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2019年3月28日木曜日

書評『ユダヤ人とユダヤ教』(市川裕、岩波新書、2019)―「ユダヤ教」が規定してきた「ユダヤ人」を4つの側面からコンパクトに解説した本書は「世界」を理解するための「必読書」だ!



老舗的存在の岩波新書だが、どうしても出版元の岩波書店のリベラル色がですぎたタイトルが多い。だが、そんな岩波新書ではあるが、「これは!」という良書がたまに出現することがある。

その1冊が『ユダヤ人とユダヤ教』(市川裕、岩波新書、2019)だ。日本のユダヤ研究の権威によるコンパクトな一般読者向けの解説書だが、これほど内容の濃いものはない。これだけの入門書は、かつて存在しなかった。日本人に手になる、日本人のための「ほんもののユダヤ入門書」が、ようやく登場したといっていい。

「ユダヤ教」と、「ユダヤ教」が規定してきた「ユダヤ人」を、4つの側面からコンパクトに解説している。「歴史」「信仰」「学問」「社会」という4つの側面である。この切り口は、著者によれば編集者からの提案らしいが、この順番で見ていくと、「ユダヤ教」と「ユダヤ人」が密接不可分であったことが理解されるはずだ。ユダヤ教をユダヤ人の存在そのものに即した理解が可能となる。

著者の基本線は、「ラビ的ユダヤ教」というユダヤ教本流の理解を目指したものだ。最大の特徴は、西欧的偏見と偏向から脱していることにある。ギリシア思想の形而上学を排したのが「ラビ的ユダヤ教」であり、いわゆる「ヘレニズム」(=ギリシア思想)の対する「ヘブライズム」ではない。ヘブライズムとは、キリスト教的概念だ。

日本であふれているユダヤ関連本は、キリスト教的偏向から脱してない。これは私自身、いまを去ること30年以上前だが、大学学部の卒論で「ユダヤ史」をテーマに書いたとき以来の大きな不満だ。一般的に宗教学者は、「ユダヤ=キリスト教」というタームを使いがちだが、これほど誤解を生み出す概念もない。キリスト教はユダヤ教から生まれたが、ユダヤ教そのものはキリスト教の影響とは関係なく存在する。

ユダヤ教世界の少数の知識人の言説だけでなく、その背後にいる一般大衆を視野に入れると見えてくるものがある。実体に即していえば、ユダヤ教はむしろ「セム的一神教」として、むしろイスラームと近い存在なのだ。 ユダヤ教とは、ユダヤ人の生活すべての規範となる律法であり、法体系なのである。だから、「宗教」(レリジョン)というとらえ方では抜け落ちてしまうものが多い。

『旧約聖書』(そもそもユダヤ人は「旧約」とは言わない)の最初の5つである「トーラー」(「モーセ五書」ともいう)だけでなく、『タルムード』が重要なのである。 中世においてはイスラーム世界ではユダヤ人が共存して活躍していたことへの言及は、日本人の「常識」に反するものがあるので重要だろう。

ユダヤ人のビジネス面の活動について、マルクスを引き合いにユダヤ教のからみの解説がある。 「社会」の重要な側面である「経済」についての解説だが、これはは必読だ。「俗」なる平日と「聖」なる安息日に典型的に現れている、ユダヤ教の二重基準について知ることができる。個人的には、最近はあまり言及されることのないドイツの詩人ハイネが、おなじく「同化ユダヤ人」であったドイツの革命思想家マルクスと抱き合わせで取り上げられているのも、なんだか懐かしい。

また、19世紀リトアニアで始まった「タルムード改革運動」の記述があることも、本書の大きな特徴だ。この動きは現在につながるものであり、ユダヤ人がなぜ議論に強いのか、思考力があるのかの理由の一つが説明されることになる。『タルムード』には、思考力を鍛えるための仕掛けがあるのだ。

たった188ページの新書本だが、中身はじつに濃厚だ。飛ばし読みもいいが、じっくり読むに値する。もちろん、コンパクトな新書本なので、書かれていないことが多いが、エッセンスのエッセンスが書かれていると受け止めるべきなのだ。

「いま書き終わって、自分のユダヤ人論、ユダヤ教論が初めて生まれたという感慨がわいている」と著者は「あとがき」で述懐している。凝縮された新書本の背景にある膨大な知識と研究成果がにじみ出ているのである。

『ユダヤ人とユダヤ教』は、「世界」を理解するための必読書として推薦したい。誤ったユダヤ理解は、もう終わりにしたいものである。最低限この本を読んでから、議論していただきたい。


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目 次
序章 ユダヤ人とは誰か
第1章 歴史から見る
 第1節 古代のユダヤ人たち
 第2節 イスラム世界からヨーロッパへ
 第3節 国民国家のなかで
第2章 信仰から見る 
 第1節 ラビ・ユダヤ教
 第2節 ユダヤ教の根本原則
 第3節 神の時間秩序 
 第4節 「宗教」としてのユダヤ教 
第3章 学問から見る 
 第1節 タルムードの学問
 第2節 論争と対話 
 第3節 ユダヤ哲学 
 第4節 ユダヤ精神の探求 
第4章 社会から見る 
 第1節 ユダヤ人の経済活動 
 第2節 ユダヤ人の人生の目標 
 第3節 近代メシア論 
 第4節 ユダヤ社会の現実 
文献解題 
あとがき 


著者プロフィール 
市川裕(いちかわ・ゆたか) 
1953年生まれ。1982~85年ヘブライ大学人文学部タルムード学科特別生等、1986年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻、宗教史学、ユダヤ思想。著書は『ユダヤ教の精神構造』(岩波書店、2004)、『ユダヤ教の歴史(宗教の世界史7』(山川出版社、2009)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。




(付録)このエピソードに注目!

『ユダヤ人とユダヤ教』の76ページには、ユダヤ新年に長崎のシナゴーグでユダヤ人の礼拝を見て斎藤茂吉が詠んだ歌が紹介されているが、じつに感慨深い。


猶太紀元五千六百八〇年 その新年のけふに会へりき 
満洲よりここに来たれる若者は 叫びて泣くも卓にすがりて


出典は、『歌集 つゆじも』(斎藤茂吉、岩波書店、昭和21年)である。「大正八年雑詠 長崎訪問(1919年)」にある。ネット上の青空文庫で読める。全部で3首あるが、紹介されていない3首目には、ビジネスで長崎に在住していたユダヤ人名士の名前が登場する。


九月二十五日 

古賀、武藤二氏とともに猶太殿堂ジナゴークを訪ふ。猶太新年なり 

猶太紀元(ユダヤきげん)五千六百八〇年その新年のけふに会へりき 
満州よりここに来れる若者は叫びて泣くも卓(たく)にすがりて 
長崎の商人(しやうにん)としてゐる Lessner(レスナー)も Cohn(コーン)も耀(かがや)く法服(ほふふく)を著(き)つ



(国会図書館デジタルコレクションより)


残念ながら、現在の長崎にはシナゴーグは存在しない。ユダヤ人墓地があるのみだ(わたしは、ずいぶん昔になるが、ここを訪れたことがある)。

1882年生まれの茂吉は、長崎のシナゴーグを訪れた1919年当時は37歳、その3年後に欧州留学している。ウィーンは言うまでもなくユダヤ人比率の高い大都市で、精神分析学の創始者フロイトはユダヤ教徒であった。茂吉は、すでに長崎でユダヤ体験をしていたことになる。



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「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む

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ユダヤ教の「コーシャー」について-イスラームの「ハラール」最大の問題はアルコールが禁止であることだ
・・ユダヤ教とイスラームは、生活全体を律する律法という点において、むしろ共通性が多い。「信と知を行として一体のままに理解」するユダヤ法とイスラーム法。「比較して言えば、キリスト教はギリシア哲学の理性をうけついで信と知を分けたが、ユダヤ教は信と知を行として一体のままに理解している。この点においては、ユダヤ法はイスラム法と共通する。法が宗教・道徳と不可分であるのも、当然のことなのである」(『世界の法思想入門』(千葉正士、講談社学術文庫、2007)より引用)

(2019年4月14日 情報追加)


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2011年9月29日木曜日

きょうは何の日? ― ユダヤ暦5272年の新年のはじまり(西暦2011年9月28日の日没)


 「きょうは何の日?」なんていうと、TV番組のコーナーのタイトルみたいですね。

 答えは先に行っておきましょう。はい、きょうは「ユダヤ新年」のはじまりです。ユダヤ暦のお正月ですね。

 正確にいうと、昨日(西暦2011年9月28日)の「日没」から、ユダヤ新年ローシュ・ハ・シャナ(Rosh Ha Shana)が始まりました。

 したがって、本日(2011年9月29日)と明日(9月30日)は、日本国内のイスラエル大使館など政府機関などはみなお休みになります。イスラエル国内は当然のことながらお休みです。

 ちなみに、日本でも古代では、一日は「日没」から始まっていました。一日は夜明けとともに始まるという時間意識がいつごろ定着したのか知りませんが、日没から夜明けまでの「夜」を大切にするのは、古代世界には共通していたようですね。

 以前、このブログに 皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる と題して、日本を含めた各民族や宗教のカレンダー(暦)について、やや詳しく書いてみました。「ユダヤ暦」についても触れています。

 しかしなんといっても、天地創造から数える「ユダヤ暦」では 5772年(!)というのはスゴイですね。日本は皇紀 2671年、仏暦 2554年、西暦だと2011年、イスラーム世界のヒジュラ暦では 1432年になります。いかにイスラームが若い宗教であるかがわかります。
 
 ついでにいうと、イスラームの「ヒジュラ暦」は純粋太陰暦なので、太陽暦である西暦とは毎年ズレが生じますが、いっさい調整をしません。ですから、断食月であるラマダーンが今年のように真夏に重なると、なかなかやり過ごすのがたいへんなわけですね。

 ヒジュラ暦など純粋太陰暦は、365日を単位として循環している農事暦として使うには問題があるようですね。書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
で、「中東のキリスト教徒が、イスラーム世界で使われる太陰暦ではなく、太陽暦に基づく農耕暦にしたがって古代から祝祭を行ってきたということが実に興味深く思われた」という文章を書いてますが、西暦が太陽暦であることのメリットは、農事暦という観点から捉えることもできるようです。

 ユダヤ暦は太陰太陽暦で、農事暦のようです。ユダヤ教の聖典である『タルムード』の「ミシュナ」第一部「ゼライーム」(種子)は「農耕にかんする書」で全部で11章からなっています。

 『タルムード』とは、「聖書」成立以降にラビたちによって口伝で伝承されてきた記録を文字にして体系化したもの。「聖書」冒頭の「モーセ五書」(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に規定された成文法の施行細則のようなものと考えたらよいでしょう。

 参考のために「ゼライーム」(種子-農耕にかんする書)の11書の細目を紹介しておきましょう。

1. ベラホート: 祈祷
2. ペアー: 畑の刈り残し・落ち穂
3. デマイ: 十分の一の献げ物を納めたか否か疑わしい作物
4. キルアイム: 禁忌異種
5. シュヴィイート: 安息年
6. テルモート: 祭司への献納物
7. マアセロート: 十分の一の献げ物
8. マアセル・シェニー:第2の十分の一の献げ物
9. ハッラー: 献納練り粉
10. オルラー: 植樹3年間の禁忌果実
11. ビックリーム: 初物、初穂

 新年の「ローシュ・ハ・シャナ」については、「ミシュナ」第二部の「モエード」(祭日)に規定があります。

 参考までに「モエード」(祭日-祭りにかんする書) 12書の細目を紹介しておきましょう。

1. シャバット: 安息日
2. エルヴィーン: 安息日規定の補遺
3. ペサヒーム: 過越祭
4. シェカリーム: シェケルの献納
5. ヨーマ: 贖罪の日
6. スッカー: 仮庵祭
7. ベーツァー: 祝祭日にかんする規定 
8. ローシュ・ハ・シャナー: 新年祭
9. タアニート: 断食
10. メギラー: 巻物(プリム祭における「エステル記」の扱い方
11. モエード・カタン: 祝祭日中間の規定
12. ハギガー: 祝祭日の捧げ物

 「ローシュ・ハ・シャナー」にの典拠となる「聖書」の文言は、9つあがってますが、冒頭の「出エジプト記」と「レビ記」の文言を引用しておきましょう。

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい....」(「出エジプト記」 12・1~2)

主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい。あなたたちはいかなる仕事もさいてはならない。燃やして主にささげる捧げ物を携えなさい」(「レビ記」 23・23~25)

(出典:『ミシュナ Ⅱ モエード(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/長窪専三訳、教文館、2005)P.324~3325) 


 「ローシュ・ハ・シャナー」の本文は以下のようなものです。読んでもとくに面白いものではないですが、『タルムード』の「ミシュナ」とはこんなものだと知るくらいの意味はあるでしょう。

「ローシュ・ハ・シャナー」第一章

新年には4つある。ニサン[の月]の朔日(ついたち)には王のためと祭日のための新年。エルル[の月]の朔日には家畜の十分の一の捧げもののための新年。ラビ・エリアザルとラビ・シモンは言う。[それは]ティシュレ[の月]の朔日[である]。ティシュレ[の月]の朔日には、年のための、ヨベルの年のための、[樹木を]植えるための、および野菜のための新年。シェヴァト[の月]の朔日には樹木のための新年。[これは]シャンマイ派の言葉に従っている。[しかし]ヒレル派は言う。その[シェヴァトの月の]15日に。・・(以下略)・・

(出典:同上 P.329~330)


 ここまでいろいろ引用しましたが、ユダヤ教徒でなければ、正直いって面白くもなんともない記述が続きます。

 まあ、これが「律法」(The Law)というものの本質でしょうか。イスラームの『ハディース』も同様ですね。

 その規定を守る立場にいれば主体的な読みも求められるでしょうが、ユダヤ教徒でもムスリムでも、そのどちらでもないわたしのような人間は「縁なき衆生」、やはり「縁なき知識」にすぎないのかもしれません。


<参考書籍>

『ミシュナ Ⅰ ゼライーム(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/三好 迪訳、教文館、2003)
『ミシュナ Ⅱ モエード(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/長窪専三訳、教文館、2005)




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本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・『ハディース』からラマダーンにかんする記述を抜き書き

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・キリスト教の暦は太陽暦であり農事暦である

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ 「バイオダイナミック農法」(ビオデュナミ農法)としても知られている「シュタイナー農法」についても触れている。月や太陽の運行に従った自然農法である。


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2010年1月26日火曜日

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)




25年ぶり(!)にユダヤ・イスラエル関係書を片っ端から読んでいる。

 ダンボール箱に入れて眠ったままになっていた本の数々だ。昨年から集中的に、また断続的に読みふけっている。

 最近の粗製濫造される、つまらないビジネス書やあやしげな脳科学本を読むよりはるかに面白い(・・もちろん、すべてのビジネス書や脳科学本がダメなわけではない)。人生を生きるうえで不可欠な「生きた知恵」の数々を見いだすからだ。

 そんななかに再発見した一冊が、『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)だ。パラパラとページをめくるうちに、思わず再び全部読んでしまった。実に23年ぶり(!)に読んだことになる。


 著者自らの人生の軌跡を語りながら、「ユダヤ的思考法」、「ユダヤ的発想法」を、日本人のために惜しみなく披露した、著者41歳のときに日本語で書き下ろされた新書本だ。

 著者の春遍雀来(ハルペン・ジャック)氏は、本名はヘブライ語でヤアコヴ・ハルペルン、1949年西ドイツ(当時)のミュンヘン生まれ、イスラエル、フランス、ブラジル、アメリカと5つの国を移り住む。イスラエルでは漢字の魅力にとりつかれて、漢字研究のため来日、最終的に埼玉県に落ち着いて、ライフワークの独自の理論に基づく「漢字辞典」の編纂に従事。

 日本語含めて8つの言語を習得。イディッシュ語、ドイツ語、ヘブライ語、ポルトガル語、アラム語、英語、スペイン語に日本語。本書も最初から日本語で書き下ろされている。Wikipedia の記述を見る限り、まだ日本に住んでいて健在のようだ。


 自伝でもある本書『ユダヤ感覚を盗め!』によれば、13歳から18歳までユダヤ教学院であるイェシヴァ大学(ニューヨーク)で、『タルムード』による徹底的な研鑽を受けた、とのことだ。しかしながら、理詰めに考え続けた末に、ユダヤ教からは離れた、と本書で語っている。これ自体がユダヤ的だな、と本人は述懐している。


 いまから23年も前に出版された本であるが、まだまだ日本人はユダヤ人から学ぶべきことが多い、と痛感する。

 昨日は、書評『大使が書いた 日本人とユダヤ人』(エリ・コーヘン、青木偉作訳、中経出版、2006)において、日本人とユダヤ人は実に共通性が多い、という本を紹介したが、正直いって日本人を褒めすぎている。やはり、それだけでは偏った見方に陥ってしまう懸念がある。


 実際のところ、ユダヤ人と日本人のあいだには、かなり大きな相違点もあることは、強調しておく必要があるのだ。
 
日本人と比較したときのユダヤ人の優位性とは、ものごとを突き詰めて考えるという徹底性と論理重視の姿勢である。

 島国に生きてきた日本人と放浪の民となったユダヤ人が大きく異なるのは当然といえば当然である。であるからこそ、共通性があるのはうれしいことでもあり、また一方、相違点の大きさには本書が出版されてから23年たった今でもいっこうに埋まる気配もないという絶望感(?)に似た気持ちがないでもない。

 ユダヤ教の「口伝律法」である『タルムード』(Talmud)読解によって培われたこの精神は、詳しくは本書からの抜き書きをじっくり読んでいただきたいと思うが、いまごろになってロジカル・シンキングの重要性に気づいて焦りまくっている日本人とは大違いなわけなのだ。
 

 日本で日本語を使って活動するユダヤ人は実に多い。近年でいえば、ハンガリー出身のピーター・フランクルがもっとも活躍している人の一人だろう。国際的数学者でかつ大道芸人。

 ハルペン・ジャック氏も漢字研究のかたわら、「日本一輪車クラブ」を立ち上げている多芸多才の人である。ライフワークの漢字事典は、初志貫徹して『新漢英字典』(春遍雀来編、研究社、1990)として完成、出版されている。カネにもならない事業を投げ出すことなく貫徹した知力と精神力は並大抵のものではない。


 本書『ユダヤ感覚を盗め!』は、いま読んでも実に面白い。しかし残念ながら絶版になってひさしいので、参考のために目次を紹介しておく。

プロローグ ぼくの学校は「国境を越える人生」だった
第1章 意志力をつくる-ユダヤ人の父親教育
第2章 人生に生き残る-ユダヤ的知恵の活用法
第3章 独創を生む-タルムード頭脳開発システム
第4章 スキのない思考をつくる-ケンカ式論理育成術
第5章 出会いに学ぶ-異国体験と自分教育
第6章 誰もいわない-不思議大国日本の欠陥発想
第7章 世界が見える-国境を越える想像力


 私は、この本に書いてあったことは、ほとんどすべて実行してきたように思う。あらためて読み返してみて、そう思った。もちろん、すべてが身についたわけではないことはいうまでもない。だから23年ぶりに読み返してみて、非常に新鮮な印象を受けているのだ。

 いま日本のビジネス界では、ロジカル・シンキングの必要性が叫ばれており、セミナーもさかんに開かれているが、この本を読んで、実行したほうがはるかにためになる、と思う。もうすでに23年前に、最初から日本語で!書かれた本がでてるのに、ロジカル・シンキングがブームになるまで、いったい日本人はずっと眠りこけてたのかねー

 たまには、耳の痛い話を聞くことも時には必要だ。率直に語ることを傾聴するだけでは意味がない。著者のいうことに反論し、議論を戦わせることこそ、著者も本望とするところであろう。それが「対話」というものである。

 とはいえ、反論するも何も、内容を紹介しておかねばならない。

 いまから23年前の1987年に買って読んだ際、いろんなところに線を引きまくっているのだが、線引き箇所をあらためて抜き書きして、皆様にお見せしよう。

 興味のある方はぜひ目を通してほしいものだ。なんせ絶版で現在入手不可能なので。


<コトバの抜き書きノート>

第1章 意志力をつくる-ユダヤ人の父親教育

 ユダヤ人家庭に特徴的な父親教育の大部分は、こうした小さい頃から子供に聞かせる語りによって行われてきたのである。(P.42)

 「意志に勝るものはない」というのが父の生活理念であり、これはボクの人生観にもなった。(P.49)

(タルムードの表現から・・)
 「人間の目には白い部分と黒い部分があるのに、神はなぜ黒い部分を通してだけ物事をみるように人間をつくったbのだろうか」
 これも人間が人間自身を知るための「タルムード」一流の表現だが、これには次のような明快な答えが用意されている。
 「人生とは暗いところを通して明るいものをみるべきものだからである」(P.52-53)

 「敗北に耐え抜いた者が、真の勝利者になることを歴史は教えている」(P.53)

 ユダヤ人のビジネスマンの中には、かつて商売でさんざんな目にあったときの契約書を、オフィスの壁に飾っているという話もよく聞く。そこでは、ユダヤ人の発想は日本人のように「失敗を水に流して出直す」といものとは180度も異なっている。要するに、ユダヤ人にとって失敗や敗北は、それが苦痛をっともなったものであればあるほど、次の成功のためのステップとして、常に記憶に刻み込まれるものとしてあるのだ。(P.54)

 ユダヤ人の父親教育はある意味では神さまの教えを伝えることでもあるが、「目をつぶって神さまについていってしまうのはいけない、神さまの律法に照らして、自らを省みる意志を持つことが大切だ」ということを教える。
 ユダヤ人にとっては、自分自身の足で立つ意志と責任が、実生活の中では非常に重んじられるのである。・・(中略)・・要は自分の責任で生活上の約束事にはずれないように生きなさい、ということなのだ。(P.56)

 ユダヤ人たちが父親教育によって目指すものは、なによりも「生物」として生まれた子供を「人間」としての子供に成長させていくということだ。(P.72)


第2章 人生に生き残る-ユダヤ的知恵の活用法

ユダヤ人は「学問と商売」で生き残った(P.74) 

ユダヤ教徒の考え方では、学ぶことはそのまま善であり、聖なる務めである。人は一生涯学び続けて信仰を深めていくもの、というのがユダヤ教徒の考えだ。(P.75)

 損をしないこと、これは大きな知恵である。誰もが面倒だからといっておおざっぱにやっていること、それをおっくうがらずにひとつ緻密につきあってみようじゃないかということ。この精神が習い性になっていなくては、決して商売で成功することはないだろう。
 これをボクは、「徹底主義」とか「とことん主義」とかいっている。損をするのは、どこかで不合理なことをやっているからだ。問題をとことんまで追求し、最も合理的なことを見つけ出す。これが損をしない最良の方法なのである。(P.77-78)

 ユダヤ商人たちにとっては、商売の条件がマイナーな状態にあることが当たり前だった。だから、それをどう突き崩すかが商売を展開するにあたっての最大の課題になった。そこにひと工夫もふた工夫もひねった商売センスが要求されたのである。(P.80)

 条件が悪いから仕方ない、とはユダヤ人は考えない。ハンディがあるならば、どうしたらそのハンディをカバーできるかと必死になって考える。そしてハンディを抱えたままでも相手に勝つ方法を考える。それがユダヤ人である。(P.82)

 誰かの助けを期待すれば、そこですでに自力が放棄され、なんらの工夫も生まれる余地がなくなる。実人生に生き残ることは、現実に勝ち残ることである。マイナーな条件を突き崩す方法、そこに全神経を集中させることしかないことを知って欲しい。(P.82) 

 なにごとにも一貫して駆け引きが大切なのである。つまり、駆け引き精神が身体に染み通っていなくては、いざというときに人生を賭けた駆け引きはできない。(P.91)

 ユダヤ的知恵の特徴は、・・(中略)・・まっすぐに目的に向かって直線的に突き進む直線的なものではない。あるときはジグザグにあるときは螺旋状に旋回し、多方向への可能性を常に失わない、柔軟性に富んだものといってよいだろう。それは、国境を越えた往来や移住を当たり前としてきたユダヤ人の生き方と無縁なものではない。異国の地理的環境や天候・気象に慣れ、その土地の文化・風俗・習慣に素早く適応しなくては生活することのできなかったことから生まれた、当然の知恵のあり方だったのである。(P.92-93)

 これからは、日本の企業もますます生産拠点を海外に移さなくてはならなくなる。と同時に、日本に外国の企業がどんどん進出してくる。時代はまさにユダヤ人に絶好の展開期となっているのである。とすれば、その正反対の島国民族日本人は、果たして生き残れるのだろうか、と思わずにはいられない。(P.93-94)

 ユダヤ商人たちが商業のパイオニアとして生きることを運命づけられていったところで、どうやらユダヤ人の心は冒険精神として鍛えられていったようだ。ユダヤ人には、人のやらないことを率先してやる、ちょっと尻込みしそうなことでも思い切ってやってしまうという人がなかなか多い。(P.97-98)


第3章 独創を生む-タルムード頭脳開発システム


 神さまの祝福を求めながら、人間のことは人間の力で解決する、というのがユダヤ人の考えなのだ。(P.102-103)

 凄まじい頭脳開発システム=タルムード式教育の実際(P.104)

 音・リズム・コトバ・思考の調和が「脳力」を飛躍させる(P.108)

 タルムードを勉強する場合、そこでは音として、またリズムとしてのタルムードが、そして複数の言語が相乗するタルムードが、そして思考の複雑な回路としてのタルムードが、一つの全体として形作る調和を頭脳が受け止めていることになる。(P.110-111)

 タルムードは全63巻、1万2千ページ。紀元前500~紀元500年の間に語り伝えられてきた伝承を、何千人という学者が集大成したもので、伝承の起源は5000年を遡るといわれる。まさにユダヤ人5000年の知恵の集積庫であり、あらゆる分野にわたる情報の大海である。(P.113)

 タルムードのコトバはユダヤ教徒にとっては絶対的なものだが、重要なことは自分の頭を働かせなさいということなのだ。(P.113)

 学校人にすすめたいあらゆる可能性を追求するタルムード的思考 (P.113)

 そんなこと自明の理ではないか、というようにやらないところが、タルムードなのだ。とことんまで、考えられるあらゆる可能性について議論するのである。(P.116)

 知識と智識はまったく異なる頭脳の活動だ(P.120)

 タルムードにはいろいろな名言・格言が収録されているが、ボクは次のコトバをぜひ日本人にお勧めしたいと思う。
 「貧乏な人に魚を一匹やれば、その人はその日だけは助かるけども、魚の釣り方を教えてあげればその人は一生助かる」
 ・・(中略)・・つまり「知」は「ある情報を知る」という単純な動作だけを表しているが、「智」は「知恵」を含み、考え、応用するという動作を表しているのである。
 ・・(中略)・・
 ところでなぜこのコトバをとくに「日本人に――」というのかというと、日本人の多くがどうも目先の知識、テクニック、ハードにご執心の一方で、自分で身につける知識=知恵としてのアート、ソフトの方面に弱いという現実を感じるからなのだ。
 もしかして、日本人は誰かが釣り上げた魚を工面してきて日々を暮らしているのではないのかな? もしそうならば、魚をいつまでも工面できるとは限らない。本当に魚の釣り方を自分のものにすることこそが、日本人の課題となってくるのではないだろうか。(P.120-122)

 タルムードを勉強する目的は、なにかをそこから得るとか、なにかを身につけるためというのではなく、それがミツバ(善行)だからである。そしてタルムードの議論、タルムードで展開されていることそのものを学ぶのである。学ぶこと、それだけが目的なのだ。
 とはいっても、実際そこからはたくさんのものを得ることができるし、身につくものがいろいろあることは当然のことである。
 第一に、複雑な構造のものを分析する力が格段につく。これは凄いものだ。なにしろ、「究極の複雑」ともいうべきタルムードの絡み合った論法と取っ組み合いをするのだから、いやでも分析力がつくわけだ。専門的な構造分析、言語分析、精神分析、経済分析などを十分にこなせる素地ができる。ものごとの全体を一つのシステムとして見る力もこれで養われる。
 また、まるで底なし沼のようにどこまでも深く突っ込んでいくタルムード論理に懸命についていくわけだから、推論の方法のさまざまなバリエーションを覚えることになる。論理の筋道がいくつもあるため、ははん?これだな、といって行ってみると違っていた、これかな思って行ってみても違う。そんなとことから、推論の立て方、進め方が自然にわかってくるようになるのである。この応用範囲は限りなく広い。推理小説の謎解きなどお手のもの、数学や物理に、経済に哲学にと、いくらでも活用することができる。
 ・・(中略)・・そして、すべてについていえることは、限界を突破する創造的な思考、行き詰まりをパッと乗り越えてしまうヒラメキ思考を生み出す回路への入り方、通り方が見えてくる。それはとことんまで追求する結果のことだが、その「とことん」という地点がどこなのかの感じがよくわかるのだ。
 まあ、こんな具合にいいことづくめなのだが、ボクは真面目な話、タルムード頭脳開発法は、人間の教育の基本的な方法として応用できると思う。別にタルムードに即して勉強するというのではない。盗むべきはタルムード式のやり方である。(P.122-124)


 いやいや、まだ全体の半分も終わってないのだが、きりがないのでここでやめておこう。キーボードに手入力で打ち込み写す作業は、「写経」みたいなもんだなあ。デジタル写経、か。
 正直いってくたびれたけど、あらためて指を通じて、アタマのなかにたたき込まれた思いがする。

 ただ、第6章 誰もいわない-不思議大国日本の欠陥発想 から一カ所だけ引用させていただく。

 なぜ、日本人はこんなにもソフトに弱いのか?
 自分でプログラムを組んでいてわかることは、これはまさしくタルムード思考の、例の複雑な論理そのものの現実化ではないか、ということである。ある条件ではこうしてみる、ある条件ではこんなふうにするということが、複雑に関連し合って絡み合うことが、本当にタルムード的なのである。だから、当然ボクにはプログラミングがぴったりくるのだろう。(P.188)

  (* 太字強調部分は引用者による)

 
 ざっと、抜き書きを読んでいただいて、どんな感想をもっただろうか。 

 2010年現在、著者の発言は、すでに時代遅れとなっているといえるだろうか・・・


 いまから23年も前に出版された本であるが、本書を再読して思うのは、まだまだ日本人はユダヤ人から学ぶべきことが多い、ということだ。

 日本人が書いたユダヤ本は多数あるが、ユダヤ人自身が日本語で書いた本書は実に貴重な一冊である。


 ますます進展するグローバル化は、もはや不可逆の流れと行っても言いすぎではないだろう。複雑化する国際社会のなかで生きるしかない日本人にとって、大いに参考になるアドバイスに充ち満ちている。

 こんなに中身がつまっていて有用な内容に充ち満ちた本書を絶版のままにしておくのは実に惜しいではないですか!

 「復刊ドットコム」で運動を起こしましょう。私が本書『ユダヤ感覚を盗め!』の復刊リクエストを行いましたので、「復刊リクエスト」ページを訪れてみて下さい。

 そしてぜひ「清き一票」を! もしかしたら復刊されるかもね・・・






P.S. 「タルムード」研究の映像化


 ちなみに「タルムード」研究がどういうものかについては、ハリウッド女優で歌手のバーブラ・ストライサンドが監督・製作・主演・歌唱のすべてを行った、1983年度のミュージカル映画作品『愛のイエントル』(Yentle)をご覧になっていただきたいのだが、日本ではDVDがまだ販売されていないのが残念だ。ビデオがまだレンタルできるかどうかもわからないので、YouTube でトレーラー を見て欲しい。米国版の DVD はこちら。

 原作は、イディッシュ文学の巨匠イツハク・バシェヴィス・シンガー(I.B. Singer)の短編小説 Yentle, the Yeshiva Boy である。ユダヤ人世界では、学問がまだ男にしか許されなかった時代、禁断の学問の世界に憧れ、ユダヤ教学院(イェシヴァ)に男装して潜り込むことに成功した19世紀東欧のユダヤ女性の物語。

 自らもユダヤ系(ドイツ)であるバーブラ・ストライサンドが、圧倒的な歌唱力と演技によってにによって歌いあげる、亡き父親へに捧げられた作品。原作は基本的に「倒錯した性」を扱ったコメディとしての色彩が強いが、この原作に惚れ込んでいたバーブラ・ストライサンドの解釈で、人間の根源的欲求である、知へのやみがたい思いと、精神の自由への限りない憧れを謳い上げたこの映画は、感動的な作品となっている。

 舞台は19世紀のポーランド、実際のロケはチェコで行われたらしい。冒頭シーンに登場するのはプラハのカレル橋である。自然描写もまた実に美しい。
 とくに挿入歌の Papa Can you Hear Me? は感動的で、素晴らしい!YouTube にて。ラストシーンの、「約束の地」であった新天地・米国に渡る船上で歌われる主題歌 A Piece of Sky も。YouTube にて。父親に捧げたこの作品は、同時に米国への愛を歌ったものでもある。
 バーブラ・ストライサンドのファンである私は、アルバム Yentle も聴きこんだものだが、この CD も日本版はすでに廃盤というのは残念。米国版は入手可能である。


 




(2012年7月3日発売の拙著です)








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