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2023年9月21日木曜日

四半世紀ぶりに井筒俊彦の『ロシア的人間』(初版1953年)を読み直してみた(2023年9月)- 内容が古びることのない「文学に現れたるロシア思想の研究」とでもいうべき古典的名著


 
ひさびさに井筒俊彦の『ロシア的人間』(中公文庫、1989)を読み返してみた。約四半世紀ぶりである。イスラーム哲学の研究者として著名な著者による異色の著作である。

中公文庫(旧版)で『ロシア的人間』を読んでからすでに四半世紀近い。弘文堂から初版がでたのは奥付によれば1953年(昭和28年)2月20日、独裁者スターリンは現役であった。

スターリンが急死したのは、その翌月の1953年3月5日のことだ。スターリンの急死の報を受けて、日本の株式市場では「スターリン暴落」が発生している。日ソ国交回復は1956年10月のことである。

単行本として復刊されたのち、中公文庫版として文庫化されたのは1989年1月、ソ連が末期的状況となっていたが、いまだ崩壊していなかった。井筒俊彦もまだ存命であった。ソ連が崩壊したのは1991年のことだ。

だがそんな状況にあった1953年においても、1989年においても、ソ連ではなく、あくまでもロシアと表記していたことに意味がある。

当時の日本では、ソ連をロシアと言い換える人は、きわめて少数派であった。だが、TIME誌など英文雑誌では  USSR でも Soviet Union でもなく、つねに Russia と表記していた。英語圏の人間は本質を突いていたのだ。井筒俊彦もまた本質を見抜いていたわけである。




わたしがこの本のことを知ったのは、大学の学部時代のことだ。

井筒俊彦といえば『イスラーム思想史』の著者であったが、古代ギリシア語を駆使して『神秘哲学』を書いているだけでなく(この本を入手して、読んでいたのも大学時代のことだ)、なんとロシア語を駆使して『ロシア的人間』なんて本まで書いているのか、と。驚異的としかいいようがないな、と。

大学の図書館で検索カードをめくって(・・かつて図書館には検索用のコンピューターなど導入されてなかったのだ!)、図書館の蔵書には『ロシア的人間』は何冊もあった。弘文堂による初版である。おそらく研究室単位で購入したものが、教員の退官とともに図書館に返却されたのだろう。

だから、はじめこの本に触れてから、すでに40年以上たっている。その後、初版の『ロシア的人間 ー 近代ロシア文学史 ー』(弘文堂、1953)は、ネットオークションで安価に手に入れることができた。基本的に中公文庫版と本文に違いはない。


■19世紀はロシア文学の全盛期

なぜ井筒俊彦が「19世紀ロシア文学」にのめり込んでいたのか?

もちろん、ロシア文学が現在よりはるかに多くの日本人に読まれていたという時代背景もあるだろう。だが、なによりも井筒氏がもっとも深入りしていたドストエフスキーを中核とする「19世紀ロシア文学」に、第2次大戦後に大流行した「実存主義」の先駆けを見ていたこともあるようだ。

「実存」というべきか、「存在」というべきか、『神秘哲学』の著者は、生涯にわたって人間存在の根底にうごめくカオスを凝視しつづけた人であった。

『ロシア的人間』は、もともと慶應義塾大学通信制のテキストとして2分冊で出版されていたらしい。慶應義塾大学文学部の英文科に席をおきながら、言語学だけでなくロシア文学まで講じていたという。

第5章から第14章までは「各論」ともいうべきもので、個々の文学者について取り上げられている。自分が好きな作家がどう扱われているか、そんな観点から読むのもいいだろう。

取り上げられた作家は、ロシア文学の開祖ともいうべきプーシキンからはじまり、 初期のレールモントフとゴーゴリ、最終的に無神論に行き着いた評論家のベリンスキー象徴派詩人のチュツチェフ、きわめてロシア的な作家のゴンチャロフ、西欧派のトゥルゲーネフ全盛期の大作家トルストイとドストエフスキー、そして帝政時代の最後をしめくくり、つぎの時代への橋渡しとなったチェーホフである。 

著者としては、ほんとうは実存的な関心からドストエフスキーだけでまるまる1冊書きたかったのではないかと思う。全編にわたって通奏低音として流れているのがドストエフスキーである。

「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深淵に惑溺する」とは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にでてくる有名なフレーズである。井筒俊彦はこのフレーズ引用して、自分の父親はそんな人だったと『神秘哲学』に書いている。

そもそも人間とは矛盾に満ちた存在だが、ロシア人はとくにその傾向がつよいのかもしれない。ロシアという存在は、ある種の日本人に特有の単細胞な教条的思考や希望的観測をつねに裏切る存在である。

日本人読者にとって、ほとんどなじみがないのが象徴派詩人のチュッチェフだろう。おそらくいまだ一編も日本語訳されていないのではないか。

チュッチェフだけではないが、『ロシア的人間』には井筒俊彦自身による日本語訳が掲載されている。『神秘哲学』の著者であり、ロシア語でロシア文学を読み込みんだ井筒俊彦だからこそなせるわざというべきだ。そして、間違いなく井筒氏の好みの詩人なのである。

ドストエフスキーのフレーズに先行するのが、チュッチェフの有名なフレーズ「ロシアはアタマでは理解できない」(Умом Россию не понять:ウモーム・ラシーユ・ニェ・パニャーチ)である。このフレーズは、すでに誰が作者かわからないほど一般化している。

まったく相矛盾する自己認識が同時に両立しているのがロシア人のメンタリティーなのである。われわれの尺度でロシアを理解しようとしても、どだい無理な相談なのである。


■「文学に現れたるロシア思想の研究」とでもいうべき古典的名著


井筒俊彦の『ロシア的人間』は、津田左右吉の著書をもじっていえば、『文学に現われたるロシア思想の研究』とでもいうべき内容である。「ロシア的人間」の「ロシア思想」、さらにいえば「ロシア神秘主義思想」というべきか。

ロシア語には精通していたが、この本を書いたときもそれ以後も、著者にはソ連(=ロシア)への渡航経験はないのである。あくまでも「19世紀ロシア文学」をロシア語の原文で読み解くことで、「ロシア的人間」を探求してみせた内容なのである。

全編をつうじてキーワードとなる概念は、以下のようなものだ。

ロシア文学、ロシア人、ロシア神秘主義、キリスト教、東方正教会、キリスト教、カオス、ディオニュソス的、黙示録、終末論、無神論、第三のローマ、奴隷の宗教、などなど。

総論ともいうべき「最初の4章」で上記の概念が繰り出されている。「総論」こそ繰り返し読むに値する

第1章 永遠のロシア
第2章 ロシアの十字架 
第3章 モスコウの夜 
第4章 幻影の都

ロシアを考えるにあたって重要なことは、13世紀から約240年にわたってモンゴルの支配下にあったこと、いわゆる「タタールのくびき」といわれているものだ。*

*ただし、これはロシア側からの見方であって、モンゴル帝国のジョチ・ウルス(=キプチャク・ハーン国)の支配のもとでは、過酷な支配はなかったというのが近年の定説である。

だが、異民族支配から脱したあとも、1861年に解放されるまで「農奴制」がつづいていたことを忘れてはならない。諸外国とは違ってロシアの場合、モスクワにいる一握りのロシア人が、支配者として圧倒的多数のロシア人を奴隷化していた時代が、約2世紀にわたってつづいたのである。そういえば、チェーホフの祖父も農奴であった。

モンゴルの支配をあわせると、約5世紀にわたって奴隷時代がつづいたことになる。*この意味を過小評価することなどできはしない。国民性、あるいは民族性に大きな刻印を記しているといっても過言ではないだろう。

*ロシアで「農奴制」が確立したのは1647年であり、廃止されて農奴が解放されたのは1835年。正確にいうと200年のことである。とはいえ、農民の自由がきわめて制限されていたことは否定できないことだ。


首都をモスクワから、「西欧の窓」とよばれたサンクトペテルブルクに強引に移転したピョートル大帝の存在なくして、「19世紀ロシア文学」は生まれなかったのである。プーシキンからチェーホフにいたる「19世紀ロシア文学」は、「サンクトペテルブルク文学」でもある。


■じつはきわめてアクチュアルなテーマを語っている

17世紀後半から18世紀前半にかけて生きたピョートル大帝は、積極的に西欧化を推進した天才的政治家であったが、その一方できわめてロシア的な専制君主でもあった。「第4章 幻影の都」から引用しておこう。

彼はあくまでもロシアの天才、ロシアの英雄であった。中庸の徳なるものを絶えて知らぬロシア魂の象徴的顕現としてのみ初めて正当に理解できる人物。すなわち彼は最もロシア的な暴力革命の権化(ごんげ)なのである。

1953年の時点でこう断言しているのである。ソ連礼賛があたりまえであった日本の知識人のなかでは、きわめて例外的な姿勢といえるかもしれない。引用をつづけよう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

事実、ピョートル大帝は生まれながらの革命家、徹頭徹尾ロシア的な天成の革命家であった。彼はテロリズムの積極的建設的意義を認めて、これをロシアの政治史に実践導入した最初の人物である。彼にはロシアの運命に関する遠大な計画があり、人類の未来について真に予言的な見通しがあった。(・・・中略・・・) テロリズムの仮借なき行使が、必然的に無辜(むこ)の人民の血を流し、無数の人々からその個人的幸福を奪わずには済まないにしても、全ロシアの未来のために、この人道的悪は偉大なる「善」となる。(・・・中略・・・)
まぎれもなく、この道を行くピョートル大帝はレーニンの先駆者、18世紀のレーニンであり、彼の決行した暴力的な国政改革は、コミュニズムの暴力革命の原型であった。

さらにテロリズムにかんするトロツキーの発言を引きながら、つぎのように議論を展開している。

つまり人を惨殺することそれ自体に善悪があるのではなく、ただ何のために殺すかという目的の如何(いかん)によって殺人の善悪が決まると言うのである。だから、その目指す目的が正義と真理である以上は、目的実現を阻害しようとする一切の敵に対してどんな種類の暴力を振るっても正しいのだ。(・・・中略・・・)
トルストイとは反対に、ドストイェフスキーは、良きにつけ悪しきにつけ、ピョートル大帝とその事業の深刻な結果を生涯の最後まで最大の関心事として考え続けた


きわめてアクチュアルな発言であると言えるのではないだろうか。ソ連崩壊後の21世紀のロシアを考えるにあたっても、説得力のある指摘というべきである。

しかしながら、スターリンへの言及がまったくない。現在の日本人なら、まずはレーニンよりもスターリンを想起するだろう。だが、スターリンはレーニンの思想の忠実な継承者であったので、あえてその名前を出す必要はなかったのかもしれない。

先に見たように、この本が出版された1953年2月時点ではスターリンはいまだ健在であった。フルシチョフによるスターリン批判」は、スターリンが急死した翌月から3年たった1956年のことである。この年の10月には「ハンガリー動乱」が発生している。


(『ロシア的人間』初版の「奥付」)

レーニンやトロツキーへの言及はあるが、スターリンについて言及していないのは、存命中の人物ゆえ出版社サイドからの要請があったのかもしれない。

とはいえ、井筒俊彦のこの記述から、なによりもソ連体制の開祖はレーニンであり、レーニンの方針がすべての原点であったこと、そしてさらにその原型がピョートル大帝であることがわかる。あえてスターリンについて言及しなくても、スターリンがレーニンの直系であることは自明の理としているのであろう。

アジア主義者の大川周明の要請のもと、戦前からアラビア語によるイスラーム研究に従事していた井筒俊彦である。いわゆる「転向」とはいっさい無縁であった。そもそも、共産主義的世界観とキリスト教的終末観の共通性を見ている井筒氏である。当然といえば当然だろう。

戦前から戦後にかけて、その姿勢にブレはないようだ。というよりも、自分の関心事が最優先で、それ以外のことは基本的に無関心だというべきかもしれない。天才の天才たるゆえんである。


■「語学の天才」であった井筒俊彦だが、なぜロシア語なのか?

『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)の編者である坂本勉氏の「序 イスラーム学事始めの頃の井筒俊彦」に興味深い記述がある。

この時期(1937年~1945年)に先生は起きてから寝るまで一日中、アラビア語の生活に明け暮れたということを後になっていろいろなところで回想しています。しかし、それと並んでロシア語にもこの時期に打ち込んでいます。想像するに、これはムーサーといっしょに勉強していくのに、英語が通じないということもあったのでしょうか。(・・・中略・・・)私自身はムーサーとの実践的な会話という必要性こそが、先生をロシア語の学習に駆り立てたのではないかと推測しています。


アラビア語とイスラームの師であった、ロシアはロストフ州生まれのタタール人学者ムーサー・ジャールッラーと会話するため、実用的な目的からロシア語に専念したという推測。これは大いに説得力がある。そのロシア語を駆使して読み込んだロシア文学に、ロシア神秘主義思想の発見と共感と没入が生じたと考えれば納得がいくのである。

メソディスト派のミッションスクールである青山学院中学出身の井筒俊彦にとって、アメリカ英語は得意中の得意だった。

チュッチェフを軸に『ロシア的人間』をとりあげているのが、ソロヴィヨフ研究者の谷寿美氏による「『ロシア的人間』ー 全一的双面性の洞察者」である。上掲の『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)に収録されている。


■『ロシア的人間』の原型である『露西亜文学』

『ロシア的人間』は、もともと慶應義塾大学通信制(?)のテキストとして2分冊で出版されていたらしい。『露西亜文学』が慶應義塾大学出版会から2011年に復刻されている。




それぞれの章ごとに、受講する学生向けの「研究課題」が設問の形で掲載されている。この設問を読むと、なにを読み取るべきか、井筒俊彦がロシア文学になにを見ていたかがわかるのである。参考のために引用しておこう。

第1章 露西亜文学の性格 

研究課題
⑴ 露西亜文学は何故ひとに沈鬱な印象を与えるのか。 
⑵ 露西亜的人間の性格がディオニュソス的であるとはどういうことか
⑶ 露西亜の自然露西亜的魂の関聯を説明せよ。
⑷ 露西亜文学はどのような意味で哲学的人間学なのか。

第2章 露西亜の十字架

研究課題
⑴ 韃靼人侵入の精神史的意味を述べよ。
⑵ 「露西亜の黙示録」とは何か。
⑶ 共産主義的世界観は基督教的終末観と如何なる関係にあるか。 

第3章 ピョートル大帝の精神

研究課題
⑴ ピョートル大帝の精神史的意味を説明せよ。
⑵ 「第三のローマ」とは何か。


慶應義塾大学出版会から復刻された『露西亜文学』には、あらたに発見されたという「附録 ロシアの内面的生活 ― 十九世紀文学の精神史的展望」が収録されている。

また、ドストエフスキーの新訳で話題になった亀山郁夫氏による「解題」は本書にはふさわしい。なぜなら、井筒俊彦のロシア文学理解の根底にはドストエフスキーがあるからだ。

すでに言及しているが、自分の父親の複雑な性格について、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』から「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深淵に惑溺する」というフレーズを引いてくるくらいだから。


■経済学でいう「経路依存性」はロシアについても当てはまる

1953年に初版が出版された『ロシア的人間』は、すでに70年前の著作である。先に述べたように、『文学に現れたるロシア思想の研究』とでもいうべき古典的名著だといってよい。

「19世紀ロシア文学」の作家論として、あるいはロシアという複雑な存在について考えるため、さまざまな読み方が可能な著作として、今後も読み返される価値のある本である。

1989年の中公文庫(旧版)の「後記」で、井筒氏はこう記している。

ペレストロイカという新しい文化理念の導入によって、今、ロシアはその面貌を変えつつある。おそらくこれからのロシアは、新しい文化パターンの創出に向かって大きく旋回していくことだろう。だが私が本書で描き出そうとした。ロシア人の魂の奥底にひそむ根源的人間性だけは、そうたやすく変わらないだろう。

時代はさらに旋回し、1991年にソ連が崩壊してロシアが復活し、さらに旋回してプーチンの独裁体制がつづいている。つまりロシアの地肌がふたたび露出するようになっているのである。

1993年に亡くなった井筒俊彦が、ロシアの行く末まで見通していたかどうかはわからない。だが、いずれにせよロシアという存在が、ロシア以外の尺度で測ろうとしても困難なことには変わりない。

経済学でいう「経路依存性」(path dependency)は、当然のことながらロシアについても当てはまるのである。なぜならロシアは、ロシア人によって構成されているからだ。

1917年のロシア革命によって誕生したソ連は、1991年に崩壊した。約70年にわたってつづいたのある。ソ連時代を払拭するのには最低でも70年はかかるであろう。2023年の現在はいまだ30年を経過したに過ぎない。

いや、「タタールのくびき」から始まる5世紀にわたる「奴隷時代」を考慮に入れれば、ロシアは変わらないというべきかもしれないのである。

 
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目 次 (中公文庫の旧版)
序 
第1章 永遠のロシア
第2章 ロシアの十字架 
第3章 モスコウの夜 
第4章 幻影の都
第5章 プーシキン 
第6章 レールモントフ 
第7章 ゴーゴリ 
第8章 ベリンスキー 
第9章 チュッチェフ 
第10章 ゴンチャロフ 
第11章 トゥルゲーネフ 
第12章 トルストイ 
第13章 ドストイェフスキー 
第14章 チェホフ 
後記
『ロシア文学的人間』と読み替えて(袴田茂樹)


著者プロフィール
井筒俊彦(いづつ・としひこ)
1914~1993年。東京都生まれ。1931年、慶應義塾大学経済学部予科に入学。のち、西脇順三郎が教鞭をとる英文科へ転進。1937年、慶應義塾大学文学部英文科助手、1950年、同大学文学部助教授を経て、1954年、同大学文学部教授に就任。1969年、カナダのマギル大学教授、1975年、イラン王立哲学研究所教授を歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2023年9月16日土曜日

書評『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』(中村圭司、ディスカヴァー携書、2019)― 「一神教世界」の「無神論」を知れば、日本人の「無宗教」の意味が見えてくる



『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』(中村圭司、ディスカヴァー携書、2019)を読むと、日本人が「無神論」なるものをまったく理解していなかった、いやいまでもほとんど理解していないことがわかる。

「無神論」と「無宗教」はまったく異なるものだ。多くの日本人が自分のことをそうであると思い、軽々とクチにする「無宗教」は、じつのところ「無神論」ではない。両者は似て非なるものなのだ。

本書は、宗教学者が「無神論」なるものに本格的に取り組んだめずらしい本である。「無神論」について知り、それについて考えることで、日本人の「無宗教」の意味が浮き彫りになってくる。

出版されてすぐに読んだ本だが、ブログにアップ機会を失していた。4年後のいま、あらためて書き直してアップすることにしたい。


■海外では「無宗教」は禁句という「常識」

1979年は「一神教」のイスラームが前面に登場してきた年として記憶すべきである。

わたし自身は、1979年の「イラン・イスラーム革命」と「メッカのカーバ神殿占拠事件」、そして「無神論」国家・ソ連による「アフガン侵攻」について、あくまでもニュースではあるが高校2年のときにリアルタイムで見てきた。

そういうわけで「一神教」のイスラームだけでなく、「宗教」に対しては先行世代よりも、はるかに深い関心を抱いてきた。

「神は存在するのか?」と疑問に思っていた高校時代のわたしは、神が人間を創ったのではなく、人間が神(という概念)を創ったのであるが、神(=絶対者)という存在を設定すると、説明が可能になることが多い、という結論に達した。拙いながらも自分のアタマで考えた結論である。

とはいえ、間違っても自分のことを「無宗教者」や「無神論者」などと語ったことはいっさいない。自分のことを「無神論者」などと思ったこともない。もちろん普段から神社仏閣をお詣りし、苦しいときには神頼みする、ごくごくふつうの日本人である(笑)

海外生活の「常識」として「無宗教」など絶対にクチにするな、とくにイスラーム圏においては死を招きかねないぞ! そう言いくるめられ、海外に旅立った日本人は少なくないはずだ。自分もまたそうである。

社会人になってから、はじめての海外出張でマレーシアに渡航した際も、KL(=クアラルンプール)空港から乗車したタクシーで、さっそく運転手から宗教を聞かれるという体験をしている。30年以上前のことだ。マレーシアは人口の7割がイスラーム教徒である。現在は国家としてイスラーム化を推進している。

キリスト教国の米国でも平気のように宗教を聞かれたこともある。もちろん間髪を入れずに即座に「ブディスト」(=仏教徒)であると回答している。こう答えておけば、熱心な信者ではなくても、まったく問題はない。安心されるのである。

イスラーム圏でも、キリスト教圏でも、信仰をもたない人間は、まともな人間とみなされないのである。このことは、なんどでも繰り返し強調しておこう。だからこそ、「無神論者」であることは、ある意味では確信犯的なのである。それだけの覚悟が求められるのだ。

とはいえ、日本仏教と神道の関係などめんどうくさいので、そこまで詳細な説明はしない。「比較宗教学」を学んだことのない一般人には、なにをどう説明しようが、どうせ理解できるはずがないからだ。

ちなみに、この点にかんしては、タイやミャンマーにおいても日本と似たような状況であることを、実際に住んでみて確認した。これらの上座仏教圏においても、仏教と土着の信仰が共存、あるいは融合しているのである。


■米国では「無神論」が増大中!?

本書によれば急速に「無神論」が増大中だという。これは驚きだ。

「エヴァンジェリカル」と総称される「キリスト教原理主義」(=ファンダメンタリズム)の存在が大きい米国という認識をもっていたからだ。

ところが本書では、代表的な「無神論者」(atheist)として、キリスト教世界からクリストファー・ヒチンズ、さらにはイスラーム国家のイランから脱出してカナダに移住した元ムスリムのアーミン・ナヴァビが紹介されている。

前者については、まあそういう人は、ホーキンス博士を始めとした知識人を中心に、いてもおかしくはないだろうと思うが、かつてイスラーム教徒だった人間が「無神論者」になった例など聞いたこともなかった。自分のなかに固定観念があったのだろう。

しかし、いずれにせよ「無神論」は基本的に「一神教世界」の話であることが、本書で確認することができる。キリスト教もイスラームもともに一神教である。

宗教学者である著者は、「第4章 無神論のロジック」で、多神教世界から生まれた一神教の「ヤハウェの3つの性格」を、「創造の神」「奇跡の神」「規律の神」に分解して、それぞれ「無神論」との関係を考察している。「無神論」は「一神教」の神のもつそれぞれの要素の否定という形で表現される。

「無神論」自体がひとつの「宗教」になっているという揶揄や批判もあるそうだが、たしかにそうだろう。「無神論者」の一神教の神を否定するロジックとパッションは、正直いって多神教世界の住人であるわたしには、アタマでは理解できても、心情的に共感は感じないのが正直なところだ。

著者によれば、無神論者は、現在のところ、「多神教世界」の神否定にはあまり関心がないようだ。もしそのような批判をしたところで、のれんに腕押しといったところだろう。そうである以上、無神論が日本の知的風土のなかで話題になることもあるまい。

共産主義という宗教体制における「無神論」をかかげたソ連についての言及がないのが不思議だが(・・ソ連のアフガン侵攻がイスラーム世界で激しい反発を招いたのはそのためだ)、西の一神教世界の「無神論」と東の多神教世界の「無宗教」について考えるために大いに参考になる議論である。


■日本人の「無宗教」とは?

これまでも「日本人は無宗教か?」という問いは、それこそ腐るほどされてきた。

統計データでは「無宗教」とアンケートに回答した結果がでるにもかかわらず、お守りをみにつけたり、年始には初詣、お盆や春分や秋分には墓参りする日本人。日本人にとっても、それは大いなる「謎」であったのだ。

ただ単に宗教に「無関心」であるか、あるいは「スピリチュアル」であっても、特定の「宗教」や「宗派」に所属していないだけのことなのだ。慣習としてやっていることであり、逆にいうと、やらないとなんだか気持ちが悪いというとらえ方だろう。

まあ、わたしなら山本七平にならって、それが「日本教」なんだよと言ってしまえばいいのではないか、と思ってしまうが。あるいは経済思想研究者で民俗学者の住谷一彦のように  》Das Japantum《 と社会科学風に決めてみるか。

まあ、そういう話は別にして、そんな日本人としての生き方について考えるためにも、「一神教世界における無神論」についてくわしく考察した本書は有益である。本書は「無神論」について論じながら、「宗教」現象そのものの解説にもなっている。


   
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目 次
はじめに
第1章 無神論-世界の新たなトレンド?
 1. 「宗教なし」「神なし」が世界で急伸!
 2. 『ダ・ヴィンチ・コード』騒動に見る現代欧米の宗教事情
 3. 宗教家による情報汚染-ファンダメンタリスト VS ドーキンス
 4. クリストファー・ヒチンズとアーミン・ナヴァビ
第2章 盛り上がる無神論ツイッター
 1. 神様って変?
 2. 信仰は不道徳?
 3. 議論を起こせ!
第3章 無神論と無宗教を理解するための宗教史
 1. 多神教から一神教へ
 2. 仏教-神頼みから悟りの修行へ
第4章 無神論のロジック
 1. ヤハウェの三つの性格
 2. “創造の神”
 3. “奇跡の神”
 4. “規律の神”
 5. 究極のロジック
第5章 西洋人の無神論 日本人の無宗教


著者プロフィール
中村圭志(なかむら・けいし)
1958年北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)。宗教学者、昭和女子大学非常勤講師。 著書は『図解 世界5大宗教全史』(ディスカヴァー・トエンティワン)、『教養としての宗教入門』『聖書、コーラン、仏典』(中公新書)ほか多数。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

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2017年12月30日土曜日

書評『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)ー きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある



『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)というタイトルの本が5年前の2012年に出版されている。

いまからちょうど500年前の話であるから、2017年に出版したら、もっと売れただろうにと思いながら、こういう本は2017年内に読んでおきたいものだと思っていた。いやむしろ、2017年になるまで、5年間読むのを待っていたというのが正直なところだ。読むのを楽しみにしていた。

内容は、一言で要約してしまえば、「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」といっていいだろうか。

これではあまりにも抽象的すぎるので、もうすこし具体的に書籍内容について触れると、「きわめて大きな変化」とは、15世紀以降に西洋文明において一大潮流として発展し、ついには19世紀から20世紀にかけて猛威を振るった「唯物論」のことであり、「きわめて小さな偶然の出来事」とは、「唯物論」的な思考の萌芽が記された古代ローマの哲学書が「再発見」されたことを指している。

(15世紀ボッティチェッリの「春」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

「再発見」ということは、15世紀まで約千年にわたって誰一人として知る人もなく埋もれていたということ。イタリア人の人文学者で古書マニアの男が、とある修道院の書庫のなかにその写本を見つけなければ、その後も知られることもなく埋もれ続けた可能性があった。つまり、千年にわたる「断絶」があり、歴史は「連続」していないということなのだ。

「再発見」したイタリアの人文学者の名は、ポッジョ・ブラッチョリーニ。といっても無名に近い存在だが、彼はローマ教皇ヨハンネス23世の下で、秘書官・書記として仕えていた。15世紀当時、文字が読めて筆記できるものは、きわめて少なかったことに注意しておきたい。

「再発見」した場所は、南ドイツの修道院の書庫(アーカイブ)だ。失職後のポッジョが自分の趣味の古写本探索のために数多くの修道院を訪問したが、なぜかその南ドイツの修道院にはキリスト教関係以外の羊皮紙写本も残されていたのだ。

(15世紀ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

書庫のなかから探り出したのが、紀元前50年頃に書かれた詩人ルクレティウスによる『物の本質について』(De rerum natura)であった。ラテン語で記されたものだけに、「再発見」も可能だったのであろう。当時の西欧世界はラテン語が文字言語であった。

『物の本質について』は、ヘレニズム期のギリシア人哲学者エピクロスの原子論をベースにしたものだ。先にもみたように、19世紀の「唯物論」の先駆である。キリスト教の神中心ではなく、あくまでも人間中心の世界観を描いたもの。岩波文庫版の日本語散文訳で300ページ以上もある長編だ。

一人の古書マニアが「再発見」した本は、さらに写本が作成されて広まっていく。グーテンベルクによる印刷術発明以前のことであることにも注意しておきたい。その写本がさらに筆者されて多くの人びとを魅了し、ルネサンスへ、さらには近代科学へと影響を拡大していくことになる。

もしこの「再発見」がなかったなら、近代科学の発生はなかったかもしれない。じっさい、15世紀当時には高度文明であったイスラーム世界から近代科学は生まれなかったし、ユダヤ教からも生まれてこなかった。もちろんキリスト教からも生まれてこなかったであろう。仏教その他の宗教からも同様だ。


原著タイトルは、 The Swerve: How the World Became Modern, 2011 直訳すれば、『逸脱-いかにして世界は近代になったか-』となる。では、「逸脱」とは、何からの「逸脱」か?

それは西欧中世を支配してきたキリスト教からの「逸脱」であった。キリスト教から排除された原子論という唯物論、である。

古代ギリシアやローマの遺産は、地中海地域の南側を征服したイスラーム勢力によって、アラビア語に翻訳され貪欲に吸収されていった。アリストテレス哲学が、アラビア語からラテン語に再翻訳され西欧キリスト教思想に多大な影響を与えたことは教科書的知識として知られている。聖トマス・アクィナスの『神学大全』は、アヴィセンナ(=イブン・シーナー)やアヴェロエス(=イブン・ルシュド)のアリストテレス解釈がなければ成り立ち得ないものであった。

だが、おそらく後世の唯物論につながる原子論は、イスラーム側で選択的に排除されたのであろう。アラビア語に翻訳されることがなかったのである。だからこそ、埋もれたまま知られることなかったのだ。シェイクスピア研究が本職の著者は、この点についてはなんら言及していないが、西洋人ではない日本人読者にとっては重要なことだ。

本書でよくわからないのは、ルネサンス期に主流となったネオプラトニズムとの関係だが、思想史の本ではないので、そこまで求めるのは酷と言うべきかもしれない。また、「唯物論」の歴史については、別の本をひもといてみなければならないだろう

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」ということは、あらためて強調しておいたほうがいいだろう。古代ローマの長編詩を写本のなかから「再発見」し、それを広めようとした本人も、まさか原子論が唯物論を生み出し、20世紀の世界史を激動のなかに投げ込もうとは予想だにしなかったであろうからだ。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の歴史は変わっていたであろう」と書いたのは、17世紀フランスの科学者で哲学者のパスカルだが、その仮定が妥当であるかは別にして、そんなことはクレオパトラ自身のまったくあずかり知らぬことであったのは間違いない。

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」とは、カオス理論でよく引き合いに出される「バタフライ効果」のようなものだが、後世にいかなる大変化がもたらされるかなど、現在に生きる人間にはまったくわからない。あくまでも後世から振り返ると、それが出発点であったとわかるだけだ。事後的な確認事項である。

だが、大変化を引き起こすことになった偶然の出来事について書かれた物語を読むのは面白い。著者のストーリーテリング能力もすばらしい。最初はやや退屈な感があったが、読み進めるに従って面白くなっていく。そんな本である。





目 次


第1章 ブックハンター
第2章 発見の瞬間
第3章 ルクレティウスを探して
第4章 時の試練
第5章 誕生と復活
第6章 嘘の工房にて
第7章 キツネを捕らえる落とし穴
第8章 物事のありよう
第9章 帰還
第10章 逸脱
第11章 死後の世界
訳者あとがき
解説 池上俊一

参考文献
索引





著者プロフィール

スティーヴン・グリーンブラット(Steven Greenblatt)
1943年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学教授。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』でピュリッツァー賞、全米図書賞受賞。著書にはこのほかに日本語訳されているものとして、『シェイクスピアの驚異の成功物語』、『ルネサンスの自己成型-モアからシェイクスピアまで』など多数ある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


日本語訳者プロフィール

河野純治(こうの・じゅんじ)

1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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2015年3月19日木曜日

映画『博士と彼女のセオリー』(英国、2014)をみてきた(2015年3月19日)ー 車イスの天才物理学者ホーキング博士の人生をラブストーリーで描くヒューマンドラマ


映画 『博士と彼女のセオリー』(英国、2014年)をみてきた(2015年3月19日)。主人公は車イスの天才物理学者ホーキング博士とその妻であったジェーン。この二人の愛の物語ともいうべき伝記スタイルのヒューマンドラマである。
    
原題は The Theory of Everything、つまり「万物を説明可能とするセオリー」のこと。ホーキング博士の究極の探求テーマのことだ。
 
『博士と彼女のセオリー』だと、なんだかロマンティック・コメディ(・・日本でいう、いわゆるラブコメ)みたいなタイトルだが、この映画にかんしては日本語訳は悪くないと思う。というよりも、むしろ日本語版のタイトルのほうが内容をよく表現しているのではないか、と。もちろん、この映画の「ラブ」とは、すべてを引き受けるという意味の「愛」であるわけだが。

(日本版チラシの裏)

ブラックホールの特異点(=シンギュラリティ singurality)についての理論を発表した理論物理学者で、しかも無神論者であったが、けっしてアタマでっかちの堅物ではなかったホーキング博士。
  
愛情豊かな家庭に育ち、ワーグナー好きで、ボート部でコックスをつとめたり、ダンスパーティに参加したりなど大学時代には青春を謳歌、ユーモアやウィットに富み、人生を楽しみ、家族を愛し、男女間の微妙な機微にもけっして無縁な人ではなかったのだ。じつに人間くさい側面をみせているホーキング博士は、日本では同日に公開された『イミテーション・ゲーム』のチューリング博士は、おなじくケンブリッジ出身の天才だが、かなり異なるキャラクターだ。



ホーキング博士が苦闘してきたALS(=筋萎縮性側索硬化症)は、頭脳活動にはまったく影響がないにもかかわらず、全身の筋肉が萎縮して思うようにカラダを動かせなくなっていくという難病である。

不治の難病にかかっていたことがわかったのは、ケンブリッジ大学の学生だった21歳のとき。まさにこれからが人生の本番というときに余命2年(!)を宣告されたスティーブン・ホーキング青年の精神的な苦悩は、いったいいかなるものだったか・・・。

(英語版チラシ)

このホーキング博士の人生を支えてきたのが、愛ゆえに決意して妻となったジェーンであった。無神論者の夫と英国国教会の信者の妻というカップル。ホーキング博士の人生を、配偶者の視点からもあわせて描いている点が、この映画をヒューマンドラマだけでなく、ラブストーリーにもしている。だから、よくできた日本語タイトルだと思うのだ。

つねにギリギリの状態で頑張ってきたジェーンがもらした "I have loved you. I did my best." というセリフがずしりと重く響く(・・過去分詞を使用した英語表現のニュアンスに注目)。この映画のテーマは人間にとっての「時間」の意味についてでもあるのだ。それは最期までみたら理解できることだろう。

著名人とはいえ、72歳でいまだ健在の人物を映画で描くというのは、想像以上に大変だったのではないかと思う。この映画をみてホーキング博士のすべてがわかるわけではないが、断片的な記事をつうじてしかホーキング博士を知らなかったわたしのような者にとっては、見るべき映画だ。

主人公を演じた主演男優はもとより、出演者すべての演技が素晴らしい、お勧めの映画です。





PS 無神論者のホーキング博士が死去 

ホーキング博士が、2018年3月14日に亡くなった。享年76歳。無神論者であったので、死後の世界は信じていない人であったが、ご冥福を祈る。合掌。(2018年3月15日 記す)



<関連サイト>

映画 『博士と彼女のセオリー』(日本版 公式サイト)

The Theory of Everything - Official Trailer (Universal Pictures) HD (英語版公式トレーラー)

スティーヴン・ウィリアム・ホーキング (Stephen William Hawking 1942年1月8日~) wikipedia日本語版



<ブログ内関連記事>

ケンブリッジ大学関連

日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)
・・20世紀のオックス・ブリッジをインサイダーとして体験した日本人が書いた本の数々

映画 『イミテーション・ゲーム』(英国・米国、2014年)をみてきた(2015年3月14日)- 天才数学者チューリングの生涯をドイツの暗号機エニグマ解読を軸に描いたヒューマンドラマ
・・ホーキング博士よりも一世代以上前のケンブリッジ大学が生んだ天才数学者



科学的探求精神と変人性

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・科学者という人間類型を突き動かしてきた知的衝動とは?

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ


ALSや声を失った難病との苦闘

書評 『トラオ-徳田虎雄 不随の病院王-』 (青木 理、小学館文庫、2013)-毀誉褒貶相半ばする「清濁併せのむ "怪物"」 を描いたノンフィクション

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」 
・・人生の絶頂期に、筋萎縮側索硬化症(ALS)という不治の病に突然冒され、10年以上にわたって闘病生活を続けるという不幸に見舞われたユダヤ系ドイツ人哲学者フランツ・ローゼンツヴァイク

・・リハビリの作業療法で、生まれてはじめて習い覚えたパソコンに向かって、左手だけで書いた文章がまとまった文章が一冊に 記憶障害はないがしゃべれない状態


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