「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル カオス理論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル カオス理論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年12月30日土曜日

書評『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)ー きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある



『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)というタイトルの本が5年前の2012年に出版されている。

いまからちょうど500年前の話であるから、2017年に出版したら、もっと売れただろうにと思いながら、こういう本は2017年内に読んでおきたいものだと思っていた。いやむしろ、2017年になるまで、5年間読むのを待っていたというのが正直なところだ。読むのを楽しみにしていた。

内容は、一言で要約してしまえば、「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」といっていいだろうか。

これではあまりにも抽象的すぎるので、もうすこし具体的に書籍内容について触れると、「きわめて大きな変化」とは、15世紀以降に西洋文明において一大潮流として発展し、ついには19世紀から20世紀にかけて猛威を振るった「唯物論」のことであり、「きわめて小さな偶然の出来事」とは、「唯物論」的な思考の萌芽が記された古代ローマの哲学書が「再発見」されたことを指している。

(15世紀ボッティチェッリの「春」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

「再発見」ということは、15世紀まで約千年にわたって誰一人として知る人もなく埋もれていたということ。イタリア人の人文学者で古書マニアの男が、とある修道院の書庫のなかにその写本を見つけなければ、その後も知られることもなく埋もれ続けた可能性があった。つまり、千年にわたる「断絶」があり、歴史は「連続」していないということなのだ。

「再発見」したイタリアの人文学者の名は、ポッジョ・ブラッチョリーニ。といっても無名に近い存在だが、彼はローマ教皇ヨハンネス23世の下で、秘書官・書記として仕えていた。15世紀当時、文字が読めて筆記できるものは、きわめて少なかったことに注意しておきたい。

「再発見」した場所は、南ドイツの修道院の書庫(アーカイブ)だ。失職後のポッジョが自分の趣味の古写本探索のために数多くの修道院を訪問したが、なぜかその南ドイツの修道院にはキリスト教関係以外の羊皮紙写本も残されていたのだ。

(15世紀ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

書庫のなかから探り出したのが、紀元前50年頃に書かれた詩人ルクレティウスによる『物の本質について』(De rerum natura)であった。ラテン語で記されたものだけに、「再発見」も可能だったのであろう。当時の西欧世界はラテン語が文字言語であった。

『物の本質について』は、ヘレニズム期のギリシア人哲学者エピクロスの原子論をベースにしたものだ。先にもみたように、19世紀の「唯物論」の先駆である。キリスト教の神中心ではなく、あくまでも人間中心の世界観を描いたもの。岩波文庫版の日本語散文訳で300ページ以上もある長編だ。

一人の古書マニアが「再発見」した本は、さらに写本が作成されて広まっていく。グーテンベルクによる印刷術発明以前のことであることにも注意しておきたい。その写本がさらに筆者されて多くの人びとを魅了し、ルネサンスへ、さらには近代科学へと影響を拡大していくことになる。

もしこの「再発見」がなかったなら、近代科学の発生はなかったかもしれない。じっさい、15世紀当時には高度文明であったイスラーム世界から近代科学は生まれなかったし、ユダヤ教からも生まれてこなかった。もちろんキリスト教からも生まれてこなかったであろう。仏教その他の宗教からも同様だ。


原著タイトルは、 The Swerve: How the World Became Modern, 2011 直訳すれば、『逸脱-いかにして世界は近代になったか-』となる。では、「逸脱」とは、何からの「逸脱」か?

それは西欧中世を支配してきたキリスト教からの「逸脱」であった。キリスト教から排除された原子論という唯物論、である。

古代ギリシアやローマの遺産は、地中海地域の南側を征服したイスラーム勢力によって、アラビア語に翻訳され貪欲に吸収されていった。アリストテレス哲学が、アラビア語からラテン語に再翻訳され西欧キリスト教思想に多大な影響を与えたことは教科書的知識として知られている。聖トマス・アクィナスの『神学大全』は、アヴィセンナ(=イブン・シーナー)やアヴェロエス(=イブン・ルシュド)のアリストテレス解釈がなければ成り立ち得ないものであった。

だが、おそらく後世の唯物論につながる原子論は、イスラーム側で選択的に排除されたのであろう。アラビア語に翻訳されることがなかったのである。だからこそ、埋もれたまま知られることなかったのだ。シェイクスピア研究が本職の著者は、この点についてはなんら言及していないが、西洋人ではない日本人読者にとっては重要なことだ。

本書でよくわからないのは、ルネサンス期に主流となったネオプラトニズムとの関係だが、思想史の本ではないので、そこまで求めるのは酷と言うべきかもしれない。また、「唯物論」の歴史については、別の本をひもといてみなければならないだろう

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」ということは、あらためて強調しておいたほうがいいだろう。古代ローマの長編詩を写本のなかから「再発見」し、それを広めようとした本人も、まさか原子論が唯物論を生み出し、20世紀の世界史を激動のなかに投げ込もうとは予想だにしなかったであろうからだ。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の歴史は変わっていたであろう」と書いたのは、17世紀フランスの科学者で哲学者のパスカルだが、その仮定が妥当であるかは別にして、そんなことはクレオパトラ自身のまったくあずかり知らぬことであったのは間違いない。

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」とは、カオス理論でよく引き合いに出される「バタフライ効果」のようなものだが、後世にいかなる大変化がもたらされるかなど、現在に生きる人間にはまったくわからない。あくまでも後世から振り返ると、それが出発点であったとわかるだけだ。事後的な確認事項である。

だが、大変化を引き起こすことになった偶然の出来事について書かれた物語を読むのは面白い。著者のストーリーテリング能力もすばらしい。最初はやや退屈な感があったが、読み進めるに従って面白くなっていく。そんな本である。





目 次

序
第1章 ブックハンター
第2章 発見の瞬間
第3章 ルクレティウスを探して
第4章 時の試練
第5章 誕生と復活
第6章 嘘の工房にて
第7章 キツネを捕らえる落とし穴
第8章 物事のありよう
第9章 帰還
第10章 逸脱
第11章 死後の世界
訳者あとがき
解説 池上俊一
註
参考文献
索引





著者プロフィール

スティーヴン・グリーンブラット(Steven Greenblatt)
1943年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学教授。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』でピュリッツァー賞、全米図書賞受賞。著書にはこのほかに日本語訳されているものとして、『シェイクスピアの驚異の成功物語』、『ルネサンスの自己成型-モアからシェイクスピアまで』など多数ある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


日本語訳者プロフィール

河野純治(こうの・じゅんじ)

1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>


「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語

書評 『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)-出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2011年8月18日木曜日

『うずまき』(伊藤潤二、小学館、1998~1999)― 猛暑で寝苦しい夜にはホラー漫画でもいかが?


 このホラー漫画の主題と主人公は「うずまき」そのものである。

 「うずまき」とは漢字で書けば「渦(うず)巻き」である。

 自然界に存在する「うずまき」が。これでもか、これでもかと登場して、人間の主人公・五島桐江(ごしま・きりえ)とその周辺の登場人物が、つぎからつぎへと「うずまき」に巻き込まれていくというホラー物語だ。

 よこぞこれだけ「うずまき」だけで、20話も描いたと思うのだが、読んでいるうちに、こちらもだんだんと目が回って気分が悪くなってくる。

 マンガに登場する「うずまき」は、自然に存在する物でいえば、植物のぜんまい、かたつむりなどの巻き貝、蛇のとぐろ、人間の耳の内耳(ないじ)。自然現象としては竜巻に台風、鳴門の渦潮(うずしお)など。

 人工物なら、カールした長い髪の毛、ばね(=スプリング)やぜんまい(金属製)、灯台のらせん階段もまた自然界を模倣したものだ。

 赤塚不二夫の『天才バカボン』の主人公バカボンのほっぺたにも「うずまき」が! だが、残念ながら(・・いや当然ながら?)、このマンガにはでてこない。また、「アース渦巻」という商品もあったが、なぜか、蚊取り線香はこのマンガにはでてこない。


■「うずまき」に巻き込まれていく感覚、吸い込まれていく感覚

 自然界に存在する「うずまき」でもっとも危険なものといえば、鳴門の渦潮や竜巻や台風だろうが、周辺から中心にむかってらせん状に巻き込まれていくのが、ホラー(恐怖)が発生する源泉なのだ。中心に吸い込まれていくという感覚。

 そうそう、「うずまき」を描いた作品といえば、米国の詩人で小説家 エドガー・アラン・ポー(Edgar Alan Poe)に「メールストローム」(Maelstrom)というホラー短編小説がある。ノルウェーの沖に発生する渦潮の恐怖を扱った作品だ。ちなみに、エドガー・アラン・ポーから江戸川乱歩というペンネームがつくられた。

 逆にいえば、うずまきは、中心かららせん状に回転しながら拡大していく構造をもっているのだが、その中心はじつは固定しているわけではなく、中心そのものが連続的に発生してくる。泉の水がわき出てくるように。

 そう、うずまきはカオスである。混沌という訳語がつけられがちなギリシア語のカオス(Χάος : chaos)は、反秩序を意味するアンチ・コスモスではなく、そこからすべてのもの生成してくる原点である。

 物理学のカオス理論でいえば、ベナール対流というやつだ。このマンガの主人公の男友達の父親のように、試みにコップのななの水をおはしをつかってかき混ぜてみたらいい。すぐに渦が生成されるのを目撃することになるだろう。

 うずまき(渦巻き)を意味する英語は vortex(ヴォルテックス)という。渦巻きや旋風を意味するコトバだが、転じて社会運動などの渦巻きも意味するようになっている。He was drawn into the vortex of politics [revolution, war]. 彼は政争[革命, 戦乱]の渦中に巻き込まれた. という例文が『研究社 新英和中辞典』 にあがっている。



■マンガの解説は初出情報などの書誌以外は不要ではないか?

 わたしが読んだ『うずまき』は、2010年に刊行された合冊版だが、巻末の佐藤優による解説は不要だろう。

 ムリヤリ資本論と格差社会に結びつけようとする牽強付会(けんきょうふかい)な文章で、こういう文章は黙殺していっこうにかまわない。こういう解釈でマンガを読むのはひとつの読み方ではあるが、邪道というものではないか? 解釈の幅があまりにも狭すぎるからだ。版元の小学館もどうかしているのではないか?

 そもそもマンガであれ小説であれ、意図的にプロットを設定して執筆に取りかかったところで、作者自身のうちなる無意識が作用して、かってにキャラクターが動いてゆくものだ。いったん作者の手を離れたら、作品をどう読もうが読者の勝手である。

 だから、資本主義うんぬんよりも、集合無意識の世界観を描いた作品とうけとるのが素直な態度だろう。

 うずまきは自然界にフツーに存在するものあるのにかかわらず、気になりだすと、すべてのうずまきに追いかけられるようになっていく。催眠術のように。


■巻き込むとは? 巻き込まれるとは? 

 むしろ現在では、意識的に「巻き込む」ことの意味さえ考えたくなるのが、ソーシャルネットワーク時代に生きるわれわれである。一方的に巻き込まれているというわけではないだろう。あるいは「マキコミ」とカタカナ書きで表記することもある「巻き込み」。

 有名なものでは、デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」(TED Youtube 映像)がある。これは、鳩山前首相が首相を辞任した直後のツイートで、「裸踊り」として有名になった映像。ある一人のイノベーターからフォロワーが生まれていくプロセスを映像にしたものだ。


 『うずまき』はホラーといえども、なんだか不思議な笑いを含んだ作品である。読者は純粋に恐怖と覚えると同時に、こんなのあり得ないことだと、笑いつつ突き放して読めばよい。

 そういうわたしも、ちょっと余計なことを書きすぎたようだ。まずは、先入観なしで読んで恐怖を感じることだろう。きょうみたいな、猛暑日で寝苦しい夜には。


(画像をクリック!)



<関連サイト>

デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」(TED Youtube 映像)
・・鳩山前首相が「裸踊り」としてツイートして有名になった映像。人の「巻き込み方」とは?-これをある一人のイノベーターからフォロワーが生まれていくプロセスを映像にしたもの

天才バカボン 入り口 - 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!!
・・バカボンとはじめちゃんのほっぺたに「うずまき」が!(笑)


<ブログ内関連記事>

スワイン・フルー
・・E.A.ポーの「赤死病の仮面」に言及

なぜいま2013年4月というこの時期に 『オズの魔法使い』 が話題になるのか?
・・竜巻によって魔法の国に飛ばされたドロシー

米倉斉加年画伯の死を悼む-角川文庫から1980年代に出版された夢野久作作品群の装画コレクションより
・・「探偵小説」の世界の同時代人・夢野久作

(2014年8月29日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end