネーミングと同じである。

 まあ、それはさておき、よくつくりこまれたドラマであった。ドラマ第一作『チームバチスタ』、シリーズ第二作目の『ナイチンゲール』、そしてシリーズ三作目となる『アリアドネの糸』は、社会的な重要性を主張してきた「死因究明」そのものずばりのテーマなので、原作者としての感慨はきわめて深いものがあることだろう。

 テレビドラマにとっては真犯人が誰であるかも大事だが、原作者にとっては Ai というコトバとその意味が少しでも視聴者に伝わったのであれば御の字ということだろう。


■世の中に訴えたいテーマをエンターテインメントで発表してきた著者が放ったストレートな一球

 自分の主張したいテーマをエンターテインメント作品というカタチで世に問うことの出来る能力は、誰にでも備わったものではない。

 むしろ、Ai そのものについて書かれた『死因不明社会-Aiが拓く新しい医療-』(海堂 尊、講談社ブルーバックス、2007)のほうがストレートに問題を指摘し、提言もできるので書きやすいのではないかと思う。

 講談社ブルーバックスという器は、科学技術の分野をわかりやすく解説した老舗の新書本シリーズなので、エンターテインメントに比べたら読者層が限定されるだろうが、それでも狭い医学界よりは広い層を対象に設定できる。

 高度な内容にかんする本であるが、本名では無名に近いので、著者はあえてペンネームで出版することにしたそうだ。これは、講談社ブルーバックスにおいても珍しいケースのようだ。たしか、元ソニー取締役の土井氏が天外伺朗(てんげ・しろう)なるペンネームで、研究開発組織にかんする本を書いていたのを読んだ記憶があるが、それが先例となっているのであろう。
                      
 ただし、この本は、海堂尊名義であっても内容はエンターテイメント性は高くないが、さすが「ロジカル・モンスター」白鳥圭輔なる人物を創りだした著者だけのことはある。構成も内容もきわめてロジカルな本である。

 読めば理解できなくはないが、医学を学問として勉強したことがまっったくないわたしにとっては、これが医学の王道か、医学ではそのようにものを見るのかという新鮮なオドロキを感じた。


■Ai の定義
 
 Aiの定義は、第8章「死亡時医学検索」の再建のための処方箋「Ai」で行われている。

 著者の説明をわたしなりのコトバで翻訳すれば、「Ai はスクリーニング、解剖はピンポイント」ということになろうか。Ai と解剖は相互補完関係にある。これはドラマを見ていた人にはピンとくる説明だろう。

 MRI などで遺体の全身画像を撮影し、この画像をもとに死因を究明する。それでも引っかかる点をじっさいに解剖してみるという形の補完関係である。解剖が破壊検査であるなら、Ai は非破壊検査であるともいえる。

 なんと驚くべき事に、解剖率がたった 2%台(!)という日本の現状では、たとえ解剖が行われなくても、Ai を行えば残り 97%強の遺体について死因究明を行いうることを意味しているのである。

 さてこの、『死因不明社会-Aiが拓く新しい医療-』だが、なんだか繰り返しが多いなあと思いながらも、最後まで筋を追って読み進めれば、問題の根深さに気が付かざるを得ない。それはゾッとするようなこの国の現実だ。


■医療と医学の関係-プラクティスとしての医療行為とアカデミックな学問としての医学

 医療は生きている人間にたいしておこなわれるものであり、けっして無機質なモノではない

 医学用語というのは、医学を学問として勉強したことのない者にとってはなじみのない世界である。とくに「学問としての医学」が門外漢にとって新鮮なオドロキとなるのは、「医学情報」には生体と死体という二つの情報があるという認識である。

 生体にかかかわるプラクティス(=実践的行為)としての「医療」については、医学には直接かかわっていない一般人も、この側面には日常的に接しているものだ。「家庭の医学」などの「医学」はこの側面である。あくまでも生きている人間にとって有用な情報に限定される。

 しかし、生体だけではなく死体も扱うのが、アカデミックな理論体系構築を目指した「医学」である。これは著者が最初から最後まで一貫して主張していることである。

 死体から得た「医学情報」を、生体の「医療」へフィードバックすること。これが医学という学問の進歩にとって不可欠なだけでなく、生きている人間にとってもきわめて大きな意味をもつ。だからこそ、死体の検死が不可欠なのだというのが著者の主張である。

 しかしながら、日本では解剖はたったの2%、解剖ができないのであれば Ai を、しかも解剖と Ai は補完関係にあるといえるわけだ。

 医学における情報の意味を、著者は「実体情報」と「バーチャル情報」のふたつの足し算と考え、複素数で説明しているのが面白いと感じられた。たとえば、こういう式で表現されるとしている(P.160~161)。簡単に要約しながら紹介しておこう。

V info = VR + Vi

V : Vital(生体の)
R : 実数部分。生検情報や体表写真情報、血液の生化学解析など
VR :臨床検査の実体部分
i :虚数部分
Vi :CT、MRI、エコー(超音波)など種々の画像診断情報。Vi は VR の影ともいえる情報だが、情報量は膨大でとても重要。

 死亡時医学検索の論理方程式は以下のとおり

N info = AR + Ai

N : Necrotic(死体の)
A : 解剖(Autopsy)。
AR :死亡時医学情報の実体部分。すなわち検案⇒解剖という従来の「死体検索」。
Ai :死亡時医学情報の虚数部分。

 実数と虚数の足し算である複素数をつかって説明すると、実数以上の膨大な情報を範囲に含めることができる。著者は、虚数概念を導入することで量子力学が発達したことを例にとっているが、たしかに医学の世界も Ai によって大幅に拡張されることは間違いないだろう。

 梅棹忠夫も『情報の文明学』(中公文庫、1999 単行本初版 1991)に収録されている「情報産業論への補論」のなかで、「情報価格」を「お布施の理論」として、複素数をつかって説明している。計測可能な部分と計測不能は部分の足し算として表現されるべきだという考えに基づいている。

 複素数による説明は、その他分野にもインプリケーションは大きいといえよう。


■「経営診断」と「事故調査」-アナロジー(類比)としての「死因究明」


 経営学には、「経営診断」というコトバと実体がある。

 「診断」(ダイアグノーシス:diagnosis)という行為にかんして、おそらく医学のアナロジーを経営分析に応用した概念であろう。

 「経営診断」とは、基本的に過去数年分の財務諸表分析を中心にした定量分析に、経営者や経営幹部や従業員へのインタビュー、工場実地見学などの定性分析を加えて、経営の健康状態を総合的に判断するアプローチのことである。銀行融資の際に行われる企業審査はこの一部である。

 本書を読みながら、これまで医学の本質も知らずにアナロジーとして論じてきたことを恥ずかしく思ったことを告白しておきたい。

 「経営診断」とは基本的に、いま生きている会社の断層図を撮影して分析するというニュアンスの強いコトバだが、「生体」だけでなく倒産した会社という「死体」を観察しなくては、ほんとうの意味で「生体」の診断はできないのだということにあらためて気がつかされたのであった。

 なぜその会社は破綻したのかは、いくつかのパターンに分類されるが、破綻にいたった事情は個別性があって千差万別である。会社が破綻する原因をよく理解できれば、破綻させないための方策も考えることができる。

 もちろん、わたし自身、1990年代には集中的に会社倒産について研究していたのだが、このこと自体を医学のアナロジーで考えることができることを失念していたというわけなのだ。

 最近は流行らないが、「経営診断」のことはかつて「経営ドック」と称していたコンサル会社もある。「人間ドック」のアナロジーである。また、経営コンサルタントもかつては「経営ドクター」などという表現も行われていた。診断と治療を行うという意味においてである。

 医学のアナロジーはこのほかにも、「カネは企業にとっての血液である」などという表現にも表れている。「出血を止める」とか「輸血」などという表現がそのまま使われることもある。会社組織におけるカネ回りは、生体における血液循環の比喩として語られているわけだ。

 また、犯罪捜査と死因究明をわけて考えるべきことは、犯罪捜査と事故原因究明をわけて考えることに共通している。後者は原因分析である。
 
 事故分析とは、事故が起こってしまったあとに、事故が起きないための教訓を知識として得るための知見を得ることを目的としている。

 「事故に学び、その知識を社会で共有することで、将来の重大事故を防ぐ」という、「失敗学」の畑中洋太郎氏の表現をみると、あきらかにパラレルな関係があることがわかる。

 事故は起こらないに越したことはないが、いったん起こってしまった事故について、責任者を追求すること焦点があたりすぎて、事故原因の究明に焦点が当たらないのでは意味がない。


■論文形式によるストレートな主張とエンターテイメントによる間接的な主張

 Ai というテーマそのものをストレートに把握したい人はぜひこの本を読むべきだと薦めたい。

 だが、ドラマを見てからこの本を読むのは、ハードルが高いような気もする。本書が多くの読者を獲得するのはむずかしいだろうなとも思う。小説作品とはまったく異なるし、エンターテインメントとしてのドラマや映画とは大いに異なるからだ。

 なお、今年2011年の8月には、本書の各論編として『死因不明社会 2-なぜ Ai が必要なのか-』(海堂 尊=編著、塩谷清司/山本正二/飯野守男/高野英行/長谷川 剛、講談社ブルーバックス、2011)が刊行されたので付記しておこう。より具体的に Ai をめぐる話題が、それぞれ Ai を推進する現役の医師たちによって執筆されている。概念、歴史、医療、捜査、司法、倫理という側面からみた Ai は、医学と死というテーマそのものであるといっていいだろう。

 「Ai と倫理」の章では、歴史家のフィリップ・アリエスや哲学者のジャンケレヴィッチの「死にかんする考察」が解説されており、ひさびさにアリエスの名前を目にしたわたしは懐かしく思った。わたしの大学時代は「日曜歴史家」を自称していたアリエスが精力的に日本に紹介されていた時期であったからだ。アリエスについてはまた後日取り上げることとしたい。

 ところで、ペンネーム海堂尊氏の現在の肩書きは以下のようになっている。
 
独立行政法人放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院臨床検査室医長...

 『チーム・バチスタ』シリーズの主要登場人物である厚労省の白鳥室長の肩書きではないが、じつに長いと絶句してしまう。とても記憶できるものではありません(笑)

 ああそうか、著者は自分のこの長い肩書きを、登場人物で再現させることをつうじて揶揄しているわけなのか。こういうお遊びができるのも、エンターテイネント作品ならではのものなのだなあ、と。









<ブログ内関連記事>

■検死と鑑識について

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る

書評 『タイに渡った鑑識捜査官-妻がくれた第二の人生-』(戸島国雄、並木書房、2011)
・・タイ南部を襲ったインド洋大津波による大量の遺体確認をおこなった日本人鑑識捜査官の記録


■テレビドラマ

連続ドラマ『夜光の階段』-松本清張生誕100年

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

アルバイトをちょっと長めの「インターンシップ期間」と捉えてみよう
・・連続テレビドラマ『フリーター、家を買う。』(2010年放送)にヒントを得て

「泣いてたまるか」
・・渥美清または青島幸夫が主演した昭和40年代前半の連続ドラマ






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2009年7月6日月曜日

シンクロニシティ(共時性)


       
 本日、用事があって東京・日比谷の某ビルに出向いたら、なんと7年ぶりにかっての勤務先の同僚と出会った。

 7月6日だから明日の七夕ではない、したがってもちろん異性ではない。残念ながら(?)ヒゲ生やしたオッサンだが・・・(注:オッサンは関西人的には愛称表現、悪しからず)。

 アポイントの時間まで10分以上あったのでラウンジのソファに座ってメガネを拭いていたら、向こうからやってくるヒゲ男はなんか見覚えあるなあ、と思って眺めていたら先方から声をかけてきた。

 まったくの偶然である。こういうこともあるものだ。

 用事がおわってから、教えてもらった携帯に電話し、喫茶店でコーヒーのみながら1時間ほど話をした。

 存在すらすっかり忘れているほど没交渉だった人間と旧交を暖めあうと共に、今後の雇用情勢の見通しのなさに話題は及ぶ・・・

 東京はなんといっても世界的大都市なので、こういうことは滅多にないのだが、本人どうしにとっては必然的な行動---私にとっては本日×時にアポイントがあるので出向くという行動、かつての同僚にとっては自分の現在の勤務先がそのビルの中にあるので外から戻ってきたところ---が交差するところ、そこに「偶然性」が発現したのである。

 しかも私が用事があって出向いた会社はそのビルの6階、彼の勤務先も6階にあるそうだ、偶然にしてはよくできすぎている。

 7月6日に、7年ぶりに再会し、6階に縁がある。7 と 6 の組み合わせ。

 まさに大乗仏教的だなあ。鶴見和子の「南方熊楠・萃点(すいてん)の思想」ではないか。
 いやスイスの心理学者C.G.ユングの「シンクロニシティ」(英語:Synchronicity、ドイツ語:Synchronizität) というべきか。

 日本語では「共時性」と訳している。

 シンクロニシティとは、意味のある偶然の一致のこと。直線的な因果関係ではない非因果性。
 しかしながら、「共時性」は決して神秘的なものではない。ユングは物理学者パウリと共著で「シンクロニシティ」について書いている。

 まあ難しいことは抜きにしても、面白い経験をした一日であった。
 生きていると面白いことに出会えるものである。

 この経験が意味ある、前向きなものとなりますよう!






end             
         

2009年5月17日日曜日

「無計画の計画」?



    
 前にも書いたが、3月末にバンコクでの会社を閉めてからは、しばらく日本でフリーの身を享受している。

 本人はこの状態をさして「休養&充電」といっているが、この状態をいつまで続けるかは、とくに期限は決めていない。日々の活動に追われる状態から身を離したとき、そこに生まれたエアポケットがいかに貴重な時間であるかをあらためて身にしみて感じている次第だ。

 もちろん先立つものはカネ、カネの切れ目は縁の切れ目というが、カネが切れる前に次のプロジェクト・・・私は人生はプロジェクトの集合体だと捉えている・・・に取り掛かりたいと考えている。それまでに、読めなかった本、見れなかったDVDを、貪欲に消化しながらひたすら思考している状況だ。


 そんなときふと、「無計画の計画」という表現を思い出した。

 下村湖人の『次郎物語』にでてきたことばだ。中学校時代に読んだとき、強く印象に残ったので、この表現は自分の中に奥深く記憶されていた。

 現在はどうか知らないが、『次郎物語』はいわゆる「学校指定図書」として、強く読むことが薦められていた児童文学である。

 中学校の頃から文庫本を買って読むことを覚えた私は、非常に分厚い角川文庫の一巻本で読んだ。次郎の少年時代の記述は、たしか第三部以降だったか、急速に観念的な文章が中心になってきて、中学生には理解しがたいものが多くなっきた。その当時はクソ真面目なことに、本は最初から最後まで読み切るべきである、という考えが支配的であったのでなんとか最後まで読みとおしたのだが、主人公の次郎たちが歩いて探検に出発したときに、級友が口にしたことばが「無計画の計画」なのだ。いいかえれば「無計画という計画」ということになろう。あてもなく歩きだすことを指していったセリフだ。
 
 今から考えてみると、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」みたいな、なにやらわかったような、わからない、旧制高校的なというか、禅仏教めいたセリフだが、このことばは自分の中に深く刻み込まれ、潜在意識の中に長く沈んでいたようだ。

 長らくビジネスマンとして一貫して企画畑にいる私は、経営コンサルティングの世界に入って以来、実業の世界に身を移してからも戦略や経営計画などに携わってきたのだが、2008年に発生したリーマンショック、トヨタショックはビジネスの上でも、経済社会全体に関しても大きな転換期の引き金になるだろうと感じている。こういう転換期においては計画はきわめて立てにくい。といって無計画というわけにもいくまい。ましてや「無計画の計画」だ、などとうそぶくわけにもいくまい。

 キリスト教をバックボーンにした西洋文明は、量子力学的世界観ができたといっても、まだまだ「因果」関係でものをみることが中心である。戦略というのは、こうしたキリスト教的な時間観念の上に成り立っている。それに対して、仏教的な世界観では「縁」(あるいは因縁:interconectedness)というものを重視する。前者が直線的時間の延長線上にある必然性であれば、後者は直線的時間や循環的時間が交差するポイントにおいて生じる偶然性について語っているのだが、この両者をともに組み込んだ「計画」が必要だろう。

 米国のビジネス界では、1973年の第一次石油ショック後にシェル石油で開発された「シナリオ思考」(Scenario Thinking)がまた復活のきざしがあるようだが、それだけでもまだまだ何か足りないような気がする。物語そのものが作りにくい、秩序生成以前の、いまだ混沌とした状態だからである。

 大学で歴史学を専攻した私は、社会というものはそもそもが、少し前に流行したコトバを借りれば、自分自身もその要素として含んだ「複雑系」(Complexities)以外の何物でもないと思ってきたが、今後の自分の身の振り方を考えるには、世の中の動きが現在のこの混沌(Caos)状態から、どのように再生成されていくのか、方法論として作り上げるのは難しいにしても、100年単位ではなく、少なくとも500年単位の変化に目をこらして考えなければならない、と感じている。

 考えた内容は随時、スケッチという形で、この場に書き記していきたいと思う。





PS 「計画された偶然性」について(2013年11月14日)

この記事はいまから4年前の2009年に書いたものだが、その後の4年間で認識が深まったかどうかは別にして、書いた内容を訂正する必要はほとんど感じていない。

ただ、現時点でいくつか追記したいことがあるので、以下にキャリア論を中心に書き足しておこうと思う。キャリア論はビジネスと人生が交差する領域の話である。

キャリア論の世界では、意外なことに「無計画の計画」に近い概念が、一般的だとはいわないが、アメリカでも現れている。

たとえば、こんなタイトルの本がある。

If You Don't Know Where You're Going, You'll Probably End Up Somewhere Else, by David Campbell, Thomas More Pr; 1990 というものだが、仮に日本語訳しておくと、「どこにいくかわからなくても、たぶんどこかほかの場所にたどりつくだろう」とでもなろうか。なんだかふざけたタイトルだが、これはかなり多くの人にあてはまる話ではないかと思う。現在は2007年に改訂版がでている。

すくなくとも40歳代以上の人なら、たとえ大過なく過ごしてきたとしても、それなりに山あり谷ありの人生を送っているはずだから納得いく話だろう。

世の中は、けっして因果律で決定された決定論的な世界ではない。むしろ確率論の支配する世界のなかで、意思決定を行ってきたその積み重ねが現在なのである。なにかを選択するということは、ほかの可能性を捨て去ることであり、その選択が正しかったかどうかは、あくまでも相対的に評価できるに過ぎない。

これが、「生かされている」ということの本質だ。

いまは亡きスティーブ・ジョブズも、かの有名なスタンフォード大学の卒業スピーチで、「点と点をつなぐ」(connecting the dots)という表現で、「偶然に取り組んでいたことが、後になってすべてがつながる」のを実感したというようなことを述べている。そのジョブズもまた禅仏教の影響を多大に受けている人だ。

「計画された偶然性」(planned happentance)という概念がキャリア論を専門とするアメリカの経営学者によって提示されていることも、4年まえにブログ記事を執筆したあとに知った。

『その幸運は偶然ではないんです』(クランボルツ他、花田光世他訳、ダイヤモンド社、2005)として日本語訳もされているが、原本のタイトルは Luck Is No Accident: Making the Most of Happenstance in Your Life and Career by John D. Krumboltz and Al S. Levin, Impact Publishers 2nd Edition, 2010 として出版されている。

要は、キャリアプランは精緻なものを計画しても、偶然的な要素で変わっていくので、むしろ偶然によって変化されることを回避するのではなく、積極的に偶然性を受け止めてキャリアをデザインすべしという内容である。

ある意味では「無計画の計画」にも近い概念であるように思われる。

この「計画された偶然性」は、経営計画策定と実行に際しても、おおいに考慮に入れるべきだろう。

(2013年11月14日 記す)



<関連サイト>

『計画と無計画のあいだ』というタイトルの本が出版されている。

副題は、「「自由が丘のほがらかな出版社」の話」、著者は三島邦弘氏。

内容紹介には、「「まっすぐ」な活動を愚直につづける、原点回帰の出版社・ミシマ社。単身起業した後、愉快な「無法者たち」が集まってくる過程から、現在に至る5年間のエピソードと発見をつづる」、とある。

河出書房新社から2011年に出版されている。(2014年5月16日 記す)



<ブログ内関連記事>

経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく

書評 『「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵-』(久米是志、岩波アクティブ新書、2002)-「自他未分離」状態の意識から仏教の「悟り」も技術開発の「創出」も生み出される
・・近代的な「さかしら」とは無縁の仏教的思考方法

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・真言密教的世界観における因果と偶然による縁起

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

書評 『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)-これが「仏教のデフォルト」だ!

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」

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