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2024年2月4日日曜日

書評『仏教の歴史 ー いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエール・ロベール/今枝由郎訳、講談社選書メチエ、2023)ー 日本人の「常識」の欠落部分を外部の目で補うことの重要性

 


 「仏教史」の本は、日本人が日本語で日本人のために書かれたものであれば、それこそ無数にある。だが、仏教をブッダ在世以後の初期段階から西洋世界に普及しつつある現在までカバーしたものは、それほど多くはないのではないかな? 

著者の着眼点は、仏教経典で使用されている「言語」から分類と説明を試みていることにある。漢文も日本語も読みこなせる語学の天才で、中国仏教や日本仏教に精通している碩学ならではのものといえよう。 

一般的には「初期仏教」と「大乗仏教」。大乗仏教の最終形である「密教」(=金剛乗)、そして初期仏教の新生である「上座仏教」に区分が可能だが、言語で分類すると以下のようになる。

初期仏教」以来のパーリ語をそのままつかっている「上座仏教」サンスクリット語からの翻訳である漢文訳をそのまま使用してきた大乗仏教の「中国仏教」、おなじくサンスクリット語から組織的に翻訳されたチベット語訳をそのまま使用してきた大乗仏教の「チベット仏教」に分類可能だ。 

「日本仏教」は、漢文経典をそのまま使用してきたので、中国仏教系列となる。この状況は朝鮮半島もベトナムも同様だ。

東南アジアは基本的に上座仏教圏だが、中国文明の影響圏にあるベトナムだけは別物である。 ユーラシア大陸内部のモンゴルはチベット仏教圏である。

「経典」で使用されている「言語」を軸に考えると、漢文経典を使用してきた地域では、お経を耳で聴いてもちんぷんかんぷんであることは共通していることもわかる。もちろん、「マントラ」としては意味があるわけだが・・・ 

このように、外部の視点で、しかも俯瞰的に眺めると、日本仏教の性格がよく見えてくる

だが、それだけではない。 ひとくちに「仏教」といっても千差万別であり、「仏教」について言及するときは、どの地域のどの時代の「仏教」であるかを認識しておかなくてはならないのである。特定の「宗派」にとらわれた「井の中の蛙」的認識ではいけないのだ。 


原著 Petite histoire du bouddhisme 画像をクリック!


このように日本人の「常識」からの欠落部分を外部の目で補うことのできる本書は2008年の出版だが、原題が Petite histoire du bouddhisme(仏教小史)とあるように、すぐに読めてしまう。だが、いかんせん、記述が簡単すぎて説明不足なのが物足りない。 

とはいえ、日本語版は豊富な注釈つきで、いたれりつくせりの編集になっている。 日本語版は、盟友でチベット仏教が専門の今枝氏が日本語訳しているが、当然のことながら著者本人も目を通しているはずだ。「日本語版のための序文」は著者みずから日本語で執筆しているとのことだ。 

キリスト教やイスラーム教とならぶ世界宗教でありながら、多様性に充ち満ちた仏教その全貌を歴史的展開をつうじて把握するのは最適な1冊であろう。 


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目 次
序言(ジャン・ボベロ) 
日本版のための序文(ジャン=ノエール・ロベール)
はじめに 
第1章 諸宗教の中での仏教 
第2章 ブッダ 仏 ― 第一の宝 
第3章 ダルマ 法 ― 第二の宝 
第4章 サンガ 僧 ― 第三の宝 
第5章 三つの叢書 三蔵(トリピタカ) 
第6章 大乗と真言乗 
第7章 中央アジアと中国への伝播 
第8章 チベットからモンゴルへの伝播 
第9章 東南アジアへの伝播、そしてインドへの回帰 
第10章 朝鮮から日本への伝播 
第11章 仏教と言語 
第12章 仏教の欧米への伝播 
第13章 仏教研究批判 
仏教の歴史 略年表 
主要参考文献 
訳者解説 
索引

著者プロフィール
ジャン=ノエル・ロベール(Jean-Noel Robert)
 1949年生まれ。フランス国立東洋言語文化学院日本語学科卒業、パリ第七大学国家文学博士号取得。コレージュ・ド・フランス名誉教授。義真『天台法華宗義集』の研究は日本天台宗の教理についての西洋語による最初の体系的解明として国際的にも高く評価される。また、鳩摩羅什訳『法華経』のフランス語訳、慈円の釈教歌についての研究のほか、日本文化を古今東西の文化史の文脈から捉えることを提唱し、2021年度の第三回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2023年11月6日月曜日

書評『宗教と過激思想 ー 現代の信仰と社会に何が起きているか』(藤原聖子、中公新書、2021)ー 社会的公正の実現を主張する人たちが切迫感にかられて暴力やテロに訴える背景にあるものとは

 


思わず手に取りたくなるタイトルである。「宗教」と「過激思想」と、2つのことばが「と」で挟まれている。だが、ほんとうは「宗教」は「過激思想」であると、「は」で挟んだほうがいいかもしれない。

そもそも、どんな宗教であれ、社会から受け入れられ、成熟化して「穏健化」するまでは「過激」である。自己主張のかたまりであるからこそ、新興宗教に限らず、どんな宗教でも他の宗教との違いをことさら強調する。設立最初は「過激」にならざるをえないはずだ。

とはいえ、暴力的で「過激」に見える宗教が目立つのはなぜか。とくに2000年代に入ってから「過激」さが際立っているのがイスラーム主義者のテロや暴力行為。前近代では「異端」とされていた宗教思想は、現代では「過激」な宗教思想となっている。英語では religious extremism という。

著者は、過激な言動の背後にある「思想」に注目している。暴力やテロなどの過激な行動を起こす「人物」は、それぞれに個別の動機や背景があるが、外部からその真意をうかがい知ることはむずかしい

それに対して、ことばで表現された「思想」は分析の対象として適切だ。しかも、比較分析が可能となるし、その分析から傾向を導きだすことができる。


■事例研究の対象としての「世界宗教」

著者は、結論ありきのアプローチではなく、事例を分析しながら現代の過激な宗教思想の「共通性」をあぶりだそうと試みている。

まずは、「世界宗教」あるいは「普遍宗教」とされている世界の三大宗教について、イスラム系過激思想、キリスト教系過激思想、仏教系過激思想から事例をとりあげている。

イスラム系過激思想からは、20世紀エジプトのイスラーム思想家サイード・クトゥブ米国の黒人解放指導者マルカムXが対比されているが、この2人がイスラーム主義者であり、かつ同時代人であったという指摘に、はっとささられる。

宗教が先にありきか、民族主義が先にありきか。これがかれらの相違点だ。マルカムXは、暴力を肯定していたわけではない。そこが、アルカーイダやISISの源流とされるクトゥブとの違いだ。

キリスト教系過激思想からは、白人でありながら黒人解放のため暴力も辞さず、「テロリストの父」とよばれる19世紀のジョン・ブラウン、中絶反対のためテロも暴力も辞さない米国の「プロ・ライフ」の福音派のキリスト教徒たち。

そして、仏教系過激思想からは、日本で「一人一殺」を実行した井上日召、暴力の向かう先が他者ではなく自分に対してであるが、焼身による抵抗運動をおこなうチベットの僧侶たちがとりあげられる。

暴力も辞さない過激な宗教思想は、けっして「一神教」特有のものではないことが明らかになる。一神教か一神教多神教かという、通俗的な二分法では見えてこないものがあるのだ。


■「民族宗教」と暴力化する「ナショナリズム」
 
過激な宗教思想は、世界宗教だけではない。

むしろ「民族宗教」こそ、かえって見えやすい形で「ナショナリズム」とむすびつきやすいみずからが属する集団の「アイデンティティを、他者を否定するかたちで明確化するのである。

自民族至上主義他民族排斥主義を主張する過激な宗教思想。「ナショナリズム」を近代に生まれた代替宗教と考えれば、これらの過激な思想は、ナショナリズムの極北といえるものであろうか。

取り上げられているのは、イスラエルとインド、そして日本の民族宗教である。ユダヤ教は「一神教」、ヒンドゥー教と神道は一般に「多神教」と分類されているが、むしろ「民族宗教」という側面に注目すべきである。本質的な差違は、一神教か否かという点には存在しない。

米国生まれでイスラエルに移住した正統派ユダヤ教のラビのメイル・カハネは、その暗殺後も、カハネ主義としてテロ組織認定されながらも、イスラエルでは熱烈な支持者がいる。選民思想の極地ともいうべき極端な思想である。


ヒンドゥー至上主義を唱える政党 BJP が、現在のモディ政権の出身母体であることは、比較的よく知られていることだ。隣国パキスタンやインド国内のイスラーム主義者によるテロや暴力からの脅威を批判し、それに対抗するための過激な言動を実際の政策に反映させている。

このインドの状況は、現在のイスラエルとよく似ているのではないか。

ムスリムとの共存を説いた「インド独立の父」ガンディーはヒンドゥー教徒であったが、過激なヒンドゥー至上主義者の青年によって暗殺されている。近年のインドでは、ガンディー暗殺犯を英雄として礼賛するインド人が増えているという情報もある。

インドとイスラエルは期間に違いがあるとはいえ、ともに英国の統治下から「独立」したことも共通している。この件は本書とは直接関係はないが、その他にも共通点が少なからずあることに気がつかされた。

神道系過激思想からは、安藤昌益が取り上げられているのは意外であった。

現在のイスラエルやインドの状況を想起させるような、戦前の「国体思想」につながる本居宣長や平田篤胤の思想ではなく、いっけん平和思想に見える安藤昌益の思想の過激性に注目している。

東洋系の宗教に共通するテーマだが、「梵我一如」や「天人合一」と表現される宗教思想のもつ正負両面に注目する必要がある。

ポジティブな側面とは「人類みなきょうだい」という人類愛の思想、ネガティブな側面とは「天に代わって悪を撃つ」ことが許されるという思想である。後者はテロを正当化することにつながりやすい。

宗教が説く人類愛と、不公正を糺すためにテロに訴える宗教思想は、じつは同根なのである。



■なぜ過激な宗教思想は暴力やテロと結びつきやすいのか

著者は、事例研究から過激な宗教思想の共通点を抽出している。著者が整理した4項目を、さらにわたしなりに書き直しておこう。


1. 「公正」な社会を求めていること。たんなる幸福ではなく、社会的な公正が実現されていないことを批判し、「不公正を糺す」ための行動が必要だとする
2. 問題解決に「いまでなければいつ?」という「切迫性」を感じていること
3. 西洋近代が生み出した民主主義、リベラリズム、社会主義、宗教性のないナショナリズムでは社会的公正は実現しないとし、問題解決を宗教そのものに求める
4. 自分が信じる宗教が、社会的公正実現の唯一のあり方だとみなし、そこに敵の存在を前提にした否定的な形での「アイデンティティ」を見いだす。「世界宗教」の場合は、国境を越えたネットワークを志向し、「民族宗教」の場合は国境線で明確にウチとソトを区分する道を選ぶ


「公正」とは英語でいえばジャスティス(Justice)のことだ。「公正な」(just)な社会の実現こそがカギである。経済格差が拡大し、平等とはほど遠いという不公正自分が割を食っているという不公平感。いずれも近代社会であるからこそ、生まれてくる感情である。

社会的公正を実現しなくてはならない。だが、民主主義的なプロセスなどまどろっこしい。「切迫感」を感じるからこそ、直接的な行動、つまり暴力やテロに訴える。短絡的にそう思いがちがちなのである。そして、その行動の背景には、過激な宗教思想があることが多い。

ただし、革命のような体制変革ではなく、あくまでもテロの段階にとどまる。パフォーマンス的なのである。

この本を読んでいると、明解に整理された結論がむりなく導きだされるのを感じて、ある種の心地よさを感じる。だが、はたしてだから読者であるわれわれは、いったいどうすべきなのかという疑問も生まれてくる。

おそらく、このような本を読む人は、過激な宗教が背景にある暴力やテロ事件が多発する理由を知りたいと思う人が大半であって、実際に過激な宗教思想を抱いていて、社会的公正の実現のためにテロを起こそうなどという人はいないだろう。

とはいえ、ネットに横行する陰謀論が引き金になっているケースは増大しつつある。トランプ主義者たちによる米国の連邦議会襲撃事件の引き金になったのも、ディープステート(DS)などのオカルト的な陰謀論であった。いとも簡単に陰謀論に絡め取られてしまう危ない状況。

本書が出版されたのは2021年5月、その翌年の2022年7月には、「安倍元首相銃撃事件」が発生している。

暗殺者の行動に、宗教的な背景が直接的に影響を与えているかどうかは別にして(・・井上日召の場合も、後付け的性格が濃厚だと著者が指摘している)、日本では「テロの伝統」があることを忘れてはならない。

本書ではサタニズム(悪魔主義)について簡単に触れられているが、過激な宗教思想だけでなく、オカルト的な陰謀論の影響についても、考察を深める必要がある。

著者の表現をつかえば、「思想内在的過激性」についての自覚が必要なのである。



 (画像をクリック!


目 次 
はじめに 「イスラム過激思想」という造語への疑問 
序章 宗教・過激に関わるいくつかの言葉 
第1章 「アンチ西洋」ではくくれない ― イスラム系過激思想 
第2章 「弱き者のため」のエネルギーはどこから ― キリスト教系過激思想 
第3章 善悪二元論ではないのに ― 仏教系過激思想 
第4章 ナショナリズムと鶏卵関係か ― ユダヤ教・ヒンドゥー教・神道系過激思想 
第5章 過激派と異端はどう違うか 
終章 宗教的過激思想とは何か 
おわりに 「宗教的過激思想」が照らし出すもの 
あとがき
参考文献

著者プロフィール
藤原聖子(ふじわら・さとこ)
1963年東京生まれ。1986年東京大学文学部卒業、2001年シカゴ大学大学院博士課程修了(Ph.D)。東京大学大学院人文社会系研究科准教授などを経て、2017年から同教授。著書 には、『現代アメリカ宗教地図』(平凡社新書、2009)、 『教科書の中の宗教―この奇妙な実態』(岩波新書、2011)、 『ポスト多文化主義教育が描く宗教 イギリス<共同体の結束>政策の功罪』(岩波書店、2017)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものにWikipedia情報を付加)



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2023年9月27日水曜日

書評『バハイ教(シリーズ世界の宗教)』(P. R. ハーツ、奥西峻介訳、青土社、2003)― なぜ世界和合と多様性の両立を目指すイラン生まれのこの宗教がイランで迫害されるのか?


 
バハイ教(=バハーイー教 Baha'i)については、耳にしたことはあっても、どういう宗教なのかについて知ることはほとんどない。そもそも、世界の三大宗教には含まれないので日本語のメディアで言及されることもほとんどない。


そこで、ずいぶん前に購入していながら積ん読状態になっていた『バハイ教(シリーズ世界の宗教)』(P. R.  ハーツ、奥西峻介訳、青土社、2003)を読んでみることにした。こんな機会でもないと、読まないままになっていた可能性は高い。

なぜ世界和合と多様性の両立を目指すこの宗教は、イランで迫害されるのか? この謎が完全に解明されるかどうかわからないが、まずは読んでみた。


■バハイ教とはなにか その歴史と現在

バハイ教は、19世紀初頭にカージャール朝時代のペルシアのシーラーズで生まれた「新宗教」だ。わずか1世紀あまりで世界230国以上に拡がった世界宗教である。普及の度合いはキリスト教についでおり、2020年現在で全世界に信徒が800万人いるとされる。

バハイ教には前史がある。人類平等、男女平等を説いたバーブによるバーブ教である。このバーブ教じたいが最初の最初から迫害につぐ迫害の歴史をもっている。

バーブが、イランの国教であるシーア派の伝承である「隠れイマーム」が姿を消して、ちょどその1000年後に出現したとした使徒「マフディー」である、民衆からそう信じられるようになったことが、イランの宗教界に激震をもたらすことになった。シーア派の権威に真っ向から対立する存在となったからだ。

バーブは不信心者であるとして、シーア派の聖職者たちから激しく非難され、最終的にバーブは処刑されることになる。バーブに帰依する者が爆発的に増大していたからだ。

のちバーブ教を吸収したバハイ教の開祖バハーオッラーもまた迫害を受けている。勢力拡大を恐れた政府は弾圧を加えるが、地主階層出身で政府にもコネクションがあったバハーオッラーは過酷な投獄生活を送るが、最終的に追放刑となってオスマン帝国を転々とすることになった。

当時はオスマン帝国領であったパレスチナ北部のアッカの監獄に収容され、解放後はその地で暮らし、その地に葬られることになった。現在ではイスラエル北部のアッカはバハイ教の聖地になっている。

また、バハイ教の世界本部である万国正義殿がイスラエル北部のハイファにあるのは、そういった経緯があるようだ。当時はイスラエル独立前のことである。

ハイファはアッカとならんでバハイ教の「聖地」である。現在でもハイファは、ユダヤ系とアラブ系が共存して暮らしている寛容性の高い都市である。1990年代以降はロシアから移民もコミュニティをつくっている。その意味でも、バハイ教の世界本部の立地としてふさわしいかもしれない。


原著第2版 写真はインドの首都ニューデリーの礼拝堂。「蓮の寺院」とよばれる)



教義の内容は、先にも触れたように、唯一の神のもとの人類平等、人種や民族の差別を撤廃し、男女平等を説き、世界平和の実現を願うという、いたって筋のとおった真っ当な内容だ。宗教であるが、道徳的な要素が濃厚である。自分自身が入信しようとは思わないが、すくなくとも外部から誹謗中傷するような教義ではまったくない。

バハイ教は、一桁の数字では最後にくる「9」を重視して「完全数」とし、19ヶ月で19日の太陽暦をもちいているなど、なかなか興味深いものがある。イランの太陽信仰や、ゾロアスター教の影響も受けているという。

*****


現在もなお弾圧はつづいており、アムネスティ・インタナショナルによれば、「逮捕、拷問、強制失踪、事業閉鎖、財産没収など過酷な差別や弾圧に加え、当局や国営メディアによるヘイトスピーチにさらされ、高等教育を受けることも禁じられている」のである。

シーア派を国教とするイランだが、スンニ派も含めたイスラームがが完全な市民権を認められた宗教である。その下にゾロアスター教、キリスト教、ユダヤ教の三宗教が「啓典の民」(=ズィンミー)として認められている。かつてのオスマン帝国とおなじである。

だが、シーア派の指導者であったホメイニ師はバハイ教を邪教と断じ、受け入れられないと発言している。イスラームから派生した新宗教であるバハイ教は、ムハンマドを最後の預言者であるとするイスラームの教義を否定しているからであろう。その点が絶対に容認されないのである。

さらにいえば、世界本部がイスラエルにある以上、イラン国内のバハイ教徒が巡礼するには困難がつきまとうだろうと容易に想像される。イランとイスラエルは敵対関係にあり、外交関係は断絶している。


原著第3版 写真はイスラエルのハイファにある「万国正義殿」


日本では、ほとんど取り上げられることのないバハイ教だが、イランについて考えるうえで、無視できない要素である。

なぜなら、宗教マイノリティでありながら、現在でもイランには信徒が30万人ほどいるのである。イスラーム以外の宗教では最大の規模なのである。ゾロアスター教徒や、1万人弱となったユダヤ教徒よりも多いのだ。

不思議なことに『イランを知るための65章(エリア・スタディーズ)』(岡田恵美子他編著、明石書店、2004)では、項目としてバハイ教が取り上げられていない。イランの現体制に忖度しているのか、それとも重要視していないのか。イラン関係者ではない外部の人間には理由は不明である。

本書はその意味でも、日本語で読めるほぼ唯一の解説書として有用だ。シリーズものの1冊だから出版が可能になったのであろう。もちろん、「世界宗教」としてのバハイ教について知っておく必要があることは言うまでもない。


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目 次 
序文
1 バハイ教とその信者 
2 バハイ教の基礎 
3 バハイ教の開祖バハーオッラー 
4 バハイ教の聖典 
5 バハイ教の流布 
6 バハイ教の信仰と礼拝 
7 バハイ共同体 
8 今日のバハイ教
原註
訳者あとがき
文献一覧
用語解説
索引


著者プロフィール 
ポーラ・R・ハーツ(Hartz, Paula R.)
ミドルベリーカレッジ卒業。ノンフィクション作家、青少年向け書籍(推奨年齢12歳以上)の編集者として活躍。「シリーズ世界の宗教」(青土社)では、『ゾロアスター教』 『アメリカ先住民の宗教』『神道』『道教』が翻訳されている。

日本語訳者プロフィール
奥西峻介(おくにし・しゅんすけ)
1946年生まれ。京都大学大学院卒業。現在、大阪外国語大学名誉教授。著書に『遠国の春』(岩波書店)のほか訳書多数。(各種情報から編集)。



PS 民芸運動にもかかわったバーナード・リーチは最終的にバハイ教に入信している。

「リーチは1940年、アメリカ人の画家・マーク・トビーとの交友を通じバハイ教に入信していた。1954年、イスラエルのハイファにある寺院を巡礼に訪れたリーチは、「東洋と西洋をより一つにするため東洋に戻り、バハーイ教徒として、またアーティストとして私の仕事により正直になろうと努力したいと思います」との感を強くしたという。」(Wikipediaより



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・・著者は文化人類学者で、アラブ人キリスト教徒の多い、イスラエルの港町ハイファでフィールドワークを行ってきた人。

(2023年11月13日 情報追加)


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